Continental Wave#2

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、中国編後半戦です。





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 先回は、上海発国際列車に乗車した、という所で終わっています。今回は、この国際列車に乗車する所から始めます。



 上海市内観光の後、昼過ぎに駅前食堂でまともな中国食を食べ、待つこと2時間。2日に1回しか使用されない国際列車用の通関施設を通り、更に1時間近く待合室で待ち、通された目の前に、待っていた香港の九龍行き(広州東行き)特快T99列車(Tは特快)が据え付けられています(写真)。2つの行き先は納得いきませんが、これは国際列車九龍行きと国内列車広州東行きが一つの編成だからで、相互の行き来も出来ないし、站台の中にも仕切りがあり、ここも通過不能です。丁度境目に列車を据え付けなければならないので、大変です。



 私は国際列車側です。各車輌には案内のため、写真のとおり服務員が立っています。





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 それでもまだ1時間あるので、撮影をします。行き先表示板には、”上海~九龍、特快、T99/T100”と表示されています(写真)。そのとおり、上海站にはT100専用の入国施設もあります。





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 行き先表示の電光掲示も、九龍行きとなっています(写真)。



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 車内の様子です(写真)。本当は高包車(特等車)を希望したのですが、2人分の料金を取られた上、それでも相席があるとのことだったので、普通に軟臥車(1等)にしました。しかし4人用コンパートメントを1人で使用で、結果的には同じでした。まあ、寝る所での人種の違いは、やはり耐えられないのでしょう。なお硬臥は、オープン3段寝台です。軟臥料金、743元は高いか、安いか。



 そして食堂車へ行きました。”Sweet And Sour Pork”(酢豚)を頼むと、黒酢の酢豚で、「おお、中国は違う!」と感激し、床に就きました。





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 翌朝、目覚めると進行方向が反対になり、寝た寝台が後ろ向きになっています。時刻表によると、株州という駅に午前3時35分に停車とのことで(国際列車の車輌は全ての駅で乗下車不可)、その前の金華停止時には変更はなく、恐らくこの時に入れかわったのでしょう。



 少々遅れて広州東に到着。線路の向こうには、こちらも”動車”、CRH1”和諧号”が停まっています(写真)。30分くらい待つ間に、追い抜いてしまいました。おそらくこちらは広州回転車の切り離しを行い、身軽な編成にしたのでしょう。



 なお、この動車は、カナダのボンバルディアの設計だそうです。





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 広州東を発車し、暫くすると、草陰に写真のような車輌がありました(写真)。高速電車のようですが、詳細は不明です。情報お待ちしています。





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 先ほどの動車は、深圳行きで、写真のとおり広州東~深圳間は別線が建設されました(写真)。いつか、香港まで延長する日を夢見ているのでしょう。



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 途中、仙村站という所で長時間停車します。どうしたかと見ていると、さっきと同様の動車が別線ながら追い抜いていきました(写真)。広州東站行きに乗車すべきだったと後悔しました。



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 深圳に近い所で、動車の線路を行く通常客車列車(写真)。これで閉塞してしまわないか、心配でしたが、想像以上に完璧なシステムなのでしょう。





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 終点香港の九龍半島、ホンハム站で入国審査を受け、両替、しかし先ほどの動車に乗りたくてたまりませんでした。



 結局普通電車(九広鉄道(KCR))で国境の羅湖を目指し、中国に入国、更に国境から深圳へ電車に乗り、下車時に撮影すべく、鉄道を戻りました。



 約40分乗り、終点羅湖で下車、香港を出国し、橋を渡れば中国です。そして更に深圳行きの電車に乗ろう、と思ったら、中国に入国したその場所が深圳站で、余りの近さにビックリするやら、ガックリするやら。つまり、乗車せねば深圳站の中には入れないのです。



 そこで最初は広州まで1時間半乗車する覚悟を決め、乗車券を購入しました。そして発車時間になり、站台に入り写真を撮ります(写真)。しかしその後の広州での手間を考え、しかもホテルが香港で予約してあり、帰還が夜中では、と悩み、結局乗車を断念しました。そして来た道を香港へ再入国します。やはり30分で国境を戻ってきたのは、誰の目にも不審で、日本で同じ事をしたら多分逮捕されるなあ、と思いつつ、ホテルに到着しました。そしてインターネットに接続、前半戦を報告しました。



 その後飛行機を乗り継ぎ帰国しましたが、またも飛行機でトラブルが。上司はカンカンでした。



 やはり、先進国と違う第三世界、という時間の流れ方が理解できなければ、怒りしか生じないでしょう。でも、この時に無償で出された円卓での晩餐は、今回の旅行での一番の御馳走でした。ああ、美味しかった!



 次回は、第3弾になるでしょうか。でも、飛行機って、怖いですねえ!

Continental Wave#1

Shw1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは遅くなりましたが、今週の”Tetsu”をお送りします。今回は海外編第2弾、中国編です。写真は、有名な上海の「東方明珠塔」です。手塚治虫の漫画の世界が実現したようです。









Shw2  土曜日に飛行機で自宅を発ち、先ず上海浦東国際空港に到着。



 そして空港から市内へは、鉄道営業速度世界一、ドイツ製”トランスラピッド”に乗車します。普通席なら50元で龍陽路(地下鉄接続駅)まで行けます(ファーストクラスは90元位、普通席往復と同じです)。航空機並みの荷物検査の後、ギリギリまで乗車を待たされます(写真は終着後の写真)。



 やはりドイツでの事故以来、トランスラピッドへの信頼が揺らぎ、複線で連続運転できる所を、現在は単線並列で、1線1編成で運転しています。閉塞が出来なければ仕方ないのか、それとも余りに速すぎるのか。



Shw3  そして乗車すると、最初は普通の乗り物、と思っているうちにグングン加速し、最大431キロ出しました。写真が427キロなのは、431キロの時には既に振動がひどく、写真がぶれて成功しなかったからです。まあやはりこの位が地上では限界なのか。



 そして龍陽路での交通卡のトラブル(これは、どっかの旅行ガイドででも読んでください)の後、1日目を終えました。







Shw4  2日目、出発し先ず向かったのは上海火車站(写真)。ここが今日の旅の出発点です。















Shw5  話は飛びますが、写真はJR東日本のE2系、仙台の基地のイベントの時の写真です。E2系は、中国に技術等も輸出され、上海で利用されています。2日目はこの取材でした。











Shw6  中国はとにかく検札が早い!5分前には改札を締め切り、乗車が出来なくなります。そのため早起きし(といっても日本より1時間遅いわけですが)、早めに検札を受け、荷物検査を通り、待合室へ(写真)。南京行き”動車”待合室、8時から10時は南京行き”動車”のラッシュの時間です。D(動車)が連発するのが、表示で分かります。一番入り口寄りの席に陣取ります。







Shw7  そして一番に站台に出て、撮影しました、CRH2、”和諧号”です(写真)。中国版E2系です。高速電車のことを中国では”動車”と呼ぶそうです(当然他の地区には日本製以外の動車もあります)。この形式、初期車は日本製を輸出し、それを技術移転、中国製も増えてきたそうです。塗装を除けば、そっくりでしょう!











Shw8  途中には色々な列車が並走、行き違います。追い越したのは、新しい青いディーゼル機関車でした(写真)。



 よく調べ、途中停車タイプにすべきだったのですが、調査不足でノンストップ便に乗ってしまいました。最大241キロ出したのですが、それは軌道整備も終わっている上海近辺だけで、実際には140キロから160キロが巡航速度のようでした。やはり中国は広く、整備が大変なのでしょう。軌条、カーブ、踏切等々、整備しなければならないものは沢山あります。



Shw9  そして南京に到着(写真)。反対には2編成連結した”和諧号”が。これはE2系1000番台試作車(J51編成)が8両だった時代の機能で、この”和諧号”も8両、則ち2編成で16両編成でした。実は5号車、16両時の13号車はビュッフェ合造車で、正直JR東日本も羨ましいでしょう。









Shw10  駅の中には、写真のような本線用ディーゼル機関車が待機しています(写真)。かつての911のように、救援用でしょうか。













Shw11  そして編成全体を見渡します(写真)。やはり16両は壮観です。



 直ちに帰りの切符を買います。中国の公衆トイレは有人も自動も1元必要で、しかも清掃は全く!上海駅前を除くと、通常の人間の忍耐できる範囲のものではありません。基本的には排泄はホテルか電車でするしかありません。お気を付けて。そして何度「1等」「軟座」といってもいつも硬座(2等)しか売ってくれません。まあ50年前の日本の3等車のように、硬座といっても板張りの座席ではないので、ご安心を。まあいいか。



 南京の駅はガラス張りのドームのようで、本当に”ガラスの城”でした。



 駅構内の売店でチョコパイを買うと、職員の女性が、”アンニョンハセヨ!”と声を掛けてきます。勿論”アンニョンハセヨ”と言ってから、”我是リーベンレン”と返します。本当は日本は嫌いなのかも。だったら、国際交流をしなくては!



 帰り道、14時台は上海行きのラッシュです。7線ある南京の站台の5線に”和諧号”が入っており、これも凄かったのですが、カメラは既にケースの中で、時間もなく断念。本当に東京や盛岡でも見られないような姿でした。



 あまりに腹が減り、試しにビュッフェでも行こうかと思い行ってみると、テーブルは既に満席、しかしみんなソフトドリンクを飲んでいるだけです。カウンターのガラス冷蔵庫にもソフトドリンクが入っているのみで、諦めかけたその時、一番奥の電子レンジの上にプラスチックのトレーに入った弁当が!しかも温まっており、丁度よく買えました。1個10元でした。しかし席に戻ると、隣席の中国人から値段を聞かれ、値札を見せると、黙ってしまいました。それまでファーストフードでごまかしていた私の初の中国料理でしたが、でもこれって、中国人に言わせると、残飯なのだそうです(その場で調理していないから、だそうです)。本当に弁当売りは大変です。



 そして2日目は上海に帰りました。



 さらに3日目に、上海から国際列車に乗ります、という所で第1回目の投稿を終える予定でしたが、ホテルの回線が非常に遅く、ブロードバンドと言いながら私の”Tetsu”さえ見られない状況で、投稿までするのに一晩かかっても無理そうなので断念。そして今日やっと第1回目の投稿が出来ました。



 次回はその後の状況なのですが、またそのうちに。

Island Wave#2

Huare1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは台湾からの”Tetsu”、後半戦をお届けします。今日は花蓮行き”太魯閣号”の取材を行いました。











Huare2  ”太魯閣号”の話をする前に、まず前置きを。写真は長崎駅に停車するJR九州885系”かもめ”ですが、台鉄の”太魯閣号”は、この電車をベースに、同じ日立製作所で製造された電車です。台鉄の線路の幅は、日本の植民地の時代に建設された関係から狭軌で同じ、電化方式も台湾は全て交流で、適用は簡単でした。しかも振り子車両で、カーブでも高速運転も可能です。昨日の台湾新幹線と同じ時期に、導入されました。







Huare3  今日も先ずは台北火車(中国語での鉄道のこと、汽車は日本語では自動車)站へ。残念ながら撮影時間帯の”太魯閣号”の予約が出来ず、他の列車に乗車しての取材になります。



 つまみ食い、E204牽引の”莒光号”、牽かれるのはふた昔位前の自強号の客車です(写真)。因みに台湾では、冷房が故障すると料金が2割引(の誤りです)になるそうです。







Huare4  隣のホームに入る”区間車”、ビート入りステンレスボディの電車です(写真)。これもDAEWOO(大宇)の製造プレートが入っています。音はVVVFのように聞こえます。













Huare5  そして私の乗車する”自強号”、コルゲートステンレスボディのディーゼルカーです(写真)。同様の車両には日立のプレートが付いたものを確認しました。3両1ユニットで、2ユニット連結されます。これは、終点が知本で、台湾の東部幹線の電化は花蓮までで、その先台東方面の非電化区間に直通するためです。イメージは、昔の営団地下鉄東西線が特急になったのか、それとも153系試作ステンレスグリーン車か。しかも正面は警戒のためトラ色です。でも環島周遊券(1706台湾ドル、一方通行のみ使用可)使用時は、外せない列車では?



Huare6  乗車します。やはり昔のステンレスは強度的に問題があるのか、エンジンが冷房電源を併せ3台で重いのか、それとも排気パイプを車内に通すためか、丁度中間部に補強の仕切りがあります(写真)。



 運転時間は昼を跨ぎ、終着が3時位のようで、車内販売もなくどうするのかと思ったら、中国語でのよく分からない放送の後、販売員のおじさんが昼食の注文を聞き紙に記録し、その数を途中積み込みするようでした。購入したい気もしましたが、花蓮には正午近くに着いてしまい、昼食の弁当はその後で間に合わないと思い、止めました。雰囲気は黄金期の日本の国鉄のようです。航空網が整備されても、まだ台湾では鉄道は交通の主役なのです。



 注意。弁当は車内販売を一度逃すと、捨ててしまうのか売り切れなのか分かりませんが、再び戻る頃には1個も残っていません。食べたいなら、決してチャンスを逃すことの無いように。



Huare7  花蓮に到着(写真)。多数派の乗客の旅はこれからですが、私は片言の中国語で通して貰い、下車します。やはり数分の遅れが生じました。













Huare8  25分後に台北を発車した自強号の”太魯閣号”。振り子電車の特性を最大限に生かし、花蓮では9分差に縮めます。さらに先行列車(則ち私の乗った自強号)が遅れたために、場内信号が変わり次第入線しました(写真)。本当に速いです。











Huare9  ”太魯閣号”が入線した第2月台A線に移動。車両の記号は「40TED1005」、885系より長い8両です(写真)。ドアはJR九州のような引戸ではなく、プラグドアでした。シートは全席ペールブルーの本革シート、料金は商務車でも良いような気もしますが、状況はJR九州と同じ、しかも台鉄は自強号は距離制の単一料金です。つまり何に乗っても値段は同じです。皆がこれに乗りたいワケですよ!







Huare10  そうしている内に、昨日の西部幹線の主力と同じ、南ア製の電気機関車プッシュプル、客車は韓国の”自強号”が、ディーゼル機関車に牽かれ入線します(写真)。そして据え付け完了、ディーゼル機関車は帰庫します。











Huare11  奥を見ると、こちらも日車製(の誤りだそうです)、EMU700系か、EMU701始め8連の”区間車”です(写真)。こちらもピカピカです。(今後同型の台湾での生産が始まるとのこと。10/15追記)













Huare12  先ほど第一月台に入線した、花蓮発台北、台中、高雄経由、屏東行き”自強号”です(写真)。台湾の電化区間全て、島を4分の3周します。帰りも”太魯閣号”に乗れないので、仕方なくこれに乗車する運命です。











Huare13  ”太魯閣号”は、14時過ぎの折り返しまで暫しの休みです(写真)。その後16時過ぎに再び台北から花蓮を目指し、それが台北に帰庫する頃には深夜になってしまいます。今回の”太魯閣号”の取材は、これが限度です。ごめんなさい。











Huare14  時間があったので、花蓮の駅を出ると、駅前に旧式車両10両余り保存されています。写真はその一番奥のSL、LDT103で、軸配置は1C1のプレーリー、テンダーがC56のようにサイドがカットされ、バック運転がしやすいようになっています。周辺には客車、貨車、ディーゼルカー等が保存されていました。



 そして日本系のコンビニで昼食の弁当を買い、乗車し、帰還しました。しかし台湾人はコンビニの出来合い弁当は買わず、必ずその場で調理したての弁当しか食べないようです。国民性ですね。



 今回の取材はこれで終わります。終わりますが、実は第2弾があるので、そちらもお楽しみに、と言いたいのですが、先ずは日本に帰って来れるかあ?こっちは風一つ吹いていないのに!

Island Wave#1

Kaosh1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、海の向こう、台湾まで来ています。



 先ずは空路台湾へ。山脈の頂上は、雲の上に突き出ています。これは沖縄でも見られる光景でしょうか。







Kaosh2  着陸して向かったのは、台北駅(台北車站)。駅に向かうリムジンバスの中で、香港の女性と会話をし、彼女は私の写真を撮っていきました。もし私がそんないい男だというなら、笑ってしまうのですが。駅で別れ、私は駅で列車を予約しました。



 そして駅舎の写真撮影のため、適当な場所を探すのですが、台湾新幹線建設時に移転できた建物だから、簡単に写せるとタカをくくっていると、南に回り事実を知り、その大きさに圧倒されました(写真)。これは魚眼レンズででも撮りきれる建物でしょうか。戦前に日本が威信をかけ建設した建物で、それは非常に大きいものです。よくこんな大きな建物を曳家移転しましたねえ!



Kaosh3  そして中に入ります。以前は直前まで月台(ホーム)には入れなかった台湾国鉄ですが、今は直前でなくても入れます。改札の内側にも椅子があり、待合わせも可能です。



 地下2階、月台には区間車が入ります(写真)。



 そして予約した自強号(特急に相当)高雄行きが入線しましたが、ヘッドライトが明るすぎ、ピントが合わずボツ。仕方なくそのまま乗車しました。ピントセンサーが多くなったのは技術の進歩ですが、極端に突出した光源には、カメラメーカー各社はどう対応するのでしょうか。



Kaosh4  昼食の時間に、車販のおじさんが段ボールをカートに乗せ弁当を販売します。途中駅で載せた出来たて弁当、80台湾ドルです(写真)。100ドル札は必需品です。しかし骨はそのまま揚げてありました。初の台湾の食事です。



 途中で苗栗という駅に止まります。出てすぐに右手の窓を見ると、おおっ!というほどの機関車等の数々が展示されています。ここは次回は外せないです、といっても今日ここで下車すると今後の予定がパーとなるので下車は出来ず、泣く泣く通過します。



Kaosh5  気が遠くなるような時間をかけ、新左營に到着。左手を見ると、トレインキャッチャーと、架線の終端となる支柱が立っています(写真)。ここが台湾新幹線終点です。













Kaosh6  新左營から10分余りで、自強号の終点、高雄に到着。この自強号の機関車は、南アフリカ(ブルートレイン発祥の国)のユニオン社1997年製で、先頭と末尾に機関車をつける、プッシュプルと呼ばれる運転形態をしていました(写真)。客車は、自動車も造る韓国のHyundai(現代)の製造で、制御用引き通し線の設備がなければ協調制御は出来ませんから、専用のPPT1123といった専用の客車13両が入っていました。やはり特殊な政治的立場が原因で、日本では余り聞かないような車両が多いようです。



Kaosh7  さあ、反対側から足回りを写そう、と思ったら先ほどの電気機関車の後に、DHL113という凸型のディーゼル機関車が連結されました(写真)。下には”Max75km/h”と書かれていました。やはり高速用電気機関車では小回りがきかず、入れ換えが出来ないので、この機関車をつなげたのでしょう。そして、いつの間にか先の方へ送り込まれてしまいました。







Kaosh8  折角きたので、撮影を。これは区間車(普通に相当か)6両で、韓国のDAEWOO(大宇)の製造です(写真)。













Kaosh9  こちらは、電気機関車はE217、同型は保留車も含め多数のようです(写真)。列車は、莒光号(急行に相当)のようです。



 そして再び新左營を目指します。金をケチり、区間車で切符を買ったら、区間車は1時間後だと言われ、気が遠くなりました。結局月台で目の前に停まる莒光号に飛び乗り、新左營に行きました。しかし自動改札は乗車した列車種別を自動的に識別し、改札を出られず、精算を。日本円にすれば、100円足らずの問題でしたが。やはり高雄市内なのですから、もう少し改善を。両駅をつなぐMRT(中量系鉄道、主に地下を走る)は今年中に完成といいますが、少しでも早くして欲しいものですね。





Kaosh10  台湾国鉄新左營駅は、台湾高鉄左營駅です。自動券売機で商務車の指定券を買い、中に入ります。今回訪問の最大の目的、台湾新幹線を前にして、感無量でした(写真)。形式名が700Tと呼ばれるのは、これらは全部日本製、東海道・山陽新幹線の700系をベースに設計され、300キロで走行できる車両だからです。台湾新幹線(台湾高鉄)は、日本の新幹線のシステムの初輸出でした。







Kaosh11  台北方に出ます。TR29編成、発車準備の仕業点検をしています(写真)。駅員さんから、普通は聞けないような色々な話を聞きました。ラッキー!













Kaosh12  商務車(グリーン車に相当)の内部です(写真)。日本の新幹線のグリーン車とほぼ同じですが、席番が日本ならABCDなのですが、台湾ではACDEと、Bを抜かしています。確かに、実態には合っています。確か日本の700系ではシートはワイン色だと思いましたが、台湾はパープルです。普通車はブルーの所グリーンで、それぞれです。普通車は満員でしたが、商務車は数えるほどでした。やはり台北~高雄間で、国鉄自強号でも800ドル、普通席で1500ドルのところ、特別席2400ドルは、在来線の3倍で、日本円にすれば1万円ですが、やはり現地の感覚では高いのでしょう。



 混んだ所が余程嫌なのか日本人が一瞬ここに座りましたが、指定なしがモロバレなほどガラガラで、すぐに立ち去りました。何故日本人は全席指定の列車でも指定を守れないのでしょう。そんなことをするのは、東アジアでは日本だけです。(ヨーロッパではロシアだけ、かあ!)



Kaosh13  車窓にはヤシの木が(写真)。こんな光景が過ぎ去っていきます。



 本当は全駅停車の列車にしたかったのですが、そうすると台北着で約1時間遅れになってしまうことから、断念。台中しか停まりませんでした。気分は”のぞみ”です。ただ、台北から高雄といっても、東京から名古屋位の距離しかないので、運転間隔を除くと、あまり差はつかない感じはしますが。





Kaosh14  そして終点、台北に到着(写真)。台湾国鉄用4面8線あったホーム(月台)を、2面4線改造し新幹線用になりました。だから、国鉄ホームからも新幹線が見えます。その先は基隆方面に繋がる国鉄のトンネルですが、諸事情から完成していません。



 撮影を続けると、職員が飛び出してきます。いつまでたってもホームに残り、ウロウロしていたからです。写真を撮っていると言うと、「失礼しました」と言っていましたが、やはり改札を出るまでは安心できなかったようです。やはり、ここまで911の影響は来ているのでした。更に、切符を記念にくれ、というのでまた一騒ぎ。駅員もよく怒らないものだなあと、感心するやら、申し訳なく思うやら。そして今日の滞在先に向かいました。



 明日は、今日の続きです。でも、台風、大丈夫かなあ?

Island Wave(予告編)

Island Wave(予告編)
予告編です。さあ、ここはどこでしょう。”Kiyomi”、約束守ったからね!

あまり見たい姿ではないのですが

Minoo1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、本日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回はJR東海の美濃太田車輌区を取材しました。



 昨日の取材の帰り道、高山から国道41号を下っていき、普段は通らない美濃加茂市街を通ったのですが、その際真っ暗な中に投光器があり、その光で茶色(正確にはぶどう色2号)の旧式客車が映し出されており、予想もしない場所での発見でビックリしました。確かに美濃太田車輌区(海ミオ)は太多線沿線で、高山線と太多線双方のディーゼルカー全てをまかなっており、それなりの大きさであるとは思っていましたが、まさか国道から見えるところまであるとは思わず、大発見でした。その場で撮影もアリとは思いましたが、夜も遅く、車を停める場所も見あたらなかったので、とりあえず帰宅しました。しかしいてもたってもいられず、結局今日取材しました。



Minoo2  国道41号線川合1丁目交差点を曲がり、昨日見立てた場所へ。驚きの連続でした。



 まず1枚目。写真左、クハ381 1(貫通型クハ381最後の1両)、写真右、記載はキハ80 1となっていますが、屋根のラジエーター、塗色(四国の塗色)から、キハ180 1と思われます(写真)。クハ381の奥はモハユニットのようで、クロとあわせ4連でした。







Minoo3  2枚目、シートを被ってない一番左は、クモハ103 18で、その後は165系3連(番号不明)です。隣はクロ381 10番台ですが、これも番号不明です。一番右は、トロッコファミリー号運転廃止で不要となったオハフ17 1、同11、スハフ12 104及び同31、あわせて4連です(写真)。103系は方向幕が「新豊田」となっていました。









Minoo4  3枚目、南側には”JNR”マークも残るキハ82 73です(写真)。白鳥形最後の1両でしょう。













Minoo5  その南側、太多線との間には、オハフ46(手前から2027、2008、2009)、キハ58系の冷改キハ58とキハ28の2両が見えますが、番号は不明です(写真)。他はシートを被っていますが、いずれも密着小型自連で、気動車と察しがつき、窓の形状からキハ80、キハ180等と思われます。しかし1両4ドア車もあったようです。



 本当にトワイライトゾーンもいいところです。同所へは、JR太多線一駅目、美濃川合駅から少々ですが、金網が高く、脚立等の装備が必要かも知れません。その点、車は運搬が楽です。こんな感じで取材を終えました。



 前置きは長くなりましたが、今後ともお楽しみに。

(続・続)はや1年あまり

Sugihu1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今回は9月8日に営業を再開した、JR高山本線角川~猪谷間を取材しました。



 平日は仕事、休日は毎週取材で、本当は写真より部屋の整理をしたい気はしましたが、そういえばここしばらく長距離ドライブをしていないことに気付き、掃除は止め車に乗り込みました。しかし、行く先は?と考えると、大阪教育大前とか、四国の牟礼とか思いつきましたが、やはり今日の話題は高山本線だろうと、結局鉄道関連のドライブになってしまいました。幸いカメラ等通常の取材道具は常に積む癖が出来ているので、問題はありませんでした。そのために、3段式の脚立まで買ったんだもんなあ!



 私のポリシーの一つに、初日と最終日には行かない、というのがあります。これは、0系の最終日にエライ目に遭ったからで、それ以来初日と最終日は避けるようになりました。今回も8日、行きたいなあ、とは思ったものの、指定の手配もせず、結局流れてしまったのですが、車でもいいなら、いいかなあ、と思い、被災区間の、3度目の取材となりました。



Sugihu2  東海北陸道を終点まで走り、卯の花街道を抜け、迷うことなく角川へ。角川は車を停めることに関しては何の心配もありません。以前は人気のなかった駅も、今日は駅員に警備員までいます。断って中に入ります。ホームの様子は写真のとおり、線路の終端の表示も撤去されました(写真)。あと20分くらいで高山行きが来るとのことでした。







Sugihu3  飛騨市宮川町林地内の橋梁です(写真)。打保に取り残されたキハ48の帰庫の時は、修復中で足場が掛かっていましたが、今はありません(写真)。修復は周辺の法面へと移りました。











Sugihu4  坂上の駅舎は、今日は飾られています(写真)。駅前では、青年団がイベントの後片付けをしていました。中に入ります。













Sugihu5  奥には、先日まで取り残されていたのであろうモーターカーが、帰るべき場所に戻っていました(写真)。上り1番の向こう側です。













Sugihu6  暫くすると、高山行き普通、キハ40、キハ48の3連です(写真)。被災前は通常2両だった各停も、今日は3両です。中は満員でした。













Sugihu7  そして打保駅へ移動。駅は今は出入りも出来ます(写真)。営業再開は、すぐにわかります。













Sugihu8  かつて取り残されたキハ48の2両とモーターカーが風雪を2年余りしのいだスノーシェッドは、今日も変わりありませんでした(写真)。













Sugihu9  飛騨市宮川町桑野付近の、6月の取材時に線路が途切れていた場所に来ました(写真)。”日本初の民放”(これは常識です)のテレビカメラマンが構えていて、話を聞くと、ここは道路から全部崩れていたとのこと。道理で2年前の取材時は、反対側を通ったわけです。ここの修復が一番大変だったそうです。



 因みに、ここで構えていたのは、もうそろそろ上り特急が来るからだそうです。杉原に急ぎます。





Sugihu10  杉原に着きました(写真)。木造の駅舎には駅員がいます。どうやって来たのか、カメラを持った鉄が一人いました。













Sugihu11  カメラマンの言ったとおり、特急”ワイドビューひだ”はやって来ました。表題の写真のとおり、キハ85 1100番台(100番台を車椅子対応改造した車輌。全車改造された)を先頭に、4両編成です。末尾はキロ85です(写真)。出発は進行を現示しています。駅員に、「写真どうでした?」と聞かれたので、「おかげさまで」と答えました。



 いずれの駅もホームは3、4両用の長さしかありませんが、行き違いの有効長は長く、ホームをはみ出た先の停止表示は”8”までありました。すなわち3両が限界と思っていた高山本線高山以北は、扉扱いをしなければ優等列車は8両まで可能ということなのです。鉄道全盛期の名残と言ってしまえばそれまでですが、入る訳無いと思った4両も可能で、後は利用者の増加次第ということなのでしょう。私も含め、皆さん有料で乗車しましょう。



Sugihu12  猪谷に着きます。そろそろ富山発の各停が来る頃だと思い、カメラを構えると、長いホームの2番線にキロ85を先頭に、4連特急”ワイドビューひだ”が入線します。手前1番線に富山発各停キハ120 346が入線すると、直ちに発車します(写真)。行き違いです。









Sugihu13  これで終わりにしようと思い一旦出発しました。しかしJR東海の各停が入線した写真が無ければ、取材は片手落ちだと思い、再び猪谷に戻ります。暫く待つと、JR東海のキハ48の2連にキハ40を増結した3連がやって来ます(写真)。



 なお写真左の封鎖されたトンネルは、神岡鉄道の遺構です。施設は全部残っており、せめてこの日まで生き存えてくれていたなら、と非常に残念な気持ちで一杯です。





Sugihu14  同列車の終点は猪谷です(写真)。こちら側はキハ40 6309です。満員の客を降ろします。













Sugihu15  すると反対からは富山発キハ120 351(おわら風の盆ラッピング車)始め2連がやって来ます(写真)。乗客は入れ替わります。



 被災前、トイレがないと苦情の多かったキハ120。猪谷の行き違いを利用した、トイレ休憩を行っていた時期もありましたが、JR西日本はトイレ設置改造を行い、準備できました、と思った時に高山本線が被災してしまいました。今日、やっと全線修復も終わったので、今後は利便性向上のため、相互乗り入れといったことも考えては?本当に、JR西日本は義理堅く、懐の深い会社だと思います。



 こんな感じで取材を終えました。



 やはり鉄道ファンなら、有料乗車して初めてファンなのです。”しらさぎ”と”ワイドビューひだ”のセットで破格のお値段の、富山フリーきっぷも発売が始まったので、ぜひ乗車したいものですね。また、近いうちに。



 では、本当に来週からの新シリーズも、ご期待ください。

吉野の流れを遡り(後半戦)

Kokae1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお送りします。今回は、先日の帰り道です。











Kokae2  一昨日は、大方の予想通りの場所に泊まりました。そして昨日、朝まず向かったのは高知駅。今では高知駅目の前まで土電は入線しています(写真)。以前は横断歩道の向こう側だったのが、大改善です。しかも桟橋行き以外も乗り入れる、以前では考えられないほどの大サービスです。本当に便利になりました。



 そして改札をくぐると、3番ホーム向こうの旧高知運転所跡地には、冒頭の写真のような巨大な木製ドームの高架駅が姿を現しつつあります。来年位には完成し、駅前整備に重点は移るでしょう。夢は大きいですね。



Kokae3  3番ホームには土佐くろしお鉄道”ごめんなはり線”車輌、9640-1Sが(写真)。2両あるオープンデッキ車輌の1両です。



 因みにデッキには高速運転中は出られず、晴れた日に、海沿いをゆっくり走る区間だけ出られます。海を望める運の良い方、どうぞ。私は次回です。









Kokae4  オープンデッキ車は出発し、次の”ごめんなはり線”車輌、9640-10が高知駅に入線します(写真)。阪神タイガースのキャンプ地、安芸市が沿線にあることから、このような塗色です。



 左には前日乗車したキハ54 9が見えます。ごめんなはり線、宿毛方面も行けたら行きたかったのですが、青春18きっぷ、帰りの列車が限定のため、残念ながらキハ54で上り方面を目指しました。





Kokae5  土佐一宮(正しく読めますか?)~布師田間に、高知駅裏から移転した高知運転所があります(写真)。入場門は布師田駅が一番近いようです。右から、1000系、キハ58系、1000系、キハ54系、他多数待機しています。特急”南風”用2000系もここの所属です。









Kokae6  土佐山田から阿波池田寄りは山岳区間です。トンネル多数、写真のように連続しています(写真)。上り勾配でD51が力行、本当にモクモクです。昔は、本当に大変だったんですよ!











Kokae7  やはり大歩危小歩危は、歩くのが危ういほどですから、鉄道や道路を通すのは大変です。土木技術が未熟だった時代、長大トンネルが掘れず(掘ってもSLでススだらけ、下手すれば酸欠です)、簡易な改変しか出来なかったので、旧線は土木的にも線形的にも非常に厳しいものがありました。無煙化され、長大トンネルが掘れるようになり、大歩危等はルートの変更がなされました。写真のように、右手方面に旧線の跡が残っています(写真)。旧線の遺構は一杯あります。





Kokae8  やはり急流、昨日は天候も良く、ラフティングを楽しむ人も多く見られました(写真)。ずぶ濡れでも気持ちいい!













Kokae9  そして阿波池田に到着。30分後に多度津行きが出ると思ったら、同じ車輌でした(写真)。キハ54 9です。恐らく車検時に、高知運転所から多度津工場への送り込み回送に使われるスジなのでしょう。駅で時間があったので、妖怪の里小麦団子を購入し、またしても乗車しました。









Kokae10  佃で徳島線と分岐し、大きくカーブ、箸蔵方面から三好市(旧三好町、阿波池田町)方面を望む場所に出ました(写真)。真ん中に吉野川が見えます。



 ここからは、また山越えです。箸蔵で長時間待避の後、スイッチバックの坪尻は通過しました。そして前日のスジと讃岐財田の特急待避で重なり、あの反対側が昨日の乗車車輌でした。







Kokae11  そして琴平で下車、普通岡山行きですが、既に西日本のカフェオレ115系でした。多度津で10分待ち、宇多津に到着(写真)。真ん中の盛り上がった高架が、岡山方面瀬戸大橋線です。ここでも十数分待ち、やっと瀬戸大橋線に入ります。しかし渡りきった児島で20分以上待ち、結局ここで”マリンライナー”に乗り換えました。









Kokae12  そして岡山へ。直ちに普通に乗り換え、深夜に自宅に到着する予定でした。しかし浮気の虫が湧き、撮影を。1枚目、今ではめったにお目にかかれない、オリジナル塗装の113系5700番台(湖西、草津線用半自動ドア113系の高速対応車(+5000番))、京キトC14編成ですが、現在嵯峨野線用とされる同車が、何故岡山にいるかは不明です。







Kokae13  2枚目、”サンライナー”の運用を終え、帰庫を待つ117系岡オカE1編成(写真はクハ116 9)です。これも編成番号ではトップナンバーですね!













Kokae14  3枚目は順次なくなっていく”スーパーやくも”塗色、クロ380 7始め4連です(写真)。出雲電車区(米イモ)では本当に編成固定する余裕はないようです。需要に対して車輌が絶対的に不足しているのか、それとも他の理由でしょうか。



 そして”スーパーいなば”を撮影したのですが、番号記録がなくボツ。そして色々考え、このまま終電で着くことも考えましたが、まあ青春18きっぷのモトは取ったので、結局岡山から”のぞみ”に乗車しました。インチキですが今回はこれで旅を終えました。



 こんな感じで今回は終わります。来週は写真整理のためお休みの予定ですが、その次の週は、とうとう新シリーズです。ご期待ください。

吉野の流れを遡り(前半戦)

Koyosi1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、四国へ来ています。



 今朝は仕事でも起きない位早い時間に起き、自宅を出発。区間快速から新快速へ、まあいつも通りに行動しました。そして相生から岡山へ、115系3500番台に乗車し、岡山へ。そして岡山からはマリンライナーに乗車しました。



 普通席で、予感がしたので最後尾へ。やはり当たり、網干総合車両所J9編成のMc車、クモハ223 2083でした。四国側は5103、5003、5203の3連(M3編成)で、西日本側はクハ223 5001(P1編成)でした。やはりトップナンバーは事故が多いのは、C57以来の伝統か。それでも保存車にされるため、色々手を加えるのですが、223系5000番台もそうなるでしょうか。



 そして坂出へ。下車し、撮影を(写真)。列車種別表示は要注目です。F100がいくらボタンを押してもシャッターが切れないので、見てみると電池切れでした。明日も出会える程JRは気前がよいでしょうか?



Koyosi2  そしてマリンライナーが走り去ると反対ホームには、キハ65 28(後はキハ58 216)の阿波池田行きが入線します(写真)。慌てて階段を上下します。これに乗車しました。











Koyosi3  予讃線と土讃線の分岐点、多度津にはマヤ検のマヤ34 2006が(写真)。塗装も窶れ、いよいよか?今後は西日本のキヤ141系でやるのでしょう。













Koyosi4  そして最初の山越え、坪尻のスイッチバックです(写真)。配線は思ったより単純です。















Koyosi5  そして一旦山地を下り、”四国三郎”吉野川を越えます。そして対岸へ、佃に(写真)。左が土讃線多度津方面、右が徳島線徳島方面です。今でこそ高速で難なく走れる場所ですが、鉄道建設の時代、未熟な土木技術で、如何に建設が困難だったことでしょう。









Koyosi6  佃から一駅で阿波池田です。平窓の初期型、キハ58 216です(写真)。乗り換えです。所属は四マツ(松山運転所)で、池田が分岐点のようです。留置線には他にも平窓58があり、ヨダレがでそうです。











Koyosi7  暫くすると、やって来ました、キハ54 9が(写真)。番号で分かるとおり、両運転台2エンジン車です。所属は四コチ(高知運転所)です。これに乗車しました。













Koyosi8  阿波池田から右に左に、吉野川に沿って上流を目指します。途中には祖谷口(かずら橋で有名な祖谷渓の入り口)もあります。そして難所の入り口、小歩危駅に(写真)。行き違い待ちで停車します。











Koyosi9  小歩危から大歩危へ、ここは徒歩の時代、鉄道の時代、そして現代も難所です(写真)。読んで字の如く「歩くのが危うい」から大歩危、小歩危と呼ばれるのです。今では鉄道は長大トンネルで大歩危も一本ですが、旧線の時代の苦労は如何ばかりか。まして、蒸気機関車だったんですから。トンネル内で力行すると「カラス列車」と悪口を書かれました。







Koyosi10  もうすぐサミット、大田口で、”南風”と行き違いを(写真)。2116に2230、2231、2030のアンパンマン車両が運用に入っています。













Koyosi11  土佐北川はトラス橋上の駅です(写真)。反対側はキハ58系、キハ58とキハ28の3連です。こんな山岳線にキハ28が、とは思うのですが、大出力機関搭載のキハ65が回って来ねば、キハ28しか冷房用ディーゼル発電機を載せた車両はありません。



 因みに、冷房電源を積んだキハ28は、製造番号に+2000されます。2100番なんてかなり後期?とも思いそうですが、製造時は-2000なので、100番台、キハ28長大編成対応改造(継電器追加)を後に受けた平窓初期車なのが解ります。これが国鉄色なら、感涙ものです。



Koyosi12  そしてサミットのトンネルを抜け、新改へ。スイッチバックですが、本線の方が下を向いています(写真)。右正面トンネルが阿波池田方面、左正面が新改駅、手前が待避線、左後方が高知方面です。











Koyosi13  そして新改駅に入線。行き止まりです(写真)。昔はこちらが本線では、というような雰囲気ですが、事実は解りません。



 そして土讃線旧線時代のD51の困難な仕業と、乗客の苦難に思いをはせ、今日の滞在先に向かいました。モロばれですねえ!



 明日は帰途ですが、投稿はいつでしょうか?

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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