ありますねえ!

Hitaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、ひたちなか海浜鉄道の「湊線ふれあいファン感謝記念祭」を取材しました。



 今日のイベントに合わせ、昨日は何処かに行こうと思っていましたが、抜けられない仕事が出来てしまったため、アウト。折角の晴天を、無駄に費やしてしまいました。そして夕方発。夜中に滞在先に辿り着き、投稿もせず寝てしまいました。



 今朝目覚め、遅めに勝田駅へ。湊線の1日乗車券を買う旨意思表示すると、有人改札を通ることが出来、そして1番線に設けられた内改札で乗車券購入。丁度列車は行った後で、30分ほど待つと、キハ20系の3連が入線します(写真)。手前が気動車準急色の、キハ2004、始め3連です。今日のための特別編成です。



Hitaq2  反対側、キハ222です(写真)。青のツートンです。中間に朱色のツートン、キハ205を挟みます。キハ222に乗車しました。



Hitaq3  キハ222の車内(写真)。車端がロングシートのセミクロスシート、床は木張りです。通路に蓋になっている部分がありますが、これはエンジン点検用の蓋で、ここからシリンダーヘッドを外します。すなわち、この車輌は初期型のキハ20系で、機関は横置き型のDMH17Hではなく、その原形DMH17(縦型)を使っているということです。遮音性は問題ですが、鉄道ファンには音が大きく良い感じか。昭和37年富士重製でした。なお、JRに現存するキハ20系(キハ52)は、横置きのエンジン、DMH17Hを用いている最終形です。



Hitaq4  そして約40分、終点阿字ヶ浦に到着。15分間の停車、絶好の撮影チャンスです。キハ2004始め3連、待機の姿です(写真)。



 茨城交通時代、保留車が並んだ側線には、現在車輌は残っていません。



Hitaq5  列車は折り返し勝田へ向かいます。編成写真撮影後、隣の車輌へ移動。キハ205の車内です(写真)。昭和40年帝国車輌、平成8年水島臨海鉄道から移籍してきました。床はリノリウム張りですが、エンジン点検蓋はあります。



Hitaq6  続いてキハ2004の車内(写真)。昭和41年新潟鐵工所製、留萌鉄道から移動してきました。床は木張り、これもエンジン点検蓋があります。



 キハ20系は、キハ17系に続き製作された量産系列、全国各地に見られ、同型は各地の私鉄にも用いられました。それらは廃線後茨城交通と水島臨海鉄道に集まり、調子の悪いものは部品取りにも使われたのでしょう、共通設計の車輌で、整備にも都合が良かったのでしょう。しかし冷房化の波には勝てず、両社とも新車を製造、だんだん余剰になってきました。



 因みに、鉄道博物館、佐久間レールパークの双方に展示されるキハ20系は、何れも茨城交通から譲受した車輌です。



Hitaq7  そして、今日のイベント会場那珂湊に到着。ホーム側線には、引退したDL、ケキ102が(写真)。昭和32年新潟鐵工所製です。



Hitaq8  運転台の様子が見られました(写真)。真ん中のブレーキに、幾つかのマスコンが。前後のエンジンを手動で調整するのか。運転は複雑そうです。



Hitaq9  矩形庫の隣には、三木鉄道最後の1両、ミキ300-103が(写真)。他の車輌との併結は不可能で、何故入線したかは分かりませんが、冷房付き新車を製造するよりは安く、お手頃だったのか。阿佐海岸鉄道は残念、高千穂鉄道の生き残りを入れました。高千穂鉄道も、車輌を真っ二つに切断することはなかったですね(最悪、東南アジアにだって「冷房車」として売れたのに)。



Hitaq10  すると、先ほどのキハ20系3連が、1両切り離し、2連に解結されます。キハ2004は切り離され、2両が阿字ヶ浦に向け発車後、入換、矩形庫に転線します(写真)。



Hitaq11  そして入庫、エンジンを停止します。那珂湊駅北側の位置関係は、写真のとおりです(写真)。



Hitaq12  車庫に入れました。茨城交通のバスも停まる車庫内、ボンネットバスが来ていました(写真)。何故か、「山形交通」です。



Hitaq13  矩形庫の奥の整備工場の部分には、保留車があります。写真は、塗装を再整備した羽幌炭砿鉄道キハ223です(写真)。茨城交通当時は、阿字ヶ浦の側線で朽ち果てるのを待っているかのようでしたが、やはり歴史的価値があるのか。雪よけの回転窓が特徴です。後には、キハ202、キハ204がありました。



Hitaq14  一番端には、首都圏色を身に纏った、キハ20 429が(写真)。ヘッドライトが改造されています。



Hitaq15  以前も、ステンレス製の気動車で、ダルマになった車輌があると書きましたが、先回訪問時の場所にはなく、解体されたかと思っていた車輌は、庫内の位置が移動しました(写真)。しかも、ケハ601という名前まで書いてありました。日本初のステンレス車輌とのことです。



Hitaq16  中に入ります(写真)。ビニールクロスのロングシート、クッションは藁なのだそうです。床は当然木張りでした。車内ではパネル展が行われていました。写真左端、ドア前の吊革のうち、斜めになっている2つは、新製当時のままのものだそうです。



Hitaq17  そして駅に戻ると、キハ205始め2連が那珂湊に入線します(写真)。



 この後、撮影会等が行われましたが、時間の都合もあり、断念、次の勝田行きで帰宅しました。



 茨城交通が経営をやめ、第三セクターになった「ひたちなか海浜鉄道」。やはり旧車は宝です。整備は困難かもしれませんが、少しでも長く維持して欲しいものですね。今後に期待します。



 それでは、ここで録音を。最初は、キハ222に乗車した、勝田から阿字ヶ浦までの全線の音声です。機関の音を、お楽しみ下さい。



「Kiha222.wma」をダウンロード(約27分)



 続いて、キハ205の音です(一部区間)。機関の違いは、分かりますか?



「Kiha205.wma」をダウンロード



 次は、キハ2004の音です(一部区間)。こちらも、どうでしょう。



「Kiha2004.wma」をダウンロード



 最後は、現在の主力、キハ3710の音です(一部区間)。これはターボ車で明らかに違うと思いますが、そこまで表現できたでしょうか。



「Kiha3710.wma」をダウンロード



 こんな感じです。



 動画も入れたかったのですが、カメラ不調で、録画出来ませんでした。残念。



 それでは、次回をお楽しみに。

銀色の日々#9

Muraq1 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、東北遠征の帰り道からです。



 昨日の新潟まつだい(松代)から上越インターに行き、上信越自動車道に入り、その気になれば今日の未明にも帰宅は可能でした。しかし、上越まで来たら長野を通ることから、夜が明けるのを待って、今月遂に架け替えなった長野電鉄村山橋に行くこととしました。



 まず写真は、平成19年12月、旧村山橋の様子です(写真)。冬の早い日没で、暗い写真となっています。



Muraq2  間もなく「マッコウクジラ」3500系(元営団日比谷線3000系)がやって来ました(写真)。現在では貴重なシーンです。



Muraq3  取り付け部の様子(写真)。このように、村山橋は鉄道道路併用橋として長く使われていました。左端が鉄道部分です。



Muraq4  この村山橋が、老朽化のためでしょうか、それとも道路の道幅が狭かったからでしょうか、本年11月初旬に新橋梁に切り替えられました。実はイベントも行われましたが、残念ながら他のイベントに参加したため、渡り終え、渡り初めには行けませんでした。



 同橋梁は平成19年当時、既に新橋梁の西行き、及び橋脚は完成しており、東行き及び鉄道橋梁が今回完成しました(写真、北側からの撮影)。手前緑色のトラス橋が旧橋梁、奥の茶色が新橋梁です。



Muraq5  間もなく長野電鉄8500系(元東急8500系)3連がやって来ます(写真)。新橋梁北側桁の北側部分が鉄道橋部分です。



Muraq6  同橋梁の長野側の取り付け部(写真)。このスロープの部分から付け替えられ、新線に切り替わりました。一番手前のまだ新しいコンクリート桁橋も、無用となりました。



 そして帰宅しました。



 今回も長い遠征でした。もう止めよう、と思っても週末になると出かけてしまいます。いつ、最終回になるのでしょうか。



 それでは、次回をお楽しみに。

銀色の日々#8

Sekq1_2  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、東北遠征2日目です。



 今朝は滞在先を発ち、向かったのは、昨日最後の目的地であった、仙台市営地下鉄南北線富沢車庫に併設される、仙台市電保存館です。しかし開館は10時で到着が早すぎ、駐車場で待っていると、交通局OBでしょう、職員の方が、「鍵は開いています。」とのことで、時間前ながら入場しました。



 最初は、市電1号です(写真)。全木造の電車、大正5年川崎製のようです。



Sekq2_2  車内の様子(写真)。中も全部木造ですが、今走っていても違和感は感じません。運転台を見ると、マスコンには「制御器」「川崎造船所」と刻印されていました。



Sekq3_2  続いて、400形415です(写真)。昭和38年日車製です。こちらの車内はリノリウム張りで、冷房がない以外は今の路面電車と同じです。



Sekq4_2  続いて100形、123です(写真)。昭和27年新潟鉄工所製、こちらの床は木床で、昭和40~50年代のバスと同じ雰囲気か。



 昭和50年代に仙台市も市電を廃止し、その後バス事業者でしたが、現在は地下鉄南北線が開通し、東西線が建設中です。市電廃止後軌道系が復活するまで時間があると、バス車庫の片隅に追いやられ解体、というパターンを辿りますが、運が良かったと言うべきか。



 なお、同館は地下鉄富沢駅から、市のジャンボタクシーが出ているようです。入場は無料、しかし氏名と住所の記帳が必要です。



Sekq5_2  続いて、福島県伊達市内にある、「やながわ希望の森公園」に行きました。阿武隈急行の駅前に行くと、「SL乗場」なる看板が。早速行ってみると、写真のとおりシャッターの下りた車庫二つと、転車台、そしてホームがありました(写真)。しかしホームには「SL故障により、本年の営業は終了しました。」と書かれていました。残念。駅前の東口駅から、西口駅まで営業していたようです。



Sekq6_2  福島に行ったので、郡山に寄りました。郡山には、JR東日本郡山総合車両センター(旧称「郡山工場」)があります。工場前の踏切からは、解体中の415系が望めます(写真)。左クハ411 1603、右モハ414 1503と読めます。確かに原設計は昭和30年代、筑波科学博対応のため在来車と同じ抵抗制御でしたが、ステンレスボディのまだ新しい車両、勿体ない気がします。しかし、やはり国鉄型ということで、JR東日本は嫌いなのでしょう。すると、中途半端となった501系10連も、こうなるのか?まさか、ドイツ・シーメンス製のドレミファインバーターを捨てるとは思えませんが。



Sekq7_2  東側には、485系3000番台(黄色)が(写真)。恐らく、検車のため入場したのでしょう。青森車両センターから、羽越線、上越線を経由して入場するのは、第三セクターを通らないためです。



Sekq8_2  ラッキーだったのは、先日仙石線を引退して話題になった、103系を捉えることが出来たこと(写真)。手前から、クハ103 235、モハ103 343です。ヘッドライトは原型の大目玉ではなく、シールドビーム2灯で落成した車両でした。これで、JR東海に続き、JR東日本からも103系は消滅です。



Sekq9_2  工場西側には、京浜東北線用209系が、4連になり並んでいます(写真)。房総向けなら、5連か6連ではないかと思うのですが、どうでしょう。まさか、仙石線に使うわけないでしょうが。



Sekq10_2  その房総向けに落成したのであろう209系が、組成待ちか、出場待ちかで工場から顔を見せます(写真)。後には、DD14などもありました。



Sekq11_2  郡山から次の目的地に行く途中、磐越道で、只見線駅前に保存されるC11を思い出し、車をパーキングエリアに停め、このブログを読み返しました。すると、「会津柳津」駅前であることが判明。早速高速を降り、向かいました。



 同駅前には、C11 244が、屋根付きで保存されます(写真)。昭和18年日車製、昭和48年に廃車、同駅前に保存されます。



Sekq12_2  続いて、新潟県立自然科学館(新潟市)へ行きました。入場料550円を払い(プラネタリウムは追加料金要)、屋内展示はトレシビックのSLのレプリカ、スワローエンゼルの12分の1の模型、そして新潟鉄工所製の船舶用ディーゼルエンジンだけで、高かったなあ、と思い、出ようと思ったその時、「屋外展示場 順路」と書かれた看板を見て、気を取り直し、行ってみました。



 ロケット、三菱MU-2、南極用雪上車、他多数展示されていましたが、最初は魚沼鉄道(廃止)ハ2です(写真)。木造のオープンデッキ客車ですが、製造した新潟鉄工所で保存されたものを、同館に寄付したそうです。



Sekq13_2  もう一つは、9600形29622です(写真)。国産初の大型SL、大正の名機で、力があり重宝されましたが、それ故に満州へ多数出征し、帰らぬ客となりました。そのため、本来ならD51より多いはずだった数は、少ないです。保存状態は、普通、しかしキャブには透明なプラ板が張られていました。



Sekq14_2  高速からの途中、「交通公園」なる看板があり、帰りに気になって行ってみると、SLがありました。車を少し離れた県営球場にしか停められず、少し時間をかけ行ってみると、C57 19が保存されていました(写真)。しかし、プレートは全て喪失し、保存状態はイマイチです。「鳥谷野交通公園」内にあります。



Sekq15_2  そして今日の最後は、ほくほく線「まつだい」です。どの高速からも遠く、山道を抜けると、道の駅を併設した同駅があります(写真)。大きいのが道の駅、横の平屋が「ほくほく線」の駅です。



Sekq16_2  同駅には、「ほくほく線資料室」なるものがあると書かれ、行ってみると、ほくほく線の、大正時代の請願から平成の完成までの年表、各種資料、平面図・縦断図があります(写真)。日没後でしたが、鍵が開いており、撮影しました。地形から、現代土木技術がなければ完成し得ないことが分かるでしょう。



 そして今日の滞在先に向かいました。



 最後の保存の瞬間に回線が切断し、1回全部パーになってしまった今回、それでも投稿するのは、意地でしょうか。



 明日は予定はありませんが、晴れたら、どこか行きたいですねえ(現在雨が降っています)。



 それでは、次回をお楽しみに。

銀色の日々#7

Imaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、東北地方に来ています。



 今回の遠征の目的は、「シルバーウィーク」に行った東北遠征の際の、取材漏れを取材するため。そのため、今回は、先回の最終到達地である、陸羽東線岩出山駅(宮城県大崎市)から始まります(写真)。駅前の京三工業製スイッチャーもそのままです。



Imaq2  同駅には鉄道資料館が併設されます(写真、左側、右側はJRの駅)。先回は時間が遅く閉館後でしたが、今回は開館時間中に到達したので、中に入ります。



Imaq3  中は写真のとおり、地元産品物販店に併設された施設です(写真)。更に中、資料館に入ります。



Imaq4  入口目の前には、SL動輪を模した「鉄道資料館」看板、その後には「岩出山駅」と書かれた木製の看板が(写真)。今は使われていません。



Imaq5  内部には、陸羽東線のNゲージジオラマを中心に、鉄道部品、切符、写真パネルを展示します(写真)。ジオラマには、現在鉄道模型は走っていません。



 こんな感じで岩出山を後にしました。



Imaq6  続いて、同じ大崎市内、旧松山町にある松山人車軌道へ。松山町中心部にある千石城跡に、ニブロクの線路が敷かれます(写真)。延長は、500メートル位あるでしょうか、コスモス畑を囲むように敷かれています。



Imaq7  中間点には、分岐する線路と、シャッターの下りた倉庫が(写真)。「人車」(人力で押す軌道車両)が、この中に入っているようです。オフシーズンで、今日は動きません。残念でした。



 そして次の目的地を目指します。



Imaq8  次の目的地に移動する最中、道沿いにSLが展示されます。早速車を停め、取材しました。



 森郷児童公園と書かれた公園に、こちら側にはSL、C58 354が展示されます(写真)。



Imaq9  その南側には、ED91 11が展示されます(写真)。同機は、切り抜き文字で「東芝」と書かれます。



 位置的には東北本線支線(利府線)利府に近く、どうも東北本線旧線上になるようです(現在は、松島寄りに移設され、利府以北は廃止された)。仙台に新幹線車両センターが設置されたことを記念して展示した、と看板に書かれていました。



Imaq10  そこから僅かな距離で、利府線の現在の終点、利府駅に到達しました(写真)。旧線跡には、以前は多くの交流電機が展示されていましたが、ワールドカップ関連で移動、広場になった後、現在はパークアンドライド駐車場になりました。



Imaq11  そして次の目的地、新幹線車両センターへ(写真)。車両整備工場、イベント以外で一般の入場は出来るか疑問でしたが、入口の守衛室で記帳すれば入場は可能でした(見学可能範囲は限定されている)。そして建物に入り、HOゲージとプラレールのジオラマを撮影しました。



Imaq12  続いて、建物前の車両展示を(写真)。左から、200系初号車である221-1(後にビュッフェ合造車237-1を従える)、”STAR21”953-5(後に953-1を従える)、200系の試作車961-1、961-6が展示されます(写真)。このうち、961-1、961-6は車内を見学できました。



Imaq13  961-6の運転台(写真)。左側は0系同様のスピードメーター、右側にブラウン管がありますが、これはコンピューターのCRTで、昭和50年代当時のコンピューターの画像出力は、ブラウン管しかありませんでした。現在は液晶かLEDなのは常識ですが。



Imaq14  運転台の下の機器室は、現在ATC等の部品が撤去され、空洞になっています(写真)。前頭部のFRPの部分が透き通っています。



Imaq15  新幹線の横には、EL、SLが(写真)。特にELは、ED71 1、ED75 1、ED77 1、ED78 1、EF71 1、ED91(と思われる、番号不明)と、東北の電化の歴史に欠くことべからざる機関車が、利府駅前から移動してきました。しかし悪戯も多く、少し不安です。



 他多くの記録を行い、入場証を返却し、次の目的地に向け出発しました。



Imaq16  そして次は東北福祉大前駅へ。同駅前には、東北福祉大の駅前キャンパスに併設された、鉄道交流ステーションがあります(写真)が、今日は土曜日だからか、他のイベントがあったからか、公開していませんでした。建物前には電車の動車軸が展示され、中にはHOゲージのジオラマがあるようです。



 そして寄り道をしてから次の目的地に向かうと、日没、結果仕方なく今日の行程を終え、滞在先に向かいました。



 今日はこれで終わりなのは残念ですが、寄り道が悪いのです。しかし、仙台で、酒っていったら、あそこを思い浮かべません?やはり酒食は楽しみですよ!



 次回は、今日の続きです。お楽しみに。

恨みの雨#3

Umiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日3回戦、埼玉高速鉄道浦和美園車両基地で行われた、”県民の日「車両基地見学」”を取材しました。



 新前橋を午前中に、尾久も早々に引き上げましたが、大体イベントは午後2時半入場終了、3時閉場で、尾久を出た時点で既に午後1時半、間に合わない可能性が。王子作戦と東川口作戦がありましたが、尾久で最初に来た電車は下り電車、赤羽では大宮行きが最初に到着し、結果南浦和から武蔵野線に乗り、東川口を目指す、ということにしました。



 昨日はご存じのとおり京葉線が強風でダイヤが乱れ、結果乗り入れる武蔵野線も乱れていましたが、なんとか来た列車に乗れ、ギリギリ2時半に浦和美園に到着しました。



Umiq2  最初に車輌撮影を希望しましたが、既に閉場準備が始まっており、車輌展示の区画は観客全員が外に出て、閉鎖されていました(写真)。入口からは、写真のとおりです。



Umiq3  左側のアップ(写真)。東急5080系5688始め6連、その右は東京メトロ9000系9816始め6連です(写真)。



Umiq4  右側は、東京メトロ9000系9823始め6連、埼玉高速鉄道2000系2803始め6連、東急5080系5689始め6連です(写真)。東急は目黒線になってからの編成なので、全て同一ですが、東京メトロ9000系は増備の時期により正面デザインが異なり、東西線05系のように変化があります。



Umiq5  手前の建屋には、埼玉高速鉄道2000系2809始め6連が入ります(写真)。横では模型運転会が行われていました。



Umiq6  地下道を戻り、一番手前では、原付を改造した軌道スクーターが、親子連れを乗せ往復します(写真)。軌道自転車から発展した車輌、原付を2両並べたような正面です。





 運転の様子は、以上のとおりです(12/3追加)。



Umiq7  隣では、架線工事用の内燃式業務用車、後は内燃式クレーンが、乗客を乗せ往復します(写真)。



Umiq8  南側のクレーンは、写真のとおりのナポレオン式クレーンです(写真)。重量物吊り上げ用でした。





 運転の様子は、以上のとおりです(12/3追加)。移動距離が長いので、冗長な画像となっています。



Umiq9  業務用車に気を取られているうちに、埼玉高速鉄道浦和美園車両基地ご自慢の、無線操作ができる内燃式牽引車が、駆動機関を停止しました(写真)。この車輌が動く姿は動画投稿する価値がありましたが、気付いた時には既に手遅れでした。赤・黄・緑の3色のパトライトが、移動方向の前後を示すようです。奥ではコントローラーを子供に操作させていました。





 合間に運転の様子が写っていたので、挿入しました(12/3追加)。フレームが固定せずイマイチですが、雰囲気をつかんでいただければ結構です。



 これを撮り終える頃からか、場内に響く音楽が変わり、「蛍の光」になりました。残念ながら、これで最後になってしましました。



 次回は、もっと上手に回りたいと思いました。そして無線牽引車の動画の撮影を誓い、帰途に就きました。



 浦和美園で乗った電車は、日吉行き。日吉はあまり好きな場所ではないのですが、目黒線をスルーしたい気持ちもある。考えましたが、結局東川口で降りてJRに乗り換え、帰宅しました。



Umiq10  おまけ1。京浜東北線に乗っていると、横をEF65 1103号機が、単機で貨物線(湘南新宿ライン)を走っていました(写真)。運が良いのか。



Umiq11  おまけ2。武蔵野線は205系、外観は帯色以外山手線時代と変わりがないように見えますが、電動車モハは全て5000番台、全部VVVF制御に交換されました。かつては103系混色編成が見られた同線、大体旧式車が最後に辿り着く路線でしたが、今はその地位は京葉線に譲り、古い車輌はありません。つまり、京葉線を置き換えれば、首都圏通勤車輌は全て置き換えが完了する、ということなのです。



 そしてビールを飲まずに帰宅後、そのまま愛車で出発したのですが、今日は雨の中三振してしまいました。投稿するかは、未定です。



 それでは、次回をお楽しみに。

恨みの雨#2

Okuq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の2回戦、JR東日本尾久車輌センターで行われた、「みんな集まれ!ふれあい鉄道フェスティバル」をお届けします。



 新前橋を早々に立ち去った私は、高崎で上越新幹線に乗り、上野へ。大宮で降り、3回戦と入れ変える手はありましたが、上野まで乗り、宇都宮線一駅、尾久へ。日本鉄道が開設した伝統の駅、しかし各停の京浜東北が通らない同駅は、メインルートを外れている気がします。



 そして駅前の地下道を潜ると、間もなく尾久車輌センター、以前は正門まで延々と行列が並んでいましたが、現在は地下道入口前のゲートを開放、便利になりました。



Okuq2  保線機械の後に、今年も”きらきらみちのく”が(写真)。キハ40ベースの、キハ48 1506、1158、1505の3連です。下北で撮ったのと同じです。



Okuq3  道沿いの建屋には、VIP編成、E655系が(写真)。お召し編成ともなる同車、塗色は複雑な色です。



Okuq4  側面の方向幕(写真)。フルカラーLED式です。しかし架線のない尾久客車区で、どうやって電気を供給しているのか。それは、こちら側の先頭車クハE655 101の床下に、ディーゼル発電機が設置され、これが駆動しているからです。電化区間ではSIVでも供給できますが、非電化区間でDLに牽引される時は、これしか電源はありません。中間にE655-1を連結すると、同編成はお召し編成に変わります。



Okuq5  続いて、カヤ27 501です(写真)。”カシオペア”のカハフE26 1が不調時に使用する予備電源車、種車はカニ24です。この車輌がここにあることは、JR東日本にとっては良いことです。



Okuq6  建屋を出ると、EF65 1107が展示されています(写真)。田端機関区に配属され黒磯までの客車牽引も受け持った同系式、こちら側には「あけぼの」のヘッドマークが掲出されています。



Okuq7  同機の反対側は、通常は見られなかった組み合わせ、ヘッドマークは「富士」「はやぶさ」です(写真)。仮に組み合わせが実現しても、機関車は下関運転所のPFで、田端のPFではなかったでしょう。



Okuq8  横には、「レインボー」塗色のPF、EF65 1118です(写真)。しかし、同機はEF65としては2代目で、初代は現存しません。旧式客車を従えます。



Okuq9  尾久車輌センターの一番西に当たる転車台には、EF81 81が載っています(写真)。正面には「JR」の留め金で、日章旗がクロスになっています。



Okuq10  同機の側面には、区名札「田」(田端機関区)、運用札「御召」が入ります(写真)。真鍮か金箔か、金色に光ります。



Okuq11  北の端には、DE11 1034が(写真)。昭和48年川崎製、区名札は「宇」(JR東日本宇都宮運転所)が入ります。DE10に死重を追加した重入換専用機、必要とした貨物ヤードの無くなった現在、なかなかお目にかかれない形式です。



Okuq12  南側には、大型の保線機械、バラスト交換機が(写真)。余りに大きく、なかなか展示できない車輌です。保線には欠かせません。通称は「青太郎」と、案内には書いてあります。



Okuq13  こちらは用途が無くなり解体を待つのか、マヤ34 2004が(写真)。塗装が傷み、このまま廃車か、と書いてから2年経つのか。鉄道博物館に展示するわけにもいきませんし。



Okuq14  続いて、DD51 842が(写真)。高崎車輌センター所属の同機、新前橋で展示されていた895同様、磨き出しが行われています。これで新前橋と尾久のイベントが同日でも、双方の顔が立ちました。「ゆうづる」のヘッドマークが掲出されますが、こんな組み合わせ、実車であったのでしょうか。



Okuq15  同機の反対側は、「エルム」になっていました(写真)。



Okuq16  続いて14系客車、「ゆとり」が(写真)。手前スロフ14 702、奥は同701です。しかし、中間車は、どうなってしまったのでしょうか。



Okuq17  尾久駅側の隅、仮設トイレの後には、DE11 1041が(写真)。これも「宇」、昭和48年川崎製です。先ほどの1034は切り抜き文字でしたが、これはナンバープレート式になっています。これらの車輌により、今日のイベントの準備は行われました。



Okuq18  そして出入口前には、架線整備用の軌陸車が(写真)。手前にはシングルアームパンタグラフ、後はステージ式のクレーンになっており、ここにヘルメットをかぶり安全帯を締めた子供たちを載せ、アームをのばし、約5メートルほど上空まで上昇しました。





 (12/3追加)動作の様子は、以上の通りです。



 こんな感じで記録を終え、次の目的地に行きました。



 何度来ても良いのは、やはり架線がないところでしょうか。準備は大変でしょうが、撮るには都合良く、良い感じでした。次回も来たいですが、来年も同日で3箇所重なるのでしょうか。



 今回は、3回戦があります。次回をお楽しみに。

恨みの雨#1

Simq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は今日の1回戦、JR東日本高崎車両センター新前橋運輸区(旧新前橋電車区)で行われた”新前橋トレインフェス’09”をお届けします。



 昨晩自宅を夜行バスで発ち、早朝東京着。今日の3つのイベントをどう回ろうかと考えました。東京から一番遠い新前橋が途中や最後になると、往復の無駄が生じます。時間的に余裕がある早朝を有効に利用することを考えると、やはり最初に一番遠い新前橋に行き、続いて近づいていけば良い、と判断し、早朝の高崎線で新前橋入りしました。



 新前橋電車区は、新前橋の駅前からも見えるほど近くにありますが、入口が分からない。今朝駅で降り、橋上駅舎から西口に向け歩くと、歩道橋になっており、そこから全景が見渡せました(写真)。今日のイベントへの期待が高まります。



 しかしこちらは降り続く雨。待っているうちに、カメラバックに水が染み込んでいきます。慌ててレインカバーを被せました。



Simq2  そして待つこと1時間、イベントが始まりました。先ずは同所所属の185系、OM02編成が、新特急「あかぎ」のヘッドマークを掲出しています(写真)。「あまぎ」を継いだ「踊り子」の0番台に続き、当初「新幹線リレー」、新幹線上野開業後は主に新特急として使われました。



Simq3  続いてその横には、左から183・189系OM103編成「あさま」、115系T1143編成、107系R9編成が並びます(写真)。碓氷峠廃線後、183系・189系は混用され特急「あずさ」に使用され、「あずさ」へのE257系投入により団臨用に転用、急行形車両を玉突き廃車に追い込みました。待機中には白地の「とき」が掲出されており、そのまま出してくれてれば良かったのですが、残念。



 隣の115系は、1000番台で、宇都宮線・高崎線上野口で使われた115系とは一世代違います。



Simq4  「あさま」の先頭車、クハ182 102の側面には、「特急 あさま 横川」と書かれ、こんな表示もあったのだと、初めて知りました。



Simq5  その隣、則ち右奥には、左からEF64 1001、EF65 501、DD51 895が並びます(写真)。EF65は、丸い「富士」のヘッドマークが掲出されます。DD51 895はお召し用で、台枠側面がステンレスで飾られ、その他の部分も銀色が塗られています。正面は「新前橋電車区50周年」ヘッドマークと、日章旗のクロスが飾られています。この状態で、高崎車両センター本所から回送されてきたのでした。



Simq6  後側から眺めた図(写真)。DD51は「さくら」が掲出されます(長崎本線非電化当時の姿)。他はすっぴんです。



Simq7  後の検修庫には、各種部品が展示されます。写真は昭和50年代の国鉄型標準型クーラー、AU75です(写真)。その後効率の良いクーラーが開発され、JR各社が地域の事情に応じ使い分けています。



Simq8  先は屋外になり、また入口があります。中にはいると、何と団臨用車両、「やまなみ」(TG10編成、左)と「せせらぎ」(TG11編成、右)が並んでいます(写真)。兄弟車、485系に分類されますが、交流用機器は新製、他の部品は183系・189系の再用で、つまり抵抗制御です。ほかJR東日本の多くのジョイフルトレインは、同様の出自です。



Simq9  横には107系、クモハ107 115(恐らくR15編成)が、床下機器のカバーを全て外し、仕組みの展示をしています(写真)。相方のクハ106も同様でした。



 107系は、165系の部品を再用した電車で、抵抗制御です。しかし、分類上は一応はJR化後の電車に区分されるそうです。



 JR東日本は、基本的には国鉄型は一掃したい意向を持っているようです。中距離形E233系が今後増備されれば、211系が余剰となり、これらは209系と共に房総地区の近代化に使われます。結果113系、115系は引退する運命です。やはり、古いと言えば古いですが、残念といえば残念です。



 そして時間的には早いとは思いましたが、この後の都合もあり、会場を後にしました。



Simq10  そして高崎からは上越新幹線に乗りました。電車を待つ間、反対からは200系、K26編成がやって来ます(写真)。緑の200系は、いつの間にか希少な存在となってしまいました。記録は、重要です(「なすの」が一番か)。



 それでは、次回をお楽しみに。

次回はあるのでしょうか?

Inaq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、JR貨物稲沢貨物駅(愛知機関区)で行われた、「鉄道コンテナ輸送50周年記念イベントin稲沢」を取材しました。



 今日は、本当は薩摩川内(幹セイ)で行われるJR九州の新幹線イベント、もしくはそれが困難でもJR西日本の下関車両所(広セキ)のイベントに行くべく、何日も前から長駆1,000キロの準備をしていましたが、昨日新聞記事等で稲沢のイベントを知ってしまい、考えました。既に準備は完了していましたが、こちらは来年の予定がない。そのため、来年もあるであろう薩摩川内も、下関(正確には幡生ですが)も断念し、稲沢行きを決断。早めに酒を飲んで寝てしまいました。飲酒運転をする勇気はありません。



 しかし気持ちよく寝ていると、得意技をかましてしまい、今朝は起床は遅くなってしまいました。



 そのまま自宅を発ち、JR東海道線の普通電車で稲沢に到着しました。そして西口に出るよう案内され、駅から約7分、稲沢貨物駅に到着しました。



Inaq2  入口そばには、EF64 1040号機(「愛」(JR貨物愛知機関区))が(写真)。昭和57年東洋電機・川崎重工製です。EH200投入で余剰となった機関車、そのため安住の地高崎から転出、結果EF64初期車を玉突き廃車に追い込んでいます。0番台とは性能的に揃っているそうですが、併結しての重連の例は見たことがありません。



Inaq3  その南側には、EF66 28(「吹」(JR貨物吹田機関区))が(写真)。場所的には空いていて良かったのですが、完全な逆光で、真っ黒です。



Inaq4  反対側に出ます。すると子供制服撮影会が行われ、他運転台見学も行われ、混雑しています。しかも接近しているため、APSサイズでは18ミリでも収まりません。結果、伝家の宝刀、現在レンズメーカーS社のみ製造する12~24ミリズームを使いました(写真)。異常な接近にもこのとおり。だから、私のバッグはあんなに重いんです!



 実際、私の写真を見れば分かるとおり、望遠より広角を多用しているのが分かると思います。実際、200ミリか300ミリあれば望遠は完璧なのですが、広角はどれだけあっても足りない。今後APSサイズは放棄の予定ですので、135サイズ(FXフォーマット)対応のレンズしか買いません。APSなら12ミリまではあるのですが、今後の都合から、こうなりました。基本的には、D300もD700も部品は共用なんです。でも、電池はF6と揃えて欲しいのか、それともF6ユーザーにデジタル乗り換えを勧めるのか。まあ、中古でF100をあれだけ買い込んだ私、カメラ貧乏にならないよう心がけます。



Inaq5  南側にはDD51がありましたが、ストーリーの都合上後に。そしてその南側には、現在最新のコンテナ貨車、コキ107が。現在最新の形式となります。本年夏に新製されたばかりの新車、まだピカピカです。284番と283番が展示されていました。台車はFT3A形(写真)、ボルスタレスの形になっているのか。いずれにしても、最新です。



 国鉄時代には、幹線はコキ50000形が主流でした。95キロ対応のとび色のコンテナ貨車で、後に緑の100キロ対応改造車250000番台、更に黄色の110キロ対応改造車350000番台も登場しました。しかしJR化後、JR貨物の最重要貨車であることから新製が始まり、いろいろな経緯の後コキ100形・101形が登場(ユニット形)、それをベースに1両単位で運用できる青色のコキ104が登場、2,700両余りの量産がなされ、一気に主流に躍り出ました。その後マイナーチェンジでコキ106が登場、今日のコキ107はその改良版でしょう。既にコキ110は存在するため、今後どう付番するか。興味あります。なお、新形式のコンテナ貨車のみしかコンテナを乗せないよう指示する荷主もおり、その指定形式となっています。



Inaq6  コンテナは、主要部分は鉄道用ですが、しかし貨物駅からはトラック等に載せられます。コンテナを5トントラックに載せた姿(写真)。コンテナは台に載っており、台の大きさがJR5トンコンテナのサイズ、上には2つの小型コンテナが載り、2トンか、2.5トン積みのコンテナのようです。小口の引越荷物の積載も可能です。



Inaq7  EF66の子供制服撮影会の反対は、DD51です(写真)。847号機です。最旧形(最若番)であり、愛知機関区所属である750号機ではなかったのは残念。しかし、通常重連形500番台(SG搭載形)ではなく、SG非搭載の800番台になったのは、訳があります。



Inaq8  南側の正面の様子(写真)。当然重連対応の各種装備が設置されています。ぶら下がっているエアホースは、左からEQ、MR、連結器、BP、MR、EQとなっています。方転しても連結できる両渡りの装備は、当然です。



Inaq9  駆動機関の、DML61Zです(写真)。インタークーラーターボディーゼル、V12の機関、DD51用は1,100PSの仕様です。



Inaq10  台車には、機関車なら当然の装備、砂箱が(写真)。これは滑り止めの砂、空転時の最後の手段です。車輪の前後に設置されています。



Inaq11  中間の重量分散用付随台車には、写真のとおり速度計用の速度発電機が設置されています(写真)。鉄道の速度計は、電気式です。



Inaq12  展示機が500番台ではなく800番台だったのは、運転台公開を行っていたからです(写真)。SG搭載の500番台ならば、運転台の中心部分にSGが設置され、少人数なら問題ないのですが、多数の場合は「コ」の字形の配置が見学に不都合を生じるからです。SG非搭載車は、同重量の死重を積んで、同性能を維持しています。



 運転台は日本の機関車としては標準、左ブレーキ、右マスコン(アクセル、黒い頭のハンドル)で、左足ペダルは滑り止めの砂、右足ペダルはタイフォン(汽笛)です。ブレーキは下が編成ブレーキ、上が機関車単独のブレーキ(単弁)です。



 それではお楽しみ。最初は、単弁操作音を。



「1-DD51Tan.MP3」をダウンロード



 続いて、編成ブレーキ操作音を。音の違いをお楽しみ下さい。



「2-DD51Hen.MP3」をダウンロード



 本当は、汽笛の音も入れたかったのですが、直前に周辺から苦情が入り、音が出ないように操作してありました。



Inaq13  運転台の見学の後、場内を見学します。中には冷凍コンテナ(内装はオールステンレス)等もありましたが、一番目を引いたのは、国鉄コンテナが残っていたことです(写真)。6000形36984番と付番され、車輌並みの扱いです。



 そして色々撮影し、場外に出ました。



Inaq14  貨物駅、及び東海道線を跨ぐように道路(県道)が通っています。その北側には歩道があり、撮影が可能でした。



 東側には、DD51 1801(800番台、試作番台900番台の誤用はできず、500番台799番の続番1000番台が既に存在したため、899番に続き1801番が付番され、1805号機まで存在する)と857号機の重連が、留置線に停まります(写真)。JR貨物更新色なのが残念。



Inaq15  続いて西に歩くと、色々な車両がありましたが、丁度EF65 1078号機(「新」(JR貨物新鶴見機関区)、国鉄特急色)がありました(写真)。後のDD51更新色は、1803号機です。 そして、橋を降り駅に向かいました。



Inaq16  駅の東口側からも、留置される車体が並んでいるのが見えますが、あまり気にせず改札を入ってしまいました。



 ホームからも中の様子が見えます。先ほどのDD51の重連もホーム南端から見えました。ホーム真横には、高崎からの移籍組、EF64 1041が(写真)。国鉄色で良い感じですが、これが原因で旧式車が引退し、心苦しいです。北側にはDD51 1804号機(JR更新色)が並びます(確か最終番号1805号機は吹田機関区の配属で、「おおさか東線」などで見られます)。



Inaq17  そして一番の問題、写真はEF64 33です(写真)。運用札は「一休車」、休車です。続いて二休車、保留車、廃車と順番は続きます。国鉄色EF64 0番台で人気のある機関車でしたが、このまま廃車されるのでしょう。残念。北側には同31号機が並びますが、状況は他車に隠れ不明です。この奥側の線路には、ナンバープレートが外されたDD51が並びます。



 一通り撮影を終え、そのまま普通電車で帰途に就きました。



 イベントについては、展示車輌、特に機関車が少なかったのは残念。しかし、可能なのはこの程度なのか。でも、コンテナ50年記念だけで終わらせず、来年も是非やってください。期待しています。



 明日は大阪市交通局のイベントがありますが、どうでしょうか。しかし荒みきった自室の状況も目が逸らせないので、どうしよう。



 それでは、次回をお楽しみに。

炭鉱節?

Omtq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日大牟田市で開催された、「炭鉱電車」公開を取材しました。



 一昨日晩に、愛車で自宅を出発し、長駆800キロ、関門橋も渡り九州入り。福岡、鳥栖を南下し、ついに大牟田に到着。事前の予想通りの場所に駐車場(エスジーケミカル職員駐車場を流用)があり、車を停め、徒歩数分の場所に、炭鉱電車(機関車群)が保存されていました(写真)。工場内であり、通常は立入不可能な場所で、移動式のビニールの屋根が掛けられているようです。



Omtq2  車輌の記録を。最初は、45トン級B-B形機関車、17号です(写真)。昭和11年東芝製、各地で見られる形の電気機関車です。同型の18号機、19号機は現役で動いているそうです。



Omtq3  隣は、20トン級B形機関車、1号です(写真)。明治44年シーメンス(ドイツ)製、電気機関車としては最古の部類に入るそうです。



Omtq4  続いて15トン級B形機関車、5号です(写真)。明治41年ゼネラル・エレクトリック(アメリカ)製、本当に最古の部類でしょう。出入口が無く、窓を開け中に入るそうです。渾名は、「ガメ(亀)」だそうです。



Omtq5  続いては、20トン級B形機関車、5号です(写真)。先ほどの1号をモデルに製造された、大正4年三菱造船(現在の三菱重工でしょう)製だそうです。横には”T4-12””MITSUBISHI”と白字でペイントされます。同型の9号機、12号機は現役だそうです。



Omtq6  10時を過ぎると、シャトルバスでの来客がやって来て、賑わいを見せます。地元テレビ局も何局か取材、運転台も公開され子供たちは大はしゃぎです。私も入ります。



 最初は17号から(写真)。左は一般的なブレーキ(単弁は無いのか)で、右手のマスコン(黄色のハンドル)も、昭和40年代のEF64までとほぼ同じ形式、間接式なのでしょう。



Omtq7  続いて1号です(写真)。マスコン(左の円筒とハンドル)は直接式のようです。



Omtq8  15トン級5号は、窓から覗きます(写真)。青い大きなハンドルがマスコンのようです(ヨーロッパ風)。



Omtq9  続いて20トン級5号です(写真)。1号とほぼ同じ、完全なシーメンス製の模倣なのが分かります。追いつかねば、追い越せません。



Omtq10  これらの4両は引退し静態保存ですが、同型機には動態保存ではなく、現役機もあります。現在も荷物を石炭から化学製品に変え、三井化学専用鉄道で貨物を運んでいるそうです。



 その現役機の写真パネルがありました。これを撮っていると、「行ってくれば良いじゃない!」と言われました。休日でも朝早くなら、現在もなお稼働する同型機の様子が見られるのだそうです。是非、行きたいですね。撮影好適地(お立ち台)等、情報お待ちしています。



Omtq11  最後、帰り道、道路沿いの田畑の中に突然新品の高架があり、駅らしき構造物が構築されています(写真)。何だろうと、よくよく見てみると、これは九州新幹線の「新大牟田」駅なのだそうです。躯体は完成し、現在は最終段階のようです。それに付随する、駅前の区画整理が行われています。大牟田の新たな顔になるのでしょう。



 しかし、利用した高速のインターは南関インター、熊本県です。よくもまあ、そんな遠くに行ったものです。



 それでは、次回をお楽しみに。

天竜川の畔にて#9(最終章)

Sakl1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、今日遂に閉園の日を迎えた、「佐久間レールパーク」を取材しました。



 昨日は早く決着が付いたことから、就寝も早く、結果普通に起床しました。よく考えれば、特別運用に入る車輌群を撮影ポイントで撮影する、という選択もありましたが、あまり考えずに準備し、「青空フリーパス」を購入し、出発しました。曇のち雨という予報とは裏腹に、外は快晴で、うきうきした気分で出発できました。



 そして、豊橋で「佐久間レールパークフィナーレ号」(117系)に向け走ろうとすると、駅員に制止を受けました。その後から走ってきた人は乗ってしまいましたが、私のように大きな鞄を抱えた客が事故を起こすと大変です。結果、私を乗せずに列車は出発しました。私は、「事情は分かります。」と答え、パークに行く時にいつも乗っていた、定期の普通列車(119系)に乗車しました。



 今日は臨時列車が多数運転されるため、119系定期列車は空席が目立ちましたが、じきに埋まっていき、途中からは三脚を持つファンも乗り込み、満席になりました。



Sakl2  いつも乗る列車なので、何処で何が来る、も知っています。三河大野駅では、少し遅れた「伊那路2号」を撮影しました(写真)。373系、静シスF9編成(手前がクモハ373 9)でした。助士席には安全ベストを着た保線係員が乗っているのが分かります。この最後の日への、JR東海の神経の使い方が分かります。当然、社員は総動員です。



Sakl3  そして同列車は浦川で停車。反対ホームには「佐久間レールパークフィナーレ2号」が停まっています(写真)。海カキS8編成、こちら側はクハ116 25です。



Sakl4  そして中部天竜に到着。いつもどおり、早速留置線に停まる電車を撮影しようと、後方へ移動すると、ベンチが撤去され、荷物置き場がありません。そのまま進むと、「入場規制中ですので、撮影を止め駅を出てください。」とのことで、断念。改札の後、駅前に設置された特設売り場で記念台紙付き入場券を購入しました。通常の乗車券等もテントで買います。



 そのまま線路に沿って南側に行くと、踏切があります。そこを渡ると、間もなく踏切が鳴り出します。「佐久間レールパークフィナーレ13号」が中部天竜に到着しました(写真)。海カキS13編成、手前クハ116 204でした。



Sakl5  そのまま北に向かうと、道は駅の線路そばに寄ってきました。そこから眺めると、中部天竜駅ホーム東側の留置線には、キハ75の2+2連(海ナコ(名古屋車両所)所属)が停まっているのが分かります(写真、手前から6、106、208、308)。隣は先ほどの117系、海カキS13編成です。こちらは折り返し準備中です。



Sakl6  更に北に向け線路に沿って歩くと、列車の反対側に。左はキハ75 308、隣はクハ116 204です(写真)。普段は119系が停まるパーク沿いの留置線にも117系、海カキS4編成が停まりますが、編成全体は上手く写せません。



Sakl7  北側から踏切に戻って来ると、間もなく117系が折り返しを。海カキS13編成が「佐久間レールパークフィナーレ4号」として、クハ117 26を先頭に、豊橋に向け出発します(写真)。今日はピストン輸送です。



Sakl8  そして入園します。先ずは手前の局舎(第1展示館)2階に上り、留置線の117系を(写真)。海カキS4編成、手前クハ117 105です。



Sakl9  後の展示館は、日本最大級といわれるプラレールジオラマです(写真)。トミカのパーキングタワーのような、プラレールの高架が何段にも重ねられたレールに、色々な車両が載っています。入口側のカーペットの上では、子供たちが思い思いに遊んでいます。親子連れにも良い場所でした。



Sakl10  階段を降り、普段の入口を見ると、写真のとおりの看板が(写真)。同パークの車輌も多数移動します。しかし今日は、この入口は閉鎖され、道路側に入口が設けられました。



Sakl11  記念撮影台の閉園までのカウントダウンも、「0日」となっています(写真)。いよいよ、閉園です。



 園内を巡っても良かったのですが、車輌自体は同じで、車内公開も今までの公開分が全部開放されましたが、今までの取材と同じであり、また行列も長かったので、園内は通り一遍で止めてしまいました。



 オハ35では車内コンサートが開催され、ピアノとトランペットの音がして、グランドピアノをどうやって車内に入れたのだろう、と思っていましたが、今は音も本物そのままの携帯型電子ピアノもあることを思い出し、納得しました。



Sakl12  パーク駐車場全面を会場に、閉園セレモニーが行われていました。私が中にはいると、丁度須田相談役(JR東海初代社長)が式辞を述べていました(写真)。話によると、電源開発の際に設けられた留置線、旧機関区の局舎、及び地元の熱意で、同パークは設置されたのだそうです。



Sakl13  続いて、「佐久間レールパーク号」ヘッドマークが地元(現浜松市(天竜区)、旧佐久間町)に贈呈されました。



 その後、同パークの理念を継いで名古屋に建設される「JR東海博物館(仮称)」の成功を祈念して、2つのくす玉が割られました。



 セレモニーが終了すると、周りには模擬店が多数あるのに気付きます。そこで色々買い込み、駅に戻りました。



Sakl14  駅構内での撮影は不可能、再び駅裏まで歩くのは嫌だったのですが、運用に入る列車は写したい。そこで、先ずは豊橋まで移動し、豊橋で迎え撃つことを思いつきました。そこで駅前の乗車の行列に並びました。しかし、天候は晴れていたはずが、いつの間にか曇に。「雨が降るんじゃないか?」と言った途端に、ポツポツと雨が降り出しました。



 間もなく乗車が始まりました。車輌は、事前情報で一番乗りたくなかった211系4連(ロングシート車)で、少しガックリでした。しかし、雨の中行列すること思えば、まだ良かったのか。車輌は海シンK11編成(手前はクモハ211 5606(小断面トンネル対応の低屋根車(クモハ211 5600番台))で、正面の青い「快速」が大きいです(写真)。側面方向幕は「豊橋」で、神領車も対応していることが分かりました。雨は本降りになってきました。



 そして出発、中部天竜駅の空気笛が鳴らされ、別れを惜しんでいました。音は次の添付ファイルのとおりです。



「SakumaKiteki.MP3」をダウンロード



 乗車していると、野田城で117系回送と行き違います。一部は天竜峡まで回送される臨時「佐久間レールパークフィナーレ号」、キハ75と予備編成を除くと、豊橋~中部天竜間を行ったり来たりして、ピストン輸送をしているのでした。つまり、待っていても同じ車輌を写す可能性もあったのでした。



Sakl15  そして豊橋に到着(写真)。ファン多数が撮影し、一種異様な雰囲気ではあります。



 そのまま豊橋で待つかどうか考えましたが、雨は一向に止まず、このまま1時間待つと、光線も不足すると思い断念、帰途に就きました。



 最後は余り楽しめませんでしたが、まあこんな感じでしょう。朝晴れていたはずが雨とは、泪雨でしょうか。



 同パークの今後については、まだ決まっていないのでしょう。個人的には、JR東海博物館に入る車輌は電車、客車が多く、機関車、とりわけ電気機関車が選から多く漏れたことから、それらの漏れた機関車たちを、同パークの留置線に並べると良い、と思うのですが、どうでしょうか。このままスクラップにする位なら、それでも良いと思うのですが。しかし、社内の事情もあるのでしょう。



 それでは、次回をお楽しみに。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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