セピア色ではないのですが、

Nagoretro1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今回は、名古屋市交通局”レトロでんしゃ館”を取材しました。



 先日撮った写真を某誌に投稿するつもりで、写真のバックデータが手元のデジカメになく、インターネットでも出てこないので、仕方なく追加取材を。その内容は大方予想できると思いますが、それを終え、帰宅途中に、「そういえば、”レトロでんしゃ館”って、こっちじゃなかったっけ?」と思い、車をその方向に向けました。すると、カーナビにも出てきて、やはり当たりでした。駐車スペースがあるか非常に疑問でしたが、結局数限定ながらあり、一安心。車を停め、資料館に向かいます。



Nagoretro2  要するに”レトロでんしゃ館”は、名古屋市交通局赤池工場の遊休地を活用した、展示施設なんです。地下鉄鶴舞線・名鉄豊田新線接続駅の赤池駅から徒歩十数分の場所にあります(写真)。入場無料、毎週水曜日及び年末年始はお休みです。











Nagoretro3  中には保存車輌が展示されています(写真)。先ずは1421、市電の最右翼1400形で全75両製造されました。戦前形の代表で、同車は昭和13年製造だそうです。













Nagoretro4  その後には戦時形2車体車、3003です(写真)。説明板では昭和19年に10両が製造された3000形の1両とされていますが、中の製造銘板は”昭和18年 木南車輌”とされています。なお、前後ともナンバーは同じ3003です。











Nagoretro5  3003の連接部(写真)。路面電車では多くある形ですね。















Nagoretro6  そして戦後の代表形式、2000形2017です(写真)。昭和31年製、いわゆるPCCカーを目標とした、「無音電車」と呼ばれる形式です。「無音電車」自体は1800形からですが、1800形、1900形は故障等トラブルが多く、その整備の結果完成した2000形が、保存車となるのは当然か。何れもトップナンバーが来ないのは、一番調子の良いものが残ったということか。



 市電廃止直前、今池から市電に親と乗った記憶があります。ひどく揺れ、振動と恐怖しか記憶にありません。その後敷石線路は撤去もせず、そのままアスファルト舗装をしたといいます。その後同ルートに地下鉄桜通線が建設される時に敷石が再発見され、公園の遊歩道に使われました。その歩道を歩き通勤したことから、縁は奇なるものと思います。



Nagoretro7  そして一番奥に、初代地下鉄東山線車輌、107(後が108)が展示されています(写真)。昭和32年、日本車輌製造ですが、台車等主要部品には全て日立のマークが入っています。



 なお、このウインザーイエローの塗装は、地元では有名な杉本健吉画伯が、「名鉄(スカーレット)に負けない色を」ということで選んだ色だそうです。これもトップナンバーではありません。記念すべき100形101号車は、残念ながら解体されました。国鉄改革の時代は、鉄道に価値を認めない、そういう時代でした。



Nagoretro8  108の横には、東山線栄運転司令室に設置されていたCTCの指令盤が保存されています(写真)。東山線は、旧式車撤退とともに、打子式ATSから、ATCに切り替わりました。大方撮影を終え、外に出ました。











Nagoretro9  入口には、地下鉄4号線(現名城線)の工事で使われたメガネシールド掘削機が保存されています(写真)。これを撮影し、取材を終えました。



 やはり今日の鉄道関連の話題は東京車輌センター(旧山手電車区「東ヤテ」と大井工場が合併し、「東トウ」)のイベントでしょう。”ムーンライトながら”も手配できず、車では余りに高いので、結果寝坊して断念してしまいました。恐らくVVVF車廃車第3弾、209系(早!)も展示されたのでしょう。試作車、もと901系のA、B、C編成も展示されたのでしょうか。来年は、是非行きたいですねえ!



 今回は追加取材が始まりでしたが、注意してみれば解るように、1421と2017の製造場所の記録がありません。多分皆さんが行く方が早いでしょうが、仕方ない、また追加取材か!

The Northern Territory#4(外伝)

Hokutoseispk1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今回は先日の写真の現像の成果です。



 先ず1枚目は、2006年の夏シーズン、札幌駅5番線に入線する”北斗星1号”終着の図です(写真)。DD51 1137と1141の重連で、これこそ「重」なんです。



 なお、下りの時は、前がはみ出しませんが、足回りを写すため4番線に行っても前に出られず、写せません。残念でした。



Hokutoseispk2  そして先日撮影した、”北斗星4号”札幌駅5番線入線の一瞬です(写真)。DD51 1083と1102の重連です。まだ走行中で、注意して見ると、小さな三色旗のような停止表示が4番線と5番線の間、5番線前方3メートル程の所にありました。この位置は、どのホームからも前を撮影できません。



 なおこの日の”はまなす”は、ホームに置かれた移動式の停止表示で白旗代用、そこが停止位置でした。



 でも、やはり北海道へ行くなら、北斗星で行きたいものですね。一応1号と旧5号(現3号)は乗車しているので、行きは81号、帰りも北斗星で行きたいものですね。今年の冬くらい、どうでしょうか。



 なお残念ながら、明日はあのイベントのある東京へは行きません。行きたいのですが、家庭の事情が、・・・。来週以降をお楽しみに。

The Northern Territory#3

Abira1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今日の”Tetsu”をお送りします。今回は、先週の北海道方面遠征最終日の様子をお届けします。



 月曜日、道内の秘密基地を発った私は、先ず追分へ。追分駅から跨線橋を渡り、歩くこと10分余り、安平町SL資料館に辿り着きました。道産子SL、D51 241(鉄道省(現JR北海道)苗穂工場製)の記念モニュメントです(写真)。本資料館のメインとなるはずが、火災で焼失、缶の蓋と主動輪のみが残されています。



Abira2  次の写真は本資料館の主要施設です(写真)。シャッターの向こうに、SLがあります。このシャッターは、近くの”鹿公園”前の公衆電話から電話をしないと開けてくれません。追分駅にもその電話番号は書かれていますが、市内局番は前に「2」が付くので、鹿公園管理事務所の掲示で確認した方が良いかもしれません。相手方は安平町教育委員会となりますので、ビックリしないように。







Abira3  電話をするとすぐに安平町職員が車で来られ、シャッターを開けてくれます。メインの資料、D51 320です(写真)。旧追分機関区所属、日立製作所笠戸工場製の機関車です。旧追分機関区職員OBの手により、ピカピカです。ライトも点けてくれました。月1回の定例公開時には、スイッチャーで庫外に押しだし、外で見られるそうです。









Abira4  D51を押し出すスイッチャー、機番は不明ですが、昭和44年製協三工業製です(写真)。その北側はキハ58系キハ56か27か、運転台のカットがあります。D51の横の棚には、かつて鉄道で使われた各種機器類が保存されています。そしてシャッターを閉めてもらい、この場を去りました。



 なお平日には安平町教育委員会の方がシャッターを開けてくれますが、そのために職員が1人以上手間をかけて来なければならないので、朝9時から夕方5時の間(昼食時も避けた方が無難)に、なるべく同時に多人数で訪問されることをお薦めします。



Abira5  そして札幌へ。乗車する列車にはまだ時間があったので、色々と記録を。1枚目は、クハ721 1(721系初号編成)のF-1編成です(写真)。













Abira6  2枚目は、島式ホームの両側に並ぶ781系、手前左がクハ780 3(L-3編成)”ライラック”、奥右がクハ780 102(L-102編成、先頭車化改造車)”すずらん”です(写真)。L101~103,901編成は”すずらん”専用か、札幌方先頭車がuシートになっておらず、区別が容易です。L901編成、及びL101編成中間2両は試作車(6両)で、両デッキ改造がなされていない車輌もあります。しかも量産車でも廃車が出ており(青函トンネルドラえもん塗装車)、少し寿命が長かったのか。





Abira7  3枚目は、キハ183 5101始め4両、”クリスタルエクスプレス”車輌です(写真)。この日は”フラノラベンダーエクスプレス”の運用に入っていました。キハ183一般車改造の”旭山動物園エクスプレス”はこの前日までの運転で、残念でした。











Abira8  4枚目は、カニ24 506、”北斗星4号”です(写真)。DD51重連を撮りたかったのですが、フィルムでは成功、しかしデジカメは間に合わず失敗、結果公開は現像終了後です。残念でした。まあ、下りで撮ってるから、いいか!



 なお機関車の停止位置はホームより先で、鼻先がはみ出ているんです。駅構内からの撮影は、非常に困難です。







Abira9  5枚目は、キハ183系特急”サロベツ”基本3連に連結された、キハ183 6001(お座敷車)です(写真)。キハ183系は初期車が110キロ車、500番台、1500番台が120キロ走行対応車(1550番台は130キロ準備車)、3550番台が130キロ走行対応車で、4550番台が120キロ・130キロ両対応車です。お座敷6000番台は4550番台と仕様が同じであることが、運転台右下正面ジャンパ栓の前に書かれた表示で分かりました(120/130と書かれている)。因みに種車はキハ183 507だそうで、660ps機関を搭載とのこと。





Abira10  6枚目は、左クハ731 101(G-101編成)、右クモハ785 1(NE-1編成)、いずれも初号編成です(写真)。731系はロングシート3連固定編成、ディーゼルカーのキハ201系と併結可能で、倶知安発キハ201を小樽で連結、札幌へスルーするため開発された車輌ですが、その性能を生かす機会は少なく、また同時に721系も並行して増備され、一貫性がありません。ただ721系とも併結する運用もあり、大きな問題とならないのでしょう。しかしキハ201系はロングシートにすべきではなかったですね。



 785系は特急”スーパーホワイトアロー”用に基本4両付属2両の6連5本だったのを、運用変更でuシート車を追加製造し、5連7本に組み替え、付属2連4本に2両組み込み5連2本を構成し、NE501、502編成が出来ました。残った2両、NE105編成は休車、現在苗穂工場で解体したスクラップの横の線路に留置されています。この日NE501、502編成には出会えませんでしたが、あまり見たい姿ではありません。



Abira11  7枚目は、日本初の交流専用電車、711系です(写真はクハ711 215始め3連)。試作車は既に廃車になっています。



 かつては急行”かむい”の運用もあった同系は、冷房もなく旧式化し、だんだん数を減らしているようです。しかし夏でも夜は20度を下回る北海道のこと、本当に冷房は必要か、考えるべきかもしれません。



 最近のVVVF車は一旦直流にしてから波形を変換しますが、旧式の交流専用電車はトランスで降圧しており、交流20,000ボルトから直接電力を得るため制御電圧を高く取れ、機関車では直流機と同モーターで1.5倍の出力、結果電車でも1M2Tの経済編成が可能でした。



Abira12  そして8枚目、最後は札幌発青森行き急行”はまなす”です(写真)。カマのDD51 1148(「函」(函館運転所)、いわゆる”北斗星”ガマ)の仕業札入れには、何と事実に反し「重」と入っていました。単機で十分牽けるのに、何故でしょう。客車は14系客車の寝台車と座席車が併結されており、実は同系列であることが有効に作用するようです。これに乗車しました。乗車時既に自由席は満席で、指定を取っておいて正解でした。韓国人ご一行様には、ソウル~釜山間の夜行”無窮花号”のようなものでしょう。



 なお、この後は、”まりも””利尻””オホーツク9・10号”の夜行気動車特急トリオの時間でしたが、”オホーツク9・10号”は冬期だけ、”利尻”は夏期だけの季節臨時に格下げ、”まりも”も10月改正から臨時に格下げになる予定です。本当に、仮眠しながらの移動が難しくなり、不便になってしまいますね。





Abira13  そして翌朝、青森駅で運用を終えた”はまなす”(写真)。函館からED79 13(「函」)に替わりました。肝心な部分で寝てしまい、途中の記録はありません。



 そういえば往き道に、函館運転所でグリーンの24系25形を見ました。”トワイライトエクスプレス”です。新潟の例の地震で信越線不通、結果帰庫が不可能になってしまったのでしょう。当面動く予定もなく、夏休みに大損害です。昨年乗っておいて良かった!





Abira14  そして多くの人が”つがる2号”で東京を目指す(前述の韓国人さんもそうでした)所、ひねくれ者の私は、かつての日本最長昼行特急”白鳥”の名残、青森発新潟行き”いなほ8号”(トーマス・クック・オーバーシーズ時刻表では”Inabo”となっていますが、”Inaho”の誤りです)に(写真)。脱線事故車輌と同系列の485系3000番台、上沼垂色(新カヌ、現在は新潟車輌センター「新ニイ」)です。新潟まで半日、かつて大阪まで行ってた頃は朝から晩まで運転していました。当然遅延も多く、結果新潟で分断、新潟~富山間は廃止されました。



Abira15  そして終点新潟からは上越新幹線へ(写真)。E1系、E4系もいいですが、やはり200系がこれからの話題でしょう。クリームに緑の初期塗装車、シャークノーズ車は既に無く、リニューアル車のみとなりました。左K44編成(10連)、右K49編成(10連)です。意地悪く、反対側も赤いテールライトが点いていました。そしてこれに乗車し、帰宅しました。



 長かった今回の遠征、やっと終わり、ほっとしています。これから暫くは、過去の写真の整理をしたく思います。それでは、また次回。

The Northern Territory#2

Sappshi1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。引き続き北の大地からお届けします。











Sappshi2  2004年の冬、市ノ坪に佇む876(写真)。実はこの電車、元札幌市電なんです。輸送量の減少に伴い、結果名鉄に移動しました。ライトの形状を覚えておいてください。













Sappshi3  今日は先ず札幌へ。札幌市電西四丁目電停に、241が入線します(写真)。これに乗車しました。













Sappshi4  そのまま電車事業所電停に行こうと思っていましたが、やはり軌道の一種、ロープウェイに乗るべきと思い、乗車しました、藻岩山ロープウェイです(写真)。これで藻岩山山頂へ行きました。











Sappshi5  かつては山頂からリフトが動いていましたが、今は運休中です。現在「モーリス号」という無料シャトルバスになっています(写真)。そして下山、600メートル歩き電停に戻りました。











Sappshi6  ロープウェイ入り口から一駅のため、歩いてしまった電車事業所前。車庫、変電所、工場があります(写真)。













Sappshi7  そして終点すすきのに到着。すすきのから市営地下鉄で自衛隊前に。そこには札幌市交通資料館があります。夏休み及び春から秋の土休日のみの営業です。名物、22です(写真)。すごくウッディーですね!











Sappshi8  資料館の中には、札幌独自のゴムタイヤ地下鉄のタイヤがありました(写真)。さらに水銀整流器の真空管もありました。その他資料多数です。













Sappshi9  外は電車の展示です。まずは市電A801(反対はA802)です(写真)。連接車、先ほどの名鉄と同じです。横にはTc1があります。













Sappshi10  後には、内燃動車(気動路面電車)、D1041です(写真)。日本では北海道だけの、珍しい車両です。













Sappshi11  北海道名物、除雪用ササラ電車です(写真)。手前は内燃動車、後は電車、雪8です。















Sappshi12  こちらはプラウ式除雪電車、雪11です(写真)。















Sappshi13  記念すべき札幌市営地下鉄1号車、1001です(写真)。川崎重工製、いうまでもなくゴムタイヤです。













Sappshi14  営業前の試験車、「はるにれ」です(写真)。やはり札幌市営地下鉄がゴムタイヤなのは、空転が鉄輪より少ないからでしょう。長期の試験を経て、実用化されました。そして真駒内を去りました。











Sappshi15  そして、札幌駅には、今年9月までの命、781系(写真はクモハ781 4)です。”スーパーカムイ”登場に伴い引退です。やはり古さは隠せません。そして今日の滞在地に向かいました。



 次回はもう帰宅ですが、何時になるでしょうか。ご期待下さい。

The Northern Territory#1

Uenoake1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”第1回目をお届けします。今回は、北の大地を目指しています。











Uenoake2  かつて、そして現在も北陸、信州、東北、北海道の鉄道の玄関口は上野です。鉄道が多くの人の主な交通手段だった時代、盆と正月の上野周辺は大変な混雑でした。電車が高価だった時代、客車は牽く機関車を選ばず、安価に増備が出来ました。各地の客車は上野到着後、一旦尾久客車区(現在の尾久車両センター)に回送され、整備、入換の上各地に帰っていきました。



 しかし、上野駅、特に上野駅地平ホームは、東京駅のような入れ換え用の中線(反対側への回送線)がなく、尾久からの回送は大きな問題となります。当然上野から発車できるよう下り方先頭に機関車が連結されますが、上野方は客車で、電車のように運転台をつけるわけにゆかず、何らかの技術が必要です。



 そのため編み出された技術は、上野方緩急車のブレーキ用エアパイプに特殊な空気弁を取り付け、おおよそ停止予定の位置になると客車側の職員が弁を緩めるというものです。すると、機関車では空気の圧力計が下がるので、それで機関士はピタリと指定位置に据え付けられるのです。何でもないようで、凄い技術です。



 技術の進歩により、一時構内無線のトランシーバーで連絡している時代もありましたが、東京では電波少年の妨害が多いらしく、結果ウン十年続く伝統の技法が復活しました。写真は平成16年4月、オハネフ25が末尾だった時代の”北斗星1号”入線の図で、特殊弁、関連機器が写っています(写真)。



Uenoake3  そして昨日、こんな猛暑の最中、上野駅13番線に私は現れました。家の中でも熱中症で死ぬ老人さえいるような日に、ほぼ密閉状態になる上野駅地平ホームでです。一体摂氏何度まで上がったのでしょう。



 1回戦、15:35入線、16:20発8009レ”カシオペア”です(写真)。緩急車スロネフE26 1です。E26系の入線を見るのは初めてでしたが、展望スイート(勿論一番いい客室)のソファの中に制御用の装置が隠されているのを知りました。利用できる運の良い新婚カップルの皆さん、そんな意識で後を見てください。



 機関車は青森までEF81 79(「田」、日立製)、専用塗色は3両あります。冒頭のとおりです。



Uenoake4  2回戦、16:33入線、16:50発1レ”北斗星1号”です(写真)。マニ24 502です。荷物車(電源車)が上野発車時に末尾になったのは、青森駅改修工事に伴い、青森駅で行われていたEF81からED79への機関車交換が青森操車場内に変更となったからです。そのために青森での方転がなくなり、結果上野~青森操車場間は反対向きになりました。マニ24は、もと50系の一族マニ50が種車で、そのため注意すると、他の客車と異なり裾絞りが無くストレートなボディになっているのが分かります。これも運転室があり、ワイパーまでついています。







Uenoake5  この日の北斗星1号のカマは、EF81 93(「田」、三菱製)です。列車の客車の1両に不具合があり、オハネフ25が代わりに「増1号車」として使用されました。













Uenoake6  3回戦、17:04入線、17:17発8005レ”北斗星81号”です(写真)。カニ24 507です。カニ24 500番台は、同0番台に北海道用に耐寒耐雪装備を追加改造した車両です。ただ0番台には、初期型スカート付きと中期型スカート無しがあるので、500番台も同様に2種あります。なお、この時刻は、”カシオペア”運転開始までは”北斗星3号”の時間でした。私がこれに乗る前に、不定期化されました。







Uenoake7  ”北斗星81号”の機関車はEF81 85(「田」、日立製)でした。















Uenoake8  4回戦、18:50入線、19:03発3レ”北斗星3号”です(写真)。カニ24 505ですが、日没後のためフックに白色LEDのカンテラが点けられています。朝夕のラッシュの時間はなるべく避ける、というのが優等列車のダイヤの最大の特徴です。昔は東京発九州行きもそうでした。結果その間に涼しい所で夕食を摂ってしまったため、昼間より温度が下がったのに、逆に暑さが苦痛になってしまいました。なおこの時間の列車は、”カシオペア”運転前は”北斗星5号”を名乗っていました。





Uenoake9  ”北斗星3号”のカマはEF81 82(「田」、日立製)でした。



 なお、機関車は全て青森まで田端の機関車ですが、客車は”北斗星1・2号”はJR北海道札幌運転所(札サウ)、他は全てJR東日本尾久車両センター(旧尾久客車区、東オク)でした。









Uenoake10  かつてなら5回戦”エルム”、6回戦”あけぼの”、7回戦”はくつる”、8回戦”北陸”だったのですが、B寝台オンリーの”エルム”はやはり利用者が少ないらしく、今は”北斗星81号”を運転しない日に”北斗星71号”として運転されるので、今日は出来ません。”はくつる”は廃止、地震で”北陸”は運休、結果最終戦は”あけぼの”になってしまいます。



 上野駅13番線に初めて緩急車が顔を見せます(写真)。21:18入線、21:45発2021レ”あけぼの”です。オハネフ24(24系24形2段寝台改造車(元3段寝台車)) 27、白帯です。横のカンテラは同様です。今日初めて特殊弁を装着し入線します。



Uenoake11  そして据え付け完了、貫通路を閉じ、機器が渡り板に乗っています(写真)。















Uenoake12  電源車はカニ24 25(非耐寒耐雪)、これも白帯で、機関車の次位に連結されています。たったこれだけの理由のために、東京駅発の九州ブルートレイン一族と、東北ブルートレインとは向きが反対、結果”日本海1・4号”(JR西日本宮原運転所(大ミハ))、”日本海3・2号”(JR東日本青森運転所(盛アオ))の向きの違いという形になって現れます。”あけぼの”も盛アオです。



 もともと”あけぼの”は、奥羽線経由青森行きのブルートレインで、初代ブルートレイン20系客車を最後まで使う寝台特急列車として有名でした。その後山形新幹線の完成で、本来の”あけぼの”は廃止、”出羽”を改称して”あけぼの”とすることになりました。やはり伝統の名前でしょう。



Uenoake13  ”あけぼの”のカマはEF81 139(「青」、日立製)です(写真)。ヘッドマークも伝統です。













Uenoake14  そして”あけぼの”は上越国境の三国峠を越え、羽越線を抜け、矢立峠を越え、青森に到着。EF81 139は老体に鞭を打ち、全線を走り抜けました(写真)。そして運用から解放されます。実はこのカマは前後とも双頭連結器で、青森運転所の電車の郡山工場入場にも使用されます。









Uenoake15  機関車は青森車両センター東派出(旧青森機関区)に帰り、客車も青森車両センターに帰還します。客車はDE10 1536(「青」、川崎重工製)に牽引されるべく準備しています。区名札の横の札入れは運用札が入りますが、この機関車には「入2」と入っていました。因みに九州ブルートレインの運用に入るEF66の運用札は、東京発、大阪発とも、寝台特急のマーク(流星)です。



 そして青森から函館へ、789系でしたが、まあ出すまでもないか。そして今日の滞在先に向かいました。今日はこれまでです。



 明日は、今日の続きです。

暑中お見舞い申し上げます(後半戦)

Kotota1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今日は昨日に引き続き、琴電315のラストラン関連です。











Kotota2  今朝琴電取材時の常宿を発った私は、瓦町へ。もう十数分早く発っていれば、仏生山から乗車し、もしかしたら乗車証も貰えたかも知れませんが、既に時遅し。行き違う危険性もあり、30分位瓦町で待ちました。



 やっとやって来ました、クリームと茶色のツートンの3連が。23、300、そして最後に今日の主役315があります(写真)。これは高松築港行きです。







Kotota3  しかし元から高松築港での折り返し時間は短く、増して列車遅延で、列車は準備出来次第発車します。撮影時間はありません。



 途中の一宮で停止します。続行する定期列車に接続してから発車とのことで、多くの人が外に出ます。私も出ました。僅か5分程度でしたが、撮影に成功しました(写真)。







Kotota4  終点滝宮に到着(写真)。折り返し列車の入る、2番線です。















Kotota5  今日の高松築港側先頭は、120ではなく23です(写真)。















Kotota6  315の車内を見回すと、プレートが(写真)。戦前の文字で、まるでアラビア語のように右から左に、「日本車輌會社」「大正十五年」と書かれています。













Kotota7  そして列車は一宮を直ちに折り返し、再び滝宮へ。315と、それ以外を分割します(写真)。エアのホースやジャンパ栓を、社員が切り離しています。













Kotota8  切り離し、315の今日初めて出る顔が見えます(写真)。ヘッドマーク、前と後で違うんですよ!













Kotota9  反対側も今日初めて、300の運転台です(写真)。















Kotota10  滝宮で315は営業運転を終了しました。切り離し時に一旦、全員車外に出ましたが、社員の方も余程名残惜しかったのか、現地の判断でしょう、時間の許す限り撮影をさせて貰いました(写真)。天井は白、壁は淡緑色で統一されています。運転席後の1人掛けがポイントと言っていました。









Kotota11  そして23に乗り、一宮へ行き、直ちに乗り換え仏生山へ。通常営業の合間を縫って手前23、後300が仏生山に帰庫します(写真)。そして入換、駅西方の車庫に入線しました。











Kotota12  その後で営業列車が行き、その更に後に315が単行で滝宮から仏生山に帰庫します。沿線には撮影しようと多くのカメラ、ビデオカメラが並んでいました。最後の運転を終え、仏生山駅1番ホームに入線する315(写真)。高松築港側です。











Kotota13  そして入換を(写真)。一旦琴平側に移動、本線に入り西へ移動します。















Kotota14  そして仏生山工場西側で、建屋に入った23と切り離された300が、再び315と連結、作業をしています(写真)。社員、工場の整備士の皆さんも、本当に名残惜しそうです。そしてもう一度本線を琴平側に移動、高松築港側に移動、どうも駅東側の工場の方に移動したようです。昨日の撮影会をした場所ですが、あそこは周りに広場が取れ、ということは、解体もここでするのでしょうか。確認はしませんでした。



 毎日整備され、無事働き続けた車輌たちも、いずれは廃車、解体という運命が待ちかまえています。まあ当車輌は車齢82年、よく働いたというべきか。本当に、お疲れ様でした。

暑中お見舞い申し上げます(前半戦)

Kotos1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今週は琴電315のお別れイベントに来ています。



 今日はお盆の帰省ラッシュに重なり、新幹線は指定席も満席で、自由席の乗客が乗り切れずほぼ全列車で遅延が発生していました。そして岡山へ、高松へ。どこも乗客で一杯でした。



 本当は、夜行に乗り今朝早くに到着していれば、今日の午前中のさよなら運転を取材できました。本来なら取材すべきでしたが、まあ明日もあり、今日は止めました。



 高松から高松築港へ。ここから琴電で、迷うことなく仏生山に行きました。



Kotos2  仏生山には、まだ目的の315は帰還していませんでした。駅を出て、今日の撮影会の予定地へ(写真)。先回の30系の時のイベントの時には今橋の工場で整備されていた23が、陸送されたのか仏生山に入庫しています。手前は、電動貨車だったデカ1です。時間が早く、まだ誰もいません。今日の撮影計画を立てました。









Kotos3  駅に戻り暫くすると、今日の315の助太刀、手前120(100系)、後300(300系)です(写真)。こちらは今後の動態保存が確定しています。315より一足早く帰還しました。明日は120の代わりに23が運用に入ります。











Kotos4  そして入換、一旦仏生山工場西側車庫に入ります(写真)。















Kotos5  さらに暫くすると、今日の主役、315が入線します(写真)。周りが騒がしくなってきます。入換、そして撮影会場へ移動します。













Kotos6  先ほどは工場前にあったデカ1は、駅前東側の引上線に移動しました(写真)。















Kotos7  そして315はデカ1の北側に入線、撮影会の会場へ移動します(写真)。そして前もって移動していた300と連結、撮影会の準備が整います。













Kotos8  そして午後2時になり、撮影会が始まります。先ずは主役、手前315、奥300です(写真)。













Kotos9  次は、23です(写真)。















Kotos10  最後は、デカ1です(写真)。どれも、撮影会で工場内に入ったならではの写真です。オフィシャルDVDは今日も売っていましたが、もう持っているので、買いません。













Kotos11  事前に多くの写真を撮っていたことから、撮影会は必要な写真を撮り、そそくさと退席しました。そして今日は先回も言っていた、ケーブルカーの取材を。先ずは八栗から攻めようと思いましたが、琴電八栗駅から徒歩30分とのことで、躊躇し、一旦屋島へ戻りました。



 そして道中撮影した、屋島ケーブルカー跡です(写真)。今でも線路跡は分かります。





Kotos12  そして屋島ケーブルカーの駅跡へ。建物もそのまま、車両もその気になれば今でも動きそうな雰囲気です(写真)。しかし少し草が茂ってきました。除草しないと、自然に還ってしまうかもしれません。



 営業中に訪問し乗車したときは、並走してドライブウェイがあり、バスやタクシーでも行ける所となってしまったことから、確かに寂しくなってはいました。しかし、廃止とは。残念です。



 現在はJR及び琴電屋島から路線バスが走ります。山上には水族館もあるので、どうぞ。



Kotos13  そして時間もあったことから、気持ちを切り替え、改めて八栗へ。八栗からはタクシーで八栗ケーブルカーに行きました(写真)。1号はオレンジ色、2号は青緑です。昭和39年日立製作所の製造です。











Kotos14  そして山上駅へ(写真)。途中の勾配はペイントされた標識では288(‰)と出ています。鉄道ならびっくりです。そして山を下りました。



 八栗ケーブルカーは、片道450円、往復900円です。琴電八栗からは、標準でタクシー5分、640円だそうです。徒歩30分と、利用されるときは比較してください。今日はタクシーの圧勝です。こんなに暑くては。そして今日の宿泊地に向かいました。



 今日はこんな感じで取材を終えました。明日は、315ラストランの様子をお伝えします。

やった!来た!

Sikiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今日は予告通り、シキ160のイベントに参加しました。











Sikiq2  昨晩は12時数分前に投稿を終え、今日の記事が2つにならずに済みました。そのままズルズルと朝を迎え、気付けばもう昼に。これでは間に合わぬと、そそくさと出掛けました。



 そして近鉄富田へ。三岐線は出発を待っています(写真)。クモハ102ほか2連です(昭和39年西武所沢車両工場製)。これに乗車しました。







Sikiq3  乗ること30分。丹生川駅徒歩数分の所に、「貨物鉄道博物館」があります(写真)。今日の舞台です。













Sikiq4  先ずは今日の主役、シキ160を(写真)。自重39.5トン、積載時最大130トンの大物車で、富士電機の関連会社が電力用設備の輸送用に、昭和30年日車東京支店で製造した貨車です。これが車検切れとなりスクラップになる運命のところ、無償譲渡され、この貨物鉄道博物館に輸送され展示されることになりました。車検切れのため本線上を走行できず、苦慮していたところ、寄贈者側が負担する旨申し出があり、多大な費用がかかるところ、分解され陸送されました。そして今日の公開となりました。





Sikiq5  陸送だったのに通常の貨物輸送のように荷札までつける、心憎い配慮です(写真)。















Sikiq6  その奥には先回訪問時見なかった、手前からタム5000形6263(塩酸用タンク車)、テラ1形146(生石灰輸送用有蓋車)、ホサ1形1(石灰石用ホッパ車)、タム500形2920(ガソリン用タンク車)、トドメは横の青いスイッチャー、協三工業製DB101です(写真)。



 私有貨車は番号も形式もメチャクチャな場合が多く、まして国鉄線以外の車両は、名前の規則も特に決まっていません。だから、貨車は「そういう名称なのだ」と思うしかないのです。それが概ね把握できれば、先ず間違いなくプロフェッサーと呼ばれます。



Sikiq7  博物館(かつての貨物用ホーム付きの倉庫を転用した)横のホームには、以前も紹介したかもしれませんが、手前からSL39号、ワ11形11、ト200形246、ワフ21000形21120が写っています(写真)。ワフ21120横(博物館裏)の足場の中には、国鉄ならワムと呼ばれるであろう、側も屋根も全て木材で出来た2軸有蓋車が修繕されていましたが、番号は分かりませんでした。



 博物館の中では、今回のシキ160の所有者(!)であるプロフェッサー吉岡氏が、大物車について解説をしていました。初めてお会いしました。同氏は、この貨物鉄道博物館の副館長でもあり、そのため寄贈者側も快諾し、今回の出来事になった訳です。



Sikiq8  時間があったので、近鉄富田から桑名へそして西桑名へ。三岐鉄道北勢線です(写真)。阿下喜の取材をするためです。













Sikiq9  しかし、8月4日から26日までの間、麻生田~阿下喜間で橋梁の補修工事をするとのこと。結果同区間では代行バスが運転されています(写真)。乗車の際はご注意を。













Sikiq10  きちんと過去に写真を撮っていれば、かつての1面1線時代の阿下喜駅はこうでしたと、比較の写真も出るのですが、今回はありません。現在は100メートルほど手前に1面2線のホームを構築、木造のモダンな新駅舎が建ちました(写真)。手前にはまだ旧駅のホームが残り、駅前整備が待たれます。









Sikiq11  一時話題になった「下工弁慶号」ですが、現在は返却されました。そして残った資材でNPOが準備をしています(写真)。三岐線と同じ経営を望むなら、先ず阿下喜、そして途中駅にポチポチと施設を整備し、遊びにも来たくなる鉄道を目指したいところでしょう。最後に北勢線一日乗車券で仕上げでしょうか。



 こんな感じで今日の取材を終えました。



 私の関係者の渾名はキヤ95(”ドクター東海”、また”こまち”の異名もある)だそうで、まあドクターかなあ、という気はします。でもやはりプロフェッサーではない。プロフェッサーを目指す、というのも悪くはないのですが、やはり仕事が、・・・。やはり皆さんも楽しめるブログを書ける程度でも良いのかなあ、とも思います。



 来週は平日にはありません。来週末は、胸に手を当てるか、鉄道雑誌をめくるか、インターネットを調べれば分かると思います。それでは、また次週。

矢作の流れを遡り

Toyotas1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、豊田市方面を中心に取材しました。



 先月は過去の記事をご覧のとおり、電車ばかり乗っていました。そのため先月は1か月でハンドルを握ったのは1回だけ、ということになってしましました。結果高速道路代はかからず、ガソリンは先月のまま満タンで、価格上昇の影響はありませんでした。しかし、ガソリンの値段って、カルテルでも結んでるんじゃないかっていう位、同じですねえ!



 豊田市は、その名のとおり、車の街です。挙母市から豊田市に名前を変えた位ですから。市内に本社を置く企業のお陰で財政も豊かで、平成の大合併の結果、長野県とも接する日本屈指の巨大な面積の市になってしまいました。



 しかし鉄道は貧弱で、岡多線(現在の愛知環状鉄道の一部)、名鉄豊田新線が出来る前は、名鉄三河線とその支線(盲腸線)しかなく、鉄道では不便な場所でした。増して岡多線は電化され、SLとは全く無縁な場所でした。



 そんな豊田市にも、SLはあるのです。写真はD51 849で、昭和18年浜工(鉄道省浜松工場(現在のJR東海浜松工場))製造で、直営もいい所です。場所は豊田市平芝町四丁目地内の豊田市交通公園内で、名鉄梅坪駅西方ですが、ここからも、愛環新豊田、名鉄豊田市からも1キロ位ありそうです。無料駐車場も数限定ですが、あります。



Toyotas2  やはり車の街で、メインは信号機付きの道路で運転する親子ゴーカート、子供用足こぎ4輪車が中心で、鉄道は隅の方になるのは仕方ありません。しかし鉄道も無いと偏ってしまうので、名古屋市交(市電)1814も保存されています(写真)。どちらも屋根付きで保存され、無縁仏でありながら状態は良好です。どちらも中に入れましたが、子供ではないので止めました。しかし市電の中に入らないのは失敗だった!







Toyotas3  交通公園での取材は程々に、次は豊田市郊外の鞍ヶ池公園を目指しました。ここだけなら、東海環状自動車道のハイウェイオアシスでもあり、高速からでも取材できるのですが、前後の都合で一般道から取材しました。公園内若草山駐車場からもはっきり分かる位置にあります、写真手前モ805、奥ク2313です(写真)。名鉄で活躍した戦前形高速電車で、床が木張り等半鋼製ですが、昭和50年代まで本線で現役で活躍していました。何故豊田か、というと、看板には豊田新線の信号試験等のため最初に走行した車両である、と書かれ、その縁で保存されたとのことです。



 今思い出すと、昔園内に屋根付きで、緑色の名鉄電車が保存されていた記憶があったのですが、勘違いのようです。



Toyotas4  流石豊田市、こちらも中に入れます(写真)。木張りの床、ロングシート、今では少し古さを感じますが、オールドファンが見たら、シートの破れを除けば感涙するでしょう。前述の通り東海環状自動車道、鞍ヶ池パーキングエリアから訪問できます。車好きの子供も楽しめる、美しい公園です。









Toyotas5  次は西中金、と思いましたが、やはりその前に猿投に行かねばなりません。三河線山線の現在の終点猿投は、変電所、猿投検車区(新川工場の支所)を併設し、かつてはキハ20、キハ30の基地でもありました。現在ではディーゼルの基地時代の施設を確認できません。



 入場券で中に入ると、7700系の向こうに、疎開回送(廃車前提の留置)された1009F(写真左奥)、1006F(写真右後)があります。それ以外に特急の来ない猿投に1000系がやってくる理由はありません。何故!あと20年は使わなきゃ!



Toyotas6  駅からは終端表示が見えず、どうして?と思い北へ。猿投駅北側の踏切から見ると、先100メートル位で終端となっていました(写真)。この先は、東海豪雨で破壊された線路を必死に直したのに、結局廃止です。悲しいですねえ!











Toyotas7  猿投から線路に沿って追跡したい気はしましたが、周辺は幹線道路も1.5車線で、非常に取材の困難な所です。廃線跡に並走する道路も無く、多くの方はきっと車での追跡でも断念するでしょう。



 結局直接西中金へ(写真)。駅舎は現在こんな感じです。かつてはここで足助方面へのバス乗り継ぎも出来ましたが、現在はバス停の位置も変更され、本当に寂れてしまいました。高校生たちはどう通っているのでしょう。





Toyotas8  平成17年1月、廃線前の写真です。まだこの頃は命脈を保っていました。













Toyotas9  現在駅のホームから眺めると、写真のとおりです(写真)。線路のみならず、電車時代の架線支柱まで全部残っています。車社会、悲しいですね。













Toyotas10  しかも西中金からは廃線跡ではなく、未成線が残っています。これは旧足助町との境界まで、鉄道のために建設された路盤が残っており、そのほとんどは生活道路と変わりました。三河線未成線の最大の遺構、豊田市野口町地内の国道153号跨道橋予定地のアバット(橋台)です(写真)。反対側は国道拡幅でアバットは破壊され、土盛りだけが残っています。当然名鉄の所有地です。



 この先追分交差点の歩道橋を最後に、未成線は途絶えています。これで豊田市は終わりです。





Toyotas11  先日の立山からの帰り道、南木曽駅を発車した電車から、見てはいけないものを見てしまいました。それは、恐らく中央本線旧線上に残るD51でした。



 結局、今回取材をしてしまいました。D51 351、昭和15年日立製作所笠戸工場製の機関車で、区名札に「木」(恐らく木曽福島機関区)と入っていました(写真)。この辺りは、SL公園とカーナビにも出ていました。







Toyotas12  さらに木曽路を進むと、381系が走り去ります。JR東海最後の381系編成、P2編成です。しかし車の運転中で、撮影は不可能でした。今後、”ちくま”を利用する登山客に383系を開放するならば、当編成の役割も終わり、廃車でしょう。最後は白馬、南小谷方面大糸線”しなの”でしょうか。でも、大糸線を目指す名古屋人、大阪人って、そんなに少ないんでしょうか。まだまだ需要はあるのでは?



 そして辿り着きます、木曽福島へ。木曽町の中心街です(木祖村とは違います)。春にも紹介した、D51 775です(写真)。昭和17年汽車会社製です。柵があり接近不能と思いきや、入口が2箇所もあり、中にも入れそうです。



 ここの撮影を終えると、天気雨が。激しく降り、今週の激変する天候を象徴するような雨でした。結局そのまま日没で、その後の取材は断念。まあ今日の目標は達成し、良い感じです。



 明日は三岐鉄道でイベントがあるので、それを取材する予定をしていますが、どうでしょうか。ご期待ください。

Alpine Route#3

Kuroalp1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今週の”Tetsu”第3回目をお届けします。今回の旅行の最終回となりました。



 今朝も先ず立山駅へ(写真)。今回は行けなかった、称名滝行きの路線バスが写っています。



 実は今日がメインイベントですが、関電の黒四見学は、残念ながらハズレでした。希望者が余程多いのでしょう。仕方ありません。



Kuroalp2  立山駅正面階段を登り、右手に改札があり階段を登ると、立山黒部貫光のケーブルカー、美女平行きが入線しています(写真)。2、後にトラがついています。黒部の物資輸送には欠かせない車両です。











Kuroalp3  美女平に到着(写真)。上から見るとこんな感じです。大阪車両工業(株)2003年製です。













Kuroalp4  美女平から弥陀ヶ原を経由し室堂までは路線バスです(写真)。実はこのバスが一番の難所なんです。40分に1本のため、美女平で滞留してしまうのです。まあ平日は予想人数から増発で対応できますが、シーズンの休日は大変です。まして、登山のつもりで歩いたものの途中でギブアップ、なんてことになっても、バスは空きがないと乗れません。ちゃんと予約しましょう。



 もっと居たい気もしましたが、結局室堂には30分滞在し、団体の波に飲み込まれる前に出発しました。



Kuroalp5  室堂のターミナルの地下には、立山黒部貫光のトロリーバスが(写真)。8003(8000形)ほか3両です。トロリーバスは路面電車を兼営する会社が多かったことから、鉄道協会に入ります。「無軌条電車」です。車両は最新鋭、変調音はVVVFそのものです。ただ、関西の方は嫌いな音かもしれません。もちろんハンドルもあります。



 地下トンネル内の待避場には、信号機が。鉄道なら出発信号でしょう。残念ながら感度を上げても写真になりませんでした。そして大観峰に到着しました。



Kuroalp6  大観峰のターミナルから下を見ていると、何かがやって来ます(写真)。そうです、ロープウェイです。中間には支柱はありません。それでもこの1両で100人余りが乗れるのです。これに乗り、黒部平に下ります。











Kuroalp7  黒部平からは地下式のケーブルカーが(写真)。コ12のようです。汽車会社(東京)、昭和44年製です。これで下りると、黒部湖です。













Kuroalp8  黒部湖は、すなわち東洋一を誇る黒部ダムの人造貯水湖です。今日も黒部は晴れ、盛大に観光放水をしています(写真)。展望台が二つあり、放水を見る「新」展望台と、湖を見る展望台があり、新は低く、旧は高く、約250段の階段になります。下から一気に行こうとしたため、途中でギブアップしてしまい、階段で撮影しました(写真)。



 湖には遊覧船”ガルベ”があり、こちらも楽しみましたが、桟橋までの階段も負けず劣らず。休憩所で絶え絶えになった息を元に戻しました。眺めは最高でしたが、写真を撮る余裕はありませんでした。



Kuroalp9  黒部ダム対岸からトンネルに入り少し歩くと、関電トロリーバスの駅があります。上の展望台にはここから行くのが確実なようですが、階段は約200段あります。黒四見学もここが集合場所です。



 改札の向こうには、こちらもトロリーバス、300形(番号は失念しました)が(写真)。ここまで来れば、団体の波は反対向きで、心配ありません。こちらも同じVVVFの音がしました。さらにここから地下を十数分進みます。





Kuroalp10  終点扇沢のターミナルは屋外式で、初めてトロリーバスに日が当たります(写真)。撮るのには好適です。













Kuroalp11  関電の車庫はここのようで、点検のため302の点検蓋が全部開いていました(写真)バスの前は車庫です。













Kuroalp12  そして扇沢の地平ターミナルには各地行きの路線バス、タクシー、駐車場等々普通の車が入れるスペースになっています(写真)。写真のバスで信濃大町に行けば、立山黒部アルペンルートの旅は終わりです。そして帰宅しました。



 あっち側に座れば良かった、あそこで写せば良かった、等後悔は尽きませんが、そう何回も行く所ではありません。まあ良くできました、ということに勝手にしてしまいます。



 しかし天気は最高でした。ハレ男連れてった甲斐あったなあ!

カウンター
プロフィール

Seichiro

Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR