Alpine Route#1

Unazk1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、富山県方面へ来ています。











Unazk2  この時期にこの場所で、しかも平日にとは思いますが、今回はとある抽選に当選し、明日それを取材する予定です。今日はその前に、黒部峡谷を訪問したく、朝自宅を”しらさぎ”で出発しました。そして到着した富山駅(写真)。クロ682 2005始め8連でした。









Unazk3  そしておもむろに富山地鉄へ。立山行き各停(171始め2連)の横に、宇奈月温泉行き特急16011始め2連(元西武レッドアロー)が、発車を待っています(写真)。これに乗車し、宇奈月に到着しました。











Unazk4  宇奈月からは黒部峡谷鉄道(写真)。機関車は日立製作所昭和41年製のEDR17、後はEDR18です。普通客車12両仕立てです。後は団体客で一杯です。













Unazk5  1時間余りかけて終点欅平に到着します。付近を散策すると、深い谷にかかる橋があり、そこから上流を眺めると、中央に新黒部第三発電所、右下の白いのが黒部第三発電所、その上に小さく黒部峡谷鉄道欅平駅があります(写真)。



 昨年5月の訪問では、欅平で寒さの余りすぐの列車で退散したのですが、今回は夏で、寒い、という程ではありませんでした。しかしやはりトンネル内は寒い!





Unazk6  色々訪問し今日は戻り道を。機関車はEDR27、その後はEDR29、リラックス客車と普通客車6両ずつの12両です。またしても普通客車に乗車しました。ナローの列車で、僅か7両前がこんなに曲がるんですよ!(写真)











Unazk7  宇奈月温泉の源泉は黒薙温泉であることはあまりに有名です。黒薙から宇奈月まで温泉のお湯をパイプで送水しています。川の向こうに吊り橋と送水パイプが見えます(写真)。民法ではあまりに有名な「宇奈月温泉事件」の争いの元でした。戦前の大審院(現在の最高裁判所に相当)の名判決で、民法第1条第2項の制定につながりました。







Unazk8  今日は宇奈月~黒薙間に臨時の速度制限標識が。作業員の方もいて、何をしていると思ったら、枕木を交換していました。帰りには作業が一段落し、交換して用済みになった枕木が並べてありました(写真)。











Unazk9  宇奈月に戻ります。先回は関電の業務用の貨物を運搬していたEDS13は、今日は待機していました(写真)。やはり他の箱形機関車とは違い、重連総括制御が出来ないのか。センターキャブで、入れ換えにはバッチリですが。











Unazk10  そして地鉄に戻ってきました(写真)。今日は贅沢な普通、16013始め2連です。これで今日の宿泊先に向かいました。



 簡単ですが、今日はこんな感じで終わりました。明日は写真になるか際どいですが、努力しますので、ご期待を。それでは、また次回。

遅きに失したのですが、#3

Kamay1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、東北行最終日の様子をお伝えします。



 一昨日は盛岡に宿泊することが出来ず、仕方なく郊外に宿泊を。そして、昨日はホテルを発ち、向かった花巻。写真は、快速”はまゆり”です。これで釜石に向かうはずが、時間も違い、何か複線を走ってるぞ!しばらく考え、自分は今東北本線上にいるのに気がつきました。何と、”誤乗”です。そのまま盛岡まで停車もなく、その間に予定の釜石行き”はまゆり”も行き違い、予定が狂ってしまいました。盛岡に宿泊していれば防げたので、非常に悔しいのですが、仕方ありません。



Kamay2  盛岡に到着し、直ちに花巻に取って返したいのですが、東北線は30分後。仕方なく、予定を変更します。ついでに、何かないかと、見ていると、反対ホームに”三陸トレイン北山崎号”が停まっています(写真)。手前から、キハ58 650、キハ28 2010、キハ58 1505です。今では貴重になったキハ58系です。北山崎に行ける人は、三陸の通と言われるでしょう。







Kamay3  駅の北側にはEF81 60が(写真)。区名札は「田」(田端運転所)となっており、常磐貨物でもなさそうなので、やはり”北斗星”バックアップのためと思われます。予備車は、やはり必要です。











Kamay4  そして再び花巻へ。仕切り直しです。そして釜石線各停に。写真は、キハ100 29で、もう一両は27です。これに乗車しました。













Kamay5  釜石線には、各駅にエスペラント語の名前がついています。「遠野物語」の遠野は、フォルクローロで、JR直営の滞在型ホテルの名称にもなっています。



 間もなく陸中大橋、という所で右手の谷に線路が見えます。あんなに下りるの、と思っていたらループトンネルを長い間通り、トンネルを出ると、なんとさっきの谷の下のセメント工場の横まで下りてしまったではありませんか!上からの写真の重要性を感じました。そして陸中大橋駅に停まった列車からは、写真のような橋が見えます。これが陸中大橋でしょうか。事実は不明ですが、少なくとも道路橋ではありません。鉄道のような気もしますが、確証はありません。



 ここまで下りれば釜石はもうすぐですが、蒸気時代、上りの仕業が如何に過酷だったかを物語っています。



Kamay6  釜石に到着しました。車両を記録し、海側を見ると、写真のとおり線路が続いています(写真)。左は三陸鉄道南リアス線、右は新日鐵釜石に続く貨物線と思われます。













Kamay7  すると間もなく、宮古方面の山田線から三陸鉄道の車両、”リアスシーライナー”(写真手前の青い車両がキハ36 1107、後の赤い車両が同1206)が入線します。この列車は八戸始発、八戸線で久慈、北リアス線で宮古、山田線で釜石、南リアス線で盛、反対向きになり大船渡線、気仙沼線、石巻線で小牛田、そして最後は東北本線で仙台に行く、一日がかりの大冒険です。勿論仙台発八戸行きもあります。なお運転は、お盆前までの短い北の夏休み期間の間です。数年前乗車し、良い思い出になりました。乗車はJR区間で「青春18きっぷ」を使うと、北リアス線、南リアス線それぞれ別ですが、三陸鉄道区間はきっぷ提示で専用フリー切符を車内で購入できます。乗車の際は思い出してください。



Kamay8  キハ110系盛岡発花巻経由釜石行き快速”はまゆり”が到着します(写真)。手前キハ100系花巻始発宮古行き各停と並びました。釜石線は完全に置き換え完了です。













Kamay9  今来た道を眺めます(写真)。左、勾配の緩い方が釜石線花巻方面、右、勾配のきつい方が山田線宮古方面です。出発は2番線宮古方面進行を現示しています。













Kamay10  山田線を宮古に向かい、山側でカメラを構えていると、磯鶏で写真のとおり9625が保存されているのが分かります(写真)。本当はここで下車し2時間過ごす予定でしたが、誤乗及び雨天が原因で断念しました。











Kamay11  宮古に到着。岩泉線を目指すなら、茂市で待つより一旦宮古に出た方が、周りに施設があり良いようです。キハ52 146岩泉行きが発車を待っています(写真)。













Kamay12  やった!国鉄色!キハ52 149が側線で待機しています(写真)。















Kamay13  未改造の営業車が殆ど無くなった、キハ58 1514(写真手前)が、キハ52 110(写真奥)とともに待機中です(写真)。ほか、キハ100の4連等が営業の準備をしています。ここは国鉄形のサンクチュアリですね。











Kamay14  さあ帰るか、と盛岡行きの改札をくぐると、何と山田線盛岡行きはさっきの国鉄色、キハ52 149ではありませんか!(写真)。やった!あたり!しかし遠征の高校生も多く、車内は満員でした。



 喜びを胸に座っていると、行き違う快速”リアス”が入線します。車両はこちらもビックリ、キハ58国鉄色2連なのでした!撮影の時間があったなら、是非是非撮りたい車両でしたが、ここで立つと置いてきぼりになるので、泣く泣く断念。やはり山田線盛岡~宮古間は最後のサンクチュアリになりそうです。この夏にもう一度来るのは大変ですが、水郡線の次の玉突きは恐らく来春でしょうから、冬にでももう一度来たいですねえ!何れも非冷房ですしねえ!



Kamay15  そして盛岡に到着(写真)。盛岡駅にキハ52国鉄色も、良い感じでしょう。そしてここから新幹線に乗りました。



 乗車した”はやて”が白石蔵王を過ぎた辺りから減速を。ついに、福島駅通過線で停車してしまいました。左の13番線ではE2系”やまびこ”東京行きが発車を待ち、右の11番線はE4系”MAXやまびこ”が待っています。そうだ、”つばさ”だ!山形方からやって来た”つばさ”は慌てて連結され、直ちに発車、下り本線を横断し郡山まで先行します。”はやて”が先だろう、と思う方、まだ甘い。そんなことをすれば、下り”つばさ”が11番線に入れず、するとこれを福島で追い越す下り”はやて””こまち”が追い越せず、最悪の事態になってしまいます。山形新幹線を14番線に入れるようクロスさせるのがベストですが、設計上無理でしょうから、せめて12番線からも山形新幹線に入れるように改良すれば、遅延しても福島で”つばさ”が上下クロスでき、良いのでは?結果ここで10分遅延して、”のぞみ”に乗れぬかと東京駅で肝を冷やしました。結局最終”のぞみ”は出発は遅延したようですが、新横浜までにN700系は遅延を吸収し、名古屋は定時でした。



 こんな感じで今回の遠征を終えました。次回は、何処でしょうか。

遅きに失したのですが、#2

Odatean1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今週の”Tetsu”第2回目をお届けします。昨日に引き続き東北からです。











Odatean2  今朝宿を出て、先ずは大館へ。大館からは駅の反対方向へ向かいます。3分程歩くと、踏切が見えてきます。時刻表にも載ってない鉄道です。これは、一体?



 実はこの鉄道は、小坂精錬が経営する小坂鉄道です。かつては小坂鉱山の貨物と旅客を運ぶ鉄道でしたが、平成に入り旅客を廃止し、貨物専業の鉄道になりました。私に気合いがあれば、ここに1日張って、DD13と同世代のディーゼル機関車の4重連が牽く貨物列車を写すのですが、今日は大館初体験ということで、かつてホームもあったであろう小坂鉄道大館駅を写し、取材とします(写真)。



Odatean3  小坂鉄道は駅の西方で大館貨物駅に合流、そのまま奥羽本線に繋がっています(写真)。隅に更新色の機関車ED75が小さく写っています。これを遠巻きに花輪線はカーブします。廃線になったかつての支線まで入れると、もう大変です。











Odatean4  そして大館を発ち、鷹ノ巣へ。ここからは秋田内陸縦貫鉄道が、分岐しています。写真は、発車を待つAN-8805です。これに乗車しました。













Odatean5  阿仁合に到着。先回訪問時は、行き違いと運転手交代の2分間で写したモブログだったので、今回は時間をかけじっくり取材しようと思いました。



 乗車した列車が去ると、車庫では編成の組成が行われていました(写真)。手前からAN-8904、青いのが両運転台AN-8905、AN-8903です。急行”もりよし”、及び団体用の車両です。







Odatean6  車庫工場の全景です(写真)。奥行きは3両入る位あります。北東側駅舎横には保線機械用の車庫がありますが、シャッターが下りていました。













Odatean7  留置線の奥には、赤く塗装されたAN-8902が(写真)。初代”もりよし”用の車両ですが、現在は団体用のようです。













Odatean8  車庫の反対側には、橙色のAN-8803が(写真)。何となく、危ない感じです。















Odatean9  時間があったので、駅前で開催されている”おばけ屋敷”に入りました(写真)。ディズニーランドのホーンテッドマンションのようにはいきませんが、なかなか雰囲気は出ていました。期間限定なので、運の良い方はどうぞ。











Odatean10  そういっているうちに、今日の急行”もりよし”がやって来ました(写真)。こちら側がAN-8901、奥が”宝くじ号”AN-2001です。まだ急行には乗ったことがないので、次回はこれでしょうか。











Odatean11  その次の列車に乗り、角館へ(写真)。国鉄時代には、鷹ノ巣~阿仁合間と松葉~角館間は開業していましたが、中間の阿仁合~松葉間は秋田内陸縦貫鉄道自身で開業した路線です。途中には阿仁マタギという駅まであります。











Odatean12_1  暫くすると、田沢湖線普通電車がJRホームに入線します(写真)。秋田支社秋田車両センター(秋アキ)の701系ですが、標準軌の5000番台(写真側はクモハ701 5004)です。











Odatean13  何故標準軌かと言えば理由は単純、秋田新幹線だからです。秋田新幹線は在来線の施設を改軌しただけなので、全線単線です。しかし北海道同様高速路線でもあり、信号場も多い。写真のとおり信号場(信号場の名前は、手元の資料ではわかりません)で”こまち”と行き違いました。









Odatean14  間もなく盛岡、という所で高架が途中で分岐しています(写真)。これを右に行けば在来線地平ホーム、左に行けばデッドセクションを越え新幹線ホームに繋がっています。デッドセクションがあるのは、在来線は20,000Vに対し、新幹線は25,000Vであり、電圧が違うからです。保安装置も在来線ではATS-Pなのに対し、新幹線はATC(近々DS-ATC(デジタルATC)に代わるのでしょう、盛岡以北はそうですし)のため、色々切り替えが大変なのです。



 この先、地平ホームに下りると、標準軌と狭軌がクロスする、日本では数少ない場所があります。施設の改良は、本当に大変です。



Odatean15  そして地平ホームに盛岡行きは到着(写真)。折り返し、雫石行きになります。そして今日の宿泊先に向かいました。



 昨日は峠越えは1往復と大ボラを吹きました。数往復設定されているというのが事実です。訂正し、お詫びします。しかし「青春18きっぷ」ユーザーには、盛岡からは最低でも角館、出来れば大曲まで運転して、というのが本音ですが、やはり”こまち”の商売に影響するのか、他の普通と接続のない田沢湖までが多く、早朝深夜を除くと、事実上1往復、という事態になってしまいます。JR東日本に涙を呑め、なんてことは言えませんが、もし”青春18きっぷ”を重要視するなら、改善を期待したいところです。



 今日はこんな感じです。明日は遅いため、完結編は明後日以降になる予定です。

遅きに失したのですが、#1

Senku1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今週は、東北地方へ来ています。











Senku2  昨晩自宅を”ムーンライトながら”で発ち、東京、上野、宇都宮と経由し黒磯へ。東京で目が覚めず、宇都宮線のグリーン車で延長戦を。でも、モバイルスイカって、グリーン料金は別途請求なんですね。



 黒磯の交流ホームへのお迎えは、E721系、1号編成他4連です(写真、郡山にて)。客車ホーム対応の低床車で、クロスシートが良いところです。これに乗り郡山に到着しました。





Senku3  郡山からは普通に701系で。窓の向こうは郡山車両センター(旧郡山工場)です。冬の間各地で活躍した除雪機関車が戻ってきました。手前はDE15 1525(複線型ラッセル)、奥がDE15 2556(?、単線型ラッセル)です。













Senku4  次はロータリー除雪機関車、DD14 308です(写真)。今年も、8月末にイベントはあるのでしょうか。













Senku5  そして福島に到着。福島からは719系快速です(写真)。これに乗車しました。座席はセミクロスシート、集団お見合い形に配置されています。













Senku6  名取で下車。仙台空港鉄道の連絡線から、E721系500番台がやって来ました(写真)。













Senku7  仙台空港に到着(写真)。鉄道アクセスが出来て、ここも大いに発展しそうです。ただ、ターミナルが海側なため、滑走路をトンネルで潜るのが少し勿体ない。













Senku8  仙台で昼食を摂り、仙台車両センターの701系(緑帯)で一関、そこから盛岡車両センターの701系(紫帯)に乗り換え盛岡へ(写真)。ありがちな写真です。













Senku9  奥に興味がわき端のホームへ。田沢湖線、クモハ701-5003始め2連(N5003編成)です(写真)。”こまち”以外で、峠を越え大曲に達する各停は、実は1日1往復です。











Senku10  後には、主に花輪線の運用に入っていたキハ58ばかり、ずらっと並んでいます(写真)。葬送行進曲です。殆どは冷房準備車(クーラー(AU14)設置用に屋根に穴が開いていて、塞ぎもので閉じている)のまま改造されなかったキハ58ですが、手前から2両目、キハ58 739は、非冷房非準備車です。キハ52はありません。既に処分されたのか、三陸で最後の命脈を保っているのか。



 奥の番号を押さえようと進むと、「立ち入り禁止」の金網とゲートがあり、いけないとは思ったのですが、私服の方が歩いてくるので、中に入ると、実は仕業を終えた職員さんで、「入らないで!」と怒られました。禁止行為はいけません。



Senku11  いつのまにか701系は走り去り、その東側に停まっていた”はまゆり”、手前からキハ110 122、139、3の3連です(写真)。花輪線は全部(秋田直通は除く)、三陸方面も快速は置き換え済み、普通列車も間もなく水郡線のキハE130の玉突きで置き換えられます。キハ58国鉄色には、遅きに失しています。キハ52国鉄色には、間に合うか。そんなことを考えながら今日の宿へ向かいました。



 明日、明後日で今回の成果が分かります。乞う、ご期待。今日はこれで終わります。

祝!20,000アクセス

 2004年8月24日に、通信試験から始まった本ブログ。それから2年余りで、やっと10,000アクセスになったと喜んだのは、実は昨年の10月2日のことです。それから1年足らずで、それを上回るアクセスを記録し、とうとう本日20,000アクセスに到達しました。本ブログを楽しみにして頂いている方がそれだけいる、と思うだけで非常に嬉しく思います。



 確かに「俺は凄いんだぞ!」と言いたくなる気持ちもあるのですが、オタクしか喜べない敷居の高いブログには、正直言ってしたくありません。「正確に」「新鮮に」「徹底的に」もありますが、やはり鉄道というものの緻密さ、奥の深さを、「へえー、そんなこともあるんだ。」と楽しめるブログにしたいのです。難しい漢字も多いですが、勉強して覚えようね!



 秋には新シリーズが始まります。大方予想できると思いますが、お楽しみに。

楽に行こう!#3

Teniga1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今日の”Tetsu”をお届けします。”楽”シリーズ最終回を迎えました。



 今朝近鉄名古屋から乗車した名阪乙特急は、何と”ビスタEX”4連で、名阪特急にと思いびっくりしました。ただ、そう分かっていたら2階席にしたでしょうが。しかし乗車時には撮影時間はなく、下車した大和八木で撮影しました(写真)。こちらが30203、30103始め4連です。



Teniga2  八木からは平端へ行こうかとも思いましたが、田原本で下車。約150メートル歩き、孤立線の田原本線、西田原本へ行きました。既に8400系8316ほか3連のワンマン車は出発を待っています(写真)。



 田原本線のみならず近鉄の単線の路線は、閉塞も出発も信号には注意(黄)と停止(赤)しかありません。進行(青)を使わないのは、昨日の養老線も、今は三岐鉄道になった北勢線も、この後に出てくる伊賀線も同様です。





Teniga3  西田原本から数百メートル走ると、入出庫のための橿原線との連絡線が見えてきます(写真)。本当は両駅を一緒に出来れば良いのですが、やはり難しいのでしょう。それは生駒線王寺と田原本線新王寺も同じです。











Teniga4  新王寺に到着し、数百メートル戻り、田原本線とJR関西本線との間の土地は公園になっており、その中にはプールなどがあります。片隅に写真のとおりD51 895が保存されています(写真)。しかし屋根はあるものの、全ての玉が割られ少し惨めな状態です。









Teniga5  戻り道見てみると、新王寺間近の田原本線に10キロポストが(写真)。新王寺からは1キロもない地点なので、起点が西田原本なのか、それとも生駒線と通しなのか、謎です。



 撮影を終えファーストフードを買い電車に乗ると、小学生の団体が。ファーストフードばかり食べてると、私のように太るぞ!







Teniga6  そして西田原本に戻り、田原本、各停で平端、そして天理線に。乗車したのはシリーズ21、9820系6連の京都発天理直通急行でした(写真)。正面は9320形なのは分かるのですが、ナンバーの記録を失念しました。











Teniga7  そして降りたのはこれを撮るためです。機関車はD51 691、後の客車はオハ61 930でした(写真)。機関車には区名札はなく、客車には天(天王寺鉄道管理局)は正しいのですが、所属区はテンリとされ、事実に反します。中にはキャブに入れるよう階段が設置されていますが、イタズラが余りに多いのか、今はご覧の通りその前に高いネットフェンスが設置されています。写真はイマイチです。



 実はこの機関車は、駅の3号線降車ホームから写せば、支柱のみが支障するだけで正しく写せるのですが、気付いたときは既に乗車した後で、予定を後にずらせず断念。ああ、やり直しかあ!



Teniga8  そして慌てて平端、八木と戻り、本当は関屋~大阪教育大前間の謎の複線トンネルを取材したかったのですが、どちらの駅からでも1キロ以上歩かねばならず、最終戦の断念につながると思い、こちらを断念。トンネルは、車でも取材できますし。



 慌てて青山町行き急行に乗り、辿り着いた伊賀神戸。近鉄伊賀線です(写真)。こちらも10月から分離され「伊賀鉄道」になります。そのための準備工事で、6号線の線路を撤去、新しい改札を現在の場所とは別につくるようです。待っているうちに、くノ一(写真は866、奥は766の編成)がやって来ました。



Teniga9  上野市に到着。こちらも駅舎の中を大改装をしているようです(写真)。















Teniga10  上野市で降りたのは、運用がこちらも伊賀上野~上野市間と、上野市~伊賀神戸間に分かれているからです。特に伊賀上野方面は、伊賀上野でJRが来る時間(ちょうど上下が行き違う)に接続するよう運転していることから、データイムは1時間に1本です。それに引っ掛かってしまいました。



 写真の奥には、高安車庫の支区である上野市車庫が見えています(写真)。







Teniga11  ホームに戻り見てみると、763始め2連が、仮台車をはめて停まっています(写真)。恐らく伊賀神戸から軌間を変えて五位堂工場に入場するのでしょうが、どうやって伊賀神戸まで牽引するのでしょう。電車か、それとも保線機械のモーターカーか。更に通常の台車は陸送?謎は深まるばかりです。









Teniga12  本当は伊賀上野に行き、伊賀鉄道誕生前の最後の取材をしたかったのですが、時間の都合で断念。今日の伊賀上野~上野市間の運用についていた765、865の編成の写真を載せ、取材したことにしようと思います(写真)。











Teniga13  そして帰り道、茅町で男の忍者列車と行き違いました(写真)。まあ伊賀線全部で860系6編成しかありませんから、全車両カタログも夢ではありません。皆さん、頑張りましょう。



 やはり伊賀線も架線支柱は殆ど新品に替わっていました。今のうちですからね。大変でしょうが、頑張ってください。そんな感じで今日の取材を終えました。



 前半、SLの保存は、親しみやすくするとイタズラが増えるという、悲しい結果が待っていました。そういうことをするのは一部の人でしょうから、何とかならないものでしょうか。



 後半、伊賀線は、今後とも住民の足として残るよう、期待したいですね。



 それでは、今日はこんな感じです。

楽に行こう!#2

Hamayo1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今日の”Tetsu”をお送りします。今日はやはりJR東海の浜松工場のイベントに行ってきました。



 今日は、昨日とはうって変わって快晴でした。そのためか、朝方から多くの親子連れが浜松に集まり、珍しく早起きした私とかち合い、午前10時前後の浜松駅は大混雑で、シャトルバスは1時間待ちと言われました。そのため近辺へ行く路線バスが10分おきに出ていて、150円で行けるとのことで、そちらを選択しました。しかしこちらも20分待ちでした。



 私の目的は撮影です。兎に角中へ、の思いで、中に入ります。先ず1枚目は、今日の台車入れのリフティングのためクレーンに乗る、N700系試作車Z0編成の1号車(783-9001)です(写真)。ちょうど同編成が量産化改造の最中だったようで、いつも300系と書いては最新の車両を使うリフティングの車両に抜擢したようです。



Hamayo2  次は、先日廃車になった300系試作車J1編成(量産化改造前はJ0編成)16号車、322-9001です(写真)。後に出てくる量産車とは、ボディ側面に膨らみがつけられていることが違いです。同車、及び300系初期車はプラグドアでしたが、空力的メリットがなく高価なことから、中期型以降700系まで従来型の引き戸に戻されました。新幹線初のVVVFインバータ制御車でした。車齢が20年に満たないうちに廃車、そんなに酷使したのか、そしたら500系は、とも思うのですが、やはり試作車、寿命は短かったのでしょう。これを撮らなかったら、今日来た意味がありません。最後の所属は、東京第2車両所(幹トニ)だったようです。



Hamayo3  こちらは例年通り、S88編成と書かれている、0系(0)22-86です(写真)。今の東海道新幹線では見られない広窓車です。













Hamayo4  322の後は、300X試験車、A0編成の6号車(955-6)です(写真)。試験走行で時速443キロ出した車両です。同編成の1号車は、米原の鉄道総研の広場に、JR東日本のSTAR21、JR西日本のWIN450と共に静態保存されています。



 後には100系試作車X1編成の、2階建て食堂車(168-9001)が写っています。







Hamayo5  100系量産第一陣、X2編成の1号車、123-1です(写真)。0系は世紀の名車ですが、実は私はあまり100系は好きではありません。どうしても辛い時代を思い出してしまいます。バブルと共にG編成は消え、現在では細々と山陽新幹線の”こだま”で運用されるのみとなりました。









Hamayo6  こちらも定番、T4編成7号車、923-7です(写真)。JR西日本のT5編成(同型3000番台)も主役になる資格があるのに、未だに尼崎はあとを引いています。













Hamayo7  7両では長さが余るので、Z0編成の残りが入っています。16号車、784-9001です(写真)。













Hamayo8  運転台見学会に使われている、J14編成16号車、322-13です(写真)。Z編成の増備が進むと、更新対象から外れているJ15編成以前は、廃車の予定です。営業用VVVF車廃車第1号は尼崎、300系はそれに続きます。因みにJR西日本もN700系を導入し、N編成を名乗る予定です。これで世紀の0系は全車引退します。21世紀まで残ったのはすごかった!







Hamayo9  新幹線が中心になるのはやはり仕方がありません。それで横の方に行くと、在来線の車両が。最初は除雪機関車、DE15 1531です(写真)。除雪機関車は、機関車が何処で製造されても、除雪部分は全て新潟鐵工所(現、新潟トランシス)で製造されました。車齢40年近くなるものを、未だ代替車は開発されていません。









Hamayo10  舶来機関車の改造後の最後の姿、ED18 2です(写真)。元は戦前のイングリッシュ・エレクトリック(EE)製の機関車で、かなり改造され、トロッコファミリー号に使用されましたが、ついに整備の限界に達し、静態保存になるのでしょう。非常に大きく甲高いホイッスルが付いていました。









Hamayo11  中勾配用機関車、EF64 66です(写真)。今は亡き、ユーロライナー色です。JR東海社内では主に中央西線が活躍の舞台でした。













Hamayo12  平坦線用機関車、EF65 112です(写真)。こちらも同じくユーロラーナー色です。東海道線の主役です。













Hamayo13  EF58 122です(写真)。東海道線全線電化の頃の主力旅客機関車で、EF65の登場で運用は客車急行が中心になり、だんだん下関運転所に集まり、多くは散っていきました。同型のお召し機関車61号機はあまりにも有名です。貴女は58の61よりも美しい?



 後には111系MM’第1ユニット(モハ111-1、110-1)、クモヤ90もありました。これらの写真は、形式写真としては子供が余りに多く失格ですが、やはり子供向けのイベントですから、子供に目くじらを立ててはいけません。彼らが未来の鉄なのですから。ただ一緒に写真を撮った車両の意味を知っていると、もっと面白いと思うのですが。



Hamayo14  そして異常に早起きして、150円余分に払って時間を短縮したのも、後半戦に期待をしたからでした。しかし浜松駅到着で既に予定の1時間遅れ、駅の切符売り場は大行列で、仕方なく途中までの切符を自販機で買い、普通で豊橋、更に快速で大垣に行きました。



 午後3時過ぎになってからでも大垣に到着したのは、昨日の団体列車の乗車券が近鉄3日間フリーパスだったためで、明日の予定を考えると、今日中に近鉄養老線に行く必要がありました。



 大垣から養老線を攻めるなら、先に揖斐に行くのはほぼ鉄則でしょう。往き道に東赤坂で行き違いを行い、揖斐に到着。時間1本のパターンでは3分で折り返しで、慌てて写真を撮ります。しかしなかなか出ないので、聞くと出発までにはもう少しある、とのことで、夕方の本数増に助けられました。



 そして、ついに大垣以北での近鉄マルーンの行き違いを、池野で捉えるのに成功しました(写真)。運転手さんに無理言って、少し待って貰いました。



Hamayo15  近鉄養老線は、桑名と大垣を中心に客が散らばっていく構造のため、桑名~大垣間と、大垣~揖斐間を通しで乗る乗客はあまりいません。その結果大垣以北と以南では乗り継ぎはあまり良くありません。営業的には、北線、南線と名前をつけても良いほどです。



 ただ、それはその空いた時間に色々と雑用が出来るというメリットもあります。今日も間食と飲料を手に入れ、用を足しました。



 そして桑名行きの前に西大垣に寄ろうと思い駅員に聞くと、この時間途中行きはなく、前の桑名行きは揖斐発の車両到着数分前に行ってしまった、とのこと。このまま西大垣で下りると、30分帰宅が遅くなるため、断念しました。



 西大垣は駅舎建て替えの最中で、架線支柱も交換できるものは新品のコン柱に交換されていました。これらは他でもない、今年の10月1日から近鉄養老線が養老鉄道に分離されるからで、分離前に手入れできることは手入れしているのでしょう。塗色も3連はほぼ近鉄マルーンに統一されました。今後は厳しいかもしれませんが、先ずは出来ることはする、ということでしょう。西大垣検車区公開も考えては?そんなことを考えながら桑名に着きました(写真)。そして今朝の出発とは反対方向から帰宅しました。



 今日は良く晴れ、暑く、日に良く焼けました。仕事に戻ったら、何と言われるでしょう。明日もご期待ください。でも、顔も腕も真っ赤ですよ!

楽に行こう!#1

Rakut1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今日は、近鉄線方面を取材しました。



 今日明日は、東海地区の鉄道関連として最大のイベントが有ることは、多くの人の知る所です。当然行くのですが、たまたまダイレクトメールで今日のイベントを知り、「”楽”に乗る機会って、あんまりないよなあ!」と思い、今日は近鉄のイベントを選択しました。



 近鉄20000系”楽”は、団体専用車として平成になってから新造された車両です。番号の取り方は今後に期待を持たせる取り方ですが、結局1編成製造されただけで、その後の追加増備もなく、そのままとなっています。通常の営業運転は行われないことから、普段乗る機会がなく、なかなか乗れない車両の一つでした。増してダイヤを調べ待ちかまえて、なんて根性もなく、写真コレクションはありませんでした。それが今回乗車の理由でもあります。



 今朝は仕事でも起きないほど早く起き、近鉄名古屋へ。4番線に、20000系”楽”は入線します(写真)。これに乗車します。



Rakut2  乗車は中川方先頭車で、暫く前向きです。中間2両はハイデッカー、両先頭はハイデッカーと2階建てのミックスで、JR西日本の”エーデル”シリーズを近代化したような正面に、後方は1階席が設けられています。今回は1階席は添乗員の業務スペースとなっていました。前の方の席は階段状になっています(写真)。









Rakut3  伊勢中川で方向転換し、大阪線に入ります。中川乗車もあるのでしょうが、やはり中川短絡線は花道、名阪特急のみが通ることの許された場所のようです。



 大和八木で一旦停止、京伊特急のみが通る八木短絡線を経由し、橿原線、平端で折り返し、天理へ(写真)。普段使わない1号線に入ります。天理臨のスジで運転されたのでしょう。天理では、見てはいけない物を見てしまいました。ああ、また来なきゃ!





Rakut4  20000系”楽”は、系統的にはビスタカーの一族に入るようで、写真のようなロゴも入っています(写真)。21000系”アーバンライナー”以降の流れとは一線を画す車両です。



 しばらくの休憩の後、天理を出て橿原線に戻り、平端でまた折り返しました。









Rakut5  次の目的地は橿原神宮前です。3号線に入線し、見ていると、京都発の”ビスタEX”が入線します。折り返し?と思うと、何と吉野線の方向へ。2編成の”ビスタEX”が並びました(写真)。右が先ほど入線した30209ほか4連、左が30206ほか4連で、こちらは暫く後で京都行きとして入線しました。何れも”ビスタカーIII世”で、”ビスタEX”へのリニューアル改造により、ハイデッカー2階席の断面は20000系”楽”と同じ断面になり、窓も同じ曲面ガラスになりました。現在構想中であろう”ビスタカーIV世”(忌み番40000系とするかは不明ですが)はどんな車両になるか、多くの人が期待をしています。



 因みにNゲージ鉄道模型でも、ビスタカーIII世の模型をトミックス(トミーの鉄道模型子会社)が生産していましたが、ビスタEX登場で生産中止になってしまいました。そこで、模型でも実車同様ビスタEXに改造できるよう、某模型会社が塗料と部品とデカールシールのセットを販売していました。工作好きならいいですが、そこまでするのでしょうか。私は不器用ですし、模型まで手を広げると実車が写せなくなるので、止めました。



Rakut6  1号線の向こうには、有名な台車交換施設があります(写真)。これは狭軌の南大阪線の車両を五位堂工場に入場させるとき、ここで標準軌の仮台車に履き替え、モトに牽引され入場するのです。特にここはドロップピットらしいので、ジャッキアップの手間がありません。先の方はレールが4本ひかれ、牽引が可能になっています。車両は南大阪線6023ほか3連のようです。







Rakut7  奥には本来の台車を載せ、牽引するモト(写真手前はモト98、奥はモト97)が停まっています。お迎えか、お見送りかは分かりませんでした。



 そして橿原神宮前を出発し、八木西口からかつてのスイッチバック線を通り高安に向かいました。









Rakut8  20000系”楽”は高安車庫所属の車両です。今日のメインイベントは、”楽”の洗車体験です。残念ながら下車、移動は出来ず、ボディの洗車は洗車機の中を2回往復するのを窓から見るだけでした(写真)。水が出ているのが分かります。











Rakut9  横は洗車機で洗えますが、正面は1両1両形が違うので、モップで手洗いです(写真)。















Rakut10  洗車が終わり、本線入線を側線で待つ間に、同じ高安の2代目”あおぞらII”、15201ほか4連+15203ほか2連が通過していきました。



 そして上本町に向かいました。











Rakut11  鶴橋からなんば行きと上本町行きに分かれますが、地下線の難波線は営団(現東京メトロ)お得意の鋼体化架線を使っているようです。写真では、灰色の太めの針金がそうです。丁度通常架線との切り替わりの場所なのでしょう。











Rakut12  ”楽”は一番南、8、9号線に入線しました(写真)。新型特急がいつも出発式をする所です。営業に支障しないよう一旦側線に引き上げます。













Rakut13  同ホームには”ACE”が入線します(写真)。「なんでもないや!」と思って番号を見てみると、写真側は22401、つまり22101ほか4連で、22000系初号編成でした。



 ”ACE”は思い出深く、初めて乗った近鉄特急でした。縞々のシートをよく覚えています。元カノは近鉄に造詣が深く、中川の話は口癖のようでした。伊勢神宮への初詣の帰り道、せがまれたので特急券を2枚買い、桑名まで一緒に乗ったのを覚えています。それが近鉄特急初体験でした。





Rakut14  9号線の”ACE”は行き、次の上り特急は回送され、その次の”ACE”が入線します。私たちの乗る”楽”は、7号線に入ります(写真)。これに気付かず乗り遅れた人もいたようです。そして帰途に就きました。











Rakut15  途中俊徳道付近で、新大阪と竜華を結ぶ城東貨物線の旅客化工事の様子が見えました(写真)。新駅完成間近です。でも、電化までするのでしょうか。



 こんな感じで今日の取材を終えました。明日は雨にはならないようなので、明日のイベントは楽しみです。それでは、また。

Kimi Wa Hurricane#3

Marinev1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今週の”Tetsu”第3回目、本日最終章を迎えましたのでお送りします。



 昨日同様に不真面目に起き、向かった広島駅。暫く反対ホームで待っていると、本日乗車予定の、快速”瀬戸内マリンビュー”がやって来ます(写真)。撮影し、そそくさと乗車します。



 ”瀬戸内マリンビュー”は、広島と三原を呉線経由で結ぶ観光列車です。キハ47を改造した車両で、7000番台を名乗ります(写真側が2号車7002、奥側が1号車7001)。



Marinev2  広島を出るとすぐに広島貨物ターミナルです。写真は、手前がEF67 101、奥がEF67 1です。説明は、昨日の記事をもう一度見てください。













Marinev3  次は、入換中のDE10 1141です(写真)。貨車はコキ104でしょうか、コキ100シリーズですが、コキ106ではないようです(コキ106は灰色、他のコキ100シリーズは青のため)。











Marinev4  ちょっと落ち着いたので、中を見回すと、写真のとおり完全に非冷房キハ47の冷房改造車で、屋根に追加で乗せたクーラーが見えます。他の部分は非冷房当時のままの丸い屋根が残っています。更に改造で”マリンビュー”に似合う雰囲気の車両に仕上がっています。しかも指定席には車内販売があり、色々頼みました。









Marinev5  車窓は大きくとってあり、海側は一枚ガラスです。写真撮影にも好適です。呉を過ぎ、安芸川尻を少し過ぎた所にドックがあり、そこに何と関釜フェリーの”はまゆう”が入っているではありませんか!現在ドック入りしているとホームページに出ているのは知っていましたが、まさかこんな所に!とも思いました。しかし、瀬戸内海沿岸は船関連の産業が盛んなのは常識で、その中枢の一つ呉のそばであり、当然か。



 更に進むと、巨大な橋が見えてきます(写真)。後で地図を見ると、どうも安芸灘大橋という橋のようです。



 戦前には、呉線呉近辺で帝国海軍の軍事機密が漏れないように、これらの区間では窓の鎧戸を閉めることを余儀なくされていました。現在も自衛隊の基地がありますが、公然と見れるのは、平和の証でしょう。



 実は呉線は、セノハチのバイパスとして使用され、線路も山陽本線に準じたレールを使用し、最後に糸崎機関区に配備された大型旅客蒸機C59やC62の、本州での終焉の地となっています。



Marinev6  そして三原に到着(写真)。そそくさと折り返しの準備を始めます。



 やはり港町では魚などの海産物を戴かなければ。昔三原で魚の”カマ”(何の魚かは忘れましたが、まあまあ大きい魚のエラの部分)を食べ、美味しかった記憶があります。今日は、福山にもある”たこめし”を食べました。







Marinev7  尾道を通り福山へ。7番線には、福塩線府中行き電車が(写真)。105系です。105系、3ドアと4ドアの2種類がありますが、3ドアの105系は105系としての新造車、4ドアの105系は103系のユニットを崩し1M方式に改造した車両で、今では103系改造車の方が多数派となっています。和歌山の105系も、完全な改造車ですね。









Marinev8  福塩線ホームから見ると、山陽線上りホームには117系”サンライナー”が(写真)。元の117系新快速は6両で、4両化に際しMM’ユニットを一つ抜きました。名古屋でそれをやった頃はまだ117系新造の時代でクハを新造しましたが、この時には既に117系の新造はなく、モハユニットは115系3500番台として、広島の115系に編入されました。







Marinev9  乗車は井原鉄道IRT355 05(355PSなんでしょう)、総社行きです。来た道を戻る方向に発車します。













Marinev10  神辺で、JR福塩線から井原鉄道の線路になります。神辺駅JR2番線から、福塩線本線を跨ぎ、一番右の井原鉄道の線路に渡っていきます(写真)。ポイントは、準備完了です。











Marinev11  途中は、先回迷惑を掛けた区間なので省略します。そして終点総社に到着。写真には0キロポストが写っていますが、JR伯備線や吉備線がこんな所に起点が有る訳が無く、清音~総社間をJRに間借りする井原鉄道の物としか思えません。これが恐らく井原鉄道の夢なのでしょう。









Marinev12  総社駅1番線は行き止まり式の吉備線ホームです。丁度広島支社色のキハ47 1066が入線しました(写真)。折り返し岡山行きですが、岡山へは距離の遠い倉敷経由の方が行き違いもなく早いようです。しかしひねくれ者は吉備線を選びます。











Marinev13  そして終点岡山駅17番線に到着(写真)。キハ47 1066の反対側は、岡山支社色のキハ47 47でした。右手は現在の岡山駅北口です。













Marinev14  そして隣の16番線は、津山線津山行きのキハ47 69始め2連です(写真)。岡山駅改造、及び北口再開発で、このホームは消える運命にあります。



 こんな感じで今日の取材を終え、帰宅しました。



 今回の遠征で、解決をした問題もありますが、また新たな課題が出てきました。いつか、解消したいですね。でも、”はまゆう”に乗る、というのもいいですねえ!

Kimi Wa Hurricane#2

Hirodenm1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今週の”Tetsu”第2回目をお届けします。今日も引き続き広島方面です。











Hirodenm2  この7月のダイヤ改正で、かつて”ちどり”、”たいしゃく”等の急行が走っていた芸備線では、それらを統合した急行”みよし”4往復が廃止され、快速”みよしライナー”が運転されることとなりました。青春18きっぷファンには喜ばしい限りですが、当然急行形も使用されなくなり、車両ファンはがっくりしている所でしょう。6月30日には「さよなら”みよし”」イベントも行われたそうですが、私は越美北線で行けませんでした。もう少し早く気付けば撮影もしたところ、手遅れになってしまいました。



 今日の第1回戦の予定は、この”みよしライナー”でしたが、結局写真のとおり普通の広島支社色の各停の間合い運用となってしまい、撮影及び乗車にあまり意味を感じず、乗車を止めてしまいました。この位なら、青春18きっぷですればいい、と思うからです。今年の冬位、考えておきます。やはり急行”みよし”に使用されたキハ58系は、その後のキハ120はおろかキハ47系より速度が遅く、急行が各停より運転速度が遅いという事態を招き、結果急行”つやま”と同じ状態になってしまったのでしょう。専用塗色が、また一つなくなってしまいます。なお、使用された”みよし”色キハ58系は、現在広島運転所(広ヒロ)の片隅に留置されています。このまま、解体か、それとも東南アジアか。



Hirodenm3  そこで1回戦は、今日の午後から行くつもりだった広島市交通科学館に行くことにしました(写真)。また今日も大町で乗り換え、アストラムで長楽寺に行くと、乗車証明書があり、これを持って窓口に提出すると、入場料が大人100円、子供50円安くなるそうです。ただし乗車駅のチェックもあるので、気をつけて。右には、第三セクターであろう、広島高速交通(株)の本社が見えます。







Hirodenm4  中は、新しい博物館であることから、蒸気機関車の本物等の展示はありません。その代わり、それを埋め合わせて余りある程の模型の数々には圧倒されます。満鉄のパシナ(パシフィックの7(な)番目)の模型です(写真)。



 因みに、現在特別展で世界のスーパーカー展が行われています。ロータスやカウンタック(歳がバレますね)の本物を、初めて見ました。





Hirodenm5  外には、アストラムの車庫工場の上に、各種レンタル自転車のサーキットがあり、その片隅に原爆被災電車、広電654があります(写真)。原爆の悲劇を伝えるため、最近まで同型車が現役で頑張っていましたが、今の主力となった車両に比べ著しく性能が劣り、ダイヤ遅延の元凶とされ、結局今年になって全車引退しました。



 この後、原爆ドーム前も通ったのですが、やはり一度戦争が始まると、究極の暴力を使わないと、戦争というものは終わらないものなのです。なぜはっきりと「戦争はしない」と言えないのか。そうできなければ、第三の悲劇は避ける方法がありません。



Hirodenm6  駅への帰り道に歩いていると、アストラムが本線を潜り、連絡線を通り帰庫する姿が見えました(写真)。













Hirodenm7  そして広島駅に戻ると、昨日も乗った”グリーンムーバー・マックス”が入線します(写真)。5車体の巨大なトラムです。2回戦、広電です。













Hirodenm8  宇品(広島港)に到着。各地へのフェリーはこちらからです、といっても一番遠いのは松山のようですが。駅は広く、沢山の待機車両が休んでいます。写真は3005(B側)です。











Hirodenm9  宇品の次は、広電本社前です。本社の北西側には、車庫が広がっています(写真)。ダルマポイントも、これだけあると壮観です。













Hirodenm10  広電本社前からは横川(JR横川駅前)に行き、次に江波です。江波も車庫です(写真)。流石に本社よりは小さく、単行の車両のみですが、良い感じです。













Hirodenm11  江波~横川間には、写真のとおりダブルルーフのレトロ調車両、101が運用に就いています(写真)。













Hirodenm12  そして西広島に到着(写真)。この駅は、昔は広電の市内の軌道線と、郊外の鉄道線の乗換駅でした。当時は、己斐(読めない人、”カープ”って何ですか?)と呼ばれ、写真左奥1番線と2番線が鉄道線、右の3番線以降が軌道線でした。鉄道線は、後に軌道線が乗り入れるようになったため、昔の名鉄の田神駅のように、ホームの高い鉄道線と、低い軌道線両方のホームを全駅併設していました。現在は鉄道車両が無くなり、軌道車両に統一されたため、一部の駅では鉄道用ホームが撤去されました。宇品発は、行き止まり式の4番線で折り返します。



Hirodenm13  確か途中で鉄道線時代からの車庫があったよなあと、昔青春18きっぷで並走した山陽本線の記憶から注意深く見ていると、草津西~商工センター前間に車庫がありました。



 そこで下車し、何か無いかと見ていると、76(写真がA側)という初めて見る車両がありました。ヨーロッパ風のモダンな車両で、横にはドイツ語で、”Konig Pilzener”(ウムラウト出ませんが、ピルスナービールのチェコの”ピルゼン市の王様”)と書かれているようです。各地の車両を使う土電にも負けませんね。



Hirodenm14  乗ってきたのはこちらもドイツの香り、本家”グリーンムーバー”(シーメンス・アルナ工機)です。終点宮島口に辿り着きました。かつて宮島口から乗車したときは、まだLRTがなく、”グリーンライナー”だった記憶があります。いつかの忘年会のコンパニオンと、広島の観光バスのガイドとして再会するという、オマケ付きでした。









Hirodenm15  徒歩1分で宮島への渡船場です。JRと広電系の2社競合です。JRは、最後の鉄道連絡線です(宇高、青函は廃止で、増して稚泊なんてのは戦前の話ですしねえ)。写真のとおり、厳島神社の前を通り接岸します。これに乗船しましたが、まだ白島の取材を残していたので、上陸僅か15分で帰ってきてしまいました。まあ、2回目だし、いいか!



 そして2系統で八丁堀、9系統で白島と寄り、今日の滞在先に戻りました。



 本当は今日は行動不能と思っていましたが、台風一過、良い天気になりました。明日は曇、行動は大丈夫でしょうが、投稿は何時になるでしょうか。完結編、ご期待下さい。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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