Northern Rollers#6

Huriq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、北海道遠征最終章です。



 今日も滞在先を発ち、向かったのは、日高支庁振内(ふれない)。振内には、鉄道記念館があり、横の旧富内線(廃線)線路上には、SL他が残ります。写真はD51-23です(写真)。番号が通常の国内の車両と違い、ハイフンが入ります。私の知るD51 23号機は、いわゆるナメクジの中でも「スーパーナメクジ」と呼ばれる車両で、写真のような量産中期型と同じ外観は納得いきません。改造したとも思えず、いわゆるサハリン(樺太)帰りのような姿です。



Huriq2  そのホーム反対側は、旧式客車2両が(写真)。手前客車には「すずらん号」、奥には「ほろしり号」とサボ(「サイドボード」の電略)が入っています。車内は座席が撤去され、カーペットが敷かれ、「ライダーハウス」として寝泊まり可能なようです。そのため、元はスハ43か、スハ44か、あるいはそれ以外かも判別不能です。良い判別法、あったらご教示下さい。



Huriq3  ホームには「ふれない」と書かれた駅名表が立っています(写真)。他の駅の駅名表も、富内線廃線時に持ってきたのか、多数残ります。



Huriq4  「ほろしり号」側です(写真)。塗色も変更され、車番はペイントの下になってしまいました。まあ、鉄屑になるよりは幸せだったか。夏期には、寝泊まりする方もいるのですから、姿は変えながらも使われ、幸運というべきでしょう。



Huriq5  記念館側のホームの終端、地平に降りた所には、写真のとおり古タイヤにペイントされ、「富内線御利用」「ありがとうございます」と書かれます(写真)。本当に営業していた、本物だけにしか出来ません。



Huriq6  駅舎の位置には、「鉄道記念館」という立派な建物が建っています(写真)。



Huriq7  中の様子は写真のとおりですが(写真)、中には入れませんでした。入るには、平日9時から5時の間に、平取町振内支所に連絡することになっていますが、当然職員をこの位置に呼び出すわけであり、なるべく手間にならないようにした方が良いと思います。



 そして、帰途に就きました。



 富内線は日高本線から、最終的には石勝線占冠まで延長する予定でしたが、残念ながら延長されることなく廃止されました。営業中に訪問できず残念でした。今後とも、ローカル線には乗る努力をしていきたいと思います。



 長かった今回の遠征。まもなく、この島から離れます。事故もなく無事帰還でき、良い取材だったと思います。



 次回からは、青春18きっぷでの取材の予定です。お楽しみに。

Northern Rollers#5

Kosiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、北海道遠征5日目です。



 今朝も滞在先を発ち、最初に向かったのは、根北線(廃線)の未成線部分、越川橋梁です(写真)。こちらは中標津方面の橋脚です。



Kosiq2  反対側、斜里方面の橋脚です(写真)。



 この橋脚は、丁度戦時中、物資の足りない時期に建設されたため、人柱伝説などの惨史が残ります。対ソビエト戦の準備で突貫工事を行ったものの、完成しないまま終戦、そのまま根北線そのものが全線廃止、残骸だけ残りました。



 なお左右の間が空いているのは、下の国道建設の支障となったため、一部取り壊されたためです。



Kosiq3  次は、中標津へ。標津線中標津駅跡は、現在バスターミナルになっています(写真)。ターミナル建物には鉄道関連展示室がありますが、鍵がかかり、中には入れませんでした。



Kosiq4  ターミナル横には、写真のような記念碑が(写真)。ここに駅があったことを物語っています。



Kosiq5  次は、西春別に行きました。西春別駅跡には、D51-27、車掌車ヨ4642、ラッセル車ヨ276(キ276の誤りでしょう)が並びます(写真)。D51は変わった名前ですが、これは戦争賠償でサハリンに納められたD51同型車で、昭和24年三菱重工製、その後日本に戻されました。現存では唯一のようです。



Kosiq6  後には、キハ22 239があります(写真)。昭和40年富士重工製、首都圏色を纏っています。正面右下のナンバーは、製造番号、北海道の気動車の特徴です。



Kosiq7  ホームの西方には鉄道記念館があります(写真)。中に入ります。



Kosiq8  各種展示がありますが、その一つ、さよなら標津線ヘッドマークが並んでいました(写真)。



Kosiq9  標津線の始発駅、標茶へ。標茶駅3番線から、標津線は発車していました(写真)。現在はSL列車とノロッコ号の折り返しにのみ使われ、レールは錆びています。この写真から右前方に標津線は延び(左は釧網本線)、中標津を通り標津まで繋がっていましたが、国鉄改革の中廃線されました。



Kosiq10  次は、来た道を戻り奥行臼へ。奥行臼駅逓の横には、標津線厚床支線(厚床~中標津)奥行臼駅がありました。現在は資料館になっています(写真)。



Kosiq11  後には線路とホームが残ります。厚床側の線路は、終端表示もなく埋もれています(写真)。



Kosiq12  厚床支線の起点、厚床へ。起点であろう0番線跡は、草むしています(写真)。この左前方に厚床支線の線路は延びていました(右側は根室本線)。



Kosiq13  厚床には駅弁「ほたて弁当」があり、利用客に喜ばれていましたが、厚床支線の廃止、行き違い待ちの廃止で、ワンマン列車の停止も一瞬で、途中下車する客がいなくなり、10年ほど前に提供を止めました。弁当を製造していた商店で聞くと、まだ包み紙は残っているとのことで、1枚貰いました(写真)。時の流れとはいえ、残念ですが、記念は大切にします。



Kosiq14  そのまま根室本線に沿い厚岸へ。厚岸も駅弁「かきめし」があり、期待して行くと、駅売店に並んでいました。ただ、ホームの売り子は無くなったようですが。



 根室本線釧路以東が普通・快速のみになってから、行き違いは途中の駅弁のない駅で行っていたため、厚岸の駅弁も買う機会が無く残念に思っていましたが、ダイヤを修正したのか。やはり厚床で駄目なら、厚岸で行き違い、駅弁を買う機会を与えて欲しいですね。



 運用が変わったのか、厚岸駅3番線の向こうに、キハ54 526が、エンジンをかけスタンバイをしています(写真)。厚岸駅で待機している運用も、横帯の赤色も紫が入り、変わっています。



 ある人が、「厚岸牡蠣まつり」は秋に行われる、と自慢していましたが、それは、牡蠣が一番美味しい冬では、厚岸まで来る観光客が殆どいないため、やむなく秋に行っているだけです。冬の厚岸、車で道の駅も良いですが、花咲線で是非訪問してみたいですね。



Kosiq15  次は標茶に戻り、鶴居村へ。「ふるさと情報館」自体は良い展示ですが、鉄道ファンには残念か。



 そして今日の最後は、相生へ。国鉄相生線(廃線)北見相生駅跡が、鉄道公園になっています(写真)。駅舎は当然展示館になっており、ここから石北本線美幌へ繋がっていた頃が思い浮かばれます。



Kosiq16  線路上には保存車両が。最初は、除雪機械のマックレー車、キ703です(写真)。線路上の雪を掻き寄せる車両、キマロキ(機関車、マックレー車、ロータリー車、機関車の順に並ぶ、蒸気時代の最強除雪編成、頭文字をとっている)には欠かせない車両で、旧式小型SLを改造し造られているそうです。その後のDD14やDD53の、前の羽根の部分に相当します(これらディーゼル除雪機関車は、掻き寄せとロータリーを同時に行っている)。



Kosiq17  その美幌方には、奥からワフ29500形(車番不明)、ワム180455(ワム80000形)、トラ74509です(写真)。



Kosiq18  その隣は、スハフ42 502です(写真)。こちらも無償宿泊用にカーペット敷きになっているようですが、中は撮影禁止でした。家庭用クーラー室外機が設置されています。本当に、北海道では無銭でも旅行できそうです。



Kosiq19  最後は、キハ22 69です(写真)。ツートンの美しい車体です。ライトのシールドビーム2灯が、豚の鼻のようでイマイチですが。外観だけ見ると、大糸線や茨城交通(現在のひたちなか鉄道)と見間違います。大糸線は2エンジン内地仕様のキハ52、ひたちなか鉄道は羽幌炭砿鉄道の同型が阿字ヶ浦に放置されています。北海道仕様であることを除けば、同じキハ20系とされています。



 この美幌方には、雪避けの木製車庫がありましたが、中は荒れ放題でした。



 最後は良い感じで、今日の滞在先に向かいました。



 次回、最終回は未定ですが、お楽しみに。

Northern Rollers#4

Marseq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、北海道遠征4日目です。



 今朝も滞在先を発ち、先ず向かったのは、リマッチ、滝上郷土館です。今日は開館していました。



 1枚目は、キ100形キ277です(写真)。素子がAPSサイズのため、14ミリでもこれまでです。ああ、D300購入を半年忍耐していれば!



Marseq2  キ277を推す位置に展示されるのは、9600形39628です(写真)。除煙板(デフレクタ、通称デフ)は、警戒のトラ色になっています。



Marseq3  次に、丸瀬布に行きました。しかし、最短ルートが雨量か、新トンネル準備のためか通行止めで、上川町まで戻り、旭川紋別道を走り、丸瀬布駅前から山道数キロで辿り着きました。



 「丸瀬布いこいの森」には、写真のSL、雨宮21号が動態保存されています(写真)。大人1乗車200円、早速乗車しました。客車はオープン客車もありましたが、私は元井笠鉄道の木造客車に乗車しました。



 SLは、川を渡りループを通り同じ線路に戻り駅を通過し、再び車庫の先のループで元のホームに戻ります。



Marseq4  ホーム北側には、SLの整備庫があります(写真)。前には、解説板もあります。走行中の蒸気圧は8kgで、D51やC62は15~16kg、設計図のみで幻で終わったC63(プレーリー)は、18kgで設計されていました。雨宮21号は、森林鉄道用のSL、軌間も762ミリ、軽便鉄道用です。蒸気圧が上がりすぎると、安全弁が吹き、圧力が下がります。なお燃料は、石炭・木材の併燃です。



Marseq5  その北東方には、木造客車、SLのS32等が、屋根付き車庫に並んでいます(写真)。何れも価値のある車両で、ヨダレが出てきました。



Marseq6  駐車場には、スハ43 703が(写真)。こちらも良い感じです。



 本当は、雨宮21号の走行写真を撮りたかったのですが、私に続く乗客が無く、放送は来客に何度か乗車を促していましたが、残念ながら私のいる間には出発しませんでした。ニブロクのSL、動態保存で車両は良い感じなのですが、場所が北海道でも内陸の方の丸瀬布、更に駅から数キロもあり、営業もなかなか大変なようです。動態保存は、撮影のためではなく、乗車して貰うために維持しているのです。こちらの方にみえたら、是非乗車してください!良い所ですよ!



Marseq7  次の目的地の途中、遠軽に寄りました(写真)。石北本線と名寄本線の接続駅、名寄本線無き今は、理由無きスイッチバック駅となっています。入場券を買い、中に入りました。



Marseq8  1番線を東に歩くと、名寄本線に繋がる方向になります(写真)。今は悲しく終端表示のみになっています。



 しかし、何故こんな形に残っているのか。それは、毎年秋に北見の玉葱の特別輸送を行うのですが、以前はDD51が重連で運用に当たり、遠軽駅で機関車の付け替えを行っていました。その関係で入換が発生し、名寄本線廃止後も入換に必要な中線などの設備が残されたのでした。現在はDD51重連は廃され、編成の前後に機関車を繋げるプッシュプル編成になり、入換作業も廃止されました。



 北見貨物には確かに白滝越えもありますが、一番の見せ場は、蒸機時代からの名撮影地である、常紋越えでしょう。常紋は遠軽~北見間の峠で、かつては常紋信号場もありましたが、現在同信号場は利用停止になっています。同信号場を除くと、周辺十数キロに駅は無く、道路も無いようで(信号場に続く作業用の道路は地図に載っていますが)、信号場での乗降が不可能になってからは、撮影には山中を歩くしかありません。冬は雪深く、それこそ「熊出没注意」で、撮影には非常な困難が伴う場所です。そんな所での写真を撮れたなら、”Tetsu”を最終回にしてもいいですね。でも、そんな頃まで、DD51って、残ってます?



Marseq9  遠軽駅にも、かつてSLがあった頃の名残、転車台が(写真)。周りに線路は残っていません。



 この横に、キハ40(北海道用700番台)が停まり、エンジンをスタートさせたので、入換が見られると思ったら、まだまだ運転前点検で時間がかかりそうだったので、断念しました。



 この後、遠軽名物駅弁の「かにめし」のことを駅の売店で聞くと、駅から見て駅前交差点を右に数件の店が製造元で、そこに行けば手に入る、とのことで行き、900円で買いました。実際遠軽は内陸で、蟹は湧別から入るのでしょうが、やはり美味しいです。



Marseq10  遠軽に続き、名寄本線(廃線)と、同線支線(中湧別~湧別2駅間)、湧網線(中湧別~網走間、廃線)の分岐駅だった、中湧別へ。同所には現在、中湧別鉄道公園として、ホームの一部と跨線橋、線路上に車掌車4両とモーターカーが残ります(写真)。車掌車は2両ずつ連結溶接され、一つの展示施設になっていますが、中には入れませんでした。



Marseq11  ここからは湧網線に沿い、次は計呂地へ。ここには計呂地交通公園があります(写真)。計呂地駅駅舎が、そのまま展示館になっていますが、担当職員が忙しいのか不在で、中には入れませんでした。なお入口は裏側、ホーム側からです。



Marseq12  本線上にはC58 139と、青い旧式客車2両が残ります(写真)。客車は5月から10月までの間、座席を取り除かれカーペット敷きとなった1両に寝泊まりが可能だそうで、駅舎には有料シャワーまであるそうです。貧乏ツーリングの方、どうぞ。



 この前方には、バイクと歩行者しか潜れない跨線橋があり、トマソンとなっています。あと少しでオホーツク海、9月には珊瑚草もみられます。



Marseq13  続いて同線沿いながら内陸に入った佐呂間へ。ここには、佐呂間鉄道記念館があります(写真)。待合室は無断でも入れますが、展示室には鍵がかかり、入るには、Aコープ隣の商店から鍵を借りるのだそうです。



Marseq14  ホーム側には、D51 565、スユニ50 517、ヨ8017が並びます(写真)。ユは郵便車で、「〒」マークが入ります。主要都市の主要郵便局が必ず駅前にあるのも、同じ理由、鉄道で郵便を運んでいたからです。



Marseq15  その南西側には、DE15 1677が(写真)。昭和49年日車製、しかし余剰か、不調か、昭和62年廃車、同所にて展示されます。同時期のDE10は1,250PS、まだまだ多数生き残っています。



Marseq16  再び湧網線と共に海岸線に戻り、網走市に。同市卯原内には、網走市鉄道記念館があります。建物には喫茶店、小学校記念館も併設されています。



 その海側、線路跡には9600形49643とオハ47 508が展示されます(写真)。オハ47は、旧式客車が台車振替の関係で発生した形式です。この辺りから、旭アサ(旭川運転所)から釧クシ(釧路運転所)に変わり、オハ47も表記は釧クシになっています。車内は、こちらも一部座席撤去、カーペットが敷かれ宿泊可能なようでした。なお、49643は、廃止された浜網走貨物駅から移転されたものだと、建物に看板が残っていました。



 北海道は、金が無くても旅行できます。いざとなれば、見知らぬ家に飛び込んでも、泊めて貰える位ですから。



Marseq17  今日の最後は、美幌です。「美幌市郷土館」なるものが地図に載り(美幌は「市」ではなく「町」)、町中を大捜索し、博物館のパンフレットから、駅前に「交通記念館」が林業館と共にある、と書かれ、駅に行ったものの、残るのはこれだけでした(写真)。最後は、残念でした。



 そして、今日の滞在先に向かいました。



 明日は、今日の続きです。お楽しみに。

Northern Rollers#3

Syokoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、北海道遠征3日目です。



Syokoq2  今日も同じように滞在先を発ち、先ず向かったのは、音威子府(写真)。駅舎はこんな感じの木造建築です。



Syokoq3  中には、JRの駅務室、バスの出札所、待合室に、元は宗谷本線として開業し、後に新線建設で支線となった天北線(廃線)の資料の残る「天北線展示室」があります(写真)。天北線廃止で「サロベツ」と名を変え、経由も変わった急行「天北」が、特急形キハ82で描かれています。実車は最後でも一般型キハ40・48をグレードアップしたキハ400・480でした。



Syokoq4  駅構内の様子(写真)。稚内方を向いています。左の短い1番線に単行普通が入線、その間に2・3番線で優等列車が行き違いできるような構造になっています。しかし、ここからは天北線の分岐は分かりませんでした。



 現在は当駅に看板特急「スーパー宗谷」2往復に、特急「サロベツ」1往復が停車します。夜行急行から夜行特急まで格上げされた「利尻」も当然停まりましたが、今は季節臨時列車に格下げです。



 なお、長い2・3番線には、木製のSLのモニュメントがあります。



 昨日の幌加内も蕎麦の名産地ですが、この音威子府も「音威子府蕎麦」で有名です。真っ黒な蕎麦で、駅蕎麦でも非常に美味しいと思いました。青春18きっぷ等で、優等列車行き違いを長時間待つ間に、駅スタンドで是非どうぞ。お土産用もあるようです。



Syokoq5  そして、宗谷本線を離れ天北線跡に沿って、中頓別へ。中頓別駅は、現在バスターミナルになっています(写真)。後は公園で、「天北線メモリアルパーク」になっているようです。



Syokoq6  ターミナルの建物には2階があり、スリッパに履き替え階段を登ると、天北線にまつわる常設展示が行われています(写真)。色々あります。



Syokoq7  展示館、ターミナルの南側には、キハ20系北海道バージョンのキハ22が、塗色を変え残ります(写真)。車内にも入れるよう階段が設けられていますが、ドアは閉まっていました。二重窓が一つ、外側の窓が開いています。



Syokoq8  そこから車を走らせていると、いきなりSLが屋外展示されています(写真)。「寿公園」という所で、冬はスキー場になるようです。SLは、9600形49648で、キャブにも入れました。ほか、空自の戦闘機F-104「スターファイター」も展示されていました。ここで、丁度移動中の陸自の兵士の方が、休憩していました。



Syokoq9  大移動し、浜頓別から南へ、興浜北線(廃線)の終点だった北見枝幸へ。「えさしミュージアム」(写真)にも、鉄道関連展示があるとのことでしたが、月曜休日の翌日で、休館でした。残念。



 北見枝幸には、興浜南線が延長され興浜線になり、さらに宗谷本線美深からの美幸線(廃線)が連絡する予定でしたが、興浜北線の起点浜頓別を経由する天北線も、興浜南線の起点興部を経由する名寄本線も、何れも廃止され、根刮ぎ壊滅です。鉄道に関しては、北海道は大正時代、もしくはそれ以前と同然だそうです。



Syokoq10  興浜南線終点の雄武は、現在「道の駅」となり、鉄道のパネル展示をしていました。



 そして興浜南線の起点、興部へ。興部駅も、現在は「道の駅」になっています。道の駅建物の横には、キハ22が2両並べられ”Rugosa Express”と書かれ、奥の車両は休憩室に、手前の車両はカーペット敷きに改装され布団が用意され、簡易宿泊施設になっています。



Syokoq11  道の駅には交通記念館という一室があり、中では名寄本線(名寄~興部~中湧別~遠軽)と興浜南線関連の常設展示がありました(写真)。確かに赤字で、採算が苦しいというのは分かりますが、こんなに大規模に廃止して、雪の時期車で大丈夫なのか、考えていたのでしょうか。



Syokoq12  ここから名寄方に移動し、上興部鉄道資料館に行きました(写真)。上興部駅駅舎をそのまま利用しています。



Syokoq13  中に入ります。待合室から駅務室へ、中にはDE10形のシミュレーション用操作盤がありました(写真)。訓練用でしょう。操作は重入換専用機関車DE11も、ラッセル機関車DE15も、同じ(エンジンがDML61Z(61リッターV12インタークーラーターボディーゼル)、1250PS)です。この裏側にはキハ58・28形の操作盤がありました(北海道バージョンはキハ56・27である)。



Syokoq14  後の駅ホーム跡には、キハ27 109が(写真)。しかし前面スカートも、スノープラウも失い、よく見ると機関(DMH17H)も下ろされています。しかも後方には、ロータリー機関車DD14 302の雪掻き用のヘッドが置かれています。なお行先表示(サボ)は、「名寄経由遠軽」になっていました。所属区は旭アサ(旭川運転所)になっていました。



Syokoq15  更に移動して、北見滝上の、滝上郷土館へ(写真)。右側の円筒形の建物がSL館で、ラッセルヘッド、キ277と、SL9600形39628が展示されていますが、こちらも休館、中には入れません。手前の動輪は、59601の動輪のレプリカだそうです。



Syokoq16  滝上には、もう一つ鉄道関連展示施設が。渚滑線(廃線)の終点、北見滝ノ上駅を利用した、駅舎記念館です(写真)。右側には、ロッド式5tディーゼル機関車、いわゆる「森ブタ」が静態保存されています。



Syokoq17  記念館の中(写真)。各種展示があります。撮影を終えると、職員の方が鍵を閉めていました。



Syokoq18  今日の最後は、上渚滑鉄道展示館です(写真)。渚滑線関連展示が行われていますが、到着の時間が遅く、閉館していました。場所は、紋別市上渚滑庁舎の前で、長距離バスの待合室と同じ建物で、写真の建物の右半分です。



Syokoq19  庁舎の西側には、上渚滑交通公園があり、原付軌道自転車(レールスター)がレールの上を走れるようになっていました(写真)。ほか駅名表も残っていました。



 そして日没、今日の滞在先へと向かいました。



 そういえば明日は日食だそうで、それに関連する取材をすれば良かった、とは思いますが、後悔先に立たず。こちらの明日の予報は曇時々雨で、多分全く見えないでしょう。残念でした。



 明日は、今日の続きです。

Northern Rollers#2

Croq1



 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回も北海道からです。



Croq2  今朝滞在先を発った私は、先ず向かったのは、美流渡。美流渡には、「万字線鉄道資料館」があります(写真)。万字炭山の輸送を担った国鉄万字線、同炭山の閉山で廃止されました。昨年訪問時は場所を間違え発見できませんでしたが、今回は間違えませんでした。しかし、開館しておらず、中は分かりませんでした。残念。



Croq3  次は、三笠市内の「クロフォード公園」です。昨年訪問した三笠鉄道公園の近くで、幌内線幌内太駅の位置にあるようです。駅舎には「幌内太」の看板が掲げられていますが、下には「三笠」と小さく書かれています(写真)。



Croq4  駅舎の内部(写真)。モダンな外観に、国鉄時代に必要だった施設が設けられています。



Croq5  後にはそのまま線路が(写真)。前から、DD51 548、ホキ2341(穀物ホッパ車)、ホキ746(砂利ホッパ車)、ヨ8006(車掌車)です。



Croq6  その後には、キハ82系特急編成が(写真)。キハ82 100がこちら側の先頭です。



Croq7  キハ80を挟み、後はキシ80 27です(写真)。調理室側、手前に業務用ドアがあります。



 キハ82が双方に先頭を向けられるのは、キハ82が両ワタリなのではなく、キシ80がクロスにワタリ線を配線しているからです。食堂車の無い編成でも、キロ80が両ワタリになっており、双方に先頭が向けられます。



Croq8  その後、キロ80 52です(写真)。窓が座席割り付けに合わせ、小窓になっています。



Croq9  末尾はキハ82 87です(写真)。いずれも昭和40年製の、キハ80・82最終グループのようです。これらが残ったのは、昭和50年代後半に、後継キハ183系が投入されたからです。そのため、改造車も含め引退は早かったのです。でも、現役を彷彿とさせる編成ですね。



Croq10  その後は大移動して、深川から秩父別、幌加内へ。JR深名線(廃線)、幌加内駅跡です(写真)。線路と駅名表、石の記念碑があります。



Croq11  駅の横には、JRバスの車庫が(写真)。深名線代行バスが停まっています。深名線時代も、幌加内以南と以北で営業が分かれていました。



Croq12  近くに「深名線資料室」があると書かれ、その地図のマークの位置に行っても、そこには何もありません。戻って、観光案内所に聞いて確認しようと思い街に戻ると、観光案内所のある幌加内バスターミナルに、その「深名線資料室」が併設されていました(写真)。この建物の2階です。



Croq13  中には、深名線にまつわる各種の遺品、他展示・ビデオ視聴が可能でした(写真)。このまま残って欲しいですね。



Croq14  道路を更に北上すると、雨竜川に架かる「第三雨竜橋梁」が残されています(写真)。深名線最大の難工事だったそうです。側には主任技師の慰霊碑が建っています。



Croq15  更に北上し、朱鞠内湖の側の線路跡を辿ろうとすると、無情にも「通行止」の表示が。この先には道が無く、ダムだけ(朱鞠内湖はダム湖)で住人も殆どいないようです。しかし、湖の景観は良い眺めでした。



Croq16  仕方がないので、戻り、朱鞠内湖の反対側からアプローチします。北東側から向かい、朱鞠内湖北西側の写真(写真)。左が名寄、右が羽幌方面、正面が深川・幌加内方面になりますが、正面幌加内方面は未舗装で、途中の山小屋で道路は通行止め、途中には木橋もあるようです。右の羽幌方面の舗装路も数キロで止まり、全通していません。周辺十数キロに人家はなく、住民も殆どいないようです。



 こんな所に線路を敷き、名寄と深川を繋ぎ、さらにこの辺りから羽幌炭砿鉄道を利用し羽幌線(廃線)に繋ぐという、壮大な計画がありました。他の交通機関では維持は困難、道路も寸断する現在、廃線して良かったのだろうかとは思いますが、実走しても工事関係者以外は通らず、住民もなく登山客位しか利用しない鉄道では、維持は困難だったのでしょう。



 収支係数(100円を儲けるのに必要な経費額)が1,000を越え、日本一の赤字路線として膨大な赤字をもたらしたJR深名線。道路の除雪対策も進み、只見線のような理由も通らなくなり、日本最寒の地(マイナス40度を記録)の鉄道は廃止されました。まあ、やむを得ないのか。悲しいですね。



 次回は、今日の続きです。

Northern Rollers#1

Horoniq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、北海道へ遠征に来ています。



 金曜夜に自宅を発ち、翌朝青森着。しかし青森から渡道する方法が見つからない。今日の夕方まで空きはない、と言われましたが、本州最北端のフェリーターミナルからの便に空きがあり、渡道、昨晩は二日分眠りました。しかし、大畑交通(国鉄旧大畑線、廃線)の大間への未成線跡、惜しかったなあ!



 そして今朝はすっきりと起床。先ずは、昨年発見できなかった「幌似鉄道記念公園」を発見すべく、出発しました。



Horoniq2  インターネット地図を確認し、マップコードで推定した場所へ行きました(写真)。共和高校前の同地、確かに駅の跡(ホームの残骸)ではありますが、記念公園からはほど遠い。昨年に引き続きハズレかと、残念に思いました。



 なお、これは、幌似駅の一つ隣、「前田」駅の跡のようです。



Horoniq3  そこで、地図をもう一度確認し、共和町役場の横で国道を外れ、鉄道跡を目指します。すると、一発で発見しました、「幌似鉄道記念公園」です(写真)。駅舎、貨物上屋に公園名の表札、後はホームに車両2両です。



 横の方の看板に、公園の「いわれ」が書かれています。以前は国鉄岩内線(廃線)路線上にあったものの、同線跡が道路に転用されることとなり、現在地に移転したとのこと。目標は、国道5号線側から見て、岩内方面向きに走り、共和町内で川に沿って分岐する道道沿いになります。忘れないよう、早速カーナビにポイント登録をしました。



Horoniq4  岩内側(前の写真右側)にある駅舎に入ります(写真)。待合室、奥右手は出札所、左手は駅務室になっています。



Horoniq5  出札室後の壁には、昭和60年の最終列車「いわない号」のヘッドマークが掲げられています(写真)。岩内線沿線で、現在まで残る駅は同駅のみ、しかも移転しています。時の経つのは早いものです。



Horoniq6  駅舎の向こうはホーム、手前にはワフ29587、その向こうにはスハフ42 507が停まっています(写真)。貨物上屋のホーム側は壁がありません。なお、ホームに舗装はなく、砂が敷かれています。



Horoniq7  先ずはワフから。ワフはワムの後側が車掌室になった車両。車掌室は写真のとおり、ダルマストーブがあります(写真)。中には入れません。



Horoniq8  次はスハフ42。同車は、急行用スハ43の緩急車形、ボックスシートが並びます(写真)。窓は北海道仕様の二重窓になっています(車内からの撮影)。



Horoniq9  後側を見ます。後方右側には、回転式ハンドブレーキがあります(写真、車内から)。ワフ、スハフの「フ」とは、元は「ブ」で、これはブレーキの「ブ」(ハンドブレーキが付いているから)です。故に「緩急車」と呼ばれます。



Horoniq10  後方左側は、車掌室です(写真)。昭和最後の客車、24系25形も、14系15形も、中はあまり変わりません。



 そして全景を、反対側から撮ります(表題の写真)。そして次の目的地に向かいました。



Horoniq11  次は、喜茂別町にある「喜茂別町旧双葉小学校資料館」に行きました(写真)。最初は喜茂別町の役場周辺だと見当をつけ行きましたが、発見できず。カーナビで「喜茂別町双葉中心街」と指定すると、付近に同資料館が表示され、早速行くと、小学校の校舎を転用した展示施設兼宿泊施設になっていました。



Horoniq12  中は小学校校舎のまま、各種展示があり、その中に鉄道関連の展示もありました(写真)。後の蒸気機関車の絵は、C51牽引「燕」でした。



Horoniq13  壁にはさよなら列車「いぶり号」のヘッドマークが(写真)。昭和61年10月28日運転、胆振線(廃線)最後の列車のようです。



 帰り際、地元の方から「コーヒーでも、どう?」と誘われましたが、まだ予定があり、折角でしたが断りました。時間があれば、交流の輪も広げられようものを、残念でした。



Horoniq14  最後は、定山渓郷土博物館です(写真)。定山渓小学校内にある同施設、管理は小学校とは別で、電子ロックがされています。電子ロックの鍵は、観光協会の事務所か、定鉄バスの営業所に行き、住所氏名を書くと、カードを渡されますので、そのカードで開けます。電気も自分で点灯、消灯します。



Horoniq15  入口横には、定山渓鉄道、「小金湯」駅の駅名票が展示されています(写真)。中が暗いので、おかしいと思ったら、点灯を忘れていました。



Horoniq16  そして同博物館には、写真のような鉄道関連展示がありました(写真)。ほんの一部でしたが、定山渓鉄道の名残を感じました。



 その後はカードを返し、観光をし、今日の滞在先に向かいました。



 今日は一日中雨、撮影にはイマイチでした。しかし、今日の昼食は長万部の「かにめし」、夕食は森の「いかめし」でした。やはり駅弁は駅に行くのが一番、駅には僅かな時間で配達に来てくれるようです。



 明日は、今日の続きです。お楽しみに。

古き路線を訪ねて(II)

Kiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日最後の”Tetsu”をお届けします。今回は、紀州鉄道を取材しました。



 金屋口から、JR御坊へ。駅前に車を停め、駅に入ると、既に紀州鉄道キハ603が出発を待っていました(写真)。



 間もなく、紀勢色117系和歌山行きと同時に、西御坊に向け発車しました。



Kiq2  次は、紀州鉄道の心臓部、紀伊御坊へ。駅は、本社ビルにもなっています(写真)。



Kiq3  改札を抜けホームに入ると、奥の側線にキハ604が留置されています。キハ600形、26トンの気動車ですが、処分保留、恐らく動かないでしょう。



Kiq4  間もなく、先ほど西御坊に向け発車したキハ603が、戻ってきました(写真)。一時停止し、発車します。



Kiq5  奥の駐車場に入ると、レールバス、キテツ1が(写真)。元北条鉄道のフラワ1985形です。



Kiq6  本線の西側にキハ604、本線、東側の建屋前にキテツ1が並んでいます(写真)。



Kiq7  続いて現在の終点、西御坊へ(写真)。駅は、こんな感じです。



Kiq8  終端は、このようになっています(写真)。路線を途中で止めた感じです。



Kiq9  その先にも、線路跡が続きます(写真)。すぐ先の水路を渡す橋はありませんが、線路跡はまだ続きます。



Kiq10  先の踏切跡には、「立入禁止」の看板が立っています(写真)。



Kiq11  そこまで行っても、線路跡は続きます(写真)。かつての終点、日高川まで続くようです。また、ここから貨物線にも繋がっていました。



Kiq12  すると、またしてもキハ603がやって来ました(写真)。単行列車だから余裕があると思いきや、終端表示ギリギリまで入ります。



 まだまだこの先、日高川へも行きたかったのですが、間もなく日没、撮影不可能となり、やっと長い取材を終え、帰途に就きました。



 三木鉄道の廃線により、同社の3両の軽快気動車は、北条鉄道、樽見鉄道、そして最後は「ひたちなか鉄道」に入線が決まりました。北条鉄道はそのため古いレールバス、フラワ1985形1両を放出、これが紀州鉄道に入線するというのが専らの噂です。すると同型キテツ1が2両になり、玉突きでキハ603も引退するという見方が大勢です。僅かな距離とはいえ冷房もないのは大変ですが、今のうちに乗っておくのがお薦めです。何しろ引退してからでは乗れないのですから。



 それでは、次回をお楽しみに。

古き路線を訪ねて(I)

Noaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日3回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、野上電鉄と有田鉄道の取材を行いました。



 わかやま電鐵貴志駅を発った私は、一路下佐々へ。野上中学校隣の公園、旧下佐々駅そばに、野上電鉄モハ31が展示されています(写真)。オレンジと白のツートンです。線路跡の広い道路の傍です。



Noaq2  当時の面影を残す社紋(写真)。現役当時が偲ばれます。



Noaq3  同車には、解説板が添えられています(写真)。昭和9年日車製、阪神電鉄に納入、後に野上電鉄に入線した、とのことです。



Noaq4  もう1両ある、と本には書かれ、街中を探し回ったものの、見つからず、ガックリして帰る途中に見つけた車輌、モハ27(写真)。民家の軒先のような場所にあり、うっかりすれば見落とすところでした。



 ものの本によると、野上鉄道の残存車輌はこの2両だけのようです。いずれもヘッドマークが付いた状態で保存されていたようですが、盗難か、いずれも現存しませんでした。



 この後、日方(JR海南)方面へは、線路跡か緩い勾配のサイクリングロードが続き、痕跡が残っていました。



Noaq5  次は、藤並へ。旧有田鉄道の始発駅であった同駅、駅前には鉄道代行の有田鉄道バスも停まっていました(写真)。モダンな駅舎に、僅か数年で建て変わってしまいました。



Noaq6  平成18年9月に訪問した時の、跨線橋から眺めた写真(写真)。2番線新宮方面行きの隣の3番線に、有田鉄道のバラストの跡が残り、ここに鉄道があった跡が残っていました。



Noaq7  今回の取材時の状況(写真)。3番線側は無くなり、線路跡も舗装が始まっています。



Noaq8  そのまま終点、金屋口へ。広い駐車場は、有田鉄道関連企業のバス・タクシーがあるから。横には有田鉄道本社がありました(写真)。



Noaq9  その北側は、有田鉄道金屋口駅の跡です(写真)。改札は残りますが、駅名は外されています。



Noaq10  改札の西側は、ホームです(写真)。末期には、樽見鉄道からやって来たレールバスが、ここに入線していました。



Noaq11  駅の南西側は、車庫でした。未だキハ58003が残っていました(写真)。



 同車は、国鉄キハ58急行「アルプス」との併結用に富士急行が発注した急行形気動車で、両運転台が特徴となっています。なお、有田鉄道入線時にエンジンを1台下ろしています。



Noaq12  その南側には、軽トラ改造の軌陸車、その奥は保線用のモーターカーが残っていました(写真)。



Noaq13  その西側には貨車が残っていました(写真)。左側から、ワム1、ワ12、ト2、ト1、ヨ6114(ヨ6000形)でした。



Noaq14  その西側、県道沿いに、有田川鉄道公園という看板が立ち、線路跡が公園として着々と整備されつつあります(写真)。だんだん、営業線から公園に変わっていきます。



 野上電鉄、及び有田鉄道も、いずれも営業中には訪問できませんでした。今後とも痕跡が残ることを願い、今回は終わります。



 そして日没前の最後の姿を追い、最後の取材を行いました。次回をお楽しみに。

新生の鉄道会社

Wadeq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、「わかやま電鐵」を取材しました。



Wadeq2  山下を発った私は、そのまま和歌山県に入り、交通センター前へ。同駅前の交通公園には、写真のような路面電車の静態保存車輌があります(写真)。昭和12年日車製、昭和54年まで阪堺電軌平野線で使われた車輌です。



Wadeq3  同車のプレートです(写真)。「昭和12年」の刻印が残りますが、その他は塗装の下に消えています。そのため、形式、重量、その他の記録は隠れてしまい、現在ではそれらは不明になってしまいました。「形式不明」なのも頷けます。



Wadeq4  車内の様子(写真)。木材が多用され、シートも木製のベンチです。確かに古い内装です。



Wadeq5  同車のマスコンは、GE製でした(写真)。前後共に同じでした。



Wadeq6  すぐ横は、和歌山電鐵「交通センター前駅」です(写真)。運転免許試験場と、交通公園の併設された施設となっています。



Wadeq7  次は、伊太祁曽駅へ向かいました。駐車場からは駅舎、ホーム、車庫が見えます(写真)。写っている電車は、2274始め2連で、塗装は南海時代のままです。



Wadeq9  徒歩数分、伊太祁曽駅にやって来ました。駅舎はこんな感じです(写真)。出札では各種グッズを販売しています。



Wadeq10  間もなく、「おもちゃ電車」(2706始め2連)が入線します(写真)。塗色、内装は改められ、色々なグッズが販売されています。



Wadeq11  暫く停止しているので、待つと、行き違い電車は「たま電車」でした(写真、2705始め2連)。こちらも塗装が改められています。



 ホームが騒がしいので、見ると、団体客が多数乗車していました。私の停めた駐車場にもバスが何台か停まっており、それはこの団体客のお迎えでした。



Wadeq12  もう一つのラッピング電車、「いちご電車」(2271始め2連)は、今日は庫内でお休みでした(写真)。



Wadeq13  続いて、終点「貴志」駅に行きました。駅舎は写真のとおりです(写真)。



Wadeq14  改札には、猫の「たま駅長」が(写真)。「たま電車」の元です。



Wadeq15  駅の少し東側は、保線用モーターカーの留置される終端でした(写真)。写真を写した場所は踏切になっており、入換時には踏切を閉めるスイッチがありました。



 南海貴志川線が南海から切り離され、岡山電気軌道の参画する第三セクター、「わかやま電鐵」。電車もカラフルで、今後とも話題を期待しています。



 そして時間があり、さらに取材を続けました。次回をお楽しみに。

天竜川の畔にて#5

Sak7q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、再び「佐久間レールパーク」を取材しました。



 今日は雨でも「佐久間レールパーク」へ行こう、と思い目覚ましを合わせましたが、「晴れたな、」と安心して、気付いた時には9時を回っていました。朝寝二度寝で寝坊です。慌てて時刻表を確認しましたが、昼12時過ぎに着くいつもの電車には間に合わず、このまま行っても午後2時過ぎにしか辿り着けません。断念も考えましたが、しかし明日まで待てない。結果「今日は仕方ないか」と、車で取材する道を選びました。



Sak7q2  午後1時過ぎに中部天竜に到着。パーク横の指定駐車場に駐車し、いつもどおり台紙付き入場券を購入し、駅ホームへ。慌てたのは、あと40分程で豊橋に向け出発する「佐久間レールパーク号」の車両を写したかったからです(写真)。117系海カキS11編成、ヘッドマークが円形から台形の新しいものに変わりました。正面方向幕も、白地に黒字の「快速」です(通常東海道線で運用に就く117系快速は、青地に白抜きの「快速」を使っている)。毎週編成が入れ替わっているようです。117系の記録には最適です。



Sak7q3  横の方向幕も「臨時」から「快速 豊橋」に変わっています(写真)。僅か2週間で、変わりました。



Sak7q4  留置線には、119系、海カキE16編成が(写真)。屋根上クーラーは国鉄形AU75搭載で、先日と同じ編成だと思ったら、先日はE17編成で、違いました。



Sak7q5  そして「佐久間レールパーク」に入場します。



 今月の車内公開車両は、建築限界測定車、オヤ31 12です(写真)。昭和12年スハ32の1両として田中車輌で落成、昭和34年国鉄長野工場でオヤ31に改造、名ナコ(当時の名古屋鉄道管理局名古屋客貨車区)に配属されました。



 建築限界測定車は、新線完成時に、建築物が建築限界より内側に入っていないことを確認するための車輌で、車輌の両端と中間部の3か所に測定用の針が張り出し、その針に物体が接触することにより検知するという方式をとっています。通常の路線では日常的には使いませんが、新線に最初に入線するところ、そしてその針を張り出した姿から「花魁車」と呼ばれます。JR東日本には、最新型の光学非接触式測定車で、オハ50改造のマヤ50 3001があり、E491系や、キヤE193系に併結され運用に入ることがあります。



 なお、建築限界より内側に存在することが認められる構造物は、架線及び駅ホームだけで、それ以外に検知される物があれば、営業できません。



Sak7q6  車内に入ります。北側(第2位群)測定室です(写真)。針が車内にこのような形で連結されているとは、知りませんでした。来た甲斐がありました。なお、手前左の机は、監視員席です。



Sak7q7  机の上には、検知時に点灯すると思われる表示装置が設置されています(写真)。これで見落とさないようにしていたのでしょう。



Sak7q8  中央群測定室、および休憩用の座席です(写真)。スハ32は3等車、ということはボックスシートで落成した筈ですので、オヤ31に改造される際に、網棚以外は撤去されたのでしょう。国鉄標準の青いモケットのロングシートです。なお、第2位測定群との間にはトイレと洗面台があり、そこで双方を撮影しました。



Sak7q9  南側になる第1位群測定室です(写真)。大体同じですが、位置関係が多少異なります。



Sak7q10  壁には寸法表が(写真)。「名古屋客貨車区」とされています。



 昔はSLと客車、貨車だけなので機関区と客車区になっていました。盛岡には平成まで「盛岡客車区」(盛モカ)がありましたが、今は盛岡車輌センター(盛モリ)になっており、所属車輌も電車と気動車になっています。



Sak7q11  階段を降りて、南側から写しました(写真)。





Sak7q12  隣はモハ52004ですが、所属表記は「大ミハ」(現在のJR西日本宮原総合運転所)になっており(写真)、戦前の関西の急行、現在の新快速のルーツである同車、細かい表記まで復元が試みられています。



Sak7q13  隣のマイネ401(一等寝台客車)も、「東シナ」(品川客車区)という表記であり(写真)、東京も最初は「東京鉄道管理局」だったことがわかります。後に南北に分かれ、国鉄最盛期には「南シナ」(東京南鉄道管理局)であり、初代「ブルートレイン」20系客車等花形車輌の基地でした。九州行き寝台特急が全廃となった今では、想像もつかないですが。現在は、また「東」(東京支社)が復活しました。



Sak7q14  隣のED11 2にも、「松」でしょうか、区名札が入りました(写真)。



 そして昼食を摂り、外に出ました。



 今回は、業務用車の車内公開で、非常に興味深いものでした。今後とも毎月行きたいと思います。次回こそは、ピンバッチセットをゲットしたいですね。



Sak7q15  おまけ1。数駅豊橋寄りの浦川には、写真のような電車形の、「佐久間町浦川観光トイレ」があります(写真)。ワム形かと思いきや、パンタグラフも付いていました。ぶどう色2号に塗られた旧型電車のイメージなのでしょう。



Sak7q16  おまけ2。またしても、花祭りの「鬼」をイメージした、東栄駅に行きました(写真)。



Sak7q17  出口側は、この通りです(写真)。奥行きは、あまりありませんでした。町の中心部からは距離があるようですが、東栄町の玄関口、周りも凝った造りになっています。



 それでは、次回をお楽しみに。

カウンター
プロフィール

Seichiro

Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR