微妙な日々(III)

Ome1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、本日今回の遠征最終日の様子をお伝えします。











Ome2  昨日は割と遅く(と言っても普通のサラリーマンの平日並みでしたが)、今日は寝坊をしたい気はしましたが、やはり労働者、いつもの時間には起きてしまいます。それ以上寝たくても寝られない。結局起き、ホテルの朝食を摂り、出発すると、「おお!青梅特快に間に合いそう!」と張り切ってしまい、結局予定の2時間前の青梅特快に乗ってしまいました(写真)。八トタ(豊田電車区)T22編成、写真側はクハ200 30です。関東地方の方なら、どこから乗ったか、すぐに解るでしょう!





Ome3  そしてそのまま青梅へ。反対ホームには八トタ青2編成4連が、出発を待っています(写真)。これに乗車しました。



 途中、御岳を通ります。昔妹が高校で「おんたけ」と言ったら、その友人に「どこの方言?」と言われ笑われたと聞きました。御岳神社は、多分徳川家康が持ってきたものなので、恐らく元は長野県の「御嶽神社(おんたけじんじゃ)」なのでしょう。所が変われば、呼び方まで変わる代表例でしょうね。





Ome4  終点、奥多摩です(写真)。かつては中央線を追われたD級電機、後にEF64が従事した石灰石輸送は、今では無くなってしまいました。当時石灰石を生産した奥の工場、そして輸送を待つ貨車の滞泊したヤード跡は姿を変え、鉄道貨物時代の名残は何も残っていません。寂しく終端表示があるだけです。









Ome5  そして青梅に戻り、立ち食い蕎麦を食べ待っていると、やってきました、”四季彩”が(写真)。201系の内外装を変えただけ、と言ってしまえばそれまでですが、中は固定ながらクロスシートも設置され、かなり種車から改造されています。因みに、各車両ごとに春、夏、秋、冬それぞれが割り当ててあるそうです。写真側がクハ200 134です。やはり青梅に来て、これを写さないのは嘘でしょう。







Ome6  改札から外に出ます。近くの跨線橋から望むと、ホーム横の電留線までよく見えます(写真)。













Ome7  何で出たのって、そりゃあこのため、青梅鉄道公園へ行くためでしょう!(写真)きつめの坂を約10分、よく登りました。入場料は大人100円です。次回は、青梅市の公園の駐車場に車を停めてもいいですねえ!ある意味、私もトシかなあ?











Ome8  中には多くの展示車両が。先ず入口に一番近い所に、D51 452が(写真)。高崎の現役498号同様、一番出来の良い(完成度の高い)時代の車両です。この後、戦時色が強くなるにつれ出来が悪くなり、性能、出力も下がる一方でした。











Ome9  次は、C11 1号機(初号機)、後はE10 2号機です(写真)。E10は、戦後の製作でしたが、空転が多いと陰口をたたかれたそうです。因みに横の囲いは、国産初の急行形パシフィック、C51 5号機のある場所ですが、来年5月末位まで修復工事を行うそうです。なお、C51形は最初18900形と呼ばれましたが、あまりに番号が大きすぎ、結局鉄道院は呼び方を変えたのでした。







Ome10  次は、110号(明治5年の鉄道開業時に輸入された機関車だそうです)、後は5540です(写真)。昔は色々な形があったのですね。













Ome11  2221の後に、国産初の大型旅客機関車8620形の、8620が(写真)。つまり初号機です。その後は9608(9600形)で、いずれも大正の名機、キューロクに至っては国産初の大型機関車との称号まであります。観光用復活蒸機を除いて、昭和50年、国鉄最後の蒸機仕業を行ったのも、実は大正生まれのキューロクだったのです。ただ番号は、496○○だったか、796○○だったかです。







Ome12  建物の丁度真裏には、青梅線でも活躍したED16 1号機が(写真)。三菱電機・三菱造船の製造で、昭和6年製です。しかしすぐに幹線の貨物もF級(EF○○)に代わり、中央線、青梅線と、だんだんローカルに流れてきたのでした。











Ome13  奥に下り階段があり、坂を下りると「新幹線広場」があり、0系初期の、22 75号が置かれていました(写真)。



 しかし、かつて戦後初の特急”へいわ”や、特急”つばめ”にも使われ、桃山風の欄間もある車内で、戦前の芸術の粋を極めたといわれるスイテ(マイテ)39 2は、何処に置かれていたのでしょうか。ただ、同車に関しては、霊柩車風という陰口もあったそうです。







Ome14  そして公園を出て、坂を下り、青梅駅へ。そして東京行き快速を、涙をのんで拝島で下車。目的地は、武蔵五日市です。



 到着すると、反対ホーム(すなわち1番線)には、201系4連が(写真)。番号を見ると、全て1番でした。すなわち201系量産初号編成でした(ただ、編成は何度も組み替えが行われたようです)。写真側がクハ201 1、次がモハ201 1、更にモハ200 1、クハ200 1の、H1編成の片割れ4両でした。(注、残り6両は、クハは2号、モハユニットは2号と3号です)。試作車900番台(全て廃車)、及び東中野事故関連廃車を除くと、一番廃車に近いのでしょう。今日は、運が良い!



 なお、写真を見れば分かるとおり、武蔵五日市の駅舎はコンクリ製の高架駅舎に建て替わり、かつて貨物専用線が繋がっていた時代の名残は、微塵も残っていません。ただ、途中駅には貨物列車待避線は残っていました。今は主もなく、悲しい限りです。



 そして拝島から新横浜を経由し、帰宅しました。



 今年も最後の遠征となったようです。まだコラムを一つ入れたいので、来年の話はしません。それでは、また次回。

微妙な日々(II)

Aga1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、二日目のご報告をいたします。



 朝、ホテルを発ち、高崎に到着。しかし、目的地へ行く電車まで時間があり、寄り道を。電車からもホームからすぐの場所にいるのが見えた、上信電気鉄道のデキ1(手前)、3が(写真)。決して上信電鉄は微妙という状況ではないのですが。でも今日は、廃車と思われる朽ちた電機も遠くながら見られ、「機関車まつり」でもやってくれないでしょうか。



 そして昼食の弁当を購入し、電車に乗車します。吾妻線です。



 因みに、吾妻とは、熊襲を倒した日本武尊(”にほんぶそん”とか言わないで下さいね!)が、東征のとき東京湾上で嵐に遭い、妻が海に身を投げ嵐を鎮めたという故事があり、その後この辺りを巡る頃、「吾が妻よ、吾が妻よ!」と言ったことから付いた地名と言われています。現代なら山下達郎の聴き過ぎ、と笑われますが。そして故郷に帰ることなく息絶え、熱田神宮の祭神になりました。



Aga2  渋川から吾妻線に入り、一駅目の金島から、次の祖母島の間に、上越新幹線の高架があります(写真)。通常なら連絡するよう乗換駅でもつくりそうなものですが、上越国境への登り勾配で高架がこの高さになり、事実上不可能なのでしょう。











Aga3  今日の大前駅への2本目の電車が到着です(写真)。写真は、クハ115 1027で、1037と番号が入っています。この車両、115系1000番台は、昭和40年代に新潟地区への投入も控え、本格的寒冷地対策を行った車両です(モーター冷却風の雪切室等の装備があります)。











Aga4  そして新前橋に戻ってきました(写真)。昔なら高シマ(新前橋電車区)と書かれていましたが、今は髙タカ(高崎車両センター、高崎運転所と合併)と書かれています。なお”髙”の字は、国鉄の高崎鉄道管理局以来の字体です。手前の5両はクハ211 3033を含む編成、奥の長編成はサロ213 1113(東海道線113系のグリーン車、サロ125改造、寒冷地対応で+1000になった)を含む編成で、前橋方がクモハ211 3001を含む編成のようです。







Aga5  次の電車を待っているうちに、185系特急”草津白根”がやって来ました(写真)。急行上がりの「新特急」と言われなくなって、どの位経つのでしょう。料金も随分苦労していました。











Aga6  そして上毛線、桐生へ。暫くすると1番線に、こちらも微妙な、わたらせ渓谷鉄道、わ89-314(ペイント車両)がやって来ました(写真)。やはり名鉄に比べ屋根上のクーラーは小さく感じます。本州でも暑い部類に入る名古屋なら、確実に能力を超えてしまうでしょう。



 そして乗車しました。









Aga7  渡良瀬川を越え、JRと別線になって一駅目、下新田駅の近くには、電留線を利用した”JR高崎支社 総合訓練センター”があります(写真)。運転や保線の訓練を行っているものと思われます。











Aga8  今回の目的地、大間々に到着。駅の側線には、DE10 1578がスタンバっています(写真)。これに注目しました。













Aga9  その本線寄りには、”サロンエクスプレス東京”の成れの果て、わ01828他が停まっています(写真)。













Aga10  するとDE10は側線から反対側に出て、間籐側に連結されます(写真)。次回の営業の準備完了です。でも、反対側にはスイッチャーでも付け、プッシュプルでやりそうなものですが。だって、本務機がタンク蒸気機関車C11だったブルートレインだってあったんですよ!











Aga11  反対ホームに出ると、門形洗浄機、工場と車両が見えます(写真)。













Aga12  もう一度跨線橋に登ると、全体が見渡せます(写真)。右側は全部ディーゼルカーですが、ホームよりの客車は国鉄12系客車改造のオープン客車です。工場側も写すべきだった!



 本当は上毛電鉄の大胡にも行きたい気はしましたが、日没も近く、断念。今度東武を訪問するときに、一緒に行こうということで、今回は残念です。



 でも、本当に東武は鉄道ファンが嫌いなのでは?好きなら全線フリー乗車券を出しますよ!あんだけ複雑な路線網で、ローカルも多いんですから!



 そしてホテルに帰着しました。



Aga13  今日のおまけ1。日本一短いトンネル、吾妻線の川原湯温泉~長野原草津口間にある樽沢隧道です(写真)。確か10メートルを下回っていた(6.7メートル位)と思います。レイルオンの、太子線廃線跡探索ツアーで撮った写真です。











Aga14  おまけ2。同日復活運転された、183系特急”草津白根”です(写真)。1000番台?と言いそうですが、このTcは、クハ183 103で、反対も同102でした。つまりサハ481先頭車化改造車で、遍歴のある車両です。なお良く見ると、”S3”と編成ナンバーが入っていました。所属は何処でしょうか。



 こんな感じで2日目を終えました。明日は、何処に行くのか、まだ未定です。

微妙な日々(I)

Cyos1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”第1回をお送りします。今回は、恐らく今年最後の遠征でしょう、またしても関東地方へ来ています。











Cyos2  いつもどおり”ムーンライトながら”で東京入りし、そのまま総武快速線、千葉に向かったのですが、1回戦にはダイヤの都合上まだ向かえず、途中下車します。行きがけの駄賃、千葉市モノレールです(写真)。



 千葉市交通局は、今では少数派の懸垂式モノレールで、日車製かと思いきや、何と三菱重工製が多かったです。三原製作所か、それとも小牧か?そういえば今は亡き”ピーチライナー”も三菱重工が多かったですね。



 しかし、夜が明けるにつれ、今日の天気は微妙である、ということが分かりました。予報のように、いつ雨になってもおかしくない雲行きです。モノレールを下車し、朝食を手に入れ、1回戦に向かいました。



Cyos3  内房線五井で下車します。そして向かうは”小湊鐵道”です。まだ時間があったため、駅西口を出て、小湊鐵道社屋に沿って歩きます。すると、小湊鐵道開業時のSLが3両、内に向いて置かれています。入り口があったので、社員の方に許しを得て中に入り、正面に出ます。それがこの写真、B104ほか2両です。









Cyos4  すぐ後の工場の建屋には、先回訪問時から気になっていた、開閉式の行先表示板を付けた、旧式気動車が顔を出しています。近づいて、写真を撮ると、キハ5800という車両だと分かりました。



 なお、この2枚はいずれも小湊鐵道の社有地内で撮影したものであり、どうしても撮影したいのならば、必ず社員の方に断りを入れてください。それで駄目と言われたら、すぐに諦めてください。鉄道ファンが鉄道会社に迷惑を掛けては最低だし、増して営業に支障するなんてのは言語道断!鉄道会社は、鉄道ファンのためだけのプライベートカンパニーではありません。お気を付けて。



Cyos5  そして駅に戻り、乗車を。駅ホームから見た、小湊鐵道五井機関区です(写真)。















Cyos6  1時間余りかけ、上総中野へ(写真)。小湊鐵道のキハ214(日車製)が到着すると(左)、反対方向から”いすみ鉄道”キハ206(富士重工製)が入線します(右)。奥の竹の切り口のような建物は、トイレです。実はこの駅、乗換駅ですが、いずれの鉄道も無人駅です。











Cyos7  いすみ鉄道に乗車し、大多喜へ(写真)。本社、工場、車庫全てが集まっています。ここで下車し、散策しました。













Cyos8  駅前徒歩2分の所には、「房総中央鉄道館」なる建物がありました(写真)。しかし今月の営業は土日のみ、今日は金曜でお休みです。また次回にでも、訪問したいですね!













Cyos9  そしてまた乗車し、終点大原へ。暫くすると、房総色に帯色を変えた211系3000番台安房鴨川行き各停が入線します(写真)。千マリ(幕張)所属、マリ406編成、元は宇都宮・高崎線用で、ドア半自動ボタンが付いており、それがこの地区では新しいですね。しかし相当数投入され、房総の4分の1位の仕業を受け持っているのでは、と言いたいですが、私の行くところだけ先回りしたのでしょうか。東金線も211系3000番台でした。







Cyos10  そして銚子へ。今一番微妙な、銚子電鉄がやって来ます(写真)。デハ1002です。本当は今日はその後芝山鉄道に乗車するつもりでしたが、緊急告知をされるほどの状況と知り、慌ててやって来ました。これで、仲ノ町まで乗車しました。











Cyos11  仲ノ町名物、デキ3(右手前)、デハ701(右奥)で、更に奥、ホーム寄りにデハ702が。左はデハ301です(写真)。入場券を買って撮影しました。ぬれ煎餅は忘れずに!











Cyos12  帰りの電車、デハ801がやって来ます(写真)。これは、元伊予鉄モハ106なのだそうです。



 最近の銚子電鉄の騒動で、多くの支援が集まったのか、1両検車が始まったそうです。最悪の状態からは少し脱したかもしれません。しかし皆様方、決して油断無きように!頑張れ、銚子電鉄!











Cyos13  おまけ1。2年前の冬(確かクリスマスイブでした)、183系最後と知って撮影した、エル特急”あやめ”。このためにホテルを早起きして出発したのを覚えています。場所は佐倉駅です。今は”あやめ”の本数は増えましたが、”すいごう”が吸収され、車両はE257系500番台です。













Cyos14  おまけの2。これも同日、エル特急”しおさい”。最低な写真ですが、この日LEDではない愛称表示器の編成は、これだけでした。翌日1000番台の幕式車に出くわし、「悔しい!」



 こんな感じで今日は終わりです。明日は、何処へ行きましょうか?

ハマの風に吹かれて(後半戦)-赤富士-

Fujiy1  昨日は如何だったでしょうか。それでは今日の”Tetsu”をお届けします。



 昨日の宿泊地から、今日の目的地を目指すのに、最初に”はまかいじ”に乗ったらどうだろう?と思ったのですが、それでは”青春18きっぷ”が勿体ない。そこで、今日は、”ホリデー快速河口湖”に乗車しました(写真)。





Fujiy2  その名のとおり、河口湖に到着(写真)。富士急行です。富士急は、基本的には3両編成が最大なので、6両の189系快速は、どの駅でもはみ出します。その中でも河口湖は長い方で、後5両はホームにかかりましたが、私の乗車した1号車は、はみ出してしまいました。その様子を撮ろうと思い、線路に入ろうとすると、降りてきた運転手さんに、「入らないでください」と3回も言われ、やはり断念。結局側のバス駐車場から撮影しました。やはり線路に入ってはいけません。



 奥には元京王5000系(富士急1000系)がありますが、京王は都電と同じゲージ(1,372ミリ)で、やはり特殊なのです。つまり普通の鉄道に持って来るには、台車を改造するか他の車両から転用するか、どちらかしかありません。つまり代わりの台車があったからで、運が良いですね。



 駅舎寄りには、115系300番台3連(八トタ(八王子支社豊田電車区)の山スカ色)が停まっており、高尾行きでした。これに不注意にも乗車してしまいました。



Fujiy3  駅を発車してから「しまった!」駅前の富士急行”1”をきちんと記録するのを忘れてしまいました!(写真)”フジサン特急”に乗るときには、絶対忘れないようにしましょう。なお次の駅は、あの有名な”富士急ハイランド”駅です。











Fujiy4  更に一駅、富士吉田で下車しました。ここには工場があります(写真)。手前に止まっている電車は、元八ミツ(八王子支社三鷹電車区)所属の、クモハ169 27(廃車)で、恐らく”フジサン特急”の部品取り用と思われます。再会でき嬉しいか、あまり見たくない姿なのか。











Fujiy5  そういっている内に、”フジサン特急”がやって来ます(写真)。元JR東日本の”パノラマエクスプレス アルプス”であることは余りにも有名で、実は国鉄165系改造車です。これは片割れ3両です。











Fujiy6  オレンジの1000系に乗り大月を目指します。都留で、行き違い待ちと放送され心を躍らせると、やはり”フジサン特急”でした。もう一つの片割れです。JR時代は連結できるよう設計されていたので、向きが反対になっています。なおどちらの”フジサン特急”でも、展望車側が1号車です。











Fujiy7  更に乗っていると、山梨名物、リニア実験線の高架橋です(写真)。回りにJR東海の路線が全くない所に、孤立して実験線があります。













Fujiy8  大月で昼食を手に入れ、長野色115系6連に乗ると、E257系特急”かいじ”に抜かれます。各停の運命、仕方ない。



 そして甲府へ。天気予報は、見事にはずれてくれて、ラッキー!おもむろにEF64 38が滞泊しています(写真)。









Fujiy9  その更に新宿寄りには、茶色のEF64 37が(写真)。先回甲府に来た時は雨で、カメラはD70、レンズは70ミリまでで、確かこの位置のEF64の写真を、フィルムのズームレンズに交換し写した記憶があります。天候もレンズもイマイチで、良い写真にはならなかったですが、今は200ミリまで効くので、上手くいきました。









Fujiy10  暫くすると、湘南色の身延線115系が(写真)。静シス(JR東海静岡支社静岡車両区(旧静岡運転所))所属のB4編成、写真側はクモハ115 2004です。これに乗車しました。











Fujiy11  同列車の甲府寄り、クハ115 2025は、日報を運ぶためか、一番甲府寄りのドアの付近に「業務室」とカーテンを掛け、担当の社員がいます(写真)。昔荷物電車を連結していたのは、こういう理由からですが、今は荷物電車自体無くなってしまいました。











Fujiy12  途中駅で見た、身延線用115系の屋根(写真)。身延線の115系2000番台は、昭和50年代後半に製造された最終形であることから、冷房準備車として落成し、当時の標準クーラー、AU75(三菱電機設計)を載せられるよう設計されています。そのため真ん中の部分が平らであるのですが、結局冷房化はJRになってからのようで、JR東海は、非冷房の初期形113系、115系と同様に、軽量なインバータークーラー(1両あたり2台)で冷房化を行い(旧式車の屋根の補強が不要になった)、それは恐らく211系5000番台(JR東海の211系)と同じ形式と思われます(同系のクーラーの形式は、C-AU711です)。右の銀色の箱の部分がそうです。本来クーラーが乗る予定だった場所には、箱形のベンチレーターだけが乗っています。



Fujiy13  身延線を乗り進むうちに夕方になり、窓からは富士山が見えてきます(写真)。富士山占いは、最高と出ました。













Fujiy14  そのお陰か、西富士宮で下車すると、なんと先日運用を離脱したといわれ、記録を残せずがっくりしていた1両、クモハ123 602が!(写真)かつて創価臨が滞泊した電留線跡に、停まっているではありませんか!



 この車両は、最初クモヤ145 602を改造した車両で、同形は601のみ、同様の車両もクモハ123 5040番台4両及び5145の、総勢7両で、主に身延線の富士~西富士宮間のローカル輸送を受け持っていました。珍しい車両なのですが、昔富士を通った時は猫跨ぎ状態で、重要性を全く認識していませんでした。特に写真の602、及び601、5145は正面貫通路設置改造が施され、更に希少車となっていたのにです。やはり、甘く見ていました。601と602が連結されて滞泊していても写さなかったのです!勿体ない!



 その後身延線に313系3000番台が投入されても安心していたのですが、今年更に追加で同系3100番台2編成が投入、123系は次々に運用を離脱し、後悔の念ばかり残りました。まだ残存車もあるでしょうが、きっと来年3月のダイヤ改正が一つの契機となるでしょう。要注意ですね!しかし、飯田線に旧式車を集中させるってのは、ありませんか?駄目なら、佐久間レールパークにでも保存してくださいよ!



 そして313系で富士に出て、東海道線で帰りました。



 「記録する」ということの重要性を、改めて認識する一日でした。いつ何時、それが希少車になるかもしれないのですから。でもそれが完璧に出来たら、正にプロフェッサーですねえ!

ハマの風に吹かれて(前半戦)

Yokos1  皆様、如何お過ごしでしょうか。今週の”Tetsu”第1回目をお届けします。今週は、冬の”青春18きっぷ”を使い、横浜方面へ来ています。写真は横浜市交通局のイメージキャラクター、”はまりん”です。









Yokos2  昨晩”ムーンライトながら”で自宅を発ち、早朝横浜入りしました。しかし今回のメインイベントには余りにも早い。そこで、先回断念した鶴見線支線の訪問を思いつきました。



 横浜から京浜東北線で鶴見に行き、暫くすると、扇町行き、海芝浦行きが入線します(写真)。いずれも元山手線205系の改造車で、扇町行きはクハ205 1104、海芝浦行きはクハ205 1102でした。本数の少ない海芝浦行きに乗車しました。



Yokos3  終点、海芝浦に到着(写真)。改札の向こうは、もう東芝(かつての芝浦製作所)の工場で、社員、許可書のある人のみ改札を越えられます。一般の人は通行不可ですので、ご注意を。











Yokos4  浅野に戻り、さらに本数の少ない大川へ(写真)。かつては17メートル級の小型の単行旧式国電が武蔵白石から出ていましたが、今は安善から乗り換えです。武蔵白石の当時のホームは残っていません。また、大川のホームを継ぎ足したのも解ると思います。









Yokos5  最後、一番本数の多い扇町へ(写真)。この辺りはJFEの工場が中心です。間のヤードにはEH200 7号機等も停まっていました。











Yokos6  それで横浜に戻り、メインイベント、横浜市交通局新羽車両基地へ。”はまりんフェスタ2006”が開催されたのですが、まだ時間は早い。まあ、パスネットでも買おうかと、行列しました。もし部品が目当てなら、初電に乗らなければオークションで高値転売できるような物は手に入りません。



 無事購入し、2階の工場へ。左は3436(3000系43番編成6両目)、右は3596(3000系59番編成6両目)です。3000系も製造時期で3つの形態が見られます。





Yokos7  左には横浜市地下鉄第1号、1016(1000系01番編成6両目、と言いたいですが当初は短く、後に中間車が追加された)の編成が(写真)。この運転台に入ることができました。











Yokos8  中で1時間余り待たされ、さよなら運転を終え入線した、1146(1000系14番編成(最終編成)6両目)、の編成を撮影します(写真)。今日限りで横浜市交通局1000系は、営業を終えました。さよならイベントでもありました。











Yokos9  横には2166(2000系16番編成(最終編成)6両目)が(写真)。2000系は、3000S系に改装されるそうです。



 無事目的物を撮影し1階に降りると、階段前に大行列が。部品目当てではなく、車両目当てで、撮影に入場制限がかかっていました。早く来て、本当に良かった!そしてすごすごと後にしました。







Yokos10  後の予定は無かったので、横浜観光を。都立高時代、大学時代いずれも、湘南の江ノ電とかは覚えはあるのですが、横浜は近すぎて行く機会が無く、初めてがいっぱいでした。



 先ずは、みなとみらい線の限定一日乗車券(450円)を購入し、元町中華街へ(写真)。地下4階から、デパートのようにエスカレーターを登ると、出口は小さなビルに(写真)。しかしこのビルが横浜高速鉄道の本社です。



 なお車両はご存じのとおり東急東横線ばかりで、載せる気はしません。



Yokos11  横浜駅に戻り、京急で金沢八景、そしてシーサイドライナーへ(写真)。京急の窓口で1日券を購入するとプラスチックカード(自社内は自動券売機の切符)なので、高い(650円)ですが購入しました。完全に新交通システム、変調音は”ピーチライナー”を思い出してしまいました。そして新杉田に到着しました。









Yokos12  新杉田から根岸線で根岸へ。NDD5601が、石油タンク車タキ十数両を入換中です(写真)。タイフォンが車のクラクションのような音で拍子抜けです。













Yokos13  根岸から市営バスで滝頭へ、そしてその前の”横浜市市電保存館”に辿り着きました(写真)。職員(恐らく交通局OBなのでしょうが)の心のこもった対応は、多くの公営施設の模範というべきでしょう。











Yokos14  横浜市電、523です(写真)。この時代は、私の欠落している時代です。















Yokos15  電動貨車、10です(写真)。















Yokos16  1601です(写真)。



 この奥に鉄道模型があるのですが、何とOゲージで、軌間32ミリ、実車の約45分の1で、閉館した交通博物館や大阪の交通科学館さえHOゲージ(軌間16ミリ(半分)、実車の約80分の1)でしか出来なかった物を実現し、大迫力でした。そして再訪を誓い後にしました。



 そしてバスで(現在市バス滝頭車庫である、市電滝頭車庫跡です)地下鉄に行き、湘南台から相鉄を取材しようと思ったものの、日没で断念。そして今日の宿泊地へ向かいました。



 明日は今日の続きですが、横浜方面には行かず、何処へ行きましょうか。投稿は遅くなりそうです。

ホント、ツいてない!

Jsangi1_1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週(いや今月)第一回目の”Tetsu”をお届けします。



 今日は、三岐鉄道を訪問しました。



 ゆったりと自宅を発ち、近鉄富田へ。西口で一日乗車券(1,000円)を購入し、階段を登ろうとすると、非情にも発車ベルが!登り終えると、既にドアは閉まり、駅員さんは手を挙げています。「勘弁してください。」と言われたので、乗車を諦め、次の電車を待とうと思いましたが、まだ30分ある。そこでJR富田を訪問することを思いつきました。



 駅で地図を確認し、徒歩8分、JR富田に到着、そして入場券を購入し中に入ります。奥では、三岐鉄道ED45 9及び8の重連が、空のセメント貨車(タキ、タンク車)16両を牽き、発車の準備を(写真)。カメラを下ろすと、直ぐに発車しました。



Jsangi2_1  貨車の後は、かつての三岐線が発車していた頃のホームに、駅名板が立っています(写真)。後には、JR貨物更新色の、愛知機関区所属と思われる、DD51 1804号機(800番台(貨物用蒸気発生装置省略形)103番目)が停まっています。









Jsangi3_1  撮影後近鉄富田に戻ります。仕切り直し、三岐鉄道(元西武と思われる)、101系です(写真)。これに乗車しました。











Jsangi4_1  今度は無事に西藤原に行けると思ったら、2度目の不幸が。先行する先ほどの貨物列車が、山城~保々間で、何と踏切事故に遭ってしまいました!結果乗車している電車も、山城から先へ進めなくなってしまいました。レスキュー隊が来るほどの大騒ぎでした。結局1時間後に、代行バスが迎えに来て、それに乗車。次の保々まで乗車しました(写真)。皆さん、踏切にはくれぐれも注意しましょう。





Jsangi5_1  先行する貨物列車は自力で保々に到着したようです(写真)。ここで機関車を、ED45 9と8の重連ごと、右奥に写る7と2の重連に交換しました。そうしている間に復旧したらしく、さっきまで乗っていた電車が近づきますが、貨物列車の出発を待っています。入れ替わり入線しますが、さっきの貨物と行き違う列車がやって来るまで発車できず、更に足止めを。随分待ちました。そして、1時間以上遅れ、やっと出発しました。





Jsangi6_1  今日は、丹生川の貨物鉄道博物館は休館です(展示車両は見学できます、詳しくは三岐鉄道のホームページにて)。今後の展示用か、アルミのタンク車、タム8000が、ト15とともに留置されています(写真)。









Jsangi7_1  やっと終点、西藤原に到着。毎日曜日には、「ウィステリア鉄道」が営業しています。横には、SL102、三岐通運のスイッチャー、電気機関車”いぶき”502が展示されています(写真)。ミニSL、ミニ新幹線も子供たちを乗せています。









Jsangi8_1  ホームから見た「ウィステリア鉄道」の様子です(写真)。お子様と来られては如何ですか。勿論電車が一番喜ばれますが、駐車場もあります。











Jsangi9_1  西藤原の駅舎は、あの真岡鉄道真岡ではありませんが、SLが2両並んだ姿をイメージしています(写真)。













Jsangi10_1  よく見ると、現在は使われていませんが、ホーム上り方に腕木式信号が(写真)。そして、乗車しました。













Jsangi11_1  2駅目の東藤原で下車。ホームの反対には、デキ202が(写真)。僚機デキ203は?まして入換に従事しているというED301は?本当にED301は幻でしょうか?











Jsangi12_1  先ほど保々からタンク車を牽引したED45 2と7の重連が、構内で入換です(写真)。後には、ED45 1と4(手前が1)も写っています。











Jsangi13_1  ED45 2と7の重連が、タンク車タキ16両を引き出します(写真)。タンク車は110000という番号が付いていますが、形式は皆タキ1900という形式の私有貨車で、全て小野田セメントと書かれています。それもその筈、東藤原駅前には、現在の太平洋セメントの工場があり、ここを貨物列車が行き来するのです。そのため、休日でも電気機関車と貨車が出入りし、はっきり言って見飽きません。



 なお一駅富田よりの伊勢治田には、かつて鉄道貨物華やかなりし頃の名残で大ヤードがあり、現在休車と思われるタンク車やホッパ車がたくさん留置されています。ファンとしては、少し心が痛みます。



Jsangi14_1  そして今回何故また三岐鉄道なのかと言えば、それはこのため、大安の凸型電機のためです(写真)。何度も通り過ぎ、同じ形のED301と同様、かなり気にしていました。形式はED222、元信濃鉄道(現JR大糸線だそうです)にて戦前にウェスチングハウス社で製造された、舶来の輸入電機だそうです。展示され十数年、窓ガラスは無く、ドアも開き、屋根で辛うじて腐食を免れています。幻の凸型電機は、残念、これもハズレでした。



 本当は、この後富田から桑名に戻り、三岐鉄道北勢線の復旧後の取材をしたかったのですが、残念、また次回です。



 そんな感じで自宅に戻り、投稿しています。来年は、北勢線1日乗車券を期待しましょう。



 でも、本当にED301って、何処にいるの?

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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