有楽斎?

Yuraku1  皆様、いかがお過ごしでしょうか。今日は、今週2回目となる取材を、東京で行いました。











Yuraku2  派手に遊んだ今年の夏シーズン。そろそろツケが回ってくる頃なのですが、決算では心配ないレベルだったので、折角今日東京メトロの新車のイベントがあるのだから、これに行かない手はないと思い、まず新木場を目指しました。



 しかし東京から新木場まではJR京葉線で行く予定だったため、先日のようにトンネルの途中で足止めをくわされないよう、ただただ祈るのみでした。結果無事新木場まで行けました。



 新木場から東京メトロ新木場検車区へ、確かあんな方向、交通機関って、ないよな、と思い調べると、徒歩30分、と出てきます。「冗談じゃない!」と車も考えましたが、駐車場などあるわけない。よく調べると、都バス臨時便多数と出ており、一安心。結果200円で検車区まで行けました(写真)。



Yuraku3  入口では警視庁と東京消防庁の車両が止まり、キャンペーンをやっています。すぐ南は、東京ヘリポート!川崎市航空消防隊の基地まであります。今日も時々ヘリの離発着がありました。



 キャンペーンの後の方は、電車の車輪、モーター、制御装置、パンタグラフの展示が。多分有楽町線7000系のVVVFへの変更に伴い、余剰となったサイリスタ・チョッパ制御時代の装備と思われます。他の民鉄やJRでサイリスタ・チョッパ制御(正式には電機子チョッパ制御)が主力にならなかったのは、他の制御方式の車両とは制御理論が異なり、併結が不可能だったからです。



 展示の後方は、もう電車が来ています(写真)。手前から、10101(貫通路が開いています)、07-101、7101、7119(VVVF改造済み)、(西武)6012です。



Yuraku4  行列があるのですが、これは記念弁当(今回の主役、東京メトロ10000系をかたどった箱の弁当)と、先行発売する10000系SFメトロカードを購入するための列です。そこまで並んでまで欲しいとは思いませんでした。もし買うつもりなら、朝一番に来なくては。



 行列の向こうの建屋は工場で、中に7029の編成が入っているようです(写真)。







Yuraku5  今回の主役、東京メトロ10000系です(写真)。やはり一番の人集りです。



 昔の停電したペンキ塗りの銀座線や、ステンレス製の波形の帯(後に黒ペンキに変更されましたが)を付けた丸ノ内線、コルゲート外板の日比谷、東西両線までは、日比谷線3000番台、東西線5000番台位しか分かりませんが、名作の千代田線6000系以降、有楽町線7000系、半蔵門線8000系、南北線9000系、と進み、同時に銀座線から01系、丸ノ内線02系、と置き換えが行われました(01系、02系置換完了で両線は打子式(機械式)ATSから電気式に変更されました)。そのまま日比谷線03系、東西線05系(現在増備中)と続き、一編成だけの千代田線06系、今回の有楽町線07系、半蔵門線08系と一巡し(南北線は09系整備に余りに新しすぎる)、一方6000系から8000系まではVVVF改造で当面使えるので、ほぼ充足しています。



 しかし、再来年開通する地下鉄13号線の整備で、新線池袋から分岐し複雑化する有楽町線にどういう車両を入れるのか、そして番号は、といろいろと興味が湧く問題でした。多くの私鉄で50000系を名乗る電車がデビューした今、5桁でも抵抗はありません。9000系の次、10000系は、やはり妥当な番号でしょう。でも、有楽町線小竹向原の行先表示は、下りも上りも複雑怪奇となるでしょうね。なお、今回の新製で、07系の一部が東西線に転属するそうです。これを改番するか(9000系でも実績があります)、要注目です。



Yuraku6  さっきの写真と同じ位置で写すと、信号スイッチが列車のどれかに被るので、位置を変えます。反対から見た、10001(33S)、07-001(55S)、7001(77S)です(写真)。運用を遣り繰りして、全て初号車が並びました。列車番号はカッコの通り、行先表示は全て和光市でした。









Yuraku7  撮影をしていると、西武6000系の手前にコルゲート外板のステンレス車が入線します。「東武だ!」9006の編成が、西武6112の編成と並べられました(写真)。なお、西武は東京メトロ、東武とは100番台の番号の並べ方が反対です。



 高校の通学に使った東上線で、私鉄最多の8000系の後、何故か10000系になり、9000系を飛ばす理由が最初は分かりませんでした。後に9001の一編成が入線し、「10両、長いなあ!」と思っていても、かなり長い間1編成だけでした。和光市から有楽町線が東上線に乗り入れる時に、やっと量産車9002以降が入線し、なるほど!と思いました。9000系は原則地下鉄乗り入れ用で、地上車とはハッキリ区別がつけられていたのでした。後に9050系がデビューする頃には、私は既に東上線沿線から離れていました。



Yuraku8  帰りもバスで新木場まで戻り、有楽町線で月島、大江戸線で勝どきに行きます。パスネットは便利で、メトロ、都営地下鉄間の乗り換えで乗り継ぎ割引をします(今回は70円)。でも、本当は1社に統一してくれるのが一番なのですが。



 勝どきからは都バスで晴海埠頭に行きます。東京都交通局が必死に宣伝していた「バスの日」記念イベントへ行くためです。展示場でもないのにそんな大イベントをする場所があるのか、疑問でしたが、実際は都バス2台、はとバス、他少々の、小さいながらも心温まるイベントでした。写真は今後の主力、ノンステップバスです。子供なら、帽子をかぶって記念撮影もできました。



Yuraku9  すぐ横は岸壁。金網の向こうには東京商船大学、ではなく今は東京海洋大学海洋工学科の帆船が(写真)。奥が日本丸、手前が海王丸です。余程貨物船での不法入国が多いのか、海には近づけません。警備員に撮影のため入りたいと言っても、駄目です、と言われました。



 それで、少し早いとは思いましたが、明日もあるし、本ブログも早く書きたいと思い、バスで東京駅丸の内口、そして新幹線で帰途につきました。



 今回も割とあっさりですが、明日も何処か行けたらいいですね!

大量輸送機関なのですが、

Aik1  皆様、お久しぶりです。今日も新しい投稿をいたします。



 先週”Tetsu”がお休みだったのは、仕事があったため。休日出勤では仕方ありませんが、幸い”三六協定”(労働基準法第36条の規定に基づく労使協定)のお陰で、休日を振り替えてもらい、今日の取材となりました。



 平日に取材ということで、何処に行けばいいか、それとも連休にしようか考えましたが、結局平日を選び、そして平日ならではの取材を行いました。



Aik2  今朝は朝4時に起き、中央線(中央西線)の始発に乗りました。そして高蔵寺、1番線で乗車し3駅、愛知環状鉄道瀬戸口駅に到着しました。



 列車が発車し、暫くすると、やって来ました、朝の愛環始発名古屋行きが!(写真)愛環に入る唯一の113系10連の運用です。単線を走る113系、すごい!なお、この運用は平日のみで、土休日はありません。113系も来年3月までの命と宣告されているので、今後要注意です。









Aik3  列車は当然神領車両区から来るのですが、回送です。理由は、中水野、瀬戸市の各駅の岡崎方面ホームが4連しか対応していないために、ホームからはみ出してしまうからです。折返しは、”エキスポシャトル”が行き違いを行った瀬戸口です。ここはホームが十分に長いです。



 写真は名古屋方先頭のクハ111 2076(N6編成)で、4連はN5編成からモハユニット1つ抜いた編成のようです。この列車に乗車しました。



 瀬戸市、中水野とやや輸送力に余剰が感じられましたが、高蔵寺でドッと乗り込み、やはり当然の措置と気付きます。朝の高蔵寺~大曽根間は、昔は103系から165系まで神領区総動員で対応したのですから。



Aik4  そして高蔵寺から改めて岡崎を目指します。フリーきっぷがあれば、一駅一駅乗降してきちんと調査するのですが、時間的、及び金銭的都合で今回は見送りです。結果単純に乗り鉄に徹しました。写真は終点岡崎に着いたG32編成、2132です。



 そういえば以前の300形はえちぜん鉄道の主力となりましたが、100、及び200形はどうしたのでしょうか。いずれもJR飯田線の119系と同様、101系の廃車発生品を多用していました。



 なお、愛知環状鉄道の車庫及び本社は北野桝塚と三河上郷の間の線路沿いにあるのですが、撮影に行き帰りとも失敗し、残念!







Aik5  寄り道している間に時間が経ったらしく、211系と行き違います。「もう、そんな時間か!」愕然としますが、愛環の取材ならこのJR車両の乗り入れの記事がないのは絶対おかしい、と思ったので、途中下車します。そろそろかなあと構えると、やって来ました、211系K10編成が!(写真)当然4連です。高蔵寺駅6番線の向こうにある、”エキスポシャトル”のために整備された渡り線の有効活用か、データイムには1時間に1本、岡崎まで乗り入れています。その結果、愛環車両は1時間に1本しか走っていません。





Aik6  行先表示は写真の通りです。



 中央線の殺人ラッシュは地元では有名で、名古屋~高蔵寺間はいつも最低7連か8連かなあと思い、ということは高蔵寺で分割併合か、と期待をしたのですが、残念、データイムは4連でした。当然分割併合はありません。悪しからず。









Aik7  そして第2の目的地へ。お迎えのバスがやって来ました(写真)。















Aik8  約10分ほど乗っていると、ループが見えてきます(写真)。これは先回も紹介した新交通システム桃花台線の、桃花台東駅のループです。ここでバスを降り、ピーチライナーに乗車しました。











Aik9  階段を登ると、ちょうど小牧からの車両がやって来ました(写真)。111の編成で、実は5編成あるそうです。以前、変調音が、という話をしましたが、正確にはサイリスタ・チョッパ制御車でした。でも特徴のある変調音です。











Aik10  そのまま小牧まで乗車しました。小牧駅回送のループの前側には安全確認のためのモニターがあり、撮影できません。出発線に入線する列車を撮影しました(写真)。ここで記念DVDを手に入れました。



 なお、9月30日の最終日には、記念一日乗車券も出るそうです。夏と別の絵柄に当たった方は、本当に運が良い!しかし、これが営業終了3日前とは思えない位、静かでした。





Aik11  小牧からは名鉄小牧線です(写真、名鉄300形315)。しかし、本当に名古屋市7000系って、見ないですね。2編成のいずれかでも乗車された方は、ご報告ください。300形と7000系は同時に日車で製造され、システム等共通化されているはずで、運転しにくい、ということは絶対無い筈です。やはり名鉄は遠慮深いのか。









Aik12  まだ時間があったので、更に寄り道、あおなみ線へ。名古屋駅に、1000系1601始め4両が入線します(写真)。この系列も8編成あります。将来的には6連にする予定で、1400台と1500台は飛ばしてあります。











Aik13  稲永から野跡までの間は長く、その間の分岐の先に、あおなみ線の潮凪車庫があります。必死になって構えた結果、なんとか撮影に成功しました(写真)。04と08の編成が今日は停まっています。











Aik14  終点、金城埠頭に到着です(写真)。後の白い斜張橋は、伊勢湾岸自動車道名港中央大橋です。完全な埋め立て地で、駅前には昔から”ポートメッセ名古屋”があり、その後大規模店舗が建ちましたが、主に自動車輸出用のターミナルで、車運船やフェリーが泊まる岸壁です。これらの利用者が乗車することを期待されていました。









Aik15  戻り道、中島駅の向こうに、名古屋貨物ターミナル(東京の大井埠頭にあるのと同じです)があります。しかしこれは車の入口がある所であり(国道1号線に面している)、ターミナルは非常に大きいです。そのため、北の端は2駅先の荒子駅の前まであります。写真は荒子駅近辺に停まる、ND552 13です。



 なお新幹線訴訟の結果生じた余剰地に建設され、未成のまま終わった名古屋南貨物線は、官報で競売に出され、構造物は解体するそうです。合掌。



 最後に、「ささしまライブ」で下車。足下は関西線、少し西には名古屋車両所、北には近鉄米野検車区があり、見飽きませんが、架線及び支持物等が支障となり写真としては失格です。でも、15分間、十分に楽しめました。



 鉄道系は、「大量に」「正確に」「経済的に」輸送するのに最も適した輸送機関なのですが、愛知環状鉄道はともかく、先回の「ゆとりーとライン」、「ピーチライナー」、今回の「あおなみ線」、そしてそのうち取材する予定の「リニモ」、このいずれも十分に機能していません。やはり県民性なんでしょうか。



 東京近辺で、「車通勤している」と言うと、笑われます。多分真顔で、「仕事している間、車、どこ置いておくの?」と聞かれます。大手町、霞ヶ関、新宿、あれだけ巨大なオフィスビルがあっても、何れにも職員用駐車場ビルはありません。賃借料と固定資産税の無駄でしかないからです。



 さらに、「いつ寝るの?前の晩に出ないと、仕事に遅刻するんじゃない?」と言われるでしょう。関東地方は、片側1車線の、名古屋ではどこにでもあるような道路でも「○○街道」と名前が付くほど、道路整備が遅れています。渋滞は日常的、車系は全く当てになりません。下手すれば、車では本当に前の晩に出ないと間に合わない所(新幹線通勤の那須塩原(東京から5駅、日光より遠い)もあります)から通う人も、相当数いるのです。東京の一流企業では、仕事ぶりと同一視されるでしょう。例外は政治家、社長、高級官僚で、お迎えの車に乗れば出勤、通勤と仕事が曖昧(言い方を変えれば、午前3時に仕事で呼び出されることもある)になってしまうくらいの世界の方、位ですかね。まあ平民とは関係のない世界です。



 言いたいことは一杯ありますが、この位で抑えておきます。今は環境の時代、私たちも考え直すべき時が来ているのかもしれません。今回はこれで終わります。

デジカメの画素数という問題

 先日あるイベントで、主催者側として待たされる機会があり、その時に、ふと雑談を気にとめると、デジカメの性能の論評をしている人がいました。



 その話を要約すると、画素数が多く、変換エンジンが優れたものがよい、ということでした。結局キャノンが一番という結論でした。それ自体は決して間違いではないとは思います。



 しかし、まず画素数の話をすると、プロフェッショナルや、芸術写真の大判プリントを得たいと思う人ならともかく、通常パソコンのみで処理する人に、本当に画素数は重要でしょうか。普通のパソコンのモニターは1,024×768ドットであり、これを計算すると786,432ドットとはじき出されます。つまり、1ドット1画素で処理されるなら、約80万画素で十分、という結論になります。勿論写真は3:2、画面は4:3あるいは16:9であり、多少サイズは異なりこの誤差は修正しなければいけませんが、それでも100万あれば十分、という結論になるはずです。



 これは別の人ですが、あるデジ一眼の写真をwebで公開するのに、カメラに設定されたままの画像をそのまま送信し、ADSLなのに通信が止まる、という話をしていました。いくらADSLが速いといっても、それは受信の話、非対称通信のため送信は受信ほどは速くなく、結果アップロードは厳しいでしょう。私は画像を軽くすると良いのでは、と答えておきました。その先は本人が良い処理ソフトに出会えるかどうかだけです。



 はっきり言えることは、web上で公開するにはそれほど大きい画像は必要ない、ということです。旅先でも投稿する”Tetsu”はおろか、自宅で作成する”Tetsu By Seichiro”だって、10万画素のデジカメ並の大きさしかありません。ただJPEGの画質(圧縮率)を下げず、高画質(画質60~100)で処理しているので、それほど画像は汚くありません。それでも、数十キロバイトでしかなく、28.8Kモデムでも時間がかからずダウンロード出来ると思いますが、如何でしょうか。



 ただやはりデジカメで写真を撮るのなら、たまにはA3で焼いてみたい、と思うこともあるでしょう。それを思うと、やはり100万画素では足りないかもしれません。135では駄目、中版でなければ、というプロのフィルム写真と同じ理由で、やはり写す時は大きく写さないと、見苦しい印刷結果、ということになるかもしれません。それを思うと、結論は大きく写し、web公開時に軽くする、というのがやはり良いのでは?小さくするのは簡単ですが、大きくするのは不可能なんですから。



 次の変換エンジンの話ですが、これはやはり昔の玩具に毛が生えた程度の時代には非常に重要でした。まず、スイッチを入れてから準備に時間がかかりすぎる、その結果シャッターチャンスを逃す、という時代が長く続きました。だから、やはりハイエンド以下では待機時に処理が写真とモニターの二重となり厳しいですが、一眼はフィルム時代に完成された技術で、撮影の瞬間以外はCCD素子を使わず、結果劇的に速くなります。やはり一眼レフという仕組みは、カメラとしては完成された形態なんですよ。



 つまりハイエンド以下では全てを左右する変換エンジンの処理速度、等々は、一眼デジタルでは致命的な欠陥(次の写真に間に合わないとか、色処理が良くないとか)でない限りは、それほど大きくないということになります。勿論速くて優れていた方が良いのでしょうが、少なくとも連写をしない私には、それほど大きな問題ではないように思われます。仮に色合いが悪いなら、青い電車が赤くなるほどデジタル加工も出来るのですから、致命的欠陥でなければ良いんですよ。



 デジカメの技術は、僅か数年で劇的に発展しました。3ヶ月すると目移りするようなデジカメが発売されます。それは資本主義として仕方ないことです。しかし多くの人はそのデジカメ全部は買えないのですから、ある程度は妥協しないといけません。やはり2年、でしょうね。その位すると、やはり致命的に時代遅れになり、買わざるを得ない、と思うものです。逆に言うと、石の上にも三年ではありませんが、やはり2年は辛抱しなければならないのです。



 ご存じの通り私は今でもニコン派で、D200がほとんど、D70さえ今ではほとんど使いません。D80発売はショックですが、まあD200と心中すると決めたので、買いません。2年後、おそらくD300と呼ばれるであろう新中級機が出るまでは、辛抱したいと思います。カメラばかり買って、どこにも行けない、では意味がありませんから。



 そういえば中古カメラ店で言われました。「F100は、あったら買われた方が良いですよ!」と。本当はもう1台F100を買いたいのですが、お金もさることながら、F100そのものがもう市場から消滅してしまったのです。F80なら新品もありますが、いまさら2台目を買う気はしません。できればニコンにはファンの信を問うて欲しいのです。「最後の新型フィルム一眼を造っていいですか?」と。たぶん開発最中に断念したであろうF200、そしてそれをベースにした最終完成形、F7でフィナーレを迎えて欲しいのです。やはりペンタックスの”IST”並のフィルム一眼がなければ、代表メーカーではないですよ。液晶パネル、USBコントロールの2点はやはり外せません。私は、最後の奇跡を信じたいです。



 なお今週末は遠征の予定はありません。来週に乞うご期待!

秋風に誘われて(III)

Siti1  連休前日に始まった今回の遠征、今日結末を迎え、帰宅しました。それでは今日の活動報告を。



 今朝起きてホテルの窓を開けると、周りは雨に濡れ、やはりそうかと納得。天気予報は当たりました。チェックアウトし、外に出て傘を開くと、突風に吹かれ骨が2本折れ、結局放棄しました。



 函館駅には”白鳥”、485系3000番台が入線します(写真)。JR東日本青森車両センターの車両で、羽越線で脱線した”いなほ”と同系列です。今日は指定が多かったのか、通常6両の所8両です。



Siti2  同列車に乗車すると、通常時速140キロで全力疾走をする青函トンネルの中で、列車が停車します。この”白鳥”は竜飛海底駅見学の車両でした(写真)。













Siti3  そのまま乗車し、三沢で下車。雨が激しく降りしきる中、折れた傘でも持っておくべきだったと後悔しながら、十和田観光鉄道に乗車しました(写真)。













Siti4  七百で下車します。雨が更に強くなり、最悪です。駅西方には、前にED402、後にED301が停まっています(写真)。













Siti5  駅前に工場があります。工場の入口はシャッターが開いており、中にモハ3401が整備中です(写真)。水銀灯の色被りは修正できませんでした。雨の中撮影を続けるうちに電車をしまい、庫の入口の扉を閉めました。











Siti6  その結果、東急の車両に隠れていたモハ3603が、ホームから見えるようになりました(写真)。



 本当は十和田市にも行きたい気はしましたが、帰りの時間が遅くなりそうで、断念。その結果今日の取材はこれだけです。



 そのまま三沢、八戸、東京と行きましたが、八戸で遅延数分、盛岡で併結の”こまち”で約10分、結果上野で約9分でしたが、東京のホーム入線に手間取り、約11分遅れました。そのため12分で乗り換え予定だった”のぞみ”に1分で乗り換える必要があり、必死に走りました。ああ大変だった!



 ただやはり十和田観光電鉄も、博物館ではありません。ホームページでも、有償で旧式機関車や電車の運転もすると出ています。個人でするには高い金額ですが、レールマガジンやRMモデルズあたりで借り切って撮影、なんてのはどうでしょうか。



 そういえば昨日言っていた遅延の話ですが、”日本海1~4号”は運休、東北線槻木や氏家で電車が停止で、散々だったようです。しかしこれらは全て予告してやっていることですので、逮捕するかどうかは別ですが、明らかに威力業務妨害なのです。因みに、電車を転覆させても破壊活動ではないので、破壊活動防止法は適用されません。どうすると適用されるか、皆さんも法律の勉強をしてください。



 いろいろありましたが、なんとか無事帰宅できました。関係者の皆様、ご協力ありがとうございました。

秋風に誘われて(II)

Hako1  今回の遠征も3日目になりました。今日の活動報告を。



 今日まずは函館を目指しました。函館駅には、”スーパー白鳥”との乗り換えを待つ、”スーパー北斗”キハ281系です(写真)。しかも写真の車両は、試作車キハ281 901でした。車体傾斜装置である振り子制御を、在来からのコロ軸受式(当車はコロ軸受式)にすべきか、ベアリングガイド式にすべきか、耐寒雪と共にテストし、ベアリングガイド式に落ち着くまでの実験が行われました。当初は”HEAT”(Hokkaido Experimental Advanced Trainの頭文字)と書かれ、同線のキハ183系も”HET”と入っていましたが、今はキハ283系共々”Furico"になりました。



Hako2  函館駅6番線ホームの向こう側は、かつての青函連絡船の名残で、ヤード跡の線路が残り、車両が現用、保留とも多く残っています。まず1枚目は、転車台の向こうに停まる781系”ドラえもん海底列車”編成です(写真)。快速”海峡”廃止後、吉岡海底駅行きに使用されましたが、北海道新幹線工事に伴い同駅が使用不可になったため(工事に使用)、運用が無くなりました。今後余剰先頭車とともに、何処へ行くのでしょう。







Hako3  2枚目は、国鉄色に復帰した、キハ183 2です(写真)。試作車900番台廃車の後、キハ183 1及び2、キハ182 1及び2という量産車1、2番を函館運転所転属の上国鉄色に復帰させたのですが、今日はJR北海道一般色と連結されています。なお、後で他の3両は1本奥の線に入っていることが分かりました。









Hako4_1  そして各停に乗車し、窓の向こうには、JR北海道函館運転所が(写真)。入換用DE10の奥に、北斗星色DD51が入っています。













Hako5  五稜郭駅に到着。しかし本物の五稜郭からは、約2キロ離れています。駅のすぐ西側はJR北海道五稜郭車両所です。今日は休日なので、トラバーサどころか何も動いていません。奥にはキハ56 202(写真)や、オハ50 5006等が停まっています。駅からでは6、7番線の貨物側線の貨車で見えませんが、駅を出て、少し歩き「ヤマダ電機」の北側にある歩道橋からは良く見渡せます。







Hako6  すると、前後から汽笛が。前からは、青函トンネルを越え運用から解放されたEH500 11が、側線を通り五稜郭機関区に向かいます(写真)。













Hako7  同時に、これから北海道での牽引機、DF200 5がコキ50000に向け接近します(写真)。そして「ガチャン」の音とともに連結、制動試験の後、出発も捉えることが出来ました。











Hako8  歩道橋を降り、更に北を目指します。線路脇に造られた児童遊園から、赤い更新色のDD51 1150、青い更新色のDD51 1155、ほかDF200等、JR貨物の機関車が見えます(写真)。そうでしょう、ここはJR貨物五稜郭機関区の横ですから。一番草が伸びている時期で、見にくいですが、雪が降る直前、冬直前なら良いかもしれません。









Hako9  更に北を目指すと、突然機関区を潜る道路に出くわします。高さ1.7メートルまで、幅も歩行者にはきわどいカルバートです。その真ん中に、南「JR貨物五稜郭機関区」北「JR北海道青函派出所」と書かれた入り口があります(写真)。真上にはED79 12が止まっています。









Hako10  反対側に出ると、草むらで、その奥は防雪も兼ねているであろうフェンスです。「もうあかん!」と諦めそうな所で、車がその草むらの中に入っていて、踏み分け道があります。草むらを掻き分け山を登るのが仕事の私、「行ってみるか!」と分け入ると、線路ギリギリの所で、撮りたかったED79 100番台の最後の姿を捉えることが出来ました(写真)。手前が107、次が104、その後は不明です。



 ED79 100番台は、0番台同様ED75 700番台の改造車ですが、重連補機専用で、ATC受電子も片側しか取り付けられず、青函トンネル単独運用は禁止されています。しかも改造が0番台より小規模で終わり、性能特性も多少0番台と異なるため、抵抗器を入れ補正しているそうです。EH500の増備で、まず最初に槍玉に挙がる運命にありました。



 一応撮影場所は線路外でありますが、皆さんが同じような写真を撮るときには、決して鉄道会社の営業に支障しないよう、お気を付けください。



Hako11  帰り道、此処もいける!と登ると、カメラに蜘蛛の巣がくっつき、大変でした。しかし、目の前にはED79 12が(写真)。ここはJR北海道の線路です。













Hako12  その北側は、こちらも葬送行進曲、ED79 15、ほか5両です(写真)。快速”海峡”が廃止され、JR北海道でもED79は余剰になりました。ドラえもん塗装は無いものの、鉄道ファンとしてはあまり見たくない光景です。











Hako13  その東には、EH500、ED79 0番台、その間にED79 50番台(白いボディに赤い扉の機関車、平成になってからの新造車)が見えます(写真)。



 来た道を戻り、国道5号線へ。国道ならバスが通っていそうですが、JRと競争になるらしく、時間1本、乃至それ以下です。結局JR五稜郭駅に行き、時間2本以下なのに、僅か10分で乗車でき、函館へ戻りました。







Hako14  函館駅に戻ったので、そういえば市電を乗りつぶしていないなあ、と思い、JRから市電に向かうと、なんと一発で函館名物、”函館ハイカラ号”(旧字体出なくてごめんなさい)がやってきました!何という偶然!当然撮影し(写真)、最後には乗車してしまいました。この車両は、車体は平成になってからの新造ですが、台車は当時のブリルをそのまま利用したのだそうです。2軸単車で少し厳しいですが、当時が偲ばれます。







Hako15_1  そして乗りつぶし、湯ノ川温泉から戻り駒場車庫で下車しました。ここに函館市交通局局舎、その他基地、工場があります(写真)。そして乗車し、今日のホテルに辿り着きました。



 明日の天候は台風も心配ですが、先日の往き道に、大声で話す男女によると、明日9月18日は全国的に鉄道が遅延するそうです。何で知っているのか?もし人為的なら、それは「威力業務妨害罪」に該当する行為です。どうせ捕まらないから、でしょうか。皆さん、お気を付けください。



 明日は、今日の続きですが、こちらは雨模様なこともあり、行動は制限されそうです。それでは皆様、また次回。

秋風に誘われて(I)

Konan1  一日中暑かった時期から、朝晩は涼しく感じるようになった今日この頃。皆様如何お過ごしでしょうか。ウィークリーとなってしまった本ブログ、今日は東北から投稿しています。



 昨日午後に自宅を発ち、今回は何と飛行機に乗ってしまいました。この時期、何も割引は無いように見えますが、今回は”バースデー割引”が使えたこともあり、本当に半額で来てしまいました。友人が同社のパイロットでもあり、その応援も兼ねています。



 そして今日ホテルを出発し、まず向かったのは大鰐温泉。目の前に、弘南電鉄大鰐駅があります(写真)。先回の東北訪問時は、指をくわえて見ていただけだったので、何よりも行きたい所でした。JR様。”日本海3号”を今後も営業するなら、大鰐温泉にも停めてくださいよ!左は古いステンレス6008、右は現行の元東急、7036です。



Konan2  一度改札を戻り、JRホームへ。こちらの方が当然有効長が長く、奥まで写せます。冬には欠かせないラッセル車、キ105の後ろ姿です(写真)。これを押す電気機関車は、何処へ行ったのでしょう。



 弘南電鉄大鰐駅では、某民鉄に就職が決まっているという学生さんが、卒論のためアンケートを取っています。設計も知っているということで、鉄道には道路構造令みたいな規定は無いのでしょうが、省令、法律、しっかり勉強してね!でも実は軌道法では、閉塞は必要なかったって、知ってました?



Konan3  横を見ると、コンテナ貨車を牽く、EF81 502号機(EF81の平成製造の最終グループ)がやってきました(写真)。でも秋でこんなに汚れてたら、雪の時期、そしてその後は悲惨ですよ!











Konan4  名残惜しく大鰐を発車。途中の多分津軽大沢の庫には、話題の電機、ED221、そして多くの電車が停まっています(写真)。













Konan5  そして終点中央弘前に到着(写真)。減量ダイヤか、以前は確実に30分に1本あった弘南鉄道(両線)、ともに昼間は1時間おきになってしまいました。後追いが出来ないので、車庫の取材等には大きなネックです。



 中央弘前とJR弘前の間は離れ、バスないしタクシーを覚悟していましたが、駅で聞くと、「徒歩17分です」とのことでした。実際十数分で歩けました。でも、何で弘前にはタイ焼き屋が多いんでしょう?そのうち弘前名物に出来るんじゃないですか?



Konan6  JR弘前に到着。モダンな橋上駅を越え、反対側、弘南線ホームへ。JRの駅を見ると、日本海縦貫線では珍しい、ED75で、その中でも更に珍しいP形、1009号機が入換作業中です(写真)。











Konan7  そして弘南線に乗車。車庫のある平賀には、ED333、ほか元東急のステンレス、更に古い元南海もあります(写真)。













Konan8  黒石に到着(写真)。キ104、ほか色々な車両が停まっています。















Konan9  旧黒石線ホーム(写真)。雪がないと、こんな風です。奥は黒石線工場でした。















Konan10  来た道を戻り、田舎館にはキハ22の最後の姿が(写真)。保存され幸せか、ここまでして生き残るべきか、判断の難しい所です。













Konan11
 そして弘前へ。”リゾートしらかみ”橅編成が入線します(写真)。キハ48 702です。















Konan12  この列車で五所川原へ。反対ホームには同”リゾートしらかみ”くまげら編成(キハ48 704)です(写真)。行き違い、撮影の狙い目ですが、車でなきゃそんな写真は無理ですよ!











Konan13  五所川原からは津軽鉄道。JRホームから見ると、手前がナハフ1201(客車なんですね!)、キハ22027、同型の3両です(写真)。













Konan14  津軽五所川原のホームの奥には、冬のストーブ列車用のディーゼル機関車が入っています(写真)。













Konan15  「走れメロス」に乗り津軽中里に到着(写真)。南側には昔のディーゼルカー、以前はその向こうに客車もありましたが、鉄道博物館の資料とするため、大宮に輸送されました。











Konan16_1  そして五所川原まで戻ります。少々の遅れで”リゾートしらかみ”青池編成が入線します(写真)。これで日没、撮影終了です。そしてホテルへ戻りました。



 こんな感じで今日の日程を終えました。明日はどうしましょうか。

デジカメ対リバーサル(III)

 2年前、通信試験後に初めて書いた記事が、「デジカメ対リバーサル」で、今年の1月に「デジカメ対リバーサル(II)」という記事を書きました。そして今回、「デジカメ対リバーサル(III)」になったのですが、その後の心境の変化をご報告申し上げます。



 先日大井川鉄道井川線を訪問したとき、帰り道にデジタルとフィルムの両方の一眼を使っている人と同乗しました。その人はデジタルがメインらしく、メディアの容量の限界までいつも使うのか、連写機能を最大限利用していました。確かにスポーツとかの撮り方としては正解だし、カメラもそのように出来ていますが、持ち替えても同じ風景が写るほど低速な井川線で、そこまでやる必要があるのか、と思い、今回の議論となりました。



 確かにデジカメは、「沢山撮って沢山捨てる」というのが可能で、メディアの中で消去すれば次の写真に再利用できるというのがデジカメの最大の利点となっています。昔のようにフィルムが高価だった時代からは、全く想像のつかない撮影法ですが、正直言って私の原点も此処にある、ということは認めざるをえません。



 しかし私はクラシックカメラファンや、親切な同業者のアドバイスを受け、D100投入後フィルムをリバーサルに切り替えます。コダックやベルビアを月に何十本も使う人には分からないかも知れませんが、やはりリバーサルというと、トータルでは安いのでしょうが、フィルムそのものも現像も高く、それまでのように番号等の記録にはとても勿体ない!結局記録はデジカメオンリーで、決めのショットだけを撮るようになりました。昔デジカメが出る前に仕事の写真で、百数十枚同じような写真を撮って始末書を書かされたということもあり、”無駄”ということに神経を使うようになりました。



 その結果、撮る必要のない写真を撮らない、ということが徹底されるようになり、まずリバーサルから無駄な写真が無くなりました。そりゃそうでしょう、二刀使いが一方で手間取ったら、もう一方はシャッターチャンスなしになってしまいます。そうするうちに、いい加減な写真は撮れなくなり、デジタルはこう、フィルムはこう、とイメージを作り、それに合わせ計画的に写真を撮るようになりました。勿論100キロ以上で疾走する高速列車には通用せず、どちらか一方で(大抵は直ぐに結果が出るデジタルを選択するのですが)、と腹をくくるしかありませんが、少なくとも中途半端な写真を撮らないように、と心がけるようになりました。



 その結果、今の自分が初級か中級かは自分には分かりませんが、表記の井川線で出会った鉄道ファンのような連写の多用は、私には無意味な無駄に映ります。井川線は低速路線ですよ!



 まあ高価なコダックのリバーサルフィルムでも、今のカメラでは36枚を1分に満たない時間で消耗できます。しかしそれだけの消耗を必要とする被写体は、鉄道でもそれほどは無いはずです。だいいち、一枚一枚に対して無責任ですよ!何故その写真を撮ったのかという意味がなければ、何の意味もない無駄ではないですか?



 一動入魂と、道路の看板にも書かれています(それを知っているのは地元の方だけでしょう)。魂まで入れろとは言いませんが、少なくとも何らかの心を入れなければ、所詮はただの無責任な画像にすぎません。無責任な写真には、他人は何の感情を持ちません。写真とは、記録し、人に伝えるものなのですから、人を感動させろとまでは言いませんが、何かを伝える努力をしなければ。



 たった一台のデジカメから、私の撮影法まで変わったということは間違いまりません。勿論失敗はありますが、今後とも技術の向上を目指し頑張りますので、今後ともご期待ください。でも、デジカメを使うようになると、フィルムの使い方まで変わりますよ!



 明日からはまた遠征です。次回は何日でしょうか?

ゆとりへの道?

Yuto1  昨日は大井川まで日帰りながら大遠征をしました。今日はうって変わって、こちらも心配されている”ゆとりーとライン”(ガイドウェイバス)のプチ取材を行いました。











Yuto2   昨日はブログの投稿が深夜零時数分前で肝を冷やしましたが、今日は特に予定を組んでいなかったので、午後出発でもいいや、とは思っていましたが、あまり遅くに出発すると、つい9日に減量ダイヤを組んだばかりで帰りが遅くなる危険性もあり、日没前に終わらせようと思い、遅めの朝に出発しました。



 ”ゆとりーとライン”は志段味方面のJRバス、名鉄バスを統合し、同時に市バスの整備を行うため、日本初の「ガイドウェイバス」として建設されました。「ガイドウェイバス」の技術はあの三菱ふそうが開発したもので、一般道路はバス、軌道区間ではアクセルだけでハンドル不要の内燃車としてどちらにも使用できる、優れた技術であり、軌道整備がまだ不要の区間では普通の乗合バスとして使用できるという利便性があります。かつて道路に専用レーンを設け”基幹バス”として整備した名古屋市交通局、これはその専用軌道版と言うべきでしょう。名古屋市交通局は赤字でも、整備は怠りません。なおこのシステムは、三菱ふそうと日野自動車のみが装着可能だそうです。



 始発は大曽根です(写真)。2階にコンコース、3階にバス乗り場があります。



Yuto3  バス乗り場に上がり、南側を見ると、出発を待つバスの待機場があります(写真)。ここは高架、地上10メートル位でしょうか。バス5,6台が停められそうです。













Yuto4  乗車し、次の「ナゴヤドーム前矢田」で下車します。地下にはほぼ同時期に開業した地下鉄名城線の同名の駅もあり、ナゴヤドームへ行く人々のため2階のペデストリアンデッキが設けられ、一体的に整備されています(写真)。











Yuto5  写真はガイドウェイバスの前輪に取り付けられた案内輪です。前後左右の案内輪のお陰で、軌道区間ではハンドル操作は必要ありません。しかし、私が運転手なら、自動的に回るハンドルに手を置いてしまいそうです。











Yuto6  砂田橋を出ると、直交の交差点の上を通ることから、速度制限25キロの表示が、軌道法による標識の他、路面にもペイントされています(写真)。













Yuto7  そして小幡緑地を過ぎると高架は地表に降り、切り替え点へ(写真)。前輪の案内輪を格納すると、遮断器が上がり、一般バス区間へ入っていきます。そして交差点から一般道路へ入ります。











Yuto8  私の乗ったバスは、瀬戸みずの坂で終点です。住宅地の中のバス停が終点で、回送のバスは先へ進みます。追いかけると、都市再生機構保有の雑草だらけの土地の中にバスが停まっています(写真)。ここが待機場なのでしょう。なおJRバスの車庫は瀬戸追分の瀬戸営業所で、営業時はみずの坂まで回送するようです。



 次の目的地のため、愛環の中水野駅を目指します。しかし地図では1キロの道程も、ショートカットが無く大変!着いた頃には汗だくでした。



Yuto9  たった一駅のため中水野で30分近く電車を待って、やっと辿り着いた高蔵寺。高蔵寺駅南口から”ゆとりーとライン”大曽根行きが発車します。しかし時刻表を見ると、つい8日までは20分に1本あったバスが、なんと休日は1時間に1本!しかも今さっき出たばかりでした。約1時間、暑い中大変でした。しかし雑談の中、通りがかりの人にアートへの目覚めを促されてしまいました。



 ギリギリまで下りが来ないので、もう来ないのか、と諦めかけたその時、予想外の道からやって来ました(写真)。名鉄バスは、高蔵寺営業所が担当で、北口の向こうにある営業所から回送されてきたのでした。一安心、一安心。



Yuto10  折角乗れたのに、また中志段味で下車です。理由は、ここに将来「志段味営業所」と呼ばれるべき基地があるからです(写真)。現在は仮設の局舎と駐車場、そして周辺は草ボウボウですが、それもその筈、現在下志段味、中志段味、そして上志段味の各地区では区画整理が行われており、周辺も、そして”ゆとりーとライン”のメインルートである県道名古屋多治見線も拡幅され大きく変動するからです。しかし、あと10年で本当に整備が終わるのでしょうか。





Yuto11  中志段味からは10分に1本は確保され、確実にバスは来ます。しかし、ひねくれ者の私は、わざわざ30分バス停で待って、遠回りな志段味スポーツセンター経由のバスに乗りました。この線で市バスは初めてでした。



 そして軌道の一つ手前、竜泉寺口で下車。少し歩くと、「名古屋ガイドウェイバス本社」ビルが見えてきます(写真)。







Yuto12  本社の奥は、自動車軌道切り替え点で、その先に折返場、さらに一般道路との出入口の交差点があります(写真)。高架は”ゆとりーとライン”の軌道、奥の屋根付きの構造物は、小幡緑地駅です。











Yuto13  切り替え点に下りバスがやって来ます(写真)。















Yuto14  案内輪を格納し、準備が出来ると遮断機が上がり、発車します(写真)。上りは、反対のことを行います。













Yuto15  そしてまた乗車します。そして砂田橋で下車します(写真)。これも立派な構造物です。地下鉄砂田橋駅からは、2番出口のエレベーターに乗ると、直接小幡方面バス乗り場に行くことが出来るそうです。



 先日の桃花台線廃止決定の衝撃で、本”ゆとりーとライン”、”あおなみ線”、”リニモ”は抜本的な対策を迫られています。駅まで行くのが面倒、等の理由で、定時性の確保が簡単な鉄道系は、名古屋ではあまり受けないようです。県民性、なんですかね。



 私の会社は、実はこの”ゆとりーとライン”沿いにあります。しかし、自動車軌道併用のため料金が割高なことから、通勤使用は認めず、ただ単に通勤不便地ではないという理由付けの為にだけ、計算に利用するのです。この話を名古屋市が聞いたら、何と言うか。確かにバス定期の計算は”駅すぱあと””乗換案内”等でも面倒ですが、それだけでしょうか。



 まあ不平は言い出せばきりがありませんが、これらの交通機関の利用者が一人でも多くなるよう願うのみです。



 追伸 桃花台ニュータウンって、千葉のユーカリが丘をも下回るんですねえ!

南アルプスに分け入って、

Ikawa1  先週の関西方面から1週間経ちました。今日は日帰りで、大井川鉄道を訪問しました。



 普通大井川鉄道というと、SLを思い浮かべるのですが、それは普通で、今回はいつも終点と思っている千頭から先を目指すべく、朝4時に起きるつもりでしたが、仮に初電で金谷を目指しても、結果7時出発と同じ時間にしか帰って来れないことから、「だったら7時でいいや!」と通常並の時間に起き、出発しました。



 予定通り金谷に着くと、やって来ます、元近鉄南大阪線の特急車、16000系、16001が(写真)。これは折り返し新金谷行きになります。これに乗車しました。



Ikawa2  坂を下り、新金谷に到着します。工場の方では2本の煙が立ち、いい感じです。千頭行きには30分近く時間があったので、下車します。最初は狭軌時代の近鉄名古屋線特急、6421系のTc、571です(写真)。伊勢湾台風後の改軌による広軌化、後に養老線転属で元に戻り、6が取れ大鉄に入線しました。









Ikawa3  奥の工場前の線路では、C11 312が営業の準備をしています(写真)。丁度フォークリフト改造車で石炭を積み込んでいます。すぐ後ではC11 190がタンクに水を入れているようです。











Ikawa4  C11 190が前進。すると更に後のC11  227が姿を見せます(写真)。先回訪問時は工場内で待機だったため、やっと巡り会えました。今日は団臨合わせ3往復、ピンズにもなった大井川鉄道のC11三兄弟の揃い踏みです。C10 8は今日はお休みです。









Ikawa5  後の電車を撮ろうとすると、汽笛が。312だけ、と思っていると、何と次の190まで一緒です。重連回送か!と思うと転線、洗浄機のある線路に入っていきます(写真)。いつか、SL重連での営業もやってくださいよ!











Ikawa6  後には、元西武300系、313が(写真)。僅か30分とはいえ、あまりにも美味しすぎるお駄賃でした。



 そして駅に戻り、またしても16001に乗車し、千頭に向け出発しました。16000系デビューの頃は、特急でもリクライニングは珍しく、普通車は大抵回転クロスシートでした。背もたれを持ち上げ回転しますが、やはり今ではこれに特別料金は払えません。でも綻びもなく、丁寧に整備しているのがよく分かりました。





Ikawa7  千頭に到着しました。4番線には21002の編成(南海ズームカー)、その横にはミャンマー帰りのC56 44が停まっています(写真)。この辺も整備し、最大4往復、とかはどうでしょうか。でも電車も良いのがいっぱいですよね!











Ikawa8  今回は大井川フリーきっぷではなく、アプトラインフリーきっぷ(8月、11月を除く春秋は5,500円、冬はもっと安い、しかも金谷まで戻らねば2日間有効)のため、井川線も乗車可能です。早速改札内改札を通り、乗車します。写真は最後尾に着くDD20形DD201です。日車、昭和57年製です。









Ikawa9  先頭はクハ604で、客車から機関車を遠隔操作します(写真)。編成は客車3両です。















Ikawa10  川根両国は井川線の基地(写真)。各種車両が待機しています。















Ikawa11  そのまま進み、アプトいちしろに到着。ここからは電化区間で、アプト式電気機関車ED90形、ED903が後からやってきます(写真)。機関車の前にアプト式のラックレールがあるのが分かります。連結、各種試験の後、1,000分の90の勾配に挑みます。











Ikawa12  この区間をアプト式にしたのは、国交省発注の長島ダムが建設されたからです。ダム放水路左下に、旧線の廃トンネルが残っています(写真)。廃線区間は他にもあり、興味をそそられますが、車では近づけない所も多いので、鉄なら出来るだけ井川線に乗車しましょう。









Ikawa13  終点井川に到着(写真)。右手の分岐は、この線を建設する理由となった、中部電力井川ダムに続く線路と思われます。この線を建設した昭和30年前後には、まだ道路は「酷道」だったのです。











Ikawa14  昼食を摂り、来た道を戻ります。アプト区間の上、長島ダムではお迎えのED903がやって来ます(写真)。90パーミルって、こんなに急なんですね!













Ikawa15  アプトいちしろに無事戻り、ED90は解放されます。すると待機線に入ります。待機線にはED90三両が全部揃っています(写真)。交番検査位なら、いちしろ構内で出来そうですが、重検、全検はどこでやるのでしょう。非電化区間をDDが牽引、とかでも面白そうです。



 そして川根両国を撮り直そうと思うと、1両も停まっていません。





Ikawa16_1  そして井川線終点、千頭に到着し、お帰りの大鉄本線はまた16001です(写真)。1本待って、元京阪(畦畔ではありません)3000系に心を動かされましたが、帰宅時間、本ブログ投稿の時間を考え断念。また次回の楽しみです。無事金谷に戻り、帰宅しました。



 今回はこんな感じです。明日は、寝坊しない限りプチ取材したいですね!

タンゴへの道(後半戦)

Kii1  JR福知山線で途切れた昨日。今日はその続きで、和歌山県方面へ足を延ばしました。











Kii2  今朝は”関空快速””紀州路快速”に乗車し、和歌山へ。日根野までは考える必要はありませんが、その先は、車両によって行き先が違います。時間により編成の前後も変わるので、外部の方は注意しましょう。



 和歌山からは、またカフェオレ113の4連でした。終点が目的地です。



 箕島では写真の”くろしお”に抜かれます。その後で、藤並でバラスト敷きの地面を見つけ、「しまった!有田鉄道の取材を忘れてた!」というのに気付きましたが、既に遅し。踏切故障で遅延したものの、そのまま御坊に到着しました。



 御坊では、表題の写真の紀州鉄道が、私たちを待っていました。キハ603、昭和35年新潟鉄工製の暖房車でした。運転手さんも大変ですが、昔なら「石炭くべてるわけでもあるまいし!」と言われるでしょう。まあ、窓も開きますしねえ!それが旧式車の良いところでもあります。



Kii3  途中は兎も角、先ずは終点、西御坊へ。僅かな時間に終着を記録します(写真)。ここで30分以上時間をつぶす気にはなれませんでした。













Kii4  終点表示の向こうにも線路が続いた跡が残っていますが、今は使われていません(写真)。先は日高川方面だそうです。













Kii5  途中でも気になっていましたが、紀伊御坊には工場と、写真の604が。レールバスは今日は運用が無く、工場もシャッターが降りていました。













Kii6  御坊に戻ると、予定より1本早く戻れたので、117系紀勢線色(写真はクハ117 318)が発車を待っています。30分時間を稼いだ、と思い乗車すると、最初の反対方向の御坊行きは113系でも、阪和線快速色でした。そういえば、これが今日の乗車予定の時間に来るなあ、と思い、これに乗車するため、藤並で117系を下車しました。









Kii7  藤並駅改札を越え、駅の旧有田鉄道側には、D51 1085号機が保存されています(写真)。北海道から来たカマだそうですが、カマボコドームで完全な戦時型です。













Kii8  旧有田鉄道の跡です(写真)。バラストだけが、かつてここに鉄道があった面影を残しています。営業中に来なければいけませんでした。













Kii9  さっき渡った跨線橋から望む(写真)。線路の跡もクッキリ残っています。















Kii10  取材を終え、開封前のコーラの缶を落としたら、爆発して中身が吹き出しました。コーラを飲むのは、一体何ヶ月ぶりでしょう。



 そういっている内に30分経ち、和歌山行きがやって来ました(写真)。期待通り、阪和線快速色の113系、しかしヘッドライトが大目玉ではなくシールドビームでした。そうか、反対側だ!と思い出しました。こちらはクハ111 5267(高速改造前は267でしょう)でした。





Kii11  和歌山に到着。「5番線到着」で、確か反対は”わかやま鐵道”で、直ちに乗り換え時間だと思ったら、まだ6、7番線(和歌山線等)もあり、十分に時間もあります。当然6番線で記録写真を撮ります(写真)。クハ111 5500がこちら側の先頭車で、大目玉なのが分かります。



 まあ、同色で153系(形式消滅)なら東海道新快速色で、113系で赤い矢印なら関西線快速色ですが、前者は不可能、後者も関西本線の主力が221系になった今ではダイヤの邪魔になるだけで、復活を願うのはやはりファンの我が儘でしょう。でも、塗り替えるだけですし、紀勢線で並べてみてくださいよ!



Kii12  そしてお帰りは”紀州路快速”です(写真)。223系初期車で、これが現在JR西日本東海道線新快速の主力、223系のベース車なんて事は、知ってたらマニアです。



 そして大阪から新快速に乗りましたが、どうも計画で大阪と京都を間違えたらしく、予定より30分帰るのが遅くなってしまいました。でも、無事に帰れたからいいか!



 本当に関係の皆様にはご迷惑をおかけしました。次回は、来週でしょうか。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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