京都夜行

Ko1  今回のダイヤ改正で、これからしなければならない事、したい事をいろいろ思いめぐらしていました。”出雲”から思いつくことは、やはり京都での機関車交換でしょう。それを見るべく24日に、夜の京都駅へと向かいました。



 最終”のぞみ”で京都入り。上り”出雲”までは1時間近くあったことから、午前3時頃に入場するための各種情報収集に努めました。まず、0時35分の上り”出雲”出発後、一旦全改札を閉鎖し、3時過ぎに朝の改札を始める、とのことでした。0時半から3時までは外に出て下さい、とのことだったので、それに従うことにしました。



 日本一長いホーム=京都駅0番線!で、上り方先頭方向に停まるEF65 1112号機(写真)。昨日の3レのカマでした。今日の4レの先頭に立つようです。



Ko2  本番前に、カメラの確認を兼ねて、”きたぐに”を撮影(写真)。テストOK!















Ko3  4レの到着に備え、PFが準備位置に移動します(写真)。















Ko4  そういっている内に4レ”出雲”京都駅到着(写真)。カマは勿論、後藤のDD51 1179号機です。













Ko5  同機は解放され、入れ換えをします(写真)。















Ko6  連結を待つ、オハネフ25(写真)。中にもファンはいます。















Ko7  そういっている内にPFが誘導されてきます(写真)。















Ko8  連結し、制動試験をして、出発進行!という所ですが、少し後を心配しています(写真)。しかし、無事4レは出発しました。 Ko9   



 一旦外に出るのはお約束。それから2時間半、自由通路は冷えますが、まだ風が通り抜けないだけ良いようです。新幹線口と近鉄改札の間の雰囲気はかなりやばいですね。



 と、いっているうちに2時半になると、JR改札前に十数人のファンが集まってきます。「ルールだけは守ってくれ!」と言われたので、私はOKしました。割り切りの良い方でした。すると、3時39分には、到着する2番線より30番線(0番線の奥の”はるか”ホーム)の方が良いとか、停止位置などの情報も。「郷に入れば郷に従え」の諺どおりです。



 その情報どおり撮った写真がこれ。カマは1114号機でした。約7分遅れました。



Ko10  慌ただしく機関車を交換。さきほどのDD51 1179号機がまた先頭に立ちます。こちらも無事出発しました。













Ko11  目的が果たせたので、小遣い稼ぎを。こちらも小遣い稼ぎか、団臨(恐らく天理臨)のEF65 1110号機です(写真)。













Ko12  そうこうしている内に夜は明けてきます。7番線に予想もせずに停止する”日本海2号”。カマは先回乗った、EF81 101号機でした。













Ko13  お次は”銀河”。東京のファンが、「なかなか出てこない!」と叫んだ、”ゾロ目”EF65 1111号機でした(ヤッタ!)。













Ko14  完全に夜は明けました。先ほどの3レのカマ、EF65 1114号機は、昨晩1112号機が停止していた場所に滞泊しています。今夜の4レまで仕業はありません。













Ko15  最後に、本日の最終イベント、”なは””あかつき”です。時間はもうすぐ8時、そろそろ昼モードへの切り替えの時間です。



 これでよし、と家に帰り、爆睡、の筈でしたが、会社で親しかった方の送別会で、態度は悪いですが、最大限の礼をつくしました。さあ書こう、と思っているうちに週は明け、今日になってしまいました。



 次回は何処か?秘密ですが、今後ともお楽しみに。

JR西日本について考える

 我々鉄道ファンにも大きな衝撃だった、JR西日本の尼崎脱線事故。先日、その補償交渉が、数遺族と結ばれたとの報道がありました。運転士を除くと即死者106名、その内の僅かに数遺族とは、まさに不幸。増して、負傷者との交渉など、いつ終わるのか、途方もない話です。もしここで私がJR擁護をするような発言をすれば、負傷者はその怪我の跡をみせて、「それでも擁護するのか!」と、犯罪者呼ばわりするでしょう。しかもそれを国交省の役人は嗾けているようにみえます。



 おそらく、事故調査委員会は、有耶無耶のまま幕引きをしたいところでしょう。しかし、もしこちらの関係者に主因があると仮定すると、どうなるでしょうか。法律を勉強していれば気付くはずです、「これじゃ、冤罪事件だ!」と。つまり、最初から犯人が決まっていて、それから事件が起きるという、日本特有の出来事なのです。



 謎を解く鍵は、恐らく事故前後一週間のJR西の株取引を解析することでしょう。もし事故が起きることを知っていれば、事前にJR株を高値で売却(勿論カラ売り)し、事故後株価が下がってから堂々と購入し、差益を手に入れているのです。何と腹黒い!前後数日間に色々と怪しかったのは、信用取引の決済期間に間に合わせる必要があったからでしょう。日本の証券取引監視委員会は、何を見ているのでしょう。外国人は、「節穴!」と扱き下ろすでしょう。



 それと同様の手口は、福知山線復旧の時も行われています。JR西が国交省に福知山線再開の日付を報告してから、それが新聞に載るのに1日の空白がありました。もしこの情報を新聞に載る前に知っていれば、当然JR株を買うでしょう。値上がりは確実ですから。これがどの位の利益か、皆さんはご存じでしょうか。



 昔、JALの羽田発大阪行き最終便が墜落するという事故がありました。いわゆる日航機事故という事故です。当然日航の株価は下がり、低迷し、経営が傾いてきます。しかし当時日航は日本唯一の国際航空会社であるのみならず、政府が株を保有する、いわゆる「特殊会社」とよばれる会社でした。倒産などという事態になれば、日本政府の信用にかかわる問題になってしまいます。



 そんな頃、私の仕事の関係のある人が、「近々日航に政府支援が入るらしい、・・・」という話を聞いたそうです。そこで試しに日航の株を買ったところ、やはりその通りで、大儲け!それから20年近く経った今でも、その人は、仕事を真面目にしなくても遊んでいけるほどの蓄財があるそうです。やはり大阪人は株価操作のために殺される運命にあるらしい。



 日航機事故でもそうであれば、JRでも同様でしょう。この話を聞いてもなお、貴方はJR犯人説を信じますか?



 つまり真実は永遠に闇に葬り去られる運命にあるのです。悲しいが今後ともJR西は何億円か、何兆円か分からない途方もない補償交渉を強いられるのです。本当にJR西は大丈夫なんでしょうか。



 事故から数年前、JR西が中距離電車のワンマン化改造を行った時、鉄道ファンは唖然としました。なぜなら、中間車から先頭車に改造された車両の前面は、コストと工期の圧縮のため、強化鉄板に運転窓を開けただけの、見るに無惨な姿でした。つまり”決戦形”だったのです(しかも事故前ですよ!)。



 私はいわゆる”乗り鉄”と呼ばれるファンで、何々線に乗った!というのが趣味です。事故前に、JR西のある線(JR西なら分かっているはずです)で、単行ディーゼルカーが、きついカーブでも、きつい勾配でもないのに減速し、徐行します。速度制限は、窓から覗くと”15”(時速15キロ)となっています。よく見ると、土盛りが浸食され、いつ線路の路盤が崩壊してもおかしくない所まできていました。JR東日本なら、1日に3往復しか通らない路線でも保線は行き届いているのですが、JR西にはそんな余裕は全くない。しかも、それは1箇所ではない、ということは、JR西の方がよく分かっている所です。危険だが、保線する余裕がないため問題を最小限にするために、時速15キロで徐行せよと速度制限をするしか方法がないのです。



 しかも事故後のJR西では、ワンマン車では整理券も取らず、降車も無賃で入り口から、ということを堂々とやる乗客が大半となっています。ただでさえ苦しい経営、運賃収入が減れば、”倒産”、”民事再生法”という文字がちらつきます。もしそういった事態になったら、誰が責任をとるのでしょうか。JR西の無い関西が、本当にいいのですか。もうそろそろ、JR西イジメは止めないと、本当になりますよ!そしたら、それを助けられるのは、JR東海しかないのですよ!



 ただこれだけ書いても、遺族の遣り場のない怒りは、何とかして解消しないと、補償交渉のテーブルにも着けないでしょう。ここでの私のアイディアは、そういった怒りを吐き出す場所(受け手は非常に苦痛でしょうが)をつくるしかありません。例えば、”JR西日本安全協議会”というような受け皿を作って、そこで学識経験者のみならず、直接遺族の話を聞く、というのはどうでしょうか。その上でなければ、きっと話し合いにはならないでしょう。もしそれを作るつもりなら、職務専念義務の問題もありますが、私はJR側に立って遺族に納得を求めても良いです。”許されざる者”を作ることが正しいのか、是非考えて頂きたいですね。



 それでは、改めて亡くなられた方のご冥福と、負傷者の方のご平癒をお祈り申し上げます。

よくやるわねえ!(II)

Ao1  今日は青森から自宅へと帰ってまいりました。東北遠征後半戦です。



 今朝はゆったりと朝食を摂り、9時25分の快速”しもきた”大湊行きに乗りました。写真は青森方の、キハ40 555号です。前はキハ48 539号でした。









Ao2  青森を出ると、上り進行方向右手に青森運転所東派出所(旧青森機関区)があります。今ではEF81(ノースエクスプレスレインボー専用、及びトワイライトエクスプレス用EF81等)やED75も見られます。











Ao3  野辺地で折り返し、後ろ向きに大湊に着きます。乗車した車両がまた青森へ帰ると思いきや、キハ110 202が既にスタンバイ完了です。写真を撮って、慌てて乗車しました。











Ao4  この車両は青森に帰りますが、次の目的地に行くため私は野辺地で下車します。そして特急へ。駅のホームで気をつけて見ていると、足下には”はくつる”の名残がありました。











Ao5  野辺地から1区間”つがる”に乗り、また三沢で下車しました(写真)。勿論乗車したのは、485系3000番台車です。













Ao6  いつも特急”はつかり”に乗ると、「三沢の十和田観光電鉄の線路は、どうなっているのだろう。」と思っていましたが、正解は「少し離れている。」でした。古牧温泉の中に消えていく線路は、どうやら昔の貨物側線の名残のようです。



 JR駅から徒歩1分に、十鉄三沢駅がありました(写真)。







Ao7  中に入ると、既に出発の準備が(写真)。















Ao8  途中の”七百駅”に十鉄の車庫があります。すぐそばには、ED301が(写真)。















Ao9  既報のとおり、時間の都合で乗り鉄を重要視し、まず十和田市まで行きました。十和田市駅は、ホームのすぐ両側は道路で、「何もないのかな?」と思いきや、階段と跨道橋を越えると、ショッピングセンター(兼バスターミナル)になっていました。スーパーでパック寿司で昼食にし、また戻りました。



 七百車庫十和田市側には、モハ3401や、ED402、緑の電車(詳しくは十鉄ホームページの方を見られた方が良いのでは?)が止まっていました。今でこそ東急のステンレスカーですが、昔はこれらが主役だったんですね。でも、まだ残っててラッキー!





 そのまま三沢に戻り、特急で八戸、そこから”はやて”でしたが、併結の”こまち”は盛岡到着が7分遅れ、当然引きずられます。東京で”のぞみ”は乗り損ねるのか?と思ったら、仙台では遅れ5分、大宮では3分と、だんだん縮めていきました。まさに「走れメロス」でした。お陰で無事自宅に帰りました。なーんだ、JR東も本当は義理堅いじゃないですか!



 度重なる遠征で財布も空になってしまいました。今後暫くは、近場を見たいですね。特に地元JR東海を。

今日も懲りずに

今日も懲りずに

今日は青森から大湊、十和田市迄来ました(まるで北島三郎の歌みたい!)。写真は十和田電鉄です。七百の車庫に本当は寄りたいのですが、そうすると家に帰れなくなってしまうので、今回は車内からだけです。後は、また次回の楽しみに!

よくやるわねえ!

Tu1_1



 モブログでも予告した東北行。ATOKが突如使用不可能となり、必死に修復したIMEで苦しまぎれに書いたブログをどうぞお読みください(MS-IMEは地名等の固有名詞が全く駄目で、本当に苦労します)。



 昨晩大阪駅10号線に到着すると、反対側(即ち11号線)に三脚を構えたカメラマンが約50人。JR西の職員さえ「何で?」と私に問いかける程でした。理由は皆”日本海3号”の撮影のためだと、乗車して知りました。確かに、「危ない」と、鉄道ファンが噂していたのは事実ですが。カマは敦賀のEF81 101号機です。



Tu2_1  こちらも怪しい”雷鳥”。こちらも貴重かな?















Tu3_1  ”日本海3号”の客車の受け持ちはJR東日本の青森運転所。そのため客車は24系でも24形が見られます。これは貴重なオロネ24 2号。オープン形A寝台は、いまや貴重。乗る機会はあるでしょうか(喫煙用休憩スペースまであるのです)。











Tu4  翌朝起きて、弘前で降りると、機関車は同じ敦賀のEF81 48号に変わっていました。やはり敦賀で27分止まり、”サンダーバード”と”しらさぎ”に抜かれる間に付け替えたのでしょう。











Tu5  前に弘前駅に来たときは、平面駅から工事で改築中でしたが、今は立派な橋上駅に変わり、設備も最新です。しかも弘南鉄道まで新駅でした。写真は弘南鉄道ホームです。











Tu6  以前Rail-Onクラブのツアーで平賀までは行ったことがあるのですが、終点黒石までは行けず、乗り鉄的に悩んでいました。そのため、今回は終点まで行きました。写真はキ104(ラッセルヘッド)とED333。ED333は先回撮影しましたが、やはり冬の仕様です。そういえば大鰐温泉駅にも、弘南鉄道大鰐線のEDとラッセルヘッドが止まっており、写すべきでしたが、残念”日本海3号”は通過してしまいます。窓から指をくわえて見過ごしました。





Tu7  黒石駅には、かつて国鉄から転換し、後に廃止になった黒石線のホームの跡が残っていました(写真)。













Tu8  弘前から五所川原までの五能線の車中から撮った岩木山。富士山占い並みに完璧です。













Tu9  津軽五所川原の、津軽鉄道の駅は、こんな感じです(JRホームからの撮影)。















Tu10  津軽鉄道の冬の看板列車、「ストーブ列車」の発車のシーン。今日は、多客期にも拘らず、TVのロケが同列車で行われ、サクラも含め混雑していました。













Tu11  ストーブ列車名物石炭ストーブへの投炭の瞬間。















Tu12  やはり太宰治の故郷、金木で取材は打ち切り、乗客も殆ど降り、津軽中里までの乗客は僅か。これが普段なのでしょうか。そして機関車DD352は付け替えをします(写真)。











Tu13  DD352は、蒸気機関車みたいにスポーク動輪に主連棒で繋がっているんですね。 Tu14



 そして通常の車両は「走れメロス」です。昔五能線で見たときは、今とは違う旧式のディーゼルカーでしたが、1両1両違う太宰の小説の名前をつけていたような気がします。でも、やはり「走れメロス」の方が鉄道らしいのか。そんな感じで1日目を終えました。



 しかし、五所川原と青森の間の交通機関は、余りに不便。鉄道では、午後8時以降ですよ、帰れるのが。JR東日本さんには、もう少し津軽鉄道への優しさが必要では?



 今日はATOKの代わりのIMEのために大変苦労しました。今日はここまでです。

やったね!

やったね!

日本海3号の後は弘南鉄道、その後は津軽鉄道です。しかも津軽鉄道の看板、ストーブ列車です。テレビ取材も同行しています。

またもや!

またもや!

考えもせずに「日本海3号」に乗ってしまいました。時期が時期なだけあってB寝台は4両減車です。始発の大阪駅は多くのカメラマンが構えていました。やはりそうなのでしょうか。

間に合った!#2(後半戦)

Tk1  今日はお預けになっていた、富山行第2日目です。



 前日の晩に、ホテルのワイヤードLANを有効に生かせず、納得しないまま寝てしまったために、正直無事起きれるか心配でした。しかし、「富山駅8:01」という呪文は私を目覚めさせてくれました。



 本当はホテルでゆっくり朝食を摂りたかったのですが、時間の都合で断念。着替えて、ひげを剃ってそのまま出発しました。



 幸い少し予定より早く富山駅に到着。7番線(右)には乗車予定の電車(475急行色)、8番線には平日ならとうの昔に発車している電車(これも475急行色)が停泊していました(写真)。今日は富山競輪は無いとのこと。8時46分一発勝負です。



Tk2  早速予定の電車に乗り城川原へ。客扱いを終えると、直ぐに発車です(写真)。















Tk3  先ほどの電車が城川原に戻る瞬間が勝負の時。それまでの間に、石川県の高校生と話が。「もうすぐ試験だけど、隠れて来ました。」そうでしょう、今月いっぱいですから。良いこととは言いませんが、明日からはしっかり勉強しような!



 合間に撮った写真(写真)で、新会社「富山ライトレール」の車庫の建築はかなり進んでいることがわかります。







Tk4  本日のメインイベント、475急行色の並びです。この一瞬のために、飛行機を乗り継いで来る鉄がいる位ですから。正直、私の写真は大失敗です。リバーサルに期待しましょう。



 噂では、並んだらすぐ出発と聞いていたので、この交換での乗車は諦め、30分後に戻る電車にする予定でした。しかし上り列車の車掌は行きと同じだからか、なかなか戸締め扱いをしません。どうも私たちを待っているようなので、慌てて乗ると、やっとドアが閉まります。JR西さん、今日もありがとう!



Tk5  そのまま富山へ行くと、413系(急行形リサイクル電車)金沢行きが止まっています。休日だけの列車でした。



 次の目的地は高岡です。駅の端には早速EF510-1(試作って、ないですよね!)が駐機していました(写真)。









Tk6  機関車に喜んでいると、後から”はくたか”が。「ピンクの貫通型か、」と思っていると、少し違う。北越急行の683系の8000番台でした(写真)。これも、唯一1形式1編成のみです(基本6両、及び付属3両、写真は基本6両)。











Tk7  高岡では、まず昨年の宿題、伏木のスイッチャーの撮影を。氷見線で伏木へ。ホーム、跨線橋で撮影をしました(写真)。DE10 1029号機は解りましたが、隣の専用線用の機関車はデジタルズームでも解りません。撮影しているうちに雪がひどくなり、雪にピントが合いだしたので、断念しました。









Tk8  仕方なく高岡に戻り、万葉線へ。1日乗車券で越の潟まで行くと、乗船所が。しかも、”県営渡船、無料!”とのことで、乗船しました。行き先は堀岡、富山新港の対岸で、昔はその間にも電車があったとのこと。この区間には大橋を架ける予定があるらしく、準備工が始まっていました。現在、堀岡にはバスが来ています。









Tk9  渡船から海を眺めると、英語で”Tall Ship”(スペル間違ってました、ご免なさい)、帆船の、初代海王丸が見えます。そういえば万葉線終点の一つ前は”海王丸”駅でしたね。こちらもどうぞ。













Tk10  さすがに海王丸までは回れませんでしたが、これは次回、時間があったらということにしましょう。そこで午前中に不満があった、伏木へもう一度行こうか、とも思い、”アイトラム”を中伏木で降り、一日乗車券付属の”如意の渡し”に向かいました。



 乗船場があり、何もないし、誰もいない、と思った時、川の向こうから、やってきます、1隻の船が!(写真)その船が渡しにやって来て、声を掛けます、「どうぞ!」と。感激ですね!実は、義経と弁慶の「勧進帳」の舞台は、この如意の渡しで起きた出来事と、記念碑には残っています。



Tk11  そのまま対岸に渡ると、伏木の街です。相変わらず雪は強くなったり、弱くなったりです。渡しから5分程でJR伏木駅です。駅前広場は、無料駐車場です。いざとなれば、ここに車を止め撮影する、というのもアリですね。



 そこから少し北に向かうと氷見線の踏切です。そこを越えるとすぐに細い道が先ほどのヤードの方へ向かっています。「もしや?」と思いそのまま進むと、先ほどのヤードを跨ぐ橋の橋台で、下には、あった!念願のスイッチャーが!D351、日車製のディーゼル機関車です。残念ながらコンテナ貨車の先頭に立っていたDE10は、既に出発した後でした。



Tk12  そのまま氷見線で帰っても良かったのですが、万葉線の米島口の車庫をもう一度訪問したかったので、渡しに戻ります。今度は検札もしませんでした。悲しいかな、隣では架橋準備が進み、水中の橋脚建設工事は終了、空中部の工事が始まりつつあります。今だけですよ、本当に!



 中伏木の駅からまた乗車し、米島口へ。東端には冬の風物詩、除雪電車、デ5022も見えます。”アイトラム”もあります。 Tk13     



 高岡駅に戻り、やっと遅い昼食です。やはり雪が原因で、電車は遅延していましたが、区間によってまちまちで、僅かな遅れの所もあれば、「150分遅れ」なんてのもありました。”しらさぎ”は大丈夫そう、と言っているうちに、反対ホームには”はくたか”が。西日本681系に、北越急行683系3連(付属編成)が。”はくたか”は、JR西(681系)と北越急行(681系及び683系、いずれもJR西の車両と同設計)のどちらも、車検は松任工場(現金沢総合車両所分所)なので、現在では完全に共通運用となっています。そのためJR西と北越急行の混色編成もあるのです。



Tk14  まだ時間があったので、大阪寄りへ。城端線貨物列車に、先ほどのDE10 1029号機が先頭に立っています。暫くすると、城端線方面へと出発していきました。













Tk15  後を見ると、そろそろ危なくなってくるEF81 38号機が。このままEF510が増備されれば、いずれ順番が回ってきます。若番車は今のうちですよ!



 予定より早く終わったので、予定の1時間前に”しらさぎ”に乗りました。車端で、机にコンセント付きでラッキー!デッドセクションでも停電しない683系でも、ランプで今停電中というのが分かりました。



 今回の旅行も無事終えることが出来ました。これも関係者の皆様、とりわけJR西の方々のご協力のお陰です。ありがとうございました。 次回はどうするか、まだ未定です。

間に合った!#1(前半戦)

Ka1  とりあえず廃止列車関連の撮影を終え、「さあ、何処へ行くか!」と考えると、やはり最初に思いつくのは富山港線です。今回は富山港線を中心に、富山近辺の未解決問題を解消すべく、昨日出発しました。昨日中に第一報を送る予定でしたが、パソコン(バイオTR)の不調のため、結局自宅に着いた今日になってしまいました。



 昨日朝一番に出発し、名古屋駅11番ホームに到着すると、まだ”ひだ”1号は入線しておらず、朝の”ホームライナー”が停泊中でした(写真)。車両はキロ85 1号です。



Ka2  しばらくすると”ホームライナー”は入庫し、入れ替わりに”ひだ”1号が入線してきます(写真)。最近”ひだ”の先頭では余り見ない、キハ85 0番台です。













Ka3  私は飛騨古川まで予約したので、当然3連の方(旧富山行き)です。岐阜で方向が入れ替わるので、名古屋方は大抵非貫通、富山編成は全てキロ85です。今日は3号ですね。











Ka4  この日は高山編成が6連で、最長9両編成でした。高山で古川編成を切り離します(写真)。8号車はほとんど満席でしたが、高山駅でどっと降り、自由席はともかく指定席で残ったのは私1人でした。飛騨市さん、宣伝不足ですよ!高山を起点にもっと呼び込まなきゃ!









Ka5  飛騨古川駅に佇むキハ85 1109号(109号車椅子対応改造車)。ここから先へは、高山始発の普通に乗るしかありません。待ち時間に赤かぶ漬けを手に入れました。













Ka6  やってきました、角川行き。キハ48 5810号車です。6800番台車とペアを組んでいます(今日は6805号)。













Ka7  角川からは未復旧区間で、代行バスになります(写真)。















Ka8  1時間半近くかけて猪谷に辿り着いた代行バス(写真)。私の運転の腕では、あの道はとても怖くて走れません。雪なしでも厳しいのに、積雪が!曇ったり降ったりで、大変でした。この1本後の代行バスは普通の観光バスで、もっと大変!やはり2種の方は上手ですよ。「そうでなけりゃ濃飛バスは無理よ!」と言われそうですが。









Ka9  何処へ行くにも1時間以上待たされます。猪谷のホームにはJR貨物更新色のDE10 1674号(写真)。













Ka10  随分待たされているうちにやってきました、神岡鉄道です。昔は猪谷行き違いに合わせてやって来たのですが、代行バスが今のような状況では苦しい。富山からの列車に接続させるのがせいぜい。今度高山方から列車が来る頃には、神岡鉄道は廃止されています。









Ka11  神岡鉄道”おくひだ1号”の車内。”いろり列車”です。ここで鉄3人、談義に花を咲かせました。(まさか、後輩が来るとは!)













Ka12  奥飛騨温泉口駅前に展示されるディーゼル機関車。DE形ですね。別の時期に再訪することを誓いました。













Ka13  先ほども来ていたのですが、富山~猪谷間を走るキハ120。富山に辿り着く前に日没になってしまいました。途中でDEプッシュプルの”わくわく団らん”も行き違いをしたのですが、スピードライトを焚く訳にもいかず、写真になりませんでした。











Ka14  富山駅に到着。駅には、翌日を期待させるような、60Hz急行色475系(クハ455 60号)が。本当に、JR西はフルサービスです。最大の問題を解決すべく行動した今日もそれが続いたのですが、長くなるので、また次回。

嗚呼!痛恨の高千穂

Tr1  昨年の台風災害で大きな被害を受け、復旧することなく廃止が決定した高千穂鉄道。元の国鉄高千穂線は当時の技術陣が趣味的ではないかという程凝った橋梁を設計し、「鉄道橋の博物館」というほど色々な橋が架けられていました。乗り鉄的興味から高千穂鉄道に乗る事を思いつき、一昨年11月、九州を目指しました。



 仕事を早引けして京都へ。停まっているのは”あかつき・彗星”(写真)。これも過去帳入りしてしまいましたね。”彗星”唯一の個室、B1(ソロ)で南宮崎まで手配したものの、結局延岡で降りました。



Tr2  早速延岡で切符を買い、高千穂を目指しました。TR-100形で終点を目指します。日之影温泉駅ですれ違うTR-400形。別の写真には、「出発信号まで2ノッチ」という標識も写っていました。次回はこの温泉施設に入れたらなあ!と当時は思っていました。ここも大打撃を受けた所ですね。









Tr3  終点高千穂駅には、車庫、本社がありました。車庫にはTR-100形等が写っています(写真)。JR西のキハ120系と同じですね。もうこんな光景は見られないのでしょうか。現在の状況に興味があります。











Tr4  正確には思い出せないのですが、延岡に近いところまで降りてきた交換駅で、再びTR-400形とすれ違います。”手力雄”ですね(写真)。













Tr5  後は同形”天細女”です。昔の”富士”のスジで、”にちりん”に乗り換えると、このトロッコ列車に接続していました。次回はその予定だったのに、この1年の間に”富士”の時刻も変わり、接続どころか乗車そのものが不可能となり、非常に残念です。











Tr6  延岡駅の貨物駅に佇むDE10 1208(写真)。ナンバープレートではなく、直接切り抜き文字になっているのは、まるでEF65 1038のようですね。きっと時期的に同じ昭和40年代なのでしょう。











Tr7  貨物を待っているED76 58です。このままこの日は確かレッドエクスプレス”にちりん”で宮崎に行き、投宿しました。



 本当はこの春にでももう一度訪問をしたかったのですが、致命的な打撃を受け、修復に約30億円と3年の期間が必要とのことで、仮に存続となっても”彗星”もなく、”富士”も大分で真昼を迎えるような時間になり、事実上不可能だったのでしょう。残念というか、痛恨というか。仮に修復しても黒字化の目処も立たず、やむをえない判断だったのでしょう。



 廃止は残念ですが、かつてここに鉄道があったことを、私たちの記憶の中に残しておきましょう。合掌。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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