(続)足羽の流れを遡り

Okuetsu1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今回は、今日から全線での営業を再開した越美北線を取材しました。



 先回の「足羽の流れを遡り」の取材の際、”6月30日越美北線全線開業”と書かれていて、ほうほうとは思っていましたが、多分平日だろうと、内心諦めていました。しかし、鉄道雑誌等を読んでいると、何とその日は土曜で、しかも記念にキハ58系国鉄色の記念列車も走るとのこと。予定も無かったので、(鉄道ファンとしては最低ですが)金券屋回数券を2枚買い、帰りを予約し、今日に備えました。



 往き道は時間が無かったことから新幹線で米原へ行き、米原始発の”しらさぎ”に乗車。”こだま”使用時は自由席しか使えませんが、時間確保のためやむを得ません。次回からは”北陸往復割引きっぷ”にしましょう。



Okuetsu2  福井に到着。既に越美北線ホームには臨時列車”おくえつ”は待機し、既に立ち席も満員です(写真)。これより早く来るには、前日に来るか、車で来るかのどちらかしか無かったので、仕方ありません。資料を貰い、中に入ります。写真はキハ28 2119、反対はキハ58 596です。



 途中キハ120などの写真を撮りたい衝動に何度も駈られますが、身動きも出来ぬほど混雑し、不可能でした。今回はキハ58系に乗り鉄、と割り切るしかありません。



 先日の取材でもほとんど完成していた鉄橋等を通り、列車は進んでいきます。車内放送では、除雪で手一杯だった時期もあったり、雪解け水で3度も仮設工や重機が流されたり、全検は南福井貨物駅までトレーラーで陸送したりと、大変だった時期の説明がありました。幾多の困難を乗り越え、今日の営業再開に漕ぎ着けたそうです。大変でした。



Okuetsu3  そして列車の目的地、越前大野に到着(写真)。乗り鉄ならこれで終わりですが、やはり写真を。ああ、国鉄色は美しい!













Okuetsu4  乗車が目的の人は駅に向かい、乗車証明書を貰います。混雑は写真のとおりですが、雰囲気、伝わるでしょうか。



 駅前広場はお祭りで、先ず大野の水が振る舞われ、周りは模擬店でいっぱいです。蕎麦、コロッケ、他色々食べましたが、山椒味噌の里芋も良かったですよ!



 資料には抽選券もついており、抽選では末等、サンダーバードのネーム入りボールペンを貰いました。明日も抽選があり、運が良ければ良いものも当たるそうなので、時間のある方は明日行かれては?



Okuetsu5  その間に九頭竜湖発福井行きが行き違い、その後でキハ58系は入換、上りホームに入ります(写真)。臨時列車は定期列車のダイヤの合間を縫って設定され、多分九頭竜湖行きにも出来たのでしょうが、それでは恐らく停車が十数分になり、イベントを楽しむ合間も無かったのでしょう。やはり越前大野は越美北線の中心都市で、イベントをやるには良い所だったのでしょう。







Okuetsu6  やはり今日はお祭り、越前大野(金エチ)の車庫も全部出払っています(写真)。



 駅の中での写真に気をとられて、駅前の動きに注意するのを忘れていました。「整理券を配ります!」の声に気付き、行ってみると既に長蛇の列、発駅着席券を持たぬ人は何の権利も無いことは、昔も今も変わりありません。残念、結局帰りも立ち席でした。ああ、えらかった!







Okuetsu7  そして福井に戻ってきました。帰りもあり反対ホームに行って写そうとすると、無情にも反対ホームには419系が入線します(写真)。少しがっくりですが、まあ食パンも先は短く、写真に残しておきましょう。











Okuetsu8  そしてこちらも最後の夏を迎えた、国鉄色”雷鳥”です(写真は京キトA05編成、クハ489 702)。是非皆さんも北陸で、最後の姿を残してください。そして帰宅しました。



 こんな感じで越美北線の復活に参加できました。やはり今度は、九頭竜湖まで通しで行きたいですね。次回を夢見て、今週の”Tetsu”を終えたいと思います。

近江路を行く(続編)

Omin1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、滋賀県方面を取材しました。



 昨年8月に「近江路を行く」という取材を行いました。その際、近江鉄道の彦根駅で写真を撮ったものの、あまり上手くゆかず苦労した覚えがあります。その時、鉄道博物館が出来るといい、と書きましたが、それが何と半年後に実現し、”近江鉄道ミュージアム”が今年の3月から営業を始めました。今回は、先ずそれを取材しました。



 同ミュージアムは、”彦根まちなか博物館”の一つとして、近江鉄道彦根駅に併設された同鉄道彦根工場の一角にあります。彦根駅からはJRと共用の橋上駅舎を東口に出てすぐです。先回取材時は東口は未完成だったのか封鎖されていましたが、今は供用されています。入場料を200円払い、中に入ります。



Omin2  南から攻めていきます。一番南は、ED14 1、その北側はED14 2です(写真)。ED14は、東海道本線国府津電化(一般路線初の電化)に合わせて、大正15年(1926年)にアメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)で製造され輸入された機関車です。近江鉄道が貨物営業を廃止するまで使われ、大変貴重な資料となっています。









Omin3  その西側(本線側)には、ED31 3があります(写真)。こちらは凸型です。















Omin4  その北側には、左がLEカーLE10形(番号不明)、右が501です(写真)。2軸のLEカーということはディーゼルカーで、電線を外す覚悟もあったのでしょう。鉄道冬の時代、どこも大変でした。



 しかし昨年一杯あった元西武の車両たちは何処へ行ったのでしょう。余裕があれば保存できたものを、泣く泣く処分したのでしょう。合掌。







Omin5  こちらを代表写真にしようかと迷った、ED14 4です(写真)。この機関車は鉄道院当時の茶色(正式には葡萄色2号)の塗色になっています。逆光ですが、順光側は跨線橋の影が入り、良い写真にはなりませんでした。











Omin6  その東側には保線機械のモ245が(写真)。こういう裏方の車両があるから、鉄道の安全は守られるのです。













Omin7  北の端には、左からロコ1101(昭和5年東洋電機・日本車輌)、ED14 3、ED31 4(大正12年芝浦製作所・石川島造船所)が並んでいます(写真)。個人的にはこの色より、ぶどう色2号の方が好きです。











Omin8  その西側の柵の外、営業線側に、手前からED31 1、ED31 2、ED31 5(ナンバープレートなし)が停まっています(写真)。こちらは稼働可能ということでしょうか。プッシュプルで、バラスト輸送等をしているとも書かれていました。











Omin9  駅の北東端に、写真のとおり展示館があります(写真)。中に入ります。















Omin10  中には昔の機械(写真はタブレット閉塞用の機械)、各種乗車券が展示されています。切符の種類は圧巻です。



 その横には販売コーナーがあり、色々な鉄道グッズの他、彦根城400年記念駅弁も売られていました。昼食の時間だったので迷わず買い、食べました。そして満足し、次の目的地に出発しました。



 なお、同ミュージアムは3月末から11月末までの間、土日祝日のみの営業だそうです。旧式電機ファンは、迷わず行きましょう!



Omin11  次の目的地は、長浜の”長浜鉄道スクエア”です(写真)。こちらもJR北陸本線長浜駅西口徒歩5分ですが、西口駅前は、敦賀直流化に伴う駅改良の関連工事の最終段階であり、ホームスルー化後の駅前整理で駐車場の場所は工事中で、やはり電車で来るべきだったと反省しました。長浜駅西口の駅前工事は秋まで続くそうで、車の利用を考える方は要注意です。



 因みに、この建物は旧長浜駅で、現存する駅舎としては最古のものだそうです。入場料は300円でした。



Omin12  入口前には、長浜開業当時の旧長浜駅29号ポイントが展示されています(写真)。これは鉄道記念物だそうです。明治15年(1882年)イギリスのキャンメル社製だそうで、通常ポイントは酷使され早期に交換されるところ、運良く残り、検重線で第二の人生を過ごしたという、強運の持ち主です。



 そして中に入ります。







Omin13  中は3つの建物で構成されており、入口の旧長浜駅舎は一・二等待合室などが残り、雰囲気が出ています。



 二つ目、北西側の建物は北陸線の歴史に関する展示がなされ、今は亡き交流電機等の模型も多数陳列されています。



 最後の北東側の建物は、車両展示の建物です。



 先ず西側には、ED70 1(昭和32年三菱電機・新三菱重工)があります(写真)。初の量産型交流電機で、確か数年前まで米原電車区の奥の方に塗装が落ちた状態で放置されていたのを覚えています。これで屋根付きの所に入り、今後とも安心です。



 因みに、新製時は直流に変換する整流器が現在の主流のシリコン整流器ではなく、イグナイトロン水銀整流器(の誤りです)でした。ただ標準型ED75、ED76登場後、保守の都合上整流器は交換された場合が多いといいます。



Omin14  その横には、D51 793が(写真)。準戦時形でしょう。電化前の北陸本線の主力です。北陸線も困難な仕業の路線でした。国鉄最後の新製蒸機E10や、初期型電気式ディーゼル機関車DD50、等峠越えで色々な車両が試されましたが、結局電化で結論が出ました。



 この建物には階段があり、登ると両機関車の上方を望むデッキに出ますが、木製の梁の間になり、あまり上手に写せませんでした。



 その階段横の出口を出ると、そこは現在の北陸本線が走っており、運が良ければ車両の写真も撮れるかもしれません。そんな感じで長浜の取材を終えました。



 ただ、まだ帰るには早い時間だったので、寄り道をしたのですが、結局良い写真を撮れなかったので、今回は報告しません。



 今回も静態保存車が中心になってしまいました。静態保存は塗装だけで良いのですが、動態保存は電気や駆動部分等の整備が必要で、手間が非常にかかるのです。いつか、これらの車両が復活する日が来ると良いのですが、やはり難しいのでしょう。多くの人から愛されるよう、心から願うのみです。今週は、これで終わります。

戻らぬ道#4

Niiko1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、先ず新潟交通を訪問しました。











Niiko2  昨晩家を出て、行けるところまで行き、目的地直前で仮眠をとる、#3の時と同じパターンで訪問をしようと思ったのですが、流石に新潟は遠い!かつてディーゼル急行”赤倉”が一日がかりで辿り着いた行程であり、やはり岡山のようにはいきませんでした。夜明けは4時半、その後ではとても寝られません。結局長野県内で夜を明かしました。



 朝10時頃に、目的地に到着。旧月潟村、現新潟市南区月潟に、かつての新潟交通月潟駅があり、そこに現在駅舎と車両が保存されています。写真は、駅舎入口前で、駅前商店街が広がっているのが分かります(写真)。駅舎は、坂を登った奥になります。中に入ります。



Niiko3  西側から入ると、先ず黒いラッセル車があります(写真)。キ116です。後に、電車が止まっています。













Niiko4  すぐ次はモワ51です(写真)。荷物電車です。















Niiko5  一番東側が、モハ11です(写真)。本当に”かぼちゃ電車”という名がぴったりのカラーリングです。日車標準型車体といいますが、貫通路が無く、その中でも独特のスタイルなのだそうです。











Niiko6  駅舎側のホームから見ると、モワ51にステップがついているのが分かります(写真)。駅舎も良い感じですが、中には入れません。













Niiko7  月潟駅前後約100メートルの区間には、線路と架線が残されています(写真)。先ほどの坂の奥、駅舎東側は公園、駐車場になっています。こんな感じで月潟での取材を終えました。ここは、電車では来れない場所です。バスでも大変ではないでしょうか。



 因みに、来週23日24日の土日に、モハ11の車内で新潟交通関連の写真展を開くそうです。興味のある方は、こちらもどうぞ。



 月潟の後、山形では泊まりになってしまうし、東京(多摩)や甲州では高速代も馬鹿にならないと思い、北陸に進路をとりました。



Niiko8  話は逸れますが、車両の博物館でもある大井川鉄道を訪問した際、銀色の電車を見かけました。名称は”しらさぎ”、北陸鉄道で使用された、アルミ製の電車です。やはり保守性に難をきたしたのか、引退し、故郷に帰り静態保存されました。かなり遠いのですが、第二話はこれにしようと思いました。







Niiko9  現在は山中温泉の道の駅、ゆけむり健康村にて、写真のとおり保存されています(写真)。前の写真と比べても、それほど大きな違いを感じません。ここがこの電車の故郷なのです。ここも廃線跡なのです。











Niiko10  横を見ると、削った跡があります。現在は北陸鉄道の社紋に戻されましたが、多分現役当時は大鉄の社紋だったのでしょう(写真)。













Niiko11  車内にも入れます(写真)。残念ながら冷房はありませんが、転換クロスシート、広幅貫通路、その他現在でも十分通用する設計になっています。まあ昭和30年代の車両なので、扇風機なのはやはり仕方ないのでしょう。











Niiko12  山中温泉は国道8号線から奥まった所にあるため、そのまま峠を越え、福井県に入りました。するとそこは永平寺町、かつての東古市駅の方向になります。帰ろうかどうか迷いましたが、結局行きました。えちぜん鉄道、現在の永平寺口駅です(写真)。この駅は最初永平寺口で開業、永平寺線開業で東古市、しかし同線の廃線でまた永平寺口に戻るという、因縁の駅名となっています。







Niiko13  踏切から見ると、2、3番線が福井と勝山を結ぶ勝山永平寺線のホームです(写真)。駅舎前の1番線は、写真奥で右に入る旧永平寺線のホームでした。













Niiko14  線路の北側に、京都電灯、京福電鉄時代の煉瓦造りの変電所があります(写真)。窓は危ないです。













Niiko15  かつての永平寺線の線路のあった場所に、現在新しい変電所があります(写真)。















Niiko16  変電所の南側、永平寺線の線路があった場所に残る、カーブの保線用の標識(カント=○○、スラックス=○○という指示をする標識)。この標識も、何も語りません。



 この先、永平寺まで追跡したい気もしましたが、時間の都合で断念。また、そのうちに。



 今回は、3つの廃線を巡りました。残念ながら鉄道の退行は、仕方ないのかもしれません。しかし少しでも多くの痕跡が残るよう、心から願うのみです。今週は、これで終わりです。

森林浴!

Akaz1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、長野県木曽郡上松(あげまつ)町の、赤沢森林鉄道を訪問しました。











Akaz2  昨日の予報では、今日は朝から一日中雨、とのことで、久しぶりに休みにしようとも思いましたが、今朝起きると、何故か雨は降っていません。それなら、予報だけで断念する人がいる分、少ないのでは、と期待して、愛車に乗り取材を敢行しました。



 しかし上松は木曽福島の一駅名古屋寄り、つまり高速のない木曽路のほぼ中間点で、高速は東京方面からなら塩尻、名古屋方面からなら中津川で下り、国道19号を50~100キロ走らねばなりません(確かに、伊那から権兵衛峠トンネルを越える方法もありそうですが)。更に赤沢森林鉄道のある赤沢休養林(赤沢国有林)には、上松から更に山中に分け入ります。



 赤沢森林鉄道の原形は、この官線上松駅まで木曽ヒノキを輸送するために造られた鉄道でした。しかしトラック等が中心となり、鉄道網は林道等に置き換えられ、一時は全廃されましたが、森林の保健休養効果が認められ、「森林浴」「グリーンツーリズム」といった言葉からも思い浮かぶように、自然の中を分け入るには鉄道は有効な手段であり、機関車は復元、客車は新造し、中央アルプスの山中に、一部路線が復活しました。それが今回の取材の目的です。



 上松からの県道、そして林道は、1.5車線の道路で、行き違いは少し苦労します。広くなった、と思い見てみると、橋があります(写真)。かつての森林鉄道の遺構が残っていました。目的地への期待が高まります。



Akaz3  目的地近くの道の広がっている場所は、駐車禁止です。道路の終点に料金所があり、駐車料金600円を払います。車を降りると、「赤沢休養林」、「森林浴発祥の地」、そして写真のような地図の看板が立っています。森林鉄道はこの奥です。











Akaz4  中に入っていくと、「森林鉄道資料館」(写真左の建物)、森林鉄道の駅入口(写真中央奥)があります(写真)。直ぐに乗車したいとも思いましたが、ちょうど発車したばかりでした。次は30分後とのことで、資料館に入りました。前の二軸の客車は要注目です。











Akaz5  入口前には、”理髪車”があります(写真)。理髪は男性には重要です。営林署の職員が大いにお世話になった車両でしょう。













Akaz6  中に入ります。まず入口の部屋には、かつての官有林時代の衣類、森林鉄道の道具類が展示されています。更に奥のドアを開けると、車両展示がされています(写真)。写真手前が特製C型展望客車(当時の皇太子(今上天皇)がご乗車された)、奥がF4型ディーゼル機関車です。









Akaz7  赤沢森林鉄道名物の、1号機関車です(写真)。アメリカのボールドウィン社製、戦時中に石炭が無く木材を燃やしたことで山林火災が起き、それを防止するために色々な煙突を試し、本当に苦労したと当時を知る職員の方がおっしゃっていました。











Akaz8  反対側には、”ボールドウィン””60874””フィラデルフィア”というプレートが付いています(写真)。実はこちらが公式側(機関士のいる側)だそうです。機関士は椅子に前後に跨って操作したとか、夏は死ぬほど暑い(火を焚いている)ので、屋根を開き熱を逃したとか、色々職員の方が教えてくれました。通常はこのSLは外に出されるのですが、今日は天候不順で屋内での展示でした。



 この機関車の資料館側にあるスイッチャーのような10トン級ディーゼル機関車は、実は木材満載の貨車10両を牽くほど力持ちなんだと、色々教わりました。これも”SAKAI WORKS”(先日の奈良井の廃車と同じく酒井製作所)で、木曽の人気者ですね。やはり森林火災は恐ろしいんですよ。



Akaz9  そうしているうちに時間は過ぎ、乗車の時間がやってきました。30分前に出発した列車が帰ってきます(写真)。この機関車は新潟の北陸製作所とされています。この列車の折り返しに乗車します。











Akaz10  客車は黒部峡谷鉄道のようなオープン型の客車ですが、平成元年製でした。保線機械のようなピンを差し込む式の連結器で連結されています。到着後すぐに入換、連結し、出発です(写真)。











Akaz11  列車に揺られ、山と渓谷を楽しみながら登っていきます。終点の丸山渡停車場まで1170メートル、約10分の行程です。到着するとすぐにピンを抜き機関車を切り離し、先の行き止まりに入線、ダルマポイントを切り替え入れ換えます(写真)。そして反対側に機関車を連結します。









Akaz12  帰りに注意深く見ると、先ずは1キロポストを発見しました(写真)。JRのように100メートル毎に標識があるようです。













Akaz13_2  次は勾配とカーブの標識です(写真)。2.8(パーミル)、R=20(半径20メートル)と書かれています。3.1パーミル、15メートルカーブもありました。そして、先ほどの駅に戻ってきました。



 往復1乗車700円で、木製の記念乗車証を貰えます。なお、終点の丸山渡駅からの片道乗車は出来ません。ハイキングの帰り道の方は残念です。



 実は今日は、JR東海の”さわやかウォーキング”が当地で開催されましたが、雨の予想のせいか、それとも私の到着が遅すぎたせいか、到着時点で既に最終バスの案内がなされ、余り多くの人は残っていませんでした。まあ、運が良かったのか。もう少し居たい気はしましたが、少しずつ雨が降り出してきたので、残念ながら帰途につきました。



 なお、今回の赤沢森林鉄道は、夏休み以外は土日祝日のみの運行で、朝9時30分から30分おき、午後3時30分位まであるようです。夏休み中は毎日ですが、入園料も必要なようです。なおここまでの交通機関として、上松駅、及び特急の停まる木曽福島駅からバスが出ています。詳しい情報は上松町ホームページに記載されていますので、そちらもどうぞ。



Akaz14  おまけ。帰りに愛知県北設楽郡設楽町に寄り撮影した、豊橋鉄道田口線(旧田口鉄道)モハ14です(写真)。雨に濡れ、大変でした。これで今週は終わります。

戻らぬ道#3

Okahai1_1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今回は、岡山県第二弾です。



 先回片上鉄道を訪問したとき、「そういえば下電って、近くだったよなあ!」と思い、居ても立ってもいられず、やっと機会を見つけました。どうせなら他も、と思い調べ上げてカーナビをセット、やっと昨晩出発できました。



 1枚目は、西大寺鉄道のキハ7です(写真)。西大寺鉄道西大寺駅跡というと不便そうですが、両備バス西大寺バスターミナル併設の美術館入口前で、代替で建設された赤穂線の西大寺にも近いようです。車は普段、併設のショッピングセンターの駐車場に停めれば良さそうですが、到着が早朝で、置き場に苦労しました。



Okahai2_1  西大寺を後にした私は、宇野へ、そして玉野へ。2枚目は、玉野市すこやかセンターにて保存される玉野市電モハ103(琴電760)です(写真)。市電でこんな立派な電車とは、とは思うのですが。しかし貫通路、塗装は琴電の手によるものです。建屋も立派ですが、一つ難を言えば正面が北向きで、旧向日町運転所(京ムコ、現在は京都運転所(京キト)の一部)の反対で、日光に嫌われています。







Okahai3_1  玉野を後にした私は、児島へ、そして下津井へ。下津井港のそばに、下津井電鉄の保存車両が残っています(写真)。左から、赤いデッキ付きの車両が平成のVVVF新造車2000形、青いのが103形、右が1001形だそうです。車庫の屋根がプラスチックなのが不思議ですが、潮風に晒されるのでトタンでは錆びるということでしょう。上にナローゲージ・・・と書いてありますが、これは三岐鉄道北勢線等と同じニブロク(2フィート6インチ)で、2000形を北勢線に譲渡を、という話まであった位ですから。新造後すぐに廃車とは、あまりに可哀想。



Okahai4_1  北側を振り向くと、かつての下電が茶屋町や児島から走っていた頃のことが思い浮かばれます(写真)。瀬戸大橋で渡船の利用客が減った、だけでしょうか。













Okahai5_1  下津井から笠岡へ。井笠鉄道の保存車を駅前で必死に探しましたが見つからず。家で確認すると、笠岡駅南西方の道路高架下だそうです。不注意でした。



 仕方なく断念し、新山へ。駅舎を利用した、井笠鉄道新山鉄道記念館なる建物があります(写真)。横には腕木式信号機も立っています。







Okahai6_1  僅かなスペースでしたが、その北側には転車台に載った蒸気機関車、客車、貨車があります(写真)。機関車は1で、客車はホハ1、貨車はホワフ1だそうです。これも完全なナローですね。軽便鉄道です。











Okahai7_1  井笠鉄道は廃止になりましたが、廃線跡をたどるように第三セクターの井原鉄道が建設されました。先回井原鉄道訪問時に満足な写真が撮れなかった、早雲の里荏原の車庫を、今回は直接撮影しましたが、盛り土の上で苦労しました。車両は、吉備線に乗り入れ岡山まで直通しても良い位待機しています。JR西日本も、効率化、活性化に役立つのに、検討しないのはかわいそう。しかし、井笠鉄道も笠岡~小田間位は残せそうなものだったのに、何故でしょう。



 かつて多くの労力で建設されたこれらの鉄道も、残念ながら廃止になってしまいました。でも、少しでも多くの痕跡が残るよう、心から願うのみです。今週は、これで終わります。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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