清々しき朝かな#2(余部の朝)

Amahq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、架け替えが進む余部鉄橋を取材しました。



 またしても昨晩出発し、未明に余部に。車中泊で、朝に備えます。



Amahq2  6時に起き、予定のポイントに。最初の列車、上り始発、浜坂発豊岡行き普通が走り去ります(写真)。キハ47に、1両キハ41(ラッピング車)が混じっています。



Amahq3  暫く後に、続いて上り特急「はまかぜ2号」が行き過ぎます(写真)。キハ181系は、新橋梁を通る予定はありません。こちらも記録が重要です。



 かつて寝台特急「出雲」は、このタイミングで出雲市に向け同橋梁を通過していました。



Amahq4  その後、案配を確かめるために、次のポイントに移動。湾を挟んだ反対側ですが、樹木が繁茂し、この場所しか余部橋梁を眺めることが出来ませんでした(写真)。三脚による固定もできず、望める範囲も限定されるため、結局元の場所に戻りました。



Amahq5  続いて、橋梁南側へ。新橋梁の工事がたけなわです(写真)。来年度中には完成しそうな雰囲気です。



Amahq6  橋脚には、看板が幾つか立ちます(写真)。「出雲」終焉の頃に皆が車を停めた駐車場は、現在工事用ヤードに利用され、閉鎖されました。その代わりに、民家跡に新しい駐車場を設けています。時刻表も掲げられ、通過が分かるようになっています。



Amahq7  仮設歩道を登り、余部駅へ。かつての「お立ち台」後は、新橋梁に繋がる新線用地にされています(写真)。この辺りがベストポイントとされていました。



Amahq8  同所からの眺め(写真)。かつての「お立ち台」は、もう少し高い位置にあり、ベストショットが狙えました。豊岡行きキハ47 1が去っていきます。



Amahq9  その後車に戻り、昼寝をしていましたが、外を見ると、ラッピングされた先ほどのキハ41が、浜坂行きになり橋梁を行き過ぎます。気を取り直し、折り返しの時刻を確認し、ポイントで構えると、前キハ47 2、後(ラッピング車輌)キハ41 2003(播但線ラッピングが施されている)でした(写真)。豊岡に向け走り去ります。



Amahq10  暫く後、浜坂に向け特急「はまかぜ1号」がやって来ました(写真)。メインイベント前半戦、フィルムもデジカメもフル稼働です。既に昼下がりではありましたが。



Amahq11  そして同編成は、折り返し大阪行き特急「はまかぜ4号」として戻ってきます(写真)。



 特急「はまかぜ」は、キハ181系最後の牙城です。しかし新型気動車置き換えが決定し、残り僅かとなっています。皆さんも、どうぞ。でも、国鉄色復活とか、無いんですか?



 余部鉄橋も最後、キハ181系も最後です。皆さんも、是非記録してください。ああ、良い感じだった!



 そして余部を後にしました。



Amahq12  その後、「はばたん号」撮影のため、姫新線へ。先ずは播磨新宮に行き、播磨新宮には来ないことを確認。続いて、本竜野へ。駅員に聞くと、「古いの、間もなく来ます。」とのことで、有料駐車場に入庫し、入場券を買い入場します。



 現在本竜野駅は、建て替えの真っ最中で、現在は仮駅舎で営業中です(写真)。手前の跨線橋は、木造部分もある良い感じの構造物ですが、新駅完成の暁には、当然解体されるでしょう。こちらも今のうちです。



Amahq13  タイフォンの音が旧式で懐かしいなあ、と思うと、そのとおり「はばたん号」(キハ40 2091、神ヒメ(JR西日本姫路鉄道部)、昭和56年新潟鐵工所製)がやって来ました(写真)。「赤とんぼ」のヘッドマークを掲出します。



Amahq14  反対側の様子(写真)。こちらのヘッドマークは異なります。



 ここで捉えられなければ、JR西日本姫路鉄道部の最寄り駅、余部(よべ)駅に行くつもりでしたが、目的を達成したので、このまま帰宅しました。



 現在高速化の準備を進める姫新線、姫路~播磨新宮間。専用車両、キハ122、キハ127も運用に入ります。後は路盤の整備で、こちらの準備が完了すれば、高速化は完成、専用車両が現在よりスピードを上げ走り、キハ40等旧式車輌は出る幕が無くなります。つまり同車も運用は来春まで、その後は他線移籍か、その他かは不明です。こちらも記録が重要になります。確認しますが、運用は姫路~本竜野間で、単行で使われると思われます。皆さんも、どうぞ。



 それでは、次回をお楽しみに。

銀色の日々#6

Sitiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は連休最終回、一昨日の後半戦をお届けします。



 青函連絡船八甲田丸を発った私は、七戸へ。七戸には、かつて南部縦貫鉄道(廃線)がありました。捜索しましたが、「南部縦貫」で探すと一発で、南部縦貫鉄道七戸駅(本社社屋を兼ねている)に辿り着きました(写真)。



Sitiq2  駅舎裏側、則ち南側には、長大編成が入線可能な対向式ホーム2線があります(写真)。一方は「七戸」、もう一方は「西千曳」の駅名表が立ちます。「西千曳」は、国鉄東北本線の千曳駅で、同線の複線電化による線路付け替えで千曳駅が移転、同駅から分岐していた南部縦貫鉄道は、東北本線の旧線を無償で借り受け野辺地に乗り入れし、同駅は南部縦貫鉄道西千曳駅に改称しました。しかし国鉄改革の際、同区間の購入を国鉄清算事業団から要求され、それが原因で南部縦貫鉄道は廃線になってしまいました。最後まで旅客は機械式(クラッチ式)ディーゼルカーのレールバスでした。



Sitiq3  ホーム西側、すなわち駅舎真南には、車庫が(写真)。この中に、そのレールバスは動態保存されます。ゴールデンウィークや夏休みには、展示運転も行われます。



 その横、則ちその西側にはには、かつて鉄道貨物があった頃の農業倉庫が建ちます。



 実は、この傍に鉄道機構の事務所があり、そこには、「東北新幹線七戸工事事務所」と書かれます。つまり目の前に新幹線の駅が出来る場所であり、実は南部縦貫鉄道は新幹線連絡鉄道を目論んでましたが、残念ながらそれには間に合いませんでした。なお、周辺には高架はなく、新幹線七戸駅は地下に出来るようです。



Sitiq4  次の目的地に向かうところで、カーナビに「十和田市」という表示が出ます。見ると、私鉄の横を走ります。そうです、十和田観光鉄道です。車庫のある七百も、道から遠くない、とのことで寄り道をすると、何と、同駅にはモハ3401が、しかも車庫ではなく本線上にいるではありませんか!(写真)早速撮影します。



Sitiq5  モハ3401の車内(写真)。非冷房ですが、良い感じです。無人の車内に、ICレコーダーが多数置かれ、不気味です。



Sitiq6  運転台の様子(写真)。装備は少なく、シンプルです。



Sitiq7  相方には、モハ3603が連結されます(写真)。こちらも貴重です。



Sitiq8  車内の様子(写真)。こちらにはレコーダーはありません。古い東急の車輌のような雰囲気、現在のステンレスカーも全て元東急です。



Sitiq9  こちらも運転台は、シンプルです(写真)。前後の運転台には、ビデオカメラが設置されていました。



 間もなく2両は、数人の乗客を乗せ、三沢に向け発車しました。



 家に帰り調べると、この日には、十和田観光電鉄募集のツアーが開催されたそうです。私は、それに出くわしたのでした。七百で出くわしたのも、時間的になんという偶然。非常にラッキーでした。



 正直、動画も録れるDV(勿論ハードディスクカメラが一番良いのですが)はいつも持っていますが、それとは別に、Waveファイルでは無理でも、MP3ファイルで録音できるレコーダーがあれば、便利で良いと思うのですが。SDカード等に録音するのであれば、パソコンに一発で転送でき、良いと思うのですが。何処か、出す気はありませんか?(あるのかなあ?)



Sitiq10  横には、いつも通り、右手前から、ED402(昭和37年川崎)、ED301(S40日立)、トラ301、トラ302が並びます(写真)。赤字タレ流し覚悟で、こちらも動かす気はありませんか?



Sitiq11  そして目的地は、東北本線、宮城県の石越へ。駅前にはかつては「くりはら田園鉄道」(元「栗原電気鉄道」、廃線)の石越駅がありましたが、現在は駅舎まで解体され、ホームも埋め殺しになっています(写真)。跡形無く撤去され、悲しいです。



Sitiq12  続いて同線、若柳へ。こちらの駅舎は残っていましたが、「乗って残そう孫子の代まで」という悲しい看板もそのままでした。



 ホームも残りますが、かつて並んだ電鉄時代の廃車体は殆ど撤去され、電車は写真のM153のみとなりました(写真)。



Sitiq13  西方には、KD12、KD11が(写真)。昭和60年富士重製、元名鉄キハ10形、12と11(いわゆる「LEカー」)で、「くりはら田園鉄道」として第三セクター化、内燃化後の予備車に入線しました。二軸車です。



Sitiq14  その西方、検修庫には、内燃化後の主力、KD953が(写真)。廃線後も、売却されず残ります。平成6年富士重製、まだまだ同型はKTR等の他線で主力として走ります。



Sitiq15  その南側には、手前からKD952、KD951が(写真)。同時期の車輌なら、海外なら「冷房付き」と大歓迎されますが、やはり手放したくないのか。そうしている内に、塗装が傷んでいきます。



 そして前後の線路を撮影し、次の目的地に向かいました。



Sitiq16  そして「くりはら田園鉄道」終点の、「細倉マインパーク前」駅跡に到着。本当にマインパーク前に、駐車場付きで残ります。



 駅前には、ED202(昭和25年三菱電機)とワムが、腕木式信号と共に残ります(写真)。



 細倉マインパークも、鉱山関連施設が鉄道博物館に該当するそうです。いつか、機会がある時に、じっくり取材したいですね。



Sitiq17  そして最後は陸羽東線、岩出山駅に併設される、鉄道資料館に来ましたが、時既に遅く、閉館していました(写真)。春から秋の間、平日は16時、休日は17時迄のようです。中には入れず、駅前の、協三製作所昭和45年製のスイッチャーのみでお許しを。



 そして日没、多くの撮り残しとともに断念、帰宅しました。



 今回も長い遠征でした。本当に、大丈夫でしようか。



 それでは、次回をお楽しみに、と言いつつ、実は未定です。どうしよう?

銀色の日々#5

Hakq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、青森駅前岸壁にある、旧青函連絡船「八甲田丸」をお届けします。



 昨日滞在先を発ち、向かった青森駅。駅ホーム横は青函連絡船岸壁、そこに「八甲田丸」は係留されます(写真)。かつては駅の跨線橋から直接乗船が可能で、現在は同じ位置から乗船できるよう階段が設けられています。入場料500円を払い入場します。



Hakq2  乗船口からすぐに階段を登り、客室甲板へ。窓際はリクライニングシート(グリーン席)で、現在一部がシアターとして残ります。そして一般席二等はカーペット、現在は撤去され展示室になっています。そして一部寝台が残され、展示されていました(写真)。往時の雰囲気が残ります。



Hakq3  その甲板の正面下は、船長室になっており、展示が為されます(写真)。横には応接室がありました。



Hakq4  階段を登り、ブリッジへ(写真)。司令室、ここで操船していました。広々としています。



 後はオープンデッキ、煙突上まで登れ、展望台になっているそうです。



 ここからエレベーターで、4階下の車輌甲板に降ります。



Hakq5  先ずは展示車輌、ヨ6000形ヨ6798、車掌車です(写真)。



Hakq6  先端には、車輌の船内固定用の連結器がありました(写真)。



Hakq7  隣の列にはスユニ50 509と510が、展示されます(写真)。郵便荷物客車です。郵便は、昔は鉄道で運んでいました。



Hakq8  隣の列は、キハ82 101が(写真)。キハ183系が現れるまで、北海道の特急には欠くことべからざる車輌でした。



Hakq9  船の後側は、桟橋側です。このように配線され、線路が桟橋から本線に繋がっていました(写真)。



Hakq10  キハ82の横には、入換に従事したのか、DD16 31がありました(写真)。船内入換は、古くは9600、後にはDD13が行っていました。入換速度は15キロ以下と決まっており、それ以上になった場合はやり直しでした。



Hakq11  入換時車輌と機関車の間には、控車が間に連結されていました。船内には、ヒ600形が3両展示されていました(写真)。



Hakq12  更に階段を下り、機関室へ。青函連絡船は、中型ディーゼル機関4機で一軸を動かし、それを2組、2軸で推進していました。機関は、写真のように並びます(写真)。



Hakq13  機関士は、横の機関士室にいて、操作していました(写真)。当時最新の機器が並んでいます。



 そして階段を2階登り、入口へ。



 入口横にはレストラン跡が、ホールになっているのに気がつきました。そして外に出ました。



Hakq14  船の後、陸上側には、写真のような桟橋が(写真)。ここを通り貨車等が搬入されました。



Hakq15  横の公園には、八甲田丸のスクリューのプロペラが展示されます(写真)。もう船は動けません。



Hakq16  もう一つのプロペラは、青森駅横の公園で、キハ58の展示の横にあります(写真)。しかし、こちらはイマイチでした。



 昨日は、この後も続いて取材をしましたが、それは非常に長くなるので、今回はここまでとします。次回をお楽しみに。

銀色の日々#4

Aomq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、東北行2日目です。



 昨晩の滞在先を出発した今朝、最初に向かったのは小坂。小坂精錬小坂鉄道(廃線)小坂駅です(写真)。廃線は昨年ですが、長い間旅客営業をしていなかった(貨物専業に変わっていた)ため、旅客施設は写真のとおりです。



Aomq2  続いて同鉄道跡を辿ります。DL4重連を2両解放していた途中駅、茂内に行きました。駅舎が残り(写真)、貨物専業の時代にも入換が可能なように駅員も駐在しました。



Aomq3  駅構内は線路、旅客時代の駅名表等が残り、線路上には昨年にはDD13が残っていたそうですが、現在は無蓋車、トキ15014(ボギー車)とトラ4001(2軸車)が残っています(写真)。信号は腕木式が残ります。



Aomq4  そして始点というか、JR接続駅、大館へ。JR大館駅南側に、小坂鉄道大館駅が広がります(写真)。踏切も廃止され、非常に残念です。



Aomq5  そして次の目的地に移動する最中に、矢立峠を通りました。国道をオーバークロスするコンクリートガーダー橋があります(写真)。周辺には1965-7(昭和40年7月)建設と書かれます。しかしこのルートは奥羽本線の旧線、現在線は複線の長大トンネル、矢立トンネルで通過します。新線への切り替え直前、路線維持のために旧線の橋梁も交換した、ということです。



Aomq6  そして青森へ。途中、道路の上を大きなコンクリートの高架が跨ぎます。そうです、東北新幹線です。そしてそれは新青森に繋がっています(写真)。最初奥羽本線に新青森の駅が出来たときは、各停しか停まらない、対向式ホームと跨線橋しかなく、「こんなところに新幹線が来るのだろうか?」と思っていましたが、それから10年、当時の駅の上に、新幹線の高架駅舎が建設され雰囲気は一変、来年冬には新しい青森の顔になるのです。しかし、ここから北海道方面への列車は、どのように接続させるのか。興味があります。



Aomq7  そして次の目的地、青森市森林博物館へ(写真)。元青森営林局の局舎で、映画「八甲田山」のロケにも使われた重厚な木造建築です。



Aomq8  同博物館西側には森林鉄道の車両が保存されます(写真)。機関車は京三製作所製、客車は「あすなろ」と書かれた転換クロスシートの車両でした。その後は木材運搬用の貨車が続きます。



Aomq9  その中の展示が元で、つい行ってしまった芦野公園。博物館前には、森林鉄道の機関車等が残ります(写真)が、客車は不審火か、燃えて炭化していました。機関車は酒井製作所製(昭和30年)でした。



Aomq10  続いて中泊町博物館へ。しかし複合施設(写真)は休館でした。通常月曜が祝日なら開館しますが、この連休、祝日明けは木曜になり、やむを得ない措置か。同館内にあるという森林鉄道車両も、見ることが出来ませんでした。



Aomq11  そこから陸奥湾を挟み下北へ。大湊線、下北駅にやって来ました。今は新しい駅舎が建ち(写真)、駅前整備をしています。



Aomq12  丁度「きらきらみちのく」青森行きがやって来ました(写真)。キハ48、手前から1506、1534、1505です。ライトはHIDのような色です。



Aomq13  下北に来たのは、かつてこの駅から国鉄大畑線、後に下北交通と名を変えたものの結局廃線になった鉄道が、この駅を起点としていたからです。ホームは同線が営業していた頃の名残を残していますが、上には柵が立ち、線路跡は駅前駐車場になり、かなり変わってしまったようです(写真、下北交通は右側から写真後方に向け発車していた)。



Aomq14  つづいて大畑、と行きたいところですが、まずは大湊線の終点、大湊へ。駅は写真のとおりで、東側にはJRの大湊線営業所があります(写真)。



Aomq15  駅前にはJRのホテルが建ち、横には腕木式信号機、転轍機が展示されます(写真)。



Aomq16  そして下北に戻り、北上、大畑駅跡へ(写真)。現在は下北交通大畑営業所となり、バスターミナルになっています。



Aomq17  ホーム跡には、写真のような看板が(写真)。国鉄大畑線から引き継いだ下北交通は、キハ22を営業に使用していましたが、廃線に伴い設備共々不要となりました。それを旧JASの社員等が、車両の動態保存に協力した、とのことです。現在、車両はキハ22からキハ85と名を変え、時々運転を実演するそうです。



Aomq18  ホーム東側には保守基地の建物が残り(写真)、この中にキハ85は保存されているようです。駅の北側(下北駅方面)には腕木式信号機が残ります。



Aomq19  反対側は、終端表示かと思いきや、終わりははっきりしません(写真)。以前も書いたとおり、ここから大間方面へ延長する工事を、何度となく中断しながら行っていた関係で、こうなっているものと思われます。結局大畑線そのものが廃線で、これらの施設は未成線となり、無意味となりました。



 そして日没、今日の取材を終えました。



 何日ぶりかに、風呂に入りました。やっと車中泊からも解放され、安眠できそうです。



 それでは、次回をお楽しみに。

銀色の日々#3

Nimq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、やっとメインイベント、東北からお届けします。



 昨晩投稿後に移動し、福島県へ。磐越自動車道を会津若松で降り、熱塩へ。日中線(廃線)記念館に、やって来ました(写真)。洋館風の建築、現在でも珍しいメートル法での建築物だそうです(普通は尺貫法)。



Nimq2  建物を通り、ホーム側へ(写真)。多少手を加えていますが、往時の雰囲気を残しています。



Nimq3  駅構内には、屋根付きで2両の車両が残されています。1両目、キ287(キ100形)ラッセルヘッドです(写真)。



Nimq4  車内の様子(写真)。正面は操縦士2名の座席、床にはウイング操作用の蒸気タンクが2個並び、踏まないようにステップが設けられています。



Nimq5  後は、オハフ61 2752です(写真)。茶色の旧式客車です。



Nimq6  同車の車内(写真)。普通の車両のようですが、背ズリが木の板のみで、クッションがありません。長距離の移動には、少し苦痛でしょう。



Nimq7  日中線は、最終的には野岩羽線(栃木から会津を通り、米沢まで抜ける線)の予定だったようですが、戦争のため立ち消え、実現しないまま廃線になりました。その最終目的地、米沢へ大峠トンネルを抜け、またしても高畠へ。山形交通高畠営業所として残る、高畠線車両です(写真)。昨秋、雪の中撮影したモハ1でしたが、今日は雪はありません。



Nimq8  ワム201の向こうは、ED1です(写真)。これらの車両は、状態はともかく、鉄道車両として保存されています。幸運というべきか。



Nimq9  続いて、月山酒造資料館に残る、モハ103です(写真)。こちらも2回目、今日は雪はありません。



Nimq10  次は、河北町「いもこ列車」です。「いもこ列車」だけでは検索できず、河北町で大捜索の結果、河北町中央公園にあることが判明。運良く今日は、年に数回しかない営業運転の日で、ボランティアと思われる人々が、子供たちを乗せ運転していました(写真)。「台糖」とプレートの入った762ミリ軌道のSL、100メートルほど敷かれたレールの上を走ります。次回は本年最後、10月18日、この日も午後1時から3時まで運転する、とのことです。しかも無料!整備費の募金に一人100円くらい取れば楽に出来るのでしょうけど。



Nimq11  横にはヨ8798が保存されますが、写真のとおり、保存はイマイチです(写真)。



Nimq12  続いて、真室川に。「まむろ川温泉梅里苑」には、写真のディーゼル機関車(「カトウ」と書かれている(いわゆる「カトー君」か?))が、客車(ワム改造か?)とレール運搬車を従えて準備しています(写真)。線路が園内にグルリと敷かれ、乗車できれば良かったのですが、運転は休日11時、13時、15時の3回で、機関車のエンジンも停まっていたので、諦めて後にしました。



Nimq13  そして国道13号、高速で大移動して、秋田市郊外の、仁別森林博物館にやって来ました。最初は山一つ向こうの別の場所にカーナビをセットしていましたが、違い、ひらがなで検索すると、10キロも離れていました!閉館に間に合わせるべく延長9キロの林道を爆走し、20分で林道終点の仁別森林博物館に到達(写真)。しかし残念ながら閉館は午後4時で、既に鍵がかかっていました。そのため、中の資料の写真はありません。



Nimq14  しかし、幸いなことに、同館正面には、森林鉄道用の蒸気機関車(大正10年アメリカ、ボールドウィン社製)が展示されていました(写真)。これだけでも、来た甲斐がありました。



 そして、今日の滞在先に向かいました。



 長い遠征です。疲れもピークと思いきや明日はもっとハードな予定です。もう少し、頑張ります。



 それでは、次回をお楽しみに。

銀色の日々#2

Fusq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、新幹線を取材しました。



 昨日の取材の後、車で移動、静岡県へ。天気予報は「晴れ」と出ていましたが、正直不安でした。パーキングエリアで目が覚め、外を見ると、太陽は照っています。しかし、周りが見えない。曇り、と思っても、既に手遅れ。今日を逃すと、今度はいつ来るのか、最後のチャンスになりかねない、と思い、不安なまま出発。そして、富士市内のポイントに車を停めました。



Fusq2  電線が邪魔だなあ、と思うと、電線の下に農道があり、そこで構えるのが良いようです。そこで設営、早速やって来たのはN700系、側面の表示のJRマークは青(西日本)の、N編成でしょう(写真)。早朝博多始発がやって来る時間帯です。



Fusq3  次も同じくN700系ですが、下り、JRマークがオレンジ(東海)の、Z編成と思われます(写真)。



Fusq4  ”こだま”運用に入る300系、こちらはJRマークが青(西日本)の、F編成と思われます(写真)。特定の運用はなく、JR東海のJ編成と共通運用とされています。



Fusq5  続いて700系、JR東海のC編成と思われます(写真)。現在廃車が進む300系を上回り、ついに最右翼になりました。



Fusq6  次は300系、JR東海のJ編成と思われます(写真)。試作編成に続き量産編成も続々廃車、数が減っています(JR西日本のF編成は廃車が出ていない)。元々VVVFは整備新幹線用の技術、実車で多く使われるようになったのは平成になってからということもあり、搭載車の廃車は、209系に続き第3弾です(第1号は尼崎脱線事故の207系)。短縮化改造できないか、と思いますが、M-T-M3両ユニットで構成される300系(5ユニット+1両(先頭車))、16両での運用を前提に設計されており、中途半端な両数には出来ないのでした。なお、T車は渦電流ブレーキを搭載した関係で、M車より重いことは、あまり知られていません。しかし700系以降は、渦電流ブレーキを搭載していません(500系は全電動車)。



Fusq7  続いて700系、JR西日本のB編成です(写真)。JR西日本とJR東海の車両の区別は、700系は運転台の後の”JR700”の表示です(あるのがJR西日本)。他は、車番のJRマークの色、座席のモケットの色、あと車内放送のチャイム「いい日旅立ち(JR西日本)」か[Tokio(JR東海)」の違いです。



Fusq8  いよいよメインイベント、500系、”のぞみ6号”東京行きがやって来ました(写真)。来春で富士山とのコラボも、16両編成も見られなくなります。



Fusq9  他多数の列車が通過しましたが、割愛し、次の500系”のぞみ”、臨時”のぞみ154号”東京行きがやって来ます(写真)。今日は残るW編成3編成総動員で、一番当たる確率が高い日です。明日もこの列車は500系が充当されるようです。時刻表でご確認を。



Fusq10  さらに1時間(のべ2時間)待ち、”のぞみ6号”の折り返し、”のぞみ28号”博多行きがやってきます(写真)。



Fusq11  名残惜しく、過ぎ去るまでモードラを作動させました(写真)。



 編成写真にはなりません。16両、400メートルもある新幹線の編成写真を撮るには、超広角でも出来ますが、きっと編成が細長くなり、何が何だか分かりません。やはり俯瞰するなど遠方から、超望遠で七三分けに圧縮するのが良いようです。



 とある雑誌に書いてありました。新幹線の撮影に、モードラを使うのも良いが、時速270キロで走るということは、秒速は7から8メートルになり、それだけ不正確になる。だから連写よりも、一発を狙って撮った方が出来は良い、とのことです。フィルムではそのとおり実行しました。



 500系”のぞみ”、固定運用は博多発”のぞみ6号”、東京折り返し”のぞみ29号”と、博多発”のぞみ28号”、東京折り返し”のぞみ51号”で、今日の博多発臨時”のぞみ154号”は、東京発”のぞみ179号”で博多に帰庫するようです。16両のW編成は3編成しか残っていないようで、検査の関係もあり毎日3運用で使うことが出来ないため、連休のみ今回のような措置を取ったのでしょう。



 なお、”のぞみ179号”は同所を15時頃通過することから、断念、次の目的地に向かいました。”のぞみ28号は16時台、”のぞみ51号”は18時台、ということで、時間的に苦しい。皆さんは、試してみては如何ですか。



 そして、明日の取材場所近くに今日は滞在します。明日はどこからでしょう。お楽しみに。しかし、首都高って、今更ながら、低速道路だよねえ!

銀色の日々#1

Cyuq1



 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、連休第1回目、中央西線貨物を取材しました。



 中央西線の貨物は、四日市発稲沢経由の石油貨物がほとんど、南松本行きが多数です。撮影可能時間帯では、臨時も含め下り4本、上り(返空回送)2本となります。昼間、高速列車である特急”ワイドビューしなの”の合間を縫うように走ります。稲沢始発水・金が臨時運転が多い日とのことで、それに合わせ昨晩出発しました。



Cyuq2  最初は野尻駅から少し大桑寄りの場所に構えます。ここに構えたのは、上り貨物と下り臨時貨物が近い時間にやって来るからで、上下どちらにも構えられる場所として選択しました。そして、下り臨時貨物を待ちますが、なかなか来ない。そう思っているうちに、上り定期貨物がやって来ました(写真)。EF64 70を先頭に、75を次位に重連で下ってきます。後に石油タンク車の空荷が続きます。



Cyuq3  暫く待っていましたが、同臨時貨物を須原で追い抜く特急”ワイドビューしなの3号”が行き過ぎます(写真)。振り子車で、S字カーブで車体を左右にくねらせ走り去ります。この形式の真骨頂です。



 これ以上ここで待っても臨時貨物が来ないことが分かったので、次のポイントに移動しました。本日6883レは運休です。



Cyuq4  続いて、坂下~田立間のポイントにやって来ました。目的の列車にはまだ2時間以上ある。そこで、小遣い稼ぎを。



 最初は”ワイドビューしなの4号”、海シンA201編成がA200番台(不明)、A100番台(不明)を従えた、2+2+4の8連の編成です(写真)。2+4の6連でA0番台の基本編成の代走をしているのを見たことはありますが、A100番台の編成が3編成しかないことから、なかなか見られない運用だと思います。



Cyuq5  続いて”ワイドビューしなの6号”、A4編成です(写真)。



Cyuq6  次は場所を変え、313系普通、海シンB304編成(手前はクハ312 3014と思われる)です(写真)。



Cyuq7  続いて海シンA203編成+A100番台(不明)、”ワイドビューしなの8号”です(写真)。



Cyuq8  この場所にいたのは、これを撮るため、EF64 60・47重連の貨物列車です(写真)。見てのとおり荷物は石油タンク車(返空回送)です。JR貨物愛知機関区でも、0番台国鉄色はもう見られないようです。



 撮影可能時間帯にはもう上り貨物は来ないので、この一発勝負の後、下りを構える場所へと移動しました。



Cyuq9  続いて、釜戸駅から少し瑞浪よりのポイントへ。田んぼの中の道で、カーナビが通過不可能なT字交差点を指示し、一苦労。そして、やっとポイントに着いた、一安心と昼食をとりはじめたその時、悲劇が起きました。写真のEF64 1041・1040の1000番台国鉄色重連が行き過ぎたのです(写真)。慌ててデジカメで撮り、フィルムで撮りましたが、フィルムカメラは巻き上げた後のフィルムしか入っておらず、空回りしていました。そのため、この列車はこの1枚しか撮れませんでした。再訪を誓いました。



Cyuq10  体勢が整ってから、仕切り直し。間もなく、下り”セントラルライナー11号”(海シンB300番台(不明))が行き過ぎます(写真)。有料の座席定員制の列車で、一般車と同じ313系ですが、8000番台、8500番台が割り当てられ、派手なオレンジの外観、車内もグレードアップされた転換クロスシートが使用されます。しかし、専用車が一般車に併結されることもあります。



Cyuq11  続いて、”ワイドビューしなの17号”です(写真)。これも4+2の6連です。



Cyuq12  そして、続いて貨物列車、EF64 57が、同型機(車番不明)と重連で石油貨物を牽きます(写真)。EF64 57はJR貨物広島車両所で整備され、他の車両(JR貨物大宮車両所整備)とは貫通路等塗装が異なります。これを撮影し、今日の取材を終えました。



 調べてみると、同所を18時頃に通過する列車もありましたが、明日に備えた移動に支障するため、止めました。今回はこんな感じです。



 明日は、天気が良いといいます。本当に良いなら、何処へ行きましょうか。次回をお楽しみに。

It's Hard Day And Night#2

Kinq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、関西の私鉄を巡りました。



 昨日に引き続き今日もツアー。昨日は一旦帰宅し、早朝発、大阪を経由し、川西能勢口へ。そして能勢電鉄に乗車し、山下へ。山下には、1550始め2連(反対は1500)、ツートンの旧塗装の電車が(写真)。今日は、山下~日生中央間の運用に就いています。



Kinq2  続いて妙見口へ。妙見口から徒歩で撮影ポイントへ移動。間もなく1560始め2連(反対は1510)、旧塗装の車両がやって来ます(写真)。



Kinq3  次は、1751始め4連(続いて1731、1781、1701)がやって来ます(写真)。今日は、3100系は平野車庫に入ったままでした。そして、この場所からバスで移動しました。



Kinq4  続いて、嵯峨野観光鉄道、トロッコ亀岡へ。間もなくトロッコ列車はやって来ましたが、乗客多数で写真のとおりです(写真)。酒呑童子も乗車し、車内でサービスをしていました。そしてトロッコ嵯峨(JR嵯峨嵐山)へ移動しました。



Kinq5  徒歩で嵐電嵯峨に移動し、嵐電に乗車、西院に行きました。西院には嵐電の西院車庫があります。嵐電名物、モト1001が撮影準備完了で、早速撮影させて貰いました(写真)。



Kinq6  次は、モハ501を移動して貰い、撮影しました(写真)。



Kinq7  その後、洗浄線にはモハ103が(写真)。「井筒八ツ橋」のラッピングになっています。



Kinq8  今日は、モハ27、「モボ」は営業中でした(写真)。ほか多数を撮影し、移動します。



Kinq9  西院から一駅、西大路三条に移動。ここでカメラを構えると、モハ103がやって来ます(写真)。旧型電車、通常この時間には営業に入らないそうで、一発で写せ良い感じです。



Kinq10  続いて、モハ2001が(写真)。



 これを撮影後、西大路御池まで歩き、地下鉄東西線に乗車します。



Kinq11  京都市役所で乗り換え、京阪京津線に。四宮車庫を過ぎ、終点浜大津に到着しました。橋上駅舎となった浜大津駅の、改札に続く歩道橋から構えますが、電線が多くイマイチです(写真、車輌は京阪石山坂本線706・705)。



Kinq12  地上に降り、ポイントを探します。京津線809始め4連が、京都市役所に向け併用軌道を走ります(写真)。鉄道線車輌が道路を走るのは、福井鉄道が車輌置き換えを行った今、ここだけでしょう。



 しかし、確か浜大津駅は大阪から伸びた省線の、琵琶湖連絡線との乗換駅、則ち元は省線の駅でした。その後湖東線が開通し東海道本線となり、省線は付け替え、現在の姿になりました。湖西線の始まり、江若鉄道(廃線)もこの駅に入線していました。



Kinq13  次は石山坂本線車輌、607・608の2連が浜大津に入線、行き違いに601・602の2連が坂本に向け発車します(写真)。



Kinq14  そして今日最後の目的地、石山坂本線錦織車庫へ。元京津線車輌、モハ82が、静態保存されます(写真)。中に入れました。



Kinq15  モハ82の車内(写真)。昭和36年製、当時としては最新の回生制動(回生ブレーキ)も装備されていました。なお冷房化改造で屋根上を補強したようです。



 元は単行用電車だったのが、輸送量の増大により改造、2連になり、一方は貫通路が設置されました。冷改もされまだまだ使用できる雰囲気ですが、京津線が京都市営地下鉄に乗り入れる際600Vから1,500Vに昇圧、現在は使用不可能となり静態保存されます。



 なお、この車輌は、ほぼ個人の所有なのだそうです。車輌内外はピカピカです。



Kinq16  外にはモハ81のカットモデルが(写真)。残っただけでも幸せか。



 そしてJRで京都に移動、帰途に就きました。



 昨日に続き今日も大移動のツアーでした。旅行は良い感じでしたが、明日はどうするのか。まあいいか。



 それでは、次回をお楽しみに。

It's Hard Day And Night#1

Ktkq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、丹後地方の話題をお届けします。



 2ヶ月も前から準備し迎えた今日のツアー。自宅を発ち、新幹線に乗車、そして京都へ。京都からは183系800番台(元485系・489系)特急に乗り、西舞鶴へ。途中も重要ですが今日の旅行の長大さからカット。そして西舞鶴からは大阪発のツアーメンバーと合流し、北近畿タンゴ鉄道”たんご悠遊”号に乗車しました(写真)。



 そして天橋立で下車、昼食を摂り、フリーに。私の人生に一番御利益のあった、文殊堂のお守りを買い、もう一度上手くいくよう願いました。フリーの時間が終わるとバスに乗車、野田川駅(旧称「丹後山田」駅)に向かいました。



Ktkq2  野田川駅舎には鉄道資料館があり、写真の丹後山田駅表札、ほか多数が展示されます(写真)が、写真は今回はこれだけです。



Ktkq3  丁度特急”タンゴディスカバリー”と”タンゴエクスプローラー”の行き違う時間とのことで、入場券を買いホームに出ます。3番線には先ほどの”たんご悠遊”号の編成、KTR706と707の編成が、折り返しを待っています(写真)。



Ktkq4  間もなく”タンゴディスカバリー”がやって来ます(写真、手前KTR8002、奥同8001)。行き違いの筈が、すぐに発車。どうして?と聞くと、ツアコンの携帯に、福知山線車両故障で”タンゴエクスプローラー”は20分遅れると掛かり、残念。まあ、仕方ありません。予定が遅れないよう早々に出発します。



Ktkq5  丹後山田駅から分岐していた加悦鉄道(廃線)加悦駅に到着(写真)。位置は元の位置から移動したとのことですが、雰囲気は良い感じです。



Ktkq6  中には当時の資料多数でしたが、写真は明治7年初代大阪駅を出発する12号機関車で(写真)、同機は後の123号となり、更に加悦鉄道2号機関車として、現在も加悦SL広場に保存されるそうです。行きたくなります。



Ktkq7  そのとおり次は加悦SL広場です(写真)。写真の旧駅舎から中に入ります。



Ktkq8  サプライズは、旧車キハ101が、エンジンをかけたこと(写真)。私たちを乗せて動きました。



Ktkq9  キハ101の運転の様子(写真)。機械式で、クラッチを操作し運転します。しかし自動車のように操作は簡単にはいきません。左の大きいハンドルは、ハンドブレーキです。



Ktkq10  それだけではありません。端の「森ブタ」、DB201もエンジンをかけました(写真)。SLを内燃式機関車に改造することで有名な、森製作所の製品です。



Ktkq11  その隣、「カトーくん」KD-4もエンジン起動(写真)。こちらは2サイクルエンジンだそうです。



Ktkq12  建物前はホームになっており、左1261、右加悦2号のSLが並びます(写真)。加悦2号は1867年英国スチーブンソン製です。日本では2番目に古いSLだそうです。



Ktkq13  そして転車台に戻ります(写真)。奥には屋根付きの検修庫があります。



Ktkq14  入れ替わり中の様子が見学できました(写真)。写真は加悦4号、大正製の国産SL、エアブレーキを後付けした関係で、ボイラ右にコンプレッサー、左に大きなエアタンクを2つ持つ旧式機です。



Ktkq15  しかしここの訪問は2回目なので、あまり多くは載せません。昔の記事を見てください。そして外に出ました。



 駐車場横にはトレインカフェがあり、それは元南海の車輌です。右の原色を残す1202の車内が、特別に公開されました(写真)。カフェの客室になっています。



 そして時間になり、バスに乗車し、和田山から”はまかぜ”に乗り帰宅しました。



 大阪からの乗車は、到着時間に追われます。さあ、間に合うか。



 それでは、次回をお楽しみに。

EuroWave(Story2)#2

Mosq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、フランス編おまけです。写真は言うまでもなく世界遺産”Mont-Saint-Michel”です。



Mosq2  バスでパリ郊外に出かけた第2投稿者は、とある田舎町で駅カフェへ。そこで、写真のような機関車を見つけました(写真)。オレンジ色の機関車、”26032”と番号が書かれています。SNCF(フランス国鉄)の車輌であることは間違いありません。ヨーロッパ風シングルアームパンタグラフを二丁装備します。



Mosq3  島式ホーム反対側にも、同様な機関車が(写真)。こちらは”26009”と書かれます。いずれもリンク式の連結器、ヨーロッパでは標準的な連結器です。先回の一般型電車も連結器はリンク式で、乗り心地は良いのでしょうが、連結時の危険は伴います。なお、TGV先頭部は連結器が格納され、2編成運転が出来るようになっていますが、勿論これはリンク式ではない、密着自動連結器だそうです。



Mosq4  客車には、各種表記が描かれます(写真)。各種記号はイタリアのものと似ており、EU共通か。なお、列車としては”InterLoire”とかかれ、ロワール地方の列車だと分かります。欲を言えば七三分けで写して欲しかったのですが、コンデジという機材の限界から、こうなりました。D200を貸すべきだったか。



 これで、フランス編は終わりです。次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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