関の守り

Kanq0  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、ここ数年の関門間の機関車の記録をお届けします。表題は、高速道路、関門橋です。



 かつてEF10が牽引し、その後九州の交流電化でEF30、後にEF81に移り変わった関門間の電機。先日の関門間の運用が、EF81 411であり、410以外が運用に入るのを見たのは久しぶりであり、過去にはどうだったかを見てみようと思い、今回の記事になりました。



Kanq1  まず最初は、JR九州の関門間の電機を管理する大分運転所から。平成12年4月30日午前、富士山形のヘッドマークを付け待機する、EF81 411(写真)。確かに410以外です。ネガフィルムからのカットで、この程度が限界か。



 当時は関門間客車列車は4往復、所属機関車4両では足りず、上り”なは”はJR貨物に関門間を運用を依頼する、という時代でした。



Kanq2  平成13年2月17日夜、下関で上り”はやぶさ””さくら”から切り離される、EF81 411(写真)。当時はまだ下関駅に柵が無く、撮影は自由でした。この時のフラッシュが、眩しすぎたのでしょうか。



Kanq3  平成15年4月28日、上り”さくら””はやぶさ”を連結し、門司駅で出発を待つEF81 410(写真)。「大」(大分運転所)という区名札が入っています。買って間もない、D100での撮影で、カメラの特性も分からず、アングルも分からぬまま、とにかく写せて嬉しい、という時代でした。稚拙な写真でご免なさい。



Kanq4  同年9月20日、上り”さくら””はやぶさ”を下関で切り離す、EF81 410(写真)。ホームの真新しい柵が分かります。これで正面からの撮影が不可能になりました。余程多くのトラブルがあったのでしょう。



Kanq5  これは運が良い、平成16年11月23日、上り”富士”を連結し出発を待つ、EF81 413(写真)。当時”富士”は単独列車で、大分~下関間がEF81、下関~東京間がEF66で、いずれも専用の富士山形ヘッドマークを装着していました。なお、EF81 413号機は、関門間客車列車が1往復になった関係で、余剰か、平成18年11月20日付で廃車になっています。



Kanq6  次は、平成18年7月14日下関にて、下り”富士””はやぶさ”を連結し出発を待つ、EF81 410(写真)。この間に関門間の客車列車が、同列車と”なは””あかつき”の2往復となった関係で、EF81が1両で両列車を担当、ヘッドマークが省略されることとなりました。残念。



Kanq7  同年7月17日、関門トンネルを通過し、門司駅に入線する、EF81 410牽引”富士””はやぶさ”です(写真)。下関の機関車交換は儀式ですが、門司での編成分割も重要な儀式です。



Kanq8  同日、貨物線から関門トンネルに進入する、EF81 453ほか重連の貨物列車です(写真)。EF81 450番台は、JR貨物所属、平成の新造車で、計5両製造され、新製時から重連総括制御が可能でした。他のJR貨物所属の400番台は、改造で取り付けられました。なお、後の機関車は400番台とは思いますが、撮影できず、記録がありません。これがEH500関門進出の理由です。



Kanq9  同年7月18日門司駅にて、上り”なは””あかつき”を連結するため接近してきた、EF81 410(写真)。この頃になると、410しか記録がありません。それだけ調子が良かったのだろうとは思うのですが。



Kanq10  平成19年10月18日、下関で下り”富士”はやぶさ”に連結され出発を待つ、EF81 410(写真)。初めて編成写真になりました。関釜フェリーを下りると、丁度この時間です。



Kanq11  そして先日の門司にて、下り”富士”はやぶさ”から切り離される、EF81 411(写真)。久方ぶりに410以外を写しましたが、4両中最後の1両、409号機は、結局写すことなく平成18年12月に廃車になり、こちらは残念です。



 関門間最後の客車列車となった”富士””はやぶさ”の今後の動向、そして今後のEH500の増備で、これらEF81 300番台及び400番台の運命が、変わってきます。手遅れにならないうちに、記録する機会を見つけては如何でしょうか。そうも寝台特急ばかりは乗れませんが、「来年3月」という噂がある以上、機会を見つけた方が良いと思います。



 次回は、今週末の”あの”イベントを予定しています。お楽しみに。

よく行けたわねえ!

Hirosyaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の後半戦、「第15回JR貨物フェスティバル広島車両所公開」をお届けします。



 小雨で早々に博多総合車両所を後にしたものの、博多南からの列車が1時間に1本で(13時以降は臨時増発がありましたが)、暫く駅で待ちました。その間に列車を手配、博多からは2+2シートの”ひかりレールスター”を希望したものの、時間的に”のぞみ”が最適で、広島で途中下車しました。乗り換えの芸備線は発車時刻を少々過ぎても拾ってくれたため、結果矢賀には予定より芸備線1本、20分早く到着しました。更に徒歩5分、とうとうJR貨物広島車両所のエントランスに到着しました。D51 214(昭和48年、同所で整備した最後のSL)の左側の動輪が、レリーフになって飾られています(写真)。



Hirosyaq2  到着が遅く、既に午後の撮影タイムが始まっていました。左EF65 1129(昭和54年川崎重工・富士電機)、右EF65 1038(昭和45年川崎重工・富士電機)です(写真)。この直前まで双方に”銀河”のヘッドマークを取り付けていましたが、撮影時は双方”踊り子”でした。1038号機は、以前はJR貨物高崎機関区に配属され、首都圏でも有名な特急色の初期型PFでしたが、今は1129号機共々岡山機関区所属のようです。ナンバープレートに、製造年次の違いが現れています。



Hirosyaq3  その左側、左はEF66 1(昭和43年東洋電機・汽車会社)、右はEF65 57(昭和40年東洋電機・汽車会社)です(写真)。EF66は”あさかぜ”のヘッドマークを付けています。この”あさかぜ”の「風」の部分は直前まで赤かったのですが、私が写すときには、赤い部分のシールを剥がし、ふつうの”あさかぜ”になりました。EF65 57号機は、確か初代「茶ガマ」56号機に続く2代目「茶ガマ」か。しかし一般型65も置き換えの時期で、稼働機なのか、どうか。最新の配備表では、「高機」(JR貨物高崎機関区) とされています。



Hirosyaq4 撮影会の反対側は開放され、出入り自由です。左1038号機は”つるぎ”、1129号機は”さくら”を付けています(写真)。



Hirosyaq5  EF66 1の後は、EF65 1031(昭和45年川崎重工・富士電機)です(写真)。JR貨物更新色、貫通路及び機関士乗降扉のカラシ色が大宮車両所更新車との違い(広島車両所施工車の特徴)で、こちらは違和感なく受け入れられます。



Hirosyaq6  隣は、EF81 5(日立(製造年摩滅で不明))です(写真)。新しい更新色です。しかし、こんな初期ロットが残っているとは、と思ったら、平成19年に廃車された車両だそうです。



Hirosyaq7  広島名物の交直両用機、EF500 901(平成2年三菱電機・川崎重工)です(写真)。日立製EF200 901と同時期にデビューした同機、出力もEF200同様6000kW(およそ8100PS)ですが、誘導障害に悩まされ、平成14年に量産されることなく廃車されました。しかし、同機の経験とEF210の技術で、同じコンビでEF510が完成、EF81の後継として量産されています。



Hirosyaq8  EF500の横(つまりPF1031号機の後)には、先日も美祢線で捉えた、DD51 853(三菱重工(製造年摩滅で不明))でした(写真)。区名札は「厚」(幡生機関区厚狭派出)です。こちらはまだまだ元気ですが、DE10後継のハイブリッドディーゼル機関車が完成した暁には、本線用機関車も研究するそうで、これも置き換えを心配する頃か。まさかDF200が内地で配備されるわけないし。



Hirosyaq9  EF500の後は、EF59 21です(写真)。セノハチ(山陽本線、瀬野~八本松)補機、種車がEF53(元沼津機関区)と、EF56(元高崎第二機関区)の双方があり、同機は外観からEF56改造と思われます。



Hirosyaq10  EF59の後は、EF210 105(平成13年三菱電機・川崎重工)です(写真)。一般型、P、F及びPF全てのEF65を置き換えるべく、しかも安価に増備するためエコノミーにギリギリで設計された同機、試作901号機、及び量産0番台は6モーター3インバーターでしたが、100番台になり6モーター6インバーターに改設計、余裕が出来てきました。現在も量産が続き、EF510も同機との共通部品が多数を占めます。なお出力は3390kW(おおよそ4600PS)、EF66の代替も可能で、平坦線で1300トン貨物の牽引を前提にしています。



Hirosyaq11  南側の線路では、スイッチャーDB10がトロッコに乗客を乗せ、往復しています(写真)。正面は”きかんしゃトーマス”です。



Hirosyaq12  このトロッコの2両目は、噂の”EB66-1”です(写真)。EF66をイメージして造られたトロッコで、無動力ながら2軸から”EB”を名乗っているのでしょう。66の特徴をよく捉えており、ギャグ好きの某誌で大きく取り上げられていました。



Hirosyaq13  しばらくはカットモデルです。最初はEF59 16です(写真)。外観が、先ほどの21号機と異なり、恐らくEF53改造機でしょう。



Hirosyaq14  次はEF61 4です(写真)。以前「碓氷峠鉄道文化むら」でEF60 501号機を出しましたが、EF61はEF60にSGを追加した形式で、最終的には単機でセノハチ補機に使用すべく設計されていました。しかし歯車比の関係か、不評だったクイル駆動が原因か(整備性、粘着性に問題があった)、あまり目立たずに国鉄改革を迎えました。ライトが大目玉1個で設計されたものの、2シールドビームに交換され、イマイチです。



Hirosyaq15  次はEF58 113です(写真)。東海道本線全線電化時の主力旅客機関車、新型機整備で西に追いやられ(平家と言う人もいます)、下関で果てた1両でしょう。他の形式を思えば、まだまだ幸せな部類に入ります。



Hirosyaq16  これも広島とは縁の深い機関車、準鉄道記念物、D52 1です(写真)。昭和18年浜工(浜松工場でしょう)製、戦時形で兎に角大きく(ボイラ、出力とも)、戦争に勝つまで保てばよい、といって設計された同機、戦時の工作レベルの低さが原因でトラブル多発、更に敗戦が追い打ちをかけました。占領下で少し安定が見えてきた昭和27年に浜松工場で改造(恐らく新缶に交換したのでしょう)、セノハチの電化まで補機で運用されたのでしょう。山陽特急”かもめ”の後補機には、炭水車にテールマークが付いていました。



 そして入口に戻り、矢賀まで歩き、広島から”のぞみ”で帰宅しました。



 本当は、トラバーサの向こう側の、工場の中、更に奥に入らねばならなかったのですが、石清水八幡宮をしてしまいました。来年は、注意したいと思います。でも、これだけ写しただけでも大収穫でした。来年が楽しみです。



 博多と広島、在来線や車では(高速を使っても)二股はとても出来ません。時速300キロで走る高速電車があるから、たった1時間で掛け持ちが出来たわけで、やはり今は幸せな時代です。



 しかし多くの散財をした今回の遠征、我ながら、本当に「よく行けたわねえ!」

4年ぶりです。

Hakasoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、JR西日本博多総合車両所で本日開催された、「新幹線ふれあいデー」を取材しました。



 皆様もご存じの通り、私はスロースターターで、いつも寝坊の癖が抜けないのですが、今日は珍しく早く起き、朝食を食べ、向かったのは博多駅。幹ハカR61編成(写真側が21-7008)が、博多南線の運用に入ります(写真)。これに乗車します。



Hakasoq2  側面の方向幕は、「博多南」と、フィルム式です(写真)。JR西日本では100系以降はLED式に交換済みのようで、フィルム式は最後の姿では?撮っておいた方が良いと思います。



Hakasoq3  九州新幹線の工事も進んでおり、山陽新幹線博多開業時に建設された構造物と、九州新幹線の構造物が、接合しています(写真)。2011年全通、もうすぐですね。



Hakasoq4  2004年、特に予感はなかったのですが、T5編成製造と聞き、多分T3編成(旧型”ドクターイエロー”)の最後の姿となると思い、参加した、先回の博多総合車両所のイベント。T3編成(写真側が922-21)を写しました(写真)。翌年もあると思っていましたが、あのようなことになり、お別れ会もなくT3編成は解体されました。



Hakasoq5  同日、100系2階建てグリーン車、179-3009が「落書き電車」となっていました(写真)。”グランドひかり”用の車輌で、確か1階は2+2の普通座席だったと思います。



Hakasoq6  本日、入口では撮影会が。先ずは、N700系、幹ハカN6編成(写真側が783-3006)です(写真)。天気が良ければ最高でしたが、残念、雨模様でした。まあ、まだまだ先はあるので、心配ありませんが。



Hakasoq7  こちらは編成替えが始まっている500系、幹ハカW1編成(写真側が521-1)です(写真)。0系引退後に、8連化された姿で再デビューします。現在大改造中です。現在最後の東京行き2往復は、次回の改正で運用が消滅するので、要チェックです。



Hakasoq8  今日一番ファンを喜ばせたのは、先日落成し神戸の川崎重工から船で運ばれ、組み立て終了し試験走行を待つ、九州新幹線用N700系7000番台、幹ハカS1編成(写真側が782-7001)が展示されたことです(写真)。今月号の鉄道雑誌を飾る、報道公開されて間もない車両を今日捉えることが出来、非常に嬉しいです。



 なお、通常のN700系は先頭車はTcで、形式も783、784ですが、同編成は全電動車であることからMcで、形式は781、782のようです。



Hakasoq9  運転席側部には、KYUSYU/WEST JAPANと専用ロゴが配され、新大阪~鹿児島中央間の運用に就くことを示しています(写真)。



Hakasoq10  中間車側面も同様です(写真)。側面帯も、在来車と配色が異なります。



Hakasoq11  2005年に落成しながら、諸般の事情でイベントが開催されなかったため、本日一般初公開になる、幹ハカT5編成(923系3000番台)です(写真)。運用の都合か、清掃を行っていたのか、この位置にあり、午前11時に移動させる、とのことでした。



Hakasoq12  その間に撮影を。一番南東側の展示スペースには、以前同様、500系新幹線の原形である”WIN350”の先頭車が(写真)。反対側の先頭車は、米原の鉄道総研の展示場にあります。



Hakasoq13  その南には、100系”グランドひかり”2階建て食堂車、168-3009が(写真)。中に入ることが出来ました。



Hakasoq14  2階のダイニングの様子です(写真)。通路は1階に設けられ、両方に窓があります。残念ながら、もうこんな鉄道車両は営業しないのでしょう。



Hakasoq15  そして来た道を戻り、工場に入ります。記念撮影用に、500系幹ハカW2編成の博多方先頭車、521-2が仮台車で登場しました(写真)。制帽を被った子供の記念撮影を行っていましたが、一瞬のスキに撮影しました。



Hakasoq16  部品も展示しています。500系の、記念すべき翼形パンタグラフ、WPS204の折りたたんだ姿です(写真)。こんな構造とは。



 他屋外展示もありましたが、天気が悪く、観客の大半は屋内に入ってしまい、移動する範囲が狭くなってしまいました。



Hakasoq17  先程の場所に戻ると、観客が集中し、大混雑です。S1編成前で、身動きが取れなくなってしまいました。しかも巨大なカメラバッグを抱えて。仕方がないので、不審物と間違われる危険を冒して、柵の下に置きます。そしてカメラだけになって、移動すると、やって来ました、T5編成が!(写真)皆その方向に移動し、さらに混乱します。



 私は目的の写真を撮ると、後に下がり、バッグを拾ってここから出ました。通常1時間に1本しかない博多南線、ここで退場しても時間が中途半端な気がしましたが、後半戦への可能性を繋ぎ、去りがたく会場を後にしました。



 午後には改善したかもしれませんが、やはり今日は、「雨が、」の一言に尽きます。天気が良く、時間もあれば、一番奥まで行ったのですが、すいませんでした。



 例の事故以来、最初となる今回のイベントは、再開後としては上々だったのでしょう。こんな感じで、少しずつ、旧来に戻ると良いのですが、まだまだ大変です。



 早々に退場したのは、後半戦があるから。それは、次回とします。お楽しみに。

最南端のイベント

Kasoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、本日開催された、JR九州「鹿児島総合車両所まつり2008」を取材しました。



Kasoq2  先ずは鹿児島へと向かったわけですが、昨日の門司港から移動ということで、九州新幹線”つばめ”を利用しました(写真)。14ミリのレンズ、持ってて良かった、という写真です。幹セイ(川内新幹線車両センター)所属、U002編成(写真手前が821-2)です。因みにU001編成は、孤立路線である九州新幹線用に検測機能が付加され、車番に”K”が付加されています。



 川内新幹線車輌センターも、2011年の九州新幹線全通に伴い電留線になるものと思われます。そのために、熊本市周辺の九州新幹線建設中の軌道傍に、大規模な車両基地を建設しており、全通後には中心はそちらに移るのでしょう。実は同所では今年も11月8日にイベントがあり、参加は全通前がベストとは思うのですが、九州ばかり来るわけにはいかないので、今年は検討中です。悪くとも、来年までには。



Kasoq3  そして鹿児島中央から市電に乗り、2駅(乗車何駅でも大人160円)、中州電停で降ります。電停から徒歩数分、鹿児島総合車両所があります。



 1枚目は、SL。C51 85の、教習用カットモデルです(写真)。C51も、国産初の急行形パシフィックで、各地に存在しましたが、古いこともあり、残る車両は少なく、このような姿になっています。



Kasoq4  横では、ミニSLが(写真)。番号も”D51 542”とふってあり、門デフ(門鉄(門司鉄道管理局)形デフレクタ(除煙板))で、ここまでも九州です。



Kasoq5  C51の西側には車両が展示され、南側に撮影スペースがあります。先ずは475系、クモハ475 5(鹿カコGk-5編成)です(写真)。交直流急行色を纏う同編成、塗色復元後、日豊線を中心に九州各地で活躍しましたが、先頃引退しました。鹿児島で2年ぶりに再会でき、嬉しいです。種別表示の、「急行」も注目。



Kasoq6  クモハ475の車内です(写真)。車端はロングシートに改造されましたが、モケットの青といい、昔のままです。



Kasoq7  運転台の様子です(写真)。マスコンには日立、ブレーキ操作装置には三菱のマークが入っています。製造は、日車か?



Kasoq8  475系の隣は、キハ140 2066です(写真)。特急”はやとの風”増結編成のようです。塗色の黒がシックです。



Kasoq9  車内は非常にウッディーで、木質系素材が多用されており、良い感じです(写真)。機会があったら、また乗りたいですねえ!



Kasoq10  手前には車掌車、ヨ8969が(写真)。本来の用途は廃止されているので、車両等大型貨物の控え車か、桜島降灰関連に使用するか、どちらかでしょう。反対側も撮りたい気がしましたが、それは他の多くのファンが構えている前に反対向きに陣取る行為で、常識欠如も甚だしいので、止めました。



Kasoq11  ”はやとの風”の西側は、キハ200 7”なのはな”でした(写真)。7号、という数字に胸が躍ります。



Kasoq12  キハ200の南側、建屋の中には、キハ40 2064がありました(写真)。一般型気動車、JR九州標準色です。キハ140の種車です。



Kasoq13  奥の工場では、今日3回リフティングの実演がありました。”レッドエクスプレス”クハ481 213を、クレーンで吊り上げます。通常の工場では車両の長さはほぼ一定で、前後のクレーンは一緒に動くのですが、鹿児島総合車両所は、長さの違う車両が多数のようで、前と後のクレーンそれぞれに運転台があり、別々に移動が可能です。写真手前側の門形のリフティング用の金具(重さ1.7トン!)をジャッキアップポイントまで移動させ、少し持ち上げます。車両は前のめりになります。そして奥側の金具も固定、平行にしてから、合図一発、吊り上げます(写真)。観覧者代表で、小学生がヘルメットをかぶり、指示者を真似、規定通りに手と笛で指示し、それに合わせクレーンをオペレーターが操作します。



Kasoq14  そして、北に移動した後、東に移動し、台車入れを行います(写真)。これも一方を固定してから、他方を固定します。車両の長さが一定の新幹線のようにはいかないのでしょう。熟練が必要な技術です。



Kasoq15  そして入口に戻ると、北西側が側線を乗り越え駐車場に充てられています。そこから、車両の反対側が見えます。ここぞとばかりに入り込み、撮影します(写真)。左はスイッチャー、真ん中に”はやとの風”増結編成、西はキハ200です。その右の建屋には、先ほどのクハ481 213の片割れでしょう、クモハ485 7ほかが入っています。



Kasoq16  スイッチャーの南側は先ほどの475系の編成、手前からクハ455 16、モハ474 5、クモハ475 5の順です(写真)。手前のクハ455には腰部にクリームの線が入りませんが、これは60Hz専用という意味の線で、クハ455は電動機が無く、50Hz・60Hz双方で使用可能であり、入っていません。特急形も481系と483系があった時代は、同様に塗装で区別されましたが、特急は485系、急行は457系で50Hz・60Hz両用となり、問題は解決しました。しかし間もなくエル特急の時代となり、457系は少数派です。



Kasoq17  キハ200 7に心躍るのは、ペアの相手方が、キハ200 5007だということを知っていたからです(写真)。本来は1007号がペアの相手方でしたが、同車が土砂災害で修復不能となり廃車されたため、代替車として製造されました。なお1000番台はもう1両事故廃車がありますが、そちらは代替車の製造はされませんでした。



 今日は、以前名鉄のイベントでお会いした、車いすのファンの方(大阪の方なら知っているかもしれません)と再会しました。名鉄で会い、琴電で会い、今日の鹿児島で会い、縁の深い方です。共に鉄道を愛する仲、またそのうちお会いしましょう。



 昨日は門司港、今日は鹿児島なら、明日は何処へ行くでしょうか。本当は二股出来れば幸せなのですが、時間とお金があるでしょうか。



Kasoq18  おまけ。たった2駅ながら乗った鹿児島市電。今日も低床車「ユートラム」は走ります。実は私が一番好きな鉄道は、路面電車なんです。やっぱり、トラムはいいですよ!



 それでは、次回をお楽しみに。

またまた来てしまいました。。

Kyuteq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、九州方面へ来ています。



 先ず最初は、九州特急から。最初は予約が取れず、取れたときは台風で運休、結果延び延びになっていたお別れ会です(写真)。EF66 53(「関」(下関運転所))牽引の「はやぶさ」・「富士」、来春廃止との噂も流れ、心配です。やはりウィークデイにそこそこ利用がないと、定期では難しいのでしょう。しかし、この写真を撮ろうと構えると、訳の分からない男性が邪魔をします。前に行くと、訳の分からないことをわめき立て、狂ったように写ろうとします。正に川○軍○(放送禁止用語)であり、名古屋そのものか、あるいは異常なまでに優勝に固執する「負ければ賊軍」球団か。まあ、この程度の写真は、いつでも撮れます。怒らない、怒らない。



Kyuteq2  同機は長駆1000キロ、下関で運用から解放されますが、そこはホームの柵のため撮影は困難です。そして、九州からのお迎えがやって来ます。今日はEF81 411(「大」(大分運転所))でした。同機は関門トンネルを通過すると、門司で切り離されます(写真)。かつて「富士」が単独列車だった時代には、そのまま大分まで牽引した時代もありましたが、今は関門間だけです。そして連結手を乗せ待機線に引き揚げます。410号機以外は、久しぶりです。



Kyuteq3  すると、前6両の「はやぶさ」牽引機が、連結手を乗せ、バックしてきます(写真)。今日はED76 94(昭和51年三菱電機・三菱重工)でした。こちら側にもヘッドマークがあり、しかも「はやぶさ」単独です。そして客車を連結、早々に出発します。



Kyuteq4  後6両「富士」も、今日はED76 90(昭和51年東芝)に牽引される準備を始めています(写真)。こちらは、戦前の1・2等特急「富士」(3等特急は「櫻」)以来の、伝統の富士山形ヘッドマークをつけています。「はやぶさ」「富士」とも、客車が全て熊本運転所の受け持ちということで、同じ編成になっていますが、平均車齢は30年を超え、正直目を背けたくなるような車両もあり、今後が心配です。やはり、来春なのか。



Kyuteq5  門司で寝台特急を下車し、門司港へ。門司港は、明治以来の関門連絡船の九州側の港で、鉄道、海運に関する施設が集中していたことから、今はレトロな雰囲気の建物が多数残っています。門司港駅は、その代表です(写真)。



Kyuteq6  駅の南東側、前の写真の左隅には、かつての門司鉄道管理局、その後のJR九州本社がありました。入口は写真のとおりで、JR貨物九州支社も入っていると書かれています(写真)が、現在JR九州本社は博多にあるそうです。



Kyuteq7  かつて門司港から、東に向かって半島を回る非電化の貨物線があり、DD51重連も見られたそうですが、現在ではその貨物線は廃止され、運用も無くなりました。踏切跡が残っています(写真)。前後に立ち入り禁止の区域がありました。



Kyuteq8  そして徒歩数分、九州鉄道記念館があります(写真)。再訪です。正門からは9600形59634が顔を見せています。



 かつてこの周辺の位置に、九州鉄道0キロポストがあったように記憶しますが、検証の結果撤去されたようです。九州の鉄道の起点は、何処なのでしょうか。この付近であることは間違いないのですが。



 そして大人1人300円を払い、中に入ります。



Kyuteq9  59634の後は、C59 1です(写真)。昭和15年汽車会社、汽車会社2000両目ですが、戦時体制の強化で優等列車が廃止され身を持て余し、戦後特急が復活したときは既にC62があり、運の悪いヘビーパシフィックでした。最後は”みずほ”に活路を見いだしましたが、熊本電化で引退しました。



Kyuteq10  その後は、EF10 35です(写真)。昭和16年汽車・東芝製で、関門トンネル用に配置されました。九州の交流電化後首都圏に移動、引退後九州で保存されていたところ、同館開設で展示されるようになりました。



Kyuteq11  次は、ED72 1です(写真)。昭和36年東芝製、交流電機百花繚乱の時代の機関車で、量産型ED72とはヘッドライトの位置が違うといいます。標準型となったED76の増備で、引退したのでしょう。



Kyuteq12  次は、キハ07 41です(写真)。昭和12年日車製、戦前形ガソリンカー、キハ45000の一派でしょう。しかし、戦前に日車が鉄道院に納車していたとは。



Kyuteq13  次は、クハ481 603です(写真)。昭和44年日車でクロ481 5として落成し、東北で活躍していたところ、九州に移転し、クハ481に改造され、現在の番号になりました。中は昭和50年代標準の簡易リクライニングシート(座面が前にせり出すリクライニングシート)でしたが、窓割りが座席と一致せず、クロ481の名残があります。



Kyuteq14  次は、クハネ581 8です(写真)。昭和42年日立で落成、後に余剰となりクハ715 1となりましたが、これも引退し、塗装は復元され小倉工場で保存されていました。しかし改造点は多数あり、側面は面影は残るものの、窓はユニットサッシで、2ドアに改造され、かなり原型とはイメージが異なります。まあ残っていたことをもってよしとするのか。



 最後は石炭車、セラ1239で、製造年・製造所不詳で調査中だそうです。



Kyuteq15  階段を登り、東を見ると、ミニ鉄道公園が広がります(写真)。レールを乗り物が動き、園内を走ります。



Kyuteq16  西には、本館が(写真)。これもレトロな建物ですが、明治期の民営鉄道会社、九州鉄道が本社とすべく構えた建物が元です。2階建て煉瓦の建物で、歴史を感じます。これが、JR九州が車両に”Kyusyu Railway Company”と書く理由です。



Kyuteq17  1階は、まず正面に明治期の木造客車か、チブ37が展示されます(写真)。当時のシートは畳敷きでした。



 右手はシミュレーター、模型パノラマで、左手はミュージアムショップ、喫茶店になっています。



Kyuteq18  2階は展示、資料室に。こちらは”JR””さくら””あかつき”、”サザンクロス””みずほ””明星”のヘッドマークがあります(写真)。ここに、”はやぶさ””富士”を入れねばならないのか。



Kyuteq19  こちらは、”つばめ”関連の展示が(写真)。東京~大阪間の時代の、ヘッドマーク、1等展望車のテールマーク、151系のヘッドマーク、他多数です。やはり九州新幹線も”つばめ”であり、縁があります。



 ちょうど九州鉄道記念館は開館5周年で、イベントをしています。皆さんも行ってみては如何でしょうか。



 こんな感じで今日の取材を終えました。



 ここへ来ているのですから、明日は何処へ行くのか。お楽しみに。

富士の高嶺に(後半戦)

Fumiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は富士山周辺、身延線を中心にお届けします。



Fumiq2  大月で「富士吉田うどん」(「ほうとう」の細いの、といった感じか)を食べている最中に、下り小淵沢行きの各駅停車が入線しました。ああ、乗り遅れた、と思いきや、特急通過待ちで長時間停車。その間に食べ終え、ボックスシートにも空きがある同電車に乗り込みました。



 上りホーム向こうには、八トタ(豊田車輌センター)M1編成(こちら側がクハ115 380)が停まっています(写真)。今はまだ山スカ色も健在ですが、いずれこれもE233系中距離形置き換え、といった事態に発展するのでしょう。豊田車輌センターも201系は、ほぼ全滅、保守の統一ということも考えられますが、その前に13年経ってしまうのか。



 間もなく、電車は発車しました。



Fumiq3  中央線は山岳路線。蒸機、旧式電機の時代は、スイッチバックをしながら登っていきました。甲府までの区間は、甲斐大和を頂点に、山登りをする構造です。大月の次は初狩、有名な大スイッチバックがあります(写真)。旧線時代は、このスイッチバックの先にホームがあり、現在は保線の基地になっているようです。駅舎はクロスする地点近くにあり、現上り線を潜ると地上に出て、旧線を踏切で越えます。中央線の変遷を一番感じる駅です。



Fumiq4  初狩の次は「笹子峠」の笹子、非電化区間では日本最長だった笹子トンネルの麓です。同駅もスイッチバック、下り線左上側(則ち南東側)にスイッチバックの施設があり、旧駅はここにあったようですが、今は業務スペースになっています(写真)。



Fumiq5  そして先日の勝沼ぶどう郷を行き過ぎ、甲府へ。甲府駅東側には、常に救援用かEF64(昨日は36号機)が待機しています(写真)。



Fumiq6  ここからは、身延線。甲府駅1番線東側に突きだした4、5番線に電車は停まり、非常用の中央線からの渡り線は、レールが錆びています。かつては湘南色115系2600番台(最終形式2000番台のうち、身延線の”超”狭小トンネル対応でパンタグラフ畳み高さを下げた低屋根車)がこなした同線の運用、現在は全てJR東海の一般型汎用電車、313系のバリエーションでこなします。昨日は、静シス(静岡車両所、元の静岡運転所)N2編成(写真側がクモハ313 2602、近畿車輛2006年)3連が出発を待っており、ベストタイミングで富士行き、渡りに船でした(写真)。



Fumiq7  車内は、同時期に静岡車輌所に配属された313系と同じく、全ロングシートでした(写真)。個人的には、クロスシートの方が好きです。しかし、静岡支社が「転換クロスシートを」と言うと、本社から117系を押しつけられると勘ぐって、こうなったのか。結果大垣から大量の211系3連が移籍、以前のような混結不可の113系と115系の併存ではなく、211系と313系のみ(両系列は併結可)の車輌統一が図られ、運用も効率化されました。結果整備必要車両数も減りました。



 数分で甲府を発車します。



Fumiq8  甲州からは裏富士。身延線電車からは、頭の白い富士山が見えます(写真)。



Fumiq9  中央線上り線に沿って金手、分かれ善光寺、次が南甲府です。南甲府は、JR東海身延線の前線基地で、飯田線で言う伊那松島と同じです。かつての富士身延鉄道の名残か、同駅には電留線があり、通常は車輌が多数待機しています。昨日は、373系(静シスF6編成)が、特急”ふじかわ”のトラブル対応を準備していました(写真)。普段なら一般型もありますが、今回はありませんでした。



Fumiq10  私の乗った電車と行き違いに、静シスV1編成(写真側がクハ312 3001)が南甲府に入線します(写真)。平成11年東急、霜取り用2パンタ化が進行中です。313系ワンマン対応3000番台トップナンバー、静岡では数少ない(固定)セミクロスシートです。



Fumiq11  甲斐盆地を南に向かい、山中へ。手前では、富士山もこんな感じです(写真)。



Fumiq12  行き違い列車も多数でしたが、鰍沢口にて静シスV6編成(写真側がクハ312 3006)と行き違います(写真)。



Fumiq13  そこから一駅、落居駅下り1番には、静シスW9編成(写真はクハ312 2307)が待機しています(写真)。2次車、非ワンマンのロングシート車です。珍しい。



Fumiq14  下部温泉では、行き違いで特急”ふじかわ7号”がやって来ます(写真)。静シスF3編成です。313系と各部が共通で、本当に省力化が図られています。



Fumiq15  中間点、身延で30分近く停車。ここでは、行き違いもそういう単位になります。出発近くやってきた、甲府行き静シスN9編成(写真)。こちらも30分停車、当方出発後、後続特急を待つのでしょう。



Fumiq16  身延近辺は山が迫り、富士山は見えません。「左、左」と構えていると、西富士宮の手前、右側に大きく夕焼けの富士山が見えてきます(表題の写真)。西富士宮手前まで堪えた人が勝ち、逆に甲府を目指す人は、沼久保では手遅れです。



 すると間もなく、日没が近づきます。複線となった富士根では、静シスV14編成(313系3100番台(2次車))と行き違います(写真)。スポット測光でも大失敗なのです(つまり処置無し)が、ここまで復元しました。



 そして富士到着、乗換時間僅かで静岡方面行きに接続し、撮影は出来ませんでした(光量も不足していた)。



 そして、普通電車で帰宅しても良かったのですが、写真整理と前半戦の投稿のため、静岡から”ひかり”に乗り、帰宅しました。



 身延線のかつての主役、115系や123系は引退し、汎用電車313系に置き換えられました。古きもいいですが、新しい電車もいいですね。ラインカラーはありませんが。



 長い一日が続きました。我ながらよく精力と金が続くと思います。それでは、次回をお楽しみに。

富士の高嶺に(前半戦)

Fukyuq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回と次回は富士山周辺、今回はそのうち前半戦の「富士急電車まつり2008」を取材しました。



Fukyuq2  今朝滞在先を発った私は、一路河口湖へ。車掌が案内放送で色々沿線の解説をする(「三ッ峠は最大40パーミル」とか)のですが、朝寝をかましてしまい、夢の彼方です。そしていつの間にか富士吉田で折り返し、終点河口湖に到着しました。



 乗車券をイベント券(硬券)に交換し、「もいちくん」の元である、富士急モハ1へ(写真)。今日は、特別公開です。



Fukyuq3  何が特別って、今日はモハ1の車内が公開されているからです。先ずは運転台から(写真)。マスコンには三菱のマークが入り、運転座席は貫通ドアに固定され、ドアと共に移動します。



Fukyuq4  車内では、”フジサン特急”の塗り絵を子供たちがしています(写真)。車内は木造ということもあり、暖かみがあります。



Fukyuq5  待合室には、富士急行と姉妹提携にあるMCB鉄道に因む品物が展示されており、”マッターホルン号”のプレートもあります(写真)。あの、色違いの京王5000系が、”マッターホルン号”なのだそうです。



Fukyuq6  構内に戻り、189系が並んでいます(写真)。”ホリデー快速河口湖1号・3号”で、手前旧”あずさ”色(八トタ(豊田車輌センター)M50編成)が大宮発の1号、奥の国鉄色(東チタ(田町車輌センター)H61編成)が新宿発の3号で到着しましたが、帰りは運用の都合で逆になるようです。いずれも6連の短編成ですが、これらが走るだけで、中央線沿線の「お立ち台」は賑やかになりますね。



Fukyuq7  横では予約券を貰ったお客が、マルタイに数人ずつ乗車し、試乗体験をしていました(写真)。



Fukyuq8  再び外に戻ると、モハ1の前の特設ステージで、フラダンスが演じられ、その後は獅子舞が登場を待っています(写真)。



Fukyuq9  駅には、”フジサン特急”が入線します(写真)。富士吉田方が展望席の、2001始め3連です。元JR東日本の”パノラマエクスプレス・アルプス”、種車は国鉄165系です。昭和62年大井工場(現東京車輌センター)で改造されました。



Fukyuq10  車内です(写真)。展望席は、写真のような配置になっています。運転台は写真左から階段になっており、外にはありません。



Fukyuq11  階段の後はサロン席、その後は普通のリクライニングシートになっています(写真)。この車輌に乗車するには、特急料金プラス100円の着席整理券が必要です。



Fukyuq12  駅に”トーマスランド号”(5000系)が入線します(写真)。手前が5001、奥5002です。



Fukyuq13  ”トーマスランド号”車内です(写真)。機関車トーマスのイラストで、いっぱいになっています。



 これと行き違いに、私の乗車する”フジサン特急”が発車します。



Fukyuq14  富士吉田には車輌工場がありますが、その側線に、クモハ169 27(元八ミツ(三鷹車輌センター、当時の三鷹電車区)所属の車輌)が残ります(写真)。車体はしっかりしていますが、恐らく”フジサン特急”の部品取り用で残っているものと思われます。



Fukyuq15  富士吉田を出ると、途中は都留文科大学前でしか乗下車できませんが、三ッ峠で停車します。行き違い?と心躍らせると、やはりそうで、”フジサン特急”第2編成(写真側が2002)でした(写真)。向きが逆なのは、元は一つの編成として設計・改造され、6両で運転されたからです。多客期には、中間に167系を挟み、10連で運転されました。その関連で、167系は”パノラマエクスプレス・アルプス”同様の塗装だったのでした。



Fukyuq16  そして、先日も取材した、山梨リニア実験線を潜ります(写真)。そして大月に到着、「富士吉田うどん」を昼食にし、後半戦に向かいました。



 今回の「富士急電車まつり2008」は、モハ1といい、”フジサン特急”といい、”トーマスランド号”も、あと”マッターホルン号”もあり、資産は一杯あるのですが、営業もあり、会場も限られたスペースでしなければならない、ということで、行ったり来たりでなかなか大変なイベントでした。次回は、回遊する順路を設けるとか、人の流れを上手く整理すると、もっと良い感じになるかもしれません。



 それでは、後半戦をお楽しみに。

少数派になってしまいました

Chimq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今日の後半戦は、”ちばモノレール祭り2008”を取材しました。



 午前中の海老名での取材を早々に切り上げ、小田急には悪いとは思いましたが相鉄で横浜、そこから横須賀線、直通総武線で千葉に。間に合いそうだったので更に千葉モノレール、動物公園駅を目指します。下車徒歩3分で、千葉モノレール車庫に到着します。入口は模擬店が並び、更に入ると、展示車となった1015が保存され、子供に制服制帽を着せて記念撮影を行っていました(写真)。でも、これって、普通の鉄道車両なら、「ダルマ」なんでしょ?ジャッキアップポイントで支えられ、移動しないようピアノ線で引っ張って固定されています。



Chimq2  整備工場の前には、補修点検用ゴンドラが(写真)。これで線路の作業員は移動します。



Chimq3  検修工場の様子(写真)。上下を有効に活用した、立体的な工場になっています。口からは、車両が顔を覗かせています。



Chimq4  工場の中を見学します。先ず5階建ての4階に大型エレベーターで移動。そして4階には、懸垂式モノレールの懸垂する台車の点検工場がありました。車輪はゴムタイヤで、重量を支える縦の車輪と、方向を制御する横の車輪が分かります(写真)。



Chimq5  3階に下ります。3階は、普通の電車なら床下にある各種装備を点検する、屋根上部品の整備場です。丁度台車が外され、ジャッキアップポイントで下から支えられるため、屋根上が丸出しになった車両が見えます(写真)。この中心の棒が、通常の車両の台車の心皿に相当する部品なのでしょう。



Chimq6  隣の線路の車両は、屋根上が開いています(写真)。一番前が電連付きの連結器、後は電装品で、エアコンのみならず、主抵抗器、断流器、ほか電車に必要な装備が分かるよう、キセが開けられています。



Chimq7  この車両の反対側の正面では、緊急脱出装置が公開されています(写真)。緊急時は、同様の装置を出した救援車に接続させ、乗客を救出するのだそうです。緊急降下装置では無いようです。



Chimq8  鋼体化架線から集電するのはパンタグラフ、あの特殊な懸垂式のレールから集電するので、構造も特殊です(写真)が、エアが入れば上がり、抜ければバネの力で下がる、ということは、普通の電車と同じでした。シングルアームパンタですよ!



Chimq9  運転台を覗くと、運転は右手式ワンハンドルマスコンのようです(写真)。抵抗制御バリバリですが、運転は最新式!確かに阪急6300系が、昭和50年代に実現していましたが。



 どうも2階が車体、車内の整備工場のようです。中には入れませんでした。そして1階に下り、外に出ました。



Chimq10  すると、車庫線に入る車両が。洗車体験です。地平に設置された電車用門形洗車機に、地平ギリギリまで下りてきて潜ります(写真)。洗車機が回り、洗車します。特殊な車両ながら、割と普通の洗車でした(というよりそうなるように上手く設計したのでしょう)。



Chimq11  そして、車両は車庫に入ります(写真)。地平ギリギリ、旗を振る誘導手もおり、千葉の方なら見慣れた光景でしょうが、イマイチ不思議な光景です。しかも立体式!線路はこの真上に2段に並び、まさに立体駐車場!残念ながらその姿を上手く写せる写真は撮れませんでした。



 そして取材を終え、今日の滞在先に向かいました。



 長い一日でした。明日は、今日の続きです。

ロマンスな日

Romaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”第1回目をお届けします。今日の前半戦は、今日と明日開催される、小田急ファミリー鉄道展2008を取材しました。



 いつも通り昨晩自宅を発ち、早朝関東入りしました。東京からまた海老名まで戻り、海老名から西口、海老名電車基地前の駐車場が待機の行列の用地に当てられていました。幸い早い方だったので、開場10時になり、早期に場内に入ることが出来ました。



Romaq2  撮影は、入場者が増えると困難になります。そのため、早めの勝負が肝要です。先ず順路一番最初、一番北西の5000系5159(小田原方)始め4連です(写真)。小田急のイメージは、普通これです。しかし、いつの間にか少数派になってしまいました。



Romaq3  隣は8000系、8263(新宿方)始め6連です(写真)。製造銘板は小田急車両2008年となっていますが、8000系自体は以前から存在しており、リニューアルされたということでしょう。小田急では6連は、各停あるいは相模大野分割急行の箱根湯本行きに充てられていましたが、最近の運用変更、小田原駅改造に伴い箱根湯本直通急行が無くなり、6+4編成に拘る理由が無くなりました。そのため、最近の系列ではそれより長い編成が現れています。なお改造によるギヤ比やモーター方式の変更点を質問するファンもいましたが、まあそういう人もいる、ということにしておきましょう。



Romaq4  今回の主役、HiSE10000系、10041(新宿方)始め11連(写真)。自信を持って登場させたHiSE、バリアフリー法などという思いもかけないことで、寿命を縮めるとは。第2編成、第4編成は豊川の日車で短縮化改造され、長野電鉄に移籍しました。残る2編成も、先輩LSE7000系と共に心配されます。一般車も心配でしょうが、やはりLSE、HiSEの去就は注目です。



Romaq5  今後の主力、4000系4053(小田原方)始め10連(写真)。2007年東急車輌、E233系小田急バージョンです。今後はJR東日本以外でも、耐用年数省令別表の通り、13年保てば良い、式になるのか。経理上は納得のいくものですが、昔のようにはいかないようです。



Romaq6  HiSEの箱根湯本側(写真、10051)。1枚1枚が重要になります。



Romaq7  電車が通る音がするので、「あっ!」と皆が叫びます。そうです、MSE60000系が箱根湯本に向け走り去っていきます(写真)。編成10両全体は捉えられませんでしたが、6両の基本編成が2編成あるのに対し、1編成しかない付属編成は新宿方が流線型で、丁度その4両全部が写っています。小田急のスポット(いわゆる「お立ち台」)も、調査しなくては。ただ、オフシーズンには付属編成を連結しませんが。



Romaq8  そう、展示だけでなく、今日海老名電車基地で非番だったのか待機だったのか、LSE7000系7704(箱根湯本方)始め11連が滞泊しています(写真)。しかもデビュー当時の塗色に戻された編成で、小田急はサービス精神旺盛です。どれだけファンを感激させたことか!



Romaq9  保守機械も多数展示されていました。写真は軌陸車、架線等の高所作業車のようです(写真)。軌道モードでセッティングされています。後にはマルタイが写っています。



Romaq10  そしてSE3000系展示会場へ移動する最中に、高架を50000系VSEが通過していきます(写真)。今日は本当に運が良い!しかし休日午前は、箱根湯本行きに一番多くの旅客が動く時間でもありますが。



Romaq11  今回同時に公開された、元SE、改造によりSSE、旧3000系「あさぎり」です(写真)。国鉄東海道本線を試験走行で175キロで走り、新幹線の基礎となった、といいます。私の知っている3000系は、この姿ですが、これはオリジナルではありません。



Romaq12  SE改めSSEは、オリジナルから連接車です。改造後もそれは変わらず、車内は写真のとおりです(写真)。連接車の特徴を良く現しています。しかしシートは回転クロスシートであり、これが引退の原因でしょう。



Romaq13  車内の、「第1回ブルーリボン賞」記念プレートです(写真)。1957年(昭和32年)鉄道友の会の与えた賞です。製造は昭和32年日車、昭和60年川崎重工で改造されました。



Romaq14  5両のうち新宿側、3021始め2両はSE時代のオリジナルに復元されました(写真)。この姿は、あとは写真にしかありません。これを撮影し、会場を後にしました。



 3100系NSEはありませんが、実は小田急関係者は、あまり好きではないと言っていました。連接と名鉄パノラマカーの一体化(製造も同じ日車)で、ミュージックホーンまで一緒なのが、その原因でしょう。あと、EXEは現役ですし。



 本イベントは、明日も開催されます。都合のつく方は、参加されては如何でしょうか。



 前半戦はこんな感じです。後半戦をお楽しみに。

(投稿500回記念)夢の超特急の残像

Shinzeroq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、少し遅くなりましたが、”Tetsu”投稿500回記念記事を、509回目に行いたいと思います。



 先ず1枚目は、平成11年8月8日、東海道での0系引退を記念し、臨時”ひかり”が運転されたときの映像です(写真)。16号車、確か新大阪での記録です。



Shinzeroq2  当時のJR東海所属の残存0系には、写真のとおり「平成11年9月18日最終運転」と、FRPの前頭部に書かれていました(写真)。懐かしい1コマです。



Shinzeroq3  その平成11年9月18日の、東海道新幹線最終0系”こだま”の入線の写真です(写真)。乗車整理のためJR東海はかつての上野駅よろしく1両ごとに列に並ばせ、整列乗車を行う予定でした。しかし実際にはそれを無視し、横から割り込み乗車をした乗客が座席を既に占領しており、JR東海には醜悪な日となりました。



Shinzeroq4  同列車の終着地、名古屋においてはもっと醜悪でした。一般の乗客には、こんな写真しか撮れませんでした(写真)。一部のマスコミによると、0系引退式にJR東海の社長は、船の処女航海よろしくシャンパンをボディで叩き割ったそうですが、実際には式典はその「一部の」マスコミ関係者約100人が包囲しており、他のほとんどのマスコミは全く取材できませんでした。代表例として、東海地方で最も読まれる日刊新聞社は、遠く離れたビルから野球用の超望遠レンズで写した、ぼやけた映像を掲載しました。実は、その「一部の」マスコミが、最大の問題なんです。尼崎も含めて(被害者誰一人にも聞くこと無しに、結論が出たのですから)。



Shinzeroq5  東海道での0系の引退から9年、山陽新幹線でも引退の時期を迎えました。先日博多まで乗車したときの写真、こだま620号の新大阪入線の図です(写真)。



Shinzeroq6  同列車の折り返し、博多行きこだま639号です(写真)。幹ハカ(博多総合車輌所)R67編成です。



Shinzeroq7  先回の取材が不満の残るものであったことから、今朝早くに新大阪に行きました。起床予定時間を1時間も寝坊し肝を冷やしましたが、何とか間に合った、”こだま629号”博多行きが鳥飼基地から回送されてきた姿です(写真)。幹ハカR68編成です。



Shinzeroq8  同列車が据え付けられ、出発準備する姿(写真)。時間が時間であったため、連休中でありながら、撮影しているのは私だけでした。



Shinzeroq9  次の写真は、”こだま635号”博多行きです(写真)。幹ハカK53編成、100系6連です。



Shinzeroq10  次は、よく似ていますが、”こだま637号”広島行きです(写真)。幹ハカK56編成です。東海道では引退した100系、16両フル編成は既に無く、短編成で余生を送ります。300系も廃車する現在、100系も引退、という覚悟も必要なのかもしれません。



 なお、100系P編成(4連)は全て姫路止まりなのが不思議ですが、これはJR東海のATCが4両に対応していないため、新大阪から少し新神戸寄りの会社分岐点を越えられないからです。



Shinzeroq11  先回大失敗をした、”こだま620号”新大阪入線の図(写真)。今日は幹ハカR67編成でした。今回は、時間、位置のチェックが入っており、万全でした。流石にこの時間には、カメラを持ったファン多数でした。



Shinzeroq12  先回はここで断念した、”こだま639号”出発前の姿(写真)。赤いテールライトのままです。



Shinzeroq13  しかし今日は乗車の心配がなかったので、堪えきれました、”こだま639号”出発準備完了の図(写真)。白いヘッドライトになっています。これだけでも来た甲斐がありましたが、何故かこの時にはファンの殆どは撤収していました。皆乗車したのでしょうか?



 こんな感じで今日の取材を終えました。



 500回記念、9回も遅くなりましたが、ご愛読ありがとうございます。今後とも楽しめるブログを目指したいと思いますので、よろしくお願いします。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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