残念なお話ですが#2

Pf1111  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。



 写真は、平成18年早春、寝台急行”銀河”の運用に就くPF、EF65 1111号機です(写真)。東京の田端機関区に所属、ぞろ目のナンバー故に注目された同機ですが、残念なことに平成19年11月に廃車回送されたとのこと。当時から運用に就く姿があまり見られず、「調子が悪い」という噂は広まっていました。今回の廃車で、「やはりそうだったのか。」との感がします。



 もうこの勇姿は見られません。残念です。合掌。

思い出写真集(第1回)

Nitsutokiq1



 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。



 現在正月休み中で、過去の写真の整理を行っています。その中で、気になる写真があったので2枚ほど。



 まず1枚目は、三つ目君、DD51 745です(写真)。平成13年10月、”リバイバルとき”の共催イベントの際に、新津運転所の片隅に佇む姿です。まだまだこの頃はデジカメもおもちゃ同然のものしか普及しておらず(確かにニコンD1は存在したが、当時の値段は50~80万円だった)、中途半端な写真しか撮れず残念です。この後某誌で大きく”三つ目”が取り上げられ、大騒ぎしたカマでした。なお、同機はこの翌年廃車されました。



Nitsutokiq2  2枚目は、その翌日のSL”ばんえつ物語”号の助太刀をする、DE10 1701です(写真)。回送中の本務機です。もともとは展望電車”シルフィード”(現”NODOKA”)の非電化区間用牽引機で、そのための塗色を纏っています。現在同機は塗色もそのままにJR貨物に移籍し、東新潟機関区で運用に入っているといいます。



 また、発見がありましたら投稿します。それでは、皆様、良いお年を。

New Continental Wave#2

Ambq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは今日の”Tetsu”をお届けします。今回は先回の続きからです。



 その翌日ワシントンDCのホテルを出発した私は、メトロを使いユニオン駅へ。この日は前日乗車した”ACELA Express”を全線走破するためにです。



 前日の状況から大丈夫、とタカをくくって窓口へ行くと、窓口の女性が”Sold Out!”と言います。何処まで行ける、ニューヨークなら?と聞くと、それなら大丈夫と売ってくれました。US209$、昨日より少し高いのはホリデイ料金だからでしょう。売り切れなのは、指定ではないものの定員制だからのようです。



 ほぼ定刻で快調に飛ばしていましたが、ニュージャージー州ニューアークからニューヨークに渡る橋(則ちハドソン川)手前で暫く停止します。説明によると、信号待ちとのこと。10分近く待って、橋を越える時に謎が解けました。橋は2条の軌条がひかれていますが、通勤線と単線並列で、”ACELA Express”は上下とも片側しか使えないのです。つまり新岐阜(今の名鉄岐阜)と同じで、ここが最大のネックのようです。



 結果ペン・ステーションへは13分遅れでした。幸いここでは停車時間が15分取ってあり、遅延はかなり吸収出来ます。私は指定では無いことを理由に、車掌に「ボストンまで行きたい、精算を!」と言うと、座席の肩にボストンまで座る、という札を差しそのまま行ってしまいました。結果出発は約5分遅れでした。



 次の停車駅、スタンフォードから北は一面真っ白で、雪で寒いことが予想されました。しかし驚いたのは昼間に保線をしていたこと。休日は2時間に1回しか通らないため、可能なのでしょう。休日でも昼間は10分以下に1本通る新幹線では、保線は夜しか事実上出来ませんが。



 そして遅れをだんだん詰め、ボストン(サウス駅)終着時は1分遅れになってしまいました。見事。しかし日本的に考えるなら、「縮められる時間があるなら、その分つめて到着時間を短縮しよう!」というところですが。国民性です。



 距離的には東京~博多間位で、約7時間、時間的にもそんな感じですが、途中で主要都市ニューヨークを通っており、実際には名古屋から仙台まで東海道と東北両新幹線を通しで乗るような感じです。雰囲気もそんな感じですし。



Ambq2  ボストンで初めてカメラを出し、撮影です。右、9番線に停まる”ACELA Express”2030と、左、10番線は通勤電車1708(ダブルデッカー)です(写真)。



Ambq3  機関車の横の、”ACELA Express”ロゴです(写真)。鳥のように何処までも飛びたいのでしょう。



Ambq4  ”ACELA Express”ビジネスクラス車内です(写真)。大柄なアメリカ人用で、大型のバケットシートが4列並んでいます。シートピッチも非常に余裕があり、やはり持てる国の列車です。



Ambq5  カフェカー、”CAFE ACELA”です(写真)。1両まるまる供食スペースに割かれています。日本では、もうこんな余裕のある鉄道旅行は出来ません。従業員は一人で、食事時は大車輪です。



Ambq6  ファーストクラス車側面です(写真)。ビジネスで既にグリーン車並みなのに更にその上で、更に大きいバケットシートが2+1列で並んでおり、非常に豪華で余裕のある設計です。



Ambq7  そしてワシントンよりの機関車、2031です(写真)。主要な車輌は撮影し、全8両、まだまだ増結可能な雰囲気です。ここで一旦外に出ました。



Ambq8  ボストンの玄関口、ボストンサウス駅です(写真)。これも立派な建築物です。中はレッドソックスがワールドシリーズで優勝した時にも中継があった大ホールで、正に”House Of Rockin’”だったのでしょう。



 帰りの列車を待つ間に、白人のお姉様が寄ってきて、「すぐ帰るなんて、勿体ない、・・・」と言ってのど飴をくれたので、日本製のガムと名刺を渡しておきました。しかし文字が読めないようでした。



Ambq9  帰りの列車が、発車時間直前に”On Time”から”Delayed”に変わりました。発車番線を直前まで出さないので気にしていた矢先で、隣の親子はこの日の営業を終えた”ACELA Express”を指し、「これで帰ろう!」と言っていました。



 結局30分遅れて入線しました(写真)。やはり中線のない構造で、機関車がバックで客車を押します(写真)。先頭の緩急車は貫通路を開け、職員が見守っていますが、上野のような特殊弁は見あたらず、恐らくトランシーバーで機関車に指示しているのでしょう。



 そして検札、一般車(コーチクラス)は、ビジネスより下の扱いで、ニューヨークまで84$でした。シートは遜色はないのですが、やはりスピードが格段に落ちるので、当然か。



 正直言って始発から遅延30分はないぜ!とは思ったものの、この方がアメリカの鉄道としては自然なのだそうです。だから”ACELA Express”はほとんど遅延がない、と言うとむしろアメリカ人には驚きなのだそうです。遅延が日常の鉄道では車の方が良いと思ってしまいますが、遅延のほとんどない”ACELA Express”はいつもほぼ満席で、アメリカの旅客鉄道のあるべき姿を見せている、と言うべきではないでしょうか。



 そしてこの日はニューヨークに50分遅れで到着、地下鉄は不安でしたが、まだ夜が浅く危険はありませんでした。そしてホテルに到着しました。



Ambq10  翌日は、ニューヨーク観光を。自由の女神(リバティ島にある)に行こうとサウスフェリー駅に行き、駅の出口の建物はフェリーターミナルだ、丁度良い、と思って30分おきのフェリーに乗ります。すると何とリバティ島を横目に通り過ぎ、何とステーテン島まで行ってしまいます(写真)。単純に乗り場を間違えた、ということです。しかしこのフェリーは無料で、自由の女神の遠景を撮るにはもってこいです。貧しいニューヨーク旅行を考えるなら、如何でしょうか。結局そのまま折り返し、自由の女神は遠くから拝むだけにしました。



Ambq11  そして地下鉄を乗り継ぎ、”World Trede Center”へ、そしてその地下のワールド・トレード・センター駅に停まるニューヨーク地下鉄(写真)。大阪式の転落防止幌もあります。実は貫通幌も鎖だけで、少し不安です。しかも隻眼、あまり好きにはなれません。しかもどの車輌も窓に落書きが多く、非常に汚いイメージを持ちました。やはり真実なのでしょう。



Ambq12  更に乗り継ぎ、歩き、”Grand Central Station”に着きました(写真)。正面中央に橋があり、駅2階の車のロータリーに直接アクセス出来るようです。しかし現在この駅には、中、短距離の列車しか入線しないらしく、AMTRAKも入らないことから、少し残念です。



Ambq13  そしてニューヨーク名物の高層建築の展望台に幾つか登り、一部にはオープン展望台もありました。そこからダウンタウン方面を望みます(写真)。やはり、建築物が2つ足りません。



 ”Ground Zero”は現在再開発中で、メモリアル施設も出来、表面上は平静でいるようです。しかし「何でもないんだ、何でもないんだ!」と強がるほど、哀れさを誘うと思うのですが、どうでしょうか。あの日を境に、世界は変わってしまったのですから。



 少ししんみりしてしまいましたが、今回は今年最後の取材の予定です。”Tetsu”も新年に続いて、30,000アクセス、投稿400回と記念が目白押しです。気分でもう1回してしまうかもしれませんが、本年も皆様ありがとうございました。今後もご期待ください。

New Continental Wave#1

Adcq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、合衆国へ来ています。



Adcq2  日本時間昨晩、現地時間今朝JFKに上陸し、入国しました。JFKは8つもターミナルがある巨大空港で、ターミナル間相互、及び乗り継ぎ駅までは写真の”Air Train”で移動します(写真)。無人の鉄輪式乗り物で、私の乗った車両は2連でした。



Adcq3  乗り継ぎ駅(今回は”Jamaica Station”)では、チケットを買わないと改札を通れません。自販機は日本語対応です。チケットを自動改札に通し抜けると、ニューヨーク地下鉄(E、Z、J線)及びLong Island Rail Roadに乗れます。私はこの後があり、LIRRにしました。Penn Station行き急行が入線します(写真)。



 残念ながら”Air Train”のチケットでは、LIRRには乗れません。US10$で精算してもらいました。



Adcq4  終点で下車します。そして地下駅から地上に出ると、そこは”マジソン・スクウェア・ガーデン”なのでした!(写真)



Adcq5  AMTRAKのPennsylvania Station(略してペン・ステーション)は、”マジソン・スクウェア・ガーデン”の地下の片隅に、小さく入口があります(写真)。



 今回最大の目的である、”ACELA Express”までのはやる気持ちを抑えて、自動券売機へ。しかしICクレジットカードしか受け付けないらしく、仕方なく反対の窓口に行きます。



 窓口は、最初一般の行列に並んでいましたが、”ACELA Express Only”と書かれた列がを発見し並び直すと、早く行けました。やはり首都圏の看板列車、売り込みたいのでしょう。



 そして苦労して発見した乗り場で、”ACELA Express”と対面します。時間に余裕があり、しかも地下2階でなければ迷うことなく撮影しましたが、残念ながら出来ませんでした。



 車掌に「何処座るの?」と聞くと、回答は「自分で探せ」でした。実は、全席自由なんです!つまりAMTRAKは特急券しか売っていないのです。乗車券は飛行機の搭乗券とほぼ同じで、署名が必要なため、実名が出るので写真はボツになりました。



 やっとの思いで少し暗い車両に座り、隣のフィリピン人留学生と話していると、”This is ”quiet”car.Keep silent!”と叱られます。日本でいうサイレンスカーでした。



Adcq6  そして終点ワシントン・ユニオン駅に到着(写真)。ヨーロッパ系の高速機関車プッシュプル、プラス中間客車という形です。イメージもTGVやKTXと同じ系列の顔つきです。プレートにはアルストム(フランス)の名も見えます。中間客車は、ワシントン側から機関車、ファーストクラス+車販準備室、サイレンスカー、ビジネスクラス(普通車)、カフェカー、ビジネス2両の前にボストン方機関車が連結されています。



 車内販売はファーストとサイレンスカーのみ、食事は無く、ビールでは腹が満たないので、カフェカーへ。しかし正直言ってカフェカーの食事(バーガー、サンドイッチ等)も、車内販売の食品も、味付けが塩胡椒だけで、日本人には苦痛です。やはり”食在広州”ですよ。



 最後に今日の”ACELA Express”は、出発から終着までトーマス・クックで全駅確認しましたが、あの何をやらせても大味なアメリカ人が1分と遅れなかったのは、国民性を乗り越え賞賛すべき行為だと思います。



 なお、”ACELA Express Only”の窓口は、同列車の主要停車駅にはあるようなので、ご注意を。



Adcq7  ”ACELA Express”は1編成ではありません。AMTRAKの”ACELA Express”専用軌道はボストン~ニューヨーク~ワシントン間です。平日はボストン~ニューヨークで9往復、ニューヨーク~ワシントン間は15往復で、まだ新幹線ほどではありませんが、ニューヨーク以南は1時間ヘッドになっています。「何れ日本のメガロポリスのように!」と願っているでしょう。待機の編成も多数です(写真)。



Adcq8  ワシントンのAMTRAKのユニオン駅は、旧駅より少し手前にホーム駅舎を造り、旧駅は再開発されショッピングモールになっています。外観は、巨大建造物の多いワシントンならではの駅舎です(写真)。しかし正面を工事中で、いい写真にならず残念。



Adcq9  ワシントンもメトロがあります(写真)。巨大なドームの中にチューブが走りますが、車両は少しくたびれており、To、Moも多く、勿体ない気がします。そんな感じで今日の取材を終えました。



 明日は、今日の続きですが、日付の前後はご容赦を。それでは。

残念なお話ですが

Meidekiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は名鉄のデキの特集です。



 今月号の鉄道雑誌をめくると、この度名鉄のデキ370形が形式消滅した旨記載されています。うちデキ378は、舞木検車場の入換機として働いていましたが、今年の舞木検車場のイベントに参加出来なかった(児童同伴が条件だった)ため、記録が無く、そうすると残るは瀬戸線のデキ376とデキ379だけとなります。今回は懐かしの映像をお届けします。



Meidekiq2  平成17年早春、喜多山検車区の片隅に停まるデキ376(写真)。この頃はまだ尾張旭検車区の影も形もなく、保守要員には苦難の日々だったでしょうが、古い施設が残り、鉄道ファンには良い時代でした。毎年3月末には試験も兼ねてか、必ずデキ376が単機で瀬戸線を運転する姿が見られたものでした。



Meidekiq3  平成18年春、瀬戸線を集中取材した時に撮影したデキ379(写真)。先ほどのデキ376と同じ場所です。更新色の青に塗り替えられており、まだまだ大丈夫、と安心したのが失敗でした。



Meidekiq4  同日デキ376は、ワム5212を従え、喜多山検車区の工場内にいました(写真)。庫の中のワム、かすかに番号が判るでしょうか。



 残念ながらデキ376、デキ379、および無動力の有蓋車ワム5212(救援車代用)、ホッパ車ホキ87(バラスト運搬用)は廃車となり、解体されてしまいました。現在救援車はトラックで用が済み、バラスト運搬もモーターカーで十分出来るので、これら貨車も用途が無くなってしまったのでしょう。結果牽引の機関車も不要となり、尾張旭検車区も完成したので、廃車してしまったのでしょう。合掌。



Meidekiq5  そうすると次に危なくなってくるのは、本線のデキ400形、という所でしょう。これも平成17年早春、矢作橋(矢作川に架かる東海道の大橋。東岡崎から2駅名古屋寄りで、一部の急行も停車する)の構内に停まるデキ401(写真)。後2両はバラストを積んだホッパ車、ホキです。



Meidekiq6  ホッパ車の後(名古屋寄り)は同型デキ402が、プッシュプルできるように停まっています(写真)。この頃はまだイタズラも少なかったのか、撮影の支障となるものが何もありません。現在ホームのこの部分には金網フェンスが立ち、この写真を撮影することは不可能です。駅を出て、バラスト積み込み側から写すしかありません。存命のうちに、お早めに。



 東武を最後に、大手私鉄は貨物営業を廃止してしまいました。そのため貨物営業のため整備されたこれら電気機関車は本来の用途を失い、バラスト運搬などを行うこととなりました。先に述べましたが、これらの行為は現在モーターカーなどで用が足り、機関車の整備は営業もしない車輌の整備でもあり、正直無駄に感じるのでしょう。せめて何処かで静態でいいから保存されれば良かったのですが、今時そんなことをする場所もないのでしょう。結果解体、という悲しい運命が待ちかまえているのです。残存する機関車たちが、一日も長く生きられるよう、心から願うのみです。



 次回は海外編第4弾です。どこからかは、お楽しみに。

こちらは80周年です

Chiyow1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今週は、東京メトロの地下鉄80周年記念イベントに参加しました。



 昨晩自宅を発ち、早朝に東京着。西日暮里で降りるはずが、寝過ごし田端まで行ってしまいました。更に悪いことに、田端機関区か、国鉄色EF64重連を見てしまい、撮影しようとカメラを構えると京浜東北が入り、出たあとに再び見ると行ってしまいました。向こうも仕事なので、仕方ありません。



 気を取り直し西日暮里へ戻り、モバイルスイカで千代田線に。そして綾瀬からは北綾瀬行きに乗り換えです(写真)。今日は60番編成、6000-1始め3連が運用に入っていました。元は6001、6002、6003と名乗った6000系一次試作車(日本初のチョッパ制御車、現在は抵抗制御に交換)で、6000系量産車が登場後改番、現在の綾瀬~北綾瀬間に使用されることになりました。昭和40年代の車輌、30年以上経っても、斬新なデザインですね。



 そして北綾瀬から徒歩で東京メトロ綾瀬車両基地へ。行列も早い方に入り、安心していると、周りは皆自己宛の葉書を持っています。え、やだ!事前予約って、パンフレットに書いてあるじゃない!真っ青になりました。結局、救済措置で入場が認められました。やはりそれがないと、「そんな話、聞いてない!」とかトラブルになってしまうのでしょう。まあイベントの際は、必ずホームページで確認するよう注意しましょう。



Chiyow2  入口で行列が出来ています。旧日比谷線3000系、北綾瀬支線用5000系3連による洗車体験の乗車整理券を配っていました。



 その北側では6123のリフティングの準備が出来ています(写真)。



Chiyow3  工場の北側は、写真撮影会です。左から、10110始め10連(10000系(副都心線))、9802始め6連(南北線)、06-101始め10連(1編成しかない06系(千代田線))、6101始め10連(6000系二次試作車編成、量産化改造を施された)です(写真)。じつはここにある電車は、全てVVVF制御なのです。6000系はチョッパ制御、と言いそうですが、現在6000系も制御装置の交換が進み、大半がVVVF制御になりました。JRはチョッパ車を廃車し(201系)、東京メトロは改造をします。確かにJR201系は、東中野を思い出す忌まわしい系列でもありますが。



Chiyow4  6101の隣は、量産車6103始め10連です(写真)。どうも「地下鉄80年」ステッカーが貼ってあることから、キャンペーン車輌と思われます。



Chiyow5  試乗会は、第二の故郷長野電鉄で引退し、東京へ帰ってきた元日比谷線3000系3001(手前)と3002(奥)です(写真)。当然3001は3000系初号です。反対向きになった3002にもパンタグラフが付いていますが、上がっていません。このシーンは、シャッターチャンスを狙うカメラファンで大賑わいです。



Chiyow6_2  1時間後、同じ線を千代田線62番編成、5152始め3連(奥から、5152、5458、5952(一番手前))が洗車体験用に入線します(写真)。見ての通りかつての東西線と同じ5000系、しかしアルミ無塗装で3連です。61番編成も同様にアルミ3連の5000系で、6000系試作車と同じく北綾瀬支線の運用に入っています。昨年のイベントで東西線から引退した5000系、最後の6両の片割れで、6000系の外板の耐候性の試作も兼ねていました。私も千代田線=6000系と思っており、緑帯の5000系は、あまりイメージがありませんでした。





Chiyow7  その後、試乗も考えましたが、結局撮影を終え次へ。少し遠いですが、東京メトロ東西線葛西の地下鉄博物館へ行きました(写真)。理由は、現在ここで地下鉄80年特別企画展を行っているからです。入場料大人210円、子供100円で、磁気券を自動改札に通し入場します。



Chiyow8  先ずはありがちに丸ノ内線1号車、300系301です(写真)。戦中に設立された営団が、戦後自社で初めて建設した丸ノ内線のため新造した、自社初の車輌だそうです。確か丸ノ内線は、途中から飾り帯が金属から黒ペンキに変わったような記憶があるのですが、この車輌はそういうことはありませんでした。因みに丸ノ内線小石川車輌基地は、我が母校のグラウンドになる筈が、金額面の折り合いか、電車車庫になりました。



Chiyow9  次は日本の地下鉄第1号、東京地下鉄道株式会社(戦前、地下鉄銀座線の浅草~新橋間を建設した会社)1000系1001です(写真)。どちらも両運転台で、当初は1両編成で営業したのでしょう。



Chiyow10  東京高速鉄道株式会社(同じく銀座線新橋~渋谷間を建設した会社)、100系129です(写真)。こちらはハーフカットになっています。



Chiyow11  丁度ジオラマの運転時間であったことから、行ってみます。HOゲージの鉄道模型した。模型で「地下鉄」をどう表現するかは難しいですが、良く出来たセットだと思います(写真)。



Chiyow12  運転は出庫、運転全てコンピューターによる全自動で、制御盤で制御出来るCTCにもなっています(写真)。凄いですねえ!



 ここまできて80周年記念の特別展の写真はありませんが、かつて東京の地下を走った車輌たちのOゲージ、あるいはそれより大きい模型が飾られ、「こんなのも、あったよなあ!」という感じがします。そして外に出ました。



Chiyow13  葛西駅ターミナル横には、こんな階段が付いています(写真)。いわゆる”トマソン”というやつで、設計者にも遊び心があります。



 そして東西線に乗ると、電車はE231系800番台(JRの車輌)でした。撮りたい衝動にかられましたが、残念ながら断念しました(東京メトロは全駅撮影禁止になっているそうです(フラッシュを焚くと運転の支障になるから))。みなさん、コンパクトカメラのフラッシュでは写らないし、プロ用大型フラッシュは運転手さんの運転の支障になるので、フラッシュはなるべく避けましょう。



 そして帰途に就きました。



Chiyow14  おまけ。東海道、山陽新幹線で、N700系(JR東海はZ編成、JR西日本はN編成)が充足する来年3月のダイヤ改正で、恐らく東海道区間では見られなくなるだろう、と言われている500系、写真はW2編成522-2です(写真)。正面が一番ですが、撮ろうと思った時には既に日没で、こんな写真になってしまいました。



 明日はありません。次回をお楽しみに。

故きを温ねて#5

Ogoto1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今日は後半戦です。



 今朝ホテルを出た私は、何処へ行こうか思案したあげく、先ず富山の地鉄稲荷町に行きました。先回訪問時はイマイチだったデキ12021を、今回は捉えました(写真)。昭和33年東芝製です。



Ogoto2  昨年春の訪問時には、その南側には真っ黒なデキ14731が鎮座していました(写真)。



Ogoto3  しかし最新の私鉄編成表(’07年版)によると、同機は車籍を失いました。今日その場所にいたのは、今ではこれも車籍があるんです、DL13です(写真)。単なる除雪モーターカーでは車籍はなく、機械扱いなのですが、非降雪時は入換にも従事するということでしょう。



 因みにJR最小の車籍保持車輌は、JR北海道のDBR600(かなりモーターカーに近い除雪機関車)です。



Ogoto4  地鉄16010系(元西武レッドアロー)、Tc車と電動装備を交換した元M車のT車、112がその南側です(写真)。その東方はTcのみの存在となった14720系の174、14760系(番号不詳)、173が写っています。万、千の2桁はモーター出力を表す地鉄式表記、番号が3桁の車輌の意味、分かりますか?



Ogoto5  停泊する14760系14762始め2連の横を、不二越・上滝線列車10040始め2連が発車し、その瞬間を捉えます(写真)。結果的にこの列車を追うこととなりました。



Ogoto6  昨春の訪問時、南富山の軌道線車庫の一番奥に押し込められたデ3534(写真)。この写真を撮るべく次は南富山に向かいました。



Ogoto7  残念ながら現在はデ3534はそこには無く、同じ位置にはデ3533のみが残っています(写真)。昨年もデ3534の隣に留置されていたデ3533も、デ3534同様2軸単車で、自重9.0トンと表記されていました。検車は平成17年12月まで有効だったようです。これらの車輌は、今は亡き地鉄笹津線にも使用されていました。



Ogoto8  南富山車庫の様子です(写真)。営業中の車輌も含めオールスターキャストです。デ3533は左端の屋外、一番後です。笹津線はこの右手の道路を走っていたようです。



Ogoto9  資料映像ですが、終点の笹津は高山本線に接続しており、現在は10センチほどの水路に渡した線路の橋台程度しか残っていません。写真の消防倉庫の後の辺りが笹津線の通った場所で、空間のみ残っています。



 これは私の意見ではなく、雑誌の受け売りですが、富山市の市街地が拡大した現在、もし地鉄笹津線が残っていたなら、という意見もありました。残念です。



Ogoto10  次は石川県の尾小屋鉄道です。県立小松児童会館内(JR粟津駅が最寄り)に、同鉄道の一部が保存されています。写真は案内看板と、放置される内燃機関です(写真)。



 尾小屋鉄道は、新小松と尾小屋を結ぶ762ミリの軽便鉄道でした。昭和52年に廃止と書かれています。



Ogoto11  その隣には保存車輌の車庫がありました(写真)。このシャッターを開けると、車輌が出てくるようです。



Ogoto12  しかし今日は営業していないようだったので、線路に沿って数百メートル歩き、園地の隅に終点を発見しました(写真)。他氷見線で使用されていた腕木式信号機、自動遮断式踏切もありました。



 掲示によると同鉄道は、毎週水曜は11時半に、土曜、第三を除く日曜、及び祝日は15時半にも、晴れていれば無料で運転をするそうです。今日は日曜でしたが、時間を少し過ぎ、しかも雨も降っており、運転している様子は全くありませんでした。しかし、先日他鉄道からのリンクから見ても、尾小屋鉄道のホームページは閉鎖されており、心配です。



 もう少し頑張りたい気はしましたが、この所の連続遠征で少し疲れており、今日はここで断念し、帰宅しました。



 本当にオデッセイと言ってもいいほどの遠征でした。読者の皆様も、お疲れ様でした。

故きを温ねて#4

Muraq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”第1回目をお届けします。今回は、またしても電車に乗らずに取材をしています。



 昨晩自宅を発った私は、八王子へ、そして圏央道で北上、関越から上信越道に入り富岡で高速を降ります。そして上信電鉄上州富岡に到着しました。写真は上州富岡名物、デキトイレです(写真)。



Muraq2  そして先日雑誌に載っていた、デキトイレのモチーフである、デキ1形デキ2です(写真)。大正13年シーメンス-シュケルト製(ドイツ)、平成7年まで検車を行っていたようです。同時に製造されたデキ1と3は現役であり、戦前ドイツの技術を継承する数少ない遺産です(同じドイツでスーツケースで有名な”リモワ”は、第二次大戦で、アルミ地金以外の全てを失ったのですから)。



 なお、同車は、”もみじ平総合公園”西側の野球場前にあります。



Muraq3  上信電鉄で上州に来れば、当然次は信州です。横川の碓氷鉄道文化村にも行きたいのですが、今回は時間の都合で断念。前を通り、国道18号旧道に入ります。



 本当は、ここで碓氷線電化時に設置された、煉瓦造りの旧丸山変電所の取材をすべきなのですが、これも省略します。そういえば、同変電所前に展示されたEF63の重連と189系特急編成は、悪戯による破壊が酷く、EF63に至っては貫通扉を喪失し板で封じるほどで、横川の駅に戻ってきた時には非常に痛々しい姿を晒していました。本当に、何故そんなことをするのでしょう。



 中山道以来の伝統のある碓氷峠の力餅は、かつて旧線時代の行き違い駅、熊ノ平駅で販売されていましたが、現在熊ノ平は信号場で乗降する鉄道旅客は無く、国道も周りに人家は無く、碓氷バイパスも出来、通る車も減ってしまうことから、山を下りてきました。早朝でしたが、幟を立てていたので店に入ると、営業中でした。力餅はお土産用とプラスチックパックの餅を買い、パックの力餅にはウグイス粉もありました。味は、私より皆さんの方が解るでしょう。



 更に登ると、煉瓦の眼鏡橋が見えてきます(写真)。信越本線の旧線(昭和38年以前のアプト式の時代の線路)です。そのアーチの中に、コンクリートの橋梁が見えるでしょうか。手前が昭和38年に完成した粘着新線(その後の信越本線下り(山は登る))、奥がその後複線とすべく完成した信越本線上り(山は下る)です。上り線は軽井沢から熊ノ平信号所まで、ずっと66.7パーミルで一定に下り続けている、というのは余りにも有名です。



 これらの線路跡は遊歩道として整備されている区間もあり、今日もリュックを背負った山岳派鉄が旧線の跡を歩いていました。ハイキングには少し厳しい(勾配はともかく、距離もある)ですが、そういうことが好きならば、出来ることでしょう。



Muraq4  熊ノ平を過ぎ、少しすると新線が目の前に現れます(写真)。線路、架線、信号用ケーブル、他全て営業当時そのままで、今でも営業している、いや今すぐに列車が来る、そんな錯覚に陥ります。仮定法です。



 正直言って碓氷峠越え(横軽)の技術は、日本が世界に誇るべき鉄道技術の一つの頂点であると思います。それでも、復活は嫌でしょうか。確かに費用は非常にかかります。しかし、ここが経済ベースでは不採算だから廃止しよう、と言っただけで、その総理大臣は鉄道界では悪者になっているのです。金沢の489を使って、「財団法人 碓氷峠登山鉄道」というのは如何でしょうか。理事長は、悪者になった元首相で決まりです。地元でしょ!



Muraq5  横軽を横川から登れば、当然軽井沢に出ます。昭和30年代まで、軽井沢から草津温泉まで「草軽電気鉄道」という鉄道が走っていました。写真は同鉄道の電化後の主力、デキ12形デキ13です(写真)。正直言って鉱山の坑道の輸送用の電気機関車ですが、当時はそれでも大活躍でした。台風さえなければ、今頃はどうなっていたでしょうか。



Muraq6  デキ13の前、現在のJRとしなの鉄道の軽井沢駅の西側に、昔の軽井沢駅を模した、「(旧)軽井沢駅舎記念館」という資料館があります(写真)。入館料、大人200円で、中に入ります。



 2階は、貴賓室の再現で、昔は普通の人が座れなかった立派なソファーがあります。



 降りて1階は、当時の資料等、多数展示されていました。



Muraq7  しかし鉄の目的はやはり列車。信越本線当時の1番線に資料が展示されています。



 モーターカーの西は、EF63 2です(写真)。しなの鉄道ホームからでも撮影は可能ですが、金網の手前で写せる、というメリットがあります。それを思えば200円は高くない!



Muraq8  こちらも既報通り、日本初の輸入電機(日本初の電機でもある)、10000形10000、(後のEC40)です(写真)。某民鉄(地鉄?)に譲渡した関係で、奇跡的に残っていた、という代物です。機関車としての性能は全然で、その民鉄でも車庫の肥やしだったようです。やはりアプト用で、特殊すぎるのか。



Muraq9  そして軽井沢を発ち、御代田へ。駅との東西関係を間違え大捜索した、D51 787です(写真)。信越線碓氷線粘着化に伴う一連の近代化作業で、スイッチバックだった御代田の駅が電化でスルーとなり、旧線上に保存されたといいます。しかし同機の最後は木曽福島機関区とされ(昭和40年代も現役だった)、詳細は不明です。長野方が登りなのは明らかで、冷静に考えれば、位置関係は説明するまでもなく理解できるでしょう。



Muraq10  そして丸子へ。上田丸子電鉄の凸形電機(ED251)を探しに、予定の場所をカーナビでセットしたところ、その場所にはなく、そこの館員の説明で来てしまった長野計器工場前。モハ5253(上田交通丸窓電車の3両目)が展示されています(写真)。これは素晴らしい。まあ、電気機関車は次回です。上州をショートカットすれば一日で収まりますよ。しかし、旧丸子町の工業百年記念公園とは、何処のことか。情報お待ちしています。



Muraq11  そしてやはり来ました中之郷。ステンレスの東急青ガエル、5252がいつも通り倉庫代わりに残っています(写真)。しかし行き先は、別所温泉に変わっているのがわかりますか?(かつては「急行 桜木町」だった)



Muraq12  そして別所温泉へ。普段は主役にならない、モハ5251です(写真)。上田交通の丸窓電車は、3両とも保存され、幸せですねえ!製造した当時の日本車輌の工員さんも喜んでいるでしょう。



Muraq13  そして戸倉へ行きましたが、駐車に手間取り、パスしました。戸倉は、電車で行って、ついでにタクシーで温泉に行くのがいいようです。



 更に一駅、屋代へ。駐車し、入場券を買い、長電のホームへ(写真)。3000系3525、後は3535です。屋代線は時間1本以下で、巡り会うのは一苦労なのですが、たまたま運良く逢えました。



Muraq14  その東側は、ナガテックの車両工場です(写真)。長野電鉄の子会社で、長電のみならず、しなの鉄道の電車も検車します。工場内には、しなの鉄道のクハ115 1019始め3連(S11編成)が入っていました。工場の横には、保線機械が2台入っています。



 かつては信越線用キハ57形(キハ58系横軽仕様)や165系、169系の時代、上野発の急行の付属編成が屋代から長電の湯田中に入っている時代がありましたが、現在は配線が長野側からしか長電に入れない構造になっています。ここに元小田急のHiSE(10000系)、現長電1000系が入線するときは、同系が姨捨を通れなかった(姨捨の車両限界が小さかった)関係から、製造、改造した豊川の日車の工場から東京、長岡、直江津を経由し、2編成8両を車庫線を利用しながら何度も出し入れし上手く長電に入線させた、という記録のビデオも販売されています。



Muraq15  そして長電の須坂(長電の車庫)、小布施(ながでん電車ひろば)、信州中野(旧木島線廃線跡)を訪問したかったのですが、日没時間切れは間もなくでした。そこで、それら電車で行ける所はパスし、車でなければ行けないところ、と思うと、やはり架け替え間近の村山橋、となります。鉄道では長電の朝陽駅(読めますか?新聞ですよ)が最寄りですが、周辺には歩道はありません。



 昔、スキーバスの帰り道、妙に道路の幅の狭い橋だなあ、と思うとその橋の向こう側を電車が通り、すごい橋だなあ、と思いました。ただそんなに古くない、昭和30年代の橋だろうと思っていると、どうも架けたのは戦前のようです。幅が狭く、当然老朽化し、現在架け替えが半分終わっています(橋脚基礎と、西行きの2車線の新トラス橋が完成した)。あとは東行きと長電の分ですが、現在は付帯工事が中心のようです。



 そして橋の袂で交通の支障にならないように車を停め、待っていると、やって来ました、長電3000系が(写真)。ナンバーはシャッタースピードが遅く、不明です。



 そして日没を迎え、撮影終了(これ以上フラッシュを焚いても効果はないし、ただ単に運転手さんの邪魔でしかない)。今日の滞在先に向かいました。道路は、今日は凍っていませんでした。



 長い一日でした。明日は、今日の続きです。

瀬戸電外伝

Setoko1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、瀬戸電関連施設を取材しました。



 昨日は出勤で今週の取材は難しいなあ、と思っていたところ、丁度今日は非番となり、早速愛車に乗り、計画を実行しました。



Setoko2  最初は瀬戸市上松山町、上本町、小田妻町にまたがる「瀬戸市民公園」内、交通児童遊園の一角にある元瀬戸電の旧車群です。駐車場からは、かつてゴーカートが走ったであろうサーキット(現在は自転車のみ)しか見えず、今回は空振りか、と思って歩いていくと、東側斜面の下に、やはりありました、デキ202です(写真)。昭和2年5月日本車輌製造で落成、生涯を瀬戸電で過ごし、昭和53年3月の600Vから1,500Vへの昇圧(栄町乗り入れに伴う一連の近代化作業)の際に引退、ここに保存された、とのことです。



 なお、前の写真からも判るように、機関車の南側は野外コンサートが出来るようステージと観客席が設けられていますが、残念ながら最近はあまり使用されていないようです。



Setoko3  その東側にはモ766が(写真)。昭和2年6月に日本車輌製造でホ108として落成、その後昭和14年にモ566と改番、昭和37年にモ766と改番し揖斐線に転属、昭和53年8月に廃車となり、瀬戸電近代化との時期的一致から、運良く瀬戸市で保存されることとなりました。保存状態はイマイチですが、あまりにイタズラが酷いらしく、どちらも金網で囲いドアには鍵がかかっています。イタズラをなくす方法はないでしょうか。



 なお、同公園へは名鉄瀬戸線、愛知環状鉄道新瀬戸駅から北へ1.5キロ程で、バスもあるようです。



Setoko4_2  次は尾張瀬戸駅から徒歩数分の施設、「瀬戸蔵」です。同施設内にミュージアムが併設されています。入場料500円を払い中に入ると、尾張瀬戸の駅から市内に入るという設定になっており、入口で瀬戸電のモ754が出迎えます(写真)。フルに入っているように見えますが、実は中間ドアの後で切断され、その後はありません。しかし鏡を利用し、1両丸々入っているように見せる展示は、設計が秀逸だと思います。



Setoko5  外側は旧尾張瀬戸駅のレプリカが造られており、かつての焼き物を焼く煙突の煙と、粘土で白濁した川の流れた瀬戸市を彷彿とさせます(写真)。



Setoko6  内側も旧尾張瀬戸駅を復元したものと思われます(写真)。しかし、当時を知らないので、コメントは出来ません。



 そして来た道を戻りました。



Setoko7  平成17年早春の訪問時、名鉄瀬戸線喜多山駅西側の側線には、整備中の電車が多数留置されていました(写真はモ6751)。



Setoko8  しかし今年6月に尾張旭検車区が完成、喜多山検車区は役目を終え、留置される電車はありません(写真)。



Setoko9  同時期のホームから中を眺めた写真です(写真)。デキ376ほか各種車輌が整備されていました。



Setoko10  悲しいがこちらの工場も閉鎖、明かりはありません(写真)。



 確かに喜多山検車区の設備は、1,2両編成の時代のもので、4両の時代には正直言って手狭であった、というのは否めない所です。



Setoko11  ましてかつての喜多山検車区の人車入口は閉鎖され、表札も消されています(写真)。用地買収が終わり次第高架化ということでしょう。そうすれば、お堀電車の面影は完全に消え去ることになります。記録は、お早めに。



 こんな感じで今回の取材を終えました。



Setoko12  おまけ。千種のJRの教育施設にある、C57 139(写真)。同機は昭和15年三菱神戸造船所で落成、同21年に名古屋機関区に転属、何度もお召し列車を牽き、昭和44年9月の関西線SL最終記念列車も牽き引退、同所に保存されました。



Setoko13  その隣には、ケ90なるタンク式SLが(写真)。大正7年大日本軌道製造で落成、丹那トンネル工事で使用された後、昭和10年廃車、機関車の教材として同教育施設で使用されたものの、老朽化し、昭和38年稲沢第二機関区(恐らく現在のJR貨物愛知機関区)の助けを借りながら、カットモデルにした、とのことです。同所への訪問には、JRなら千種駅、地下鉄なら今池駅が至近です。しかしここもイタズラが酷いらしく、現在は園内への立ち入りは禁止され、金網も非常に高いです。脚立を用意された方がいいでしょう。



 なお、同教育施設は、現在移転先の造成を行っている(山の中です)ことから、移転時これらの資料も一緒に移転するかは不明です。今のうちの記録をお薦めします。



 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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