まだ、早いんじゃない!

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 先日の豊橋市制100年祭りの記事の中で、「名鉄1000系全廃」(正確には名古屋本線特急に入っていない1000系が対象)という話がありました。正確には名鉄のホームページでご確認いただきたいのですが(記者発表の車両新造の記事にあるはずです)、これはまず間違いありません。幸いまだ時間もあり、また名古屋本線豊橋~岐阜間の特急は当面該当しないそうなので、まだ安心はできます。今回はこの名鉄1000系を話題にしたいと思います。



 1000系はバブル真っ最中の昭和63年、まず4連でデビューします。デザインは8800系”パノラマデラックス”を元にしたのでしょうが、界磁チョッパ制御(省エネ制御)の新造車で(8800系は7000系余剰車の電装品の再利用)、曲面ガラスを多用し、流麗な姿となり、正に平成名鉄の顔でした。最終的には4連21編成が製造されます。



 平成3年には前2両、後2両を分割し、一般席車両1200系を新造し6連12本の貫通本線特急用編成が誕生し(100番台が偶数(0,2,4、トイレが3号車)の編成をA編成、奇数(1,3,5、トイレが2号車)の編成をB編成と呼ぶそうです、編成分割によって生じた妙です)、平成4年に1030系(1230系)(いずれも7500系電装品再用車)が投入され、豊橋~岐阜間特急は全て設備が揃いました。ちょうど私が利用するようになった頃です。それまでは豊橋02分、32分の特急は、下手すると一般席は5300系(5000系及び5200系リサイクル車)で、通常は5700系か7000系(パノラマカー)4連、当然指定席は7700系でした。やはり1000系のリクライニングシートには7700系の転換クロスシートは見劣りがし、なるべく15分、45分の特急で帰ろうと、今にしてみれば反対の努力をしていました。



 正直1000系は、私も一番思い入れが深い車両です。通勤用に回数座席指定券を買い、朝の指定をいつも取ったものでした。帰りも余裕があれば指定席に座り、駅からは歓迎されていたようです。あの頃は私も若くて、いい時代でした。1200系だって、今の2200系一般車よりも立派です。ただこちらはそれ程心配ではありません。



 問題は、1000系のみで組成された4連15本の方なんです。ただの通勤特急なら前面曲面ガラスの展望席なんか不要です。しかし敢えてあの形にしたのは、5列20人の展望が役に立つ、観光客を運ぶためだったのです。子供連れならきっと喜ばれるでしょう。だからこれらの編成の主な運用は、内海・河和~新鵜沼・新可児間、すなわち名鉄第二の大動脈、常滑・河和・知多新線~犬山・広見線の、観光特急のためだったのです。距離的には豊橋より近く、岐阜と同程度の距離です。しかし名古屋人的には、この距離に350円を余分に払うのは勿体ない、ということのようです。そのため、これらの線では、特急は必ず金を払わねばならず、不満も大きいようでした。



 その結果、今回の特急政策の大転換となったのでしょう。先回も書きましたが、2200系を増備、1600系を改造し一般車を造り、1200系の無い1000系は廃車、ということだそうです。確かに酷使はあった気はしますが、それにしても廃車は早すぎる!欲しいという鉄道会社は、絶対にあるでしょう。



 それにミュースカイは乗車率も上々、30分ヘッドで走っていますが、これに1000系をプラスして15分ヘッドで走らせては!最も効果的な経営資源の活用だと思うのですが。そのために、セントレア駅ホームは4番線まで準備工が完成しているじゃないですか!



 確かに名鉄はATSへの誘導障害があった時代の名残か、VVVF車は少なく、その前の半導体制御車も余り多くなく、車両をふんだんに投入するJR東海に対し、見劣りを感じるかもしれません。しかしそれならもっと他を考えるべきでは?古いのが多いというのはファンには幸せなことだし、省エネ率が低いというなら、抵抗制御車の制御装置交換という方法だってあります。今の名鉄の陣容は、決して恥ずかしいことはありません。



 名古屋~岐阜間の主導権を失い、他の区間も大変な所が多いですが、幸い名鉄は空港線、とりわけ空港特急は圧倒的な地位を確保して、やっとJRに対抗する資源を得たと言うべきでしょう。それで見回せば、車両、と思うのでしょう。古い車両よ永遠に、なんて馬鹿なことを願ったりはしません。やはり天寿を全うしたら、どこかの公園で保存、というのはやはり仕方ありません。でも1000系が天寿を全うしたと言うには、余りに早いのです。どうか、再検討を。



 なお、7000系は中京競馬場前駅そばに、昭和36年製のトップナンバー(7001)編成のうち、長さの関係か3両だけ残るそうです。やはり世紀の名車、1両でも多くその姿を残して欲しいですね。



 最後に、アスベスト、低床で鬼っ子だった7500系を、お別れ会なしに全廃したのはあまりにもかわいそう。結果重要性に気付かず放置し、私は結局、記録しないまま最期を知りました。残念。

結いの島

Yui3





























 皆様、こんにちは。如何お過ごしでしょうか。



 今回は、”Tetsu”復活第一回の取材を、とうとう沖縄県で行いました。

















Yui1_18  なかなか来る機会が無かった沖縄県。鉄道を追うもの、JRは主要四島しかなく、まだ本当は忙しいのですが、今回は、飛行機のマイレージを使って、沖縄県を、特に「ゆいレール」の取材をしたく訪問しました。



 本州の大半では暖房が付き、皆長袖、コートを着る人もおり、薄手の服では寒かった自宅前。気温25度の所へ行くのだから、薄着で、しかも脱げるよう準備しなくては、と思い長袖Tにシャツ、上着を重ね、出発地対策を。そして飛行機に搭乗し2時間余り、機体は那覇空港に着陸しました。腹ごしらえの沖縄そばに、体中が発火し、予想以上に暖かいということが分かりました。空調の効くところでそうですから、屋外は推して知るべし。最悪の事態でした。



 そして階段を登り通路を渡ると、あった、今回の目的物が!(写真)駅は、そこにありました。



Yui2  駅改札前には、最西端の駅の碑が建っています(写真)。JRなら佐世保、本土なら「たびら平戸口(松浦鉄道)」ですが、今は那覇空港です。











Yui4  発車してすぐの所に、車庫、工場があります(写真)。この先の沿線には、自衛隊の那覇航空基地のゲートがあり、その前には一世を風靡した名機たちが展示されています。











Yui5_1  日本最南端の駅、赤嶺駅です(写真)。最南端の駅の碑があると思ったのですが、探し方不十分で発見できず。タクシー広場の中にあるものと思われます。











Yui6  小禄駅です(写真)。駅前にはイオンの大ショッピングセンターが建っています。













Yui7  奥武山公園駅から眺めた奥武山公園です(写真)。運動公園、遙か先に壺川駅が見えます。ここで、2人連れの女子小学生に、「写真撮って!」と言われましたが、そんな恐ろしいことを私にはさせないで!











Yui8  川を越え、壺川の次、旭橋へ(写真)。奥には、バスターミナルが見えます。













Yui9  ここからは中心街、県庁前にモノレールが接近してきました(写真)。やはり都心部、川の上くらいしか線路を引く場所がないのは、首都高、等々と同じです。この近くから国際通りが始まります。









Yui10  次の美栄橋は、繁華街の北側(沖映通り入口)です(写真)。ここも同様、川の上です。













Yui11  牧志です(写真)。交差する工事中の道路は、国際通りの続きです。













Yui12  一駅、安里です(写真)。この辺りから郊外になるのか、下の道路は幅広く立体的に設計されています。











Yui13  新都心、おもろまちです(写真)。後は複合商業施設です。













Yui14  古島は、高架道路の上に設置され(写真)、直下の高架道路、その下の道に接続する側道、更に一番下にロータリーがあって、タクシーが3段それぞれにいるのは凄いですね。











Yui15  古島から右に曲がり、山岳部へ。市立病院前は、陸上競技なら「心臓破りの坂」と言われるであろうほど勾配はきついです(写真)。モノレールは、はるか手前から計画的に登っているのがわかります。









Yui16  儀保の駅ホームからは、首里城の様子がよく分かります(写真)。終点までもうあと一つです。











Yui17  首里駅です。現在の終点、しかし今後延伸が出来るような構造になっています(写真)。











Yui18  ここまで来たら、行くでしょう、首里城へは(写真)。遅かったので入場時間を過ぎてしまうかと肝を冷やしましたが、大丈夫。11月一杯、7時位まで公開するようです。ゆいレール1日乗車券(2日券以上も、窓口にあります)を購入すると、ここを含め(有料は正殿内のみですが)各地で割引が効くそうですので、皆さんも試してみては如何ですか。



 そして今は旅館にいます。食事はステーキの鉄板焼き、本土では幾らだろうと想像してしまうほど、腹一杯食べました。



 高ければ何でも良い、訳ではありません。安くても良いものは良い(言い方を変えれば、高くても駄目なものもある)ので、ぜひ皆さんもおいでになっては如何ですか。



 なお、明日以降も滞在しますが、”Tetsu”から離れて観光をするので、投稿しません。やはりこのブログは、鉄道のブログで、生活様式とか、おかしな思想とか、他のことを載せるのは、正直言って嫌です。ですので、今週の”Tetsu”は、これで終わりです。

名阪を結ぶ道

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 先日関西に遠征に行った時、近鉄特急を利用しました。行きも帰りも”アーバンライナー”で、時間はそれなりに選んで行ったつもりですが、いずれの列車も窓側はほぼ満席、通路側もかなり埋まっており、利用者は安定、さらに増加が見込める程になりました。難波まで2時間余り、鶴橋なら2時間を切る時間で到着します。”アーバンライナーnext”もデビュー、いずれ全編成(現在は一部のみ)の8両化の検討も始まることでしょう。



 普通の人なら、「新幹線」という言葉を思い浮かべます。日本を代表する高速鉄道、速度と輸送量は圧倒的で、名古屋~新大阪間を”のぞみ”で50分あまり、”こだま”でも70分程度で走行します。本当にあっという間です。



 しかし、私たちに言わせると、梅田等の”キタ”に急いで行くのならともかく、そうでなければ名阪間での新幹線のメリットはそれほど大きくない、と思うのです。金券屋に行けば新幹線の回数券もありますが、近鉄の名阪特急の回数券も大体3,200~3,300円程度で並んでいます(因みに正規料金は4,050円)。つまり、1時間と1,000円を天秤にかけることになるのです。仮に近鉄でも2時間なら、新幹線で東京へ行くのと同程度の時間(我々には航空機という選択はない)であり、それほど苦痛ではないのです。結果、近鉄利用者は安定、さらなる増加につながっているのです。



 かつて明治の太古、官線の東海道線に対し、名阪間で堂々と戦った鉄道があります。その名は「関西鉄道」、現在のJR関西本線です。関西鉄道は乗客誘致を官線と激しく争い、しまいには弁当付きで弁当の値段よりも安く名阪間を輸送し、官線を唖然とさせる事件まで起こします。結局鉄道国有化で決着がつくのですが、それまでは互角だったのです。因みに1等、2等、3等の等級制も、関西鉄道が始まりと言われています。



 今は亀山の東西でJR東海とJR西日本が分かれ、ローカル化も進む関西本線、かつてはそんな路線でした。国鉄時代に名古屋~亀山間と加茂~湊町(現JRなんば)間は電化されましたが、亀山~加茂間は未だにディーゼルカーで営業しており、今春最後の優等列車、急行”かすが”が廃止され、全線で快速(大和路快速)を超える列車は無くなりました。



 しかし名阪間の需要は確実に増えています。名阪間のためだけで”のぞみ”増発をするのは愚行ですが、もし既存の施設でこれに対応できるならば、と考えると、関西本線を全線電化して、特急を走らせたら、ということを思いつきます。かつて大阪と名古屋から別々に伊勢神宮を目指し建設され(近鉄大阪線は合併前、「参宮急行電鉄」だった)、結果合流した伊勢中川まで下ってから名阪を結ぶ近鉄で現在のとおりですから、元々名阪を直接結ぶために建設された関西本線が、仮に単線で線形が悪い(設計速度が低い)としても、十分勝負になるのでは?需要はすぐ増えると思われないのならば、やはり3,4両編成で営業ということでしょうから、JR東海の383系A100番台(4連)の車両か、373系(個人的にはこれに空気バネ傾斜装置を加えて新造車(1000番台とでも名乗るのでしょうか)を期待したいのですが)あたりが適当では?



 ただJR東海は、車両の新造までは積極的ですが、電化や複線化といった輸送量の抜本的改善にはそれほど積極的ではありません。かつて国鉄時代、高山線を電化し振子車(すなわち381系)を入れるという計画もあったそうですが、結局それに対するJR東海の回答は、キハ85を新造することでした。でも、そういった抜本的な施策は現在の輸送量が限界に達してからなのかもしれません。



 その点JR西日本は、電化、複線化、全部積極的ですね!ただ車両までは十分に手が回らず、現在でも昭和40年代製が堂々と主力の座を守っており、国鉄形全廃を目指すJR東日本のお古を購入したほどですから。もし関西線電化を提案したら、JR西は兎も角、大阪人達はきっと、「亀山も”桔梗が丘”にしろ!」と言うでしょう。特急を走らせ途中停車をすれば、なおさらです。実は三重県は関西なんですよ!あっちは言葉も関西弁ですしねえ!



 結局JR東海とJR西日本との関係次第ということです。電化が必要な区間は全てJR西の区間で、今の会社の状況では余り無理は出来ませんが、今後もあることなので、是非検討して欲しいものです。



 電化された関西線を1時間ヘッドで新造特急が走る姿。加太の大築堤とか、撮影してみたいものですね。架線が邪魔、という話もあるでしょうが。



 今回もワガママ放題でしたが、どうかお許しを。次回は、恐らく遠征先です。

After Burner

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 "Tetsu"休載の、所期の目的を達成したので、来週から再開します。



 次回の訪問先は何処でしょうか。ご期待ください。

来ました、来ました!

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 先日、豊田電車区からの帰り道、JR名古屋から中央線(中央西線)に乗車したのですが、乗車した車両がまだ新車のような香りがしたので、気になって車両の確認をしました。



 編成番号は神領車両区B106編成とB107編成、いずれも313系3連でしたが、番号はクモハ及びモハは1600番台、クハは400番台を名乗っていました。クハは他の車両より末尾の番号が2つ大きく、やはりこの前に4連が製造されていることが窺われます。いずれも製造は日車と思われます。仕様は先日運用に投入された5000番台とほぼ同様ですが、シートアレンジは変更されず、1000番台、1500番台と同様です。そのため別番台となったのでしょうが、編成番号は在来車の続番となりました。



 近々、徳庵の近車(近畿車輛)から新車が追加輸送(3連×2本×3回)されるとのこと。恐らく平日で輸送の様子は記録できないでしょうが、ますます楽しみです。しかし、同時に旧式車、特に113系、115系の記録の重要性を皆さんも感じるでしょう。早朝の愛知環状鉄道乗り入れ113系も、突然なくなる可能性もあります。これは緊急事態です。



 皆さんも久しぶりに、万博輸送後の名古屋へおいでになっては如何ですか?

気まぐれなのは天気だけ?

Okuto1  皆さん、こんにちは。今日も”Tetsu”の投稿を行います。今日は、東京方面へ取材に行きました。



 いつも通り昨晩”ムーンライトながら”に乗車し、早朝5時少し前に東京駅に到着。本当に土曜の通勤電車になってしまいました。しかし駅の店舗は開いていないので、適当に彷徨いていると、いつの間にか7時に。慌てて上野に向かい、中距離普通で尾久に行きました。私がもう少し賢ければ、6時台の上野着の夜行の終着を写したのでしょうが。



 今日尾久では”ふれあい鉄道フェスティバル”が開催されました。実はJRの鉄道ファンクラブに入っていれば、このイベントの先行公開イベントに参加できる(人数が少ない所で車両等の撮影ができる)のですが、残念、今年は落選でした。一般客として入場するのですが、8時前に地下道に並べば、今日の天気の影響か、かなり前の方に入れました。しかし用を足し朝食を手に入れる間に行列はみるみるうちに延び、早めの判断が正解だとわかりました。



 しかし部品購入は違います。こちらは早朝から長い行列です。でも多くの人が並ぶ理由は、「ネットオークションで高値で売り飛ばすため」です。私とは生き方の違う人種です。ただネットオークションの参加者には、新品をメーカーから直接買えば30万円で買えるSL模型を、わざわざ中古をネットオークションで100万円も出して買う人もいると、テレビに出ていました。ああ、可哀想!



 先行イベントの客が出てくると、いよいよ私たちの順番です。しかし外は雨が降ったり、止んだりで、気を揉ませます。さあ、撮影だ!と地下道を出ると、幸い雨は止んでいます。一気に撮って、片付けてしまいましょう。写真はDD51 842、ヘッドマークは”はくつる”、後は485系電車、”華”です。



Okuto2  入口にはEF64 1001、後には”きらきらみちのく”が(写真)。遙々青森運転所からやって来ました。64のヘッドマーク、こちらは寝台特急”北陸”、反対側は”北斗星”でした。











Okuto3  DD51 842、反対側は”出雲”でした(写真)。













Okuto4  先に進むと、EF81 95(レインボー専用81)が、”ゆうずる”のヘッドマークを掲げています(写真)。











Okuto5  その後はマルーンの旧型客車、その反対はEF65 1118(レインボー専用65)が(写真)。”銀河”とヘッドマークはなっていますが、本物の寝台急行”銀河”は、今はヘッドマークはありません。かつて昭和30年代の急行全盛時代にはあったのでしょうか?







Okuto6  ご存じ”ムーミン”EF55 1です(写真)。準鉄道記念物、昔は「カバ」といわれたそうです。











Okuto7  ロイヤルエンジン、EF58 61です(写真)。この塗色はマルーンではなく、「ため色」と呼ばれる、少し朱が入った色なんだそうです。皇室関係の車両全てそうです。この後、機関車が乗っている転車台を回転したそうです。









Okuto8  駅ホームに近い側には軌道自転車「レールスター」が(写真)。手前は原動機付き、奥は人力自転車です。黒いホッパ車の向こうには、カハフE26の予備車である、カヤ27 501が写っています。











Okuto9  一番入口にある高所作業車、「マジックボーイ」が子供を乗せ、上昇します(写真)。この後油圧でアームが垂直になってから、アームを延ばし、3,4メートル位の高さになります。何で子供に安全帯を付けるの、と思ったらすごく延びたので、納得。



 やはり尾久車両センターの一番良い所は、上に架線が無く、横の支柱も少ない所でしょう。撮影には好適ですが、電車、電気機関車は、どうやって入れたのでしょうか。やはりディーゼル機関車で推進したんですかね?



 そんな風に撮影しているうちにだんだん雨が降り出し、転車台に戻りたい気はしましたが、次もあり、これで尾久を後にしました。



Okuto10  そして今日の後半戦、豊田電車区のイベントへ。中央線へ、尾久から上野、そこから普通は秋葉原~お茶の水ルートか、神田乗り換えが一般的ですが、始発から乗るため東京へ。すると中央特快が10分後と出ており、それに乗車しました。



 豊田駅から徒歩18分位でしょうか、豊田電車区の入口に辿り着きます。そして招待状を見せ中に入り、更に中で案内チラシと交換します。まず一番前に停まっているのは、クハ183 1011(電車編成表によると千マリ(千葉支社幕張車両センター)C1編成、中央ライナー用)の編成です。休憩所を兼ねているそうです。



Okuto11  奥に入り、電留線には、左からT12編成(中央特快)、H9編成(通勤快速)、T21編成(各駅停車)、いずれも豊田行きです。いずれも豊田の所属です。遙か昔から、中央線快速はオレンジバーミリオンと決まっています。











Okuto12  次は、左はM2編成(115系山スカ塗色(注、山線横須賀塗色))、右はC2(これも千マリ所属とされています、183系特急色)ホームライナーです(写真)。特急は方向幕を動かしていましたが、まあ撮影は、いいか!奥には、”急行”表示を出している長野色の115系(長モト(長野支社松本車両センター)C4編成、写真はクハ115 1110)が停まっています。







Okuto13  その次は、左は千ケヨ(千葉支社京葉車両センター)M63編成(武蔵野線205系)、右は横コツ(横浜支社国府津車両センター、)R13編成(相模線205系)です(写真)。何れも、元豊田電車区の所属でした。









Okuto14  次は、左は青7編成(青梅線五日市線用201系)、右はM1編成(115系山スカ塗色)です(写真)。













Okuto15  次は、左がT33編成(201系)、右がこの度納車された新車、E233系H43編成の片割れ4両です(写真)。











Okuto16  一番本線寄りには、同時に納車されたE233系、H43編成の6両が(写真)。この車両クハE233 501は中が公開されていました。大体E231中距離やE531のロングシート車両と同様でしたが、オレンジ系でまとめられていたのが特色です。









Okuto17  電留線の南東方は建屋があり、編成が3つ入っています。右2つは201系でしたが、一番左は写真のとおり115系訓練車(事故、故障の訓練をする車両、モヤ115 6を含む編成、横に「訓練車」と書かれている)が入っていました(写真)。先頭車両はクハ115 108で、大目玉のケースにシールドビーム(小目玉)が無理矢理入れてある特徴車です。以前も触れた東海の188番と同時代、よく残ってましたねえ!







Okuto18  それで撮影も大体終わり、豊田を後にしました。本当は今夜泊まってもう一日取材したい気はしましたが、後述の理由により止めました。しかしまだ帰るには早く、また新幹線代も惜しい。そこで南武支線、鶴見線を訪問することを思いつきました。



 立川に出て、南武線、川崎一つ前の尻手で乗り換えですが、本当に、全然列車ないですねえ!まあ平日の通勤時間帯ではないから、仕方ないのですが。



 そして列車がやって来て、3駅、浜川崎に到着しました(写真)。横ナハ(横浜支社中原電車区)、ワ1編成(写真側はクモハ205 1001)でした。



Okuto19  浜川崎、元々南武線が私鉄南武鉄道であったからか、鶴見線ホームは南武線改札を出て、道の反対側の改札をくぐり、階段を上り下りして辿り着きます。列車が無かったらどうしようと思いましたが、幸い短時間でやって来ました。これも横ナハ、T17編成でした。そして鶴見に辿り着き、色々あったものの、家に帰着しました。本当は大川や海芝浦に行きたかったんですが、残念。また次回です。





Okuto20  最後は、懐かしの写真から。かつての海軍工廠跡に出来た国鉄大船工場、後のJR東日本鎌倉総合車両センター(横クラ)検修部門の最後のイベントで撮影した、かつての南武支線用101系最後の2両です。写真側がクモハ100 172、奥はクモハ101 130です。あの僅かな区間に、国鉄新性能車両第一陣が残っていたのです。本当にサンクチュアリだったのでしょう。



 今回の遠征、往き道の”ムーンライトながら”の車内で、確かに空席が多かったのは事実ですが、私を追いかけるためか、1000円の名鉄SFパノラマカードと、金券屋の回数券を見せ、「乗せろ!」という乗客がいました。車掌も押し問答を諦め、空席の目立つ車内に無賃乗車を放置しました。悲しいがこれが我が国の実情なのです。かつてロシア人が、くちゃくちゃになった新幹線回数券で乗車していたのを見たことがありますが、正直これと同じ、日本語で話しても通用しないんですね、日本人なのに。残念ながら、この国にも”特権階級”があるのです。



 今日の撮影でも、私の撮影の最中に、「どけ!」という声が飛び交いました。順番を待って、やっと写そうとした所でこうですから、無視するのは当然でしょう。残念ながら、行列に割り込んでも何の罪にもなりません(暴行、傷害があれば話は別ですが)。「日本がやるまで待て!」そういう世界です。



 ここまで精力的に取材を続けてきましたが、諸般の事情から、暫くお休みを頂きたいと思います。楽しみに見ていただく方がもしいれば、残念ですが、暫く我慢してください。遅くとも冬の青春18の季節までには再開したいとは思っていますが、今のところでは予定はたっていません。写真のないコラム等は成る可くするよう心がけますが、本格的な取材は暫くはしない予定です。まあ、冬には琴電もありますしねえ!



 個人的には、沖縄の”ゆいレール”とか取材したくは思っています。それでは、しばしの休憩をさせていただきます。またいつか、そのうちに。

こんな天気の良い日に(IV)

Kobe1  壮大な旅行となった今回の遠征。今日最終章を迎えましたので、ご報告申し上げます。



 今朝はゆったりと起き、朝食を摂りました。やはりビジネスホテルが賢いのは、浴衣では行けないレストランにサービスの朝食を時間限定で置いていること。その時間までに起き、グルーミングをし、着替え、朝食を摂ったら、また浴衣に着替えて寝る人は珍しいでしょ!それで早朝から始まる今夜のお客様のための清掃、ベッドメイク等の時間を繰り上げられるのです。



 そうこうしているうちに出発しました。まず地下鉄中央線に。終点、コスモスクエアに到着しました(写真)。車両は7020系、7121始め6連、”ゆめはんな”ラッピング編成です。



Kobe2  反対ホームには7000系、7104始め6連が(写真)。”南都銀行”ラッピング編成です。同じゼミ生が奈良出身で、南都に就職したと聞きますが、今頃どうしてるかなあ?











Kobe3  中央線のホームからエスカレーターで1フロア上がると、「ニュートラム」のホームです。しかし新交通システムはホームドアが常識。満足な写真は撮れません。地上に出ても真ん中に点検路と防護柵が設置され、ほとんど被ってしまいます。数少ない例外がこれ(写真)。101-19始め6連です。新潟鉄工(現新潟トランシス)製の平成の車両です。おそらく東京の”ゆりかもめ”と同じで、例の”ゆりかもめ”の事故の時は、大騒ぎしたはずです。



Kobe4  ニュートラムの昔の始発駅、住之江公園に到着。そして乗り換え通路を通ると、改札を跨ぐことなく地下鉄四つ橋線のホームに到着します(写真)。今の大阪市交通局の新標準、20系シリーズの6連です。でも、大国町のホームの構造は、土木的には困難だったと思いますが、利用者に配慮した立派な駅ですねえ!素晴らしい!







Kobe5  四つ橋線の始発から終点まで乗車して、阪神に。終点、三宮からは、今日の二つ目、ポートライナーへ。三宮~市民広場間は、複線化されました。ここも真ん中に柵があり(反対側が電気の線路のため)、撮影はイマイチですが、幸い上手くいったのは、新たに複線になった中公園~市民広場間で、点検路が反対にありました。写真は8603始め6連です。







Kobe6  運転台は、自動と手動と丁度迷う時期の設計で、8000系には運転席があり、運転台にはカバーがかかっています。運転席に座ると、二つめの海を渡る橋に差しかかります(写真)。もうすぐ、終点神戸空港です。











Kobe7  神戸空港では、列車は折り返し三宮行き快速と出ています。勘違いが原因で乗れるものを躊躇し、結局1本遅れました。



 市民広場に戻ると、次の列車も神戸空港行き、新鋭2613始め6連です(写真)。私はここから分岐する、南公園方面行きに乗車しました。







Kobe8  次の南公園~中ふ頭間にポートライナーの車庫、工場があります(写真)。



 ポートライナーは、神戸空港行きは往復、しかし旧来の中公園、北埠頭経由はループラインです。つまり、旧来のルートを通ると、三宮に戻ると方転してしまう(方向転回、前と後が逆になる)のです。どう解決するのか、でも結局1回ループを余分に通せば解決する話ではあるのですが。



 そんなことを考えながら三宮に戻り、阪神に乗車しました。



Kobe9  阪神特急を魚崎で下車し、今日の三つ目、六甲ライナーに乗車します。最初一駅住吉(JR接続駅)に戻り、改めて乗車します。こちらも休日でも6分間隔で、利便性が良いです。しかし乗客の中に、留学生と共に鉄道は”Stupid”だと、必死にライスイングリッシュで私を非難する高校生が。京都議定書(Kyoto Protokol)一つ満足に批准できない国の人間の言うことか!その結果僅か数年でガソリンが2割も上がった現在、時代遅れの低能率車ばかり生産して、自国のユーザーにまでそっぽを向かれ、国力も全ての製造業も衰退するのは当然のことです。



Kobe10  終点、マリンパークに到着(写真)。レールは先まで続き、高架上に車両が留置され、更に500メートル位先の地平に車両工場があるようです。











Kobe11  そして、今日の最後、阪神の”尼崎”でカメラを出します。写真だけの話をすれば、駅西方で、左は7964始め2両、真ん中は1601始め2連、右は8901始め6連です。なお阪神電鉄尼崎車庫は駅東方です。



 ただ、正直ここでカメラを出すこと自体、罪悪感を感じることです。当然例の事故では、テレビに映せないような光景が現場に広がっていたわけで、地元の人々の記憶からどうやって消えましょうか。私の前でカメラを出す鉄道ファン(本当は別の目的があるエセ鉄道ファンもいるらしいが)は、そういったことを考えたことがあるのでしょうか。



 先日飛行機に乗る時に、アメリカン航空やユナイテッド航空の機体が着陸する姿を見ましたが、いずれも、真ん中に細い赤い線が入っていて、下は黒、上はダークグレーの塗装になっていました。乗客と、仲間だったクルーを失ったことに、未だに喪に服しているのです。JR西が、事故を起こした207系、及び同系の後継321系の塗色を、水色ツートンだった筈を濃紺にしたのも、同じ理由です。因みにオレンジは常に味方したJR東海の色なんです。



 真実は重すぎて誰も担ぐものがいない、と言います。しかし自分の身の上に起きなかったから、被害者や遺族を傷つける行為をしていい、ということにはなりません。”尼崎”は今後とも鉄道関係者が担がなければならない、重い十字架なのです。



 でも、なぜいつも涙を流さなければならないのは、罪のない一般市民なのでしょうか。理由は考えないことにします。

こんな天気の良い日に(III)

Sanyo1  昨日はあんな形で終わってしまい、本当は今日の天気は心配でしたが、今日も雷どころか雨一つ降らず、無事取材ができました。それでは今週3回目、今日の”Tetsu”をお届けします。









Sanyo2  今日は本番、今日のためわざわざ関西に来たのです。有効に時間を使わなくては。今日は南海のイベントもありましたが、終了時間の早い山陽電鉄のイベントを、まず選択しました。



 まず梅田に行き、阪神から直通特急に乗り、東二見へ(写真)。山陽電鉄の車両、5006が梅田方です。梅田発は30分に2本、後発は先発の10分後ですが、なぜか山陽電鉄に入ると15分おきに。マジックの種は?西元町や大開とかに停まるからでしょうか?



 駅から徒歩5分位でしょうか、山陽電鉄東二見工場に辿り着きます。最初に撮影を、と思って行くと、約50人で区切り15分間撮影の時間を与えてくれます。一種の撮影会ですね。外部工場(恐らく川崎重工でしょう)に委託し徹底的に更新修繕を行った、山陽3000系、左から3016、3020、3210のいずれも各停用3連が並んでいます。それが表題の写真です。正面(特に方向幕)が神戸電鉄と似ているのは、やはり製造が同じだからでしょう。工場は東西方向に広がり、正面は午前中が順光で、午前中に来られた方は運が良い、と社員の方が言ってました。方向幕は全て「普通」「東二見」で、動かす事は来年の課題にしたい、と言ってました。



Sanyo3  奥には、2012と書かれた片開きドア、銀色(恐らくアルミ)の4連が(写真)。アルミを電車の車体として実用的にしたのは、やはり川崎重工、営団6000系等と同時期でしょう。このころの山陽電鉄は、ステンレス試作車もあるそうです。









Sanyo4  実は此処は明石市内です。明石焼きを食べ、出口に向かうと、旧式の電車が(写真)。206、創業期の車両と思われます。











Sanyo5  買い物もそこそこに、駅に戻り、すぐ次の直通特急に乗り、阪神梅田、御堂筋で南海難波、そして高野線金剛から各停で千代田へ。更に徒歩10分余りで南海千代田工場に辿り着きます。先回の旧南海色電車(緑のツートン)の撮影会に参加し損ねたため、絶対に来たいイベントでした。



 まず車両と、工場には南海2300系デビューまで極楽橋まで足を伸ばしていた”ズームカー”の流れを汲む、2039の2連が(写真)。同様の2連が更に中にあり、一番後は、2174と思われます。昨年デビューの2300系は、基本的には高野線の橋本~極楽橋間が専門ですが、かつての急行のように在来車と併結し、なんばまで足を伸ばすこともあります。昨年なら主役であろうに、今年は先輩格の2000系2連が鎮座しています。なお、橋本以遠の運用をこなす車両には、全て急カーブ用コーナーランプが付いているそうです。



Sanyo6  隣には入換用の内燃機械が停まっていますが、よく見るとアント工業と書かれています(写真)。アントの会社だからアント工業なのか、製造会社の名前からアントと呼ばれるのか?











Sanyo7  工場の手前には関空特急用50000系”ラピート”、隣はミナピタラッピング編成、1000系1502の編成があり、運転台に入るのに大行列になっています(写真)。



 実は50000を最初に使ったのは、南海だったんです!関空が出来たときですから、もう10年位経つんですかねえ?それまでは31000系、”りんかん”が最大、その前は30000系”こうや”です。因みに30000系の最初は、近鉄ビスタカーIII世で、昭和50年代、子供ながらに数が大きいなあ、と思っていましたが、間もなく小田急では50000系に続き60000系(千代田線乗り入れロマンスカー)がデビューするそうです。



Sanyo8  工場の、線路の反対は車庫で、帝車、東急車両製のコルゲートステンレス車両が並んでいます。南海本線と違い、高野線はステンレスがほとんどですが、コルゲート波板の加工の方法が、東急電鉄や営団5000系とは異なります。その手前を、原動機付き軌道自転車が走っています(写真)。どの鉄道会社でも、事故災害時最初に現地へ辿り着く乗り物です。昔、自動車がない頃は保線もこれで、しかも人力でペダルをこぐ自転車でした。





Sanyo9  工場に戻ると、リフティングの実演を行う場所が(写真)。そのために1703はジャッキに乗っていますが、時間が遅く、もう終わってしまいました。











Sanyo10  イベントは終わりに近い時間でしたが、ホテルに戻るにはまだまだ早い。そこで寄り道を思いつきました。高野線終点の極楽橋と、泉北高速鉄道のいずれにしようかと考えましたが、極楽橋までは暗いながらも行ったことがあり、高野線終点では時間的にも流石に厳しく、やはり高野山観光の時にしようと思い、結局泉北高速鉄道を選択しました。



 終点和泉中央は、隣の高速道路は何回か通ったことがありますが、行き止まりにはなっておらず、まだまだ延長が可能な構造になっています。先も見たいですが、今回は電車なので諦め、戻ります。



 戻り道、和泉中央~光明池間に、泉北高速鉄道の車庫があります(写真)。高野線一般車両同様のコルゲートのステンレス車が大半ですが、ラッピング編成もあります。



Sanyo11  中百舌鳥で、記録を。ステンレス車、泉北高速鉄道3000系でしょう、3511始め6両です(写真)。













Sanyo12_1  暫くすると、やって来ました、恐らく5000系であろう、5507始め6連です(写真)。高野線では珍しい、鋼製のペンキ塗り車両です。



 今日の泉北高速鉄道でも、車いすの乗客が2名乗車されました。状況から、原因は推して知るべし。思い出したくないから、住み慣れた場所を離れたのでしょう、心中は如何ばかりか。私も申し訳ない気持ちで一杯になりました。



 確かに、電車を楽しむと言うことは、許したくない事なのでしょう。しかし私も、弱者を守る義務があります。どうすれば、被害者、遺族の方の感情と、私の趣味が調和するのか、一度考えてみたいと思います。



 明日は最終日、次回の投稿は何日でしょうか。でも先ず行き先を考えなくては。

こんな天気の良い日に(II)

Nose1  今日も多くの地域で上天気でした。こんな天気の良い本日の活動の成果を、ご報告します。











Nose2  今日は実は予定なしで行動したのですが、昨日”日生エクスプレス”を見てしまったこともあり、能勢電鉄でもと、まず御堂筋線に乗りました。しかしそのまま乗り過ごし、結局北大阪急行の千里中央まで乗ってしまいました(写真)。てっきり千里中央は高架駅と思ったら、実は地下駅なんですね。かつての大阪万博の時は、ここから更に先に延びていたそうですが、トンネルには直ぐに停止表示がしてありました。この先に入れればトワイライトゾーンなのですが、そんなことは絶対しないで下さいね。



Nose3  千里中央駅の南口から地上へ、更に2階へ。大阪モノレールに接続します。ホームからは門真市行き(左)1622の編成、大阪空港行き(右)1602の編成が見えます(写真)。02は日立製でした。モノレール、跨座式は日立、懸垂式は日車と決まっています。そのまま乗車し、大阪空港を覗き、蛍池で下車しました。







Nose4  蛍池から阪急宝塚線で川西能勢口へ、そして能勢電鉄へ。能勢電鉄は阪急から車両を譲り受け営業しています。一時会社のカラーを出すため、塗り替えた時期もあるそうですが、やはりマルーンが一番落ち着く色ですよ。



 能勢電鉄の分岐駅山下に到着。妙見口方を見ると、最近譲受したらしい、3120の編成が(写真)。元阪急3100系なのでしょうね、3000番台の譲受は初めてでしょう。今日は側線で待機です。



Nose5  そのまま妙見口へ(写真)。ハイキングの格好をした人々が多く訪れる登山口でした。ゆったり撮影していると、発車ベルが鳴り、慌てて戻ると私を待って扉が閉まりました。









Nose6  山下に戻ると、1500の編成、2連です(写真)。1500系は元阪急2100系(宝塚線用)、1700系は同2000系(神戸線用)です。しかし能勢電鉄の勾配は割ときつく、元はどちらも平坦線用なのに、問題は生じないのでしょうか。実際の所は分かりません。









Nose7  車庫は少し川西寄りの平野にあります(写真)。右から、1553、1555、建屋に1552、一番左が1554で、いずれも4連のようです。











Nose8  そうしているうちに、1701の編成が平野に入線しました(写真)。この後、川西能勢口から宝塚、そこから今津線に向かいました。



 阪急今津線は、現在はJR福知山線のバイパスとなり、乗客の方には、言葉では表現できないほどの申し訳なさで一杯になりました。でも、電車の写真を撮ることは、そんなに悪い趣味なのでしょうか。コメントお願いします。





Nose9  西宮北口から、三宮に出て、ポートライナーもいいなとは思いましたが、時間があるので、新開地へ。神戸電鉄に向かいました。三田行きではまたトラブルの元になると思ったので、今日は粟生行きに乗車しました(写真)。粟生線、三木・小野方面は下りは準急のようです。







Nose10  湊川から鈴蘭台までの間は、六甲山脈の谷間を縫うように進んでいきます。写真の部分の勾配標識は45、つまり45パーミル(1,000分の45、1,000メートルで45メートル上る勾配)で、写真に取り損ねた部分では50も随分ありました。粟生線は鈴蘭台からもすぐに50で、鈴蘭台西口まで続きます。当然神戸電鉄は全電動車編成でしょう。





Nose11  随分時間はかかりましたが、粟生に到着。すぐ向こうは加古川線、更に奥は北条鉄道で、フラワ2000 2号車(最新車両)が待っています(写真)が、今日の投稿の時間の関係から、ご免なさい。するとJRには下り谷川行き125系、上り加古川行き103系が入線しました。私は、来た道を戻ります。でも、三木鉄道って、本気で廃止するんですか?そこそこ良い感じなのに!三木上の丸まで延長して、神戸電鉄に接続すればもっと利用者も増えようものを!





Nose12  木幡~木津間の神戸電鉄第2車庫は、着々と整備されているようですが、撮影にはちょっと車で来るしか無いのでしょうか。最寄り駅もありませんし。



 鈴蘭台に戻ると鈴蘭台西口方向に、近鉄ならモト、国鉄ならクモルと名の付くであろう電動貨車、752等が停まっています(写真)。







Nose13  新開地方には5019の編成、その線路の先は鈴蘭台車庫です(写真)。













Nose14  そのまま新開地でも良かったのですが、寄り道を。有馬線谷上まで行き、北神急行線へ。新神戸から2620の編成がトンネルを登りきりました(写真)。新神戸まで下りでも7分、登るには何分かかるんでしょうか。









Nose15  北神急行は新神戸からは神戸市地下鉄になり、三宮で降りればそれで終わりでしたが、結局西神中央まで行ってしまいました(写真)。手前は乗車した3124の編成、奥は恐らく北神急行の車両、7055の編成です。









Nose16  そしてまた来た道を戻ります。そして板宿、長田、三宮のどこかで神戸高速鉄道経由で帰れば良かったのですが、更に寄り道、新長田で神戸市地下鉄海岸線へ(写真)。同線は鉄輪式リニアモーター地下鉄で、同様な路線は、東京なら都営大江戸線、大阪なら長堀鶴見緑地線、福岡なら七隈線(ご免なさい、間違えました)という所でしょうか(そういえば今度出来る大阪の今里筋線もそうですね)。そして三宮花時計前から徒歩3分で三宮、そして帰着しました。



 明日はメインイベントの日です。今日は気力を充実し明日が上手くいくよう願いたいのですが、明日の天気は?



 それでは、また次回。

こんな天気の良い日に(I)

Keihan1





























 皆様、如何お過ごしでしょうか。今週も1日早い気がしますが、今週の第1回目の”Tetsu”をお送りします。



 今月4日は、ちょうど昨年すっぽかした”つくばエクスプレス”と”関東鉄道”共催のイベントがあり、今年こそとは思ったのですが、運悪く同日に南海でもイベントがあり、東西何れを選ぶべきか考えましたが、結果南海を取り、今回の遠征となりました。



 今日はアーバンライナーに乗ろうと思い駅に辿り着き、待っていると何と”ネクスト”がやってきて、ラッキーと喜びました。土日なら朝7時しかなく、少し気合いが入るのですが、平日はこんな時間で、儲け物とは思うのですが。



 難波で下車し、スルッとKANSAIフリーパスを手に入れ、御堂筋線で淀屋橋へ。京阪特急は発車を待っていました(写真)。京阪特急主力の8000系、8055の編成です。



Keihan2  しかし新しい物だけが写したいのではありません。目的の車両を待つ間に小遣い稼ぎを。5554の編成(5000系でよろしいでしょうか?)による急行出町柳行きです(写真)。塗色は違うものの、同じような形態の先頭車を琴電で見た、というのは勘違い?











Keihan3  と言っているうちに1時間が過ぎ、やって来たのは3055の編成(写真)。かつての京阪特急の主力、3000系の自社最後の残存車です。大半は譲渡等で京阪線上を去りました(大井川鉄道にまで行った車両もある)が、最後の1編成がダブルデッカー等を編入し8000系同様の編成となり、生き残っています。繰り返しますが、それが本編成です。早速乗車しました。







Keihan4  トンネル内では光量不足で、プロビア400でもちと苦しい。そこで地上区間での撮影を検討し、まず思いついたのは中書島。淀屋橋行きは、内側にカーブすることから編成写真が可能と踏み、下車します(写真)。



 現在京阪特急は10分おきに走っており、早速準備を。8000系特急の中書島停車を捉えるべく、セットすると、何と出町柳行き各停が同時に入線し被ってしまい、やばい!恐らく3000系が戻ってくる時にも同様になる(京阪は10分パターンダイヤの為)と分かり、作戦を変更。そのまま入線した各停に乗車しました。



Keihan5  結局丹波橋を選択しました。その先は七条、京都側の地下部分(川端通はかつての京阪線の線路敷き、現在はそのまま地下に移設)で、他に選択の余地もありませんでした。この後に入線したのは8051の編成、8000系第1編成です(写真)。6000系、9000系の緑色の特急でテスト撮影し、確認します。









Keihan6  万全の体制で撮影した3000系(写真)。光線の加減はやむを得ないのか。



 この後、そういえば8000系も編成写真を撮らねば、そうだ第1編成を、とは思ったものの、あと30分はこのまま待つ必要があり、次の行程を目指し特急に乗車。そのまま四条まで乗車しました。









Keihan7  四条から徒歩5分、阪急河原町(四条河原町)へ。ここも当然四条通の地下で撮影はNG。停車していた阪急2300系急行で、桂まで行きました。



 写真は、桂で撮影した6300系6455の編成です。これは阪急の京阪特急専用車2800系の後継で、同系同様デッキは無いものの2扉車で、昭和50年代の車両でありながら、ワンハンドルマスコンなんです。すごく先進的ですね。



 しかしノンストップ特急用の設備が、10分ヘッドで途中停車駅が増えた現在では逆に災いして、恐らく後継車両と目されている9300系では、転換クロスシートは継承されたものの、他の阪急の車両同様3扉となり、状況の変化を物語っています。



 本当は6350の編成を撮りたかったのですが(これが第1編成)、今日はどうやっても見つけられませんでした。



Keihan8  そういっているうちに、河原町行き特急、9300系9401の編成(00が第1編成のため、第2編成)が到着(写真)。運転手さんは、「それ、逆光だよ!」と言っていました。銀塩は多分悲惨です。











Keihan9  桂は、桂車庫とともに、嵐山線分岐駅でもあります。嵐山線ホーム(1号線)には、2309の編成が(写真)。阪急最後の方向幕未設置車両、とともに最旧車両となりました。



 奥のC号線には、9300系最新の9302の編成が入っていたのですが、いつまでたっても動かず、次は?と思っていたら、梅田方へは戻らず、嵐山線を横断して本線に入り、河原町へ回送されました。



 やはり逆光は手の抜きすぎであり、方向を変えるため、またその後の撮影のため、次に来た6300系特急で、十三を目指しました。



Keihan10  例の事故は宝塚、伊丹と阪急とも縁の深い地域で起きたこともあり、やはり視線は冷たいです。無言で車いすに座る人には、言葉が出ないのがやはり現実でしょう。しかし何とかそれを乗り越えねば。



 30分ほど待っていると、先ほどの9300系01編成が梅田から快速急行として戻ってきます(写真)。さっき梅田行きの時の撮影では、各停が被り、編成写真になりませんでした。やはり梅田に近く、本数が多いからでしょう。



Keihan11_1  と思って後を振り返ると、9300系02の編成が、快速急行で入って来るではありませんか!はからずも9300系01と02の並びになりました(写真)。大阪ではそれほど珍しくないとは思いますが、1日目に遭遇とはラッキー!











Keihan12  だんだん暗くなります。同じホームを今度は京都、宝塚方向へ移動します。写真は6100、普通雲雀丘花屋敷行きです(写真)。













Keihan13  次は、5400、京都線梅田行きです(写真)。















Keihan14  その次は、朝晩だけの箕面線直通普通です。かつて”有馬箕面電鉄”の時代には直通を前提に設計された分岐駅石橋駅の、箕面線直通用ホームはこの時だけしか使わないようです。











Keihan15  何でこんな暗くなってまで十三で撮影をしたかといえば、単純、平日朝梅田行き、そして平日夕方日生中央行き、いずれも便限定の特急”日生エクスプレス”を撮影するためだったのです(写真)。車両は色々な系列が入っているようです。撮影会で撮っても何も感じないでしょう。明日から3連休だし!



 こんな感じで今日の行程を終えました。明日は未定なので、何処へ行こうか床で考えようと思います。それでは、また。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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