好きですねえ!(#4)

Sandaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、可部線廃止区間第二弾です。



 昨日気持ちよく岡見貨物を撮影し、今日はどうしようかと考えましたが、丁度途中でもある可部線でも行こうか、と思い、今朝滞在先を出発しました。こんなことにもなろうかと、ある程度のポイントはマップコードを確認しておきました。



Sandaq2  最初は、三段峡駅からです。駅のあった場所に行くと、写真のような駅名票が残っています(写真)。



Sandaq3  しかし、既に駅舎はなく、駅はバスターミナルとイベント広場に改装されています(写真)。一つずつ、痕跡は無くなっていきます。



Sandaq4  次は、戸河内駅跡です。現在の安芸太田町町役場前の広い駐車場および空き地が駅配線の跡地です(写真)。既にホーム等は残っていません。



Sandaq5  しかし、僅かに線路下を潜っていた通路、ボックスカルバートが残っていました(写真)。この近辺には、鉄橋、コンクリート橋の線路跡も残っていました。



Sandaq6  しばらく進むと、国道からホーム跡が見えます。行ってみると、水内駅ホーム跡が公園になっています(写真)。線路は残っていません。



Sandaq7  ネコ駅長で有名な安野へ行こうと思い、探します。思っていたのとは対岸に線路があり、渡ると、何とこれも間違い。太田川に沿って大きくカーブした旧道のトンネルの先に、ついに発見(写真)。駅舎がありました。



Sandaq8  駅舎に入ると、無人の改札があり、脇には廃止直前の時刻表が掲示されています(写真)。往時が偲ばれます。



Sandaq9  改札を抜けホームに出ると、ホームにはディーゼルカーが(写真)。キハ58 554(広クチ(山口鉄道部))、平窓の初期型で、列車種別は「修学旅行」でした。加計のキハ28とペアだったのでしょう。遠目には、営業中と嘘をついても通りそうな雰囲気です。なお、事前に予約すれば、車内を貸切使用することも可能であると書いてありましたが、詳細は現地で確認してください。



 しかし、ネコ駅長の駅に、ネコは一匹もいません。どうも廃線後、捨て猫と、猫の虐待が増えたようで、全部処分されたようです。



Sandaq10  安野駅から可部側100メートルほどの間は、線路が残り、終点にはこんなコンテナハウス改造の小屋があります(写真)。窓から覗くと、中には青いトロッコが入っており、「荘野号」と書かれていましたが、詳細は不明です。



Sandaq11  国道に戻りしばらく走っていると、ホームの跡が見えます。行くと、どうも「布」駅跡で、対向式ホーム2面と線路が残りますが、現在は土木作業用のヤードへと変わりつつあります(写真)。



 廃止間もない頃の可部線の、この廃止区間を取材した本を読んでから行きましたが、当時からかなり様子が変わっています。時間とともに変わりゆくのは仕方ありませんが、少しでも多くの痕跡が残るように願いたいです。皆さんも、まだ残っている間に記録されることをお薦めします。



Sandaq12  おまけ。帰り道、姫路鉄道部に行くと、局舎の目の前に、新車、キハ127(右手前1004番、左奥4番)が停止しています(写真)。先日通りがかったときは1編成2両しか見えなかったので、僅かの間に数が増えました。いよいよ、置き換えですね。しかし、車両がこの位置に置かれているとは、写真写りを意識しているのか、いささか出来過ぎです。



Sandaq13  おまけ2。その西側の留置線には、姫路鉄道部の気動車が多数並びます(写真)。写真左から3列目の銀色の車両は、一見隣と同じように見えますが、この車両こそ単行用のキハ122で、両運転台です。すぐ右側のキハ127と同様のデザインですが、違います。キハ127は、全部で7編成14両ほどあった気がしますが、キハ122は、この車両1両のみでした。今後落成か。



 次回は未定ですが、お楽しみに。

冷たい雨。

Okamiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、因縁の「岡見貨物」を取材しました。



 DD51重連で有名な「岡見貨物」。山陰本線岡見駅傍の三隅火力発電所(石炭火力)に石灰石を運び、石炭と併燃し排ガスを改善し、その灰(フライアッシュ)を美祢線美祢に送り、セメントの原料とする、一挙両得の貨物輸送です。間に山口線を経由し、中国山地を越えることから、厚狭~岡見間はDD51重連で牽引されます。今回は、その岡見側の取材です。



Okamiq2  先ずは早朝、日の出前の益田駅へ。午前7時少し前に同列車は益田に到着、長時間停車します(写真)。前DD51 882(「厚」(JR貨物幡生機関区厚狭派出))、後853(「厚」)の重連が、炭酸カルシウム(石灰石)を積んだタキ1100 11両を牽いて、益田駅3番線の奥、おそらく4番線と呼ばれるべきホームのない線路に入線しました。まもなく日の出、光量が十分になる、と思ったら無情にも雨が。精密光学には厳禁、早々に益田駅を出ました。



 この長時間停車の間に、今日の撮影ポイントへと移動します。しかし、日の長い時期に撮影していたら、どんなに良い写真になったでしょう。



Okamiq3  前もって雑誌等で調べたポイントに移動します。カーナビのマップコードを使いその場所に移動すると、降りる場所のない断崖絶壁の下を線路が通っています。「どうやってポイントに移動するの?」と思ったその瞬間、人の歩いた踏み分け道に気づきました(写真)。よく見ると、ロープが渡されています。つまり、そのポイントには、このロープを伝って降りていくのでした。しかし雨でぬかるみ、下りは一苦労でした(碓氷峠ですよ)。



Okamiq4  降りて、危うい斜面に三脚を立て、2台のカメラをセットします。間もなく、浜田行きキハ120が走り去っていきました(写真)。



Okamiq5  次は、新山口行き特急「おき」、キハ187の2連、去りゆく姿です(写真)。



Okamiq6  待っていると、雨が強くなってきます。傘もなく、一瞬でも離れれば間違いなく三脚は倒れると思われたので、戻るわけにもいきません。仕方なくカメラの雨よけに、着ていた防水性のある着衣をかけ、雨をしのぎます。私は、上着一枚を失った上で、冷たい雨に雨ざらしです。そのため、キハ126「アクアライナー」を撮り損ねました。



 「まだか、まだか!」と待っていると、9時6分過ぎにやっと現れました(写真)。フィルムカメラのシャッターを切ります。左手にはリモートコード、デジカメに繋がっています。初めて連写機能を使いました。



Okamiq7  20コマ後、DD51は中程へ(写真)。こんな無責任な写真は初めてです。



Okamiq8  さらに20コマ後、手前の木にかかり撮影終了(写真)。133倍速メディアでも滞留せずに済みました。列車は岡見、そして引き込み線を通り三隅火力発電所に向かっていきました。



 スロースピード連写であり、被写体も単線ローカル貨物であり、速度も知れているので、133倍速メディアでも止まりませんでした。しかし、「富士」「はやぶさ」とか、まして500系新幹線では、多分間に合いません。対策は、検討中です。



Okamiq9  三隅火力発電所にはスイッチャーがあるそうで、入換はDD51の仕事ではないようです。そうすればDD51は早々に岡見駅に帰ってくるのでしょうが、岡見駅には滞泊の施設はありません。そのため、返しの貨物列車が仕立てられるまでの間、DD51重連は一旦益田まで戻ってきます。昼12時頃、益田駅の本線上に入り、入換を行います(写真)。



Okamiq10  そして気動車と同じ線路で、帰りの貨物の準備が出来るのを待ちます(写真)。午後、改めて岡見へ重連回送されます。



Okamiq11  そして発電所から出たフライアッシュを積んだタキ11両を牽き、午後5時半、再び益田駅1番線に現れます(写真)。9分停車、山口線を通り新山口、山陽線厚狭へと向かいます。



 しかし、今日は3度益田駅の入場券を買ってしまいました。顔を覚えられてしまいます。



Okamiq12  資料映像。厚狭からは美祢線、美祢駅にはDD51単機で牽引、駅北方の貨物駅で荷を下ろします(写真)。



 「岡見貨物」は、岡見着平日のみで、飛び石連休等の場合は運休が多く、なかなか撮影の機会がありませんでした。2度の失敗を越え、冬の冷たい雨の中とはいえ撮影が出来たことは、何物にも代えがたく、嬉しいです。でも風邪をひかないよう気をつけねば。



 なお、岡見貨物の詳しい運転日は、検索エンジンで「岡見貨物」と検索すると、本年3月までの運転予定が出ています。皆さんも参考にされては如何でしょうか。



Okamiq13  おまけ。合間に時間があったので、山口県に入り、構造の変わった橋梁であり、蒸機時代からの有名ポイントでもある、山陰本線惣郷川橋梁を訪問しました(写真)。残念ながら運転本数の少ない同区間、列車は2時間待ちだったので、断念、橋梁だけです。



 次回は、続き、といっても何処でしょうか。次回をお楽しみに。

ありました!

Kokuq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、過去の写真の整理中に発見した写真からお送りします。



 通常113系というのは、モハユニットが113・112のペアなので113系と言いますが、クハは何故か111。それは、113系登場前に、111系が存在したからです。先ずは、111系が最後の活躍をした四国の写真です。



 113系と111系の違いは単純、111系モハ110・111ユニットは、主電動機がMT46(100kW)であり、間もなくMT54(120kW)が開発され、モハは113系(モハ112・113ユニット)に変わり、111系モハは64ユニットのみの製造で終了しました。111系は165系に対する153系同様、113系と混用されましたが、後に平坦線である四国に転出、集結しました。写真は、平成13年まで生き延びた111系最後の編成、クハ111 3002~モハ110 4~モハ111 4~クハ111 29という四国色の編成です(写真、クハ111 3002、平成11年12月24日撮影)。最後は四国島内の運用でした。同編成は111系としては最後まで残りましたが、平成13年3月31日をもって廃車されました。これにより、111系は形式消滅しました。



Kokuq2  同じく四国へと渡っていったクハ111 1(写真)。同車は原形を維持したまま引退後、JR四国からJR東海へ無償譲渡、現在は佐久間レールパークにて保存されます。大目玉がそのまま残ります。同時に譲渡されたモハ110・111 1号ユニットは、JR東海浜松工場にて保存されています。



Kokuq3  それと同時期、165系が日根野で現役だった頃の写真です(写真、クハ165 79、平成12年1月15日撮影)。現在は117系等他形式に置き換えられました。



 国鉄を懐かしむことの出来る旧形式は、だんだんと消滅していきます。現存する形式を、残す努力は必要です。皆さん、後悔の無いように。



 それでは、次回をお楽しみに。

”ほ”の国へ(後半戦)

Hotr1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、先回の続き、豊橋鉄道東田本線(豊橋市電)を取材しました。



 豊鉄渥美線を新豊橋で降り、向かったのは豊橋駅前電停。遙か昔は電停が駅から離れており、非常に不便でしたが、駅前の改良で市電は駅傍まで延長され、駅前広場をバスターミナルと電停で使用し、いずれも歩行デッキから降りるだけとなり、非常に便利になりました。



 平日、及び競輪開催日は競輪場前行きがありますが、そうではない休日は、赤岩口行きと運動公園前行きが7分おきに交替交替で出ています。運動公園前行きは、井原電停前の交差点でR90のカーブがあり、800形801と、T1000形「ほっトラム」は通過不能、そのため双方とも運動公園前には行きません。



 先ずは「ほっトラム」に乗車しようと思い、何本も行き過ごし待ちます。そしてやっと来ました、「ほっトラム」が!(写真、手前がT1000B)。昨年末に営業を開始した新車です。一時営業運転を中止していましたが、1月22日から再開しました。



Hotr2  出発までには時間があったことから、反対側へ(写真)。赤岩口側正面、T1000Aです。



Hotr3  車内の様子(写真)。LRTの多くは、先頭と最後部が2軸の単車になっていて、その上に車軸のない中間車が乗っかっている構造になっています。しかも2軸の単車は、車軸を左右貫通させず、自動車の独立懸架のように車輪を取り付けているせいか、前後の単車も中間は低床になっています。これを思いついたヨーロッパ人は、やはり賢いと言うべきか。なお、同車は2008年アルナ車両の製造です。同社はドイツのシーメンス社と提携しているようです。



Hotr4  乗車30分弱、終点で車庫のある赤岩口に到着(写真)。電車は、直ちに駅前電停に向け出発の準備を始めます。



Hotr5  電停前の車庫を見ると、いつも花電車などに使われるイベント車、3102は、今日は「おでんしゃ」の装飾を施しています。「おでんしゃ」は、電車内でおでんで乾杯!という電車で、予約制です。



Hotr6  工場の横は留置線(写真)。3200形、3500形(元都電7000形)、780形(元名鉄岐阜市内線・揖斐線・谷汲線780形)が見られます。



Hotr7  間もなく、赤岩口電停に801が現れました(写真)。LRTの技術が輸入される前の、国産技術だけで製造された部分低床車で、記念すべき車両です。名鉄美濃町線にて使用されましたが、同線廃止で801は豊鉄へ、802、803は福井鉄道に移籍しました。



 しかし、車庫、及び営業中の全電車も確認しましたが、今話題の、あの電車がない!もし見落としたとしたら、あそこだ!と、この電車に乗り、その電停に向かいます。



Hotr8  その電停は競輪場前、かつて唯一の車庫があった電停です。工場の機能は全て赤岩口に移動しましたが、運転区は当電停で、運転手はこの電停で交替します。車庫としての機能は、今は2両のみ入庫可能になっています。



 今日はその2両の中に、ラッピング塗装前、豊橋市電旧塗装に塗り替えられた電車、3203が入っていました(写真)。隣は786です。静止しており確実に写せる場所ではありますが、営業中ではないのが少し残念。



 そして撮るべきを撮り、駅前電停に行き、そのまま豊橋から帰宅しました。



Hotr9  おまけ。豊橋からの帰り道、先日落成した1700系+2300系一部指定特急、1703始め6連と行き違いました(写真)。1600形の分も、活躍して欲しいです。



Hotr10  おまけ2。豊明検車区には、昨年末も乗った7000系パノラマカー、7011始め4連がまだ残っていました(写真)。この引上線は豊明駅1、2番線ホームからも撮影可能であり、営業中に撮り損ねた人にも救済がありそうです。世紀の名車、これを逃したら、機会はもう永久にありません。考えるより早く行動しましょう。



 それでは、次回をお楽しみに。

”ほ”の国へ(前半戦)

Tonq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今日前半戦は、豊橋鉄道渥美線「なのはな」です。



Tonq2  今朝も自宅を出発し、向かったのは豊橋。改札を抜け、豊鉄の新豊橋に行きます(写真)。先回訪問時は、新駅舎は完成したばかりで2階は未完成でしたが、今は完成し店舗が営業しています。今後ホーム上を渡る歩道橋、及び旧駅舎跡地の整備が行われるようです。



Tonq3  改札を抜けると、1番線(写真右側)に「なぎさ」(1804始め3連)、2番線(写真左側)に「なのはな」(1805始め3連)が入線しています(写真)。「なぎさ」は間もなく発車のようです。



Tonq4  「なのはな」に乗車します。1805の車内(写真)。シートも菜の花柄のモケットに交換、他内装もラッピングされています。本当に「なのはな」一色です。



Tonq5  屋根を見ると、扇風機の羽根まで「なのはな」特別デザインに変わっています(写真)。



Tonq6  約40分で終点、三河田原に到着(写真)。この時間を狙ったのは、理由があります。



Tonq7  それは、この列車は渥美半島の先端、伊良湖岬フェリーターミナルに直通するバス(通称、伊良湖本線(豊橋始発))に接続しており、このバスも「なのはな」ラッピングされているからでした。



 ここまで「なのはな」で統一されているのは、1月10日から3月31日まで、田原市で「菜の花まつり」を行っているからです。菜の花畑では菜の花狩りも出来るそうです。私には自然の造形、美しい花を愛でる心はありませんが、今日のように寒い日には、花も咲く温暖な渥美半島に行く、というのも一案かもしれません(しかし今日は、田原でも雪はちらついたようですが)。伊良湖岬には、鳥羽・師崎からもフェリーの便があります。専用の切符もあるようなので、ネットで調べては如何でしょうか。



Tonq8  そして、来た道を戻ります。大清水では、渥美線では新色、緑の電車がやって来ます(写真)。1810始め3連ですが、特に愛称はないようです。



Tonq9  渥美線車両工場のある、高師で下車します。ホーム南端でもある程度分かりますが、改札を出ました。駅南側踏切傍から構えます(写真)。右から2801始め3連、2809始め3連、そして隣はアントです。



Tonq10  踏切を越え、工場左手(東側)には、旧「なのはな」2807が(写真)。つまり現在の新「なのはな」号は、旧「なのはな」を整備したのでなく、一般車を整備していたのでした。そのため、私鉄電車編成表に書かれた「なのはな」はこの車両で、新「なのはな」とは異なります。



Tonq11  右手を見ると、アントの南側は、旧「なのはな」の中間車、1857でした(写真)。現在同編成は検車か、整備中でした。



Tonq12  戻り道、「なぎさ」1804始め3連が高師に到着しました(写真)。



Tonq13  「なぎさ」の車内(写真、新豊橋にて撮影)。名前の「なぎさ」に合わせ、シートのモケットはブルーです。海水浴のシーズンにもいいですね。



 こんな感じで新豊橋に戻りました。



 確かに「菜の花まつり」も豊鉄の話題としては重要です。しかし、もちろん他にも話題があり、そちらの取材もしてありますが、このままでは長くなるので、続きは次回、後半戦とします。ご期待下さい。

来るべき時が来ました(再延長戦)

Yufuexp1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、九州ネタ最終編です。



 遠征で九州へ行くと、乗り換えで鳥栖に何度も行くのですが、その度にトイレ等で何度も逃した「ゆふいんの森」。この度、「ゆふいんの森I世」を捉えたので、関連の過去の写真を探してみました。



Yufuexp2  すると出てきたのが、平成18年7月17日に博多で撮影した、「ゆふいんの森II世」です(写真)。新造車キハ72 1、2、3、4の4連で、足回りは整備の都合上、キハ200と揃えてあります。



Yufuexp3  そういった目で「ゆふいんの森I世」を眺めると、ライト周り等、少々違いがあるのに気付きます(写真)。イメージは、やはりTEE(Trans-Europe Express)の気動車ですね。しかし「ゆふいんの森II世」の足回りが、隣のキハ200(写真は1001、相方は1)と同じ、というのは、妙な感じです。新技術「爪クラッチ」を、有効に活用しているのでしょうが。



Yufuexp4  次は先日のキハ183、「ゆふDX」です(写真)。3両は見えますが、編成では写っていません。



Yufuexp5  編成写真は、写真のとおりです(写真)。引上線に入線後で豆粒になっているところ、デジタルズームで拡大しましたので、画質は落ちています。しかも信号が被り最悪ですが、可能な写真ということでお許しを。



Yufuexp6  最後は大分~湯布院を往復する、「TORO-Q」です(写真)。手前キハ58 569、一番奥キハ65 36が、屋根を付けたトラ70000形3両を挟む、トロッコ列車になっています。湯布院周辺の景色を楽しむ、それが目的です。



 これだけ湯布院方面行きの車両を見ると、湯布院に行きたくなりますが、車なら別府から僅かの湯布院が、鉄道では大分まで大きく回り込み、増して博多からは久留米から久大本線で、なかなか難しいところです。それでも私はやはり鉄道を使うのでしょうが。皆さんは、これらの車両に乗られますか?



 これで九州ネタは終わりです。次回をお楽しみに。

来るべき時が来ました(再試合)

Fuedef1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、寝台特急「富士」の、九州における牽引機を、集中的に特集します。



 先日の「富士」「はやぶさ」の取材で、EF81 411が「富士」の門司~大分間の牽引に当たっており、その際ED76の富士山形ヘッドマーク装着の記憶が無く、実際過去の写真ではどうなっているか、記録を確認してみました。



Fuedef2  先ずはデジカメ普及前、平成12年4月30日、旧大分運転所で運用を終え休息するEF81 411(写真)。まだこの当時は「富士」は単独列車で、「さくら」「はやぶさ」の14系・24系混結編成をそのまま大分まで牽き、EF81の帰庫も兼ね運用されていました。



Fuedef3  次はデジカメ、平成16年11月23日に撮影した、今は亡きEF81 413牽引「富士」、大分駅出発準備の姿(写真)。まだまだ、この頃は九州特急も安泰と思っていました。



Fuedef4  時は過ぎ、「さくら」廃止で、「富士」は「はやぶさ」と併結に変わった、平成18年5月6日撮影、ED76 90が大分駅出発を待つ姿(写真)。この位から雲行きが怪しくなってきたのです。



Fuedef5  同年7月16日、同じく大分駅出発準備中の、ED76 66牽引の「富士」(写真)。66号機は大分運転所所属のED76では最若番、昭和49年三菱電機・三菱重工製です。



Fuedef6  翌日、門司からの下り「富士」の任に就く、ED76 70(写真)。通常は前日の上り「はやぶさ」の牽引機に交替、この運用で大分運転所に帰庫します。



Fuedef7  平成20年10月24日、これも門司から大分に向かうED76 90牽引「富士」(写真)。記録では「はやぶさ」も含め、90号機が一番写真に写っています。



Fuedef8  そして先週のEF81 411牽引「富士」(写真)。



 こうしてみると、「はやぶさ」との併結になってからは、通常はED76が「富士」の門司以南の運用に入っていたことが分かります。逆に、先日の取材でEF81が「富士」の運用に入っていたのを写せたのは、幸運と言うべきだったのか。何だか複雑な心境です。まあ、最後ですから、オールスターキャストでいいんですけど。皆さんも、残された日々、有効に使ってください。



 それでは、次回をお楽しみに。

来るべき時が来ました(延長戦)

Fujioq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、「富士」の折り返しの間の、大分駅の様子をお届けします。



Fujioq2  先ず最初は、885系「白いソニック」、北ミフ(南福岡電車区)SM11編成(885系最終編成)、クロハ884 11始め6連です(写真)。5連で登場、後に中間車(サハ885 300番台)を挿入し、現在は「白いかもめ」と共通運用になっています。



Fujioq3  次は、「九州横断特急」キハ185 1004(手前)、16(後)の2連です(写真)。久大本線、豊肥本線の列車は殆ど大分駅の高架ホーム発ですが、同列車のみ地平ホーム発です。16は塗装が異なり、整備途中か。元JR四国所属車、四国で余剰となっていたところ、JR九州がその一部を購入しました。



Fujioq4  次は「にちりん」宮崎空港行き、K&H色3連です(写真)。本カコ(鹿児島総合車両所)所属と思いきや、分オイ(大分車両センター)Do1編成でした。



Fujioq5  今度は「ソニック」883系です(写真)。分オイAo16編成です(写真)。この編成には特徴があります。



Fujioq6  Ao16~18の編成は、新製時5連で落成しました。その後の運用の変化で7連にすることが計画され、増結のため車両が新製されました。それがこの車両、モハ883 1000番台及びサハ883 1000番台でした(写真、手前モハ883 1001、奥サハ883 1001)。883系新製時はビート入りステンレスが主流でしたが、同車製造は885系より後であり、ビートはなく、885系同様フラットなアルミ車体です。



Fujioq7  大分駅高架ホームから、北側でエンジン音が。見ると、将来の本線を引上線に利用しています(写真)。キハ125の2連です。



Fujioq8  駅のアナウンスが、「通過列車です」とのことで、見ると、ED76 1020(「門」(JR貨物門司機関区)が、タンク車1両を牽き入線します(写真)。短い貨物列車ですが、4番線を行き過ぎ、出発信号の前で停止します。



Fujioq9  後の貨車は、私有貨車(日本陸運産業株式会社所有)タキ5450形タキ165453で、荷物は「液化塩素専用」という文字の「液化塩素」を消していました。タンクの塗装は黄色く、「毒」と書かれ、無害化用の石灰の常備があります。荷札によると、列車は南延岡発、北九州(貨物)ターミナル経由、南福岡(貨物駅?)行きだそうです。



Fujioq10  この日も「ソニック」の運用に入っていた、「白いかもめ」用885系、北ミフSM6編成です(写真)。



Fujioq11  次はレッドエクスプレス「にちりん」、本カコ(鹿児島総合車両所)Dk13編成、485系5連です(写真)。九州新幹線全通で、787系に大量の余剰が発生するため、485系は全滅、783系からも多分廃車が出るでしょう。皆さんも、「オンボロだ」などと言わずに、今のうちから485系をきちんと記録しておきましょう。



Fujioq12  大分駅旧6、7番線ホーム跡に、木製か昔の駅名票が残っていました(写真)。今後、これはどうなるのか。確かに高架駅では使えそうにありませんが。



Fujioq13  高架ホームを仰ぎ見ると、緑色の列車が。「あっ!「ゆふいんの森」だ!」と気づき階段を登ります。しかしその隣のホームには一般型気動車が入線しており、残念。反対の8番線には、大型表示のキハ220 200番台(写真は205)が入線しています(写真)。



Fujioq14  残念でした、と帰ろうと思うと、「ゆふいんの森」は接続待ちで出発が遅れ、その間に隣の一般型気動車(これも元「赤い快速」キハ200 1と1001の初号車コンビでしたが)が南側引上線に引き上げます。この幸運を最大限利用し、編成写真を記録しました。「ゆふいんの森I世」キハ71 2(北チク(筑豊篠栗鉄道事業部))始め4連(種車はキハ65)でした(写真)。



Fujioq15  一旦下に戻り、また撮影をしていると、今度は黄色いパノラマカー状の車両が。早速登ると、やはり「ゆふDX」キハ183 1001(分オイ)始め4連でした(写真)が、待っているうちに今度は「ゆふDX」が南側の引上線に入ってしまい、編成写真は豆粒になってしまいました。



 なお、同車の形式はキハ183系ですが、これは北海道のキハ183系の一族であるということです(他にモデルとするのに適当な車両がなかったため)。当初「オランダ村特急」として落成、ハウステンボス完成で「シーボルト」に変更、そして今の「ゆふDX」で3度目の姿になりました。1編成しかないことから、キハ185系と交替交替で、隔日運転(検車時はキハ185系が代走)という運用になっています。



Fujioq16  最後は、「にちりん」運用に入る783系ハイパーサルーン5連、北ミフCM31編成(手前はクロハ782 501)です(写真)。JR化後最初に新造した特急電車で、130キロ走行が可能でした。かつては1両金色の正面塗装をした車両があり、「ゴールドマスク」と呼ばれましたが、それを探したのも今は昔。



 そして上り「富士」の出番となりました。



 こんな感じで今回の遠征を終えました。



 次回は未定ですが、お楽しみに。

来るべき時が来ました(後半戦)

Fujinoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、先回の続き、帰り道です。



 昼の大分到着後、そのまま大分駅に居座り、取材を(その状況は延長戦にて)。そんなに長く居座ったのは、この写真を撮るため、そう上り「富士」の入線、出発を捉えるためです(写真)。皆が到着ホーム、3番線で構えるのは、反対ホーム4番線が短く、しかも普通電車が停まっているからです。やはり、理由がありました。



Fujinoq2  そして3番線に移動。先ずはテールマークを(写真)。車両は何と、スハネフ15 1(14系15形1号車)でした。14系15形は、14系14形より先に形式消滅となりそうです。



Fujinoq3  そして、先頭に(写真)。EF81 411が、伝統のヘッドマークを掲げ牽引します。



Fujinoq4  上り「富士」の方向幕(写真)。「東京 日豊線経由」というのが、かつて西鹿児島まで運転されていた、日本最長特急の時代の名残でした。そんな時代は、もう来ないのでしょう。



 そして「富士」の出発を見送り、その次の「ソニック」に乗車。しかしこの「ソニック」は中津で「富士」を追い越し、しかも小倉でも「はやぶさ」を数分先行し、門司まで先行する普通にギリギリ接続します。小倉では、猛ダッシュでした。



Fujinoq5  そして何とか「はやぶさ」門司駅6番線到着に間に合いました(写真)。牽引は、今朝と同じED76 90でした。



Fujinoq6  まもなく同機は編成から解放され、門司港方に移動します(写真)。



Fujinoq7  次に、既にスタンバっていたEF81 410が、「はやぶさ」に接近します(写真)。



Fujinoq8  同機は連結され、「はやぶさ」の編成ごと、関門トンネル入口脇の引上線に移動します(写真)。



Fujinoq9  もう一人の主役、「富士」はどうするか。門司駅5番線には、写真のような停止位置表示があります(写真)。「2レ」、すなわち上り「富士」の、機関車の停止位置目標です。



Fujinoq10  門司駅の電光掲示(写真)。これも、まもなくお別れです。



Fujinoq11  先ほどの停止目標の前で構えていると、先ほどのED76 90が、単機回送されていました(写真)。明日の準備でしょう。



Fujinoq12  まもなく、EF81 411が門司駅に入線します(写真)。大光量フラッシュで機関士の目が眩んだのか、停止目標の2メートル手前で停止してしまい、駅員は場内再力行を指示しましたが、車掌が扉扱いをしてしまい、そのまま停止しました。写真でも、その時の混乱の様子が分かるでしょう。その後ファンサービスで同機は暫く停止していましたが、その後解放され、引上線に移動していきました。



Fujinoq13  客車だけとなった「富士」に、EF81 410牽引の「はやぶさ」が、客車ごとバックして接近します(写真)。上野のような特殊弁ではなく、おそらく構内無線で交信し、連結を指示していました。



Fujinoq14  そして連結完了、エアホース連結、幌の設定等が行われます(写真)。



Fujinoq15  「はやぶさ」の方向幕(写真)。西鹿児島発の頃からの伝統でしたが、見られなくなるのは残念です。



Fujinoq16  そして全てが整い、出発信号を待つEF81 410牽引の「富士」「はやぶさ」(写真)。列車は東京、私は滞在先に向かいました。



 薩摩隼人から命名された「はやぶさ」が、何故熊本止まりなのか。それは客車の受け持ちが熊クマ(熊本鉄道事業部熊本車両センター)であることによるものです。熊本から川尻にかけて、かつての熊本運転所は巨大な客車受け持ち区所であるということが分かる施設が、保留車と共に残っています。足場のある洗浄線が何列も並び、華やかなりし頃の賑わいが思い浮かばれますが、今は単なる余剰設備となってしまいました。同様に機関車も大分鉄道事業部大分車両センター(「大」)受け持ちで、運用の都合で現在の終点が決まっていました。



 やはり、機関車も客車も昭和40年代のままの車両を使っている、そこに無理があったような気がします。もう少し早く手を打っていれば、まだまだ存続も可能だったと思うのですが、こんな世界的な不況で、やむを得なかったのでしょう。九州鉄道旅行の非常に大きな楽しみが、完全に失われてしまいました。



 もし乗りたいのであれば、「もう間に合わない!」とは思わないように。直前でも、ごく少数ながらキャンセル等の空きもあり、直前でもダメモトで予約してみると、条件は悪いかもしれませんが、寝台が取れることもあります。運が良ければ、乗れますよ。最後の機会、是非逃すことの無いように。



 次回は延長戦、大分駅での取材の様子をお届けする予定です。

来るべき時が来ました(前半戦)

Fujikuq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、この3月で廃止になる、東京発九州行き寝台特急「富士」・「はやぶさ」を取材しました。



 ブルートレインは当然夜行で、出発は昨晩でした。始発から乗る、というのもアリでしたが、仕事の都合で、結局名古屋で乗車しました。写真は昨日の牽引機、EF66 51(「関」)でした(写真)。42号機とか、44号機は記憶にありますが、51号機は初めてでした。



Fujikuq2  そして翌朝、ほぼ定刻に下関に到着。関門トンネルに備え、ここで機関車を交換します。切り離す前のEF66 51(写真)。ホームは、乗車したファン多数で混乱しています。こういう時は、反対ホームからクールな顔をして写すのが一番賢いのですが、行っていたら列車から置いてきぼりを食ってしまいます。



Fujikuq3  そしてEF66 51は解放され、下関総合鉄道部(旧下関機関区)に帰庫します(写真)。



Fujikuq4  切り離された客車、「はやぶさ」が門司寄りの編成です(写真)。愛称マークが見えています。



Fujikuq5  そして、関門間の牽引機、EF81 410(「大」)がやってきます(写真)。



Fujikuq6  まもなく同機は連結され、出発進行を待ちます(写真)。皆慌てて乗車します。



Fujikuq7  関門トンネルを越え、出口付近の交直切り替え場所(デッドセクション)を越え、門司に到着。列車を降りると、ヨイトさんは切り離されました(写真)。余程信頼性が高いのか。でも、牽くものが無ければ、廃車ですよ。



Fujikuq8  まもなく、熊本行き「はやぶさ」の牽引機、ED76 90(「大」)がやってきます(写真)。直ちに連結されました。



Fujikuq9  「はやぶさ」「富士」の電光掲示(写真)。門司からは、別々の列車です。列車番号も41レと1レになります。



Fujikuq10  「はやぶさ」の方向幕(写真)。これも見納めです。



 まもなく、ED76 90が「はやぶさ」6両を牽き出発しました。残念ながらその写真は、門司駅のホーム形状の制約により撮影出来ませんでした。



Fujikuq11  「はやぶさ」が発ち、残された「富士」6両(写真)。まもなく、お迎えがきます。



Fujikuq12  お迎えに来たのは、ED76と思いきや、何とEF81 411(「大」)でした(写真)。JR九州在籍のEF81、現存2両のうち1両(もう1両は410)で、何故でしょうか。



Fujikuq13  大分側先頭には、戦前以来伝統の富士山型ヘッドマークが(写真)。どうもこのヘッドマークが、EF81用に作ってあるようです。かつて「富士」が単独列車だった時代、EF81の大分運転所帰庫も兼ね、下関~大分間をスルーして運用されていましたが、今はそれもなく、運が良かったのか、それとも他の理由か。



Fujikuq14  「富士」の方向幕(写真)。これも無くなるとは、非常に残念。



Fujikuq15  そして門司を出発してから2時間余り、「富士」は終点大分に到着(写真)。前半戦は終了です。



 この後の後半戦、そして延長戦もありそうです。次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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