いよいよ、その時が来ました!

Asahis1



  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。



 月曜に休めるのは、労働基準法から考えて、どこか休日に出勤するから、と解ります。今日はその出勤日でした。帰り道に、少し気にして見てみると、名鉄瀬戸線の”新”尾張旭検車区の工事が、かなり進捗しているのが解り、早速撮影しました(写真)。



 昨年4月の取材では、今日も赤い電車が停まる留置線だけだったのに、その東側(写真左側)には車両工場と思われる建屋が出来、また西側(写真右側)には事務所と思われる建物が建っています。













 Asahis2





 車両工場を拡大すると、建屋は完成、しかし下の線路は未だ未配線で、現在路盤を重機でつくっているようです(写真)。工事着手から1年目になる今年6月頃には、おおよそ完成しそうです。こちらは楽しみです。



 しかし、ここが完成すれば、喜多山検車区の機能はここに全て移転、ということは喜多山駅近辺の高架化の準備も整うということでもあり、お堀電車の時代から続く喜多山検車区は、その役目を終えるということです。喜多山の記録は駅の3番ホームからでも出来ますので、どうか早めに記録されることをお薦めします。



 名鉄は鉄道の省エネ化・近代化を目標に掲げており、瀬戸線もその例外ではありません。新車も投入するそうですので、主要都市都心部を走る最後の釣掛車、6750系も危ういものとなりました。尾張旭を記録するなら、喜多山と6750も決して忘れることなきように。



 明日からは新年度です。私も仕事で忙しくなり、投稿もまばらになってしまうかもしれません。しかし当ブログは、私にとって一番大切なブログですので、成る可く投稿するよう心がけますので、今後ともよろしくお願いします。

ディーゼル貨物のサンクチュアリ

Yokkai1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは平日ですが、今日の”Tetsu”をお届けします。今日は、平日であることを生かし四日市の貨物列車を見に行ってきました。











Yokkai2  期せずして手に入った平日の休み。これを有効に生かすには、何処へ行けばいいか?この近辺なら考えるまでもなく、「四日市」と答えが出ます。そのため、早く帰った昨日の遅くに、鉄道貨物時刻表を眺めながら、今日の予定を組みました。



 今朝は通常通り起きてから、得意技をかましてしまい、気付けば出発予定時刻を過ぎていました。しかし近鉄の急行は20分おき、第一目的地へ20分早く到着する計画だったため、そのままスライドし、まず近鉄塩浜へ。ここで先ず南松本からのガソリンのタキの返空回送を見るのが1回戦です。



 何とか時間前で、事なきを得た、安心と思いきや、なかなか目的の列車が来ません。近鉄の普通でもなく、やっと来たぞ!と思ったら、何と青い更新色のDD51重連(875号機と893号機、写真側が875号機)が、重連回送でやって来て、貨物駅の反対側で停まります(写真)。正直、「そりゃないぜ!」とは思ったものの、昨日は日曜、貨車が稲沢には送られなかったのでした。結果最初からスカを食らわされてしまいました。



Yokkai3  しかし、近鉄に乗車料金を払っただけのことはあって、かつて「謎の機関車」と紹介した、デ31形デ32の全景を捉えました(写真)。「まるごと近鉄ぶらり沿線の旅」という本に書いてありました。もともとは養老線貨物用に製造された狭軌の機関車でしたが、貨物廃止で不要となり、デ32は塩浜工場内の牽引車として残っています。これでモトを取り、近鉄四日市に戻りました。









Yokkai4  近鉄四日市からJR四日市へ。やはり、近鉄の方が今は繁華街になっています。既にこの時点で昼時で、コンビニ風弁当屋に入ると、コンビニ並みの値段で自家製の暖かい弁当がありました。味の方は、貴方の舌で確認してください。



 JR四日市では、西側には表題の通り国鉄色のDD51 896牽引の稲沢行きコンテナ貨物が止まっており、反対を見ると、コキの亀山方に、JR貨物新更新色のDD51 857が誘導されます(写真)。そして連結され、亀山方へ移動します。





Yokkai5  すると既にスタンバッているDD51 890(写真右手前、青更新色)、1804(写真右後、新JR貨物更新色)で重連組成されたコンテナ貨物と並びます。しかし暫くすると重連貨物の方が発車しました(写真)。











Yokkai6  そして次の列車に乗り一駅、南四日市へ。既に「山九」と書かれたスイッチャーが待機中です(写真)。こちらはDB15、動輪がロッド式なのが解るでしょうか。













Yokkai7  そろそろ、四日市発南四日市行き貨物列車が到着する頃だ、と思ったら、何と先ほどの857号機がコキを牽引してきました(写真)。定時です。













Yokkai8  先ずは到着線に到着、そしてコキ全体を側線に入換、編成を分割しもう一往復し、DD51は切り離されます。そして到着前から側線に留置されていたコキを牽くべく、駅を反対側に移動します(写真)。連結手が構内無線で誘導しているのが解るでしょうか。そして反対で連結され、四日市方面への帰還の準備を終え、待機します。









Yokkai9  残されたコキの一方へ、側にいた「山九」のスイッチャー、DB25が移動し、一発で連結します(写真)。手慣れたものです。こちらは、貨物をお客に引き渡すべく南方へ移動します。そして私も南四日市を出発しました。











Yokkai10  次は、何と伊勢鉄道玉垣へ。伊勢鉄道本社前で、今日の稼働はイセIII形のうち101(富士重製)と103(新潟トランシス製)で、写真は104、建屋の中で102が整備中でした。レール輸送用のモーターカーも塗装中で、今日の晴天を有効に活用していました。そして四日市へ戻ります。











Yokkai11  四日市駅3番線に到着すると、先ほどは入換のため待機中だった国鉄色のDE10 1503が、ガソリンのタキ3両ほどを従え、移動の準備(写真)。やはり月曜、貨物は少なめか。











Yokkai12  すると、南方からDD51 1803が、セメントのタキを従え現れます(写真)。この列車の目的地は三岐鉄道東藤原で、富田で三岐鉄道の電気機関車に引き渡します。これだけあっても単機で、やはり平坦線の返空回送だからか。











Yokkai13  時計を見ながら、「まだか、まだか!」と思っていると、やってきました、写真手前が新JR貨物更新色のDD51 1804号機、後が青い更新色の890号機が(写真)。今気付きましたが、これって、先ほどの貨物列車の稲沢への返しなんですね!ガソリンのタキ十数両を牽引しています。なお、この貨物列車は稲沢で機関車をEF64重連に替え、南松本を目指す旨荷札に書いてありました。











Yokkai14  これで終わりだ、帰ろう、と思って普通電車に乗り、カメラをしまった瞬間に現れた、DD51 856(手前、青い更新色)、847(国鉄色)の重連回送です(写真)。これはフィルムを取り出した後のため、デジカメだけです。結局その普通電車は諦め、次の快速”みえ”で帰ることとしました。











Yokkai15  最後に、四日市駅の駅舎前で今日一日待機していた、DD51 825です(写真)。これで今日の取材を終えました。



 最初の塩浜では出鼻をくじかれましたが、そのあとは概ね予定通りでした。まさに、DML61Zのサンクチュアリです。私的には、途中までなら電機で、PFもアリと思うのですが、入換、紀勢線、塩浜線、等々考えるとやはり統一的にDD51やDE10を使うというのが一番妥当なのでしょう。



 ただ、、この地域の貨物の話をすると、亀山経由紀勢線貨物と、あとは四日市の跳ね橋の話があると思うのですが、前者は早朝深夜で新宮付近しか撮影が出来ず、後者は四日市駅の駅裏からかなりの距離があるので、車による取材も検討せねばなりません。そのうち、ご報告します。でも、今日って、JR貨物愛知機関区ではない機関車って、あったっけ?

最後ですね(モ3702)

Toyoaka1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今回は、今日引退した豊橋鉄道市内線(東田本線)モ3702の引退記念イベントに参加しました。



 まず、モ3702の話をすると、この車両は昭和2年5月に日本車輌製造(株)(すなわち日車)で生を受け、名古屋市交通局(市電)1204として活躍、同37年豊橋鉄道入線、そして現在に至るという車歴を持っており、半鋼製電車(木材も多用)で、リベット丸出しでかなりレトロな雰囲気の車両です。車齢80年、名鉄の「いもむし」同様エバーグリーン賞を受賞したものの、寄る年波には勝てず、この度引退することになりました。鉄道雑誌のみならず、今朝の地元紙にも今日のイベントが紹介されていました。



 確か昼12時少し前に、最終出発式を豊橋駅前電停で行うなあ、と思い、それならゆったり出発すればいいや、とかなり遅くに名鉄特急に乗車します。しかし本宿峠を越えると雨が。嫌な感じです。結果間に合いましたが、既に報道関係、他数十名が狭い電停内で撮影を行っています(写真)。こうなると解っていれば、あと30分早く来たでしょうが、結果は同じでしょう。やはり小雨模様でした。



Toyoaka2  電車の前を横切り、比較的空いている乗車ホームに移り、反対側へ(写真)。現在の起点からの写真です。この起点の位置は、この10年余りの間に数百メートルJR寄りになりました。十数年前の豊橋駅は、駅前に自家用車が駐車できるほどでしたから。そのスペースにバス及び電車のターミナルを造り、上に高架歩道を設置し、乗り換えをスムーズにしたのでした。いわゆる市街地整備事業と呼ばれるものです。その結果、豊橋駅周辺は、昔を思い出せないほど近代化し、便利な駅になりました。



 電車の降車ホーム側(写真右側)では、出発式典が行われています。その様子を撮ろうと、多くの人が構えています。私は電車を必死に撮っています。



Toyoaka3  式典が終わり、予約した団体客が乗り、モ3702は出発します。すぐに変則信号にかかるので、一旦停止(写真)。報道関係を含め多くの撮影者がいるのが、解るでしょうか。



 その後午後1時から撮影会と、鉄道雑誌には載っており、豊鉄社員に聞くと、「到着次第始まります!」とのことでした。慌てて目の前の赤岩口行き電車に乗車します。







Toyoaka4  赤岩口電停前に、豊鉄赤岩口車庫があります。乗車した電車が赤岩に到着した時には、既にモ3702は電停先の引上線に入り、ダルマポイントの切り替えがまさに行われている所でした。すぐに降りようとしても、鉄道ファンでごった返す車内では、すぐには降りれず、そのまま車庫に入っていってしまいます。撮影は出来の悪い側面と、入線直後の雰囲気(写真)だけでした。









Toyoaka5  モ3702が入線すれば、時間前ですが役者は全て揃います。普段撮影をしない(してはいけない!)線路上から、車庫全体が見渡せます(写真)。左から、モ3702、モ3102(イベント車、花電車に使われる)、モ3202、モ3502(元都電7000系)、モ786(元名鉄780系)、モ801(元名鉄800系)です。後にモ3504がいますが、解りますか?









Toyoaka6  業務用車が通るスペースに、カラーコーンとトラ柵が渡してあります。東側から見た姿(写真)。



 この後に特設売店があり、今回の引退記念グッズが売られていました。ペーパークラフトは100円と、破格のお値段です。下敷きは通常の市内線オールスターキャストのものと、モ3702引退記念下敷きがあり、いずれも350円です。他色々買いました。明日以降でも、残っていれば新豊橋や競輪場の窓口でも手に入るのでは?





Toyoaka7  午後1時になり、撮影会が始まります。部品も、ボチボチ人が集まってきました。入口を開けるとファンが入ってきますが、カラーコーンの柵の方が遅れて、社員は慌てていましたが、実はファンの方が無理に入らず、今日は良識のあるファンが多いようでした。矢張り、ファン全員が楽しめるものでなければ。



 工場側からのシーン(写真)。花電車ではない3102は、こんな色なんですね!







Toyoaka8  そして15分おきに中に入る撮影が認められます。早速、最後の姿を残すため、多くの人がモ3702の内部に入ります(写真)。中は本当にウッディーでクラシカルですねえ!色々撮影し、外に出て、名残を惜しんでいました。



 十数年前私がサラリーマンになった頃、初の勤務地が豊橋で、市電沿線であったことから、よく利用しました。当時のモ3702のイメージは余りないのです(当時は皆同じ電車でした)が、丁度都電7000系入線の頃で、豊橋の人たちは、モ3500のように東京人の私をかわいがってくれたものでした。あれから十数年、色々ありましたが、豊橋などの三河部の人々の気質はそれほど変わったようには思いません。遠征でみえるのなら、ヤマサの豆ちくわ(わさび漬け付き)で一杯やって、打ち上げをしてください。



 最後は、「豊橋良いとこ、一度はおいで!」

春きたるらし#6

Turut1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今日は、昨年直流化された敦賀方面に行って参りました。



 自宅を普通に出発し、JR新快速に乗車すると、両数も増え安心していた新快速で、名古屋でも、岐阜でも座れません。大垣でも全く駄目で、結局米原まで立ち席でした。米原からは両数が増えて、安心だ、と思ったら、北陸からの乗客が既に座っていて、やむなく簡易座席に。この春は、「青春18きっぷ」のユーザーが非常に多い!破格のお値段ですからねえ!



 そして山科へ。暫く待っていると、敦賀行き新快速、表示は何と「4両」で、びっくり!え!嘘!って感じでした。話によると、京都で後8両を切り落とし、それより敦賀方は4両とのこと。因みに残った8両は、反対ホームを野洲に向け回送しているようでした。



 乗車が京都ではなく山科だった、ということで、やはり満席でした。しかし乗客は減る一方ですので、そのうち席が空き、着席が可能となりました。そして、表題の写真のとおり、敦賀へ到着。暫くの間は、乗降客で細い4番ホームは大変な混雑でした。



Turut2  福井方には「食パン」が停まっており、これに乗車と思ったら、機関区の方へ回送されます。そしてやって来たのは、三電源対応の(北陸と九州にしかいない)457系(写真はクモハ457 18)3連、金サワ(金沢総合車両所)A12編成がやって来ました。これはシールドビーム未改造の大目玉です。実は古いMc、Tc車の方がシールドビームに交換されている率が高いんです。これに乗車しました。







Turut3  発車までに時間があったのでホームに出ると、こちらも今夏限り、”雷鳥”485系(写真はクハ481 801)、京キト(京都総合運転所)A02編成です。停車、そして先に発車しました。そろそろ発車時刻です。











Turut4  昨年の秋、デッドセクション(死電区間、直流交流電源切り替え場所)の位置が、かつての北陸線長浜~虎姫間、湖西線永原~近江塩津間であったのが、現在は北陸トンネル敦賀方入口手前に移設されたため、敦賀まで直流電車の新快速が乗り入れ可能になりました。それを見たかったのと、現在のデッドセクションを通りたい、との二つの理由から、結局特急も停まる福井まで行くことになりました。



 新式の電車では補助電源装置がSIV(スタティック・インバーター)で、デッドセクションでも無停電ですが、国鉄時代の車両だと補助電源はMG(電動発電機)のため、架線の電源がないと止まってしまい、バッテリーでバックアップされる制御装置を除くと車内の電源が止まり、結果照明も一時的に消えます。その瞬間の写真です。かつて虎姫にあった時代は、なんでこんなに長い時間停電するのだろう、と思いましたが、今は習熟のせいか、あっという間に切り替わります。



 因みに、デッドセクションが長浜に設置される前は、米原~田村間が非電化で、米原から田村の交流機関車に引き渡すまでの間、なんとSLやDLが引っ張っていたのでした。何という時代でしょうか?だから田村駅の上下線の間は広いのです。



Turut5  福井に到着。写真は、福井駅越美北線ホーム2番線のトレインキャッチャーです。JR西日本は、新しい所は万全なんです。しかしあまりにローカル線が多く、全部に手が回らない、というのが実情のようです。











Turut6  折り返し列車の発車を待っていると、乗車した列車の反対側(写真側はクハ455 65)に、クハネ581のなれの果て、クハ419 5を先頭に、419系3連、金フイ(福井地域鉄道部、(敦賀運転派出))D15編成がやって来ました(写真)。そして元の道を辿りました。



 福井駅南西方の福井地域鉄道部には、国鉄色キハ58の2連や、キハ120、DE15、他色々いました。越美北線の水害復旧が終われば、さぞ楽しみなことでしょう。しかし撮影を忘れてしまいました。





Turut7  敦賀に戻ると、向こうに「食パン」419系、金フイD01編成が停まっています(写真こちら側がクハ418 1)。全部1番です。元寝台電車であり、室内は縦に広い電車です。













Turut8  乗車する電車の方に向かうと、4番線には主に小浜線用のクモハ125 6(直流化に伴い、福知山から敦賀に転属した)が停まっています。さあ撮ろう、と思いカメラを構えると、機関区の方からEF510 7号機が単機でやって来ました(写真)。EF510は、駅を行き過ぎ、福井方に発車しました。











Turut9  6番線にサンダーバード(写真側がクロ683 1)が入線します。すると横に、恐らく敦賀港からやってきたDE10 1044牽引の貨物列車が、下りの5番線に入線します(写真)。DE10は連結手とともに入線し、その後貨車を切り離しました。結果、先のEF510が福井方に牽引したようです。











Turut10  随分待ちましたが、やっと新快速はやって来ました(写真)。神ホシ(網干総合車両所)V25編成です。これに乗車しました。













Turut11  必死に構えたのは、かつての敦賀機関区の跡です。色々な車両があり、特に”日本海””トワイライトエクスプレス”の機関車は基本的には全部敦賀のため、何としても押さえたかったのですが、行きは目の前でEF81を逃し、残念でした。帰りは色々撮りましたが、この写真には新車521系と、その後にDE15等今年活躍が少なかった除雪ディーゼル機関車が写っています。









Turut12  また山科や京都に行っても良いのですが、結局近江塩津で下車。通常は米原方面に接続があるのですが、この時間だけ無く、彷徨く時間がありました。写真は、恐らく今回の直流化と共に新築された近江塩津の新駅舎です。こんなものでもなければ、本当に殺風景な場所だったのでしょう。











Turut13  JR西日本の521系は、223系をベースに今回の直流化に合わせて設計された交直両用電車で、切り替え当日に落成は間に合わなかったのですが、順次出揃い、敦賀の庫を賑わせ始めました。当然今回も乗車までは無理でも撮影は、とは思っていたのですが、何度もチャンスを逃し、今回は残念で終わりそうでしたが、何と直流区間の近江塩津でE01編成を捉えてしまいました!(写真)JRの配慮には感謝します。今回は長浜の125系2連、までありましたからねえ!それで次回の乗車を誓い、自宅に向け出発しました。





Turut14  最後に、写真は米原行き”しらさぎ”号です。かつては国鉄最速特急”加越”と名乗り、”しらさぎ”とは長い間車両の共通運用はなく、新式683系に置き換えられて初めて共通化しましたが、当初ボディには”しらさぎ”&”加越”とペイントされていました。しかしそれらは全て廃し、現在は米原行きも”しらさぎ”に愛称を統一(号数は51号から数えていますが)、ペイントも”しらさぎ”に統一されています。車両も愛称も統一、なぜそうなったのか?単純なこと、つまり名古屋や岐阜の利用者が望むなら、いつでも延長運転しますよ!というメッセージなのです。しかも基本編成は、付随客車を新造すればいつでも6両に出来る構造になっています。結局ユーザーの意識次第なのです。



 あなたがもし、金券屋回数券でもいいから有料乗車するなら、それはサービス向上につながるのです。それでも車の方がいい、というなら止めませんが、どうか貴方の検討の一つに、”電車”を加えていただけないでしょうか。



 最後の結びは、「来たれ”しらさぎ”、全て名古屋まで!」

春きたるらし#5

Skw1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今回は、重装備で臨みました。



 この時期になると、会社等では送別会等で忙しいもの。今週も車で参加し、一泊しました。そこで今朝起きた時に、「装備もあるし、どっか行こうか!」と思い立ち、結局またしても長野県へ行って参りました。







Skw2  実は宿泊は長野県から遠い所でしたが、カーナビで指示を仰ぎ、まずは1回戦、やって来ました、木曽福島駅へ。木曽福島駅駅前駐車場内に、写真のとおりD51が鎮座しています(写真)。775号機、汽車製造製で、主に北陸で活躍し晩年に木曽福島にやって来ました。中央西線に乗ると、いつも気になる機関車で、やっと撮影できました。屋根のお陰で、最悪の事態は免れているようですが、落書きの跡を黒く塗っているのが解りました。なお、手前右の白い支柱は、遠方中継もある腕木式信号機でした。





Skw3  2回戦は奈良井へ。線路沿い、奈良井宿観光駐車場の中に、写真のC12 199号機が保存されています。こちらは良好、と言いたいですが、残念、左右共にメーカープレートが無くなっていました。ここから奈良井駅まで、歩いておよそ10分位距離があります。











Skw4  それと同じ位興味があったのは、そこから駅寄りの、ナローのスイッチャーのような機関車です。前には、”SKW”と書かれています。横の刻印には、”SAKA-WORKS SIBAURA TOKYO”とされており、日本製の機関車です。後には木製の小型客車を従え、”B型 王営 助六 No.5”と書かれています。ここが木曽である、ということから、おそらくどこかの森林鉄道の車両と思われますが、詳しくは分かりません。これを写し、次の目的地に旅立ちました。







Skw5  3回戦は、ここまで来たので行ってしまおうと、篠ノ井線村井へ。駅前は乗降客用の一時駐車スペースがありますが、ここからは目的のスイッチャーは見えません。彷徨いていると、踏切を渡った反対側に、2両のスイッチャーと、数両のタキが見えます。丁度カメラを構えると、スイッチャーがタキ3両を牽いて入換を始めました(写真)。









Skw6  ここまで来たので、南松本はもうすぐです。南松本は駅前の駐車スペースが十分取ってあるので、取材が楽です。まず駅舎北側の待機線には、左は、EF64 30(手前の国鉄色)、75(後のJR貨物更新色)、右がEF64 1017(これもJR貨物更新色)が停まっています(写真)。1017号機は、単機のようで、通常EF64 1000番台は重連で上越線の仕業に当たるのが中心(高崎機関区の車両、少数岡山(伯備線用)もあり)で、中央線系統の仕業に入ったという話は、聞いたことがありません。今後、転配でもあるのでしょうか。





Skw7  今後の中央線の主力、EH200 11号機です(写真)。EH500同様に東芝製、EF64重連仕業を1両でこなせるよう設計されています。当然、中勾配用です。区名札には「髙」が入り、「高機」ではありませんでした。











Skw8  さらに南側には歩道橋があり、そこから撮影しようとしましたが、やはり線路の真上は高いネットフェンスが張られており、背が高くないと上から写せません。仕方なく横に移動すると、端は低くなっています。しかしレベルが取れずボツ。



 そこで更に降りた所から、貨物駅の中を撮影します。いつも通りDE10は停まっており、また殆ど更新色ですが、EF64 0番台が重連組成され多数待機しています(写真)。よく見ると、お召し機関車77号機も写っています。





Skw9  地平におり、もう一度貨物駅を(写真)。広い駅、見渡せるでしょうか。そんな感じで今回の取材を終え、帰宅しました。



 実は昨日は遅くまで飲み、睡眠は十分ではありません。でも、諸問題を解決し、すごく良い気分です。



 次回は、今度の祝日位でしょうか。

動いてなくてもいいのなら、

Ef65111  動いてなくてもいいのなら、こんなのもあります。



 昨年のJR東海浜松工場公開2日目に撮影した、EF65 111(写真)。某RM誌に”骨董品”と書かれた(塗装が国鉄標準色、しかも窓のHゴムが原色のままの白色な)同機、浜松工場構内の狭軌の線路に留置されています。故障等で今後が真っ暗なED18 2や、EF58 122号機と並んでいました。客車は全廃、レール輸送もチキを廃し気動車を新製するJR東海、もう牽くもののない機関車は使い道無く、このまま引退と思われます。合掌。

春きたるらし#4

Karus1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、”Tetsu”今週の後半をお届けします。今日は、昨日の宿泊地から自宅への帰り道です。











Karus2  今朝は遅めに起き、そして長野駅に向かいました。長野駅篠ノ井方には、横須賀色のクモユニ143 1が停まっています(写真)。これはラッキー!普段は牽引車代替として長野工場とかつて呼ばれた場所(現在は恐らく長野車両センター検修部門)にいる車両です。同型の3号車も同所に在籍します。











Karus3  そして今日は、しなの鉄道S8編成(写真はクモハ115 1529)に乗り、軽井沢を目指します。













Karus4  軽井沢に到着。先ず気になったのは、かつての碓氷峠関連施設です。横川方を見ると、かつての線路が残っているのに気がつきます(写真)。車止めは枕木だけで、横川のようなコンクリート製の構造物ではありませんでした。唯一の救いです。











Karus5  かつての1番ホームには、マルタイ、次は10000形10000、EF63 2、モーターカーが置かれています(写真)。かつて碓氷峠の発電所跡側の線路に置かれたEF63と189系は、イタズラが余りに酷く、可哀想と、横川駅3番ホームに移設されましたが、無惨な姿をさらしていました。ここは駅構造物の中で、他の場所より安全なのでしょう。



 10000形は、日本初の電化区間だった碓氷峠用の最初の輸入電気機関車で、真ん中にアプト式ラックレール用の歯車があります。後に確かEC40に改番、その後中小私鉄に譲渡されましたが、保存用に返還されたようです。



 EF63 2は、恐らく同1号機と共に試作され、新製時は高崎(第一か第二かどちらかは忘れました)に配置され碓氷峠の粘着新線で試験され、切り替えと共に横川機関区に移転、最後まで残った機関車です。製造は東芝のようです。正に、シェルパという言葉が似合う機関車でした。



Karus6  そして来た道を戻ります。途中御代田駅北東方沿線に、写真の構造物を発見(写真)。どうもD51 787号機が中に置かれているようです。白線の入ったランボードが分かります。











Karus7  この列車は小諸で終点となります。後を振り向くと、キハ110、写真手前が116、奥が119の2連が、中込方面へ走り去っていきます(写真)。



 そういえば、先日キヤE991系(ハイブリッドディーゼルカー試作車、1両のみ)がハイブリッド駆動の実験を終え、ダブルデッカーの東急車輌で改装、燃料電池の実験車となり、小海線に輸送されたとの由。乗用車なら、普通のハイブリット車で300万、4WDにしても500万なのに、実は燃料電池車は一千数百万円するのです。完璧な技術ですが、まだ値段が高いのが難、というべきか。



Karus8  しなの鉄道線を乗り進み、大屋には何故か背の低い架線の支持物が(写真)。つまりここで架線作業の練習をしているのでしょう。













Karus9  屋代駅近辺には、写真のような大きな工場があります。これは長電テクニカルサービスの工場で、ここで長野電鉄のみならず、しなの鉄道の旧JR車まで検車を行っているのです。以前は古巣のJR東日本長野工場でしたが、今はここです。もし貴方がそういうことに興味があるならば、電車の普段見ない妻面に、いつ、どこで検車したか、ペイントされているので、見られては如何ですか?







Karus10  時間の都合で、結局長野に戻ってしまいました。写真はJR東海383系、クロ383 103(A103編成の4連)です。こういう運用も出来るよう、非貫通0番台車と同様の設計になっています。











Karus11  A103編成では2両以上足りないので、名古屋方2両はA203編成(写真はクハ383 3)です。かつて373系の運用が間に合わなかった時か、383系A200番台編成を3つ繋ぎ6連にした臨時列車を見たことがあります。今後特急”しなの”の利用客が増えれば、一番に製造される車両でしょう。実は383系、A0番台、A100番台、A200番台共通のことは、名古屋方先頭車が全てクモハ383 0番台なんです。是非、実物でご確認ください。







Karus12  そして結局各停に乗車。篠ノ井から構えていた、篠ノ井派出所に留置されるDD16 301の前頭車(ラッセルヘッド)、機関車本体です(写真)。実は反対側にも同じ前頭車があり、いずれも軸重軽減のためボギー車となり、結果日本一長い機関車との称号を受けています。



 もともとDD16は、C56等簡易線用軽軸重SLを淘汰するため、DD51のエンジン(DML61Z)を軽量化し(出力も少し落ちた)、国鉄長野工場でまとめ上げた機関車で、相当数製造されたのですが、貨客混合列車が消滅し、結果ディーゼルカーだけで間に合うようになり、相当数廃車され、通常型は確か1両JR西日本の大糸線に残るだけの筈です。うち4両をラッセルヘッドを製造し改造し、301~304の4両が製造され、JR西日本に1両、ほか3両は小海線、飯山線用に残されました。今でもたまにマヤ検でヘッドを外し運用されることもあるようですが、JR東日本ではキヤE193系登場で、おそらくそれは無くなるでしょう。



Karus13  そして2駅、姨捨へ。今日は晴れたり雪が降ったりで、激しい天気でしたが、この後トンネルを抜け、聖高原からは晴天、良い天気でした。



 松本から中津川行き313系3000番台ワンマン車に乗りました。塩尻からはJR東海の中央西線で、JR東海の運転手に交代します。それから数分後、最初の駅の場内信号が見える所で、突然電車が停止します。衝撃は無かったのですが、線路上に故意に置かれた金属製灯油缶をはねたそうで、回収、車両の安全確認で20分近く停止しました。襲撃予告です。



 とうとうJR東海に向け、十字架は燃やされました。恐らく社内では、誰が高見になるだろうと、戦々恐々としているでしょう。JR東海には気の毒ですが、おそらくこのままでは事故が起きるでしょう。しかも、福知山線事故と同様、警察も国交省も満足に捜査しないでしょう。そりゃそうでしょう、マスコミも関係者も既に全て手配済みですから。



 もし仮に、どこかの新聞社が真実を発見し、記事にしたなら、その記事を書いた記者は、懲役10年を食らうのです。仮に受刑30年後、その記事は正しかったと証明されても、再審は行われず、永久に前科者なのです。法律を学べば、毎日新聞西山記者事件として、誰もが学ぶ事件です。



 しかし、起きるであろう事故の内容を、ある程度予測することは出来ます。やはりJR福知山線でも、競合路線があったから起きたわけで(双方から二重取り!)、それから考えると、JR東海管内で他社との競合をするのは豊橋~岐阜間、あと敢えて挙げるなら、名古屋~半田(武豊)位でしょうか。特に名古屋~岐阜間は、名鉄は線形が悪いため遅く、料金も高く、しかも国府宮~一宮間で乗客多数が負傷する事故を起こした(1430系誕生の原因、指定席2両廃車の事故、踏切内で無資産外国人が暴走していた)ことで、今では地元では、余程の理由が無ければ乗りたくない路線となっています。シェアはJRが8割になるでしょうか。ここでJRが事故を起こせば、犯人達は名鉄に向かって、「お前達のために起こしてやったんだ、誰のお陰だと思ってる!」と恐喝するでしょう。しかもマスコミはJR運転手の悪口を書き立てるだけ、真実がばれる心配もなく、やりたい放題です。”週刊大衆”の出番です。



 しかもJR東海は株式を公開していますからねえ。異常に株価が上昇したら、それは危険サインです。事故前提の株価操作でしょうから。日本にはインサイダー取引を満足に監視できる組織は存在しません。



 先回セキュリティエリア外に侵入して得た情報が”ミュースカイ”でした。結局この時犯人達は、名鉄から直接場外取引で株を安く手に入れ、利益は確保したようです。



 私は社会主義国家の株式というのは可笑しいと思います(そんなものに振り回される世界経済も愚かです)が、しかし我々はそれを笑う資格が無いと云うことが解ります。だって、これだけのことをやってしまったんですよ!



 言いたいことが支離滅裂になってきたので、少し頭を冷やしたいと思います。JR東海社員の皆様、暫く大変でしょうが、どうか無事守りきり、明日を手に入れていただくよう願います。

春きたるらし#3

Nagam1_1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”今週の前半をお届けします。今回も飽きずに長野方面へ来ています。











Nagam2_1  先週大糸線の青い国鉄色のキハ52を捉えることが出来たので、最初の予定では初電で家を出てまた糸魚川を目指す計画だったものを、普通の時間でショートカットする計画に変更し、自宅を出発しました。



 中津川からは恐らく313系ワンマン2両編成を予想し、乗車できるだろうか、着席できるだろうか不安でしたが、やはりJRはそれを読んで、JR東日本長野色の115系3連(N24編成、写真側はクハ115 1020)がやって来ました。これに乗車しました。今日は富士山はありませんが、美しいアルプスの峰々が、今日の豊作を予感させていました。



Nagam3_1  そして最初の目的地、南松本へ。ここには石油ターミナル等の貨物駅があり、多くの貨物用機関車、貨車があり、先回通過時にチェックを入れていました。一駅前(間もなく二駅前になりますが)、村井にはスイッチャー2両があり、これは次回の楽しみとします。



 駅に降り立ちカメラを構えると、先ほど乗車した電車と並走していたものの、ゆっくりだったために抜かれてしまったDE10 1528入換中のタキ十数両の貨物列車が、駅に入線します(写真)。この列車は駅で停止しました。実は、この向こう側に愛知機関区所属のEF64重連が2組並んで待機していたのですが、他に気を取られ撮影し損ねてしまいました。



Nagam4_1  気を取られたのは当然、ホームの反対側には国鉄色のままのEF64重連が(写真)。塩尻方(写真先方)が52号機、手前が22号機、何れも区名札は「塩」で、塩尻機関区所属です。これは凄いと、慌てて改札を越え、外へ。そして表題の写真を撮ることに成功しました。今では少なくとも一方はJR貨物更新色となった今、この写真は貴重です。動いていなくても良いのなら、南松本が一番良いようです。今日はツキがある!と言いたいのですが、JRの配慮の結果なのでしょうか。



 しかし、通常中央東線は高崎機関区、中央西線は愛知機関区が受け持つところ、塩尻機関区は主に長野県内(しなの鉄道、信越線から篠ノ井線塩尻)迄がメインなのに、南方に重連で何処まで行くのでしょうか。



Nagam5_1  実は今日は南松本で撮影を予定していたのはこれだけ、DE10 1526(「塩」)でした(写真)。これだけで成功だったのに、何とまあ今日は豊作なのでしょう。













Nagam6_1  そうすると並びを撮るつもりだった重連の片方、EF64 30(写真手前)、75(いずれも「愛」(愛知機関区(稲沢)))の重連が、こちらの方へやってきます。どうやらこの機関車が、DE10が残したタキの編成を牽引するようです。











Nagam7_1  行き過ぎ、さあ入換というところで、横では湘南色(JR東海静岡車両区所属車)の115系3連(S5編成)が、飯田線に向けて走っていきます(写真)。期せずして並んだ東海の車両です。やはり64の山側は更新色なのは仕方がないのか。しかし2000番台でない115系も、東海ではあとどの位使われる予定なのでしょう。











Nagam8_1  そして折り返し連結手に誘導され、先ほどのタキの編成と連結されます(写真)。これから中央西線を下り、稲沢操車場を経由し、四日市の石油コンビナートへ向かう返空回送なのでしょう。稲沢からはDD51に牽引されるのでしょう。因みにこれらの貨車の所有は日本石油輸送(私有貨車)、何れもガソリン用のタキです。このあと2両とも貨車よりのパンタグラフを上げ、牽引の体制を整えます。







Nagam9_1  そして先ほどの重連と並んでいたもう一つの重連、EF64 10(写真手前)、74(いずれも「愛」)が停まっています。こちらは待機か、パンタグラフは下がっています。喜びとともに、次の電車に乗車しました。











Nagam10_1  篠ノ井では、またしても除雪機関車を撮影し損ね、残念です。こちらにもDE10 1529(「塩」)が待機していました。



 そして今日の第二の目的地、戸倉へ。電車を降りると、丁度169系(S53編成、写真手前がクモハ169 23)が帰庫し、洗浄線に入るところでした(写真)。









Nagam11_1  戸倉は、しなの鉄道の車庫です。今では同族はほとんど残っていない169系(元は165系に横軽対策を施した車両)、秩父鉄道も運用を止め、本当に富士急の”フジサン特急”位になってしまいましたね。写真手前2編成は169系3連、奥に並んだ2編成は115系3連です。











Nagam12_1  169系の真骨頂、EF63との協調運転用のジャンパ栓です(写真)。これが残っていることが、鉄道ファンの唯一の希望の綱なのです。189系は183系と混結され不可能、金沢運転所の489系は元”白山”用ボンネット3編成を除き京都運転所に転配となり、山陰用に183系に改造されました。しなの鉄道にのみ残存する169系4編成は、内装は既に新幹線0系のシートに変わっても、横軽協調運転の原点であり、最後の希望の拠り所です。どうか、碓氷峠がEF63で復活するよう願うのみです。仮に、それが法外な値段だったとしても。



 そして、次の電車に乗車しました。





Nagam13_1  坂城にも貨物駅があり、EF64 68(「塩」)が単機で、ガソリンのタキを入れ換えしていました(写真)。













Nagam14_1  そして今日の最終戦、上田電鉄です(写真)。今日は7253始め2両、「丸窓電車」です。これに下之郷まで乗車しました。













Nagam15_1  そして、下之郷まで行って写したかったのは、この写真、銀色の青ガエル、5251です。下之郷車庫で、倉庫代わりに使われています。そして今日の宿泊地に向かいました。



 こんな感じで、今日の行動を終えました。



 明日の予定はまだ未定ですが、ご期待下さい。

春きたるらし#2

Hokuhoku1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今回のシリーズ、第2話をお届けします。今日は昨日の宿泊地から、帰宅するまでです。











Hokuhoku2  昨日の写真から。そういえばまだ北越急行に乗ったこと無いなあ、と思い、今回幸いなことにその方向へ向かうことから、今回は是非乗車しようと思いました。



 北越急行の一般型車両の運用の西限は、直江津です。その直江津で今日を予感させたHK100-7始め2両です。特急用は”はくたか”であり、福井までの運用も、あったとか、なかったとか。







Hokuhoku3  今朝は思い切り寝坊をし、昨日の酒を抜ききりました。しかしなぜそんなに遅いのかといえば、今日は越後湯沢から北越急行の”ゆめぞら”に乗車するためでした(写真)。HK-100形101(手前)、102の2連です。そして発車時間がやって来ました。











Hokuhoku4  北越急行は、六日町と犀潟を結ぶ路線です。現代土木技術によって初めて可能となった路線で、大半がトンネルです。風景もなくあまり面白くはないのですが、それを逆手にとって、トンネルの中で映写機で屋根に映像を映す、ということを考えついたようです。その結果、写真のように幻想的な世界が広がります。ただ、これをフラッシュを焚いて写そうとする人が余りに多く、閉口しました。この映像を写したいなら、フラッシュは止めましょう。でなけりゃ、白い屋根が写るだけですよ!





Hokuhoku5  十日町で飯山線をオーバークロスし、またトンネルへ。「まつだい駅」では数分間停車します。行き違い、と言うので何が向こうから来るのかと思うと、683系8000番台9連が風を巻いて走り去っていきます。そういえばこれも1系列(基本、付属とも)1編成、計9両の少数派です。構体が神戸の川崎重工で落成後北陸線を輸送され、艤装を新潟トランシスで行いました。



 実は681系、683系は、線路の幅は在来線のままですが、路盤等整備されれば時速160キロ営業が可能な設計(いわゆる「スーパー特急」)となっています(因みに”しらさぎ”運用に入る683系は、ブレーキ交換が必要)。実際それが使えるのは、踏切のない湖西線とほくほく線だけで(160キロで踏切事故なんて、目も当てられません)、徐々にスピードを上げ、現在ほくほく線内は160キロ営業を行っています。









Hokuhoku6  犀潟で信越線に合流します。一駅先の黒井の貨物ヤードには、JR貨物新標準色のDE10 1728が停まっていました(写真)。













Hokuhoku7  直江津からは富山・糸魚川方面(北陸本線)と、長野方面(信越本線)に分岐します。北陸線はJR西日本、今日は475系国鉄急行色3連、A16編成が停まっていました(写真、こちら側はクハ455 18)。











Hokuhoku8  しかし今回は長野方面へ。直江津駅1番ホーム、183・189系6連旧”あさま”色、各停”妙高”の6連(N101編成)です(写真、手前はクハ183 1528)。こちらに乗車しました。



 この車両は、各停としては特急並みシートで豪華ですが、特急として見た場合は、昭和50年代風簡易リクライニングシートで、やはり最新の特急と比べると見劣りが。やはり台枠(シャシー)の観点で保存車を選んだのでしょうから、こういう結果になるのはやはり仕方がないのでしょう。長野新幹線開業で189系”あさま”が松本に流れ、”あさま”色の”あずさ”があったことは記憶に新しい所です。183系に横軽仕様が追加されただけの189系、総合的に状態の良いものを選び、更にE257系投入で、”あずさ”も置き換え、今は主に首都圏の団臨用です。この地区に、この色で残ったことに意味があると云うべきか。



 乗り進み、スイッチバック駅二本木では、同型編成(すなわちN102編成)と同時に駅に入線します。またびっくり、しかし息も合っていますね。そして峠を越え、長野へ。そして帰路に就きました。またしても篠ノ井のDD16 302は失敗です。



 忙しい時期に取ってしまった青春18きっぷ、有効に活用したいですね。



 なお第3回は来週の予定です。

春きたるらし#1

Itoih1



 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週(いや今月)最初の”Tetsu”をお届けします。先月は1回しか取材せず、申し訳ありませんでした。











Itoih2  今日も早めに目覚め、そして中央線、そして篠ノ井線松本へ。塩尻以遠、松本は中央線東西ともに篠ノ井線なんです。南松本貨物駅のDE10も気になりましたが、松本運転所の湘南色が気になり、松本で時間的余裕があり寄り道すると、写真のとおり、マニ50 2029(救援車代用)、横は湘南色、クモヤ143 52が停まっていました。クモヤ143はクモユニ143時代のまま牽引車代替となり、旧式車牽引の際は職務に就くようです。通常はお目にかかれません。







Itoih3  松本から大糸線、そして南小谷へ。電車が到着し暫くすると、キハ52 125が南小谷に入線します。今日は青、やった!













Itoih4  先日車検が終わったキハ52 125が、終点糸魚川に到着します。すると向こうには、北陸新幹線で先行きが危ないレンガの車庫と、キハ52 115(一般色、奥)と、キハ52 156(首都圏色、朱色、手前)が停まっています。これが、先回糸魚川色が停まっていなかった理由なんですね。











Itoih5  糸魚川では特急”北越”が入線します。R-25編成です。この後に続行する各停に乗り、直江津へ。















Itoih6  直江津では、JR貨物の機関車が、次位にディーゼル機関車を無動力で従えているなあ、と思い撮影すると、何とその機関車はEF81 2で、その後はDE10 1153でした。後のDE10はともかく、EF81は、恐らく現存最古の2号機で、びっくりしました。あまり綺麗ではありませんが、JR貨物富山機関区所属(区名札は「富機」)の日立製、歴史に残る車両でしょう。台車は新品でしょうが。同区にも新鋭EF510が続々と配備され、先行きが怪しくなってきました。









Itoih7  直江津で、先行する特急”はくたか”と行き違う、新潟色115系1000番台です。これに乗車しました。













Itoih8  直江津からの各駅停車では、日没とは言いませんが、先回”トワイライトエクスプレス”で見逃した夕焼けを撮りました。これで日没を迎え、今日の宿泊地に辿り着きました。



 今日は新潟の美酒に酔い、手が震えています。やはり土地の美味しいものを食べねば。



 今回は、JR20周年記念”青春18きっぷ”で取材をしています。通常春は行かないというポリシーがあったのですが、今回は違います。#5まで辿り着くよう、頑張りたいと思います。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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