春日井市の話題を訪ねて

Jinryop1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”2回目をお届けします。今回は、愛知県春日井市の話題をお届けします。



 同市を通る中央西線春日井駅の次に、神領駅があります。そこには、神領車輌区(かつての神領電車区)があります。主に中央西線の車輌を受け持っています。同車両区一番の注目は、JR東海で現存する唯一の381系、P2編成です。同編成は、以前も書きましたが、運用の無い日は神領車輌区入出庫線の傍に留置され、皆さんの撮影を待っているのでした。今日は、それを取材しました。



 神領駅から約1.5キロ、春日井変電所傍に生目橋という橋があり、その先に踏切があります。その踏切は中央線と、そこから分岐した神領車輌区の入出庫線を渡っています。先ずは踏切内で、安全を確認して1枚(写真)。真正面で、イマイチです。なお、ここは頻繁に列車も車も通るので、くれぐれも安全には注意して下さい。



Jinryop2  踏切の端に移動して一枚(写真)。少し横も見え、支障もありませんが、写真としてはイマイチです。



Jinryop3  道に沿って移動し、橋を渡り、100メートル位南東方に移動。すると、春日井変電所の上に、P2編成が全体を見せます(写真)。電柱はありますが、如何でしょうか。今日のベストショットです。



Jinryop4  昨日の帰り道、電車の窓から、あ!という光景が。それは、かつて某誌を賑わせた、「電車トイレ」でした。早速今日撮影に行きました(写真)。形式は不明ですが、電車形になっています。



Jinryop5  反対から写す(写真)。手洗い方向からは、こんな感じです。



 実は、今日の取材のメインは、このトイレでした。高蔵寺駅から約2キロ弱、歩くのは大変かもしれません。



 それでは、また次回をお楽しみに。

天竜の流れを遡り

Idap1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、「青春18きっぷ」を利用し、飯田線の取材を行いました。



Idap2  飯田線は、下りは豊橋から始まります。今朝も先ず豊橋に行きました(写真)。左は豊川行き1+2両(1両は海カキ(大垣車輌区)M5編成(クモハ119 5105))、右は天竜峡行き2両編成(海カキE6編成)です。天竜峡行きは、私が乗車すると、発車しました。



Idap3  山間を抜け、うとうとするうちに終点天竜峡に到着(写真)。同編成は、引上線に引き上げます。



Idap4  そして、乗り換えは20分後の飯田行きか、1時間以上後の茅野直通列車の選択が出来ましたが、飯田の方が昼食に都合がいいと踏んで、飯田行きに乗車します(写真)。海カキR3編成(天竜峡以北のワンマン運転対応車)です。



Idap5  時又で5分待ちになります。行き違いは何が来るか?と思ったら、373系特急”伊那路2号”でした(写真)。静シスF9編成です。



 今朝の”ムーンライトながら”の名古屋切り落とし編成がホームライナー豊橋行きになり、そのまま豊橋で特急”伊那路1号”飯田行き、折り返しこの列車”伊那路2号”になり、ホームライナー大垣行きで大垣に着きます。残り6両から大垣で分割されホームライナー、”伊那路3号”返しで”伊那路4号”、ホームライナー大垣行きで帰る3両を待って組成され、今夜の”ムーンライトながら”になります。翌未明に東京から普通で折り返し、やっと静岡に帰庫します。出庫から3日後の出来事です。



Idap6  伊那八幡には行き違い列車が待っています。一番恐ろしいこと、それは119系の独壇場と思われた飯田線にも、JR東海の「一般型汎用電車」313系が入線していることです(写真)。運用の都合上でしょうか、何故か313系だけは海シン(神領車輌区)B152編成でした。



 もともと飯田線は、戦前に4つの私鉄を合併して出来た路線で、当時東海道線が東京~沼津間しか電化されていない時代に全線電化されており、電車が主力の路線でした(その代わりレールは軽い軌条です)。戦後、関西の流電クモハ52等、旧式電車の宝庫となり、要注目の路線でしたが、旧式であることは則ち保守性に難をきたす車輌が多く、結果それらを置き換えるため、119系が計画されました(その結果廃車された車輌の多くは保存する価値があり、それらを集めたのが「佐久間レールパーク」なのです)。



 119系は、103系の中距離版(すなわち、105系のクロスシート版)とでも言うべき車輌で、飯田線が低速路線であることからモーターも当時の主力MT54(120kw)ではなく、103系と同じMT55系(110kw)であり、国鉄改革の嵐の中、クハ118の台車は101系の動台車を流用したり、ほか発生品、余剰品を利用したりと、苦しい時代の設計の車輌です。愛知環状鉄道の100形、200形、300形も同様の設計の車輌です(100形はそのまま、200形と300形はニコイチで、えちぜん鉄道3101形になりました)。57両落成し、飯田線の殆どの列車の運用に就いていましたが、確かに一部に115系が入る時代もありました。しかし115系の方が先に全廃され、安泰かと思いきや313系が投入で、やはり次は119系なのだ、と思います。既に事故廃車か2両の廃車も出ています。



 JR3島のキハ31、32、54と同じく、「これが動かなくなったら廃止だぞ!」という形式なのでしょうが、幸い20年経った今でも好調は維持されています。117系、119系と並べると、やはり性能的に見劣りがするのも119系で、ワンマン対応の困難さ、そして車輌統一の観点からも、やはり119系は今後要注目な形式です。



Idap7  そして飯田に到着します。飯田駅3番線の奥の留置線には、左から海カキM1編成(クモハ119 5101)、同R3編成(手前はクハ118 5313、奥はクモハ119 5321、ワンマン対応編成)、右は長野色の115系で、松本車輌センター所属と思いきや、長野車輌センター(長ナノ)N4編成でした。長野発快速”みすず”の待機編成ということでしょう。



 そして昼食を調達、列車を待ちます。



Idap8  1時間近く待つと、上りは天竜峡行き海カキR2編成(ワンマン対応)、下りは茅野行きで、先ほどまで乗車していた海カキE6編成でした(写真)。これに乗車します。



Idap9  上片桐では、海シンB153編成と行き違います(写真)。B150番台はまだ3編成ですが、今後は増えるのでしょう。2連のB300番台の編成は、関西線や中央線中津川以遠のワンマン運転に使用されており、うってつけでしょう。もし鉄道ファンで、車輌の写真を撮るのが趣味であれば、今何をすべきか解ると思います(勿論もっと緊急の問題もありますが)。時間的余裕はあまり感じられません。



Idap10  進行方向右手には、まだ雪を懐く南アルプスの山々が見えています(写真)。山岳党が行きたいと言うでしょう。



Idap11  飯田線の終点5駅前に、伊那松島という駅があります。そこには国鉄時代は機関区、JRになり運輸区がありましたが、平成14年に車輌配置が無くなりました。その直前、伊那松島運輸区最後のイベントが同3月に行われた際の写真です(写真)。旧式電車クモハ12041、EF58 122や、ED18 2も駆けつけ、盛大にイベントを行いました。いずれも引退し、今となっては貴重です。ほかクモヤ145 122とおぼしき写真もありました。



Idap12  今日の伊那松島運輸区には、その当時の写真に載っていたクモハ12041が、今も残るのが確認できました(写真)。支線、鉄柱が被り残念です。



Idap13  そして飯田線の終点、辰野に到着。かつて飯田線は隅の0番線から発着し、1、2、3番線は中央本線の優等列車も含む発着番線でしたが、塩嶺トンネルが完成し、本線がショートカットして塩尻に直通するようになった結果、特急は通過、夜行急行”アルプス”廃止で辰野には優等列車は通らなくなり、JR東日本の駅ながらJR東海の車輌が主となり、辰野~塩尻間善知鳥峠を越える自社のクモハ123 1(単行列車)は隅の方にいます。今日もクモハ123の乗車を望んだのですが、1両の往復のため時間が合わず、断念しました。



 塩尻方を望み、左が飯田線、真ん中から右が中央本線旧線です(写真)。



Idap14  そして今の乗換駅岡谷に到着(写真)。終点へは、JR東日本の車輌に乗るよう勧められます。



Idap15  来た道を望む(写真)。右端が飯田線岡谷折り返し専用ホームの0番線、右の1番線が上り本線、左端3番線が下り本線、真ん中が辰野方面の旧本線です。正確には下り本線が旧本線を跨ぎ、塩嶺トンネルに繋がっています。 そして撮影を終え、帰途に就きました。



 車輌製造計画から考えても、やはり119系は危ないと思います。皆さんも、無くなってから後悔しないように、機会を見つけ撮影されることをお薦めします。確かに平凡な車輌ですが、無くなると寂しいですよ。



 明日は、予定はありません。気まぐれに、話題があれば投稿します。それでは、また次回。

故きを温ねて#6

Osamorip1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週3回目の”Tetsu”をお届けします。今日は、大阪市交通局森ノ宮検車区のイベントに参加しました。



 本当は、今日も車で、貨物鉄道の取材を行おうと思っていたところ、昨日雑誌で、今日のイベントを知ってしまい、多分今日を逃すと撮影する機会がない車輌が多いと思い、急遽予定変更し、またしても大阪に行ってきました。



 近鉄特急で、鶴橋に行き、JR環状線に乗り換え、森ノ宮に行きます。横は、JR環状線の電車区、森ノ宮電車区(大モリ)です。正直、この所の回数券の値下がりは、いわゆる経費経済の破綻か、それとも偽造券が回っているか。どちらにしても、経済の先行きに、不安を感じさせます。



Osamorip2  森ノ宮検車区の通用口は、JR駅前にもありますが、順路の都合上、10分かけ正門まで歩きます。



 正門前では、市営観光バス、2階建ての”にじ号”(写真は”にじ5号”)がお出迎えです(写真)。整理券のある人は、中にも入れました。



Osamorip3  次は、昨秋の緑橋検車区のイベントでも見られた、「ゼブラバス」です(写真)。京橋駅行きです。



 順路はこの北側の工場に入っていきます。



Osamorip4  工場の通路右手には、現在の主力、20系、22603です(写真)。同編成の他の車輌も中に入っています。同車は、昨年の私鉄車輌編成表では、谷町線配属とされています。ただ、同系は堺筋線、長堀鶴見緑地線及び今里筋線を除く全ての路線に入線可能で、今のところは変わっていないと思いますが、どうでしょうか。



Osamorip5  通路左手、1番目は、30系3042です(写真)。中央線用の車輌のようで、帯は中央線の緑色、方向幕は「森ノ宮」になっています。現在は同車のみ保存されています。大阪の地下鉄のイメージは、この車輌の時代です。



Osamorip6  2番目は、60系6014です(写真)。堺筋線の車輌で、方向幕は阪急との境界駅、「天神橋筋六丁目」(通称天六)になっています。同車を見ると、大阪万博のイメージがするのですが、如何でしょうか。同時代の阪急京都線車輌も多数残る中、引退は早い気はしますが、後継66系に託すということでしょう。



Osamorip7  3番目は、50系5085です(写真)。行き先の「阿波座」などから考えて、恐らく千日前線の車輌と思われます。ペンキ塗りの鋼製の車輌、どこの鉄道会社でも数を減らしていますね。



Osamorip8  同車の正面には、「さようなら50系、5000-5500型、H6.4.24」というヘッドマークが残されています。地下鉄でペンキ塗りの非冷房車が淘汰されたのは、大体どこの都市でもその位でしょう。地下鉄旧車はこれで終わりです。



Osamorip9  建屋を出ると、長蛇の列が。聞くと、市電保管庫の見学を待つ行列とのこと。時間に余裕はあったので、並びます。



 並んでいる間に、駄賃を。おそらく保線用の車輌でしょう(写真)。しかし連結器は自動連結器、密着(自動)連結器の双頭に見えますが、どうでしょうか。構内の入れ換えにも使用か。ほかクレーン付きの保線車も見えました。



Osamorip10  1時間はかからずに、保存庫に入れました。左から、一番左は無軌条電車(トロリーバス)、200形255です(写真)。今、トロリーバスは、特殊な場所でしか見られません。



Osamorip11  その隣は、旧式車の台車流用改造車とされる、800形801です(写真)。確かに小さい。しかし、大阪にも「新千歳」なんて名前があるんですね!



Osamorip12  一番右は、2200形か、2201です(写真)。今走っていても驚かない、路面電車としては完成されたスタイルですね。横には、昔の電停の標識でしょう、「境川町」と立っています。



Osamorip13  トロリーバスの前は、市電模型等が展示され、また2201の前は、旧車の台車(ブリル等)が展示されていました(写真)。この写真だけで良いなら、並ばずに良かったのですが、やはりここまで来て、3両を接近して写さないのは勿体ない!時間に余裕があったとはいえ、1時間待つ価値はありました。



 車輌的にはこの程度でしたが、他記念品の販売等もありました。プレステがあればシミュレーターのソフトも買ったのですが、そこまでやるとお金が無限に必要です。



 最後、アンケートに答えると、記念のステッカーシールが貰えました。やはり、そういうアンケートとか、馬鹿には出来ないですねえ!そして会場を後にしました。



 昨秋の緑木検車区では撮影できなかった車輌ばかりで、大満足でした。良い感じで今日の投稿を終えられそうです。



 しかし、名阪回数券の値崩れは、経費経済の崩壊か、それとも偽造団か、いずれ大きな問題になる気がするのですが、どうでしょうか?

(続)産業遺産なんです

Yokkasueq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週2回目の”Tetsu”をお届けします。今日の2回戦は、またしても四日市の末広可動橋です。



 紀北町から移動し、四日市へ。紀北町が9時前でも、約100キロ、13時前の第2便しか間に合いません。やはり、末広可動橋での撮影は、朝の1便が一番光線の向きが良いと思います。



 そして目的地に到着しました。今回は、先回の失敗の教訓から、全て反対に行いました。先ずは、車を反対の南側に停め、橋の写真も南側から撮りました(写真)。



Yokkasueq2  今回のセッティングです(写真)。右側が奥行きのある可動部付きの防水壁(先回のポイント)、左側が一番のお立ち台とされる防水壁です。今回は、ドラム缶があったと思われる場所に脚立を立て、その上から写します。



Yokkasueq3  しばらく待っていると、自転車に乗った作業員が橋の袂の小屋に入り、橋を降ろします(その様子は再掲しません)。



 それからもう暫くすると、音もなく列車がやって来ます(写真)。目の前を車が横切り、びっくり!列車は一時停止し、再び動き出します。



Yokkasueq4  橋に列車が到達します(写真)。DD51 893号機、青い更新色です。望遠では写真のとおりです。



Yokkasueq5  広角ではこうなります(写真)。右側の警戒信号が、写真の支障となります。やはり、この位置は望遠好きの方のお立ち台です。広角ファンの方は、左右の防水壁がお薦めです。しかし左側は先着1名様だけです。2番目以降の方は、よく相談して下さい。



Yokkasueq6  列車が通り過ぎると、慌てて岸壁を通り、踏切へ。到達した時には、既にDD51 893は先ほど牽いていたタキの編成を切り離し、反対側に入換の最中でした(写真)。



Yokkasueq7  DD51 893は、可動橋側の分岐に入り停止します。すると、横からはDD452(45トンディーゼル機関車と思われる、富士重製)が、空のタキの編成を牽き、入線します(写真)。



Yokkasueq8  DD452が、編成を有効長一杯まで引っ張らないうちに、編成の末尾が見えると、ダルマポイントを切り替え、DD51 893が直ちに連結され、可動橋を渡っていきます(写真)。



Yokkasueq9  空のタキの編成が出て行くと、荷物のあるタキの編成が移動です。DD452が、入換です(写真)。



Yokkasueq10  DD452が、荷物のあるタキの編成に連結され、工場へ向かいます(写真)。これで1回分、終わりです。



 この荷物の貨車は、三岐鉄道東藤原の、太平洋セメントの工場で荷物を積み、三岐鉄道をED45重連牽引で下り、JR富田でJRに入り、DD51に機関車が替わり、四日市港に牽引されます。空の貨車は、逆ルートで東藤原に帰ります。そのため、その日のDD51は富田~四日市港間の往復なので、何時まで待っても他のDD51は入りません。あしからず。



 先回は国鉄色のDD51だったのですが、今回は青い更新色でした。愛知機関区の限られたDD51の運用であり、朝国鉄色で、また国鉄色を望んでも無理というものです。皆さんが撮影される時には、ツキがあるといいですね。



Yokkasueq11  おまけ。先回不満足だった、近鉄内部線泊での行き違いです。脚立一つで、こんなに違います。如何でしょうか。



 今日はこんな感じです。明日も貨物鉄道の取材の予定でしたが、雑誌の記事を見てしまい、予定変更です。それでは、次回をお楽しみに。

来た、見た、撮った!(Encore)

Kiseiddq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”第1回目をお届けします。今回は、2月に続いて、紀勢本線貨物列車の取材です。



 今年の3月のダイヤ改正で、無くなったものが幾つかありますが、その一つが紀勢線重連貨物です。今回は、この列車の現在の様子を取材するために、昨晩自宅を出発しました。



Kiseiddq2  早朝に、先回と同じ場所に到着。しかし先回は午前1時名古屋駅発で、今回はそれより早く出発した関係で、かなり早朝に到着してしまいました。



 まだまだ時間はある、とゆっくりしていると、踏切が鳴り出します。慌てて車を降りると、名古屋行き”南紀2号”でした(写真)。先頭、末尾ともにキハ85 0番台で、貫通路はありません。編成の増結は一手間です。



Kiseiddq3  また踏切が鳴り出します。今度は新宮行き普通、キハ11 0番台と300番台の4連です(写真)。写真一番手前は0番台、300番台は背が高く、ステンレス車で、トイレが付きました。



Kiseiddq4  またしても踏切が鳴り出します。赤いのが来ます!(写真)おお!これは?



Kiseiddq5  残念、これはJR東海のDE10 1521で、レールを積んだチキを2両従えています(写真)。国鉄色はいい線いってましたが、本命ではありません。でもあまりにも美味しすぎる駄賃です。間もなく、この運用もキヤ97に置き換えられます。



Kiseiddq6  今度はキハ48の2連、新宮発多気行きです(写真)。逆光もいいところです。



Kiseiddq7  大きな汽笛、エンジン音、ジョイント音が聞こえてきます。お目当ての列車がやって来ます(写真)。おお、赤いぞ!



Kiseiddq8  国鉄色のDD51 847を先頭に、列車がやって来ますが、よく見ると、今日は重連!(写真)DD51、赤い更新色の機関車が後位に連結されています。もう見られないと諦めていただけに、非常にラッキー!



 今日のこのお立ち台には、DE10の頃に既に2人、本番には6人ほどが立ちました。皆、運がいいと思っているはずです。単機、あるいはプッシュプルに不具合が生じたのか。運用の変更があったのでしょうか。不明です。通過時間は、亀山経由だった3月改正前と比べ、伊勢鉄道を経由する分、数分早くなったのか。



 今日は、こんな感じでした。しかし、時間は夕方までたっぷりありましたので、2回戦もお楽しみに。

新線です。

Osahiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日のダイヤ改正とともに開通した、JR「おおさか東線」を取材しました。



Osahiq2  昨日も大阪、今日も大阪で、正直昨日帰ろうか、泊まろうか、考えました。しかし、やはり外泊には、それなりの費用がかかります。泊まる費用と、帰る費用と計算し、結果帰った方が経済的とわかり、今朝改めて大阪へやって来ました。



 近鉄特急で鶴橋へ行き、俊徳道に戻ると、自動改札は通れません。結局精算し、下車しました。



 降りて2分ほどの所に、今回の新駅、「JR俊徳道」駅があります(写真)。高架下の駅で、見てのとおりです。



Osahiq3  エスカレーターを登ると、ホームがあります。上には、近鉄大阪線のアーチ橋が見えます(写真)。先ずは、久宝寺を目指しました。



Osahiq4  やはり新線ということで、運転台後にかぶりつく人は多く、子供以外でも相当混んでいました。



 久宝寺に到着。電車は終点で、奈良方にある引上線に引き上げます(写真)。



 かつて鉄道雑誌で、竜華機関区(旧式電気機関車、EF52が在籍した機関区として有名でした)と言われ、何処だろうと思っていましたが、久宝寺の駅前はかつてのヤードの再開発で出来た街で、「竜華地区、云々」と垂れ幕が掛かり、此処なのだ、と納得しました。大体想像のとおりでした。



Osahiq5  久宝寺駅の天王寺方です(写真)。中間の2線が今回開通した「おおさか東線」の上下線で、かなり先で、大和路線をオーバークロスします。来た道を、戻ります。



Osahiq6  分岐して1駅目が、新加美駅です(写真)。高架下に駅があり、南西方100メートルほどの場所に、大和路線の加美駅があり、僅かな距離です。写真には、子供の奥に大和路線の緑の電車が写っています。



Osahiq7  新加美から乗車すると、すぐの場所に分岐点があります(写真)。非電化の貨物線で、大和路線平野方面に繋がっています。少し先にコンクリート製の斜張橋があります。



Osahiq8  新加美の次はJR長瀬です(写真)。駅前ロータリーもまだまだ出来たてです。



Osahiq9  JR長瀬のホームに戻ると、久宝寺方面通過列車と出ています。色めき立つと、なんと城東貨物線時代からの主役、ディーゼル貨物列車が入線します(写真)。牽引のDD51 1805号機は、DD51のラストナンバーで、800番台104両目です(899の次に1801が来ている)。



Osahiq10  JR長瀬とJR俊徳道の間には、高架化される前の旧貨物線の分岐の跡が残っています(写真)。分岐した先には、最近あまり列車は入っていないようです。



Osahiq11  JR俊徳道、JR河内永和を行き過ぎ、次の高井田中央で下車(写真)。左上高架は阪神高速13号線東大阪線で、第2阪奈道路に繋がっています。真ん中の金網で囲われた施設は、大阪市営地下鉄中央線、高井田駅の入口の一つです。



Osahiq12  高井田中央の次は、現在の終点、放出(読めますか?読める人だけ関西人です)です。開業記念ヘッドマークを掲げる、奈良電車区(大ナラ)ND608編成に当たり、撮影するファンも多数でした(写真)。



 「おおさか東線」で営業する電車は、全て奈良電車区の車輌で、今日は103系が1編成入っていましたが、他は全て201系だったようです。東京や名古屋では見られない光景となりました。最終的には3446両在籍した103系も、激減してしまうと寂しいです。



Osahiq13  営業を終えた201系は、折り返し準備のため引き上げます(写真)。恐らく城東貨物線の本線上でしょう。この先は、最終的には先日の赤川仮橋を通り、吹田経由で新大阪に入るといいますが、まだまだ準備段階です。当面は久宝寺~放出間の区間運転を中心に、一部奈良~尼崎直通の快速も運転するという計画のようです。



Osahiq14  放出駅の徳庵方面を写す(写真)。学研都市線尼崎方面行きは、中央2線の「おおさか東線」を高架で跨いでいます。それで方面別ホームになっているのです。



 因みに徳庵は、近畿車輛の工場のある場所で、新車はここを甲種回送されます。



Osahiq15  そして放出から再び乗車し、2駅、JR河内永和に着きました(写真)。ここは、近鉄奈良線河内永和のすぐ前です。



 ここで取材を終了、近鉄で帰途に就きました。



 やはり新しい線ということで、設備は新しく、バリアフリーなどにも注意が払われた設計となっています。開業ブームが去り、一般の利用者だけになっても、有効な交通機関であるよう、心から願わずにはいられません。一歩ずつ進めていって欲しいと思います。



 今日はこんな感じです。

春の訪れに喜び#3

Mikip1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今日は、三木鉄道始め兵庫県方面のツアーに参加しました。



Mikip2  早朝に自宅を発ち、関西の高速バスターミナルへ。そこから観光バスに乗り、1時間、鈴蘭台の神戸電鉄の工場にやって来ました。写真は、国鉄ならホキと呼ぶであろうバラスト運搬用ホッパ貨車、761、762です(写真)。761の運転台は、機関車の遠隔操作用です。



Mikip3  中に入り、準備が整うと撮影開始です。こちらは旧100形を流用した入換車です(写真)。車籍はなく、工場内の機械扱いです。本線上は走れません。



Mikip4  次に、機関車701です(写真)。通常この写真の側は、先ほどの貨車が常に連結されているため、めったに見られる顔ではない、とのことです。



Mikip5  先ほどの入換車に接近します。連結器は、通常より縦に大きく拡大されています(写真)。



Mikip6  中に入ります(写真)。車内はペンキ塗りの木製で、かつては天井に円形の電球シェードが付いていた、とのことですが、今は蛍光灯に交換されています。電装部品等がむき出しでした。工場内の機械なので、問題はないのですが。



 この後、部品等の販売会がありました。国鉄旧鍛冶屋線連絡の硬券もあり、神戸電鉄が旧券を売るということ自体滅多にないことだと聞きましたが、私の物品管理では無駄になるので、止めました。価値の解る方、次回を狙って下さい。



Mikip7  工場を後にして、徒歩15分で神戸電鉄鈴蘭台駅に到着します。駅横の待機線には、電動貨車752他が停まっていました(写真)。ここから乗車し、次の目的地を目指します。



Mikip8  途中駅にバスが迎えに来ており、そこから乗車し、第2ステージ、この3月いっぱいで廃止になる、三木鉄道へ。同鉄道西這田駅前に案内されました。



 程なく上り列車がやって来ます(写真)。光線の向きも如何でしょうか。しかも周りは殆ど田んぼで、障害物はATSの信号箱程度です。ここがお薦めだそうです。皆さんも、如何ですか。



Mikip9  撮影が終わると、そそくさとバスに集合、三木駅に行きます。



 駅では記念グッズが販売されています。お客も多いです。



 駅の改札を越えると、ミキ300-103が待機しています(写真)。同型は3両あり、廃止直前で混雑する同線も2両連結で走れば、と思うのですが、残念ながら駅ホーム等の設備が2両に対応しておらず、やむなく1両で営業しているのだそうです。



Mikip10  暫くして、満員の客を乗せたミキ300-105が入線します(写真)。これに乗車しました。



 正直、マイカー優先の国の施策に関する恨み節は、聞こえてきました。確かに動線の反対向きかも知れません。しかしまだ助かる道はあったのでは、とは思うのです。市民バスに転換すれば、逆に赤字は拡大する、という雑誌の記事も読んだこともあります。しかも環境の時代にマイカー主義とは。確かに、国鉄時代に神戸電鉄と接続させなかった、その時点で今日の運命が決まっていた、というべきでしょうか。



Mikip11  いろいろな意見を乗せ、車輌は起点の厄神に到着します(写真)。バスが迎えに来ていました。



Mikip12  バスは粟生に到着しました。さっき乗った神戸電鉄の車輌が、同駅で折り返しを待っていました。



 暫くすると、ディーゼルの音が聞こえてきます。北条鉄道です(写真)。フラワ2000-2を先頭に、2両編成です。



Mikip13  2両目は、国内では最後2両のうちの1両となったレールバス、フラワ1985-1です(写真、もう1両は同鉄道から紀州鉄道に譲渡された車輌です)。これで北条町を目指します。



Mikip14  発車に時間があったので、外に出ると、JR加古川線103系ペイント電車が(写真)。神カコM8編成、横尾忠則氏デザインの車輌です。右奥には、行き違う125系2パンタ車、クモハ125 11か12ですが、番号記録は失念しました。



 JR加古川線に接続し、北条鉄道は発車します。



Mikip15  終点北条町に到着します。フラワ1985-1は、私たち団体のために特別に増結された車両で、到着後切り離し、フラワ2000だけで折り返しました。



 写真を一通り撮り終えると、グッズ販売の時間です。一般客が、制服姿の職員に向かって、「市長さん!」と言います。当然第三セクター北条鉄道の社長でもあり、社員総出で私たちを歓迎していたのでした。社長が営業で陣頭指揮している限り、会社は大丈夫です。現場とトップの分離、これが一番怖いんです。



 切符、グッズを買い、駅を出ると、金網で駄目かと思いきや、柵が切れているところがあります。早速そこで撮影しました(写真)。光線はイマイチですが、足回りは完璧です。暫くすると、転線、ホーム南西隣の車庫に入ります。フラワ2000-1も入っていました。



 そして撮影を終え、バスに戻ります。バスは、乗車したバスターミナルに戻ります。そして私は帰宅しました。



 神戸電鉄、一つ味をしめてしまいました。次回があるなら、752(反対は多分751でしょう)を写したいですね。



 三木鉄道は残念です。皆さんも、走っている間に是非乗車して記録して下さい。



 北条鉄道のレールバス、かなり車輌の寿命に近いようです。こちらも是非記録をお忘れ無く。



 今日はこんな感じです。明日はお目覚め次第です。

春の訪れに喜び#2

Kuzuryup1



 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今日は、昨夏全線復旧した越美北線を中心に取材しました。



 今朝はゆったり起き、ゆったり食事に行こうかと思うと、予定の列車を30分後と間違え、真っ青!朝食もそこそこに福井駅に向かいました。



 そして福井駅越美北線ホームには、写真のとおり越前大野鉄道部(金エチ)のキハ120、手前203、後202の2連が入線しました(写真)。これに乗車します。



Kuzuryup2  朝食はそこそこに摂りましたが、まだ目は覚めていません。福井を出て直ぐ、南福井駅(貨物駅)には、DE10、EF81が「写してくれ!」と言わんばかりに待機していましたが、タイミングを失いボツ。うとうとするうちに、終点、九頭竜湖に到着してしまいました(写真)。



 九頭竜湖は鉄道では2回目ですが、先回訪問時は足羽川橋梁の再建中で、途中代行バスに乗車し訪問したもので、通しでは初めてです。



Kuzuryup3  線路の終点には機回し線はなく、ディーゼルカーのみに対応した設計です(写真)。東側に延びた線路は、モーターカーや単行ディーゼルカーが1両入れる位の長さの側線が、2本に分岐し終わっています。



Kuzuryup4  「九頭竜湖」駅は道の駅でもあり、ログハウス風の瀟洒な建物で、周辺の建物ともイメージを統一しています(写真)。車の方も、如何ですか?



Kuzuryup5  十数分程で、福井に向け折り返します。周囲は山々に囲まれています。北側は、白山でしょうか、雪山が見えます(写真)。



Kuzuryup6  越美北線の主要駅、鉄道部もある越前大野に戻ってきました。昨年6月末にここで開かれた復旧記念イベントの様子の記事、「(続)足羽の流れを遡り」も、ぜひお読み下さい。



 駅には車庫が併設され、各種機械もあります。写真は寸断時大活躍した除雪用モーターカーです(写真)。



Kuzuryup7  美山~一乗谷間の復旧区間を通り、越前東郷に戻ります。側線にはモーターカー、107が(写真)。除雪も、バラスト運搬も行うようです。



Kuzuryup8  越前花堂からは北陸本線に合流します。南福井駅の少し手前にも、除雪用モーターカーがありました(写真)。



 往き道の機関車、DE10とEF81ですが、EF81は貨物列車牽引で、帰りは無理だと思いましたが、DE10位は居てよ、と思うも、移動してしまいました。残念。撮るべき時に撮る、というのが基本のようです。



Kuzuryup9  そして福井に帰着しました(写真)。キハ120は運用を終え、待機線に引き上げます。私は、少し遅い昼食時間となりました。



Kuzuryup10  そしてお帰りの列車は419系、クハ418 8始め3連です(写真)。581系改造の同系、クハネ581改造のクハ419と、サハネ581改造のクハ418があり、475系や457系と車輌の並びを揃えるため、敦賀方がクハになっています。まあクハ418はこういう電車なんだ、と思ってしまえばそれまでですが、クハ419は、月光形クハネ581の最後の姿と思うと、少し悲しいものがあります。



 これで北陸トンネル出口のデッドセクションを越え、敦賀に到着しました。



Kuzuryup11  かつては北陸線長浜、あるいは湖西線永原が終点だった新快速も、直流化により今は敦賀が終点であり、始発でもあります。だから今は、敦賀駅で「網干」「姫路」「播州赤穂」なんて行き先も見られるんです(写真)。長駆約4時間、223系は凄い電車です。



 ここからループトンネルを駆け上れば、新疋田(大カーブが有名な、お立ち台の近くの駅)、更に次は湖西線分岐駅の近江塩津です。そして乗り換え、米原から帰宅しました。



 昨日は「のと鉄道」につい辛口になってしまいました。ごめんなさい。整備しやすい新車で、長く残るよう願います。



 あと、のと鉄道の終点穴水の一つ手前の能登鹿島駅は、桜の名所で、今はそれこそ蕾ですが、時期が来れば非常に美しく咲き、多くの観光客を集める駅だと聞きます。いつか、機会があったら行きたいですね。



 今日は越美北線でしたが、せっかく復旧したのだから、是非乗車するようにしたいですね。



 こんな感じです。

春の訪れに喜び#1

Notop1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今週は、”青春18きっぷ”で、北陸方面に来ています。



Notop2  朝早く自宅を発ち、米原へ。米原からは、何処へ行ってもJR西日本です。今回は北へ行きます。521系に乗車し、敦賀に到着しました(写真)。金フイE5編成です。521系は、223系の交直流バージョンです。今後の北陸地区の主軸となる車両です。



Notop3  敦賀駅1、2番線には、125系、クモハ125 7、後は1が入線しています(写真)。1番線は読み取れません。



 125系も223系の一族で、中間の窓はドア準備工が施されています。JR西日本が223系を導入してからの最大の特徴は、将来の転配属の準備として、改造の準備を施していることです。しかし管理すべき地域と車両が余りに多い。少しずつ、進めていくのですね。



Notop4  そして乗車はこちら、クモハ457 17始め6連でした(写真)。これも、だんだん減っていきます。



 しかし今日は金沢近辺で”しらさぎ”が事故に遭ったらしく、ダイヤが乱れまくっていました。遅延が余りに酷く、旅程の維持のため、途中で仕方なく特急に乗車しました。



Notop5  金沢に到着。行き過ぎる特急”雷鳥”を見ると、先ず目についたのはサハ481 601(写真)。屋根上には集中型クーラーAU75が載っており、明らかにモハ484 200番台(あるいは600番台)の改造です。車掌室が種車の区別になるのですが、写真では確認できません。でも、600番台だから、車掌室付きか。



Notop6  大阪方先頭は、クロ481 2003です(写真)。この春で終焉と思いきや、もう半年寿命が延びました。新疋田とか、行きたい気はしますが。



Notop7  私の乗車は七尾線、クモハ415 802始め3連です(写真)。しかし七尾線の415系は、113系に485系の交流機器を追加し改造した車両で、本来の415系ではありません。機器を提供した485系は、山陰用183系800番台になりました。



Notop8  津幡から七尾線に入ると、直ちにデッドセクションです。やはり古い設計のトンネルが多く、交流電化に必要な架線の離隔が取れなかったからのようです。



 そして終点七尾に到着。西日本415系のねぐらはここでした(写真)。



Notop9  七尾からは、のと鉄道です(写真)。のと鉄道NT211が、発車を待っています。しかしすぐの発車ではなかったため、のと鉄道の一日乗車券”つこうてくだしフリーきっぷ”(1,000円)を購入し、間食を手に入れる間に、満員になってしまいました。しかし、一駅先の和倉温泉(JR・電化の終点)でたくさん降り、すぐに座れました。



Notop10  能登中島には、写真のとおりオユ11と思われる郵便車が静態保存されています(写真)。郵便車、今はない車両です。クモユ141は国鉄改革が原因で、車齢4年で解体されました。



Notop11  郵便車の先には、穴水以遠全廃で廃車になった団臨用イベント車、、NT801(写真手前)、NT802が静態保存されています(写真)。一時はこんな努力をしていたのに、8割方廃止で、悲しいですね。



Notop12  更に進み、西岸には元七尾鉄道部の保線機械が(写真)。レール探傷用の機械です。



Notop13  現在の終点、穴水に到着。以北用出発ホーム0番線には、のと鉄道開業当時の主力、NT100形、127が静態保存されています(写真)。同型の殆どは外国に売却されました。保守性に難を来したとは思わないのですが。まあアジアの諸国では、DD51を真ん中で切り、2台のディーゼル機関車にするそうですから、「冷房がついている」だけですごく、牽引定数なんて発想は無いのでしょう。同車のようなディーゼルカーは中間に何両もの客車を挟み、出力の限界を超えて毎日使用されています。



Notop14  ここが現在の終点です(写真)。まず穴水~輪島間が廃止になり、次に穴水~蛸島間が廃止になりました。雪が降ったときは、バスより遙かに信頼性が高いと思うのですが、どうしてでしょうか。



Notop15  穴水はかつての分岐点、車両基地がここに設けられるのは自然です。写真のとおり整備工場、その手前にはNT202が停まっています(写真)。休日でもあり、NT201ほか待機車両も多数です。



 そして来た道を戻り、今日の滞在先に向かいました。



 今回の主な訪問の目的は、のと鉄道でした。日本製の車両は高く売れるし、また新車は燃焼効率も高いとは思いますが、正直使える車両を処分するような放漫経営で、路線の8割を廃止した鉄道が維持できるのか、本当に心配です。皆さんの意見を聞きたいと思います。せめて、今残っている路線くらいは、死守してくださいね。



 明日は、今日の続きです。

”鉄”の原点に立ち戻り

Umekojip1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”第3回目をお届けします。今日は、梅小路蒸気機関車館を取材しました。



 今朝、滞在先を出た私は、JRに乗り、京都へ、そして一駅、丹波口へ。重いカメラバックを背負い、ちょっとした距離でも一苦労です。



Umekojip2  そして梅小路に到着。梅小路蒸気機関車館の展示館は、旧二条駅舎を移築したものとして有名です(写真奥)。しかし、その手前に、恐らく京都市の整備でしょう、旧京都市電の車輌、27号が停まっています(写真手前)。しかも動態保存!ナイスな施設です。



Umekojip3  そこで、入館前に乗車しました。反対側の終点は、普通車駐車場の一番奥です。そこには整備の工場もあります。出発前の27号です(写真)。明治村の1号、2号と同じです。



 利用の仕方としては、普通車駐車場の一番奥に車を停め、乗車券を券売機で大人1人300円で買うと、蒸気機関車館を見学し、車に戻るまで往復で使えます。ただし最終は16時なので、要注意です。ただ車掌さんは、「先ず蒸気機関車館に入って、その後でいいよ!」と言いますが。



Umekojip4  梅小路蒸気機関車館の全景です(写真)。本当は関東近辺に計画された蒸気機関車館、梅小路に落ち着いたのは、梅小路機関区は創設以来一番多くの形式の整備の実績があり、今後の動態保存の基地として最適だったからです。蒸気機関車の機関庫だった時代からの扇形庫が残り、左は検修庫も兼ねています。中心は勿論転車台です。



Umekojip5  SLスチーム号の午前の最終運転がある、とのアナウンスがあり、早速乗車します(写真)。今日のスチーム号は、C62 2号機(スワローエンゼル、通称スワロー)が営業です。こんな、スーパーヒーローの牽引する列車に乗車出来るなんて!



Umekojip6  下車すると、午前の運転は終了で、暫くスワローは休憩です。デフレクタ(除煙板)には、スワローのスワローたる所以、燕のマークが入っています(写真)。東海道(確か最初は宮原の配属と記憶します)を引退後、軽軸重に変更され、小樽築港機関区へ移籍しました。昭和40年代、同機と3号機の重連で運用に入った急行”ニセコ”を牽く姿を撮りに、毎年多くのファンが北海道に通ったのでした。ハドソンソフトの最初の生業(軸配置”ハドソン”に由来する)でした。



Umekojip7  南側には、C61 2とC62 1が(写真)。



 C61は、D51改造のハドソンで丙線区のエース、”はやぶさ”の九州区間などが該当します。特にC61 2は、東北初の特急”はつかり”の仙台以遠の牽引機として、一番列車を牽いた映像が残っています。実は蒸気発電機を、”SLやまぐち号”のC57 1号機に貸しています。



 C62 1は、戦後物資の足りない時期に、C59生産を中止しD52改造で賄った旅客機関車です。2号機は前述の通り、1号機は試作要素も多かったといいます。1号機は静態保存、2号機は動態保存、3号機は北海道の苗穂工場で静態保存されています。



Umekojip8  扇形庫の外には、右はD51 200が、左は蒸気機関車の介添え役、DE10 1118が停まっています(写真)。



Umekojip9  扇形庫の中には、静態保存の蒸気機関車多数でしたが、カタログではないので、割愛します。しかし、今日は、オンシーズンには”SLやまぐち号”の営業に入るC57 1号機も、”SL北びわこ号”のC56 160号機も、帰庫している姿を捉えることが出来ました(写真)。



Umekojip10  時間が経ち、午後の運転が始まります。今日はお客さんが多数で、再開時間を繰り上げ、臨時運転を行いました。スワローはバックを始めます(写真)。



Umekojip11  そして嵯峨野線を潜り、梅小路公園の前に出ます。そして停止、暫くして戻ってきます(写真)。この位で給炭を止めてしまうのか、煙が出なくなってしまいます。一番絵になる場所が分かりますね!



Umekojip12  そして大量に蒸気を吐き、停止します(写真)。通常の鉄道では、一応誤差1メートル以内で停めればいいことになっていますが、実はこれだけの巨体では非常に難しいんです。しかし馴れた機関士はそれをピタリと停める、職人芸です。



 そして帰途に就きました。



 鉄道の始まりは蒸気機関車でした。そして百数十年、技術の進歩で便利で快適になりましたが、原点は変わりありません。ここで行われていることが、全ての基本なのです。



 静態保存なら、時々清掃するだけで十分です。しかし動態保存は、完全に整備されていないと、動きません。整備する技術者も、営業運転のためだから必死に整備するわけで、たった100円か200円でも、乗車してくれる、ということが喜びであり、整備した甲斐があるなあ、ということなのです。皆さんも、来館されることがあるなら、ぜひ乗車してみて下さい。機関車も、日によって替わりますし、来る度に違う表情を見せる機関車たちも、是非見ていって下さい。



 10年ぶりに来て、いろいろ変わりましたが、でも基本は変わっていません。この蒸気機関車館が、末永く維持されることを願い、今回の投稿を終えたいと思います。



 それでは、また来週をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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