Travelling#5

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、東北最終日です。


 釜石を早々に切り上げ、他の目的地もカットしたのは、若柳もイベントの日だったから。逸る気持ちを抑え、目的地に向かいますが、結局雨天で中止となっており、残念でした。


 そこで、先ずは「チャチャワールド」へ行きました。凸型電機、ED201他が保存されます(写真)。


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 電動車、M152です(写真)。栗原電鉄時代の主力と思われます。


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 制御車、C152です(写真)。増結用の制御付随車、自車に動力がありません。「バス窓」に気付きます。


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 M152の中に、入れました。キャブ(写真、後の窓からの撮影)。主要部以外は木材なのが分かります。


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 車内(写真)。床面は木材、半鋼製の電車なのが分かります。


 同園は、この秋から内部の施設改装のため休園、今後これらの車両がどうなるかは、全く分かりません。気になる人は行っておいた方が良いと思います。


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 そして、くりでん起点の石越へ。現在は石碑が建っています。


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 くりでんの、駅跡(写真)。駐車場となり、痕跡も残っていません。


 かつて貨物を授受したJR石越駅も改築され、無人なのか。時代を感じます。


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 そして、三セク時代の終点、「細倉マインパーク」駅跡へ。ロータリーが残ります。


 駅舎横に、ED202が保存されます(写真)。「くりはら田園鉄道」のままです。


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 後には、半鋼製の有蓋緩急車ワフ(車番不明)を従えています(写真)。


 そして、もっと行ってきたいと思いましたが、台風接近により断念、帰宅しました。


 台風を避け、六十里越を通ったのに、台風が近づいてしまい失敗で、しかも翌日は台風一過、晴天で一日が無駄となってしまいました。収穫は、旧「田子倉」駅、臨時駅から廃止となった駅舎を見たくらいか。でも、真夜中でよく分かりませんでした。


 無駄の多い行程だったのは、反省です。以降、気をつけます。


 それでは、次回をお楽しみに。

Travelling#4

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、移動途中の話、「くりでんミュージアム」からお届けします。


 郡山を早々に切り上げ、移動するわけですが、途中で渋滞に捕まり、移動が遅れます。結果仙台から高速に乗り、何とか閉館までに到着しました。


 「くりでんミュージアム」は、「栗原電気鉄道」、後の「くりはら田園鉄道」の中心駅、若柳に設置された施設です。残念ながら廃止となった同鉄道の施設、車両を保存しています。


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 硬券にダッチングして、入挟し、修繕庫に入ります。最初の車両は名鉄から来たKD12、所謂「LEカー」です(写真)。2軸単車です。


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 運転台(写真)。営業当時を知りませんが、名鉄のキハ20とほぼ同様です。


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 移動式ジャッキ(写真)。足回りを外し、仮台車に載せ、走行装置と車体を別々に整備するのに必要な装置です。計4つあります。


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 奥には、鍛冶仕事用の炉があります(写真)。ここで、部品を造ります。


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 その南側には、「くりはら田園鉄道」の主力、KD95形KD952が保存されます(写真)。三セクになってからの車両、活躍は僅かな期間でした。


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 キャブ(写真)。富士重製「LEカー」の最終形、以降同社は鉄道事業から撤退しました。今走っていても普通な車両です。


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 車内(写真)。営業当時そのままです。


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 本館に戻ります。最初は、M153の顔出し(写真)。元は電化鉄道でした。


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 手荷物用秤(写真)。他営業当時に使用された器具類が多数保存されます。


 また、営業当時を縮小したNゲージのジオラマもあり、雰囲気が出ていました。


 そして、外に出ました。


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 道を挟んで反対側は、旧若柳駅跡です。旧駅舎(写真)。廃止後に、展示施設として整備されました。


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 金網の向こうは、保存車両の展示があります。


 凸型電機、ED203(写真)。貨車を従えます。


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 スイッチャー、DB101(写真)。小型のDLです。


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 その手前には、保線モーターカーがあります(写真)。富士重製の、汎用型のものです。


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 建屋には、KD953が入り、動態保存されます(写真)。イベント時には、周辺に数百メートル残る線路上を走るようです。


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 電車、M153(写真)。「栗原電気鉄道」当時のものです。


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 KD11(写真)。名鉄から移籍した富士重製「LEカー」、2軸単車なのが分かります。


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 KD951(写真)。「くりはら田園鉄道」使用の5両は、全部残っています。


 そして、釜石へと向かいました。


 ここで、翌17日は同施設でのイベントがあることを知り、再び戻ってきましたが、それは長くなるので次回とします。


 それでは、次回をお楽しみに。

Travelling#1

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、靖国神社からです。


 3連休を前に、木曜に自宅発。今日がメインなのですが、昨日は移動日で、途中ネタを考えると、靖国神社に行っていないことに気づき、勇気を出して行きました。


 写真は、零式艦上戦闘機(零戦)52形で、一番数の多かった機体です(写真)。


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 その横には、C56 31があります(写真)。ただのSLのようですが、これは南方戦線に徴用され、戦後ミャンマーで使用されるところ、日本に帰ってきた機体なのです。苦難の歴史が刻まれています・


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 キャブには、名古屋日本車輌製造の銘板も残り、奇跡的な帰還を証明しています(写真)。ただ、注視すると、キャブ前方がドアになり、開閉可能になっています。これは、後の現地での改造です。大井川の44号機も、同様に改造されています。


 先の大戦では、多くの苦難があり、同様に徴用されたC56の、他の88両は帰還することがありませんでした。それが、戦争の現実です。しない方が良いでしょうが、もし、攻め込まれたら、そのままにも出来ず、やはり銃を取らねばならないのでしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

ささやかなるイベント

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「幻のト20000形」イベントを取材しました。


 先週末も、昨日も晴れていましたが、取材はお休み。次のイベントシーズンへの準備となっていました。


 そして、昨日午後出発。今日のイベントを待ちます。


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 そして、会場へ。迷いつつ到着。アオリ戸が両側とも降りた状態で用意されています(写真)。


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 連結面(写真)。柴田式自動連結器に、エアホースが1本あります。


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 反対側(写真)。基本的には、同じです。


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 踏面用のブレーキシュー、及び床面の板です(写真)。古くなり、木材も傷んでいました。


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 ヘルメット持参の人は、床下を覗くことが出来ました。ブレーキ作用装置(写真)。側面の足踏みブレーキで、ブレーキシリンダーに供給するエアを調整、ブレーキ力を得ます。


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 車軸(写真)。ガイドの間を上下し、重ねた板バネで振動等を吸収します。


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 足踏みブレーキ(写真)。上限、下限をピンで調節出来ます。


 しかし、この設備を必要とした、ハンプで突放し、ヤードで貨車を分類する、ヤード輸送式の鉄道貨物が無くなって、もうどの位経つのでしょうか。DE10に死重を積み増した重入換専用機DE11も、行く先無しです。


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 側面に注目して(写真)。足踏みブレーキの位置関係、大きさが分かると思います。


 アオリ戸は、何人かで一斉に持ち上げないと上がらないほど重く、イベント参加者の思い出になりました。


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 荷札(写真)。「千頭」発「新疋田」行きになっています。


 ト20000形は、日本初の鋼製無蓋車とのこと、戦前に大量生産されたものの、使い勝手が悪かったらしく、早期に国鉄でも全廃、大井川鐵道ト111として残っていた車両が現存唯一とのことで、千頭駅で放置され解体する寸前のところを、記念すべき貨車として費用を出して移設、ここまで復元されました。実際には、トレーラーで陸送されました。


 そんな貴重な1両ですが、ここまで足を運んで見に来る人は、事前に各誌でアナウンスされても、数十人程度でした。場所が、関西からなら新快速敦賀行きで1本ですが、それ以外の地域では、米原から乗り換えが近江塩津であり、確かに大変です。しかし今後は、展示物になるまで当分公開はしないそうです。悪しからず。


 それでは、次回をお楽しみに。

ああ夏休み#3

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、保存車ネタです。


 写真は数年前、夜行急行「能登」廃止で、記念に小松駅前に保存された、クハ489 501(写真)。横軽協調運転が出来る489系の、EF63と連結する側の先頭車、クハ481 100番代(MG出力アップ形)に関連装備を追加して製造された車両です。


 しかし、翌年から485系の製造が貫通型200番代に変わったことから、クハ489も200番代及び600番代に製造が変わり、更にクハ481が非貫通300番代に対応するようクハ489も300番代及び700番代にシフト、少数で多形式がひしめく系列です。しかし、その後の転配も考えてか、先頭車は方転出来る両渡りであったようです。


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 クハ489 501の、協調用ジャンパ栓(写真)。反対側の解放テコとともに、クハ489 500番代の特徴となっています。


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 先日の、松任からの帰り道、再び小松駅前に寄ってみました(写真)。噂どおり、連結器カバーが復元されており、またスカートの塗色が60Hzの帯入りの赤に塗色変更、クハ481登場当時とほぼ同じスタイルになっています。


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 反対側も、横軽協調用のジャンパ栓が撤去され、クハ481同様の姿になっています。


 色々な考えはあるでしょうが、この復元を、クハ489 501で行う必要があったのかは、疑問を感じます。これなら、腐るほどあって、大量に解体したクハ481の通常形で十分で、クハ489の500番代である必要性が全く感じられません。それよりはるかに貴重であった、横軽用の解放テコとジャンパ栓は、永遠に失われてしまいました。「復元したい」という意図は、私は全く理解出来ません。ただ、私有財産権は絶対ですから、所有者が処分したければ、それは自由なので、それ以上言う資格はありませんが、馬鹿げています。


 残念な姿を見ることは分かっていましたが、改めて、惜しいことをしたと思います。「ヨコカル」が理解出来ない鉄道ファンはいないと思いますが、それ以外の人のしたことでしょう。改めて、残念と言いたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Seichiro

Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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