初体験です。

Izukoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、結局”伊豆急でんしゃまつり2008”を取材しました。



 昨日は仙台と浜松、今日は浜松に伊豆急に名鉄博物館一般公開と、夏休みに入り子供向けのイベントが盛りだくさんです。昨日は仙台を蹴り浜松、結果今日は伊豆急と名鉄とどちらに行くべきか、悩みました。最初は上り”ムーンライトながら”が取れたら、のつもりでしたが、青春18きっぷの時期にそれは不可能。そのため8割方名鉄博物館一般公開に傾いていましたが、日程が合わず今まで参加したことがない伊豆急に行きたい。それなら、朝早く起きられたら、伊豆急にしよう、と思い、床に就きました。暑さが原因で寝付きは悪く、無理とも思いましたが、それでも間に合う時間に起きられたので、結局伊豆急に決定しました。そして愛車に機材を積み、出発しました。



 今回のイベント会場、伊豆高原は、鉄道なら熱海から伊東線、伊豆急で一本ですが、道路には丹那トンネルはなく、高速は御殿場経由、関東からなら熱海経由は簡単ですが、西方からは沼津で高速を降り、三島、あるいは駿豆線に沿って走り修善寺から山越えを挑まねばなりません。どの道も1.5車線の区間があり、なかなか困難な道です。そして住宅街の中を抜け、伊豆高原に到着。やはりここは電車が一番だと、改めて思いました。



Izukoq2  駅前から北へ徒歩数分、踏切を越え、伊豆高原のイベント会場へと入ります。受付を済ませ中に入ると、一番手前はシングルアームパンタの動作の実演で、スイッチで上下させる分かりやすい展示だと思います(写真)。



Izukoq3  順路はあったのですが、丁度時間が合ったため、洗車体験の車輌に向かいました(写真)。伊豆急8000系(元東急8000系)です。



Izukoq4  そして洗車機の中を通ります(写真)。最初は洗剤で洗い、折り返して水だけで洗います。時速約5キロ、しかし写真はほとんどボツでした。



Izukoq5  丁度その横には、”ロイヤルボックス”、黒い2182が真ん中に、端に2191が写っています(写真)。この列車以外の場所では、撮影出来ませんでした。



 ”ロイヤルボックス”は、リゾート21(伊豆急2000系)が”リゾート踊り子”運用に就く時に、グリーン車として連結される車輌で、かつては全編成に用意されていましたが、現在は一般運用時は編成から外れます。



Izukoq6  順路に戻り、建屋の南側には、高所作業用の軌陸車が(写真)。東急マークもバッチリで、ナンバーは「伊豆」ナンバーになっています。



Izukoq7  軌陸車の後には、”リゾート21”R-3編成の先頭車が入っています(写真)。車輌の向きから、2156と思われます。”リゾート21”は最大5編成ありましたが、R-1編成は”ロイヤルボックス”を除き100系のリサイクルであり、結果廃車され、現在は4編成です。うち特急”リゾート踊り子”運用で東京まで入線するのはR-4及びR-5の2編成だけです。このR-3編成の前に立ったファンは、「これも危ないんだよなあ、」と言っていました。



Izukoq8  車庫の部分では各種催事が行われています。先ずは、架線作業車が親子連れを乗せ車庫線を走ります(写真)。



Izukoq9  線路の間のコンクリートの部分では、こちら”リゾート21”(黒船塗装)の先頭、向こうは100系をかたどり、間にバッテリーロコの入ったミニトレインが親子連れを乗せ往復しました(写真)。



Izukoq10  隣の車庫線では、2両の原動機付き軌道自転車が、運転手と子供を乗せ往復します。折り返しは、社員2人が取っ手で持ち上げ、クルリと回していました(写真)。



Izukoq11  伊豆急開業当初からの電車、100系の103です(写真)。東急系の同社、車輌も昭和36年東急車輌製です。同車が残ったのは、両運転台であったからのようです(他は片運転台であったようです)。現在も入換車として使うようです。



Izukoq12  車内は固定クロスシートで、ドアそばはロングシートもあります(写真)。当時の雰囲気が残ります。後に冷改されましたが、今日はクーラーは入っていませんでした。ドア開閉体験、車内放送体験なども出来ました。



Izukoq13  降りて、南西側(すなわち伊豆高原駅ホーム側)から捉えました(写真)。これだけでも、来た価値がありました。



Izukoq14  一番南端では、転轍機の体験が出来ました(写真)。伊豆急は設備が新しいせいか、ダルマポイントではありませんでした。円盤が回転し、標識の白黒が反転します。



 これで概ね取材が終わり、会場を後にしました。



 先回(昨年夏)訪問時に伊豆高原で見かけた100系最後の1両103を、今回きちんと記録できました。非常に幸せです。日程が合えば、次回も是非参加したいですね。



Izukoq15  おまけ。行きも帰りも駿豆線の側を通ったので、ライバルとは思いますが、伊豆箱根鉄道大場工場の様子を1枚(写真)。左ED33、右ED32です。これらの機関車は、工臨のみか、それとも大雄山線車輌の検査入場の牽引もするのか。どうでしょう。



 次回は未定ですが、お楽しみに。

やはり地元のイベントですから、

Hamahaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、今日と明日開催される、JR東海浜松工場”新幹線なるほど発見デー”を取材しました。



 今朝も遅めに出発し、浜松駅に到着したときは、既に12時を過ぎていました。結果、開場前後の入場ラッシュからは外れ、シャトルバスもすぐに乗れ、一安心です。



 そして会場に入場、あの解体予定の場所が実は一番重要なのですが、残念、いつも写真は失敗です。



Hamahaq2  受付を済ませ、まずどこから攻めようか考えましたが、先ずは在来線保存車輌から。実はここには、割と廃車直前の車輌が入っているので、要チェックです。



 1枚目は、去年もあった除雪機関車、DE15 1531(昭和51年川崎)です(写真)。今年は前後ともウイングを後に向けています。この形は複線用ラッセルです。



Hamahaq3  2枚目はED18 2です(写真)。大正13年イングリッシュ・エレクトリック社製の機関車で、改造、改番の末この番号になり、トロッコファミリー号も牽引しましたが、寄る年波に勝てず、事実上引退しました。甲高く大きな汽笛の機関車でした。



Hamahaq4  3枚目、昨年大垣で単機運用中を捉えた、EF64 35です(写真)。ユーロライナー色、やはり最期なのか。実は国鉄色のEF64 2号機(2号機ですよ!)も浜松に回送され、浜松工場内の解体予定場所に留置されていました。明日出すわけにはいかないでしょうから、せめて解体を躊躇して、来年ここに並べる、というのはどうでしょうか。



Hamahaq5  トキ800形トキ4837をおいて、隣は直流近郊形の初代、111系モハ111 1(写真手前)とモハ110 1の初号ユニットです(写真)。MT46形主電動機(100kW)使用ですが、程なく120kWのMT54が完成し、113系に生産は移行、少数のみの製造に終わりました。晩年は平坦な四国高松地区に移動、数年前に全車引退しました。実は同車はJR四国から寄贈を受けた車輌です。名古屋に建設される、JR東海博物館にも入るのでしょう。



Hamahaq6  隣は牽引車、クモヤ90003です(写真)。旧番号は知りませんが、昭和22年川崎車輌で製造、同27年日車で更新、同42年国鉄郡山工場で現在の姿に改造されました。西側妻面の右下に履歴のプレートが付いています。



Hamahaq7  次はEF58 157です(写真)。昭和33年三菱電機・新三菱重工の製造、青の塗色を纏います。



Hamahaq8  その隣には、EF58 122(昭和32年日立)が(写真)。EF58が2両並べられるのに、どうしてEF64は、というのが率直な感想です。東海道全線電化時の主役や、ユーロライナーの意味は分からないわけではありませんが、2号機は板谷峠も通った先行車で、展示の意味はあると思うのは、私だけでしょうか。残念です。



Hamahaq9  北側に移動。新幹線からの線路に繋がる側に、700系新幹線中間車と、それを移動させるスイッチャーが(写真)。これだけ大きいのは、アントと言うのでしょうか。車輌の場内移動用です。



Hamahaq10  後を振り向くと、3線軌道が、複雑に配線されています(写真)。3線ポイントもあり、新在双方の工場ならではです。梅小路のD51 200もここの製造ですし。



Hamahaq11  その横には300X試験車A0編成、955形が(写真)。試験走行での最高速、「443.6km/h」のステッカーが貼ってあります。ここでは、写真撮影のサービスがありました。



Hamahaq12  反対には、300系322-9001(試作J0編成>J1編成東京方先頭車)です(写真)。腰部の膨らみはポイントです。



Hamahaq13  運転台体験の建屋の横に、短縮されたJ9編成が。1号車博多方323-8は表題のとおり、写真は反対側16号車、322-8です(写真)。前との違いは明らかです。初期型プラグドアの同車、運命や如何に。



Hamahaq14  短縮したのは他に入る車輌があるから。先ずは100系先頭車、123-1(X2編成博多方先頭車)が(写真)。微気圧波対策は殆ど考えられておらず、結果トンネルで「ドーン」という音がしたのだそうです。700系、E2系以降の複雑な先頭形状は、これを考慮した結果です。



Hamahaq15  隣は100系X1編成食堂車、168-9001です(写真)。かつて東海道新幹線にも2階建て車輌があった、その名残です。食堂車も無くなってしまいましたね!



Hamahaq16  そして原形0系、22-86です(写真)。0系も山陽区間で細々と残りますが、今年秋に全廃です。最後ということで、塗色もアイボリーとブルーに塗り戻されましたので、余裕がある方は、記録されては如何ですか。



Hamahaq17  最後に、ドクターイエロー、T4編成923-7ほか7両です(写真)。今年は、これを展示する場所には苦労したようです。



 概ね撮影を終え、帰りのシャトルバスの長い列を待っていると、「蛍の光」が。今日は終了でした。



 やはり地元JRのイベントですので、行かないのは嘘です。明日もありますので、如何でしょうか。でも、EF64 2の解体は、もう少し待ってもらいたいのですが。



 明日は、伊豆急と名鉄のどちらにするか、まだ決めていません。気分次第ですが、お楽しみに。

The Northern Territory(Story2)#5

Nhiroq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、北海道最終編です。



 今朝も滞在先を出発し、最初に向かったのは、帯広市の「とてっぽ通り」です。この通りは、旧十勝鉄道の廃線跡で、遊歩道として残り、車道が並走します。帯広駅から南西へ1キロほどの所に、十勝鉄道No.4と、客車コハ23が残ります(写真)。No.4は、1920年(大正9年)日車で、大正年間の日車製はまだ見たことがありませんでした。



Nhiroq2  そこから南下し、国鉄旧広尾線愛国へ(写真)。昭和62年廃止の同線、施設はかなり残っています。駅舎はコンクリ製で立派です。



Nhiroq3  駅ホームは行き違い可能だったのか、対向式2線あります。中には9600形19671が保存されていました(写真)。屋外でありながら、保存状態は非常に良好です。静態保存の見本です。



Nhiroq4  そして、次は大正へ(写真)。駅は国道から近いですが、ホームと少々しか残っておらず、車両はありません。



Nhiroq5  次は、有名な幸福です(写真)。乗降場のようで、簡単な木造駅舎しかありません。しかし、名刺が多数貼り付けられています。



Nhiroq6  線路が周辺200メートルほど残されており、車両が手前から、キハ22 238、キハ22 221 、除雪用モーターカーの3両が保存されています(写真)。昔は一方はツートンだったと思ったのは、気のせいか。



Nhiroq7  そして更に南へ下り、ナウマン象の化石のあった、忠類です(写真)。駅舎は立派に残りますが、線路にはワム、トラ、ヨの3両のみ保存されています。



Nhiroq8  そして終点、広尾です(写真)。ここまで来ると、太平洋まであと1キロ足らずで、十勝港もこの町にあります。



 駅舎は現在バスターミナルに活用されており、中には広尾線当時の改札と、広尾線関連展示があります。



Nhiroq9  そして駅のヤード跡を見ましたが、ダルマポイント数個、スポーク動輪、腕木式信号が残るのみで、パークゴルフ場と変わりました。やはり廃線20年、時代の移り変わりを感じます。



 これで自宅への帰り道ですが、現在は陸地ではありません。しかし、まだ携帯の電波が届く関係で、通信が可能です。あなたの携帯でも出来るでしょうか。



 これで安眠して家へと帰りますが、ああ、今回も散財したなあ!

The Northern Territory(Story2)#4

Nakaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。渡道も4日目になりました。



 今朝も滞在先を発ち、最初に向かったのは、釧路市内の釧路製作所工場です。工場敷地内には、鉄道院、後に雄別鉄道に移動した、8700形8722が保存されます(写真)。輸入機を元に、明治45年汽車会社で製造されました。純国産、8620までには、もう少し。



Nakaq2  そこから国道を北上し、旧阿寒町上阿寒へ。道の駅から西に細い道に入ると、阿寒町炭砿と鉄道館という施設があり、そこには鉄道院から雄別鉄道に移動した、C11 65(昭和10年川崎)と、ヨ8057が保存されています(写真)。旧阿寒町中心街ではないので、ご注意を。でも、ここも今は釧路市なんですねえ!



Nakaq3  そして、まだ行きたいところはいっぱいあったのですが、時間の都合で、陸別へ。「ちほく鉄道ふるさと銀河線」(元国鉄池北線)陸別駅は、同鉄道が廃止になった現在も、「道の駅」として残ります(写真)。



Nakaq4  旧改札を越えると、駅施設が残ります。丁度CR75-2(999号)が、体験運転で動いている姿を捉えました(写真)。動態保存ですね。



Nakaq5  通常の利用では、線路を渡ることは禁じられ、旧跨線橋を渡ります。3番線の向こうに、もう一つの999号、CR75-3と、除雪用モーターカー他が残ります(写真)。



Nakaq6  後を振り向くと、かつての車両が(写真)。手前からCR75-101(イベント車と思われる)、CR70-7、CR75-1です。地域の状況から、ちほく鉄道はレールバスを使用せず、結果富士重のLEカーではなく、新潟鉄工の軽快気動車を使用しました。寒冷地対策もあったでしょう。しかし結局数十年は保ちそうな、高価で立派な車両を入れても、結果はあまり変わりませんでした。



Nakaq7  一番端では、軌道自転車の体験が出来ました(写真)。有料ですが、線路の上を走れる良い体験です。



Nakaq8  そして動態保存の2両、左CR70-8、右CR75-2が、陸別駅構内で行き違います(写真)。営業当時かと間違えますが、残念、線路は駅周辺数百メートルしか残っていません。



 勿論999号塗装は、「銀河鉄道999」原作者の松本零士氏のデザインです。瀕死の第三セクターには、細かいことは言わなかった筈です。



 しかし営業当時の話をすれば、帯広から足寄で降りて、次で陸別で降りて、次で置戸で降りて、北見で全線走破ということが、陸別~置戸間のダイヤの悪さで出来ず(逆も同じ)、結果特定の列車だけ満員で他の列車はガラガラ、という状態でした。沿線自治体の仲、と言ってしまえばそれまでですが、一般利用者まで丸聞こえの不協和音は、やはり悲しかったです。結果営業基金を食い潰して廃線、ただ単に廃止を10年あまり先延ばししただけでした。関係者もさぞ無念なことだったでしょう。非常に残念な話です。



 明日からは帰り道です。次回は未定ですが、お楽しみに。

The Northern Territory(Story2)#3

Nshikaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、渡道3日目です。



 今朝も滞在先を出発し、最初に向かったのは東旭川。東旭川公民館前には、旭川電気軌道1001が保存されています(写真)。しかし公民館は小学校裏、道道から約500メートル南側に離れています。探すのに一苦労でした。



Nshikaq2  電車の横には、旭川電気軌道の説明版が(写真)。終点は旭山公園、今の旭山動物園の前で、現在まで残っていれば、どうなっていたでしょうか。



Nshikaq3  そこから南に下り、隣町の東川町へ。道の駅から北へ500メートル、東川町郷土館があります(写真)。何の変哲もない木造二階建てに見えます。



Nshikaq4  しかし、その中には、同じく旭川電気軌道東川線用の、101号がまるごと入っています(写真)。調光は良いのですが、下がる場所が無く、広角一杯でもこんな感じで、窮屈です。



 なお、同館は朝10時から開館します。開館時間には、お気を付けて。



Nshikaq5  東川から大移動、美瑛・富良野といった、彼女と来たくなるような美しい自然風景(ケンメリもここですし)を目指す車の渋滞に巻き込まれながら、濃霧の狩勝峠を越え、十勝の鹿追へ。北海道拓殖鉄道鹿追駅跡に残る、同鉄道8622と、荷台が木製のトラ(写真)。保存状態は良好です。目標としては、同鉄道の後身である拓殖バスの鹿追営業所で調べれば、カーナビでも出てきます。



Nshikaq6  鹿追からは拓殖鉄道沿いに士幌へ。国鉄士幌駅跡に、士幌鉄道記念館があります(写真)。旧駅舎をそのまま使用しているようです。



Nshikaq7  旧駅案内板が立ち、線路にはワム(パワム)、ワム、ヨが残ります(写真)。廃止20年、ここに鉄道があったことも、人々の記憶から消えつつあります。



Nshikaq8  士幌から士幌線に沿って北上し、糠平の上士幌鉄道記念館にやって来ました(写真)。中には士幌線の記録が残っています。入館料100円です。



Nshikaq9  同記念館前にはヨ4843が残り、かつての営業線を利用して、軌道自転車のトロッコが走っていました(写真)。



Nshikaq10  ここまで来れば、やはり行くでしょう、タウシュベツ橋梁へ(写真)。士幌線の旧橋梁、骨材等は現地の土石を使用し、建設費を徹底的に下げたそうです。しかしダム建設で水底に沈むため付け替えられ、この区間は廃止されました。そのため、幻の橋梁と呼ばれます。しかし代替線も廃止、現在ここに鉄道は残っていません。



Nshikaq11  向きを変えて1枚(写真)。列車が通った場所ですが、崩壊の危険があり、現在橋を渡ることは禁止されています。命の惜しい人は、止めましょう。



 なお、この場所は、糠平から国道を5キロ程北上し、湖の対岸を走る未舗装の林道を4キロ南下します。しかし、それだけして来るに値する場所です。正直言って、自家用内燃機関が無い人には、到達は不可能です(ただ2輪では、お尻が痛い)。でも、また今日もダートラやっちゃったよ!



Nshikaq12  そして今日の滞在先へ向かったわけですが、明日の都合があり、更に大移動を。高速を抜け、国道を抜けると、謎のコンクリート橋梁が並走します(写真)。こんな所に釧網本線があるわけなく、何線か考えてみると、かつての白糠線の、廃線及び未成線の痕跡と思われます。



 かつて新得から士幌、本別を抜け、白糠に抜ける鉄道が計画されていたわけですが、十勝地方の中心都市、帯広を避けては、やはり困難なのでしょう。結果何十キロにも及ぶ巨大な未成線が残ってしまいました。ああ、勿体ない。



 こんな感じで今日の取材を終えました。



 明日は、今日の続きです。

The Northern Territory(Story2)#2

Nyubaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、渡道2日目です。



 今朝も滞在先を発ち、最初に向かったのは長沼町。温泉、パークゴルフ場等の福祉施設の中に、夕張鉄道25号が保存されています(写真)。たったこれだけですが、予定場所と違い、30分位町内を彷徨いました。



Nyubaq2  2枚目は、栗山町栗山公園内に保存される、夕張鉄道21号です(写真)。こちらは一発で発見できました。屋根付きで、状態は良好です。



Nyubaq3  そして夕張へ。先ずは三菱大夕張鉄道から。同線南大夕張駅跡には同鉄道車両が保存されています。休日の今日は、保存会のメンバーが塗装の補修をしていました(写真)。時々塗装を補修しないと、だんだんと見苦しくなり、結果解体の憂き目に遭うことになります。写真手前から、キ1、スハニ6、オハ1、シートを被った車両の後は、セキ1、2(石炭車)です。



Nyubaq4  大夕張に続いて、夕張石炭と文化村へ。一番北のはずれに、SL館があります(写真)。D51をかたどった建物になっています。中に入ります。



Nyubaq5  建物左側には、夕張鉄道14号が入っています(写真)。この後は客車、ナハニフ151があり、中は当時を再現するマネキン人形多数です。あまりにリアル過ぎて、魂が入っているんじゃないかと思う位でした。



Nyubaq6  右側は、三菱大夕張鉄道No.4が入っています(写真)。当時の夕張の様子が思い浮かばれます。



 全国的に有名になった、夕張市の財政の関係で、SL館も閉鎖されるという噂もありました。現在まで営業は続いていますが、今後は分かりません。閉鎖になることを思えば、共通入館券3,150円は少し高いですが、入っておいた方が良いと思います。



Nyubaq7  夕張を北上し「めろん城」、目標の美流渡の万字線展示館を発見できずに、そのまま三笠鉄道記念館に来てしまいました(写真)。国鉄幌内線(廃線)の終点幌内に出来た同記念館、手前数キロは線路が残っています。でも、此処って、映画「鉄道員」の舞台なんですよねえ?(映画の中では、「幌舞」と言っていましたが。)



Nyubaq8  同記念館に来て、一番目立つのは、やはり動態保存のSL、S-304(昭和14年日車)です(写真)。休日は30分おきに乗客を乗せ動きます。一人200円です。乗車しました。



Nyubaq9  次は屋外の保存車を。写真は手前からラッセル機関車DD15 17(昭和38年日車、単線型に改造)、ロータリー機関車DD14 1(昭和40年汽車)、ソ81です(写真)。



Nyubaq10  蒸気式除雪機関車の向こうは、DD16 15(昭和48年川重)です(写真)。その気になれば1,250馬力に出来る機関を、800馬力に出力が落としてあります。



Nyubaq11  西側には、DD51 610(昭和43年三菱重工)が(写真)。隣にはキハ22、キハ27・56が並んでいます。



Nyubaq12  建物の中には、DD13 353(昭和42年日車)が(写真)。出力増強形でしょう。



Nyubaq13  その左は、ED76 505が(写真)。昨日の小樽の車両と比べ、保存状態は良好です。建物の中ですし。



Nyubaq14  その左は9600形59609、更に左はC12 2が(写真)。9号に驚いてはいけなかった!



 それから記念館に入り、展示品を見学し、出発しました。



Nyubaq15  次は三菱美唄鉄道、東明駅跡に残る三菱2号、元鉄道院4110形です(写真)。動輪5つのタンク機関車、この形は勾配線用で、元は肥薩線矢岳越えや奥羽本線板谷峠越えで使われた機関車です。この近辺はサイクリングロードとして鉄道跡がが残り、東明駅駅舎も残ります。



Nyubaq16  美唄からはダートを越え、三井芦別鉄道炭山川橋梁に展示される、三井芦別鉄道DD501に辿り着きました(写真)。この機関車は静態保存ですが、雪の時期には橋梁から撤去するそうです。これも運炭鉄道でした。後にはセキが続きます。



Nyubaq17  そして今日の最後は、函館本線旧神居古潭駅跡です(写真)。神居古潭そばに駅がありましたが、現在はルート変更で、廃止になりました。



Nyubaq18  旧線はサイクリングロードになり、駅舎はサイクリングターミナルになりました。そして線路跡にSLが残ります(写真)。手前から、29638、C57 201、D51 6の順で並んでいます。



Nyubaq19  そのC57 201をアップで(写真)。同機はC57の中でも4次形と呼ばれる戦後製造のグループで、少数しか存在せず、しかも南九州と北海道にしか存在しなかった車両です。どこが違う、と説明できるほど知識もなく、写真を見ていただくしかありません。



 そして今日の滞在先に向かいました。



 愛車のカーナビは、最短距離をいつも表示するため、雪で通行止めの山道を指示することもありました。しかし、今回は、まさかダートを指示するとは!ほんと、ダートラでしたよ!



 明日は、今日の続きです。

The Northern Territory(Story2)#1

Nfukuq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、渡道1日目です。



 今朝滞在先を発ち、最初に向かったのは、福島町の「青函トンネル記念館」(写真)です。この建物は、当初在来線用に計画された青函トンネルが、新幹線用に設計変更されたため、在来線計画時の出口予定地に当たる場所に建てられました。現在は接続する予定だった松前線も廃止され、車かバスでなければ来れない場所になりました。



Nfukuq2  中には展示品多数でしたが、写真はボーリング用の削岩機です(写真)。15分おきに資料映画も見られます。外には海底調査用の潜水艇、”くろしお”も展示されています。



Nfukuq3  現在の青函トンネルの北海道側の入口です(写真)。隣町の知内町になります。かつてこの場所は有料の撮影スポットでしたが、現在は有料ではないようです。



 北海道側、吉岡海底駅の次は知内です。駅前は道の駅にもなっており、駐車可能で撮影をしましたが、枚数の都合でボツです。



 この後、大移動で共和町地内の幌似鉄道記念館を探すも、目前で発見できず。来年の課題です。



Nfukuq4  更に大移動で、次は小樽市総合博物館にやって来ました(写真)。かつてここは小樽交通博物館と呼ばれましたが、組織改組で現在の名前になりました。



Nfukuq5  先ず中の7106「しずか」です(写真)。北海道開拓使が、北海道最初の鉄道用に輸入した機関車の1両、同時に輸入された「義経」「弁慶」は東西交通博物館に保存されます。明治初期に既に1-Cのモーガル、カウキャッチャーもついてアメリカンな雰囲気です。それもそのはずアメリカのポーター社製でした。北海道では6号機関車でしたが、後の称号改正で7106に改められました。後には当時の一等車が展示されます。



Nfukuq6  外は車両展示です。1枚目、ヨの次にあるのは、操重車、ソ34です(写真)。単純に言えばクレーンです。道路のない時代には、唯一の大型クレーンでした。岩見沢客貨車区所属と書かれています。



Nfukuq7  その次には救援車、スエ、オエが続き、その先にはDD51 615があります(写真)。昭和43年三菱重工製です。500番台は重連総括制御対応車です。暖地形、寒地形、酷寒地形があり、同機は北海道用の酷寒地形と思われますが、番号区分はありません。非重連形は、残ってないですねえ!



Nfukuq8  その隣の線路には、貨車多数、その端はDE10 503です(写真)。昭和43年日本車輌製です。これらの機関車の状況は、現在の同博物館の置かれた立場を雄弁に物語っています。



Nfukuq9  隣の線路には、元日銀所有の現金輸送車、マニ30 2012が入りました(写真)。この番号と形態は、運ぶ荷物が現金だと分からないよう、呼称と外観をマニ50に合わせたからです。営業中の記録も、殆ど残っていません。それもそのはず、運用自体極秘でしたから。



Nfukuq10  客車の前には、北海道用の元主力電気機関車、ED76 509です。暖房用SG設置でED76になりましたが、九州の0番台とは別物です。50Hz用ですし。しかし、客車列車も無くなり、JR貨物も引き継がず、全機引退しました(注 そのうち1両が、ED76 551に改造され青函トンネル用に残りましたが、存在の特殊性故に、残念ながら引退しました)。



Nfukuq11  隣は、C55 50です(写真)。製造銘板を探しましたが、見当たりませんでした。スポーク動輪の人気の形式で、これを見に宗谷北線まで行く人もいたのですから。



Nfukuq12  隣の線路には、キハ82 1が(写真)。その後は、キシ80 34です。ヘッドマークは、”北海”(函館~札幌間、倶知安、小樽回り函館本線(山線)の特急)が付いています。しかし車両の傷みが非常に激しく、補修が始まった模様です。



Nfukuq13  奥には、日本初の本格国産ディーゼル機関車、DD13 611です(写真)。DD13は、船舶用ディーゼル機関を改設計した、直6のDMF31Sを使用し、同機は前後に2台積んでいます。この機関をV12に改設計してDML61S、後にインタークーラーを増強しDML61Zが完成し、DD51やDE10といった日本の標準的ディーゼル機関車が完成しました。この機関車は、その基礎なのです。なお500番台は、これも重連総括制御対応車です。



Nfukuq14  その東側はDD16 17です。DD16は、簡易線用のC56、C12を置き換えるべく製造された機関車で、当時としては標準的なDML61Zを搭載していますが、重量軽減のため機構を簡易化し、出力も減少しています。国鉄長野工場と日車で製造されましたが、現在は除雪用に300番台に改造されたものが少数残るのみで、原型機は残存あるでしょうか。



Nfukuq15  園内一番南端の線路には保存車両多数です。キハ58?と思いますが、系列は合っているものの北海道用のキハ56 23です(写真)。同系の車両は、数年前まで札幌でも見られました。北海道の気動車は、全て正面にナンバーが入っています。後の緑帯の車両はキロ26 107、更にキハ27 11、キハユニ25 1(これはキハ20系)が続きます。



Nfukuq16  その隣には、1形式1両だけの存在、ED75 501が(写真)。同機は、北海道用にED75をベースに、半導体技術も取り入れた意欲作でしたが、結局増備車はこれにSGを追加し、中間台車を設けたED76 500番台になりました。だから同形式は九州のED76とは似て非なるものなのです。三菱重工・三菱電機の製作です。



Nfukuq17  キハ22を挟んで次は、C12 6です(写真)。簡易線用の軽軸重機関車、1-C-1のプレーリーです。



Nfukuq18  西に戻ると、転車台と扇形庫があり、除雪機械(元は蒸気機関車から改造したのだそうです)が多数展示されています(写真)。昔は、ロータリー機関車も蒸気機関だったんですから!キマロキ(機関車、マックレー車(掻き寄せ車)、ロータリー車、機関車と並ぶ最強の除雪編成)が思い出されます。



Nfukuq19  蒸気時代のラッセルヘッド、キが2両あり、その西はDD14 323が保存されます(写真)。同機はDMF31S機関2機を搭載、単機では除雪と駆動と分けることが出来、双方を除雪に使う場合は、昔は反対向きに背合わせしたDD14、今はDE10を後押しに使います。製造は昭和51年川崎ですが、除雪ヘッド部分は、本体がどこのメーカーであれ新潟鉄工所の製造です。そのため新潟の雪には最高ですが、北海道の雪質には合わない、とされ、結果DD53も廃車され、現在北海道ではDBR200、あるいはモーターカーで除雪します。



Nfukuq20  その西側にはDD15 37が(写真)。昭和40年日車製です。DD15は、DD13にラッセルヘッドを取り付けただけの機関車で、ディーゼル機関車が不足する時代には、夏期にはヘッドを外し運用に就いていました。しかし写真を見れば分かるようにヘッドには従台車が無く、中間台車のない同機は軸重制限の厳しい簡易線には入線できません。



 他魅力的な車両が多数ありましたが、残念ながら閉館時刻となり、取材は終わりました。そして今日の滞在先に向かいました。



 青函トンネル関連は、色々ネタが尽きません。まだまだ続きがありそうです。



 小樽市総合博物館は、予算は厳しいのでしょうが、やはり保存車両の整備を望みたいですね。正直、少し見るに堪えない車両も見受けられました。どうか、改善を。



 こんな感じで今日の取材を終わります。明日は、今日の続きです。

The Northern Territory(Story2)#0(前夜祭)

Zenyaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は夏期休暇を利用して、大遠征に来ています。



 昨日自宅を発ち、首都高C2経由で東北道を駆け上り、長駆1000キロで辿り着いたのは、この春営業を休止した小坂鉄道小坂駅(写真)。駅は旅客営業当時のまま、休止を迎えました。



 休止とはいうものの、親会社の小坂精錬が新型炉を稼働させたため、旧来の精錬の副産物だった硫酸の運搬に最後の仕事を見いだしていた小坂鉄道は、運ぶべき旅客も、貨物も失い、このまま廃止される模様です。凸型ディーゼル機関車4重連で働いていた、営業中に来なければなりませんでした。後悔先に立たず。



Zenyaq2  腕木式信号も残り、その後の検修庫には機関車と、キ115という緑色の車両が入っていました(写真)。なお、機関区内部は、部外者立ち入りも、撮影も禁止です。



Zenyaq3  悲しく残る、大館から22と1/2キロメートルのキロポスト、虚しいですね(写真)。駅構内には、スイッチャーと、タキ数両が残るのみでした。



Zenyaq4  そして小坂を発ち青森県突入。青森県の端の、竜飛岬まで来ました(写真)。ここには、青函トンネル記念館(竜飛側)があります。



Zenyaq5  到着すると、すぐ乗車できると渡りに船だったケーブルカー「もぐら」(写真)。工事にも使われた車両です。これで青函トンネルの斜坑を下ります。



Zenyaq6  見ると、トンネル内の気圧が変化しないよう、「風門」があり、一つ閉めてから一つ開けます(写真)。



Zenyaq7  斜坑は、上から見て右がケーブルカーのレールが敷かれ、左半分は階段です(写真)。海底に降りるまで、約1000段あるそうです。



Zenyaq8  中では案内係の説明が立ち、トンネル工事の状況の再現がなされていました(写真)。青函トンネルでは、あらゆるトンネル工法が試され、その結果が世界中のトンネル技術の見本となったそうです。トンネルも日本が世界一の技術を保有している、ということです。



Zenyaq9  一周し、水平のトンネルが鉄の風門で閉ざされています(写真)。この風門を2回越えると、竜飛海底駅に達することが出来るそうです。上には消火用水送水パイプ1本と、湧水汲み上げパイプ2本が通っています。竜飛海底駅の施設には、ここからは通常入れません。一周45分、長いようで短い時間でした。



 そして斜坑をゴトゴト上り、帰ってきました。



Zenyaq10  こっちへ来るときに是非見たかったのは、青函トンネル入口もありますが、中小国から分岐しながらJR北海道津軽海峡線津軽今別と、JR東日本津軽線津軽二股が合流する所です(写真)。別の駅でありながら、同じ場所です。下が津軽二股の乗降場、その横の屋根付き階段を登った上が津軽今別の駅舎です。しかも非常時用に、津軽海峡線から津軽線へ下るバイパスもあるんです。この周辺の配線は非常に複雑です。



Zenyaq11  しかし今日の取材は前夜祭です。それは、これらの取材の後、写真の青函高速フェリー、「ナッチャン」に乗船したからです(写真)。双胴の高速船で、青森~函館間を2時間で結びます。今日の滞在先は大体分かるでしょう。



 明日からは、本番、メインの取材です。ということで、次回をお楽しみに。

最後の姿です(1600系)

Tsuq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名鉄1600系3両編成さよならイベントに参加しました。



 名鉄の特急政策の変更で、全車指定席の特急は順次廃止になります。そして特急車1000系は解体し(新)5000系を製造し、1600系は先頭車を1両廃車して4両一般席車を連結することが決まっています。そのため、この6月のダイヤ改正で1600系は運用が無くなり、改造の準備をしています。その編成を利用して、今日3両編成としては最後の営業運転を行い、撮影会も行われました。



Tsuq2  現在1600系は三河線山線の終点、猿投に疎開しているようで、一般席車の落成を待っているようです。今日は、猿投から豊田市まで回送され、豊田市、土橋で乗降を行い、知立にやって来ました(写真)。知立でこれを待っていたファンも多数で、大混乱なのが分かるでしょうか。中も超満員で、知立で降りる人も少なく大混雑で、撮影は不可能でした。そして立ち席のまま土橋に行きました。



Tsuq3  土橋駅の、通常使わない3番ホームに到着します。まずは解体される側の、JRで言えばクハに当たる、1604を写します(写真)。ホーム上で、こんな程度です。ここは大混雑でした。まだ新編成に合わせた方転は行っていないようです。



 なお、今日は1604の運転台の公開も行っており、親子連れ等が長い行列をつくっていました。私は、撮影を続けます。



Tsuq4  反対側の、残る側、JRで言えばクモハに当たる、1704を(写真)。この程度でしょう。こちら側には、JR東海373系同様に自動幌装置がありますが、これも無用の長物となります。



Tsuq5  貫通ドア中心部には通常は、”パノラマSuper”と入るのですが、今日は特別に、”1600系 Last Run 3両運転 2008.7.13”と入っています(写真)。今日だけの、特別な表示です。確かに、名鉄最後の3両編成です。



Tsuq6  私がもう少しで忘れるところだった、足回りからの撮影。それが出来るよう、名鉄側はちゃんと準備してあります。土橋駅の留置線を渡る踏切に、トラ柵を用意し、線路内への入場を禁じています。結果、非常に撮影には好適で、邪魔も入りません。しかも廃車になる1600形側が手前になっています。サービスは万全です。



 まずは全景、左がお目当ての1600系1604始め3連、右が100系242始め6連です(写真)。疎開先が猿投なのもありますが、会場が吉良吉田ではなく土橋なのは、その辺の事情もあるのでしょう。でも、これだけの混雑は、土橋では久しぶりでしょう。



Tsuq7  最後の姿、1600系1604始め3連の全景です(写真)。この姿は無くなり、冬には6連となり、我々の前に現れるのでしょう。一部廃車は残念ですが、新しい姿に期待しましょう。



Tsuq8  おまけ。今日の知立では、来る列車全部にシャッターを切る人もいましたが、私が切ったのはこれだけ、手前6244、奥6044の6000系2連です(写真)。中期形最後の編成、6045以降はモデルチェンジです。



 次回は、長期遠征の予定です。お楽しみに。

(新)新豊橋です。

Shintoq1_2  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、本年6月5日に新豊橋駅の移転、及びダイヤ改正のあった豊橋鉄道渥美線を取材しました。



Shintoq2_2  写真は平成18年10月当時の新豊橋です(写真)。1面1線、奥には電車も写っています。



Shintoq3_2  ほぼ同じ位置での、今日の状況です(写真)。解体され、何も残っていません。駅は、約50メートルJR寄りに移転しました。



Shintoq4_2  豊橋駅の歩行デッキ上から見た、新しい新豊橋の駅舎です(写真)。デッキも延長されるようです。電車は、この駅舎の1階に入ります。デッキを降り、駅に入ります。



Shintoq5_2  ホームから旧駅の方向を望みます(写真)。更地になり、線路も含め、何も残っていません。この区域を取り込み、区画整理が行われるようです。なお、新駅は、かつて豊鉄が貨物を国鉄と授受していた時代の、貨物ヤードの跡地に設置されました。



Shintoq6_2  ホームはかつての1面1線から、1面2線になりました(写真)。非常時にも対応できます。長年、豊鉄が待ち望んだ駅でしょう。



 なお、ダイヤ改正では、データイム15分ヘッドは変わりませんが、新豊橋発0、15、30、45分発に変更になり、それに合わせ時刻が変更になりました。



 そして左側1番線の、2807始め3連「なぎさ」に乗車しました。



Shintoq7_2  豊鉄本社のある柳生橋を越え、車輌工場のある高師に到着します。工場の入出庫線には、右手前2802始め3連、左奥2809始め3連が、出発を待っています(写真)。下車し、写真を多数撮影しました。この周辺は、ここ数年で工場も建て替わり、劇的に変化しました。



Shintoq8_2  駅に戻ってくると、先ほどの2809始め3連が、車輌の交替のため、高師のホームの通常は使わない側の面に入線しています(写真)。何度か豊鉄渥美線には乗車していますが、このシーンは初めてです。



 しかし、次の下りには「なぎさ」が来ることを知っていたので、これには乗車せず、更に乗り進みます。



Shintoq9_2  大清水で1804始め3連、「なぎさ」を下車(写真)。ここで、折り返します。



Shintoq10_2  大清水で電車を待っていると、上りにやって来たのは、先ほど乗車した2807始め3連、「なのはな」でした。確かに全部昭和40年代に製造された東急7200系ですが、伝統の愛称、残って欲しいですねえ!



 そして、新豊橋に戻りました。



Shintoq11_2  おまけ1。豊橋から帰宅の途中、伊奈でパノラマカーを発見。しかし特急で、そのまま行き過ぎてしまいます。しかし、運良く特急が、国府に停車したので、これ幸いと下車、伊奈に戻る準備をします。



 伊奈行きを待つ間の駄賃、1000系1004始め4連が、国府の留置線に停まります(写真)。運用を待つのか、それとも5000系製造のための部品取りを待つのか。



Shintoq12_2  おまけ2。暫くすると、豊川稲荷方から、普通列車2両編成が入線します(写真)。6800系と思いきや、6052とナンバーが入っており、6000系最終編成、6052始め2連でした。52編成増備された6000系、6045以降は正面デザインが変更され、6500系・6800系前期形と同じです。



 この後、やっと伊奈行きがやって来ました。



Shintoq13_2  おまけ3。伊奈駅に留置される7000系パノラマカー(写真)。行き過ぎる時の目視でも、この写真のデジタルズームでのアップでも、一番手前の車輌のナンバーは7002と見えます。つまり7001始め4連(パノラマカー初号編成)で、来年まで残る予定で中間車2両を切り離したと言われましたが、残念ながら残存は出来なかったようです。正面のM型電連もあり、やはり間違いありません。



 アスベストが原因か、7000系パノラマカーの解体は遅れているようで、もう暫く疎開が続くようです。明日のイベントの後、皆さんも伊奈に寄っては如何でしょうか。今度幸運に出会うのは、あなたではないでしょうか。



 梅雨も明け、夏全開です。明日も晴れるでしょうが、暑さ対策は必要です。今日の午後3時、豊橋で36°Cでした。内陸の名古屋や豊田はもっと暑いです。でも、本当に暑かったなあ!

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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