初志貫徹せず

20-03
 先々週の飛び石連休に九州に、先週は吾妻線に行ってきました。間が3日間で、旅費も仕事も大変でしたが、それはさておき、今回は先々週の九州行を話題にします。
 目的は単純、「475急行色を撮る」でした。そのため、鹿児島総合車両所の管轄する区域を中心に回るつもりでした。「彗星」で宮崎県入りし、高千穂鉄道に寄り道し、宮崎入りです。宮崎で私を待っていたのは都城行き713-900(ワンマン車)。ここでの判断の誤りが大きく尾を引きました。とりあえず鹿児島への移動を行い、翌日鹿児島で張るつもりでした。翌日鹿児島中央(今の駅名)で時刻表を見ると、各駅停車のほとんどがワンマン列車のマーク付きでした(即ち817であるということ)。判断ミスを憂いながら九州新幹線で鹿児島を後にしました。でも、クハ455-300も撮り、市電で谷山まで行き、まあ最南端の私鉄に乗り満足と言うところか。次回は必ず宮崎で張るぞ!と思いました。それまで瞼の恋人はお預けです。
 その晩は長崎で泊まり、翌日島原鉄道に乗りました。島鉄の心臓部、南島原には多くの車両が並んでいました。その中で一番目立つ所にいたのがキハ20-03。キハ55系の最後の残党、「準急」型の名残を残し、今でも僚機とともに健在であり、さすがにワンマンの時間には走りませんが、いつまでもがんばってくれよと、願わずにいられませんでした。その後博多に泊まりましたが、路上でお気に入りのジッツォの「外れるはずのない」雲台が路上で外され、ストラップ等の部品を喪失し、使用不能になりました。本当に今回の九州行は踏んだり蹴ったりです。ストラップだけイタリア製で、何に使うんでしょう。
 翌日は西鉄特急で大牟田まで行き、有明で折尾、福北豊線で直方、平成筑豊鉄道で行橋に出、その後小倉に行けばあと帰るだけでしたが、475で納得いかず、結局大分に行きました。日没前で、撮影できた車両は僅かでしたが、「富士」の出発に立ち会うことができ、それだけでも収穫でした。
 本当に残念な結果でしたが、それが次回へのいざないになるので、頑張って次回があるようにしましょう。
 夜はこれからですが、この辺で終わりにします。

飯田線考

115-2000i
 豊橋駅10時41分。119系4両編成が岡谷に向け出発します。長らく佐久間レールパーク行きに利用した電車です。前2両の一部はビニールのカーテンが引かれ「荷物」と書かれています。それもそのはず、飯田線各駅の日報の交換をする電車でもあるのでした。これを逃すと全線走破は16時台までありません。
 下地、船町は通過。なぜならこれらの駅は2両分のホームしかないのです。豊川を渡ると名鉄との分岐。豊川駅からは単線です。
 遅めの出発に、お腹が空いてくる頃に中部天竜に到着します。目の前は機関区、ではない佐久間レールパークです。予備の119の2連を前に、駅員はここで切り離す後2両の準備で忙しい。前2両が岡谷に向け発車し、後2両は折り返しです。6時間の行程の末に119は岡谷に達します。
 これが昔の飯田線でした。かつて119は「するがシャトル」で東海道本線を走った時代があるそうな。そんな頃は私は東京で鉄以外の人種として生きていました。私が鉄に目覚めた頃は飯田線=119の時代でした。時間1本長距離、1本新城行き、残り2本は1連の豊川行きという時代でした。しかし本線に313が大量投入されることで様相は一変します。
 身延、御殿場といった115独占の線区にも313系3000番台ワンマン車が投入され、165全滅、インバータクーラー113,115も廃車、115も行き場を失うという結果になり、とうとう飯田線=119という構図が崩れました。飯田線豊橋口でも10時43分は115になり、快速は長野色から静岡の湘南色へと変わりました。そのため誰もが驚く松本や長野での115湘南色なのでした。写真は松本駅の115快速「みすず」でした。
 もともと愛知県も通る飯田線は静岡鉄道管理局の管轄で、民営化後も静岡支社の管轄となりました。そのため豊橋、中部天竜、伊那松島といった機関区も静岡運転所に統合され、静シスを長野で見るという現象が起きるのでした。飯田線も高速化の時代と歓迎されているようですが、あの可愛らしいリサイクル電車119が圧迫されるのは残念です。まあ飯田線の増発につながれば、それはよいことです。ただそれは恵那山トンネルをくり抜き中津川と飯田が結ばれるまでは難しい気がしますが。まあJR東海はAB線を開通させる気は無いでしょう。なぜ「いいなかライナー」が出来たか、理由がわからなければ仕方ない。いまさら言ったところで何とかなるものではありません。
 やはり飯田やそれを含めた伊那谷は、鉄道ではなく高速で行く所なのかもしれません。でもまだ飯田線はそこにある。客貨分離の時代で、ED62もありません。でも伊那谷も含めた長野県はガソリンの値段が高い。それは輸送コストがかかるからで、ガソリンスタンドの責任ではない。日本で2番目に安い愛知県から手に入れればきっと下がるのです。でも恵那山をタンクローリーは越えられない。国道経由で、かなり高くつくのです。どうすればいいか、鉄なら解るでしょう。客貨混合の時代ではないですが、直通貨物ならまだ生き永らえることができます。ぜひ不可能に挑戦して欲しいですね。
 余計なことも言いましたが、飯田線が今後とも利用が増えるよう心から願うのみです。皆さん、飯田線も応援してください。

甲斐路顛末

115-300
 先週末は松本と甲府を早足に廻ってきました。8時の「しなの」に乗って約2時間、朝寝の続きをしている私が気付くと、130キロ振り子車の383が直線で妙に遅い。見ると三菱マークの速度制限が!斜面が崩落し土混じりの道床となり、付近に職員が何人も立っており、今年の雨と台風と災害の多さを実感しました。それが原因し下り「しなの」は全列車、交換する上り篠ノ井線もほとんど遅延です。日本は今でもなお最も正確な鉄道ですが、お客様の命には代えられない。東海も苦しいところでしょう。
 そのまま松本まで行ってしまおうとも思いましたが、塩尻で降りました。目的はただ一つ、「ミニエコー」のデジタル撮影です。こんな元荷物電車に何で、とも思いますが、この一両がローカル運用を支えているという事実は変わりありません。必死に働くクモハ123は、クモユ143の無念さも堪え、何と素晴らしい働きぶりか!このまま耐用年数まで働いてくれよと、心から願わずにいられませんでした。
 11時前に松本にたどり着き、383、「はまかいじ」185、E351、E257を撮影しました。横では天竜峡行きの湘南色115が。松本の115が長野色に統一された今、旧国鉄時代の塗色は松本では唯一となってしまいました。
 E351とE257の分割を写し、第2ステージ甲府へ。「スーパーあずさ」に乗って甲府に到着しました。いろいろ言われた「スーパーあずさ」でしたが、安心して乗れました。流石日車製か!
 甲府駅に降り立つと何と目の前に「山スカ」115が!数年前は松本でも当たり前の光景だったのですが、小山、篭原、新前橋から流出した115が松本と長野を席巻し、すべて長野色になってしまいました。少し前なら山スカにシングルアームパンタの115ー300も見られたのですが、本当に無くなってしまいました。豊田電車区は山スカの最後の牙城です。しかし、冷静に考えると、国鉄形の追放って、中央線だけやってませんよねえ!武蔵小金井と豊田がE231に置き換えられた姿って、想像できます?したくもないか!
 「ビューかいじ」255も撮影でき、帰りの身延線に近づくと、湘南色の115が!そうか、今では山スカと湘南両方の115が見れるのは甲府だけか!「アルプス」がある頃は165もあってさぞ楽しかったことでしょうか。しかしその頃は身延線はもっと雑多な車輌だったことでしょうが。
 最後は「ふじかわ」で静岡に出、「ひかり」でグランパスの選手とともに名古屋へ帰りました。昔の創価臨の終点富士宮では、123が2両連結で発車を待っていました。貫通路は使っていませんでした。幌は大変だもんね!でも123は119とともに飯田線で働いた方が佐久間レールパークに近く良いのではという気もしました。だって元は115の2000番台って、身延線・御殿場線用でしょ!
 まあいろいろあった甲斐路ですが、写真としての収穫の多い旅行でした。来週はRail-Onの常陸太田行きです。また新たな写真の収穫を目指し頑張りたいと思います。それではまだ夜もこれからですが、今夜は此処までにします。
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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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