山陰唯一の、・・・

Ih1  昨日お預けとなった”出雲”間の出来事です。写真撮影を終えた多くの鉄道ファンは、そのまま一畑電気鉄道電鉄出雲駅を目指しました。1番線に佇む3017。元南海ですね。奥の2番線にも同系の車両が停まっています。でも、確か平成10年には、JR高架化は完成していたものの地平ホームは撤去中で、まして一畑電鉄は百貨店の隅の地平ホームだったのが、高架になるとは様変わりですね。





Ih2  バスで行けばすぐの物を、わざわざ電車で行くのが鉄道ファン。川跡の駅では出雲大社線の2113(元京王5000ですね、モロに!)が待っていました。昔はリベット丸出しの旧式車1両だったのに!











Ih3  出雲大社前駅に到着。反対には”出雲大社号”が停まっています。これも京王ですよね!













Ih4  信心がないと言われたくないので、お参りしました、出雲大社です。でも、縁結びの神様なんて、もうこんな歳のおじさんには効果が無いと思いますが。まあ、箸か杓文字はお土産にしましょう。











Ih5  一畑に戻ってみると、駅は擬洋風の建築であるのに気付きます。これは官線大社駅への対抗心だそうです。













Ih6  一畑からさらに南に下ると、ありました!JR大社駅の遺構です。立派な木造建築でしょう!













Ih7  駅の改札を抜けホーム側に。本州最後のSL、D51 774が今も残ります。















Ih8  北上し、一畑電鉄で川跡へ。振り向くと保留車が。8年前現役だった3だったかは、沿線の保育園の倉庫としてダルマになっていました。













Ih9  そのまま上り方向へ。一畑口で方向転換します。恐らく一畑薬師に直通していた頃の名残でしょう。



 さらに終点、松江しんじ湖温泉駅へ。昔は貧弱だった建物が、今はモダンですね! Ih10   



 やはり車庫は雲州平田(昔の”平田市”)でした。行きに狙い、帰りに下車しました。工場の遠景はこんな感じです。



Ih11  カメラを構えていると、改札の駅員が「撮影ですか?」と声を掛けます。肯くと、遠くの作業服風の少し若い(でも私と同じ位かなあ?)の社員に合図を送ります。社員の後をついていくと、業務スペースに入っていき、事務室で「どうぞ」と帳簿とボールペンが渡されます。既に「ここまで入れてラッキー!」と思っている所ですので、喜んで書きます。住所、氏名、電話番号、あと勤務先等々を記入します。すると、「工場以外ならいいです」との事だったので、喜んで撮影します。写真は庫の中のデハニ52。写真を撮りまくりました。今後とも皆さんも一畑電鉄さんのご配慮に甘えたいならば、”やってはいけない事は絶対しない”ということを守って頂きたいですね。出雲市行きまでは少し時間がありました。



Ih12  入ってくるのは先ほどの特急”出雲大社号”松江行きです。転換クロスシートで、思わず溜息が。やはり転換クロスは最大のサービスですよ。私はこの列車と行き違いになった、出雲市行きズームカーで戻りました。そして、また”出雲”でした。家族からは”馬鹿!”と言われてしまいました。好きなんだから、しょうがないだろ!











Iz14  おまけ。オシ24 702です。これも形式消滅寸前です。皆さんも記録して下さい。

”出雲”の国へ

Iz15  今度の改正で廃止となる列車特集の第2弾、今回は寝台特急”出雲”です。





 出雲に先回乗車したのは平成10年7月、出雲1,4号が廃止になる直前の話でした。当時は終点が浜田で、出雲市で身軽な編成となり浜田を目指していました。写真はその当時の”出雲1号”出雲市発車の光景。カマはDD51 1121(後)でした。それから7年余り、北海道と九州ばかり行き、山陰には”やくも”か”ムーンライト八重垣”ばかりで、地元に停車しない”出雲””サンライズ出雲”は忘れていました。しかしいざ無くなると思うと、記録したくなるのが本性。そこで今回は東京から乗車を試みました。





Iz2  少し予定より出発が早かったので、東京駅で構えていると、”はやぶさ””富士”が。先端で構えていると、先頭は柵の向こう側です。EF66 53(関)ですが、正面が見られないのは残念。しかしフラッシュの害もあり、禁止するのはやむを得ないのか。ひとえに「ファンのマナーが悪すぎた」最大の証拠です。「横浜がいいよ!」と、関東の鉄はどこがベストかちゃんと知っています。でも行けないし、まあ雪の名古屋駅でも撮ったので、負け惜しみですが、いいや!









Iz3  慌てて後へ行くと、上り方先頭は今日の”出雲”のカマ、EF65 1107(田)です。既にヘッドマークも準備済みです。”はやぶさ””富士”発車後に、後追いで品川へと発車しました。











Iz4  もうすぐ無くなる、この電光掲示。















Iz5  いよいよ”出雲”の番ですが、先頭が写らないのは先ほどと同じ。”銀河”のカマ、EF65 1113(田)が上り方です。写したら、すぐ乗車せねば!













Iz6  翌朝起きると、浜坂から車内販売があるとの由。利用者が多い時は良いようです。しかし鳥取で終了だそうです。



 鳥取では行き違いのため長時間停車。ホーム先端の階段から撮ると、こんな感じです。











Iz7  米子でも長時間(20分余り)停車です。しかし米子はホームギリギリで、前からの撮影は禁止です。仕方ないので他の場所を。電光掲示です(写真)。













Iz8  米子では色々な角度で撮れました。オハネフ25の唯一成功した写真です。















Iz9  更に松江でも(写真)。此処のホームは長いですね。















Iz10  終点出雲市です。これから出雲電車区へ回送ですが、多くの人が写真を撮っていました。反対のホームからの写真です。モブログと同じかなあ!













Iz11  そこから大半のファンは一畑電気鉄道に流れたみたいでした。この話は次回にして、帰り道の写真を。出雲電車区から回送される上り4列車(写真)。













Iz12  近づくと、カニ24 119のテールマークが。これは状態が良いようですね。















Iz13  もうすぐなくなる出雲市の電光掲示。名残惜しいですね。















 本当なら米子まで行って、カマの付け替えを写さなければならなかったのですが、撮影可能時間を超え断念しました。



 そういえば、オシ24って、形式消滅してしまうんでしょうかね(この日の編成にはオシ24 702がついていました)。またこれも次回への宿題としましょう。



 結局2夜行で、今日3日ぶりに風呂に入りました。やっぱ、風呂はええなあ!

現地調査for”かすが”(加太方面)

 本日少し時間があったので、先日書いた”かすが”加太越えに関する調査を行いました。



 国道25号線旧道には東名阪自動車道亀山ICで降り、そのまま国道1号線に入るのですが、まず旧関町(現亀山市)の国道25号分岐は案内看板と信号のみ(交差点名なし)です。入ると、昔来た時も、「げっ!こんな道!」という程貧弱です。車線分離があったり無かったりです。そんな貧弱な道を3キロ程進むと加太駅です。しかしここへは名阪国道向井IC下車数百メートルです。



 さらにそこから2キロ近く旧道を走ると、駅はありませんが”加太小学校”が見えてきます。右手には関西線は見えますが駅はありません。小学校の前の交差点で左に曲がると、名阪国道板屋ICに百数十メートルです。集落の中は1.5車線です。しかし幸せなのはそこまでです。



 板屋ICから名阪国道は南在家に向かい、加太越えをします。関西線は北在家から大きくカーブを切り名阪国道を目指します。それが加太トンネルです。25号旧道は意に反し北を目指します。5年程前に此処を通った時は、確か舗装のアスファルトは残っていたはずです。しかし今ではこの部分での舗装は潰滅し、事実上ダートの道となっています。これからまだ寒くなるのに、大丈夫でしょうか。さらにこの辺りは”地滑り注意地帯”だそうで、センサーまで付いています。峠のサミットに”伊賀市”と表示があり、上下分離だ!と思うのも束の間、現在道路改良中で、すぐ1車線に逆戻りです。平坦になり、ああ安心!と思う頃に関西線柘植駅で、名阪国道もすぐです。



 ”かすが”もあとわずかですが、早朝は当然、昼でも凍結している部分もあるので、要注意です。特に板屋IC、柘植駅間は無意味な危険ですので、ちょっとのケチで、怖い思いをされないように。どうせ名阪国道は無料で、片側2車線なんですよ!現地調査の結果でした。

いいね!一畑

いいね!一畑

ちょうど今雲州平田に来ています。一畑電鉄の心臓部のこの駅には、工場も併設されています。ホームでカメラを持って構えていると、駅員さんが気を回してくれて、工場見学を認めてくれました。ただし許可制で、住所氏名のみならず勤務先まで書かなければならないので御注意を。でもデハニ53の後ろにデハニ52が止まっています。見られてラッキー!

こちらも最後です

こちらも最後です

こちらも最期を迎える寝台特急「出雲」。今日は多くの乗り鉄が一畑電鉄に溢れています。

拝啓 ニコン様

 今日家に帰ると、カメラ屋からの段ボールがが届きました。部屋に入り開けると、中には金色に輝くD200の箱が入っていました。ピクチャプロジェクトも、ニコンキャプチャもダウンロードして準備万端、早速ホームとノートで試験です。何れも良好で一安心です。操作性も格段に向上し、液晶も大きく、大変よくできました!しかもバッテリーもすぐに試せるように性能試験後少しだけ残してあったので、手に入れた実感が湧きます。ニコンのレンズを持っている方には、是非お薦めです。



 デジカメ市場では現在、D200はシェアがトップだそうです。ニコン渾身の一撃、これで駄目だったら潰れる位の意気込みで持てる全てを注ぎ込んだカメラで、今後大きなトラブルが無ければ、傑作と評されるかもしれません。D70がどちらかというと初心者に目を向けた製品だったのに対し、D200は「やりたい人はどこまででもお付き合いします」という位自由に設定が出来ます。逆に初期設定のままという使い方も出来ます。本当はデジカメ特有の設定を初心者向けで練習すると、また更に面白くなるようです。素晴らしいですね。



 しかしその一方、かつて年に100万台売れていたニコンのフィルム一眼は、今では年10万台と10分の1に縮小してしまったために、F6とFM3Aを除き生産中止にするというニュースもありました。コニカミノルタもカメラとフィルムを売却、フィルム時代の終焉を感じさせます。ニコンは今後の開発も止めてしまうそうで、大変に残念です。しかも残るのが30万円のF6と、フルマニュアルのFM3Aのみとのことで、F-801に始まったAF中級フィルム一眼の命脈は止めてしまうようです。今更追加で研究費は注ぎ込めないでしょう。しかし、以前も書いた中級機F100とF80についての私の不満は、解決されないのでしょうか。先回はF7予備機のF200計画を書いたのですが、それでは型枠のみならず多くの研究費を必要とします。そんなの、フィルム終焉の時代に出来る訳がありません。そこで、研究費ゼロで出来そうな私の個人的に希望するカメラの計画を述べたいと思います。



 まず第一は”F88”。単純にF80を1/3ステップにしただけのカメラ。ROMか、せいぜいチップを変えるだけなので、必要な費用はプログラム開発だけ。上位機種のプログラムを流用すれば簡単に出来そうです。型枠等、全部そのまま。F80Sの唯一の欠点を解消するカメラになるでしょう。



 もう一つは”F111”。戦闘機みたいな名前ですが、これはF100に内蔵フラッシュとF80Sのデータバックを着けただけのカメラ。F80Sのコマ間データは正直F3並に優れた機能なので、ただ単にF100用のデータバックを作るだけでもうまくいきそうです。



 いずれも”ウソもいいとこ”ですが、どれも造れば売れるのでは?ニコンキャプチャでコントロールできるF200計画(ニコンは”F7”にしたいかも知れないが)に辿り着くための、フィルム復権の最後の奇跡を信じたいですね。もし出たら、絶対に買いますから、どうかご検討を。それでは、D200を手に入れた幸せな夜を楽しみたいと思います。

追憶の”かすが”

Ksg1  今回の写真は、平成10年8月に、昔の奈良駅に到着し暫し佇む急行”かすが”。車両は、専用のキハ58 3001号車。後も専用のキハ65 3001号車で、この日は増結にキハ58 470号車が繋がれていました。勾配線区では、500PSエンジン一機のキハ65しか冷房用DG(ディーゼル発電機)が設置できません。



 この頃には既に快速”みえ”はキハ75に置き換えられ、JR東海管内では最後のキハ58、65一族の活躍の場となっていました。当然置き換えは話題になっていたことでしょう。もし置き換えが快速用キハ75ではなく、特急用キハ85だったらまた結果は異なっていたかもしれません。



 名古屋から直通する列車もバスもない奈良行きのこと、”かすが”復活の奇跡は起きるか?まずは臨時急行から期待しましょう。

やっぱり、好きなんでしょうね!

Ex1  今日は(これを書き上げる頃には「昨日は」ということになるでしょうが)、今年の3月改正で廃止される列車の一つ、急行”かすが”の記録を残すため乗車しました。”かすが”に先回乗車したのは約5年前、まだJR東海管内でもキハ65が生き残っている頃で、キハ75になってからは、「あんな快速型では、・・・」と思っているうちに廃止になってしまいました。関西本線を直通する最後の優等列車、やはり最期となると記録を残したくなるものです。本当はキハ65の写真を出せば良かったのですが、時間不足なので、またいつの日か。



 家を出て名古屋駅にたどり着くと、関西線ホームにはキハ75が(写真)。残念、1次車の快速”みえ”で、時刻表を確認すると伊勢市発”みえ”52号でした。カメラを出した途端に、名古屋車両所に向け走り去っていきました。写真はイマイチです。



Ex2  ”かすが”には時間があったので、ホームをうろついていると、またキハ75が。2次車ですが、武豊線直通快速でした。これも名古屋車両所に向け走り去っていきます。 Ex3    



 ”かすが”が入る反対側は11番線。”ひだ”1号が飛騨古川に向け出発の準備です。勿論岐阜からは先頭はキロ85です。今日は4番でした。この列車のレポートはまたそのうちに。









Ex4  普通列車が走り去った後の電光掲示板。これもそのうち見られなくなるのですね。 Ex5   



 勿論関西線は在来線としては名古屋駅の一番端です。その向こうは新幹線ホーム、その間に貨物線があり、稲沢(愛知機関区)まで複々線です。名古屋貨物ターミナルまでの線路を利用して建設された「あおなみ線」。02編成が停まっています。確かに駅の裏口の隅という分かり難い位置で、地下鉄からの乗り換えが非常に不便!広小路口をつくるしかない!でなきゃ、あっちの方面の人は決して車から乗り換えませんよ!名古屋市はテコ入れ策を既に打ち始めました。



Ex6  よく見ると東海道線下りにEF200が。15号機です。遠くて見にくくてすいません。 Ex7  



 右手は無動力とはいえEF66の重連が。後は32号機だと分かったのですが、前は100番台(103かな?)程度しかデジタルズームでもわかりません。(EF66 113でした。リバーサルフィルムにて確認。)



Ex8  そうこうしているうちにお目当ての”かすが”が入線してきました。



Ex9_1



 「201D、据え付け完了!」今日は205、305のペアです。JR全車両ハンドブックでは、207と208の2ペアが専用と書かれていましたが、今日は違いました。発車まであと6分、そそくさと記録して乗車しました。 Ex10   



 ”かすが専用編成の最大の特徴、中扉締め切りです。



 今日も蒸機以来の撮影の名所、加太にはカメラマンが多数構えていました。加太で構えるためには、JRでは恐らく適当な列車が無いでしょう。つまり車しか無いということです。東京方面からは豊田JCTから伊勢湾岸道、東名阪道を通り亀山へ、そこからは名阪国道(国道25号線、高速規格で造ったものの先行無料化され、一級国道になってしまった道)に入るのですが、最後は25号の旧道に入るしかありません。しかもこの旧道、加太のあたりは1.5車線の所に砂利のダンプが休日も多く、舗装は穴ぼこだらけで、補修の工事も出来ず最悪!軽かスモールでないと苦労する幅です。乗り鉄なら、側の断崖を通る怪しい道、あれなんですよ!そう思うと、怖いでしょ!皆様、お気をつけて。 Ex11  



 そうこうしているうちに、奈良に到着。直ちに行き先表示を変えてしまい、気付けば「回送」でした。車両記録のため反対ホームへ行き撮影しました(写真)。



Ex12  加茂行き”大和路快速”の後を追うように、キハ75は平城山方面へ回送されました。17時の返しまで奈良電車区にでも入っているのでしょうか。この後はどうするか、前もって考えておきました。17時まで待つ気はないし、撮影可能時間でもありません。今来た道を返しても、列車は1時間に1本しかなく、前の彼女からも亀山の接続の悪さを聞かされていたので、やはり関西線の終点まで行き、そこから近鉄の回数券で帰るのが一番安いと思いました。本当は、関西線を全線電化して、”特急かすが”JRなんば行きにして欲しいのですが(車両は373系で決まりでしょう!)、今のJR西にそんな余裕はないし、JR東海も施設の更新は尻込みするでしょう。しかし、快速”みえ”は、近鉄の胸を借り、それなりに活性化しているではありませんか!距離も短いのだから、見込みは十分にあります。関西鉄道を思い出して厭かもしれませんが、挑戦は忘れないで欲しいですね。



Ex13  そう思い大和路快速に乗っていると、阪急6300系の復刻カタログが今日から発売だったのを思い出し、急遽梅田行きに乗車変更を思いつきました。そう思って外を眺めているうちに、弁天町を過ぎた辺りでDD13とDF50が見えました。「あ!そうだ!」と思い出したのは交通科学館。「多分暫く大阪には行けないだろう」とも、「今日はこの後予定無いしなあ!」とも思ったので、西九条で折り返し、降り立ちました。



 あれだけ鉄道に逆風が吹いている関西でも、割と多くの親子連れが来場していました。色々貴重な車両が保存されていましたが、まず写真はEF52 1号機。昭和3年、日立製です。多分竜華機関区にいたのでしょう。



Ex14  外に出て、道を跨ぐ歩道橋の向こうにDD13 638号機が(写真)。隣は、DF50 18号機です。













Ex15  環状線高架下には、悲劇の系列DD54 33号機が(写真)。それで終わりならすぐに駅の北口改札に入れたのですが、見残しが多く、また歩道橋を渡り元の位置へ。ああ大変!











Ex16  戻ると、東名ハイウェイバス1号車が(写真)。やはり東京より鉄分が多そう! Ex17



 義経号はガラスの反射がひどく、写真にはなりません。あと最高の方角に柱が立ち、これを避けるとかなり厳しいですね。他にも色々な車両があり、ナシ20は今日も営業中でした。



 美味しい香りを嗅ぎながら目の前に現れたのは、キハ81 3号です。”はつかり”、”いなほ”、最後は”くろしお”で生涯を閉じた、世紀の名車キハ82の原型車です。これだけでも、来た甲斐があるものです。最後に大パノラマのHOゲージの模型の展示運転を見て、駅へと向かいました。



 そして梅田へ、阪急へ。駅では、初日に売れるとは思っていなかったようです。でも、阪急6300系は、昭和51年製なのにワンハンドルマスコンなんですね!



 スルッと関西も買って、御堂筋線へ。難波へ直行です。時間は2時近く。「30分だな、・・・」と思いなんばの駅を降りると、まだ5分ある!早速「2時!」と言って指定を取り、そのまま乗り込んでしまいました。その後は難なく自宅に辿り着きました。



 家に帰って、車に火を入れ、当分土日の家族サービスが出来ないと、灯油をまとめて買ってきました。まあ、たまにはこんなのも良いか!

慰霊の旅

Kk1  昨年の鉄道の話題で欠くことの出来ない話、それは福知山線の脱線事故でした。百余名の即死者を出し、未だに多くの人々が後遺症に苦しむこの事故。これ以来鉄道、特にJR西の擁護は犯罪者扱いで、鉄道にカメラを向けること自体多くの偏見を生みました。昨日は、青春18きっぷの残り券片を利用して、この福知山線を訪問しました。



 まず米原から新快速に乗って加古川へ。加古川から加古川線を北上し、間に第3セクターをはさみ、谷川から事故のあったルートをそのまま通るという経路でした。



 いつもどおり新快速は12両、加古川では昼食が手に入らないことから、新快速に乗る米原で弁当を手に入れました。向こうは近江鉄道、これもそのうち乗りたいですね。



 加古川に昼頃到着。加古川線連絡改札を通り、階段を上ると、列車は125系1両編成でした。すでに満席、立ち席が相当数いました。冷たい視線を浴びながらカメラを出します。その位此方では鉄道に冷たいんですよ。



 すぐに厄神に到着。早速125系同士の交換です(写真)。



Kk2 駅で降り、階段を登り三木鉄道へ。列車は私を待っていました(写真)。車両はミキ300-104でした。



Kk3  終点三木に到着。駅の奥は車両整備工場でした(写真)。中で300-105が整備中でした。反対側には2番線があり、300-103が予備で待機していました。











Kk4  三木からまた厄神へ。厄神から少し北側の三木鉄道と加古川線の間に、加古川鉄道部の車庫があります。中では103系体質改善車が止まっていました(写真)。やはり車庫もまだ新しい。











Kk5  厄神から加古川線に戻り、粟生へ。粟生では隣のホームにフラワ1985-1(北条鉄道)が私を待っていました(写真)。













Kk6  終点の北条町では、駅の横が車両工場で、中の車両は建屋の中で、撮影が非常に困難。そのため帰りの列車の後から撮影しました(写真)。車両は最新のフラワ2000です。











Kk7  粟生に戻りました。すると駅の反対側に電車が。神戸電鉄粟生線です。往きは準急、帰りは普通というのがパターンです。神戸電鉄も三木に駅がありますが、三木鉄道と接続が無い。川の反対で橋を架けるのは大変ですが、接続すれば利用者も増えるのに、勿体ない。せめて橋を徒歩で渡るだけ、というのはどうでしょうか。雨でなければ歩いたのですが。







Kk8  粟生から谷川行きに乗り、西脇市へ。昔の乗換駅です。しかし列車密度が低く、1時間に1本、しかも待ち時間約30分です。多くの人は休憩で駅を降ります。駅でなにげに構えていると、反対方向から125系電車が。クモハ125-11(写真)です。冬季の架線の霜取り用で、パンタグラフが2基付いています。









Kk9  時間はかかったものの、無事谷川へ到着。すでに撮影の限界時間が近づいていました。10分余り待つと、Tcがカフェオレの113系に。篠山口にてまた乗り換え。今回の目的に、学研都市線(片町線)に乗ることも入っていたので、更に宝塚で事故車と同系の207系電車に乗り換えました。しかも先頭車に。やはり利用者はパラパラとしか居ませんでした。



 伊丹を出ると、木津行き快速は快調に飛ばすのですが、直線で急に減速を。不自然ではなく、その場所なのです。不必要な位と思う程カーブではゆっくりです。私は目を閉じ、死亡された方のご冥福と、負傷者の平癒と、(多分ないでしょうが)真犯人の逮捕を心から願いました。



 反対にカーブを切り、加速するとそこは尼崎です。この日は神戸線でトラブルが。一体、何がしたいんだ!ただ私の電車は関係ないので、そのまま東西線へ。徳庵を通り、松井山手を通り、京田辺で後の3両を切り離します。しかし木津は本当に遠い!よくこの区間、キハ35で我慢してましたね!下半身の忍耐の限界になった頃に到着しました。



 目の前には奈良線京都行き103系が。木津到着15分遅れで、乗る予定の1本後の電車です。我慢が出来なかったので、駅で用を足すと、出た筈の京都行きがまだ停まっています。ラッキーなのか、JR西が義理堅いのか、すごく嬉しかったですね。やはり大阪は義理と人情の街ですよ。関東の皆さん、食わず嫌いは止めましょう。



 予定の電車に乗れば、京都で14分待ちで乗るはずだった米原行き新快速は、夕食を買っている間に行ってしまいました。普通米原行きとその後の新快速野洲行き。どちらでも結果は同じで、多分その後の新快速とも米原で一緒とも思いましたが、結局野洲行きの新快速にしました。そしたら、やはり野洲でその前の普通に接続していました。自宅には結局30分遅れ(1本後)で着きました。家族は怒っていましたが、まあいいや。



 事故から9ヶ月になろうという今日。一昨年前から続く事故と、それらに起因する鉄道に対する偏見は、我々が一歩一歩取り除いていかなければなりません。もし鉄道を愛する心があるなら、心がけていただきたいものですね。



 それでは次回は何処へ行こうかな!

デジカメ対リバーサル(II)

 私が一昨年8月に本ブログを立ち上げ、通信試験の後最初に投稿した時のタイトルが”デジカメ対リバーサル”でした。そこでは、簡単に言えば「デジタルとリバーサル、双方の長所をそれぞれ利用しよう、好みの問題はあるけれど。」と書きました。それから一年半、現在の考えを述べたいと思います。



 近々D200を手に入れますが、現在のメインはD70、及びF80です。D70は、D2シリーズを除けば現在のニコンの最高水準を行くデジカメ(8,000分の1秒もある)であり、かなり不満があったものの他に代わるカメラもなく、今まで使用してきました。D100もありますが、これは1年で放棄してしまいました。またF80は、フィルムのコマ間にデータが入ること、また軽量であることで使用していますが、1/2段ピッチで、F100どころか正直D70を下回り(D70は1/2段、1/3段を選択できる)、これもすごく不満が溜まるカメラです。F100があるのだから、とは思います。しかし1/3段ピッチでも、コマ間データは入らず(日付が画像に入るデータバックしかない)、薄暮時の補助フラッシュも無く、こちらも中途半端です。デジカメとフィルムと両方を統一して欲しいのですが、その後出たフィルムカメラはF6しかなく、フィルムの時代の終焉のようにも思われます。F100はF5ジュニアということで宣伝しており、F6ジュニアが出るのなら、F200と名付け、D200と操作を統一して欲しいものです(出来ればUSB2.0でカメラコントロールを可能にして、他社を驚かして欲しいものですね、ほっといてもいずれキャノンはやりますよ)。



 勿論これまでのブログの画像は、一部の古いネガのデジタル化したもの(昨年の正月休みにスキャナで拾いました)を除けば、全てD70で撮影したものです。フィルムで撮って、現像して、またフィルムスキャナで拾って、また貯め込んでから画像を調整し、ブログに入れる、なんてやっていたら、作業が途方もなく面倒で、多分ブログを止めていたでしょう。その意味でデジカメの功績は大きいのですが、しかしデジカメ一辺倒にはなれません。



 勿論広田尚敬氏や諸河久氏のように、鉄道写真で食べていくつもりはありませんし、そうしなくても生活していけるだけの食い扶持もありますが、しかしやはりリバーサルで写るのが理想では?昔の印刷原稿は全てリバーサルでしたし、確かにラティテュードの問題もありますが、やはり最後にリバーサルで写せなければ、カメラ中級以上とは言われないでしょう。逆に言うと、リバーサルでは全く話にならないような状況でも、デジカメは救いの手を差し伸べてくれることもあるのです。いざとなればフォトレタッチソフトである程度は調整可能です(ましてRAWで撮っていれば、現像ソフトでかなり調整可能なのです)。



 便利で、理論上劣化が無く、しかも調整も可能とくれば、デジカメは圧倒的でしょう。それに比べれば、調整もあまり効かず(現像ラボでの調整は可能だそうです、感度等指定すれば)、気まぐれというか、わがままなリバーサルは敬遠されがちです。でも、まだまだ発展途上のデジカメに対し、フィルムはメーカーを問わず、ほぼ究極の完成の域に入っています。「加工」という観点からはデジカメは優れていますが、「忠実」という面ではどうでしょうか。皆さんの意見は如何でしょう。



 やはり、最後は好みという観点でしか判断できないでしょう。私は今後とも「ふたまた」を変えるつもりはないし、ブログはデジカメでも、保存はリバーサルでいくつもりでいます(勿論デジタルデータはハードディスクのみならず、CD-Rでも保存しますが)。デジカメ派に改宗を要求するつもりはありませんが、一度、リバーサルで撮ってごらんなさい、きっと止められなくなりますよ。師匠も、「どんどん失敗してくれ!」(=いろいろ失敗を経験して腕を上げてくれ)と言いますし、やはりフィルムでも決めたいですね。その上でデジカメを改めて手に取ると、また別の感動がありますよ!



 それでは今度は何処へ行こうかな?

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Seichiro

Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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