あと91日です。

Zeroq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、0系新幹線で営業する”こだま639号”を取材しました。



 昨日最大の失敗は、名古屋に戻ったこと。そのまま紀伊勝浦から”くろしお”にでも乗って、直接大阪へ行けば、時間もお金も節約できたのですが、予定がずらせるとは思っておらず、昨日の遅延になりました。そして大阪に向かい、前泊しました。



Zeroq2  今朝は早めに、といっても早朝6時の”こだま629号”ではないのですが、滞在先を出発。そして新大阪駅に到着すると、20番線には100系K58編成、”こだま637号”が出発を待っています(写真)。目的の列車は、その後です。



Zeroq3  出発して間もなく、福山発上り”こだま620号”が入線します(写真)。これが折り返し、新大阪発博多行き”こだま639号”になります。到着後、車内清掃が始まります。



Zeroq4  早く折り返しの準備を終え、ヘッドライトを点けて欲しいのですが、テールライトのままのR67編成、博多方先頭の21-7951(写真)。このまま白くなるのを待っていると、この列車に乗車できなくなりかねないので、泣く泣くホームを移動しました。



Zeroq5  2号車26-7210の方向幕(写真)。「自由席」「こだま 博多」と出ています。これももう見納めなのか。東海道新幹線での0系引退時には、このフィルムを使った、100Vで動く電動の行先表示器が、個数限定で販売されていました。



Zeroq6  駅案内表示です(写真)。”こだま639号”7:59博多行き、停車駅各駅と出ています。間もなく発車です。車内へ移動しましょう。



Zeroq7  3号車、25-7902車内の、車販準備室の様子(写真)。左が準備室、水道等があり、簡単な調理は可能なのか。右は倉庫、従業員休憩室になっています。”こだま639号”では、新大阪~岡山間だけ車内販売があります。そこから先は、待避時間中に駅で購入するしかありません。



Zeroq8  座席車の様子(写真)。製造当初のような2+3の転換クロスシートは既に無く、回転リクライニングの2+2シートです(写真)。0系現存車は全て7000番台ですが、これは0系後期形2000番台の車内を、JR西日本が改造した系列だからです。3号車車販準備室付きは7900番台になっています。現存形式も21、22、25、26の4形式だけ(グリーン車、食堂車、ビュッフェは残っていない)です。



 そして発車、博多を目指します。



Zeroq9  途中駅では待避が長く、何回かホームに出て撮影しました。写真は東広島駅、上りホームには100系P7編成、”こだま636号”が停車していました(写真)。



Zeroq10  そのまま乗り進み、終点博多で下車。反対ホームからの撮影を期待しましたが、残念、”ひかりレールスター”(700系7000番台)E9編成が車内清掃を行っていました。なお”こだま639号”は、このまま博多南線に入ります。しかしこの発車(13時29分)は、”ひかりレールスター”の発車より前で、博多駅での編成写真撮影は、事実上不可能です。そのため諦め、帰りの列車に乗るべくホームを移動します。



Zeroq11  名残惜しく撮影した、左R67編成、右E9編成です(写真)。こちらは揃いますが、反対は6両と8両の差が出ます。



 そして帰途に就きました。



 注文は、本当は幾つかつけたいですが、やはり営業であり、必要なことしかできません。それを思うと、仕方ないのか。



 0系も、本年11月30日で全面的に引退します。皆さんも、機会があったら、撮影されたり、乗車されたりすると良いと思います。その際のガイドになれば、幸いです。



 しかし、今日の”こだま639号”で、始発新大阪から、終点博多まで通して乗った乗客は、指定席では私一人でした。よっぽど暇なのか、よっぽど好きなのか。どっちなんですかねえ?

”南紀”で行きます。

Nankiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今日は、多客臨である”南紀81号・84号”を取材しました。



 通勤と同じ位に自宅を出て、向かったのは名古屋駅。8時46分、定刻通り名古屋車両所(海ナコ)から列車が回送され、12番線に据え付けられます(写真)。これが”南紀81号”になります。



Nankiq2  しかし列車は南行き、名古屋車両所の方向です。先頭を11番線から望む(写真)。先頭はキハ85 4、続いてキハ84 10、キハ85 1115、キハ85 7の4連です。通常”南紀”は3連、4号車は増結(指定席)です。そしてこれに乗車、定刻通り発車しました。



Nankiq3  発車して間もなく右手に、JR東海の優等気動車の基地、名古屋車両所が見えてきます(あとは美濃太田と伊勢市に一般型の基地がある)。屋根付きの車庫には検測車、キヤ95が顔を出していますが、第1編成か第2編成かは分かりません(写真)。JR東海は、現在全気動車(キヤ95、キヤ97(レール運搬車)も含めて)全て米国カミンズ社の英国子会社製のディーゼル機関を使用しています。全て舶来機関とは!



Nankiq4  その後には転車台が(写真)。キハ85、キロ85の向きはこれで変えています。左手には気動車の検車をする、名古屋工場が広がっています。



Nankiq5  木曽三川を越え、荷坂峠を越え、三重南部の東紀州へ。夏休みには特急も停まる、新鹿海岸(駅は新鹿)に近づくと、電光掲示も海岸の案内が出ます。それほどの海岸、海水浴場のようです(写真)。



Nankiq6  そして「来た、見た、撮った!」でも話題になった(アンコールまでありました)鵜殿行きのコンテナ貨物は、今ではDD51単機で鵜殿行きになり、鵜殿~新宮間は廃止になりました。重連も無くなりました。今日はDD51 822号機が牽引し、帰還を待っているようです(写真)。



Nankiq7  そして鵜殿を過ぎればもうすぐ和歌山県、熊野川を渡ります(写真)。この川が今の県境です。これを渡ると、間もなくJR東海とJR西日本の分岐駅、新宮です。



Nankiq8  そして新宮から30分、終点紀伊勝浦に到着(写真)。帰りは5号車と書かれていたので、4連のこの編成では車両が無く、どうなるかと思っていると、この編成は”南紀82号”のスジで新宮方面に回送されていきました。営業しても客は十分乗りそうですが。私は駅を出ました。



Nankiq9  紀伊勝浦の駅です(写真)。駅前はバスターミナル、タクシー乗り場、商店街になっています。



Nankiq10  そして”南紀3号”が到着します(写真)。こちらはキロハ84も連結した5連です。しかし紀伊勝浦は新宮のような停泊の基地にはなっておらず、停泊の線路はありません。そのため紀伊勝浦では名古屋行きの”南紀”は、1番線で折り返します。



 かつてキハ82の時代、このホームで一晩を越す運用もありましたが、起動が心配なのか、他社駅での間借りが良くないのか、今は設備の整った新宮で夜を越します。



 駅はカーブしており、編成全体は写せません。



 そしてこれが折り返し”南紀84号”になります。



Nankiq11  清掃が終わり、清掃の職員が合図をしたので、乗車します。5号車はキハ85 13で、1100番台(100番台全車に車椅子対応改造を施し改番された)とは違い非貫通です。運転台の様子を間近に見ることが出来ました(写真)。初号車は昭和63年デビューのキハ85系、マルチモニター式ではなく、各種点滅灯が見えます。



Nankiq12  暫く待っていると、各停の105系が新宮方から入線します(写真)。3ドアの105系で、103系改造車ではなく、福塩線等と同じ車両と思われます。



 そして”南紀84号”は定時発車、帰途に就きました。



 しかし雨が原因で、一度は回復した遅れが、単線区間の愛知県内に戻ってから30分も遅れ、団体客は「新幹線の席はあるのか?」と心配していました。私はどうとでもなるので、まあJRさんに泣いてもらいましたが。



 明日もあるのですが、一体何処からでしょうか?

30年目のイベントです。

Meiop1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名鉄瀬戸線栄町乗り入れ30周年記念イベント、及び名鉄4000系撮影会を取材しました。



 昨日も書いたとおり、今日は別件を取材する予定でした。しかし今日のイベントを知り、急遽予定を変更したところ、うまく変更が出来たことで、今日の名鉄のイベントに参加が可能になりました。そして昨日は帰宅し、ブログ3連チャンを書き上げました。



 そして今朝も普通に起き、出発しました。



Meiop2  今回は、名古屋栄のポケモンショップも何かイベントがあるそうで、栄町のホームではピカチュウの着ぐるみが踊っており、イベントを盛り上げていました(写真)。



Meiop3  そして栄町乗り入れ30周年記念ヘッドマークを掲げた、出発式用の編成が入線します(写真)。6704(6600系)始め4連です。スポット測光にする、という基本を守らなかったため、ヘッドライトに測光が合ってしまい、加工も不可能なほど酷い写真となりました。そのため、こんな写真しか残っていません。



Meiop4_2  記念列車の横、2番線には、ポケモンラッピング編成、6000系6235始め4連が入っています(写真)。



 乗り入れ30周年記念式典、記念列車出発式を撮りたい気はしましたが、一般にそういう式典は、0系最終の時もそうでしたが、一部の関係者が場所を独占しており、嫌な思いをするだけなので、止めました。



 そして乗車しました。



Meiop5  同列車は尾張瀬戸行き普通でしたが、尾張旭で下車(写真)。ここも撮影者多数です。こんな写真になりました。



 そしてここから徒歩10分あまりの距離にある尾張旭検車区で行われる、午後1時からの撮影会に向かいました。



Meiop6  入場門の前で行列になり、待っていると、周辺住民の苦情からか、時間前に門の中に入って並ぶよう言われました。そして撮影会30分くらい前に、今日の主役、名鉄4000系第1編成の4001始め4連が、留置線からゆっくりと建屋に向かいます(写真)。内部見学のため取られた措置でしょうが、編成写真は不可能になりました。スローモーションでした。なお、正面、側面の行先表示はフルカラーLEDでした。



Meiop7  時間前に行列は移動、前の方だった私は、工場の建屋の中に入れました。間近に4000系が見られます。台車、住友金属FS571Tが目の前に見えました(写真)。枕バネは小さいです。



Meiop8  車内には、名鉄一般車初の液晶情報表示装置が導入されました(写真)。1画面式で、広告は入らないようですが、新しい試みです。



Meiop9  運転台の様子です(写真)。右手式ワンハンドルマスコン、大きな画面表示が特徴ですが、運転中の表示は見ることが出来ませんでした。なお、ここでの撮影は、1人2枚まででした。そうでなければ3時までに客を捌ききれません。



Meiop10  車内の様子(写真)。最近の名鉄の新造車としてほぼ同一ですが、全車ロングシートなのと、車端の優先席の長さが延長され、ドア位置が変則なのが特徴です。



 そして外に出ました。



Meiop11  社員の説明によると、バラスト敷きの部分と、立ち入り禁止した部分は駄目、それ以外は歩いて良い、とのことでした。そこで工場手前の舗装通路に入ると、柵の前までは良いとのことで、その入った場所から1枚(写真)。入口はありますが、一応編成全体は写っています。4101始め4両です。この場所は、私が帰る頃には、カメラを持ったファンで超満員でした。



Meiop12  横ではドリンクと記念グッズの販売がありました。その隣には、名鉄博物館所蔵品のうち、瀬戸電関連部品が並んでいました。その一つ、旧式電車がつけた、堀川~瀬戸間特急用逆富士形行先表示器です(写真)。いずれも非売品です。



 そして時間は十分残していましたが、終了までに編成写真が撮れる見込みがなかったので、会場を後にしました。



Meiop13  尾張旭の駅に戻ると、丁度6652始め4連が、急行運用で入線しました(写真)。瀬戸電は全車共通運用で、性能はほぼ揃っていますが、やはり同編成は旧式吊掛車のリサイクル車輌、その中でも最初の編成です。一番危ない、と思うのは私だけでしょうか。



Meiop14  そして喜多山で下車。丁度先程の30周年記念編成が入線しました(写真)。これでやっと普通の写真です。



 そして帰途に就きました。



 やはり古い車輌は保守が困難になり、やがて引退ということになるのでしょう。瀬戸電も近代化のため、やむを得ないのでしょう。だからこそ旧式車は、今のうちにしっかり記録し、その時に備えたいものです。



Meiop15  おまけ。喜多山で下車したのは、旧喜多山検車区の状況を見たかったから。”お堀電車”の時代からの車庫、木造で2両が限界だった喜多山検車区は、もう建物も残っていません。横に6026始め4連が入っていますが、デキとともに無くなってしまいました。残念。



Meiop16  その反対側にあった煉瓦造りの(崩れそうだった)変電所も、解体され、更地となりました(写真)。時代は、だんだん流れていくのですね。



 次回は、今週の予定をなぞります。それでは、お楽しみに。

一巡したでしょうか?

Toiq1_2



 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日3回目の”Tetsu”をお届けします。3回戦は、今日の交通機関であった東急大井町線・田園都市線沿線の取材です。



 JR東日本東京車輌センターは、大井工場と山手電車区(東ヤテ)が合併して出来た組織で、その大井工場はその名のとおり大井町であり、目の前を東急大井町線が通っています。



 JRのイベントを引き上げ、東急に乗車しようとすると、丁度大井町線急行、6000系6103始め6連が出発を待っていました(写真)。落成して間もないのか、まだピカピカです。



Toiq2  しかし乗り鉄という点では、急行より普通の方が良い。そのため乗れる新車の急行を行き過ごし、5連の普通に乗車。そして池上線(旗の台)、目黒線(大岡山)、東横線(自由が丘)と交差し、二子玉川へ。大井町線は緩急併合も可能なよう施設も整備されていますが、普通駅には有効長3両もあるようです。



 そして二子玉川に到着(写真)。今乗ってきた右の8088(8090系)始め5連に、左の8541(8500系)始め5連が並びます(写真)。左コルゲートステンレス、右ビート入りステンレス外板で、車輌の歴史変遷が分かる気がします。



Toiq3  二子玉川から多摩川橋梁を望む(写真)。既に複々線化(大井町線乗り入れ)準備は始まっていますが、対岸(神奈川県側)が未完成で、大井町線車輌は、多摩川橋梁を引上線に使用しています。完全完成後は、この部分は本線になるのでしょう。



 二子玉川の駅は、大井町線を本線とするか、新玉川線を本線とするかで何度も改造をしています。大井町線乗り入れ複々線化に伴い、今後もう一度改造が必要なのでしょう。



Toiq4  そして渋谷から入線したのは急行、8500系8520始め10連です(写真)。田園都市線の主力です。10連は、東急では最長で、田園都市線だけで運用されます(東横線は実は8両なんです、だから乗り入れ予定の東京メトロ副都心線の編成長も、問題になります)。しかし、前述のとおり宮崎台には急行は停まらず、パスします。



Toiq5  次に来た田園都市線普通は、5000系、トップの5001始め10連です(写真)。だんだん新車に置き換わっていきます。



Toiq6  溝の口では、東武50050系、50052始め10連と行き違います(写真)。日立製、黒とオレンジは新しい東武の顔です。確かに、長津田や中央林間で東武が見られるようになったんです!なお東上線では、ベース車の50000系、副都心線乗り入れ用50070系、TJライナー用50090系もありますが、番号を飛ばしすぎではないかと思います。まあ、小田急60000系もありますが。



Toiq7  宮崎台では、東京メトロ8000系8004始め10連が過ぎ去ります(写真)。同編成はVVVF化改造されているようですが、今日はサイリスタチョッパ車のままの急行も見かけました。120キロなら出るのか。でも今のマークより、やっぱりラインカラーの”S”の方が、個人的には好きです。



Toiq8  そして「電車とバスの博物館」を出て、そのまま下り長津田へ。横浜高速鉄道こどもの国線、Y003始め2連が入線します(写真)。奥の引上線ではY001始め2連が待機しているのが、小さく写っています。これに乗車し、こどもの国まで行きました。



Toiq9  途中、唯一の中間駅恩田の駅そばには東急の車庫があり、多数待機しています。写真は、ED301、奥には伊豆急行色の8500系が入っています(写真)。デジカメが不得意な色らしく、カラー調整は苦労しました。



Toiq10  その少し長津田寄りには、3043と書かれたカラフルな電車が(写真)。牽引車のようですが、「私鉄車輌編成表」に記載されておらず、車籍は無い機械の扱いのようです。



 そして長津田に到着、横浜線で新横浜に行き、当初大阪に泊まるはずが、帰宅しました。



 早朝からではありませんが、大遠征になりました。我ながら、よく財布が保つものだと思います。



 明日は、自宅からの予定です。

牛に牽かれて、

Todeb1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今日の2回戦は、東急田園都市線宮崎台にある東急「電車とバスの博物館」を取材しました。



 今日の午前が大井町であり、午後は、何処へ行こうと考えると、やはり目の前の東急大井町線に乗るよなあ、大井町線に乗ったら、終点二子玉川へ行くよなあ、二子玉川へ行ったら、やっぱり田園都市線だよなあ、と思うと、確かに東横線・目黒線日吉複々線化もありますが、行ったことのない「電車とバスの博物館」に行きたくなり、取材を敢行しました。



 前述のような経路を通り(これは3回目で報告の予定)、田園都市線普通に乗車、急行の停まらない宮崎台にて下車しました。



Todeb2  駅改札から通路が延びており、かつての名優の写真が並んでいます。そして写真のような踏切が(写真)。この踏切は、田園都市線で急行が通過するときだけ閉まる踏切だそうです。子供たちが、閉まるのを待っていました。この奥に「電車とバスの博物館」があります。



Todeb3  その入口は建物の4階になっており、券売機で大人100円、子供50円の入場券を買い、自動改札を通します。取り忘れにご注意を。入口を抜けると下り階段になっており、3階に降ります。3階一番手前に人集りが出来ているので見ると、鉄道模型の大パノラマがあります(写真)が、運転はしていませんでした。皆、運転まで暫く座って待っているようでしたが、私は続きを。



Todeb4  奥には、ダブルルーフの木造電車、デハ1のカットモデルが(写真)。完全に木造、ダブルルーフに時代を感じさせますが、木材が古くは思われず、本物かレプリカかは分かりませんでした。ほか模型等多数、階段を降ります。



Todeb5  4階入口の真下は2階です。2階にはデハ3456(デハ3450系)のカットモデルと、動台車が(写真)。運転が楽しめるようです。因みにデハ3450系は、モハ510系改造車だそうです。このフロアはこれだけです。階段を降ります。



Todeb6  1階に辿り着きます。南側にはシミュレーターとなった8090系(車番不明)のカットモデルがあります(写真)。



Todeb7  その後には、モハ517(モハ510系)のカットモデルを使用したシミュレーターが(写真)。正面は見えません。



 ここをフィルムカメラで写そうとすると、連れの子供も、カメラもない怪しい男性が立ちはだかり、写せません。マイホームパパは、「家族を幸せにする」という美学を持っています。鉄なら、「道を極める」という美学を持っています。私の価値観かもしれませんが、そういった美学のない存在は、見苦しいものですね。



Todeb8  北側には、一番の収蔵品、玉電のデハ204が(写真)。玉電(正式には「東急玉川線」は、もとは東急世田谷線の本線で、渋谷~二子玉川を結ぶ路線でしたが、併用軌道が災いし、東京オリンピックに伴い用地を首都高3号線に譲り、廃止されました。現在そのほぼ同じルートの地下を「東急新玉川線」が通ります。車輌も世田谷線に多数移動したようですが、世田谷線も全車VVVF制御のデハ300となる時代、名優たちも引退したのでしょう。



Todeb9  同車の連結部分を(写真)。1軸の連接車体になっています。横には「東京急行電鉄」「東急車輌 昭和30年」とプレートが入っています。なお、反対の車輌も204とナンバーが入っていました。



Todeb10  「電車とバスの博物館」ですので、バスもあります。こちらは東急コーチバスで、子供用のバスの運転シミュレーターになっており、正面は真っ暗です(写真)。



Todeb11  隣は東急バスの路線バスです(写真)。これもハンドルが握れます。



 本館は大体このような感じです。



 玉電の奥に券売機のない出入口があり、入場券を通すと外に出られます。



Todeb12  横断歩道を渡り、反対側の高架下には、「イベント館」があります。入口からモハ510(昭和6年日車製)が見えています(写真)。静態保存ですが、カットされず完全な車体のまま残っています。



 ここにも自動改札があり、先ほどの入場券を通すと、中に入れます。中では今日は子供向けの工作をやっていました。横に自動ドアがあり、モハ510の中に入ることが出来ます。



Todeb13  モハ510の奥には、国産旅客機YS-11のコックピットのカットモデルがあり、これも操縦のシミュレーターになっています(写真)。副操縦士席にはプロのパイロット(引退した方か?)が座っており、操縦を教えています。私も試したかったのですが、子供を押しのけるわけにはいかず、断念しました。



 実は私も就職活動の頃に、「パイロット試験を受けませんか?」と案内が来て、試したことがあります。勿論途中で落ちましたが、私には、「どの会社でもいい、絶対なってやる!」という覚悟がないということが分かってしまい、やはり厳しい訓練に耐えられないと思われたようです。やはり、何万回も訓練を受け、失敗する度に英語で罵倒され、英語で返答できねばまた罵倒される、そんな訓練を3年位しないと副操縦士の免許も取れません。その位パイロットというのは厳しいんです。それを除けば、無訓練でもシミュレーターで着陸に成功するくらいスジは良いと、自負してはいるのですが。まあ、航空大学校に行ける歳でもなく、夢物語でしかありませんが。



 こんな感じで2回戦を終わります。

これもMUSTでしょう

Tosyap1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日第1回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、大井町のJR東日本東京総合車輌センター(東トウ、旧大井工場)2008夏休みフェアを取材しました。



 本当は今日は近鉄のイベントに参加することを望んだのですが、応募者多数で落選、結果東京を選択しました。そのまま午後に関西に行き明日に備える予定でしたが、明日は地元でイベントが。もっと早くウェブに載せて欲しいというのが本音ですが、やはり参加できねば意味がありません。予定は何度も組み直し、キャンセル料多数でしたが、まあいいか。



 今朝普通に自宅を発ち、新幹線を品川で下車。そして大井町へ。携帯でEX-ICは手間いらずで、混雑を尻目にすり抜けます。そして大井町で商店街に出てしまい、行列が無く来場が激減か?と思いきや、行列は駅の通路一つ裏に回っており、もう少しで道を間違えるところでした。しかし天候が原因か、少し入場者は少なく感じました。



Tosyap2  エントランスの様子(写真)。落ち着いてからの撮影で、開場時とは少し雰囲気は違いますが。鉄道少年団が、うちわと案内図を配っていました。



Tosyap3  平成15年に参加したときの写真(写真)。入口横には、国鉄新性能車輌のパイオニア、101系の試作車クモハ100 902(国鉄自社製)が展示されていました。D100での撮影で、当時デジ一を持っていれば、羨望の的となりましたが、僅か1、2年で、急速に普及していきました。普及版のデジ一も出て、一気に市場は拡大、フィルム一眼が急速に縮小する原因となりました。今ではそれほど珍しくありません。しかしD100は販売数も少なく、中古市場では「是非ニコン!」という人が必死に探す、希少なマシンです。



Tosyap4  現在の様子(写真)。ご存じのとおりクモハ100 902は、現在大宮の鉄道博物館に展示されており、線路のみが残っています。



 建設予定のJR東海博物館では、101系の代わりは103系でも出来ますが、問題は151系の時代の車輌です。101系が出来、151系”こだま”形が出来、そして0系が出来た、という歴史的順番になると思います。幸いJR東日本には上沼垂に151系の末裔181系のボンネットがありましたが、JR東海管内には481系だってありません。その辺の資料構成をどうするのか、興味があります。



Tosyap5  そして一路北端の車輌展示へ。先ずは先頃引退した”ロイヤルエンジン”EF58 61と、中原電車区(横ナハ)のクモハ12052が(写真)。EF58 61は、飾り帯が当時高価だったステンレスであり(一般機はクロムメッキ)、塗装の”ため色”といい、各部の磨き出しといい、引退してもなお輝きを失いません。宮崎台です。



Tosyap6  そして隣へ。左から、”せせらぎ”クロ484 7始め4連(高タカ(高崎車輌センター)TG11編成)、EF65 501(「高所」(高崎車輌センター)、”あさかぜ”のヘッドマークつき)、クハE232 3501(E233系)始め5連(横コツ(国府津車輌センター)E51編成)、クハ201 114始め6連(千ケヨ(京葉車輌センター)K54編成)です(写真)。



Tosyap7  EF65 501(通称名はご存じですよねえ、Pの1号機だし)の後には、準備はしたものの主役になれなかった、同じ「高所」のEF64 1001(茶色の機関車)が入線していました(写真)。



 EF65 501は、以前と塗装の色合いが異なるように思われ、先頃引退したJR貨物の535号機の色と似ている気がします。検車時に耐候性の透明塗料を塗ったのか?



Tosyap8  隣には、手前クモニ13007、奥クモユニ143改造の牽引車が入っています(写真)。



Tosyap9  牽引車の後には、クモヤ90801、旧式電車、101系と思われる電車が入っています(写真)。両側の木が原因でこのポイントは1名様専用ですので、譲り合って写しました。だって、同じ日本人、話せば分かるでしょ!



 ここで撮影をしていると、雨がぱらついてきたので、工場の中に入りました。



Tosyap10  中には各種部品が展示されています。コンプレッサー(ブレーキ、ドア駆動用の圧縮エアを発生させる機械)も時代により変遷を感じました。モーターも、103系のMT55から、201系、205系、209系と技術の進歩が分かります(写真)。手前は205系(界磁添加励磁制御)のモーター(MT61)、奥はMT55(103系(抵抗制御)のモーター)のカットモデルです。やはり電機子チョッパは営団以外では主流にはなりませんでした。



Tosyap11  人集りがしているので行ってみると、台車被せの実演をしていました(写真)。天井クレーンで輪軸の上に台車枠を載せ、組み立て、エア漏れ試験を行い、試験に合格すると、台車置き場に持ち上げ運搬します。石けん水で泡が出ると不合格、再整備のようです。



Tosyap12  そして戻り道、不思議な車輌を。203系(東マト(松戸車輌センター)所属、常磐緩行線・地下鉄千代田線乗り入れ車輌)の奥に、209系広幅車(E231系ではない、DS-ATC対応改造による不足車輌の代車、元は八ミツ(三鷹車輌センター)所属)が、正面は京浜東北のブルーなのに、側面は京葉線のピンクの帯に塗り替えています(写真)。位置を変えて見ると、クハ208 515と書かれており、所属は宮ウラ(浦和車輌センター)の84番編成のようです。確かに現在京浜東北線はE233系の投入が開始されており、車齢の浅い同車はそれに伴う転配をされるのでしょう。おそらく中央線快速に続き、京浜東北線もE233系に統一されるのでしょう。それに伴い初期の209系は、訓練車に改造されるものを除き全部廃車です。確かに電力消費は半分ですが、209系の最大の特徴は、「コスト半分、寿命半分」です。京葉線に転配される同車の今後は如何に。



 こんな感じで第1部を終わります。

最後の勇姿!?

Okashiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、平日早朝のみ運転される、117系新快速を取材しました。



 JR東海も抵抗制御車を大量に廃車し、残る抵抗制御車も、117系と119系のみとなりました。211系、311系は界磁添加励磁制御、313系はVVVFです。そのため、当初東海地区でも新快速用に製造された117系も旧式化し、一時は完全に新快速の運用から外れたりもしました。しかしこの3月改正で、平日朝限定で、下り2本上り1本の117系新快速が復活しました。車輌運用の都合上、どうしても手当が出来ない場所が出来、そこに運用が生まれた、ということでしょう。これを捉えるべく自宅を早朝に出発しました。



Okashiq2  名古屋地区下りの初電は、快速”ムーンライトながら”です。朝6時に名古屋に到着し、3両切り離し、残り6両で大垣を目指します。



 そして大垣に到着します(写真)。隣には大阪方面直通の、JR西日本の車輌(221系神ホシ(網干総合車輌所)B2編成)が大垣までお迎えに来ています。これを見て、関西人は帰ってきたことを実感するのでしょう。私は反対ホームを目指します。



Okashiq3  暫くすると、米原発岡崎行き117系新快速が入線します(写真)。海カキ(大垣車輌区)S10編成に、同S5編成が続く8連です。編成写真も撮りたいのですが、乗車できなくなっては困るので、撮影はそこそこに。そして乗車、発車します。



 当然名古屋に向かう方向で、乗客は増えていきます。通勤客の支障にならないように気をつけましょう。



 名古屋で殆どの乗客は入れ替わります。そしてだんだんと乗客は減っていきます。



Okashiq4  安城を過ぎて、終点も近い西岡崎近辺で、もう1本の117系新快速と行き違います(写真)。今日は海カキS8編成の4連でした。



Okashiq5  そして終点岡崎に到着(写真)。1番線で、愛知環状鉄道ホーム(0番線)からでも、時間的にも、位置的にも編成写真は撮れません。



Okashiq6  方向幕です(写真)。これを撮ると間もなく、名古屋方に引き上げていきました。もう1本を待ちます。



Okashiq7  3本目の117系新快速の時間には、先ほどの編成が再び現れました(写真)。折り返し電車の関係で、2面4線のホームが一時的に一杯になるので、取られた措置でした。



Okashiq8  発車まで5分程あったので、階段を上り反対ホームへ行き、編成写真を撮ることに成功しました(写真)。橋上駅舎のため一部は陰になりますが、まあまあの出来です。そして戻り、乗車しました。



Okashiq9  そして同列車は終点名古屋に到着しました(写真)。4番線に入線しました。編成写真はバッチリですが、肝心の表示が「回送」になっています。残念。



 こんな感じで今日の取材を終えました。



 やはり117系は旧式車の部類に入るようになりました。今年10月の改正ではこの運用が廃止になることも十分予想されます。そのため、今のうちに記録することをお薦めします。無くなってからでは写せませんから。



 でも、平日にこんな取材を出来る私は、一体誰?さあ、今日も仕事に行くぞ!

はし・橋・はし

Agebq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、上松町地内、旧木曽森林鉄道の旧橋梁を取材しました。



 昨日の帰り道も、当然窓際を占領して風景を眺めていたわけですが、上松の駅の近辺で、「あっ!」という光景を見てしまいました。それは、駅から川を渡るナローの鉄道橋梁が、木曽川を越えて続いているのを見てしまったのです。そのため、昨日から居ても立ってもいられず、早速車を転がして訪問しました。



 国道19号線を中津川から塩尻に向かうと、有名な「寝覚ノ床」(浦島太郎が目覚め、玉手箱を開けた場所、とされる)の前でバイパスと旧道に分かれます。旧道を行くと間もなく上松駅に辿り着くのですが、森林鉄道はその反対側、現在の森林管理署の土場(伐木のヤード)の側で、それは駅裏に当たります。駅から裏に行く道を探していると、跨線橋を発見し、それを渡ると、反対側はループになっていました。



Agebq2  ループの先は信号のない交差点になっており、そこを渡ると、最初の遺構が発見できます(写真)。完全にナローの鋼製橋梁です。下は川になっています。



Agebq3  交差点の手前、北側から写す(写真)。橋の奥の事務所の建物の後は、中央西線です。この坂を登ると、土場であり、かつて森林鉄道が材木を運んだ時代が思い浮かばれます。



Agebq4  橋梁の側面にはプレートが入っていて、そこには、”YOKOKAWA BRIDGE WORKS 1913”と書かれています(写真)。大正2年製です。



Agebq5  最初に気付いたのはこれだけですが、注意して見ると、道路橋をはさんだ反対側も鉄道橋梁になっています(写真)。左は鉄橋、右はコンクリ橋で、ナローの線路が丁度サイズです。



Agebq6  コンクリート橋の方は分かりませんでしたが、鉄橋には「横河橋梁製作所 大阪 昭和11年」というプレートが入っていました(写真)。森林鉄道華やかなりし頃の遺構です。そして、次の場所へと移動します。



Agebq7  その先、木曽川を渡るところに、写真のようなトラス橋が見えます(写真)。手前はトラスを組んだ桁橋で、道路のような構造になっており、「ハズレ?」と、一瞬がっくりしました。



Agebq8  しかし横には写真のような解説板が立っており、そこには大正3年に開業した木曽森林鉄道の橋梁で、鬼淵橋梁(このトラス橋)は、国産最古のトラス橋と思われる、と書かれています(写真)。この橋も、横河橋梁製作所の製作です。やはり当たりでした。しかも、昭和50年まで鉄道橋として現役で、その後も道路橋として使われたのは驚きです。なお、現在は歩車とも通行禁止です。



Agebq9  木曽川の対岸からの眺め(写真)。右側の道路橋が架かったことで、使用中止になったのでしょう。なお、この先の遺構を探そうとも思いましたが、舗装された林道以外は残っておらず、断念しました。



 そして帰途に就きました。



Agebq10  おまけ。木曽で一番有名な橋は?というと、木曽の桟(中山道の難所)でしょうが、こちらも有名、南木曽町の「桃介橋」です(写真)。巨大な木製吊り橋です。名前の「桃介」とは、福沢諭吉の息子であり、電力王であった福沢桃介のことで、大正年間にこの地に水力発電所を建設するために建設した吊り橋です。大正10年頃の橋梁だそうです。その後長く通行止めになっていましたが、平成5年に復元、現在は通行可能です。入口は中央西線南木曽駅から線路に沿って徒歩10分程の場所ですので、中央本線旧線上のSL公園(D51 351がある)共々訪問されては如何でしょうか。なお、これら木曽川の水力発電所の多くは、現在関西電力が管理しています。



 次回は未定ですが、お楽しみに。

”しなの”で行きます。

Shinahaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名古屋~白馬連絡の”しなの81号・84号”を取材しました。



Shinahaq2  写真は、今年2月に撮影した、”しなの81号”名古屋駅9番線(中線)待機中の姿です(写真)。JR東海最後の国鉄形特急車、381系の最後の編成、海シンP2編成です。しかし同編成はこの夏を前に廃車回送され、引退しました。そのため、この編成の最後の運用、”しなの81号・84号”の運用がどう変わったか、注目されました。それが今回の取材の最大の目的です。



Shinahaq3  2月と同じ時間に名古屋駅に行き、構えます。8時ちょうどの”しなの3号”は入線していますが、主役がいません(写真)。時刻表で入線時刻を確認する、という基本で手を抜いたため、こうなりました。時刻は、分厚い時刻表に必ず目を通して確認しましょう。



 このまま”しなの3号”は発車、10番線は空になります。このまま待とうとも思いましたが、結局手前8番線に電車が入り、予定の電車の発車間際まで停まっているということで、8番線からの取材は断念しました。



Shinahaq4  そして、”しなの81号”は、8時17分に神領方から直接入線しました。JR東海383系、海シンA102編成です(写真、正面はクモハ383 11)。8番線に211系が写っています。やはり、381系の時代は、車輌が不具合を起こす心配があったからなのでしょう。



Shinahaq5  そして発車を待つ白馬方先頭、クロ383 102(写真)。閑散期に、2連の海シンA200番台の編成を後に続け、6連で基本編成の代走をしているのは見たことがありますが、4連単独での運用は同列車が初めてでは。先週の塩尻から少し期待をしていましたが、まさか本当に出逢えるとは思っていなかったので、運が良いと言うべきか。しかし、それはオンシーズンの週末でも6連を必要とはしない、ということも意味しています。大糸線方面、利用者はこの程度か。新宿発直通”あずさ”も減っていますし。



 車内は、1号車はグリーン車、2、3号車は指定席、4号車は自由席でした。8番線は、4分前に発車しましたが、それから行って撮影していては乗車できないので、断念。そして乗車すると、列車は出発しました。



Shinahaq6  名古屋から美濃、木曽と行き、塩尻、松本からは大糸線。みんなでスキーに行った青木湖(何年前だ?)も、微妙な天気です(写真)。



Shinahaq7  そして”しなの81号”は白馬に到着しました(写真)。もともと白馬で打ちきりだったのは、JR東日本の都合で、電化の終点南小谷にホームの空きが無く、仕方なく白馬で打ち切っていたのでした。そのため、かつては白馬で長時間停車した後に南小谷に回送され、帰りの”しなの84号”は南小谷発でした。しかし利用者が原因でしょう、残念ながら今の運用では、”しなの84号”は白馬始発になりました。



Shinahaq8  今回の取材は何両で運用に入っているかも重要な点、編成写真がないのは問題です。名古屋では撮れなかったので、何としても白馬で撮ろうと必死に歩き、駅の反対側の、田畑も見える駅裏へ。駅は、土手の上に見えます(写真)。上り先頭の、クモハ383 11の側です。



Shinahaq9  反対側、下り先頭のクロ383 102の側です(写真)。



 この写真を撮り終えると、大急ぎで駅に戻り、電車に乗ります。上り普通は、登山客多数で大混雑でした。



Shinahaq10  そして松本経由で塩尻へ。上りで一番混む、大阪行き”しなの16号”が入線します(写真)。基本編成海シンA7編成に、付属編成海シンA103編成を併結し堂々10両ですが、それでも自由・指定とも満席のようでした。通常松本より後では、自由席には空きはありませんので、覚えておいてください。



Shinahaq11  そして途中色々ありましたが名古屋着。名古屋駅10番線では、”しなの23号”の出発準備をしており、長野に行く海シンA9編成(写真右側)と、今日の運用を終えた海シンA101編成(写真左側)が分割されていました(写真)。海シンA9編成は、恐らく昨日は大阪で運用を終えており、営業48時間以内ごとにしなければならない交番検査は、今夜長野で受けるのでしょう。



Shinahaq12  そうしているうちに、名古屋駅12番線に”しなの84号”が到着(写真)。残念、これも編成写真になりません。



Shinahaq13  11番線の211系5000番台亀山行き3連が発車します。さあ、編成写真のチャンスだ!と思った瞬間に、12番線の海シンA102編成が岐阜方に動き出し、慌てて1枚(写真)。クロにはピントが合っていません。



Shinahaq14  間もなく10番線の”しなの23号”が発車し、残された海シンA101編成。信号が変わり、神領車両区に帰庫します。すると先ほどの海シンA102編成が岐阜方から戻ってきて、中線9番線に入線し、一瞬、競走?とも思える光景になりました(写真)。しかし海シンA102編成は、9番線の出発信号の場所で停まったようです(その先へ行っては、事故になってしまいます(勿論進めないシステムにもなっていますが))。これは露出まで失敗です。



 そして帰宅しました。



Shinahaq15  おまけ。前の写真が露出まで失敗したのは、この写真を撮ったためです(写真)。左、313系8500番台、海シンB202編成ほか6連(セントラルライナー)、右海ナコ所属、キハ75 303始め4連(快速”みえ”)です。この写真が割とまともなのは、セントラルライナーがヘッドライトフル発光で通常写真にならないところ、1.0段露出補正をかけたためです。これはいいものの、元に戻すのを忘れ、先ほどのような写真を。



 動体予測フォーカスを使えば、ピントが合う、というのは分かる気がします。そのため45点フォーカスなども今のデジ一では出来るようにはなっているのですが、静止物では関係ないところにピントが合う、というのが気に入らず、使っていません。今回はスピードも取れず最後は酷い写真ですが、状況ということでどうかご勘弁を。



 明日は電車には乗りません。しかし今日の帰り道に、見てはいけないものを見てしまい、非常に行きたいところが出来てしまったのですが、車では渋滞しそうで、躊躇します。



 ということで未定ですが、次回もお楽しみに。

隧道を歩く。

Ohikageq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、先回の続きであり、8月9日の後半戦、中央本線旧大日影隧道を利用した、大日影トンネル遊歩道を取材しました。



 小田原での取材を終えた私は、小田原~茅ヶ崎~橋本~八王子~高尾と経由し、高尾から中央線普通電車に乗車。大日影隧道の最寄り駅、「勝沼ぶどう郷」に降り立ちました。旧隧道と違う新隧道を期待していましたが、あまり分からないまま到着し、正直、「駅から途方もなく歩かされるんじゃないか?」と思っていました。



 駅改札を越え、見回すと、東方を指す矢印が。近いんだな!と早合点し、その矢印に従い歩いていきました。



Ohikageq2  すると、まず最初に目に入ったのは、機関車、EF64 18号機です(写真)。昭和41年東芝製の機関車です。18号機なんて平凡な機関車でも展示しているんですから、まして2号機は保存に値すると思うのですが、どうでしょうか。



Ohikageq3  その先には、駅のホームの遺構に、ドーム状の屋根がついています(写真)。こんな、本線から遙か十数メートルも土手の下にあるのは、何故?



Ohikageq4  それを説明する解説板がありました(写真)。元の勝沼駅は、ここでスイッチバックになっており、折り返してトンネルに入っていたとのこと。中央本線は山岳線であり、線形の改良に次ぐ改良で現在の線形になったのですから、納得しました。現在もかつてのスイッチバックの遺構を残す駅は、初狩駅だけではありません。



 蒸機、D級電機、EF13、他多数の機関車の時代には、そういった施設は必須でした。EF64重連、そしてその後継であるEH200があったから、現在の線形でも越えることが出来るようになったのです。



Ohikageq5  その後に、法面を登る階段工と、大日影トンネルを示す矢印が(写真)。これを登れば、入口です。期待を込め登りますが、これが馬鹿に出来ない。息が乱れます。



Ohikageq6  そして登りきると、ありました、トンネルの入口が(写真)。左から、新大日影隧道(新宿方面行き)、新大日影第二隧道(塩尻方面行き)、(旧)大日影隧道(旧塩尻方面行き、平成8年に廃止され現在遊歩道)です。



Ohikageq7  入口から、出口を望む(写真)。出口が、かすかに見えます。これで大丈夫、それほど距離はない、と甘く見たのが誤りでした。漏水が原因か、トンネル内に霧がかかっています。



Ohikageq8  トンネルの待避場には電球が設置されており、その内の幾つかには、写真のような解説板が入っています(写真)。全部撮影しようと思いましたが、多数あり、きりがありません。しかも光量不足で、写真は大半が失敗でした。



Ohikageq9  トンネルの中間点、700メートルほど入ったところでしょうか、勾配の標識が立っています(写真)。破損していますが、ここまで勝沼方からは25パーミルの上り、ここからは25.5パーミルの上りと示しています。上り坂でもありました。



Ohikageq10  更に歩くと、線路と線路の間に、排水用の水路が設置され、バラストが無い部分があります(写真)。この部分は歩くと危険なので、看板が立っています。ここに辿り着くと、出口まであと数百メートルです。



Ohikageq11  そして出口に到達(写真)。全長約1,400メートル、非常に長く、足の速い人でも20分では歩けません(平均30分とされています)。顎が上がりました。



Ohikageq12  出口の先は橋、鉄道橋梁が遊歩道になっています。次の(旧)深沢トンネルは、「勝沼ワインカーヴ」になり、ワイン貯蔵庫のようです。



 この周辺には駐車場とワインに関する施設(ワイン販売所、トンネル貯蔵ワインもあるとのこと)があるようで、こちら側からアプローチをする人も多数いました。



 そしてまた1.4キロ歩き戻りました。すると新隧道から古い電車の走る轟音が。暫く待つと、”あさま”色(189系)臨時特急”あずさ81号”が!道理で、沿線に多数の三脚と脚立、そしてカメラを持ったファンがいたのでした。国鉄色ではありませんでしたが、どうでしたか。



 更に駅まで数百メートル歩き、何とか予定の列車には間に合いました。しかし今日の不安定な天気が原因で、身延線がストップ!やむなく塩尻まで行き、特急に乗り、帰りました。



 朝は冷房の効かない小田原駅のコンコース、昼は低温のトンネルなれど3キロ近く歩き、非常に汗臭く不衛生でした。特急では燻製を食べる人のお陰で体臭は免罪でしたが、家では大変でした。ああ、早く綺麗さっぱり流して、二日分寝よっ!

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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