予告通りに

Sen1  先週予告をしましたが、今日はJR東日本の”新幹線車両基地まつり”に来ています。本当は、先週の郡山車両センターのイベントにも行きたかったのですが、そうも毎週東北へ行くわけにもゆかず、今回は今日だけです。後述のとおり今回ほぼ目的を達成したので、次回は郡山にも行きたいですね。



 話を元に戻して、私は昨夜自宅を出発し、今朝東北新幹線に乗車し、仙台経由で新利府入りしました。新利府は、東北本線の旧線の残りが現在も使われている線で、実は利府の先も昔は線路が続いており、それが東北本線だったのです。現在は海よりの新線が本線となり、利府以遠は廃止されました。



 新利府は、新幹線車両基地だけのために設置されている駅で、通常は職員以外は利用できません。それを年に1回”新幹線基地まつり”の時だけ、一般客が利用するのです。以前は8月末に行われていたのですが、やはり岩手以北ではお盆明けに新学期が始まるからでしょう、7月末になりました。



 今日の仙台地方の天気予報は曇り時々雨で、雨では屋外の撮影は困難となることから、屋外の施設の撮影を優先することとしました。



 最初の写真は、新利府駅から一番遠い、基地北端に保存される”STAR21”、および200系先頭車2種類です。



Sen2  今年郡山を蹴ってもどうしても来たかったのは、このため、以前利府駅周辺の旧線跡地に放置されていた交流機関車群が、整備の上、一昨年新幹線基地内に移設されたと報じられたからです。本当は、6年前放置されていた当時の写真もあるのですが、容量の都合上割愛します。写真はまず、仙山線用に開発されたED77 1(日立製)です。交流電化50年というヘッドマークを掲げていますが、これは利府当時にはありませんでした(当たり前か)。







Sen3  2枚目は、EF64の後、交流化された板谷峠のシェルパ、EF71 1(東芝製)です。システムは、ED77、ED78の4組の動力システムを、6組搭載した、とのことです。山形新幹線開業で職を失い、重軸重が災いし全機廃車となってしまいました。











Sen4  3枚目は、現在でもなお東北本線の主力、ED75の1号機(日立製)です。三菱(電機及び重工)製の2号機と比較の結果、三菱式が量産され、一般型がM形と呼ばれるのは、多くの人の知るところです。











Sen5  4枚目、左は板谷峠用軽軸重タイプ、ED78 1、右は交流初期形、ED71 1です。なおコメントすると、ED78とEF71は重連総括制御が可能でした。また、ED71は、時代的理由から、直流形ED60、ED61、およびその改造形ED62と外観が似ています。











Sen6  5枚目、その横には、D51 1108(完全な戦時形ですね!)、C58 365、C11 351が。













Sen7  屋外が終われば、次は屋内へ。これを見なきゃ来たことにならない、FASTECH360S、八戸方1号車です(写真)。













Sen8  向きを変えて、”耳”が出ているのがよく分かります(写真)。















Sen9  それで大体撮影を終えると、雨が降り出してきました。しかし小雨だったので我慢、我慢。仙台地区の話題として、次に行くところを選ぶと、今年度が最後のシーズンとなった、くりはら田園鉄道に行きたくなります。そこで、石越を目指しました。くりはらの石越駅は、写真のとおりです。









Sen10  暫くすると、KD951が入線してきます(写真)。















Sen11  そのまま乗車すると、雨が強くなります。若柳に多くの車両が留置され、降りたいのですが、先ずは乗り鉄、次に雨が強かったことで断念。そのまま細倉マインパークまで行きました。



 同駅には、ED202らしき電機(電化当時貨物を運んでいた)が保存されています(写真)。隣の腕木式信号も注目!







Sen12  細倉で1時間あまり滞在するつもりでしたが、若柳のことばかり思い浮かばれ、すぐに同列車で折り返します。



 若柳で下車し、眺めると、あるわ、あるわ!まず1枚目は、旧ホームに留置されるM181(カラオケ電車)、M151、ワフ74、モーターカーです(写真)。









Sen13  2枚目は、真ん中に停まる、M153です(写真)。















Sen14  最後は、名鉄キハ10の最後の姿、KD11(奥)、12、その右にDB101(手前)が見えます。これを撮影し、1本後の列車で石越に向かいました。



 現在は宿泊先のホテルで投稿しています。



 明日は今日の続きですが、多分乗り鉄となるため、あまり期待しないでください。

まだこんな、・・・

Hama1  まだ九州から帰ってきて僅か数日です。今日はJR東海浜松工場”新幹線なるほど発見デー”に行ってきました。



 本イベントは、昨日と今日(22、23)開催され、昨日は快晴で絶好のチャンスだったのですが、前日が仕事の宴会で飲み過ぎ、結果寝坊をしてしまい、他の準備もあって結局行けませんでした。天気予報を見ると、今日は曇り後雨と、イマイチの予報でしたが、しかし行かないわけにはいかない。そこで今日傘とともに浜松を訪問しました。



 浜松からは例年通りシャトルバスでしたが、今年は瀬戸等のJRバスを見かけません。やはり、新居町営業所が無くなり、拠点が無く、結果全面的に遠州鉄道に依頼するという形になったのでしょう。写真は浜松駅前発車のシーンです。



Hama2  やはり自爆テロへの警戒か、構内に入ってから暫く待たされます。その間にも被写体が転がっており、写したいのですが、飛行機同様、セキュリティエリアへの入場は禁じられています。写真はバスの車内から撮った、EF65 106(今は亡き”ユーロライナー”専用機)です。









Hama3  やっと下車し、先ずはバンド演奏を横目に直進し、あった!N700系Z0編成の東京方先頭車(16号車)です(写真)。













Hama4  これはお決まりの、T4編成(ドクターイエロー)の7号車(東京方)です(写真)。















Hama5  これもお決まり、0系先頭車(21か22か、よく覚えていません)、S88編成と書かれています(写真)。













Hama6  ここからは在来車の展示、いつものクモヤ90005です(写真)。















Hama7  モハ111 1(手前)と、110 1のユニットです(写真)。クハ111 1は佐久間レールパークにありますが、今まで一緒だったクハ111の偶数方(確か300番台だと思いましたが)は今年はありません。勿論モーターはMT46(100KW)で、最後はJR四国で平坦な電化区間で使われました。











Hama8  EF65 111(一般形)です(写真)。















Hama9  皆が心配している、EF58 122です(写真)。















Hama10  ”トロッコファミリー号”の仕業で故障を起こしたという、ED18 2です(写真)。イギリス製を何度も改造した機関車です。確か、すごく大きな音のするタイフォンがついていました。











Hama11  除雪は東海でもディーゼルです。DE15 1531です(写真)。















Hama12  撮影を終えると、雨が小降りになり止んできます。悔しい!仕方なく帰ります。



 しかしそれでもまだ時間があり、折角だからバスも乗った遠鉄に乗ろうと思いました。集会等条例の結果警察に嫌がらせを受けたのか、駅前を3回通ってから、あさっての方向に連れて行かれ、下ろされます。一瞬、道に迷いました。下車がそこでしか認められなかったからで、警察の意図は明らかです。まあ、脇道の話は止めます。



 遠鉄百貨店の前を通り、新浜松へ。赤い遠鉄電車に乗り、西鹿島を目指します。



 西ヶ崎には、いつもどおりED28 2が(写真)。「休車」の表示は無くなったのですが、大丈夫なのか。レールやバラスト位しか運ぶ物が無いのは、良く分かっています。



Hama13  西鹿島に到着しました。一番奥は、今日は4両でした(写真)。やはり新式で完璧より、新旧併存の方が私たちファンは嬉しいのです。ただ整備、経営ともに大きな負担ではあるのですが。











Hama14  無事新浜松に戻り、JRへ。各停豊橋行きに乗ると、途中で、クハ115 188を反対に確認しました。「行かねば!」と1本後の列車で浜松に戻りますが、既に引上線に入っており、万事休す。EF65 1001(PFトップなんて名前は、聞いたことも無いです、だってどうせ新製配置は下関でしょうし)もまた浜松貨物ターミナルに滞泊するも、これも写真にならず。結局、隅の方で停まっている、クモハ123 5000番台(細かい番号は忘れてしまいました)しか撮れませんでした。



 当初の目的は達しましたが、次回に宿題が残りました。先ず夏の18きっぷ、「鉄道の日きっぷ」、冬の18きっぷで静岡をさらっておかないと、きっと後悔するでしょう。JR東海は鉄分の濃いイベントはあまりやらないのですが、最後の大目玉の引退記念イベント位、やってくださいよ!



 それでは次週、何処でしょう、というと東北の方は思い当たるところがあるかもしれませんね。昨日の郡山には行けず、残念でした。

今度こそは!(VI)

Moji1  長く続いた今回の遠征。やっと今日家に辿り着き、やっと安心してブログを書くことが出来ます。



 まずは一昨日終わった先回の続きから。昨日は、まず長崎駅に向かいました。駅には、写真の通り、キハ66 1が。最初の国鉄色です。中は転換クロスシート、筑豊地区が以前の中心で、急行”日田”にも使われたことがあります。





Moji2  長崎からは長崎電気軌道へ。長崎駅から蛍茶屋へ(写真)。後の”ロイヤルホスト”の下には、地下式の車庫があります。













Moji3  そして、正覚寺下、石橋、赤迫と巡り、戻ってきたのは浦上車庫(写真)。本社、工場があり、周辺は専用軌道です。













Moji4  長崎市内が終わったら、2回戦は諫早へ。大好きな、島原鉄道へやってきました。本当は加津佐まで行きたいのですが、時間の都合で断念。しかも乗ったのは南島原まで急行だったので、いいチャンスでしたが、また次回へ。



 南島原には、キハ20国鉄色が2両になっていました(写真)。13(手前)、16です。







Moji5  奥には以前紹介した島鉄独自の塗色の、キハ20 18(左)、19が(写真)。















Moji6  戻る途中、島鉄本社前駅で発見した、C12 01です(写真)。















Moji7_1  諫早に戻り、”かもめ”で博多へ。そこから更に千早へ。そう、3回戦、西鉄宮地岳線です。JRとの乗換は、香椎線の和白?それとも本線の香椎?と思っていると、「乗換案内」の指示は、千早(西鉄千早)と出ます。ここなら駅は隣り合わせなので、乗り換えは便利です。そして終点の津屋崎へ辿り着きました。写真は駅舎です。









Moji8  改札を出てホーム先へ。写真には、終端に停まる電車と、高校生が写っています。実は津屋崎は、海水浴場なんだそうです。













Moji9  千早からJRに戻り、食事をすると、日が暮れてきます。夜になり、お帰りの時間です。4回戦、鳥栖の”なは””あかつき”です。写真は、左の指定位置通り到着し”なは”から解放されるED76 70です。普通電車の僅か4分の合間に回送されました。











Moji10  すると3番線に、長崎本線から”あかつき”が入ってきます(写真)。指定位置には、門司までの機関士と、入換の職員が立っており、構内無線のテストの後、一旦博多側に出ます。











Moji11  鹿児島本線上り本線から、1番線に向け”あかつき”がバックしてきます(写真)。















Moji12  連結し、出発進行!















Moji13  鳥栖から2時間近く、門司到着です。ED76はここで解放されます(写真)。















Moji14  下関までの機関車、EF81、またしても410です(写真)。余程調子が良いのか、それとも他が悪いのか、事実上九州特急が2往復となり、必要ないのか。確か最近まで同型機を4両保有していると聞いているのですが。いざとなれば、JR貨物から借りる、という方法もあるのですが。









Moji15  安眠し、朝の京都駅、”なは””あかつき”終着の図(写真)。平日はこちら側、2番線です。



 ずいぶん派手に楽しんだものでした。また明日からはしっかり働きます。あー長かった!

今度こそは!(V)

Tiku1  今回の遠征も5日目、車中を合わせ5泊目を迎えています。よく散財したものだとは思います。



 今朝は寝坊をしてしまい、気付くと既に出発10分前!期待していた朝食を摂る時間もなく、残念。次回はよろしくお願いします。



 慌てて電車に飛び乗り、向かったのは門司。すると、下り関門トンネル側から、EF81 410(昨日の門司行きと同じカマ)が、”はやぶさ””富士”を牽引してきます(写真)。



Tiku2  これも3日前と同じですが、今日の”はやぶさ”の牽引機、ED76 92が入線します(写真)。













Tiku3  準備がすみ、”はやぶさ”出発進行!(写真)















Tiku4  気付くと、EF81の平成になってからの新造車、453号機が、一般400番台機と重連で関門トンネルを目指します(写真)。













Tiku5  残された”富士”の牽引機、ED76 70号機がお迎えに来ます(写真)。















Tiku6  連結、準備完了、出発進行!(写真)















Tiku7  さあ次へ行こう、と思い電車に乗る準備をします。すると、電車は下関発小倉行き、415系国鉄交直流一般色の電車が(写真)。クハ411 329です。昔は常磐線でもよく見られた塗色です。415系は50Hz、60Hz両用なので、区別の線はありません。











Tiku8  小倉でさらに乗り換え、行橋へ。2回戦、平成筑豊鉄道のディーゼルカーが入線します(写真)。単純に行橋~直方間を一方通行するだけなら900円で、フリー切符は1,000円です。往復、途中下車、糸田線等、いろいろな要素から適切な判断をしましょう。











Tiku9  平筑線の本社工場は金田です。色々な車両が待機しています(写真)。















Tiku10  終点、直方に到着(写真)。















Tiku11  そのままJRで博多か折尾へ単純に直通すれば良いのですが、3回戦、筑豊電鉄を選びました。駅前通を東に、旧国道の県道を北へ、およそ1キロ歩くと、筑鉄直方に辿り着きます。駅前の写真は喪失してしまいました。階段を登りホームへ。筑豊電鉄3008は待機していました(写真)。しかし、折角高架にしたのだから、頑張ってJRの駅前まで延長してくださいよ!本当に今日は暑かった!







Tiku12  筑豊電鉄の本社と車庫は楠橋にあります。運転手さんとアテンダントさんが一緒に降りたので、本社の中まで通してもらえたのですが、ちょうど昼時で見学を許可する方が不在でした。そこで、荷物を預かってもらい、「外から写します!」ということになりました。



 その時の1枚目がこれ。工場の横に停まるアルナ工機製3001Aです。







Tiku13  他にも色々撮ったのですが、2枚目はこれ。3連接車、2006Aほか。向きは、3000とは反対です。



 駆け足で撮ったため、結局昼休み中に終わってしまいました。時間を選べば、中に入れてもらえる運の良い方もいるかもしれません。でも、絶対特権意識を持たず、「してはいけないことは絶対しない」ということを守ってください。







Tiku14  また乗車し、終点黒崎駅前に到着(写真)。昔はこの先に西鉄北九州市内線があり、その工場が西黒崎にあったのですが、今日はシャッターが降りていました。













Tiku15  黒崎からJRに戻り、博多へ。4回戦、いつも鳥栖でトイレの最中に行き過ぎた”ゆふいんの森”を撮影しました(写真)。



 そして現在地にいます。連休は今日までですが、まだ帰りません。だから「夏休み」なんですよ。一定の期日に一斉に休む工場のような職場ではなく、故郷へ帰らない人はお盆以外にパラパラと取る事務所のような所で、本当に良かった!



 明日は、帰宅準備日ですが、また車中泊なので、次回は何日でしょう。

今度こそは!(IV)

Miya1  13日の夜に出発し、指折りするほど長い間続いた今回の遠征。今日4回目という事は、3泊目ということか?



 今朝もノロノロと滞在先から出発し、まず目指したのは宮崎。予定より30分早く出発したため、安心して駅に辿り着くと、特急出発まであと2分!慌てて乗車しました。



 南宮崎を出発するとき、窓から、クリーム色の電車が見えました。「あれ、九州一般色はホワイトなのに?」と思い、よく考えると、もしや?と思いました。しかし既に乗車している電車は南宮崎から発車しており、確認できません。まず宮崎に行き、昼食を調達し、20分後の下りに乗車し、改めて南宮崎に向かいました。



 残念ながらその時には南宮崎にはクリーム色は停まっておらず、「無駄足だった」と思い、普通に乗ろうと思ったその普通が、何とお目当ての電車でした!(写真)国鉄交直流急行標準色、鹿児島運転所Gk5編成です。嬉しくて、「やった!」



Miya2  そのまま延岡に到着(写真)。途中特急に抜かれましたが、今日は余裕があります。















Miya3  延岡で下車したのは、高千穂鉄道の現状を見るためです。災害の「その日」以来、このディーゼルカーは取り残されています(写真)。悲しいですね。神話高千穂鉄道の今後に期待しましょう。しかし譲与税が双方に相当重くのしかかるとのこと。いっそのこと、合併しては如何でしょうか。合併なら譲与には当たりませんよ!









Miya4  3番線の奥には貨物列車が(写真)。「電機が入換」と一部で報道されてから、DE10も入りましたが、ED76 81も誘導され入換に従事しています。













Miya5  延岡から上りを目指すところで、行き違いに入った”にちりん”は、何と国鉄特急色でした!(写真)クハ481 230です。編成番号を思い出せるほどは詳しくなく、またデジタルズームでも何処にも出ていません。しかし、横にさりげなく”JNR”と描かれています。









Miya6  そして大分へ。暫くすると真打ち”富士”登場です(写真)。ED76 66、富士山形のヘッドマークをつけています。以前はEF81 400番台が当たっていたのですが。



 なお大分駅周辺の高架化も進み、大分運転所(豊肥久大運転センター)は移転が終了したらしく、昔の転車台等の取り壊しが間もなく始まるようです。記録はお早めに!







Miya7  ”富士”直前の”ソニック”を乗り損ね、1本後の”ソニック”に乗ります。それでも中津で”富士”を追い越し、本当に電車は速い!小倉で下車し、門司を目指しました。



 門司で、「”富士”はまだまだ!」とタカをくくっていると、突然”はやぶさ”が到着します(写真)。慌てて撮ったので、少しブレています。







Miya8  それでも「”富士”が入線した後だろう」と思っていると、着々と準備は進み、”はやぶさ”はED76 70から、EF81 410に機関車を交換します(写真)。この機関車で”富士”の前に出て、連結、下関に向かうのです。











Miya9  ”はやぶさ”から解放されたED76 70は、中線を使い小倉方面へと走り去っていきます(写真)。”はやぶさ”のカマは、前後両方にヘッドマークを付けています。













Miya10  やっと門司に”富士”到着(写真)。「2レ」という表示に合わせ停止します。そして機関車は解放され、門司港方へと走っていきます。













Miya11  そして”はやぶさ”が5番線門司港方から入線します(写真)。















Miya12  連結の瞬間、少し錠開くの状態です(写真)。















Miya13  EF81 410は、出発の合図を待ちます(写真)。















Miya14  信号は青に変わり、出発進行!(写真)















Miya15  すべてが終わってから、”富士”を牽引したED76 66は待機場所から小倉方へ走り去ります(写真)。



 門司機関区、東小倉貨物駅には、多くの興味深い車両群が停まっており(その一部は放置されている)、撮りたかったのですが、メディアもフィルムも丁度切れてしまい、断念。そして本日の滞在先に向かいました。



 というと、今いる場所が分かってしまいそうですね。明日は、今日の続きです。

今度こそは!(III)

Ore1  今回の九州遠征も3日目。今朝は遅めに滞在先を出発し、一路八代を目指しました。



 八代からは、肥薩オレンジ鉄道です(写真)。目的の列車は新幹線乗換駅新八代発の快速で、まだ八代には入線していません。その時間にフリー切符を購入し、乗車しました。





Ore2  快速は川内行きですが、出水で下車します(写真)。車両はHSOR151、”オレンジちゃん”で、転換クロスシートと立派ですが、泣く泣く下車しました。理由は単純、肥薩オレンジ鉄道の車両基地があるからです。











Ore3  もう一つの”オレンジちゃん”は、屋根付き車庫に入っています(写真)。その少し右は車庫、工場です。駅の北側にも、常に1両停まっています。













Ore4  1本後の普通に乗ると、土曜の下校に重なり、一時的に混雑します。しかし阿久根を過ぎると、落ち着いてきました。



 そして川内に到着(写真)。ここからはJRに戻ります。新幹線もいいですが、オレンジ鉄道の美しい風景は、見飽きませんね。









Ore5  鹿児島本線普通の終点、鹿児島中央へ。ここからは指宿枕崎線の”なのはなDX”です(写真)。3号車は指定席です。













Ore6  指定席で指宿に到着です(写真)。















Ore7  注意して車内を見ると、キハ200 1010には、写真のとおり”ローレル賞 1992”というプレートが掲げられています。













Ore8  枕崎側から望む(写真)。奥には枕崎行きも停まっていますが、これに乗車すると、今日のホテルにいつ到着するのかわからなくなってしまうので、断念。ああ、鹿児島交通が今でも残っていたなら!











Ore9  折り返し、鹿児島運転所に停まるキハ140”はやとの風”増結用車両です(写真)。



 車内で、美しい女性から「どちらから来られましたか?」と聞かれ、「名古屋です」と答えると、車内の空気が凍りつきます。しまった、千本松原だ!いまだに薩摩の人々は、木曽三川治水をさせられたことを恨んでいるのです。やはり加害者は忘れ、被害者は被害を反復するのです。まあ私は正確には名古屋ではないので、それでもあまり影響ないのですが、治水神社だけでは徳川・松平は許されませんよ!結果戊辰戦争での会津の悲劇を生んだのですが。



 まあ、狭い日本の国の中なので、これ以上仲違いが起こさないためにも、相互理解を進めるよう、皆さん努力しましょう。



 今日は夢を見て安眠します。

今度こそは!(II)

Kyufu1  昨日予告したとおり、本日は2回目の夏休み(後半戦、これで終わり)で遠征に来ています。今回は、ゴールデンウィークの時不満が残った九州を改めて訪問しています。新ノートの実用化第一回でもあります。



 昨晩写真のとおり名古屋駅から”はやぶさ””富士”に乗車しました。カマはEF66 47号機でした。今回は先回のようなひどい遅延はありませんでした。





Kyufu2  翌朝(今朝)、なぜか新下関で長時間停止します。理由は「線路内に訳のわからん人が闖入」だそうです。その結果僅か数キロの距離で20分あまり遅れてしまいました。写真は下関で回送を待つEF66です。























 しかし直流最強(3,Kyufu3990kW、PSには1.35倍、則ち約5,000PS)でも、交流区間ではEF66は走れません。どんなに時間がかかっても、交直両用のEF81 410(分)に交代します(写真)。













Kyufu4  関門トンネルを抜け、九州島内の交流区間に入りました。九州一つめの駅である門司で、さらに機関車はED76 90に代わります(写真)。JR九州の、寝台特急にはよく使われるカマです。ここから”富士”は分離です。











Kyufu5  ”はやぶさ”は、熊本に到着します(写真)。以前も書いたとおり、ヘッドマークは緑系です。













Kyufu6  ”はやぶさ”を後から(写真)。スハネフ14は白帯、15はステンレス帯で、中身は同様になっていても、外観は一時に比べばらつきが見られます。列車は暫くしてから、悠然と走り去ります。40番台に列車番号は変わっても、やはり千両役者なんですね!













Kyufu7  ここから鹿児島本線を戻り、大牟田へ。大牟田貨物駅には、かつて久留米貨物駅でも見られた(現在は鳥栖貨物駅に吸収)、JR貨物非本線色、DE10 1588が止まっています(写真)。この塗色のDE10は、ATS等が取り外され、本線走行が不可能なため(入換専用)、塗色で区別されています。南にはDE10 1558(国鉄色)も停まっています。







Kyufu8  大牟田からは西鉄。30分おきに福岡天神行き特急、合間に甘木行き各停が走っています。もちろん写真は特急8000系、天神側先頭8016(川崎重工製)です。しかし駆動音はVVVFとは違う感じです。













Kyufu9  大善寺でワンマン各停に乗り換え、甘木へ(写真)。天神から急行なら、分岐駅の宮の陣で乗り換えですが、大牟田からは追い越しの都合から、大善寺で横に乗り換えても、西鉄久留米で暫く待っても結果同じです。電車は7510、VVVFの2両編成でした。











Kyufu10_1  甘木へ行くのは、やはり甘木鉄道のため。西鉄甘木から徒歩数分、駅舎は国鉄当時のままです(写真)。













Kyufu11  甘木鉄道の古いレールバスです(写真)。洗浄線の基山寄りです。















Kyufu12  甘木駅ホームに佇む304(左)、305(写真)。現在の主力は300系です。















Kyufu13  先日の梅雨豪雨で橋梁が損傷し、現在松崎~大板井間はバス代行です(写真)。なるべく早く修復して頂くよう、関係方面のご努力をお願いします。なお、現在臨時ダイヤのため、甘木発通常時09分、39分発だそうです。













Kyufu14  バスから乗り換え、基山に到着します(写真)。基山は数十分に1本、各停と快速が停まるだけで、中距離には不便な場所です。もし甘木線が鳥栖から始まっていたら、今頃はどうなっていただろうか、と思います(きっとまだ今でもJRに残っていましたよ)。



 そして今夜の投宿地に向かいました。現在はホテルで安心して投稿しています。今日の予定は終わりました。明日は何処へ行きましょうか?

今度こそは!

 今夜から早くも夏休み後半戦です。今回は午後まで走る寝台にはしないでくださいね、JR様。

黄昏時に誘われて(後半戦)

Mari1  金曜日に道内で途切れた私の運用。今回はそれから後、自宅に帰るまでの道程のお話です。



 道内の基地を投稿後に出発した私は、一路釧路へ。釧路では、かつて”おおぞら13・14号”として運転され、後に由緒ある”まりも”と名付けられた夜行特急に乗車しました。知らない方には、かつて急行”まりも”は、昭和30年代から40年代にかけて走っていた釧路発函館行きの長距離急行で、釧路から小樽までC57が交代なしで長距離運用をこなしていたため、特に冬場の遅れが常態化し、後に札幌で分離し札幌函館間を”ていね”、さらに”ニセコ”と名前を変え、C62形の最後の運用となり、多くの人の記録に残る列車でした。



 写真は1号車の運用に入っていた、キハ183 210(初期形の機関換装車)です。昭和50年代の北海道の顔です。



Mari2  自由席でありながら各席1人づつ入る感じでした(駅員の方が言うほど多くありませんでした)。そのためか安眠してしまい、気づいたときには既に南千歳まで来てしまいました。慌てて札幌での撮影の準備をしました。



 写真は札幌到着の上り方先頭、キハ183 501です。







Mari3  さあ次の列車、と思うと到着の案内が。特急”利尻”です(写真)。ここで”オホーツク9・10号”が来れば揃い踏みですが、今年から冬季のみの臨時列車になりました。しかし夏休みにも運転しないなんて、ちょっと気が早いのでは。名前が嫌なら、かつての名門急行”大雪”というのは如何でしょうか。









Mari4  そこから毎年行く場所へ乗り換えです。札幌にこれが来るのは早朝深夜のみの、キハ150です(写真は12、後は15)。通常は1両だそうですが、この日は2両に増結でした。











Mari5  用を済ませて札幌に戻り、一路函館へ。”北斗”で函館に着くと、既に”白鳥”は出発を待っています。駅前に広がる函館運転所、そして函館線海峡線分岐合流駅の五稜郭(JR貨物の五稜郭機関区、およびJR北海道青函運転所)は、1日位かけて記録する位車両がありますが、今回は断念。しかしED79 100番台は運用がなくなり放置されていました。しまった、次回は一体いつなんだ!



 そのまま青森に到着します。反対ホームには”きらきら みちのく”が(写真)。これは、現在3編成になった”リゾートしらかみ”と同系統の改造車で、機会があれば是非乗りたいものですね。



Mari6  後をみると、かつての青函連絡船の桟橋跡で、現在八甲田丸と、かつては9600、後にDD13が船内の入換を行った接岸施設が残り(かつては2つだった)、線路跡は公園になっています(写真)。まだまだ駅周辺は再開発の余地がありそうです。なお、上は青森ベイブリッジだそうです。









Mari7  するとディーゼルの音とともにDE10、後に客車が牽かれてきます。”あけぼの”です(写真)。岸壁側がカニ24 109で、絵入りマークが見えます。













Mari8  暫くすると上野方にEF81 138が(写真)。青森運転所の機関車です。これが”あけぼの”の終点上野まで牽引します。かつて東北スジはED75、EF65が多かったのは、黒磯の電気の交直切り替えが地上で行われ、機関車交換が可能だったからです。しかし今はEF81ばかりのようです。









Mari9  ”あけぼの”発車後、暫くするとまたディーゼルの音が。先ほどと同じDE10(今回は1762)が客車を牽引します(写真)。客車は”日本海4号”です。













Mari10  DE10は牽引後2番線で機回しされ、帰庫します。今度は上野・大阪側がカニ24 104です(写真)。”あけぼの””日本海3・2号”は客車も青森運転所ですが、”日本海1・4号”は客車はJR西日本宮原運転所(新大阪駅そば)で、”なは””銀河”の関係か、向きが反対になっています。









Mari11  牽引機はEF81 102号機で、JR西日本敦賀機関区のカマです(写真)。かつて”日本海1・4号”が函館に乗り入れていた頃の写真は、”Tetsu by Seichiro”にてご覧ください。この日のシングルデラックス(A個室)は、かなり空きがありました。











Mari12  そのまま朝を迎え、同機牽引のまま大阪駅に到着です(写真)。















Mari13  折角大阪まで出たのですから、冷たい視線を浴びても写そうと思い、上り”トワイライト”を狙っていました。すると大阪駅の一番奥に、AU12(キノコ形のクーラー、旧式)を積んだ、緑色の列車が入っています。「サシ489でもあるまいし!」と思いましたが、よく考えると時間は11時半、既に下り”トワイライト”の入線時間になっていました。写真は下り”トワイライト”牽引のEF81 113号機です。なお食堂車スシ24は、元は特急電車の食堂車、サシ481及び489の改造車で、客車24系の本来の食堂車(オシ24)は、寝台特急”出雲”廃止とともに形式消滅となっています。



Mari14  長駆1500キロ、”トワイライトエクスプレス”は20分近く遅れ終着駅に到着します(写真)。カマは敦賀で交代した、同機関区のEF81 43号機です。行きの44号機といい、かなりの若番機も専用機に入っているのですね。一体全部で何両位あるのでしょう。少なくとも、”日本海”でアルバイトが出来た位ですから。ただやはり車齢もかなり行っており、そちらも難しいのでしょう。



 ”トワイライト”は発売即完売、しかし2往復の”日本海”はガラガラです。これは絶対アンバランスです。やはり景気が上向いてきたこともあり、贅沢特急復活の兆しです。”日本海”は食堂車も無く、正直見劣りします。まずは現行”トワイライト”を客車第4編成を整備して定期化し、”日本海”1往復を札幌に延長の上食堂車等を整備し、”トワイライト3・4号”として欲しいですね。なお、残すなら車両は青森のまま”日本海1・4号”のスジにして欲しいですね。



 駆け足だった今回の遠征、今度は時間をかけ満足のいく取材にしたいと思いました。関係者の皆様、ありがとうございました。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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