サクラサク#8

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、大阪ネタをお届けします。


 大阪で、毎年恒例の「桜の通り抜け」。毎年春の時期限定で、大蔵省造幣局→財務省造幣局→独立行政法人造幣局の構内を片道ですが通過出来る行事です。今年は、タイミングが合ったので、行くこととしました。


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 いろいろ考え、車は片町に停めることとしました。それは、「浪速鉄道」、後の片町線は、大阪側のターミナルが「片町」だったために、「片町線」と呼ばれていました。後にJR東西線が開業して片町駅は廃止、その跡地が興味あったので行きました。


 現在の様子(写真)。洗車場、及び駐車場となっています。


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 左には、京橋のイオンモールへの入口と示す看板が立ちます(写真)。位置的には、京阪電鉄と東西線の間です。


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 奥には、ビルかショッピングモールの渡り廊下が見え、その下には何もありません(写真)。


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 少しアップで(写真)。行き止まりに、白いビルが見えます。それは換気施設のビルで、その先には目を凝らすと逆U字の架線柱が立ち、そこが京橋から続くJR東西線の線路が見えています。


 京橋では、JR環状線は高架、京阪は更にその上の高架になっていますが、片町線は地平、それは東西線となっても変わっていませんでした。


 また、この辺りの土地が有効利用されないのは、直下に鉄道の地下トンネルがあるからで、基礎杭を打ち込むことが出来ません。


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 そして、会場へ、淀川を渡ります。両岸には、ソメイヨシノが咲き誇りますが、しかしピークを過ぎ、少し緑が混じっています。


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 そして、造幣局へ。入口は南門から、土日は9時開門です。時間が近くなり、少しずつ観客が集まってきました。


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 門には、通り抜けの案内が書かれています(写真)。絵と、中国語です。


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 そして、9時に開門します。正面の八重桜が気になっていたので、撮りました(写真)。


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 白の八重桜です(写真)。横には、品種の看板が立っています。


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 ピンクの八重桜です(写真)。


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 別の品種の、ピンクの八重桜です(写真)。


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 ピンクの、枝垂れ桜(写真)。品種は沢山あります。


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 白の、一重の桜(写真)。国内で血統が消えたため、海外から逆輸入された桜です。


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 大蔵省造幣局の、昔の正門跡(写真)。ここに衛兵が立っていたとのことです。後には古い建物と、古い機械の一部が残っています。


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 その横にも、白い一重の桜が植えられています(写真)。


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 そして、通り抜けを終え、外に出て、淀川土手沿いのソメイヨシノの桜並木を通ります。屋台が並ぶのも、この通りです。


 そして、次の目的地に向かいました。


 正直ピークを過ぎており、一部の桜を除きかなり葉桜になりかかっており、来るのが遅かったかなあ、と思います。設定が少し遅い感じもします。しかし、平日訪問はほぼ不可能で、仕方がありません。期待していただけに、ガックリ感が強いです。


 そして、その後もありますが、時間及び距離があるので、次回とします。


 それでは、次回をお楽しみに。

ブツ6#2

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の続きですが、日程の都合上前後します。


 今日は今日で取材しましたが、それは次回以降にして、帰り道、揖斐川橋梁が気になったので、寄り道します。


 写真は、東海道本線旧揖斐川橋梁です(写真)。敷設当初の橋梁で、複線化で不要となり一般橋梁として使用、現在は歩行者・二輪車専用橋梁です。明治初期の橋梁で、建設当時から移設が無い橋梁としては最古級とのことです。


 なお、後方のトラス橋は、現在の東海道本線揖斐川橋梁です。


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 全景(写真)。手前側が塗り直しされています。


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 内側(写真)。ダブルワーレントラス橋、「X字」形の鉄骨の組み合わせは、明治初期のトラス橋の特徴です。新しいトラス橋は大体「N字」です。


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 その北側に、堤防道路を跨ぐ短いトラス橋があります(写真)。国鉄樽見線、改め樽見鉄道の揖斐川橋梁、他の橋梁からの移設です。


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 その先の、川を跨ぐ部分は、長い曲弦のトラス橋が続きます(写真)。これも移設されたものです。


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 全体(写真)。古い橋梁の有効活用で、技術的に見ても興味が尽きません。


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 そして、南に下ると、気になる橋があったので、車を停めます。その橋梁(写真)。旧国道21号(現在県道)揖斐大橋です。


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 反対側に、回ります(写真)。この橋の、何が特徴でしょうか?


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 それは、この信号の位置にあります(写真)。同じ高さの梁が、同様に何本も渡されています。


 これは、参宮急行鉄道(現在「近鉄」)が、養老線(現「養老鉄道」)の岐阜延長を目論見、そのために建設された橋梁とされます。架線を張るために、同じ高さの梁が並び、支持物を設置出来る構造になっていました。しかし建設は断念し、鉄道予定部分も含め、道路橋に改装されました。


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 よく見ると、下部にコンクリートの板を設け、金属の支持物に載せ、道路を設置しているのが分かります。南側が、鉄道用の部分であったようです。


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 橋梁は、上弦が曲弦のトラス橋が何連も続き、長大橋梁となっています(写真)。


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 そのまま県道を真っ直ぐ進むと、長良大橋に至ります(写真)。これも、揖斐大橋と同様の構造になっています。


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 東側に、車を停め撮影(写真)。ここも、南側が鉄道用の部分であったようです。


 岐阜と大垣、岐阜県の二大都市間を結ぶ幹線道路であり、交通集中も酷く、長く使用されなかった鉄道用部分を、起業廃止で道路化することが可能となり、結果渋滞が緩和されたとのことです。いわゆる「未成線」です。


 鉄道が出来なかったのは残念でしたが、こうやって遺構が現在も役に立っているのを見ると、山中で朽ち果てたりせず、良いことだと思います。


 以降は、次回にしたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

老人星

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、愛知県北設楽郡設楽町田口に行きました。


 かつて三河田口までは、「鳳来寺鉄道」、後に一部国有化され飯田線に編入後、残りは「豊橋鉄道田口線」となり営業しましたが、災害等があり廃止となりました。鉄道ネタとしては、それがそうです。


 本来は、昨晩「星空観察会」があり、その関連で出掛け、ただ時間があったので、その前に少しお小遣いを稼ぎました。


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 久しぶりに昼間のドライブとなった昨日、豊田経由で山中に分け入ります。


 そして会場、奥三河総合センター前には、「田口鉄道」14が保存されます(写真)。「三河田口」の駅名標も保存されます。


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 下り方先頭(写真)。「清崎(三河田口)」を表示します。


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 上り方先頭(写真)。飯田線からの分岐駅で、始発の「本長篠」を表示します。


 本長篠駅は飯田線ホームが2,3番線ですが、これは駅舎前の1番線が田口行きだったからです。同駅には、田口線のスロープも残ります。


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 台車は、代表的な「イコライザー台車」で、前後のイコライザーが特徴です(写真)。


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 キャブ(写真)。路面電車並みの、簡易な装備です。


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 時間があったので、田口の中心街から下り、三河田口駅の方向に行きます。


 田口の中心街は台地の上ですが、鉄道がそんなところへ登れるはずが無い。駅は、少し下った、川沿いです(写真)。基礎が見えています。


 私鉄廃線跡を巡る、京阪電鉄役員の鉄道ファンが書いた本があるのですが、その取材時、平成に入っても、潰れかかった駅舎を見ることが出来たそうですが、その取材が原因か、現存しません。


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 線路跡は、清崎に向け続いています(写真)。現在は町道となっていますが、カーナビにも登録が無い道路で、強行は断念しました。


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 山側には、擁壁が残ります(写真)。ここに人工施設があった証拠です。


 話によると、ここから上流には森林鉄道が続いてとのことですが、遺構も含め現存しません。線路跡のような勾配のみです。


 災害が原因の廃止ですが、今の状況で、仮に復旧していても、その後も困難だったでしょう。駅も、中心街から少し離れており、ちょっとです。これだけ道路網が発達してしまうと、やはり車に乗ってしまいます。


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 そして、夜の星空観察会に参加しました。


 最初は、一番星、金星です(写真)。


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 その少し上に、赤い火星がありました(写真)。金星の、画像の崩れた姿が、端に映っています。


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 オリオン座の、帯の三連星の下、腰部の3連星の中央は、「オリオン座大星雲」です(写真)。羽根は、実物か、フレアか。


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 オリオンが、おおいぬ、こいぬを連れた、冬の大三角形です(写真)。ベテルギウス、シリウス、プロキオンです。


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 北を目指す星座、カシオペアです(写真)。星は、椅子に座ったまま逆さ吊りになる星座です。


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 北斗七星の、ひしゃくの部分(写真)。


 本当は「ポラリス」、則ち北極星を出したかったのですが、写真が不自然でボツとなりました。


 ケーブルレリーズを使うという基本も忘れ、手ブレ入りで撮りまくっていましたが、だんだん曇り、天気が良ければ南の空ギリギリに見える、「南極老人星」カノープスを見るということが出来ず、この観察会の最大の目的は達せられませんでした。恒星として、シリウスの次に明るい星ですが、南の空ギリギリであり、街中等明るいところでは見えず、星がよく見えるところで無いと見えません。残念でした。来年位でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#2

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回も、碓氷峠ネタです。


 軽井沢から山を下ると、横川、則ち碓氷峠の区間で、碓氷線とも一致します。高速も、新幹線も遠回りして避け、国道碓氷バイパスも遠回りしますが、旧道は鉄道につかず離れず、つづら折れで進みます。監視カメラ映像を事前に確認すると、一部積雪が残っていましたが、足回りを信用し、突入します。


 そして、途中の駐車場に車を停め、階段を登ると、信越本線(碓氷線)熊ノ平信号場に達します。写真は、粘着時代の変電所跡です(写真)。


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 本線上から、軽井沢方(下り方)を望むと、3つのトンネルが見えてきます(写真)。左から、アプト旧線、粘着下り、粘着上りのトンネルです。


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 ホーム状の構造物に、中継信号、非常停止信号が立っています(写真)。ホーム状になっているのは、旧来は熊ノ平駅であり、粘着複線化が完了したことにより行き違いの必要が無くなり、信号場に格下げされた場所だからです。


 昔は、同駅前に茶屋があり、乗客に「峠の力餅」を提供していましたが、駅が信号場となったことから、現在は麓の坂本で「力餅」を売っています。


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 少し進むと、石碑が3つ見えてきます(写真)。左は、開通記念の石碑で、関東大震災の時に割れ、継ぎ合わせて復元しています。旧来の、上りホームにあります。


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 横川方を望むと、トンネルがここも3つあります(写真)。左から、粘着上り、粘着下り、アプト旧線です。粘着上りが大きいのは、衝突防止の待避線があるからと思われます。


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 アプト旧線トンネルの右側に、少し高い位置のトンネルがあり、その先は行き止まりとなっています(写真)。待避線ではないことから、出発時に一旦下がってから発車するための、加速線と思われます。


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 そして、その前には、駅当時の官舎が土砂崩れの被害に遭い、その犠牲者の慰霊碑と、稲荷大明神の祠があります(写真)。旧来は上りホーム側だったのを、移設したものです。


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 そのまま下り、めがね橋はボツになっています。


 更に下り、横川に行きました。そこで、トロッコに乗り、丸山変電所へ。写真は、東側の建物、蓄電池室です(写真)。


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 もう一つは、機械室です(写真)。


 これらは、何れもアプト時代の施設で、立派な煉瓦の建物です。


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 そして、主目的を達した後、少々時間があり、再びめがね橋(碓氷第三橋梁)に行きました(写真)。指定駐車場からは少々距離があり、間には日陰で積雪も少々残り、しかし他の場所もなく、歩きます。国内最大級の煉瓦構造物というのも、納得です。


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 そこから歩道を奥に歩くと、粘着新線の橋梁が見えてきます(写真)。こんなところまでファンが撮影に来ていたと思うと、鉄道写真というのは、根性がいるのだと、改めて思います。なお、周辺は「熊出没注意」だそうです。


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 そして、積雪の階段を登り、アプト旧線上へ。


 先ずは、軽井沢方のトンネルを望む(写真)。トンネルポータルも、レンガです。


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 橋梁から、上り横川方を望む(写真)。金属製の手摺りが、内側に設置されています。


 横川駅から、熊ノ平信号場までは、「アプトの道」として遊歩道になっており、距離があるので登山並みの装備が必要ですが、歩くことが出来ます。以遠は粘着新線に再利用された部分も多く、歩くことはできません。


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 そして、階段を降り、再び駐車場への途中、裏側が見えます(写真)。途方もない数のレンガが使用され、壮大さが分かります。


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 そして、再び旧道を上り、軽井沢へ。「碓氷峠」は県境、越えるとそこはすぐ軽井沢です。


 チェーン着脱場の横には、鉄道トンネルの出口があります。手前は、アプト旧線から、粘着新線上りに使用される、トンネルの出口です(写真)。奥には、粘着新線下り、その奥は北陸新幹線トンネルです。


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 ここは保線基地になっているらしく、保線機械も停まります(写真)。アームが高架下まで伸ばせそうな機械です。


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 保線基地の、終端は、トンネル出入口と同じ場所です(写真)。旧来はEF63の停泊場で、碓氷線廃止後、新幹線の保線基地に改築されたものと思われます。


 そして、帰途に就き、今日の未明に帰宅しました。


 軽井沢まで行って、横川に行かないことはあり得ない。当然行きましたが、それも長いので、また次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

置き土産#5

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回も、北海道遺漏集です。


 写真は、名寄本線(廃止)上興部駅舎跡を利用した「鉄道記念館」前の、恐らく9600形のスポーク動輪です(写真)。モニュメントになっています。


 JR化前後に廃止となり、この地に鉄道があったことを語るものは、同駅ホーム跡のキハ27だけとなりました。


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 続いて、同線と全通しなかった興浜南線(廃止)の分岐駅、興部へ。簡易宿泊施設となったキハ22の横に、D51 365のものと思われる、ボックス型の主動輪が保存されます(写真)。


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 続いては、湧網線(廃止)計呂地駅跡の、スハ45 17車内です(写真)。3両目、座席が残り、談話室になっています。


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 2両目は、オハ62 91です(写真)。畳敷きの宿泊施設で、実は同駅にはコインシャワーもあり、宿泊が可能なようです。


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 続いて、同じく湧網線佐呂間へ。車両展示の公園の隅には、9600形の動輪が保存されます(写真)。郵便車スユニ50の車内は、来年以降です。


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 名寄本線終点、そして石北本線がスイッチバックする遠軽、同駅近くの公園には、保存車両の他、D51 484の動輪が保存されます(写真)。


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 そして、湧網線、網走市内の卯原内には、オハ47 508が保存されますが、こちらの車内も畳敷き、宿泊可能な様子ですが、少々汚い感じです(写真)。


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 そして、釧網本線知床斜里近くには、9600形主動輪が保存されます(写真)。9600形落成の大正期はヨーロピアンスタイルのスポーク動輪の時代で、ボックス型の動輪は、昭和10年代になってからです。


 元々は、遠征途中で投稿をカットした、動輪のモニュメントを取り上げるため開始した本連載ですが、思ったよりネタがあり、しかし予定の一週間も越えず、明日が最終回で、何とかなりそうです。


 それでは、次回をお楽しみに。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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