サクラサク#9

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日後半戦、谷汲を中心にお届けします。


 大阪を早々に切り上げ、次の目的地に向かいます。時間的に、「明日かなあ?」とも思いつつ、走らせます。


 そして、日が西に傾きかけた頃に、目的地に到着します。


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 それは、名鉄谷汲線(廃止)谷汲駅です(写真)。最初は黒野以遠であった廃止が、結局600V区間全部になってしまいました。元の駅舎は、廃止を前提に設計され、記念館になっています。


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 旧駅舎の、鬼瓦が展示されます(写真)。多くは社紋が入ったりしますが、これは無地です。


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 そして、旧ホームには、電車が保存されます。最初は、モ755です(写真)。黒野以遠廃止時に、設置されました。


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 車内はロングシート(写真)、主に揖斐線の黒野~本揖斐間で使用された記憶があります。


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 反対側の先頭(写真)。スカーレット一色です。


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 もう1両は、モ514です(写真)。丸窓電車モ510形の1両です。


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 車内(写真)。2+1の転換クロスシートです。


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 反対側(写真)。白赤の、ツートンです。元は、600V区間でも優等列車に使用されていました。


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 そして、谷汲まで来たわけですから、谷汲山華厳寺に行かないわけにはいきません。西国三十三か所の満願となる場所です。


 道を跨ぐ、コンクリート製のゲートで、ここから桜並木が続いています(写真)。


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 桜の盛りは過ぎ、「桜まつり」も先週でしたが、まだ桜は見られます(写真)。桜のトンネルになっています。


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 木製の、山門(写真)。重厚な木造建築です。


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 そして、参道を歩き、階段を登ると、そこに本堂があります(写真)。全景は、写せる広角レンズを持っていませんでした。


 そして参拝し、車に戻ります。


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 樽見鉄道谷汲口へ行きます。国鉄オハフ33形、改め樽見鉄道オハフ502が、桜の中に保存されます(写真)。


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 谷汲口駅(写真)。まわりに桜が植えられます。


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 枝垂れ桜(写真)。写り込みは、これ以上何ともなりません。


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 そして、樽見へ。淡墨桜を撮りに、行きました。


 この時期だけ有料の駐車場に停め、坂を上り、辿り着きました、淡墨桜(写真)。巨大な桜、根も支柱も沢山です。樹勢復活のため、若い根を接ぎ木し再生したとのことです。


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 その分家、「二世」です(写真)。こちらは元気です。


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 親子で、ツーショット(写真)。ピンクと言うより、淡い、白に近い花で、アンダーで色を強調するより、オーバーで明るく表現する方が良いようです。


 そして、帰途に就きました。


 桜巡りも、山間部まで盛りを過ぎ、葉桜を撮っても仕方ないので、近辺ではこれが限界のようです。今後東北や北海道まで桜前線を追って行くつもりも無いので、これが最終回のようです。ありがとうございました。


 それでは、次回をお楽しみに。

春の吹雪

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、長野方面を取材しました。


 金曜夜に自宅発。予報では夜間雪とのことで、警戒したとおりでした。一部では積雪がありましたが、路上までは無く、最悪の事態は免れました。


 そして朝を迎え、予定ポイントへ向かいます。


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 最初は、長野市中心街の、小学校跡地から。最初は小学校、2回目は跡地の駐車場の中にあったD51 549は、今回公共施設建設で移動になり、お色直しの上静態保存されます(写真)。保存され良かったです。


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 豊野の市施設内の、9600形9646(写真)。リンク式の連結器になっています。


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 長野市内、企業団地内の、ED502(写真)。これは、民間の所有で、安全です。


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 同機は、旧夜間瀬川橋梁橋桁の上に載っています(写真)。下路式ポニーワーレントラス橋、小布施駅構内に保存されていたものです。


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 その隣には、DD16 301の、ラッセル前頭部があります(写真)。


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 その隣には、旧「成田エクスプレス」253系、おそらくクハ252-1、Ne-01編成前頭部が保存されます(写真)。


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 今回の主目的地は、長野電鉄屋代線(廃止)信濃川田でした。ここに、長野電鉄の旧車が移転したとのことで、居ても立ってもいられず、今回行きました。


 信濃川田駅舎は、現在バス待合室として、保存されます(表題の写真)。


 その後には、2つの保存車が。最初はモハ1003です(写真)。昭和24年日車東京(支店)製です。


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 反対側は、非貫通です(写真)。


 同車は、以前小布施の「ながでん電車の広場」に保存されていた車両で、2000系が保存されることになったので移動、他の2両は現存せず、ED502と夜間瀬川橋梁橋桁は民間施設に移動、同車のみこの場所に残ります。


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 駅ホームには、2000系初号編成、2001始め3連が据え付けられています(写真)。デビュー当時の塗装に復元された、最末期の姿です。社紋のプレートが違う、という話もありました。


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 反対側、2002です(写真)。状態は、見てのとおりあまり良くなく、今後が心配されます。


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 篠ノ井近くの長野市施設には、D51 921があります(写真)。塗装は補修されているようですが、今後どうなのか。


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 千曲市更埴には、D51 1001が保存されます(写真)。電飾は昨冬が最後とのことで、その後を心配していましたが、状態はともかく、隣で建設工事が始まり、それが建て替えであれば、これは重大です。戦時形D51の姿を残す、数少ない保存機が、無くなってしまいます。


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 続いて、麻績村「聖博物館」の、D51 769です(写真)。屋外は見学自由ですが、積雪で中に入れず、結果外部からの撮影となっています。以前と比べ屋根が出来、雪囲い用の側方のブルーシートも増えています。なお、同館は飛行機の資料が多いです。


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 続いて、坂城町坂城へ。駅近くには、国鉄~JR~しなの鉄道169系、S51編成が、国鉄急行色に塗り戻され保存されます(写真、クモハ169-1他)。EF63協調用のジャンパ栓が最重要装備の同系ですが、それはまた、別の機会にて。


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 同町内の公営施設内の公園には、D51 245が保存されます(写真)。これも、補修されています。


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 続いて、上田電鉄別所温泉駅側に保存される、「丸窓電車」モハ5252(写真)。補修され、美しい姿になっています。


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 同所に保存されていたモハ5251は、傷みが酷く解体の危機にありましたが、小学校廃校跡に設置された高校にて補修され、美しい姿を再び取り戻しています。修学困難な高校生が直したとしたら、賞賛されるべき行為です。


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 モハ5253は、工場前の保存施設にて保存されます(写真)。


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 ED251は、上田市丸子の施設前の公園にて、保存されます(写真)。


 そして、帰途に就きました。


 帰り道、有料道路を通れば何でもないところ、わざわざ旧道を通り、凍結に肝を冷やしました。まあ、安全な道が一番です。


 以前残っていたものが、全て保存されていたわけではありませんが、運良く残っていたものもあり、それだけでも収穫でした。ただ、今後も安泰では無く、心配なものも多く、撮れるのは今のうちです。機会を見つけ、撮っておきたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#4

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「碓氷峠鉄道文化むら」の続きです。


 碓氷峠関連の車両は途中として、高崎運転所にて保存されていた、一般の車両が多数展示され、何れも貴重な車両です。


 最初は、国鉄史上最大の除雪機関車、DD53 1です(写真)。雪を強力に飛ばしすぎて、3両のみの製造となった、その初号機です。


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 続いて、DD51 1です(写真)。DD51の一次試作車、矢立峠で1000t引き出しに失敗し、二次試作車に続きました。


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 キニ58 1です(写真)。キロ58が、冷房化出来ず、荷物車に改造されたものです。


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 キハ35 901です(写真)。キハ35のステンレス試作車、後に首都圏色に塗装、八高線等に移籍しました。


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 操重車、ソ300です(写真)。16輪の自走式車両、橋梁工事に使用されましたが、老朽化で廃車となりました。


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 キハ20 467です(写真)。いわゆる20系気動車のオリジナル、2エンジン車のキハ52は、未だ「いすみ鉄道」で使用されます。


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 EF65F形、EF65 520です(写真)。EF65P形に重連総括制御を追加した形式、後に上越線に進出し、ツララ切りも装備されます。連結器にエアホースも装備され、特定のコキ専用の機関車でしたが、列車設定まではP形の九州特急運用にも就いた時期があります。


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 EF60 501です(写真)。EF60P形となるべきでしたが、高速性の問題からEF58に戻されることもあり、決定版EF65P形の登場で貨物用になりました。


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 EF59 1です(写真)。EF53 8を種車に、瀬野八用の補機として改造された1両です。EF53全機とEF56の一部が対象でした。


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 D51 96です(写真)。「ナメクジ」最終期の1両、以降一般形に変化していきます。


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 本格的交直流電機、EF80 63は、塗装の補修中でした(写真)。


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 EF15 165です(写真)。戦後の代表的な貨物専用機関車、旅客用EF58と双璧をなし、EF16の種車でもあります。


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 EF53 2(写真)。EF59 11から復元された1両、プレートはED42 2から複製しました。国産の本格的本線用旅客電機で、一部はお召し専用機でした。


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 EF58 172です(写真)。戦後の代表的旅客電機、同機は専用機60及び61以外で、数少ないお召し運用をこなした1両です。


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 EF30 20です(写真)。関門トンネル専用に開発された交直流電機、ステンレスボディは塩害対策です。交流区間では力が落ち、門司駅構内移動用です。


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 EF70 1001(写真)。北陸用の交流電機、1000番代は高速対応改造車です。


 客車を除き、大方触れました。あとは、動態63でしょうか。もう少し続きます。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#3

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「碓氷峠鉄道文化むら」をお届けします。


 軽井沢、熊ノ平、めがね橋と降りてくると、峠の麓、横川です。かつて「峠のシェルパ」「強力(ごうりき)」が集う、横川機関区の跡地に出来た施設です。


 先ずは丸山変電所を撮りたかったので、入場の足で「シェルパくん」に乗り、「峠の湯」から帰ってきました。


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 最初は、新幹線の点検車、”GA-100”です(写真)。ATOが装備され、自動運転、異常があると直ちに停止した、とのことです。


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 続いて、66.7パーミルで設置される、ラックレール(写真)。明治の開業時から、昭和30年代まで使用された「アプト式」の、地上側です。3つの互い違いのレールに歯車を合わせ、登坂します。


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 その後は、クハ189-506です(表題の写真)。信越本線特急「あさま」の上野方先頭車、EF63と連結する側です。左右に、計3つのジャンパ栓があり、これでEF63と協調制御します。


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 その後は、車掌車ヨ3500形ヨ3961があります(写真)。ED42形動態復活時に、使用された1両ですが、現在は復元され置かれます。


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 横川機関区からの、矩形の軌間庫に入ります。


 信越本線本務機用の電機、EF62 54です(写真)。EF62ラストナンバー、永く田端運転所に所属も、新幹線長野開業時に引退しました。


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 EF62は、いわゆる「新性能直流機」では、唯一の3軸台車を使用します(写真)。C-C配置は軸重軽減策とされますが、横圧などの問題も指摘されます。


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 同機の反対側(写真)。重連運用は聞きませんが、下り坂の横川行きは、EF63と協調制御できます。


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 その、手前側には、EF63 10があります(写真)。こちらは横川方、通常に重連用装備があるだけです。


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 同機の、軽井沢方(写真)。多くの人が、横川と軽井沢で目撃する姿です。


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 同機の、連結器とジャンパ栓受け(写真)。量産型の標準的な姿、電車、機関車、客車、貨車及び気動車と連結可能な双頭連結器と、併結相手毎に異なるジャンパ栓を、間違いなく繋ぐのが、連結手の仕事です。


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 隣には、シミュレーターに使われる、EF63 18です(写真)。約10分で1,000円、しかし途中失格もあるそうです。茶色塗装は、最終期の姿です。


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 奥の建物には、アプト式最後を飾った電機、ED42 1があります(写真)。同機での輸送力が限界となったため、粘着式の運転技術が開発され、実用化されました。


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 同機までが、第三軌条式の集電方式で、これは10000形改めEC40からの技術でした。


 まだ強力の紹介は十分ではなく、増して他の保存機までは辿り着きません。ここで水入りとし、気長に、進めたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#1

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、碓氷峠関連を取材しました。


 例によって金曜夜に出発。日本海側は豪雪とのことで、信州の入口で危険レベルに達しましたが、盆地に入ると積雪も無く、「トンネルを抜けると雪国」ということもなく、割と安心して行軍出来ました。


 そして、寝坊して行ったのは、軽井沢。(旧)軽井沢駅舎記念館です(写真)。初代軽井沢駅舎の移築復元です。


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 その前には、草軽電鉄(廃止)のEL、13番が保存されます(写真)。軽井沢が困難であった頃の軽便鉄道で、草津とは如何に遠かったか!機関車も鉱山用のカブトムシ、そのままです。


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 この建物は移築復元であり、経済産業省の「近代化文化遺産」の指定を受けています(写真)。古い建物をバリアフリーにした、素晴らしい建物です。


 入館料200円を払い、入場します。


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 旧来の駅務室は事務室に、待合室は展示室になっています。展示室には、横軽にまつわる展示が多数あります。


 先ずは、軽井沢駅前にあった草軽電鉄新軽井沢駅舎のジオラマ(写真)。当時は、こんな感じであったようです。


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 碓氷峠を越える、旧碓氷線のめがね橋のジオラマ(写真)。本物は、国内最大級の煉瓦構造物のようです。


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 2階は、旧来は貴賓室、現在は歴史記念室です(写真)。着席しても良いらしく、貴重なソファに座れました。取扱は、大切に。なお、現在はエレベーターが設置されています。


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 旧改札を抜けると、旧1番線に出ます。ここには、関連車両の展示があります。


 先ずは、保線用モーターカーです(写真)。折り畳まれたクレーンが、伸ばせるものです。


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 続いて、EF63 2です(写真)。麓の横川方です。


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 連結部には、重連関連の装備以外は、特にありません(写真)。


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 同機の、軽井沢方(写真)。こちら側が、装備の中心です。


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 連結部(写真)。左側のジャンパ栓受けは、量産機とは少々異なります。自動・密着の双頭連結器は、EF63の主要装備です。


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 次は、10000、後のEC40 1です(写真)。日本初の電気機関車、払い下げられたものが、奇跡的に残っていました。


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 集電靴(写真)。当時は、第三軌条式で電化されていました。


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 その後は、クモハ169-6です(写真)。上り先頭方で、通常の車両と前後が反対ですが、これは碓氷線で重量のあるMc車を麓側にするというための措置で、高崎運転所の165系も、同様でした。新幹線開業後、しなの鉄道に譲渡されましたが、引退に伴い塗装も復元され、展示されます。


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 連結部(写真)。右側の2本のジャンパ栓が、EF63協調用のものと思われます。


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 M`連結側(写真)。MM`ユニット毎の状態を表示させるため、引き通し線が増えています。


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 最後は、マルタイです(写真)。オーストリア製の専売特許のようです。


 場所的にも、この位が限界で、これ以上展示を増やすスペースはありませんが、横軽、則ち碓氷線の思い出を蘇らせるには十分です。鉄道ファンを燃え上がらせた、平成9年夏を思い出すであろう、貴重な場所です。


 そして、寝坊したとはいえ、主要な目的は、まだ達していません、どうなったのでしょうか。以降は次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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