戻らぬ道#2

Kayak1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今回は、京都府の「加悦鉄道」の取材を行いました。











Kayak2  以前北近畿タンゴ鉄道に乗車したとき、野田川という駅で、「加悦鉄道」なる看板を見て、興味を持ちました。当然現在線路はなく、多分バスにこの駅で乗り換えなのだろうと思いましたが、野田川自体駅員がいるか非常に疑問のある駅で、そこで下車しバスにというのは少し勇気がいる行為です。結局、今回は車で取材する道を選びました。



 インターネットで調べると、加悦SL広場なる場所があり、そこに動態保存を含め色々な車両が展示してあるとのことで、施設の電話番号を、先回の片上鉄道同様に記録しました。その結果、その場所には「カヤ興産」なる会社があるとカーナビに表示され、そこは道の駅真っ正面と、他の情報と一致したため迷わず目的地に設定しました。



 車を走らせること数時間、目的地に到達しました。先ず目についたのは、かつての京都市電、5号でした(写真)。本当に初期の車両で、集電はポールという今ではあまり考えられない方式です。同様の車両は、明治村にもあります。保存場所は、駐車場の道寄りです。



Kayak3  反対側には、昔の南海のグリーンのツートンを身に纏う、1202があります(写真)。同じ線路上の、この車両の北側には電車を利用したカフェがあり、こちらは塗り替わっており、元はどんな車両だったかは分かりませんでした。











Kayak4  そしてその北には、旧加悦駅の駅舎と思われる建物があり、こちらは表題の写真の通りです。2階には営業当時使っていた道具・部品の類の展示がありました。



 階を下り、入場料を払うと、中は本当にサンクチュアリです。最初は加悦鉄道2号機、鉄道院123号(らしい)旧式のSLです(写真)。







Kayak5  同機の横を見ると、「スチーブンソン」、「ニューカッスル」、「1873」等の表示の入ったプレートがあります。勿論「鉄道の父」スチーブンソンの興した会社でしょう。すごい歴史のある機関車ですね!











Kayak6  その東側には、1261というSLがありました(写真)。こちらも、年季が入っています。















Kayak7  その北側には、左がC58 390、右がC57 189号が展示されています(写真)。C57最終の4次形(戦後最終形)は、やはり無理なのか!













Kayak8  その横には、103というSLが展示されています(写真)。















Kayak9  展示の中心に、転車台があります(写真)。下路式で、向こうには各種ディーゼルカー、機関車、客車があります。右の建屋では、SLの整備を行っていました。なお、転車台の下は池になっていて、鯉を飼っていました。











Kayak10  転車台の奥には、除雪ラッセルヘッド、キ165がありました(写真)。















Kayak11  その西側には、DB201とハフ2が(写真)。機関車はいわゆる”森ブタ”と呼ばれる、森製作所でディーゼルに改装された機関車です。でも、他のスイッチャーも皆日立とかで製造されていて、残念カトー君は分かりませんでした。











Kayak12  こちらは近代的なディーゼルカー、キハ10 18です(写真)。液体変速のディーゼルカーです。加悦鉄道最後の営業を行った車両といいます。













Kayak13  最後に、キハ08 3が(写真)。これは元は国鉄の客車オハ62 130を、ディーゼルカーに改造した車両で、キハ45位の番号が割り当ててあったのが、後にキハ45系が登場しキハ08に改番したと言います。ここで出口になり、今回の取材は終わりです。



 実は今度の連休に、この広場でSL運転の実演をするらしいので、本当は行きたいのですが、残念、今回は遠征で別の場所に行きます。もし興味があるのなら、是非今度の連休に行かれては如何でしょうか。



 今回は廃線跡を2回も辿り、少し沈んでいます。しかし、これらの保存車両たちが、いつまでも残るよう願うのみです。



 それでは、ゴールデンウィーク後半の遠征も、お楽しみに。

祭りだ!ワッショイ!

Sakumam1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今日は本日行われた「佐久間レールパーク祭り」に行ってきました。











Sakumam2  昨日は早く上がったのですが、今朝は結局得意技をかましてしまい、出発10分前に起きました。幸い乗換駅で余裕時間があり、豊橋に予定通り到着し、事なきを得ました。写真は豊橋駅で発車を待つ119系E14編成(写真側がクハ118 15)。無事乗車しました。しかし確かこの時間は、昔は岡谷行きだと思ったのですが。しかも一時期は115系3連を使う時期もあったのですが、飯田線北部のワンマン化、そして115系全廃と、時代は確実に変わりつつあります。





Sakumam3  この電車は昔から日報を運ぶ電車でもあり、岡谷寄り最前部は荷物のスペースです(写真)。以前はカーテンでしたが、今は札一枚になりました。













Sakumam4  そして中部天竜に到着。佐久間レールパークは、中部天竜の機関区があった場所を活用し、鉄道公園とした場所です。営業は土日祝日のみで、駅の一部でもあることから、中部天竜まで有効な乗車券を所持していれば入場は無料ですが、車等で来た場合は、入場券を別に購入する必要があります。でも、やはり車でのアクセスの良い所ではなく、駐車スペースも無い筈なので、他の手間を考えても、やはりここは電車で行くのが一番ですよ!



 今日はJR主催の「さわやかウォーキング」が中部天竜駅周辺で開催され、また前述の通り「佐久間レールパーク祭り」が開催されたため、通常だと日曜でもボチボチ程度の入場者が、祭りで親子連れが、ウォーキングでハイカーが多数入場し、今日は大繁盛です。少し記録写真には条件は悪い日でしたが、天気も最高で、良い日です。



 それでは、写真を。一枚目は、113系の原型、111系の記念すべき第1ロット(昭和37年度製)、クハ111 1(初号車)です。シールドビームではない大目玉が特徴です。この車両は、64ユニットだけ製造された(モーターがMT46の)モハ111(110)ユニットと共に東海道線東京口から静岡へ、後に四国へ渡りましたが、廃車の時にキハ181初号車、モハ111(110)初号ユニット、クハ111(300番台、偶数向き車)と5両同時にJR四国から無償で譲渡され、展示されています。その旨の賞状も建物の中にあるのですが、皆さん気づかれましたか?同時に譲渡されたモハ111(110)初号ユニット等は、現在浜松工場内にあります。湘南色の塗装は、JR四国の多度津工場によるものと言われています。



 なお昭和38年からは、モーターがMT54に出力アップされた113系に生産は移行したため111系は少数派、しかしモハ以外は111を名乗ったというのが、111系と113系の判別を難しくしている理由です。しかも113系に初期型クハ111も連結可能で、より難しいですねえ。しかしそれらも今は全て鬼籍入りしましたが。



Sakumam5  飯田線の機関車といえば、ED62にトドメを刺します(写真)。この機関車は、ED60、61の回生ブレーキを撤去し、そのスペースに空気ダメを移し、空いた床下に軸重軽減用の1軸台車を設け、線路の弱い飯田線でも使用可能にした機関車です。現在は飯田線の貨物全廃で、稼働機は1台もありません。ED60、61の時代には「アトム」(時代ですねえ!)と呼ばれました。



 この機関車のライトはシールドビームに改造されず美しいですねえ!シールドビーム2灯だと、豚の鼻のようであまり美しくないですから。



 よく注意して見ると、横ではミニSLが親子連れを乗せているのが分かります。



Sakumam6  その後には、ナハ10系の一族か、オロネ10 27が(写真)。古式蒼然とした客車が多い中、10系客車は現代の鉄道車両とほぼ製造法も構造も同じで、今営業していてもあまり変な感じはしません。ただ過剰な軽量化で寿命が縮んだ、という人もいます。恐らく冷房の設置で、ナ級から換算0.5重いオ級になったのでしょう。









Sakumam7  後に回り、写真はED11 2です。この機関車は碓氷線に続き電化が始まった東海道本線東京口で、試験輸入した舶来機で、GE(ゼネラル・エレクトリック)も製造に関与しています。



 横には、表題の写真のモハ52004(戦前の関西の流電で、晩年を飯田線で過ごした)が塗装も復元され保存されています。







Sakumam8  その南には、キハ48036(後のキハ11 26)があります(写真)。戦後初の液体変速(トルクコンバーター)式ディーゼルカーです。横には水モウと書かれ、水戸鉄道管理局の何処の配属か分かりませんでしたが、説明には真岡と書かれ(現在の真岡鉄道)、後に茨城交通譲渡、廃車時にJR東海が譲受したようです。確かに、茨城交通は、全国(羽幌炭坑鉄道等)から同系列の車両を集めていましたからねえ。







Sakumam9  キハ48036の南には、オヤ31 12が(写真)。良い写真ではありませんが、花魁車として余りにも有名な車両で、車体の針をハリセンボンのように全て外に向け、針の接触で建築限界に違反した構造物がないことを確認する車両でした。改造前は普通の3等客車だったようです。









Sakumam10  この写真は、ソ80(手前の貨車は控え車チキ6132)です。解りやすく言えば、被災車両引き上げのための65トンクレーンです。今では道路網の整備で、不要になってしまいました。











Sakumam11  四国から帰ってきた、キハ181 1(初号車)です(写真)。元々キハ181系は、キハ82系では出力不足で営業が困難な山岳線のための大出力特急ディーゼルカーです。エンジンは500PS(30,000cc、インタークーラー無しディーゼルターボ)で、奥羽南線、中央西線、後に中国四国で使われました(同車は特急”しなの”に使われました)が、後に奥羽南線も中央西線も電化され、中国(陰陽連絡等)、四国に集結、同車は特急”しおかぜ””南風”等で使用されたようです。その後は前述のとおりです。現在この塗色のキハ181は、無い筈です。



 以前ここのイベントで、キハ82と並べる、という企画があったそうです。現在キハ82は名古屋車両所にあることになっていますが、実際には美濃太田に保存されているそうです。車籍も残っています。白鳥形、もう一度見てみたいですねえ!



Sakumam12  皆さんのお楽しみ、0系の運転台です(写真)。100系や300系の運転台を置いても、喜ばれるのでは?300系試作車J1編成も廃車なので、どうでしょう。どうせN700系デビューで、J15編成まで廃車なんですから!



 建物の中は展示、鉄道図書館、売店等があります。昔、ここのジオラマに展示していた鉄道模型が盗まれるという事件もありました。



 以前は売店にもオリジナルグッズが所狭しと置かれていましたが、今は「日車夢工房」の商品が中心になってしまいました。結局今回はキハ181下敷きを買いました。



Sakumam13  そしてさあ昼食と思うと、中の食堂は大繁盛で、当分無理でした。仕方なく帰宅の準備をすると、目の前で117系(S7編成)”さわやかウォーキング号”が出発を待っています(写真)。慌てて乗ると、乗れましたが、結局1時間半立ちっぱなしでした。



 下車した豊橋で、やっと遅い昼食にありつきます。そしていつものパターンで帰宅しました。



 今日は実は大事件が。中古なら今注目の、F100の裏蓋のラッチが壊れ、閉じたと思っていたら開いていました。気づくのが遅れ、ベルビアが1本パーになりました。勿体ない。結局昔の裏蓋が壊れておらず、家で元に戻しました。これで遠征も当面は心配ありませんが、今回1回分、どうやって取り戻そうか?



 多分今年の冬にはD300が出るものと思っていますが、これに合わせF300っていうのは如何でしょうか。ニコンさん、本気で考えて!やっぱりF6以外は嫌ですか?

戻らぬ道

Katak1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今回は、片上鉄道の廃線跡の取材を行いました。











Katak2  片上鉄道は柵原鉱山の資材・労働者の輸送を目的に、岡山県の片上から山陽本線和気を通り、柵原まで結ぶ非電化の鉄道でしたが、現在は廃止され、一部に遺構を残しています。これらは全て吉井川沿いで、ほぼ国道374号沿いでもあります。



 今回は岡山県ということもあり、昨晩車で自宅を発ち、高速を走りましたが、流石に一晩かかる距離ではなく、途中のサービスエリアで十二分に仮眠できました。



 目が覚めて、高速を下り、先ずは片上を目指しましたが、探し方が悪いのか、起点は分かりませんでした。そして国道を北上し、和気から北に向かうと、勾配が緩やかな側道が出てきます。幅、構造から、ここに鉄道が通っていたことは明らかです。途中幅の広いところに車を停めると、写真の通りトンネルの遺構が残っているのが見えました(写真)。



Katak3  更に進むと、コンクリートの跨道橋が(写真)。付近にはここに登る階段もあり、駅があったのが分かります。現在、この区間はサイクリングロードになっているようです。



 この先もかなり構造物は残っている感じでしたが、盛り土だけの所は道路で潰された場所も多く、増して川を跨ぐ橋は防災上の理由で撤去されたようです。









Katak4  カーナビの指示に従い目的地に辿り着きます。片上鉄道吉ヶ原(きちがはら)駅は、柵原鉱山資料館とともに片上鉄道の車両等が保存されています。駅は表題の写真の通り美しく保存されています。



 駅正面から南に入り、少しすると駐車場です。車を置き、カメラを持って歩くと、駅南側の線路跡は、遊歩道になっているのがわかりました(写真)。しかし盛り上がった先は河川の堤防で、その先は川ですが橋は残っていません。





Katak5  後を振り向くと、車両が保存されています(写真)。何れも静態保存、キハ303、その後はキハ312です。













Katak6  駅舎に入ると、営業当時の風景が思い浮かびそうなくらい整備されています。写真は、中にあった片上鉄道の沿線マップです。



 片上鉄道は、平成の時代まで生き延びたそうですが、残念ながら廃止されました。それから十数年経つと言いますが、これらの施設は、まだ生きているかのようです。私が鉄道に復帰する前の廃線で、非常に残念です。







Katak7  駅のホームの遺構から片上方を望むと、先ほどのキハ312、鉱山資料館の脇にはワフ102、トラ600形(番号不明)、トラ519(500形)が置かれ、遠方中継もある腕木式信号機も保存されています(写真)。











Katak8  3番線と呼ばれたであろうホームには、右から(後から)ホハフ2004、ホハフ2003、ホハフ3002が保存されています(写真)。でも本当に重量はホ級でしょうか?













Katak9  1番線柵原方には、キハ702が(写真)。これはどうやら動態保存のようで、整備も行き届いています。













Katak10  客車の前には、DD13 551が(写真)。ベースは国鉄のDD13らしいですが、インタークーラーの増強等で出力がアップしていたそうです。













Katak11  柵原方を見ると、線路がしばらく残っているのが分かります(写真)。ダルマポイントは白が上で、矢羽根の表示もこちらが青で、何れもポイントが定位なのが分かります。













Katak12  車両の撮影を終え、公園へ。公園には、柵原鉱山を経営していた同和鉱業が鉱山で使用していたであろう機械を、モニュメントのように多数置いていました(写真)。写真のこれはマスコンがあり、恐らく蓄電池式の機関車だったと思われます。











Katak13  撮影を終え、更に北上し中国自動車道を目指します。途中柵原鉱山近くで跨道橋の遺構を見つけました(写真)。ここは既に桁は取り外されていました。そして関連の取材を終えました。



 地図で、片上から柵原まで見てみると、かなりの距離があるのが分かります。もう少し長ければ姫新線に接続させたり、陰陽連絡線になったりと、生き延びる方策もあったのでしょうが、バブルの時期に冷房のない列車では(保存車両の何れにも冷房はありませんでした)、非常に辛かったのでしょう。残念です。



 鉄道廃線遺構は、時とともに段々失われていきますが、私たちは、ここに鉄道があったことを記憶にとどめておきたいと思います。



 明日は、また別口です。

こんなに揺れた日に

Sioy1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今日は近鉄塩浜工場のイベントに行ってきました。











Sioy2  昨日は投稿が零時数分前で肝を冷やしましたが、そんな昨日でも今日は割と早く起きました。そして”Pitapa”を使い塩浜へ。いい時間になってしまいました。



 駅を出て、工場に入って最初に写したのはこれ(写真)。モト96、奥が同94、横は2000系2105です。









Sioy3  今日の車両展示の主役、モワ25「はかるくん」の編成です(写真)。先日は橿原神宮前の行き止まり方向に24の先頭が向いていたことから、中川短絡線を通ったようで、他の編成とは反対向きになっています。











Sioy4  そして中に入り、トラバーサの実演の最中に、地響きが。悲鳴はありませんでしたが、何が起きたか、一瞬分かりませんでした。しかし工場内では物が落ちるどころか、ガラス一つ割れませんでした。



 暫くして、落ち着いてから実演再開。写真の通りアントが大活躍です。実はこれ一台で4両の編成を引っ張れるのだそうです。力持ちと言うべきか、それとも鉄道はエネルギー効率が良い交通機関と言うべきか。





Sioy5  車両展示に戻り、バラスト運搬のモーターカーが(写真)。奥には軌道兼用の高所作業トラックが。当然88ナンバーです。













Sioy6  会場の外から覗くと、先日も話題になったデ31形デ32が(写真)。F級の大型デッキ式機関車をずっと期待していたのですが、実はD級です。













Sioy7  本当はこの後に、先日取材不足だった三岐鉄道北勢線に行こうと思っていたのですが、桑名に行くどころか、来るはずの列車も来ません。反対には、12200系の特急まで運転停車しています。



 当分列車が来そうにないので、小遣い稼ぎを。先ずは反対から見た「はかるくん」です(写真)。







Sioy8  そして養老線車両の狭軌の台車を乗せた、モト96(94)です(写真)。



 結局30分あまり待って、急行がやって来ました。しかし塩浜から全く動きません。座って時間を待ちます。1時間待たされ、やっと警戒ながら動きました。こんな調子で北勢線へ行ったら、多分大変だろうと思い、今回は残念ながら桑名では下車せず、自宅へと向かいました。でも、何故北大社は廃止になってしまったのか。必要な駅だと思うのですが。そんなことを考えながら帰着しました。



 次回は何処へ行くか、まだ考えていませんが、お楽しみに。

(続)はや1年あまり

Takai1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今回は、2004年10月の水害で不通になっている高山本線を中心にお送りします。



 先日、分断された高山本線で、2年以上取り残されていたディーゼルカーが回送され、久しぶりに帰庫したとのニュースを聞き、いよいよか!と思い、今回の取材となりました。





Takai2  先ずは自宅を発ち、一路角川へ。既にスキー場以外では雪の心配は殆どありません。車もノーマルに履き替えた後で、これから滑り止めではたまりません。



 カーナビの指示に従い、迷わず角川駅に到着しました。駅前は狭く、確か青春18で来たときは、代行バス1台で駅前は一杯だったような記憶があったのですが、それはオーバーでも余り広くはありません。何処に止めようか、と思い彷徨くと、少し南寄りに駐車場があり、事なきを得ました。



 駅に入ると、写真の通り1番線のレールの間に終端表示がされています。先日は車両をどう通したのでしょうか。また、2番線のホーム等の施設はありますが、線路は既に無く、今後復旧したときに配線を直すか、要注目です。



Takai3  そこから国道360号線に従い、北上します。すると途中に、片側交互通行の信号が。行き過ぎて見ると、鉄道橋のアバット(橋台)の補強工事が行われており、橋桁に足場が組まれ、現在修復中であるのが分かります。私的には、「回送できたのだから、部分的でも開業すればいいのに、」と思っていましたが、それが出来ない理由がやっと分かりました。これでは重いDE10か15のようなディーゼル機関車が、救援のために通ることが出来ない訳です。





Takai4  そして坂上駅に到着(写真)。まだまだ新しい駅舎で、営業していれば旅行案内所などが置かれ、観光の中心となるであろう構造です。













Takai5  中に入ると、以前は赤信号が虚しく点いているだけでしたが、今は信号は消えていますが、線路は岐阜と繋がっています。確実に、復旧は近づいています。













Takai6  坂上を出て、トンネルの間の橋から見た鉄道橋(写真)。実はこの橋は、2年前の記事「はや1年あまり」の取材の際は、右半分のガーダーとピアを喪失し無惨な姿をさらしていましたが、JR東海は意地で修復しました。右側は新しいガーダーが設置されました。しかし当時記事になるのが相当嫌だったのか、当時のD70は故障で写真を喪失しました。







Takai7  こちらの橋は、先回は全て喪失していたようですが、現在は新しい橋が完成しています(写真)。橋脚のコンクリートが真新しいですね。













Takai8  この写真の辺りは道路も損壊が酷く、国道の仮設道路が線路上にありましたが、現在は道路も線路も殆ど復旧しました。













Takai9  打保の駅に到着(写真)。駅舎は現在閉鎖されています(写真)。















Takai10  2005年11月当時、打保駅北東方のスノーシェッドには、写真の通りキハ40が2両、ほか保線用モーターカーが取り残されていました。













Takai11  現在では既報の通り、線路は繋がったことから、全ての車両が搬出され、現在車両は残っていません(写真)。キハ40は、現在JR東海名古屋車両所(海ナコ、旧名古屋工場)で整備中といいます。











Takai12  打保まで線路が復旧し、いい感じでまもなく営業再開か、と思いきや、ついに線路が途切れる場所を発見してしまいました(写真)。もう少しで杉原、という所ですが、確か2年前にはこの近辺は災害が酷く、国道さえも仮設橋で迂回しなければならないほどでした。そのため、完成間近だったバイパスの橋梁を使って仮設道路を作ったりして、大変でした。きっと公共工事の計画は、5年くらい遅れてしまったのでしょう。現在鉄道・道路とも路盤も完成し、あとは線路をひくだけです。





Takai13  そしてJR東海最北端(ですよねえ?)の駅、杉原に到着(写真)。ここは相変わらずです。復旧すれば、いずれ駅舎の整備、という話になるでしょう。しかし車では入りにくい場所です。











Takai14  駅に出ると、かつては信号があったものが、悪戯か、更新のためかは判りませんが、信号がありません(写真)。悪戯なら、止めましょう。線路は除草が必要です。そして取材を終え、猪谷に向かいました。



 猪谷では今日は地元のお祭りで、違法駐車予定地で太鼓をたたいていて、残念、撮影は出来ませんでした。







Takai15  猪谷まで来たので、ついでに昨年末に廃止になった神岡鉄道にやってきました。実は全駅取材したのですが、その写真を載せるとただでさえ長いこのブログが更に長くなるので、縮小しました。



 かつて車庫やヤードがあった神岡鉱山前駅は、現在はシャッターが下り、閉鎖されています(写真)。









Takai16  後に本社が置かれた奥飛騨温泉口駅の現況です(写真)。駅前のDE10も撤去されてしまいました。スクラップになってしまったのでしょうか。悲しいですが、だんだん痕跡は無くなっていくのでしょう。合掌。



 そして自宅に戻りました。長い一日、今日は終わりです。



 明日は気分次第です。

足羽の流れを遡り

Etumiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今回は、2004年の水害で一部不通となっている越美北線を取材しました。











Etumiq2  今日はゆったりと起き、ゆったりと準備を。用事を済ませるといい時間になり、遠くへも行きたい気はしましたが、あまり遠いと取材の時間がないと思い、また福井県へ。またしても無駄な高速道路料金を払ってしまいました。



 出発の時間が時間だったので、今回は、一乗谷と、美山の終端を写してみようと思いました。そこでカーナビに一乗谷と美山を指定し、かなり遅くに到達しました(写真)。代行バスが一駅手前の越前東郷からなのは、一乗谷駅前には乗用車が入るのが精々で、バスなど入れる余地が無いからでした。我が愛車もバックで駅前に入れ、一苦労でした。バックガイドモニター様々です。駅は普通のローカル駅で、100メートル位先に終端表示と砂利の山があり、その先には工事車両が入っていました。



Etumiq3  一乗谷を出発し、500メートル位走ったでしょうか、踏切があり、その先は細くなっています。早速余地に車を停め、カメラを出します。写真のとおり、そのすぐ左は鉄道トラス橋で、「第1足羽川橋梁」と書かれています。ここが流出橋梁第1号でした。構体は完成、線路もひかれ今すぐでも列車が通れそうです。









Etumiq4  そのまま県道を進むと、国道158号の旧ルートに合流します。その直ぐ向こうに、「第2足羽川橋梁」があります(写真)。ここは影響なかったのか、橋脚は新しいコンクリートではなく、ガーダーも新品には見えません。











Etumiq5  暫く線路と並走し、工事で片側交互通行になる所があります。例の水害では鉄道ばかり目に行きますが、道路も相当被害を受けていたようで、未だ修復中なのでした。その横に鉄道橋が架かり、写したいのですが停める所がありません。結局一つ先の道路橋から写しました(写真)。第3足羽川橋梁です。これは完全に橋脚もガーダーも新品です。







Etumiq6  旧国道は越美北線と並走したり、離れたりです。ちょっと離れたなあ、と思うと橋があり、撮影したいもののまた停める場所がありません。結局市波駅前の遊休スペースに停め、5分位線路に沿って歩くと、これも新品のトラス橋、第4足羽川橋梁があります(写真)。









Etumiq7  反対に歩くと、こちらも新品、第5足羽川橋梁があります(写真)。















Etumiq8  国道158号バイパスを通れば真っ直ぐでトンネル1本ですが、旧道は川の流れに合わせ右に左に。鉄道を建設する時代の土木技術が現在と同様であれば、おそらく鉄道もバイパスのように引かれたのでしょう。



 更に先に行くと、第6足羽川橋梁があります(写真)。ガーダーは昔の色のようですが、写真右から2番目の橋脚のコンクリートはまだ新しく、ここも流出があったことが解ります。





Etumiq9  小和清水(皆さん、正しく読めますか?)の駅前は公民館で、駐車スペースがあります。そこに車を停め、5分位歩くと、第7足羽川橋梁があります(写真)。山陽本線加古川橋梁も架け替え後はこの色と同じ茶色、たしか”ごめん・なはり線”の橋梁も同じ色で、最近の流行か、それとも錆止めを兼ねた実用的な色なのか。しかし錆止めは昔から光明丹(字、合ってるかなあ?)の朱色と決まっていると思うのですが。







Etumiq10  そして営業をしている美山駅へ。この線は、現在孤立線です。重検、全検はどうしているのでしょう。陸送でしょうか。美山駅は、昨夏訪問時に駅前がコンビニの駐車場であることを覚えており、計画に入っていました。そこで車を停め、撮影を。



 写真は、美山駅ホームから見た、福井方です。スプリングポイントの向こうにすぐ終端表示があり、この先へは行けないことを示しています。当然、横の出発信号も赤です。





Etumiq11  さあ、次へ行こうか、と思うとそこへ西日本JRバスが現れます(写真)。代行バスです。これがやって来た、ということで私は駅に戻ります。













Etumiq12  すると、思った通り、九頭竜湖からの越美北線各停、キハ120(ナンバーは201~205のどれかですが、記録を忘れました)が入線します(写真)。この乗客を乗せバスは発車、キハ120は越前東郷からのバスを待ち折り返し九頭竜湖へ向かいます。











Etumiq13  これで今日の取材は終わるつもりでしたが、まだ日没には早かったので、越前大野へ。JR西日本越前大野鉄道部(金エチ)が、駅の側にあります(写真)。モーターカーの除雪時のロータリーとラッセルのヘッド、陰にモーターカー、その後の建屋にキハ120が入っています。ここがあったから、越美北線は孤立しても営業できたのでした。







Etumiq14  駅舎側を見ると、腕木式信号機が(写真)。1993年10月1日廃止になった、JR西日本金沢支社最後の腕木式信号だったようです。他にも、安全を願う”安全の鐘”もありました。











Etumiq15  これだけ準備が整った越美北線、ポスターによると、今年の6月30日に正式に営業を再開するとのこと(写真)。今年の夏の青春18きっぷの行き先の一つには、必ず入る所でしょう。再開関連イベントも要注目です。こんな感じで今回の取材を終えました。



 これだけのことを、鉄道とバスだけで取材するのは、ほぼ不可能です。本来は鉄道で全てを取材するのが”鉄”としては理想なのですが、やはり双方に長短はあるのです。長距離ドライブは、実は私のここ10年位のストレス発散法だったのですが、やはり”鉄”だったら、鉄道に関連するドライブにしたいものですね。鉄道を追うための車、皆さん、どう思いますか?

古き道を辿りて

Turuh1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、新年度初日となった今日の”Tetsu”をお送りします。今日は北陸線旧線を中心に取材しました。













Turuh2  北陸本線が現在のルートを通るようになったのは、正確な日付は忘れましたが、実は昭和30年代からなんです。それまでは木之本~疋田間は現在の近江塩津経由ではなくいわゆる柳ヶ瀬経由で、疋田の駅は新線で移動となり新疋田になりました。そして敦賀まで完成、その先のルートは議論あった(敦賀を通さない案もあったそうです)ものの、結局北陸トンネル完成で解決し、現在のルートが完成しました。



 今回は旧線を通ることが目的ではなく、福井地方鉄道部敦賀派出を見れればいいな、程度に思っていたのですが、折角なので旧線を通って行こうと思いました。旧線での撮影は予定せず、敦賀で上手くいけばいいなあ、程度でした。



 ただ、旧線といってもビックリすることはない、実は敦賀までは残地を北陸自動車道にしたので、殆ど一緒なんです。しかしトンネル等は新規に掘削したようです。



 木之本インターで北陸道を降り、国道365号、峠手前で「敦賀」方面に分岐すると、すぐにトンネルです(写真)。形から鉄道用であることがすぐに解ります。元から単線用なので、車も片側交互通行になります。10分以上待つので、痺れを切らしそうでしたが、結局カメラを出し撮影しました。柳ヶ瀬トンネル滋賀県側入口、長いトンネルでした。写真のトンネル上、及び右側は北陸自動車道の下り線、及び上り線です。



 ちなみにこの区間は北陸線新線完成後、柳ヶ瀬線として残されましたが、超ローカル線で、やがて廃線、北陸自動車道に大半は化けました。



Turuh3  トンネルを抜けると、すぐに福井県です。刀根パーキングエリアの辺りにある鉄道遺構(写真)。トンネル、橋梁が残っています。















Turuh4  そして坂を下るとやがて国道8号線と合流、そして敦賀です。敦賀駅手前で住宅街の中に入り込むと、向こうに旧敦賀機関区、現在福井地方鉄道部敦賀派出があります。まず写真1枚目は、手前のJR貨物のスペースに停まるDE10 1044です。所属はJR貨物吹田機関区とされています。











Turuh5  2枚目は、JR西日本の車庫です。手前から、EF81 43(トワイライト色)、同48(一般色)、奥が106(一般色、「日本海」のヘッドマーク付き)、107(一般色)です。建屋の中に、419系とEF81 46(”日本海”のヘッドマーク付き一般色)が入っていました。













Turuh6  3枚目は、手前がDE15 1518、後はDD15ですが、10か39かは解りませんでした。いずれも除雪用ラッセル機関車です。















Turuh7  ここまで来たならもっと行こうと、さらに旧線跡を辿ります。敦賀の市街地から一番近いトンネル跡です(写真)。ここは道路は迂回し横の山を崩しましたが、次のトンネルは道路用に拡張されたのが解ります。













Turuh8  さらに山の中に入ります。葉原トンネルという所は、信号付きです(写真)。長いトンネルで、かつて事故があったような所には付いているようでした。本当に、鉄道時代、SLがこの細い隧道を抜けていた頃は、窒息の危険と隣り合わせであり、困難な仕業だったことが容易に想像されます。













Turuh9  トンネルが無くなったなあ、と思うと、後に平行するトンネルが。変な所だなあ、と思うと、此処はかつての山中信号場跡で(写真)、ここを頂点に、列車が行き違ったのでした。平行するトンネルは、スイッチバックの有効長を増やすためのトンネルでした。本当にSL時代は大変でした。













Turuh10_1  そして山を下り、南今庄へ。写真のとおり、ここに「北陸トンネル」が貫通し、現在の北陸への旅は、昔からは想像できないほど快適になりました。時間的余裕があれば、ここで”雷鳥”でも撮影したのですが、今回は残念です。



 そして最後に福井地方鉄道部でとどめを刺そうと思ったのですが、南福井貨物駅とともに周りは住宅地、しかも419系と521系各1編成だけで、今日はボウズです。そして帰宅しました。



 鉄道ファンの中には、車は罪悪だ、と思う人も多いらしく、車で何処か行った、と鉄道関係で書くと、抗議をする人もいます。確かにそう言いたい気持ちは分かりますが、しかしそれは個人のライフスタイルにかかわる問題で、我々は関与してはいけません。私も成る可く鉄道を利用するよう心がけてはいますが、例えば今回のような廃線跡、バスも通らない場所にはやはり自家用車しか交通手段が無いのです。しかもお気に入りのカメラ、予備、三脚、脚立、雪中行動用の長靴、とかいうと、やはり重装備になった時には車は便利なんですよ。積極的に車万能論を持ち出すわけではないので、その辺を理解して欲しいんです。鉄道を追う手段としての車、悪くないと思うのですが、どうでしょう。



 最後に、今は少し古いデザインでも良いなら、十分動く、走行距離も余り行っていない中古車でも「タダ」という車(確かに車検別途とかヒモ付きですが)があります。そのことを小学生に話したら、そのご両親からこっぴどく叱られたのを覚えています。車の免許は満18歳になってから。高校卒業して、バイトで自分の金を持ったら、是非どうぞ。ただし君たちの任意保険は死ぬほど高いからなあ!でも、事故になったらもっと高いんだからなあ!

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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