また青春?

Tg1_5  今日は青春18きっぷ第2の旅行、山陰行です。無事ホテルにたどり着きました。関係者の皆様、ご心配かけました。



 今日は遅めに出発し、12時に京都、14時に西舞鶴にたどり着きました。写真は”タンゴエクスプローラー”今日の予備車です。



Tg2_3  そのまま乗り換え、北近畿タンゴ鉄道各停へ。写真右は予備車です。車庫は西舞鶴でした。 Tc183205_3



 宮津に辿り着くと、天橋立方面の線路を閉塞していた”文殊”が。ここで折り返し、宮福線、福知山を経由し大阪を目指します。











Tg3_2  ”文殊”の向こう、4番線にいた宮福線各停。宮津線と車両が違います。















Tg4_2  山陰線豊岡に辿り着くと、”タンゴディスカバリー”が。山陰線とは反対ですが、京都へ出発しました。奥は”北近畿”予備編成です。













Dc331002_2  豊岡から、キハ47に乗り浜坂へ。浜坂からは、キハ33 1002が。福部で1001(元”タイ列車”)と交換しました。随所に”水鳥列車”の面影を残しています。しかし今は首都圏色、鬼太郎の面影もありません。悲劇のオハ50系客車の末裔、少しでも長生きして欲しいものです。









 今は無事ホテルにたどり着きました。ご心配お掛けしました。明日無事に戻り、新年を迎えたいものですね。

タンゴへの道

タンゴへの道

現在北近畿タンゴ鉄道に来ています。KTR700は単行ディーゼルですが、全部転換クロスシートで大変素晴らしい!先ずは初体験で、夏休みにでも正式に乗りつぶしたいですね。

これも青春?

Fukuabu1  実は先回は福島駅前のホテルから投稿しました。駅からホテルへの道で、福島交通と阿武隈急行は何処に駅があって、何処に入り口があるだろうかと気にしながら歩いていました。電車が福島駅1番線に到着し、改札を出ると、「福島交通、阿武隈急行」は案内板で一緒の矢印です。先回福島に来た時と同じホテルだったので、その時には気に掛けず歩いていたせいか、駅の入り口の記憶がありません。幸いホテルと同方向でした。



 すると意外な所に”福島交通・阿武隈急行”という入り口が。そこで駅を覗くと、なんと島式2線のホームと改札を共同使用しているではありませんか!善し悪しはともかく、これは好都合!乗り換えの手間が半分になりました。安心してホテルへと向かいました。安眠、安眠。名古屋のあおなみ線より、はるかに分かりやすいですね(あおなみ線名古屋は、JRの駅の裏口の隅しか入り口がない)。



Fukuabu2  夜が明け、いざ出陣。まずは近距離福島交通から。改札右側の、もと東急のコルゲートステンレス車(先頭車改造車)で、弘南電鉄等で見られるタイプです。桜水に車庫があったので、写真を撮っても良かったのですが、駅から出なければならず、断念。福島駅に戻りました。



 すると十数分後に反対ホームにクリームの電車が。阿武隈急行です。キハ47を電車にしたような形態のこの電車は、1M1Tの2両編成の交流電車です。駅を出るとすぐに東北本線に合流し、信号所で初めて単独路線になります。槻木行きでしたが、車庫のある梁川で電車が交代。もっと粘ってもよかったのですが、多分午後になると新幹線に乗れなくなるだろうと思い断念し、真っ直ぐ行きました。



 槻木から仙台にSuicaで行き、仙台のみどりの窓口へ。あと5分で”はやて”が来るのですが、列が長くとても間に合いません。結局20分並び、”はやて”より少し早く東京に着く”やまびこ”に乗りました。次の”はやて”はほぼ満席でした。



 こんな感じで事故前の時間を過ごしました。現在私の地元では、例のJR東の事故は私を殺すための陰謀だ、という説が流れています。要するに”タッチャブル”と言いたいのだと。明日からの山陰行でそれは現実のものとなるかもしれません。餘部が危ないと。でも、それに対する覚悟は、正式にはもっと後に書くつもりですが、やはり線路の上で死ねれば鉄道ファン冥利だと思います。天候の安定と、武運を信じ出掛けます。

こんな天気の日に!

Ngef6642_1   本当は昨日書く予定だったのが、OCNのメンテナンスとかで、1日分溜まってしまいました。



 22日の夜は、関東を除き全国的に雪で、交通機関がマヒしていました。そのため、青春18きっぷで乗車を予定していた”ムーンライトながら”も運転が危ぶまれました。きちんと間に合うように行くと23時なのに19時台の列車が走り、中にはクモハ210-1使用の区間快速まで出る始末。みんな大垣電車区から出てこれず、大混乱でした。



 発車時刻頃になってから、放送で「ムーンライトながら”はまだ大垣に着いていません!」と流れました。つまり、静岡運転所からの送り込み回送を兼ねた”ホームライナー”がまだ大垣に着いていなかったのです。この時期(増して休前日に)、あの列車は大阪からの乗客も多く、運転休止にでもなれば大垣駅はパニックです。それはないだろうと、ひたすら待ちました。



 午前1時近くまで東京行き”のぞみ”が発車します。本当に大変です。すると、定時2247分の「はやぶさ・富士」が入ってきました(写真)。最初は「すぐ出るだろう」と思いましたが、1時間経っても出ません。”さくら”廃止後は初めてで、早速写真を撮りました。



 当分来そうにないので”銀河”に乗ろうと思い、駅員へ。「マルスは閉まってます、直接車掌に訊くしかない」と列車まで駅員がついてきてくれました。結果満席で駄目でしたが、努力には感謝。改札に戻ると、「”ムーンライトながら”、大垣据え付け完了!」という無線が聞こえました。結果3時間近い遅れで出発しました。しかも運転は大船で打ち切り。ただそのころには朝7時になっており、代わりの電車は幾らでもあります。東京、上野から”ラビット”で宇都宮、黒磯、と行くうちに、板谷越えの普通に間に合ってしまいました。ラッキー!ただ「力餅」は売り切れでした。



Yr1_2



 米沢から赤湯へ。そこに山形鉄道はあります。しかし出発に時間があったので、駅へ。山形鉄道の自販機で「荒砥、750円」の切符を買ってしまいました(注 車内で一日乗車券を買えば1,000円だそうです)。時間になり乗車しました。



Yr2_2



 高校生の模試の帰りに重なり一時満員でしたが、荒砥につく頃はかなり空きが目立ちました。列車は一旦荒砥の車両基地に入ります(写真)。



Yr3_1  帰りまで時間があったので外へ。荒砥駅は、民俗資料館もあるモダンな木造建築(ですよね?)。写真のとおりです。



Yr4_1  



 戻る途中、JR米坂線との接続の今泉駅へ。本当はここから米沢に行きたいのですが、その方向だけありません。映画「スイングガールズ」の車両と交換しました(写真)。そして赤湯から山形新幹線で山形に行きました。



Dc10111_1  翌朝すぐに左沢線へ。寒河江までは堂々の4両です。しかも形式は専用のキハ101です(写真)。残念ながら寒河江からは2両のワンマンになりました。



Dc112215_1  山形に戻り、新幹線で新庄へ。新幹線の先に止まる701系電車(奥羽線)とキハ110系陸羽西線。



Dc110237_2



 私が乗る陸羽東線。家族連れが写真を撮っています。東西共に新幹線延伸時に整備した車両です。



De101642_1  陸羽東線で小牛田、さらに石巻線へ。石巻で長時間停車しているので、見るとDE10の貨物列車が。迷わず写しました。



Dc40519_1  夏の車両故障でお預けとなった女川へ。首都圏色(タラコ色)のキハ40 519が切り離された線路で留置されています。観光に使うのでしょう(某RM誌では報道済み)。



De101695_1



 石巻に戻ると、新JR貨物色のDE10 1595が入れ替えをやっていました。写真は他は全部失敗です。



Tc2053103_1  そして帰りの仙石線はご存じ205系電車(山手線の最後の姿)。この車両だけクロスシートでしたが既に満席、ロングで仙台まで戻りました。今日も外泊、明日は阿武隈急行と福島交通です。

来ちゃった!

来ちゃった!

今山形鉄道フラワー長井線荒砥に来ています。少し寒いですが駅舎は洒落た建物です。後は今日のホテルにたどり着くだけです。

やっと取り戻しました。

やっと取り戻しました。

初日に大トラブルでエラい目に遭った本旅行ですが、福島でやっと回復しました。ここからは奥羽線、これから板谷峠です。

得なのか損なのか、

得なのか損なのか、

予定の列車が遅れたので、ホームで待っていると既に3時間以上遅れた「はやぶさ・富士」が。寒かったけれど、一眼レフデジカメまで出せる程時間がありました。「さくら」無き後1本になった姿は初めてで、これは頂き!特急料金が帰って来る乗客も、写真を撮れた私も、本当に得なのか損なのか?

ああ大変!

ああ大変!

今日から東北行です。ケチって青春18きっぷなんか使うから、この豪雪で3時間近く待たされてしまいました。予定は少しカットです。本当に今日は大変!

追憶の58654

58654KASHO
 2000年5月、ゴールデンウィークに私は九州を旅行していました。その旅行の最大の目的は、”SLあそBOY”に乗ることでした。地元新聞の、SLに関する連載記事で、JR九州の関係者は「動く限りは使いたい。」というコメントを載せていました。大正の名機、齢80を数えようかという老体を鞭打って走る姿は、いずれ限界が来ると思い、この時に訪問しました。
 5月1日、晴れて真夏並みに暑く、リネンのジャケットを脱がざるを得ない程の陽気の日に、別府から大分、そこから豊肥本線を熊本に向かう列車は、大分から豊後竹田まではキハ125、2時間待って豊後竹田から宮地まではキハ31でした。
 宮地で列車を降りると、おお!そこに!
 58654は給水を終え、しばしの休憩をしていました。
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 おもむろに汽笛がポッ!と鳴ると58654は前に進み、派手な転車台にピタリと乗ります。すると転車台は動きだし、熊本への帰還の準備を始めます。ビデオカメラを持っていたら最高だったのですが、まだこの頃は、テープの小さいDVはあまり一般的ではなく、制止画のみです。
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 向きを変えるとバックして留置線へ。当時は柵など無く、至近にまで寄ることが出来ました。写真に写っているウエスタンベストで旗を振っているのは車掌で、キャブとはトランシーバーで連絡をとって入れ換えをしていました。ちなみに手前の青いドラムバッグは私の荷物です。2000年当時はゴールデンウィークでも、58654から僅か1メートルの所まで近づけたのでした。今年の状況からは想像もつきませんが、当時はその程度の関心だったのです。デジカメがあったなら(当時は中途半端な物しかなかった)、せめてリバーサルを使っていたらと、悔やむことしきりです。
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 そして客車の前に出るために2番ホームを通過。足回りは見えませんが、迫力ある走行シーンでした。そして50系客車を連結し、私の熊本行きの列車が発車しました。駅に止まる度に乗客は増えましたが、何せ下り坂、上りに比べ迫力に欠けます。やはり上りを見たいと、宮地で指定券を予約し(主管駅に電話連絡で、大変な手間をかけさせてしまいましたが)、翌日立野を越え阿蘇まで行きました。もう一度宮地での整備の様子を見ておくべきだったのですが、当時の意識はその程度でした。
58654-DE10
 それから、また行けたらいいな、程度に思っているうちに5年経ち、「58654運転中止」の報を突然聞き、デジカメを手にしながら行かなかったことを悔やみました。多分大騒ぎだろうなあ!と思ってはいましたが、8月28日の最終運転を前に、20日、21日に撮影するべく、寝台特急”なは”に乗りました。
 終点の熊本で降り、1番線でぼーっとしているうちに、後からディーゼルの音が聞こえてきます。振り向くと、後補機DE10 1753です。その後、宮地側に50系客車3両、さらにその後から煙が見えています。
58654KUMA-St
 私の居る場所に合わせたかのように、58654が止まっています。当然カメラを向けます。デジカメで、リバーサルで撮れるだけ撮りました。今日は後補機を従えているので、多分最後まで行くでしょう。乗車したかったのですが、あらゆるインチキを行使しても席が取れません。真っ当な手配をした人だけ乗れるんだと諦め、1本前の普通電車で肥後大津、さらにディーゼルカーで立野へと向かいました。
58654TATE1
 普通列車がバックして、どの程度時間が経ったでしょうか。立野のホームの先端で待っていると、隣はビデオカメラを構える人が。「仲良くやりましょうね!」と声を交わし、互いに譲り合い構えました。すると遠くからドラフト音が。来ました!黒い煙は全くで、少し安全弁を吹いているのでしょうか、白い煙が見えます。そのまま立野のホームへと滑り込みます。到着です。
58654TATE2
 暫く停車すると、今度はDE10を先頭に後へ下がっていきます。しかしそこは立野のスイッチバック。スピードを緩めていた到着と違い、坂を登るため黒い煙を吐いています。そしてだんだんと小さくなっていきました。
58654TATE3
 少しまたぼーっとしているうちに右手から汽笛が。スイッチバックの後また先頭となった58654が、黒い煙を吐き必死に最後の坂を登っていきます。汽笛を聞き損ねていたら、危うく写し損ねる所でした。
 その次には、別府行きの「九州横断特急」が到着し、それに乗り、阿蘇で58654を抜かしました。
58654MIYA1
 阿蘇で抜き、宮地に一足先に到着しました。またさっきのビデオカメラマン氏と一緒になりました。しかしここは人数が多い。しかも柵が!JR側の心配も並々ならぬものです。本当に遠くなってしまいましたね。
 最近はエセ鉄道ファンも多く、構内無線機や部品を盗んだり、鉄道会社の妨害になるような撮影方法をする人もいるそうな。このブログを読む人は、鉄道会社に迷惑がかかるような行為は止めましょう。私も夜行の撮影もフラッシュではなく、なるべく自然光で撮るように心がけています。
 そうこうしているうちに、主役が登場。もっといいアングルの写真は、端に人物の陰が入ってしまい、こんな下手な写真でごめんなさい。
58654MIYA2
 営業が終われば直ちに火床整理、つぎに石炭かき寄せと給水です。客車を留置線に入れると、58654はバックし、転車台に乗り給水塔へ。しかし予報通り雨が。給水中にこんな激しい雨になってしまいました。ここで私は撮影を放棄し、熊本のホテルへと向かいました。
58654HITO
 翌日は58654は”SL人吉号”の日でした。特急”くまがわ”で一足早く人吉入りし、少し寄り道をしていると、58654は到着!気付いた時は、既に人吉の庫に入っていました。ベストアングルは駅を出て、機関区を西側から眺める位置でしたが、もう帰りの時間となり、駅からは出られず。翌日の予定を恨みながら帰途につきました。
 帰りも撮りたかったけど、仕事辞める訳にもいかないしな!

形あるもの・・・

KD1061
 6月25日昼、私は三鷹駅で焦っていました。「これでは三鷹電車区に入る前に、新幹線が出てしまう!」と。何故”サンライズ”を思い出せなかったか、失敗を悔やみました。結局三鷹電車区は外観を見る行列だけで諦め、高松へと向かいました。どうせ前泊するなら夜行で行けば良かったと、何度も悔やみました。
 翌朝旅館から出て、一路高松築港駅へ。既に電車は停まっていました。関西人なら懐かしがる、阪神ジェットカーの姿です(1両編成)。非冷房のため、このたび(6月で)廃車になるとのこと。1053、1054と連結し、琴平線の運用です。一日乗車券を購入し、早速琴平まで乗車しました。
KD1063
 琴平で一通り撮影し、30分程待つと、別のピンクの電車が来ました。1063です。出身は何処か忘れました(三岐だったかなあ?)が、1015、1016との3連で運用に入っていました。これも”惜別”のサボがついていました。
KD1016
 これでまた高松築港に返し、もう一度琴平まで往復しました。午後の運用は3連から2連に変わり、仏生山で双方とも1両を切り離していました。写真は1063を切り離して先頭になった1016です。仏生山には保存車もあり、見学をすると楽しかったのでしょうが、そこまで頭が回らず、帰る時間が来てしまいました。
 各地の名車を集め、さながら博物館となった琴電ですが、やはり保守の困難をきたす車輛から、そして非冷房の車輛もだんだん減っていくようです。そんな過渡期にある琴電を、機会があればなるべく訪れるようにしたいですね。
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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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