土佐くろしお鉄道を考える(非常に厳しい言い方ですが)

 今年のゴールデンウィークに、2度目の四国一周をしました(既報”クローバー・アイランド”の通り)。その際、かつての土讃線の終点、中村から更に先、現在の終点宿毛に行きました。そして、到着して、「やっぱ、あかん!」と思いました。



 平成17年秋、岡山発宿毛行き特急”南風”が終点宿毛でオーバーランし、車止めに衝突、さらに駅舎に激突して停止するという大惨事が起きました。運転士は死亡、その他の乗客乗員十数名全員も何らかの形で負傷するという大事故でした。宿毛駅はそれから1年近く営業を休止し、事故車両の撤去、そして駅舎の修復を行い、営業を再開しました。同事故で特急3両編成のうち、先頭の2008、2両目の2218は破損が酷く廃車されたといいます。実は在りし日の2008の写真も無いわけではありませんが、本題ではないので掲載は止めました(キッズクラブではありませんから)。



 今年のゴールデンウィークの訪問は、修復後の訪問でした。最初に気付いたのは、かつては殆ど宿毛まで直通していた特急が、殆ど中村打ち切りになっていたこと。つまり宿毛に行くためには、中村で乗り換えが必要なのです。そして宿毛に到着、修復後の宿毛駅を見ました。外観はともかく、線路終端は事故前の従前とほぼ同じでした。



 同じ終端でも、JR四国の高松駅では、事故の教訓か、終端手前数メートルから砂利を盛っています。トレインキャッチャーを設置せず、しかし空間的余裕がある場合にはこれでオーバーラン事故は防げる、とまではいかなくても規模を小さくできます。なぜJR四国はこんなことをしたのでしょう。



 刑法211条には、「業務上過失致死傷罪」という規定があります。「業務」(世間の定義とは少し違いますが)における過失が元で人を致死傷させた場合、この罪に問われます。この罪で重要視されるのは、「予見可能性」という言葉です。交通事故のあった交差点に直ちに信号を取り付けたりするのは、「以前に事故があった」ことによって、その後事故が再発することは予見できるはずだ、とされるからです。だから一度事故があった場所では、直ちにその後事故が起きないようにするための最大限の予防措置をとらなければ、再び事故が起きた際非常に重い罪に問われるのです。だから関係ないような高松などの駅ででも、この罪に問われないためにJR四国は対策をとったのです。



 然るに土佐くろしお鉄道では、奈半利どころか事故の起きた宿毛でさえ、修復以外ほぼ何も対策をとっていないのです。確かに修復後、全特急も一旦2駅手前の平田に停車としましたが、正直いってこれだけでは不十分です。現状でもしまた宿毛駅で何らかの事故が起きれば、土佐くろしお鉄道の幹部の大半と、JR四国の関連の責任者は、少なくとも逮捕、下手すれば実刑、という話になるでしょう。判決文はこんな文句を並べるでしょう、「先回の事故で、事故再発は十分予見できるところ、とりたてて対策をとらず漫然とこれを放置し、・・・」と。私の言うことに疑問を感じるなら、別に法律の専門家や弁護士に聞いてもらえば良いですが、きっと同じ事を言うでしょう。



 確かに先回の事故に対し、土佐くろしお鉄道にも言い分が山ほどあるというのは、私も解っています。しかし、如何なる理由によっても、起きてしまったことは取り消しできません。まして現状のまま放置すれば、もっと重大な責任を問われることになるのです。それが怖いので、JR四国も運転を縮小をせざるを得ないのです。このままでは全列車中村打ち切り、ということも十分に予想できます。はっきり言ってそれでは非常に不便です。でも罪に問われると考えればやむを得ない措置では。恐らくJR四国の本社も私と同じ事を考えているでしょう。



 宿毛も、奈半利も高架駅、構造上砂利敷きのセーフティーゾーン設置とはいかないでしょうから、やはりトレインキャッチャーをつけるべきでしょう。JR東か西の、移設工事で余剰となった中古で十分なので、宿毛に2線で2つ、ついでに奈半利にも1つ設置すれば、「最大限の対策」ということになるのでは?この罪の免罪には、「出来る対策は全てやった。」という実績がやはり必要なのです。



 また、喪失した2000系2両ですが、これが原因で四コチ(高知運転所)の特急車輌の遣り繰りが非常に苦しいのは明らかなのです。さらに追い打ちをかけるように2000系全車両を製造していた富士重が、鉄道から撤退ということになり、非常に厳しいなあ、とは思いました。しかし新潟トランシスだって、JR西のキハ187系(基本的には同構造の振り子気動車)を製造したので、その気になれば代車のみならず、増発分の追加車輌だって造れるでしょう。そうすれば、利便性向上のため全列車宿毛直通、という期待もかかるのです。これらは全て、土佐くろしお鉄道の決意次第なのです。



 高知県知事さんは東京生活が長く、「勤勉な労働者には、定時運行する鉄道は必要だ」ということは、ご存じと思います。土佐くろしお鉄道の経営は現状でも非常に困難でしょうが、知事さんの英断で、安全対策設備設置の支援・補助をしていただけるよう祈念して、今週の”Tetsu”を終えたいと思います。

お日様に嫌われて(後半戦)

Horioka1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は北陸編後半戦です。



Horioka2  今朝滞在先を出発した私は、先ず富山駅北口を目指しました。ここから、「ポートラム」が出ています(写真)。車輌はTLR0605(写真はB側)、緑です。



Horioka3  かつてこの線がJR富山港線だった時代、城川原は唯一の行き違い駅でした(写真)。「富山ライトレール」開業半年前、まだ国鉄色475系が走っていた時代の写真です。かつて旧型国電73系が走っていた時代には、ここに車庫があったこともありました。



Horioka4  現在は写真のとおりで、行き違い設備はそのままですが、車庫等が復活しました(写真)。乗車したTLR0605と、行き違うTLR0606(青)です。



Horioka5  同駅に、写真のとおり「富山ライトレール(株)」の本社ビルがあります(写真)。



Horioka6  上り電停の東側には、変電所、車庫、工場があります(写真)。今日はTLR0602(オレンジ)が待機です。



Horioka7  乗り進み、東岩瀬で下車。写真のとおり、旧富山港線時代の駅舎が唯一残っています(写真)。壊すかと思いきや、塗装も直し再整備、いいことです。鉄道線当時の石積みのホームも残っています。この少し富山寄りの東側には、コンクリート製のホームの構造物も残っています。ハツりたい?



Horioka8  岩瀬浜に着くと、バス乗り場には各地行きのバスが停まっています。私は写真の新港東口行きの「きときとバス」に乗車します。このバス、岩瀬浜発土休日のみ10時半、12時半、2時半の3回だけです。通常乗車の方は料金500円です。



Horioka9  新港東口に到着(写真)。要するに昨日も来た堀岡なんです。途中並走する自転車道があり、これが新港工事で切断され廃止となった富山地鉄射水線だったのです。現在新港の出口に巨大な橋を架ける事業が進行中で、当時それが出来ればと、悔やまれてなりません。残存線は加越能鉄道を経て万葉線の一部になりました。



Horioka10  そして県営フェリーに乗ります。このフェリーも新港による線路分断の代償措置で、だから無料なんです。



 今日初めてブリッジ後の展望席に乗りました(昨日は寒く客室にいました)。今日は海王丸が全ての帆を広げています(写真)。そのうち、行きたいですねえ!



Horioka11  対岸の越の潟ではまたしても”アイトラム”が待っていました(写真)。これは勿論素晴らしい電車ですが、今までの路面電車だってとっても良いですよ!



 そして高岡に着きました。初めて高岡で晴れました。冬に来て雪は仕方ありませんが、それ以外でも良くて曇、大抵は雨で、今日は初めてお日様に嫌われずに済みました。



Horioka12  そして富山に戻り、お帰りの列車に(写真)。特急”ワイドビューひだ”、写真はキロ85 4始め4連です。この列車に乗車しました。



Horioka13  猪谷では、長いホームに入線、短いホームにはキハ120(JR西日本)とキハ40(JR東海)が間隔を置いて並んでいました。第2場内をつくるのでしょうか。やはり神岡鉄道のホームは使えないのか。



 そして発車した列車からは、二つのトンネルが(写真)。右が高山本線、左が神岡鉄道です。神岡鉄道は、線路も残っているなんて!今このままでも走れるのでは?



Horioka14  スノーシェッドの下で停止します。打保です。停まったのは行き違いのためで、やがて向こうからキロ85始め4連が通過していきました(写真)。



Horioka15  高山で増結します。まずこちらが入線し、高山回転車が下り待避線から入線してきました(写真)。実はこの写真を撮ったときには、私の後は大混雑でした。というのは、その殆どは、この車輌の指定券を持つ客ではなく、増結車の自由席を横から入ろうという魂胆の人たちでした。連結してから貫通路解放、渡り板準備、貫通幌固定とやっている間に、きちんと並んだ人たちは順序よく乗車してしまいました。ズルをする人間は決して成功しないという、代表例でした。ざまー見ろ!



 でも、富山行きが4両になったと思ったら、高山回転車が3両で、え!高山本線って、7連が限界でしたっけ?



Horioka16_2  そして”ワイドビューひだ”は風光明媚な各地を行き過ぎ、岐阜で前後が入れ替わり、名古屋に到着しました(写真)。これで今日の旅は終わりです。



 今回富山に行きながら、地鉄の取材をしなかったのは悔やまれますが、またそのうちに行きますので、よろしく!



 1枚の切符のおかげで、ここまで旅行が出来ました。また、行きたいですねえ。

お日様に嫌われて(前半戦)

Nyoi1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお送りします。今週は北陸方面に来ています。



 今朝は少し早起きして、”しらさぎ”で高岡へ。写真はクロ682 2001で、基本編成は初号編成です。



Nyoi2  先ずは氷見線へ。丁度氷見からのキハ40 2135、忍者ハットリ君列車が入線します(写真)。所属は金タオ(高岡鉄道部)です。この車両は帰庫します。



Nyoi3  私の乗った高岡鉄道部色のキハ47 1064とキハ47 66の2連が、終点氷見に到着します(写真、手前は1064)。雨晴の願掛けか、一時的に雨が止んでいます。



Nyoi4  そして折り返し高岡に戻り、城端線へ。ホームの奥の給油スタンドに、DE10 1032が停泊しています(写真)。区名札は「北」で、何処でしょうか(北陸地域鉄道部富山車輌センターだそうです。10/22追加)。仕業札はA12と入っています。一時仕業札入れはほとんど空でしたが、某誌で指摘されて以来、最近は入っている場合が多くなりました。後には先ほどと同じか、忍者ハットリ君列車が停泊しています。



Nyoi5  列車を待っていると、北陸線上り線にボンネット車が(写真)。最後のボンネット、通常は”能登”用のクハ489 502始め9連(金サワ(金沢総合車両所)所属)です。回送で、臨時”雷鳥”でも走りますが、数年前”さよならボンネット雷鳥”が走った関係で、それ以来愛称表示は黄色の”臨時”になっています。



Nyoi6  そしてキハ40の2連で終点城端に到着(写真、手前が2078、後が2063)。



 高岡近辺の一番の面白味は、非電化単線ローカル線にDE10牽引の貨物列車が入る所で、氷見線伏木まで、城端線も砺波まで貨物側線が繋がり、それを昔なら高岡で編成を仕立てるというのもあったのでしょうが、今では貨車がコキが中心となり、主に直行貨物になってしまいました。しかし昨冬でも新製間もないEF510が待機し、今日もEF81 500番台(平成の新造車、最終グループ)が入れ換えに従事し、まだまだ楽しめます。ただ残念ながら今日の城端線では留置されたコキ50000の編成しかなく、高岡に戻った所でDE10牽引のコンテナ貨物と入れ違いになりました。



Nyoi7  そして万葉線へ。写真は”アイトラム”MLRV1002(写真はB側)入線の図です。



Nyoi8  先ずはお決まりの米島口へ(写真)。車庫には車両が待機し、右の青の車両の2両後は除雪電車です。左には修繕庫がありますが、写真1枚では表現できません。また雨が強くなってきました。



Nyoi9  そして待っていると、専用軌道から併用軌道へ入線するMLRV1001(写真はB側)。複線から単線、専用から併用に変わる所で、複雑な信号があります。



Nyoi10  そして中伏木で下車。徒歩数分、またしても「如意の渡し」に来てしまいました(写真)。見ても解るとおり、横の橋の工事も盛んで橋桁が掛かり、丁度5、6割か。たかが渡し船ですが、今のうちに乗船することをお奨めします。



Nyoi11  どうして渡し船に乗るかと言えば、反対側のJR伏木に用事があるからです。氷見線は時間1本、1度下りると1時間列車がありません。しかし万葉線は15分に1本、渡し船は、客が見えたら(概ね15分に1往復)なので、制約が少ないからなのです。



 そこで伏木まで来て写すのは、DD351です。名前の通り35トンディーゼル機関車、伏木の専用側線の入れ換えに従事しています。休日は橋の下で休憩しているのですが、今日は土曜、盛んに働いています(写真)。コキ50000を貨物駅に牽引します。ここから高岡までは、DE10の仕事です。今日は歩く手間が省けましたが、フィルムカメラはシャッターが切れず、大失敗でした。



Nyoi12  そして渡し船で中伏木に戻り、越の潟、富山港県営フェリーに乗りました(写真)。堀岡まで行ったのですが、ここから岩瀬浜行きバスは土休日のみ、11時、13時、15時の3本だけです。もう少し本数がなければ、不便すぎる気がしますが、どうでしょうか。



Nyoi13  既に15時を過ぎ、他方向への有料バスしかないので、来た道を戻ります。港の外側にはいつもどおり海王丸が(写真)。堀岡付近が一番のベストショットになるようです。越の潟からのこの県営フェリーは無料なので、如何でしょうか。



Nyoi14  そして越の潟に戻ると、また”アイトラム”MLRV1003(写真はB側)がやって来ます(写真)。もう一度伏木をやり直したい気はしましたが、雨脚も強くなり、さらに日照も不足し、断念。高岡に戻る頃には、日没となりました。



 明日は今日の続きです。天気が良くなることを祈念し、今日は終えたいと思います。

一足お先に!

Nairan1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、今月14日に開館する”鉄道博物館”の内覧会に参加しました。



 大宮に鉄道博物館を誘致する運動は、随分前から行われていましたが、実際決定し、万世橋の交通博物館が閉館したのは確か昨年5月だと思います。それから資料の移転、収集整備、その他色々な作業を終え、とうとう明後日開館します。今日はそれに先立ち関係者、近隣住民、そして抽選で選ばれた人が、内覧会という形で事前に見学できる、ということでした。



Nairan2  昨晩”ムーンライトながら”で自宅を発ち、早朝東京に到着、そのまま京浜東北線で終点大宮へ。今日はSuica、Pasmoのトラブルで大騒ぎでした。そして大宮からニューシャトルへ(写真)。一駅大成(14日からは鉄道博物館駅)まで行けば到着ですが、あまりに早く、結局終点内宿まで行きましたが、丸山の車庫も含め写真は省略です。



 そして到着すると、予想外に多くの人が待っており、ビックリ。しかしまだまだ沢山やって来て、実は今日はかなりの招待客が来ているのだと知りました。しかしこれでは入るのもなかなかかなあ、と思いきや、すんなり入ってしまい、手際の良さが目立ちました。



Nairan3  早速撮影を。1枚目は、1号機関車、当時の客車、後に九州鉄道の善光号と国鉄バス第一号が見えます(写真)。国鉄バス第一号は岡崎~多治見間と瀬戸記念橋~高蔵寺間とのことで、あのJR東海バス瀬戸営業所はそれ以来の営業所だということを知りました。











Nairan4  2枚目、交通博物館の屋外で展示されていた、北海道の弁慶号と開拓使客車です(写真)。客車の横には最古の木造電車の最後の姿、ハニフ1(松本電気鉄道新村車庫の片隅に奇跡的に残っていた車輌)があります。













Nairan5  3枚目、初期型のダブルポール電車、ナデ6141です(写真)。横にはキハ41000一族、キハ41307があります。これも筑波鉄道の奇跡です。













Nairan6  4枚目、戦前の大陸連絡1・2等特急”富士”の末尾を飾った1等展望車(写真)。戦前の形式・番号は失念しましたが、スイテ(スイテ37010の1両、10/17追記)で、戦後呼称変更でスイテ39 11、冷房化で重くなりマイテ39 11となりました。昭和30年代前半で冷房、すごいですねえ!富士山形テールマークも注目で、現在でも同様のヘッドマークを九州内で機関車が使用しています。なおこの右には、日本初の半鋼製客車オハ31 26(津軽鉄道から苦労して陸送しました)、クモハ40074(確か国府津電車区の移動用に使用していた)があります。





Nairan7  5枚目、最近まで現役だったEF58 89(パック)ですが、現在は静態保存です(写真)。ぶどう色2号に塗色変更されました。手前に碓氷用のED40 10、舶来機改造のED17 1(JR東海のED18 1と同様の経緯をたどった)があります。











Nairan8  6枚目、パックの後はナハネフ22 1が(写真)。20系客車で一番美しい緩急車でしょう。現在は閉鎖された旧大船工場で長い間大切に保存されており、整備も大船で行ったといいます。











Nairan9  7枚目、ナハネフ22の後は、国鉄近代電車の始祖、クモハ101 902です(写真)。これは旧大井工場(今は山手電車区と統合され東京車輌センター)の入口に長い間保存されていましたが、今回博物館入りしました。











Nairan10  8枚目、クハ181 45です(写真)。これも長い間新潟の上沼垂電車区に屋根付きで保存されていました。しかし上沼垂に私が行く前に、博物館入りしました。後にはつい最近まで現役だったクモハ455 1(大目玉ですねえ!)が写っています。











Nairan11  9枚目、一時は全滅とされたクハ481 0番台でしたが、勝田と青森の訓練車に残っていました。その1両、クハ481 26です(写真)。100番台、及び現存するクハ489 0番台及び500番台ボンネット車との違いは、電動発電機の容量が小さいことです。それが訓練車には好適だったのでしょう。後は「走る変電所」モハ484 61、横にはED75 775(区名札は「秋」)が写っています。







Nairan12  10枚目、これもつい最近まで現役だったEF66 11が(写真)。区名札は「広」です。本当はEF66 901(新製時はEF90 1)が入るとの噂でしたが、不幸にも解体されてしまいました。国鉄最強、3,900kW(およそ5,000PS)の出力があります。奥はコキ50000の1号車であるコキ50000、その後は冷蔵車レムフ10000です。手前はDD13 1です。









Nairan13  11枚目、222 35です(写真)。何の変哲もない200系のようですが、実は山形新幹線400系併結用に連結器、誘導装置が装備されているのが分かるでしょうか。この奥には、0系、(0)21 25のカットモデル(交通博物館当時からの展示物)があります。









Nairan14  12枚目、一番奥にはC51 5が(写真)。本来はD51がここに展示される予定でしたが、D51のカットモデルが交通博物館から引き継がれる関係か、青梅鉄道公園に展示された同機がここに来ました。大正9年浜工(浜松工場と思われる)製、国産初の急行形蒸気機関車です。軸配置は典型的なパシフィックで、これがC53、C59と続く大きく、強く、速くというヘビーパシフィック系と、C54、C55、C57と続く同性能で軽量化を目指したライトパシフィック系の二つに進化が分かれました。動輪直径1,750ミリ、軌間との比率では当時世界最大を誇っていました。当然当時の”富士”、”櫻”のみならず超特急”燕”もこの機関車で、次位に水タンク車を繋げ箱根越え、名古屋までノンストップだったことは語り草となっています。梅小路のC51(239号)は、お召し運用に何度も就いたことから解体されず車庫の隅に残り、保存されたといいます。



 なおこの並びに御料車が保存されていますが、ガラス張りの向こうで、写真は悲惨でした。しかし日本工芸と美術の頂点を見て、素晴らしい車輌だと思いました。



Nairan15  13枚目、展示の中心には転車台があり、そこにC57 135(昭和50年、北海道の岩見沢にて日本で最後に通常旅客営業をした蒸気機関車)が載っています(写真)。製造は三菱神戸造船所、昭和15年だそうです。同機を載せ今日は2回転車台を回しました。新製の上路式電動転車台で、1回転約6分です。なお博物館内の展示車輌の向きを揃えるのにも使われたそうです。







Nairan16  2階に上がると、ヒストリーゾーンの展示部分は吹き抜けで、上から望むとこのようになります(写真)。













Nairan17  丁度模型ジオラマの運転が始まるとのことで行ってみると、HOゲージながら巨大なジオラマがありました(写真)。幅25メートル、奥行き8メートルあり、小学校のプール4コース分に相当するとのことでした。線路総延長は約1キロ、HOゲージは在来線80分の1、新幹線87分の1なので、実車では東京から熱海や宇都宮、高崎に相当する距離だそうです。大迫力ですが、軌間が倍(すなわち車輌は4倍大きくなる)Oゲージで造るのはやはり大変です。



Nairan18  北側はラーニングホール、ミニ運転列車、ノースギャラリー、鉄博ホールがあり、一番北側に茨城交通から帰ってきた動態保存車、キハ11 25が(佐久間レールパークにも、茨城交通から来た同型があります)。同車が走る線路は、大宮工場の試運転線に繋がっています。また、その博物館寄りは、455系の残り2両が休憩スペースとして残されています。



Nairan19  一番の呼び物、シミュレーターゾーンでは、写真のSL運転シミュレーション(カシオペア、音楽館の向谷氏が心血を注いで完成させた装置です)がありました。これは開館後有料で使えます。他無料で新幹線や通勤電車のシミュレーションが出来ます。でも、新幹線のATCどおりに運転するのは、実は非常に難しいのが分かりました。それに乗ってるんですねえ!



 そうこうしているうちに終了の1時を迎え、お帰りの時間になりました。



 雰囲気は掴んで頂けたでしょうか。私も”Teppa倶楽部”会員になったので、何回か来たいと思います。しかし、開館当初はきっと混むんでしょうねえ!でも、楽しみです。



 今週はこんな感じで終わります。来週もご期待ください。

Peninsula Wave#2

Puktx1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今週の”Tetsu”、2回目をお届けします。今回は韓国編後半戦です。



Puktx2  昨日滞在先を出た私は、またソウル駅へ、地下鉄を乗り継ぎ行きました(写真)。帰り道です。



 ”日韓共同きっぷ”を持って窓口に行くと、「インフォメーションへ行って!」と言われました。インフォメーションにも予約の機械があり、ここで予約が出来ました。やはり面倒な切符、釜山もここも、一番腕が立つ職員のいる窓口に回されるようです。正直言って帰りは本気で”ムグンファ号”の乗車も考えましたが、発車締め切りで断念しました。



 なお、「日韓共同きっぷ」は実は片道だけで、帰りは他の方法も選べます。勿論韓国も同きっぷを扱っており、ウォンが少々強くなっても、まだまだソウルで買った方が安いそうです。しかしそうすると、最大のネック関釜フェリーが最大2か月前から事前予約できず、混雑時には乗船不可、という事態にもなりかねません。学生のようにピークを避けた休みの多い方にはお薦めですが、そうではない私は、帰りも日本で事前予約する道を選びました。



 ここでついでに時刻表があるかと聞くと、中のコンビニに置いてあるとのこと。5,000ウォンで、9月号でしたが、手に入れご満悦です。しかしハングルだらけであまりよく分かりません。



 そしてホームに入ろうとすると、”KTX”の入口は通常の出入口、窓口のある2階ではなく、3階であることを発見。エスカレーターで上に上り、出発を待ちました。



Puktx3  改札が始まり、ホームへ下ります。もう当然据え付けてあるであろう列車が無くて、ビックリ!どうも始発ではないようです。



 暫くすると列車が北側から入線します(写真)。車庫のある幸信から来たようです。



Puktx4  そして据え付け完了(写真)。乗車しました。













Puktx5_2  「漢江の奇跡」と呼ばれた韓国の発展。かなり日本に近づいた感じがします。漢江に見える、63ビルという名のビルのようです(写真)。



Puktx6  天安牙山(”チョウアン・アサン”というらしい)~大田間にある大規模な工場兼基地には、赤いKTX(新型、両数調整が可能らしい)がうっすら見えているのが、分かりますか?(写真)。他保線車輌等も沢山ありました。



Puktx7  釜山に近づきます。反対行きの列車が行くなあ、と思って写真を撮ると、この列車がソウル行き”セマウル号”であることが、駅の時刻表で分かりました(写真)。



Puktx8  こちらは”ムグンファ号”のようです(写真)。アメリカンスタイルの恐らく電気式ディーゼル機関車に、日本の14系座席車というか、台湾の”莒光号”のような固定窓の座席客車が連結されていました。



Puktx9  私の乗ったKTXは、釜山に終着しました(写真)。よく見ると、機関車には”アルストム2002”とプレートが入っていました。フランス製です。



Puktx10  またしても”セマウル号”がゆっくり入線(写真)。ソウル行きではなく、慶州方面のようですが、今の釜山驛からはソウル方面行き以外は発車しません。”ムグンファ号”でも十分間に合う程時間があったので、そのターミナルへ行ってみたくなりました。



Puktx11  ソウル方面以外行きは、釜山驛から地下鉄5駅(1,100ウォン)北の釜田洞(プジョンドン)駅そば、KoRail釜田驛から発車します(写真)。釜田市場そばで、屋台のような焼きたて・揚げたての香りがします。B級グルメファンには、たまらないでしょう!



Puktx12  しかし行ったときには電光掲示は写真のとおり、13時の後は15時まで優等列車が来ない、暢気な駅でした(写真)。同じ市内とは思えません。ホームに入るなんて以ての外で、結局ここで退散しました。



Puktx13  それでもまだ時間が山ほどあったので、釜山タワーの写真が撮りたくなり、近くまで行ってみました(写真)。電線には邪魔されますが、まあまあでしょ?



Puktx14  そこから少しフェリーターミナル方面に向かうと、今日のお帰りの船、韓国籍の釜関フェリー”星希”(ション・ヒー)が反対側から見えます(写真)。ここが関釜フェリーの数少ないポイントのようです。なお同船は韓国初の大型旅客船のようで、現代(Hyundai)造船の製造ですが、エンジン製造メーカーのローマ字の綴りは”Daihatsu(ダイハツ)”になっていました。



 ここで終わりにするのは時間が勿体ない気がしましたが、このままフェリーターミナルに向かい、チェックインを。すると、大きな音がするので驚くと、激しいにわか雨が降り出していました。結果的には正解でした。



Puktx15  そのままターミナルで何時間も待ち、やっと乗船する頃には、日はほとんど落ちていました。そして窓の外を見ると、釜山タワーの夜景が見えました(写真)。雨は一時的に止んでいました。



 そして食事をしようと、40000ウォン残し構えていると、免税店、船内コンビニを除き全て円建て!ガックリでした。結局ビール代に全て消えました。2日ぶりに出番の来た円は、焼き肉定食に化けました。コチジャンって、甘いですねえ!しかし緑の唐辛子って、インドでも死にそうになったけど無茶苦茶辛いですねえ!



 そして出港、波も気になる所を爆睡し、翌朝を迎えました。



Puktx16  目も覚めぬまま船を下り、団体より早く入国すると、一番で外に出られました。そして”星希”の写真も撮らず下関駅へ行くと、丁度昨晩東京を発ったEF66 49(「関」)牽引の”富士・はやぶさ”が、下関駅に入線しました(写真)。下関駅でホームの反対側には普段行くことがなく、非常にラッキー!そして小倉から”ひかり”を乗り継ぎ帰宅しました。



 今回も長い旅行でした。第4弾は今年の末くらいでしょうか、未定です。でも、そろそろ日本の鉄道の話がしたくなってきた頃ですねえ!

Peninsula Wave#1

Soktx1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、海外編第3弾、韓国に来ています。



Soktx2  昨朝午前遅くに自宅を発ち、辿り着いたのは新大阪。ここで乗り換え、700系7000番台、E16編成”ひかりレールスター”に乗車します。”ひかり”に乗るのは、「日韓共同きっぷ」では”のぞみ”が乗車できないからです。新大阪からは指定席は2&2シートで贅沢できますが、まだまだ改善の余地はあると思うのですが。しかし名古屋では駅員の方が珍しがって私に聞いてくるほどで、利用者はその程度なのか。



Soktx3  そして小倉で下車。小倉からは下関行きに乗ります(写真)。415系、クハ411 223始め4両です。













Soktx4  小倉からは絶対に押さえたい小倉貨物駅。左から、EH500(!)、EF81 400番台、EF81 451(デジタルズームではそう見えます)、ED76(番号不明)が待機しています。EH500の関門トンネルへの配備で、1300トン貨物列車は、ついに九州に到達しました。











Soktx5  奥を覗くと銀色のEF81が(写真)。今は2両だけとなったステンレス無塗装の1両、EF81 304です。(同301、302はステンレスボディーにピンク色の塗装をしました。)













Soktx6  下関には、115系3000番台、広セキN01編成で、元「広島シティ電車」でしたが、いつのまにか下関運転所の配属になってしまいました(写真)。













Soktx7  そして浮浪者の放火で焼失した下関駅を出て、歩道デッキを5分位歩くと、地上に降りることなく下関港国際フェリーターミナルに到着(写真)。ここからパスポートが必要です。中は既に韓国の一部でした。











Soktx8  フェリーターミナルに停泊する関釜フェリー、”はまゆう”です(写真)。どうやってもこれ以上の写真は撮れません。警備員さんは、「狭くて、悪いねえ、」と言ってくれましたが、やはり国際航路、多くを期待してはいけません。飛行機を思えば、ここまで写せれば上出来です。なおこの先は港湾関係者以外は入れません。









Soktx9  全景は、ターミナル待合室の写真パネルで、どうぞ(写真)。



 そして日没後出港しました。九州側がネオンも賑やかなのに、本州側は土取りの山だけで、雰囲気は全く違います。



 韓国高校生の修学旅行とかち合い、今日は満席。彼らが終わるまで待って、やっとありついた美味しい韓国料理も、船酔いと共に流れ、悲しかったです。





Soktx10  そして今朝韓国に上陸しました。入国手続きの後、”はまゆう”の撮影を狙いましたが、良い場所はなく、残念。



 仕方なくフェリーターミナル最寄りの釜山市営地下鉄1号線「中央洞」へ、そして1駅(1,100ウォン)、釜山駅へ(写真)。マイクロソフトのCMを撮った場所ではないかと思っているのですが、どうでしょう。写っている列車も韓国の”KTX”(韓国新幹線)でしたし。







Soktx11  そしてソウルへの旅立ちですが、行きは”セマウル号”(特急に相当)に乗車する予定で、トーマス・クック・オーバーシーズ時刻表で確認しましたが、駅の時刻表では載っていません。窓口で交渉すると、「”ムグンファ”(”無窮花号”、急行に相当)にしますか?」と聞かれたので、「KTXにします。」と答えました。現在では釜山発ソウル行き”セマウル号”は朝昼晩の3本、同”ムグンファ号”は朝、昼、夕、及び深夜の夜行(23時発3時50分着)だけのようです。やはりKTXも安定してきたということでしょう。



 そして時間になるまで改札を入れず、ウロウロと時刻表を探しますが、釜山では何処も置いていません、とのことでした。



 改札を1番に入り、撮影します、”KTX”です(写真)。モチーフは”鮫”だそうです。日本の新幹線0系は夜間爆撃機”銀河”から来ていることは余りに有名な話です。



 ”KTX”は、フランスの”TGV”を元に輸入した技術であり、ヨーロッパ系の高速列車は、まず普通は機関車プッシュプルです。韓国の”KTX”は、先頭車とその次の客車が電動車で、2両目、後から2両目も一部機械室です。全20両、客車は釜山寄りが18号車で最後です。そのため電動車は1等車に充てられませんでした。



Soktx12  丁度その時に入線したソウル発”KTX”です(写真)。足回りがよく分かります。中間の客車は全て連接車、単独の台車は機関車とそのすぐ後の動台車だけです。













Soktx13  1等車(2、3、4号車)の入り口です(写真)。1デッキ、これもプラグドアです。2等車は、確か緑です。車内は確かに狭く、しかも席が固定で、集団お見合い形に配置されています。しかもリクライニングがシート座面を前にせり出す方式で、日本で慣れた形式とは違います。これらはライセンスが切れた時点で改善する計画だそうです。













Soktx14  最初は中国の動車のように140キロ位で巡航し、まだまだ、と思っている内に東大邱を過ぎ、暫くするとやっとやって来ました、高速専用線が(写真)。左に在来線が分離します。ここから高速列車特有の、高速回転の”キーン”という音と、”ドッ、ドッ”という継ぎ目の振動の音がします。しかし大田でまた一時在来線に戻り、また元に戻ってしまいます。まあ日本では新幹線はゲージが違い全面別線を造らねばならなかったので、こういうことが出来なかったのですが。この地域に鉄道を標準軌で敷いたことが、唯一の救いですね。





Soktx15  ソウルが近くなり、通勤電車の基地が見えます(写真)。何百両あるのでしょう、壮観です。



Soktx16  こちらは営業中の通勤電車です(写真)。大阪市営地下鉄のイメージか。



Soktx17  そして新駅が出来たソウル駅ですが、日本統治時代の旧駅も建物が残されています(写真)。韓国人はどんな思いでこの駅を見ているのでしょうか。そして今日の滞在先に向かいました。



 次回は、帰宅への道程です。



 しかし、何と辛い国なのか。日本ならココイチのようなビビンパ(掲示には「ビビンパプ」と書いてあった)のフランチャイズチェーンで食事すると、コチジャンは甘いというのが分かりましたが、セットでついていたワカメスープまで温かいだけでピリピリで、発火寸前でした。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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