Off Line Days#3

Sangp1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回も、近鉄沿線からお届けします。



Sangp2  昨晩自宅から投稿し、今朝も自宅を出発しました。先ずは近鉄から、四日市から始まる内部・八王子線へ(写真)。近鉄四日市駅南口改札を出て、通路を通り辿り着く特殊狭軌線ホーム9・10番線には、内部行きモ261始め3連が出発を待っています。間もなく、発車しました。



Sangp3  20分ほどで終点、内部に到着。同編成の反対側は、ク114です(写真)。保線職員がやって来て、怒られるかと思いきや、そのまま作業を始めました。皆さんも、この位置で撮影したければ、くれぐれも安全には気をつけてください。



Sangp4  駅西側は検車区、留置線・洗浄線が続きます(写真)。161始め3連、今日は非常に撮影しやすいです。誰か来たのかな?



Sangp5  駅東側の電留線には、切り離された115が(写真)。かつては近鉄色の車輌が留置されていましたが、今はパステルカラーになりました。写真中央下部、車輌正面右下にはATS車上子が見えます。



Sangp6  折り返し、泊では162始め3連と行き違います(写真)。こちらはラッピングがなされています。



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 電動車261に、内部から乗換駅日永まで添乗したサウンドです。吊掛サウンドを盛大にあげていました。



Sangp7  そして日永で乗り換え、一駅で八王子線終点西日野に到着します(写真、163始め3連)。かつては伊勢八王子まで繋がっていましたが、水害に遭い、線路敷は道路に取り込まれ廃止されました。



 ここから折り返し、近鉄四日市に戻りました。



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 西日野から乗車したのは、こちらも電動車、263です。こちらも負けずに大きなサウンドを出しました。



Sangp8  近鉄四日市高架ホーム5、6番線は、近鉄湯の山線のホームです。ここから御在所岳の麓、湯の山温泉に向け出発しました。



 約30分で終点、湯の山温泉駅に到着(写真)。2109始め3連です。写真右下端、車輌正面左側下部には、「恋結びの街」とのヘッドマークが掲出されます。しかし、温泉街にはここからバスあるいはタクシー等で少々移動が必要です。言い方を変えれば、これが鉄道の限界か。



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 こちらは湯の山線、2000系電動車2018のサウンドです(約30分)。先ほどとはうって変わって静かなので、最初はどれが電動車か分かりませんでした。



 かつてはこの線も内部・八王子線と同様に特殊狭軌で、三重交通の営業路線でした。狭軌末期には、「ナローの女王」と呼ばれた新車が投入されたこともあり、利用者はそこそこ見込まれたのでしょう、近鉄の直通特急を走らせる計画が持ち上がり、改軌されました。しかし現在、通常時特急は走りませんが、ここ2年ほど夏休みの週末に臨時運転を行っていました。今年も走るでしょうか。



Sangp9  近鉄四日市から近鉄富田へ。近鉄富田からは、三岐鉄道三岐線が分岐しています(写真、モハ102(手前)、モハ101の2連)。三岐鉄道1日乗り放題パス(1,000円)を購入すると、昨年末から北勢線も乗り放題になりました。そして終点、西藤原を目指します。



Sangp10  伊勢治田には貨車ヤードがあり、現在は保留車の疎開先となっています。ED45形2輌の北側には、クハ1608始め2連が留置されます(写真)。このまま解体を待つのか。



Sangp11  丹生川には「貨物鉄道博物館」がありますが、新収蔵か、木製トラの向こうにアルミ製タンク車、アタキ(タキ)8000形8000があります(写真)。過酸化水素運搬用のタンク車でした。



Sangp12  三里~大安間には、旧式機ED22 2が(写真)。こんな写真も最悪ですが、車輌状態もガラスを全部割られ最悪です。元筑摩電気鉄道の電機、巡り巡って三岐線に来たのだそうです。



Sangp13  保々には、三岐線の車両工場があります。トラバーサも三岐色に塗られていました(写真)。



Sangp14  通常は東藤原にあるセメント工場構内の入換に使われるED301が、今日は保々にありました(写真)。プレスでも来たのか、それとも何かあったのか。左には、元西武新101系の姿が。改造、塗色変更後、2編成目の新101系になるのでしょう。ということは、次の廃車はどれ?



 この撮影のため、保々を計4回通りました。時間が、勿体ない!そして近鉄富田に戻りました。



Sangp15  近鉄富田から桑名へ。桑名駅東口に、三岐鉄道北勢線(元近鉄北勢線←三重交通)西桑名駅があります。着いて間もなく、先ほど書いた「ナローの女王」、201始め3連+277がやって来ました(写真、手前ク202)。特殊狭軌(762ミリ)の新車として落成した202他は、連接車体等色々な新機軸を採り入れていましたが、それが整備等に災いし、湯の山線改軌後北勢線に移動、後に電装解除されモ277と連結され、現在の姿になっています。



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 同編成の電動車、277に添乗したサウンドです(約40分)。こちらも吊掛サウンドです。やはり運転速度から、これでも十分なのでしょう。



Sangp16_2 ク202の車内(写真)。連接車、ロングシート、半室運転台などが分かります。



Sangp17  元は制御車だったサ201の外観(写真)。ク202と同じ外観だったものに、無理矢理貫通路を設置、痛々しい姿です。中も、運転台が撤去されたことが分かります。やはり特殊すぎたのか。



Sangp18  そして阿下喜に到着。すると、大人数の団体が乗車します。駅前の「狭軌鉄道博物館」も、中が開けられ、色々な物が展示されています。間違いなく鉄道ファンの団体です。今日各地で撮影が好適だったのは、この団体の後追いをしたからでした。ラッキーだったというのか。しかも、その団体のツアコンは、私も何度もお世話になった方!また来てね、と次回を誘われてしまいました。時間があったら、是非行きたいと思います。



 そして、西桑名に戻ります(写真、モ277)。これが北勢線多数派の顔、この形は冷房化が進んでいます。



 やはり、ナロー各線は冷房化が困難な車輌が多く(クーラー設置場所が無い、から始まり、電力的に不足する、等の話もあるそうです)。夏場は、ラインデリアの吹き出し口からの風が当たる場所から埋まっていきます。ファンの音も五月蠅く、録音には最悪です。やはり、ナローは冬が一番です(録音モノ一般に言えますが)。



 このまま桑名から、時間があれば養老鉄道(元近鉄養老線)に行きたかったのですが、既に日没、撮影には遅すぎました。残念。そして帰宅しました。



 三日間、大遠征でした。しかし近鉄京都線も残すは、養老鉄道も残し、少し残念でした。近々、養老鉄道は行きたいと思っているので、請うご期待。



 それでは、次回をお楽しみに。

Off Line Days#2

Sadq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回も、昨日に引き続き近鉄を巡っています。最初の写真は、遷都1300年となる奈良平城京の、平城宮朱雀門(復元)です(写真)。



Sadq2  昨日の最後は大阪市交通局の地下鉄谷町線で、大阪に滞在したのが分かります。そして今朝も大阪から。地下鉄中央線に入線する近鉄7000系7101始め6連(写真)。後ろ向きですが、初号編成です。昨日も鉄道からオフラインとなり、さ迷った時にも”Pitapa”で脱出したのですが、今日も大阪市は”Pitapa”を使い、近鉄東大阪線との分岐駅、長田で一旦下車、その先は「新春全線フリーパス」で乗車します。



 そして生駒山脈を通過します。近鉄奈良線は、大軌が当初開業時、生駒山脈のど真ん中にトンネルを掘り奈良に向かったことが盛業の礎でしたが、その後に開通した子会社参急(現在の近鉄大阪線)が大型車体対応で設備を建設、車両限界の違いが長年車輌の共通化を阻んできました。そのため近鉄は新しい生駒トンネルを建設し、奈良線も大型車体に対応した設計に改められました。すると旧トンネルが使われなくなる訳ですが、その後東大阪線建設時に旧トンネルを再利用、施設の有効活用をしています。しかしフル加速で3分間、地下鉄としては長い駅間です。これ以上は、北神急行電鉄、新神戸から谷上へ登る区間位でしょう。



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 近鉄東大阪線7000系電動車、7207の生駒トンネル(新石切~生駒)通過時のサウンドです。フル加速で登っていきます。



Sadq3  乗り換えた電車が生駒で終点、生駒で終点の学研登美ヶ丘行きを待っていると、大阪市20系の原形、2934始め6連が入線します(写真)。堺筋線以外の全線で見られる20系、正面等外観が異なり、アルミボディで(他線はステンレス)、番号も4桁(他線は5桁)ですが、間違いありません。製造も平成元年です。



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 大阪市交通局20系電動車、2134の生駒から学研登美ヶ丘へのサウンドです。外観に負けないサウンドです。



Sadq4  終点学研登美ヶ丘間近に、開通イベントで撮影会を行った電留線があります(写真)。今日は7604始め6連、「南都銀行」ラッピング車が停泊しています。



Sadq5  近鉄けいはんな線終点、学研登美ヶ丘です(写真)。開通イベント時には何もなかった駅前も、少しずつ街になってきました。



 なお、今後ここから延長し、近鉄京都線と接続させる計画である、とのことですが、建設の時期は未定です。しかし、それができるような構造にはなっています。



 そして、来た道を戻ります。



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 乗り合わせた車輌は、7020系でした。電動車、7222のサウンドです。違い、分かりますか?



Sadq6  生駒で近鉄奈良線に乗り換え。奈良線ホームから、けいはんな線から東大阪線に入ろうとする7020系、7122始め6連が出発を待っているのが見えます(写真)。



Sadq7  奈良線の一駅東、東生駒駅横には、東大阪線が生駒で終点だった時代からの基地があります(写真)。左7110始め6連、右7108始め6連です。7108は、洗車中でした。



Sadq8  この洗浄線の奥は、奈良線から分岐する渡り線と繋がっています(写真)。東大阪線・けいはんな線は、直通する地下鉄中央線の電気方式が第三軌条750Vのため、同じ電気方式で車輌も製造されましたが、検車は五位堂検修車庫で行う関係で、この渡り線が設けられています。五位堂までは、電動貨車モトに牽引されます。軌間は、双方とも1,435ミリでした。



Sadq9  東生駒から、奈良線・京都線・橿原線の交わる大ジャンクション、大和西大寺へ。7000系デザインの元でしょう、左右非対称の3100系が、本来の用途である京都市交通局地下鉄烏丸線に乗り入れる運用(京都国際会館行き急行)に就いています(写真)。派手なラッピングの3120系の方が目立ち、奈良線運用で大阪なんばに顔を見せることもありますが、これが製造当初の目的とした運用です。



Sadq10  続いて、京都市交通局、1818始め6連がやって来ます(写真)。如何に営団6000系の影響が大きかったかを物語る車輌です。



Sadq11  続いて、阪神9000系9202始め6連、快速急行奈良行きです(写真)。阪神なんば線開業で、また新しい顔が見えます。



Sadq12  反対方向、阪神三宮行き快速急行、1000系1254始め6連が入線します(写真)。実は、近鉄と阪神は軌間が同じ1,435ミリですが、車体の長さが近鉄20メートルのところ、阪神は18メートルで、車体長が異なります。そのため、停止位置も異なり、運転手は阪神の車輌の時、「阪神6輌」と読み上げます。また、近鉄では編成の解結は日常的ですが、阪神は「なんば線」完成まで殆ど経験がなかったらしく、阪神の社員は苦労している、とも聞きました。「やわやわ」は慣れですので、頑張って!



Sadq13  この後京都にも行きたいと思いましたが、今後の予定の関係で、特急に乗りました。大和八木で12414(12410系、サニーカー)始め4連に22000系(ACE、番号は失念しました)を連結しました(写真)。



Sadq14  そして、大移動、賢島へ。特急を除くとワンマン各停しか走らない近鉄志摩線、昔数駅ごとに特急通過待ち・行き違い待ちを繰り返し大変だった記憶があったので、なかなか行けなかったのですが、久しぶりに行くことができました。



 賢島駅2番線では、23000系「伊勢志摩ライナー」が出発を待っています(写真、番号は失念しました)。2号車(サロンカー)に、一緒に乗るような相手は、いません。



Sadq15  そして来た道を戻ります。穴川少し手前には、線路のない架線支柱が(写真)。「志摩スペイン村」関連整備で、線形改良により付け替えられ廃止になった旧線跡です。このため、穴川駅も移動しました。



Sadq16  こちらも同様、白木近くの保線基地は、もとは白木駅のあった場所でした(写真)。



 これらは、もとは国鉄参宮線鳥羽を起点とした、三重交通の路線であったことに起因します。大阪万博関連で、宇治山田が終点だった近鉄を鳥羽まで延長し、賢島まで乗り入れすることが計画され、鳥羽以遠は三重交通の線形のまま改軌したために、線形上問題のある場所が残りました。しかも単線であり、現在もなお複線化が困難な場所もあります。鳥羽から先、特急のスピードがぐっと落ちるのは、こういう理由です。近鉄は、長年線形改良に心血を注いできましたが、やはり難しい場所でしょう。



Sadq17  そして宇治山田にて下車します。大阪から神都への直行線として建設された参宮急行電鉄、同線の終点として建設された宇治山田駅は壮麗な建物で、有形文化財としても登録されています(写真)。しかし鳥羽への新線建設、賢島乗り入れで3、4番線が使われ、1番線は使っているのを見たことがありません。



Sadq18  最後は、伊勢中川から少し戻った場所にある、いわゆる「中川短絡線」の工事の様子です(写真)。これも線形改良と思いきや、実はこの下を流れる雲出川の河川改修関係で、橋の架け直しが必要になった、との掲示がありました。成程。



 この後伊勢若松で下車、鈴鹿線平田町に行きましたが、日没で良い写真にはなりませんでした。残念。そして、帰宅しました。



 まだ明日も、有効期限が残っています。有効に活用したいと思います。それでは、次回をお楽しみに。

Off Line Days#1

Sigiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「新春全線フリーパス」を使用して、近鉄を巡っています。



 今朝は遅めに出発し、近鉄特急に乗車。今日の名阪乙特急は、ビスタカーIII世、30211始め4連です(写真、鶴橋にて撮影)。



Sigiq2  両先端の電動車から、中間の付随二階建て車両への階段は、写真のとおりです(写真)。手前は、洗面所です。



 この電車に乗り八木で降りようと思っていましたが、気が変わり鶴橋まで行きました。車掌に申告すると、通常なら同じ料金の筈の同区間、精算券で延長したため、290円の追加料金を取られました。しかも「席は保証できない」とのことで、結果的には誰も来ませんでしたが、やはりペナルティと言うべきでしょう。指定券は、なるべく当初からきちんと買いましょう。



Sigiq3  しかし更に気が変わり、その精算券も無駄にして、山本に戻り、信貴山口に行きました(写真、1432始め2連)。



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 今は、こんな所までVVVF車になりました。





Sigiq4  ここからはケーブルカーです(写真、コ7「ずいうん」)。信貴山にかけて、虎のペイントがなされます。



Sigiq5  ケーブルカーの運転席(写真)。操縦は山上の牽引機が行いますが、もしものためにブレーキをかけられるよう、職員が監視します。



Sigiq6  ケーブルカー終点、高安山からは、戦前は電車、信貴山上線がありましたが、戦時中に撤去、その後復活することはありませんでした。現在は線路跡が道路になり、バスが運転されています(写真)。この辺りに山上線のホームがあったといいますが、跡は分かりません。



Sigiq7  信貴山上線の数少ない痕跡、トンネルです(写真)。このまま、信貴山門前まで乗車しました。



Sigiq8  信貴山から信貴山下までのバス(かつての信貴山ケーブルカーの廃止代替路線)を探しましたが、最初のバス停では、2時間後、呆然としてしまいました。更に徒歩10分、信貴山バス停(写真)まで行くと、1時間おきに走っていましたが、結果同じバスに乗車する運命にありました。なお、生駒スカイライン経由、生駒山上(生駒ケーブルカーに接続)行きバスは、廃止されました。



Sigiq9  バスに10分ほど乗り、山を下ります。信貴山下駅に真っ直ぐ降りる、ケーブルカー廃線跡の道路です(写真)。奥に見える近鉄生駒線信貴山下駅も、ケーブルカーが鉄道と直角に交わっていた痕跡を残していました。



Sigiq10  信貴山下から生駒線一駅で王寺です。王寺からは、新王寺まで歩き、田原本線に乗車します(写真、8412始め3連)。かつては奈良線などの名優たちが最後に辿り着く路線、始発も終点も他の近鉄路線と接続しない、単独路線です。



Sigiq11  終点西田原本の少し手前に、近鉄橿原線から車両を入線させるための渡り線があります(写真)。この線路により、田原本線の車両は五位堂検修車庫に入庫できます。



 ここから間もなく、終点西田原本に到着します。西田原本から橿原線田原本までの間約300メートルは、かつては住宅・商店がありましたが、現在田原本駅に西口が設置され、西田原本との間にロータリーが建設中です。これで利便性が格段に向上しますが、やはり駅を一緒にするのが一番では。



Sigiq12  そして平端まで戻り、天理線、天理に。駅前にはD51 691が保存されます(写真)。



 天理はJR奈良線との接続駅である、といってどこにあるのか分かりませんでしたが、実は近鉄線改札真上にJR高架ホームがあることに気付きました。これで謎が解けました。



Sigiq13  天理から平端に戻り、橿原神宮前、ここで吉野線に乗り換え、吉野に行きました。橿原神宮前からは全駅停車の急行、時間はかかりましたが、終点に到着しました(写真、6217始め4連)。



Sigiq14  吉野駅の駅舎(写真)。時間が遅くなり、日没になってしまいました。



Sigiq15  そして吉野からは16007始め2連、特急に乗りました(写真)。16001、16002各2連は大井川鉄道に移籍、16003始め2連は廃車されました。代わりに16400系が増備されました。車齢からも今後が気になる16000系、今後に注目です。



 そして、今日の滞在先に向かいました。



Sigiq16  おまけ。阿部野橋から谷町線天王寺に向かい、乗車すると、谷町線は、なんと30系、コルゲートステンレス車でした(写真、3060ほか)。昭和48年アルナ工機製、大阪万博で増備された車両です。30系アルミ車共々置き換えの対象とされ、現在は谷町線のみに残る同系、後継30000系も落成し、今後全車引退の予定です。



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 30系、3060の添乗音です。間もなく、この音も聞けなくなります。



 明日は、今日の続きです。次回をお楽しみに。

恨みの雲#2

Hasq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、埼玉県蓮田市内の撮影ポイントにて撮影を行いました。



 昨日の雲行きにガックリして、向かった首都圏。滞在先にて投稿し、今朝を迎えました。そして通称「ひがはす」にて構えました。既に30名ほどのファンが到着し、三脚を立てています。その後も続々とやって来ました。



Hasq2  先ずは、E231系上野行きから(写真)。宇都宮・高崎線の中距離普通は、基本的にはこの系列です。セッティングを調整します。



Hasq3  今日は、上り方向から485系「宴」がやって来ました(写真)。これはラッキーです。



Hasq4  まだありました、211系15連普通上野行きが(写真)。2輌の二階建てグリーン車は、113系のお下がり、もとサロ124・125です。



Hasq5  今日は下り特急「日光」東武日光行きが、走り去っていきます(写真)。特急エンブレムはありませんが、485系です。方向幕が分かるでしょうか。



Hasq6  これも飛び込み、183系・189系上り「団体」列車が(写真)。情報では、成田臨とのことでした。



Hasq7  今日の最大の目的、上り「カシオペア」がやって来ます(写真)。EF81 99が牽引します。いわゆる「カシガマ」ですが、3輌のうち1輌は既に運用を離脱しています。



Hasq8  合間に、上り方向から485系「やまなみ」がやって来ます(写真)。



Hasq9  「カシオペア」通過後10分で、上り「北斗星」がやって来ます(写真)。EF81 96牽引、今は効率的に撮影が出来ます。



 先日雑誌を賑わした、EF510 500番台。第一陣が神戸の川崎重工で落成後、JR東日本に納車されました。ハンドル訓練後、「カシオペア」「北斗星」に投入されるのでしょう。2輌となった「カシガマ」のみならず、「星ガマ」も置き換え、一部はJR貨物に貸し出され、常磐線水戸方面の貨物列車にも使われる予定です。EF81はやはり古い機関車、記録が重要になってきました。皆さんも、どうぞ。



Hasq10  おまけ。昨日の結果に非常に不満だったので、撮影後直ちに出発、昨日の富士市内のポイントに行きました。今日は快晴、絶対上手くいく!と思ったものの、上り「のぞみ6号」には、寸手のところで間に合わず、非常に残念。



 それから約2時間後、折り返しの「のぞみ29号」の時には、頭が雲を被ってしまいました。余程富士山に嫌われているのか。またしても、残念でした。またどうぞ。



 それでは、次回をお楽しみに。

恨みの雲

Funiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、富士市内の撮影ポイントにて、カメラを構えました。



 昨晩自宅を発ち、車中泊、起床し、午前9時前後に富士市内の撮影ポイントに到着。今日の予報は晴れ、期待を胸に到着しました。



Funiq2  ノロノロと準備をしているうちに列車は何本も行き過ぎます。写真は上り300系、バックもバッチリです(写真)。



Funiq3  続いて、上りN700系です(写真)。新幹線は、約10分に1本行き過ぎます。しかし、バックの富士山の雲行きが、だんだん怪しくなってきました。



Funiq4  更に時間が経つと、バックが富士山なのかどうか、分からなくなってきます(写真、上り700系)。どうか、12時まで保って!



Funiq5  願望虚しく、11時半の”のぞみ6号”がやって来たときには、既に富士山は雲隠れしてしまいました(写真)。500系と富士山、良い感じの写真が撮りたかったのに!



Funiq6  仕方がないので、同列車が東京から折り返す”のぞみ29号”が行き過ぎるまで、同じ場所で待ちましたが、残念ながら天候は回復せず、列車が行き過ぎました(写真)。非常に残念です。



 天気自体はそれほど悪いわけではなかったのですが、肝心の富士山が!恨めしい雲です。やり直しがきかないのが残念です。



 明日は、別の場所を取材の予定です。お楽しみに。

Continental Wave(story3)#10

Tcq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、以前の回で容量の都合からボツとなっていた、復活写真集です。



 最初は、現在の中国鉄道の主力DL、DF11形0270号です(写真、南京にて撮影)。同形の一部は160キロ対応改造が行われ、専用客車と共に、香港の紅碪から広州東までの間を走ります。まだまだ”Ktt”には負けない、と言っているようです。



Tcq2  続いては、CRH2Bデッキに貼られる「車廂指南」(車内案内)です(写真)。車輌のベースが日本製であり、日本の新幹線に似ています。



Tcq3  続いて、CRH2では「1等」に表示が変わった旧「軟座」車の様子(写真)。E2系グリーン車に相当、大体同じです。



Tcq4  次は、その夜に撮影した、CRH2E軟臥車ベッドの様子です(写真)、残念ながらベッドごとにはカーテンはなく、雰囲気はやはりカルテットです。この系列にはこの寝台しかありませんが、「特快」「快車」に連結される「硬臥」車は3段寝台、中国では未だ人気があります。



Tcq5  CRH2Eデッキ部の洗面台の様子(写真)。左端、及び右手前はトイレで、狭いスペースを有効に利用しています。日本の24系25形と配置はほぼ同じです。



Tcq6  そして天津に着いた私を迎えた看板、「到天津看航母(天津に来たら空母を見よう)」です(写真)。ロシアが建造途中で放棄した空母を中国が買い、徹底研究し遂に実現した中国の空母。しかし西側のような蒸気カタパルトは無く、イギリス式スキージャンプ台で通常型の航空機を飛び立たせるため、まだまだペイロードが小さく現実的ではないようです。しかし洋上に戦闘機を飛ばす国に、中国も仲間入りしました。あな、恐ろしや。



Tcq7  続いて、中国航空博物館です。入口には胡錦涛国家主席の碑文が立ち、こちらもなかなか凄い施設です。ここが博物館になった理由、地下壕式駐機場が、現在改装され機体展示場になっています(写真)。こちらも20元です。



Tcq8  中には、最初は企画展、続いて航空技術の発展の展示でしたが、長いトンネルですので、スペースに余裕はあります。西側機体も多数ある中、こちらは朝鮮戦争当時の東側主力戦闘機、Mig-17(ソビエト製)です(写真)。西側の博物館では、絶対に見られない機体です。



Tcq9  こちらは、今でも時々東側の貧しい国でも見かける、Mig-23です(写真)。主翼が手動式で前後に移動します。アメリカのF-14ならば油圧式ですが、その分重くなり、性能が悪くなります。



Tcq10  最後は、リビアから貰った機体か、「幻影III形」戦闘機です(写真)。「幻影」って、”ファントム”?と思いきや、フランス製”ミラージュIII”でした。



 こんな感じです。



 この3週間、何度も焼き直した中国遠征。そろそろ国内ネタが恋しくなりますね。



 それでは、次回をお楽しみに。

Continental Wave(Story3)#9

Clq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、中国旅行おまけ編、食堂車ネタです。



 南京に行った際、昼食にありつけず、「そうだ!確か食堂車あったよなあ!」と意気盛んに行った「餐車(食堂車)」。車内の様子は以前もご紹介したとおり(写真)ですが、中国人はソフトドリンクしか飲んでいません。まあ、午前中だからビール(啤酒)を飲んだりはしないだろう、とは思いましたが、本当の理由をご存じでしょうか。



Clq2  反対側の車輌からの眺め(写真)。丁度正面のドアが調理室のドア、手前左右に業務用室とドアがあり、食材の搬入路になっています。しかし、コンロはなく、電子レンジだけのようです。オール電化なら、IHコンロも無いのか、中国の料理人にはそれでも火力は足りないか(一般に中華料理店では都市ガスでも駄目、家庭用として最も強いプロパンガスを使います)。



Clq3  飲料は多数、冷蔵庫に並びます。女性の職員が一人で切り盛りしています。私が何度も必死に”Food””Eat”と言って説明するうちに、店員がソフトドリンクを2回出した後に出した、「食事」です(写真)。電子レンジでチンする、工場製の弁当「大排飯」、骨付き肉の唐揚げ弁当です。分からないふりをしたのは、暖まるまでの時間稼ぎだったのか?



Clq4  中はアツアツの弁当、骨付き唐揚げが大きい!しかし添えられた野菜の炒め物各種の味付けは、中国人の好みなのか、肉の味を引き立てるためか、日本人の好みではないですね。値段は20元、平均的な中国人には高い食事です。



 しかし殆どの中国人は、こんな食事には見向きもしません。値段が高いから、というのもありますが、基本的には冷めた食事(弁当も含む)は中国人は食べない(残飯と同じ扱い)からです。台湾でも、日系のコンビニが弁当を売るのに一苦労していました(だいたい「スタンバイ弁当」がレンジで加温済みになっている)。僅か数会話でチンチンになっていたあの弁当は、やはり「スタンバイ弁当」だったのか。



 同じ美食家のイギリス人は、「究極の美味を食べれば、後は全部同じ。」と、フィッシュ&チップスで腹が満たされますが、中国人は「常に美味しい物を食べていないと、満足できない。」というべきか。お国柄です。



 やはり、日本人の良いところは、「土地のものを食べられる」ことで、仮に日本料理でも、「この国ではどんなアレンジをしているかなあ?」と期待を持って食べられます。その点韓国人は、世界の何処に行っても、いつもと同じ物しか食べられない、というある意味気の毒でもあります。やはり、そこでなければ食べられない物を食べなければ、旅行の楽しみの一つを「食」に置くなら、勿体ない。



 今回の成果は、青島、珠江に続いて、「燕京啤酒」を覚えたことです。北京駅前の、ビックカメラのようにまくし立てる店で、ジュース同然に買ってしまいました。中国の啤酒はいずれも、アルコール分低め(約4%)、泡・コク少なめです。君たち、奴らは発泡酒なんてものは飲まないんだよ!しかし、言い方を変えれば、日本のビールは税金を飲んでいる、というべきか。



 それでは、次回をお楽しみに。

Continental Wave(Story3)#8

Btc1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「中国鉄道博物館」三部作最終章です。



 大方SLを撮り終えた私は、続いてEL、DLへ。SLは入口から北側、EL、DLは南側に大体集まっています。最初はEL、韶山1形008号です(写真)。1968年中国製です。C-Cの配置です。



Btc2  次はDL、東方紅2形0008号です(写真)。1974年中国製の液体式ディーゼル機関車、旅客用ですが定格速度は遅いです。



Btc3  後は同じく東方紅5形0001号です(写真)。1976年中国製、B-Bの配置です。



Btc4  次もDL、北京形3003号です(写真)。1970年中国製、これも液体式旅客用DLです。



Btc5  続いては輸入機、NY5形0003号です(写真)。1967年前西徳(旧西ドイツ)製、液体式ですが時速100キロでの走行が可能です。



Btc6  次はND3形0001号です(写真)。アメリカのGM製DLの形に似ていますが、当時取引はなかったでしょうから(国交自体無かった時代があった程ですから)、何処で製造したのでしょう。



Btc7  続いて、東風形1301号です(写真)。1966年中国製、直流電気式貨物用DLです。



Btc8  次は、東風4形0001号です(写真)。1973年中国製、交流電力を使用した交-直形電気式DLだそうです。



Btc9  続いて、東風5形0007号です(写真)。1977年中国製、大連機車-唐山機車共同製作のようです。センターキャブに改設計したようです。入換にはその方が都合が良いです。



Btc10  次は、EL、SS5形0001号です(写真)。B-B配置のELですが、解説はありません。



Btc11  その後はDL、東方紅1形4290号です(写真)。こちらも解説はありませんが、最初の東方紅シリーズと同じ、液体式旅客用DLと思われます。



Btc12  更に、東方紅3形0009号がありました(写真)。文字が読めなければ、どこが同じ、という感じがするか、それとも全部同じに見えてしまうのか。しかし、カラーリングはやはり中国です。



Btc13  横には、地下鉄用車輌、T1215があります(写真)。古い北京市地下鉄なのでしょう。奥には、裾絞りのあるT1312がありました。



Btc14  珍しい客車が(写真)。後方がガラス張りの展望室になっている車輌です。3軸台車でもあり、日本なら皇族用、悪くとも1等展望車間違いなしですが、側面の区分は「公務車」と書かれます。政府要人用の車輌だったのでしょう。



Btc15  一番端には、大物車、落とし込み式の大物車がありました(写真)。D17-621572と番号が書かれます。



Btc16  その北側には、積載式の大物車が(写真)。こちらの番号は失念しました。黒の部分は重量分散用の台車、とび色の部分が荷台ですので、非常に大きいことが分かるでしょうか。



 そして来た道を戻ります。改めて、バス停までは遠いと思いました。そして、バス停でも20分程待ちました。バス自体は朝5時台から夜11時台までの間運転され、中国人は勤勉なのだ、と思いました。その間に、例の踏切は2回閉まり、旅客列車とDL単機回送が通っていきました。



 念願の中国鉄道博物館に行きことが出来、非常に幸せです。今後とも海外ショートトリップを、機会があれば続けたいと思います。



Btc17  おまけ。中国航空博物館での記録。同館一番の展示、毛沢東搭乗機です(写真)。博物館自体は無料ですが、各種施設入場には費用がかかり、この機体内部の見学も有料です。山をくり貫いた地下式航空機収納庫が同地にあったことから、ここに博物館を設けたそうです。日本では見られないミグ19とか、珍しい機体も多数存在します。行き方は、地下鉄5号線「天通苑北」終点で下車、駅前バスターミナルから643番、あるいは643番区系統(643番支系統は駄目とのこと)乗車約1時間、航空博物館バス停下車、徒歩20分です。歩くのが嫌な方は、オートリクシャがあるようです。



 それでは、次回をお楽しみに。

Continental Wave(Story3)#7

Btb1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は第二部、SL後半戦をお届けします。



 「朱徳号」の、通路を挟んだ反対側は、英語の解説板では”Class Zero”と書かれる、1881年英国製の蒸気機関車です(写真)。中国現存の機関車としては最古のものだそうです。



Btb2  「朱徳号」の後は、形式は判読不能(日本の漢字がわからない!)、1019号です(写真)。0D0のタンク機、先輪も無いとは、低速な山岳急勾配用か。



Btb3  その後は「前進」形、101号です(写真)。1964年中国製、1E1の貨物機で、日本ではまず不可能な大きさです。



Btb4  その後は前進形0001号です(写真)。1956年中国製、同形の第1号機です。



Btb5  後も前進形0004号です(写真)。1958年中国製、大同機車の製作だそうです。



 日本は、明治初期にローカル規格の狭軌を敷いてしまったために、未だそれを引きずっていると言うべきか。しかし、それが故に新幹線は、在来線の設計にこだわる必要が無く、成功した、と言うべきなのか。



Btb6  折り返し、KF1形、006号です(写真)。1936年英国Vulcan社製、2D2の大型急行用機関車です。



Btb7  続いては色違い、FD形1979号です(写真)。1931年旧ソ連製、中国に2輌贈呈され、「友好」等の名を付けたとのことです。



Btb8  その前は「建設」形5001号機です(写真)。1957年中国製、同形トップナンバーだそうです。1D1のスタイル、貨物用です。



Btb9  その前は「国慶号」、解放1形2101号です(写真)。1950年中国製とされます。建国1周年で修復されたことから、その名が付くそうです。



Btb10  反対側の列へ。”Class Zero”の横、一番前は、緑色のSL、SL3形152号機です(写真)。1939年日本製、どうもこれが、かつて満鉄で「あじあ号」を牽いたパシナ(「パシ」フィックの、「な」な(7)番目、の略)のようです。当時は、日独英3国がSLスピード競争をしており、最終的には、風洞実験を経て設計された英国「マラード号」が勝利を収めた、というのは有名です。流線型のカバーが無く分かりませんでしたが、この機関車しかありません。満鉄当時は薄い青色だったらしく、客車まで続くカバーがあったそうです。



Btb11  続いてKD5形、373号です(写真)。1921年日本製、1Dのコンソリデーションであり、どうみてもこれは日本の9600形です。こういう形でも残っただけ幸せか。まるで「ビルマの竪琴」のようです。



Btb12  その後は、KD7形、534号です(写真)。1947年1月、米国ボールドウィン社製造とのプレートが付いていました。



Btb13  続いては、解放11形、3787号です(写真)。1937年美国(米国)製、1D1の貨物機です。戦後外国機が多数を占めた中国は、特にSLは軸配置で大体用途が決まることから、これで形式を分類したようです。そのため、製造国も仕様も違うSLが同形になっているのです。そのため、細かくは枝番で分類しているようです。



Btb14  後も解放11形、3773号機です(写真)。これも1937年USA製です。



Btb15  この列最後はオレンジ色の機関車、PL9形146号です(写真)。1C1の軸配置、1922年フィリピン製だそうです。アメリカの生産力は、植民地だったフィリピンまで溢れていたのですね。



Btb16  折り返すと、4本の線路が敷かれます。先ずは0.6mゲージ機、SN形23号です(写真)。0E0のタンク機、勾配用でしょう。日本で言えば、4110形などと同用途なのでしょう。1929年米国製です。



Btb17  続いては1mゲージ、解放51形738号です(写真)。1D1の軸配置から、ナロー用のタンク機まで「解放」形を名乗ります。1926年「法国(仏国)」製です。



Btb18  その前は同じく1mゲージ、KD55形579号です(写真)。1Dのテンダー機、1921年日本製です。私には、これまで9600形に見えてしまいます。日本では1,067ミリで、67ミリ狭めれば、丁度1メーターゲージですよ。C56も、同様の改造を受け東南アジアへ出征したのですし。



Btb19  木造客車を挟み、これも1mゲージ、MR形759号機です(写真)。1C2のアンチパシフィック、タンク機です。製造国、製造年は掲示が無く不明です。



 そういえば、有名な「上遊形」は無いですね。まだまだ現役で、展示は無いのか。どうなんでしょうか。



 これで展示SL全機の説明を終わります。次回は最終回、DL、EL、その他の車輌をお届けします。お楽しみに。

Continental Wave(Story3)#6

Bta1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回はやっと始まります、中国鉄道博物館三部作の第一部、SL前半戦です。最初は、革命家の名がついたSL達です(写真)。



Bta2  まず場所の確認ですが、メインステーション北京站からの乗車は、歩道橋を渡り北側、「恒基中心」前に広がる、北京站東バス停から、403番「環行鉄道」に乗車し、約1時間、終点「環行鉄道」まで行き、そこから歩きます。料金は現金派は1元(おおよそ13円)、ICカード「一卡通」なら、0.4元(4角、おおよそ6円)です。因みに、北京の地下鉄はどれだけ乗っても1乗車2元、これは共産主義の良いところですが、それが地下鉄に乞食が入り込む原因でもあります。



 終点環行鉄道から少し歩くと、踏切です。単線で、列車が通るか疑問でしたが、踏切手の小屋が両側に設けられていました。



 そこから更に歩くと、「中国鉄道科学研究院」というゲートが見えてきます(写真)。ゲート前ではタクシーも待つ施設です。つまり、北京郊外まで入る地図上に現れる、正円形の鉄道線路「環行鉄道」とは、この施設の実験線だったのです。



 目的地は、この少し先から脇道に入れと、モニュメントが立ちます。



Bta3  さらに6、7分歩いたでしょうか、間もなく踏切と多くの線路が。その左方にはゲート、ついに「中国鉄道博物館」の文字が躍ります(写真)。上海から700元使って、はるばる来たぞ、中国鉄道博物館!



Bta4  そのままゲートの中に入り、5分ほど歩くと、多数の線路が、体育館状の建物に向かっています(写真)。この建物が、鉄道博物館の展示館です。



Bta5  側方の線路には、車両限界一杯であろう、貨車が多数留置されます(写真)。一部は家畜輸送用だろうと分かりましたが、雪で近づけず、大半の車輌は分かりませんでした。



Bta6  入口前には写真のような看板が立ち、中国語でいろいろ書かれています。最大26文字しか使わない欧米人には???となってしまいますが、漢字を使う我が民族、半分位は分かります。確かに、中国語にも外人用に、日本語のローマ字に相当する「ピンイン」もありますが。やはり、30代以降に多数の漢字を覚えることは、通常は不可能です。外国語は20代前半までに覚えると、非常に楽ですね。勿論英は重要ですが、それに仏独伊西、更に中韓が話せると、大抵の場所では困りません。特にヨーロッパでラテン系の言葉を話せないのは、チャンスを半分失う結果になり、非常に勿体ない。



 そして、入口で中国としては少し高め、大人20元(約250円)を払い、博物館に入場します。



Bta7  最初は「毛沢東号」、解放1形304号です(写真)。1941年日本製のミカド形、満鉄からの接収機と思われます。相当調子が良かったのか、中華人民共和国最大の英雄、「毛沢東」の名を冠し、缶の蓋に毛沢東のレリーフが飾られます。



Bta8  隣の線路には機番不明のモーガルが(写真)。製造年、製造国その他全て不明ですが、標準軌であることは間違いありません。



Bta9  その後は、解放9形、3673号です(写真)。1940年日本製のミカドです。



Bta10  続いて、SL12形、890号です(写真)。1942年日本製のパシフィック、しかしこれが伝説のパシナとは思えません。



Bta11  続いて、解放6形、3022号です(写真)。1933年日本製のミカド、日本伝統のスタイルです。



 このスタイルが「ミカド」と呼ばれるのは、19世紀末、日本鉄道(東北本線、常磐線、高崎線を敷いた民間鉄道、後に国有化される)が、ボイラに常磐炭を焚くのに必要な火室を設けるために、1D1のスタイルで米社にSLをに発注したところ、その会社が「ミカド」形と大宣伝したことに始まります。1945年以降は、「マッカーサー」と呼ぶ人もいました。中国では「天皇」形と書かれます。



Bta12  この列最後はPL3形、51号です(写真)。1935年日本製のタンク機、”草原”形(プレーリー)、客貨両用です。



Bta13  反対側は一番後から。勝利形、1601号です(写真)。1956年中国製、2C1の”太平洋”形、(パシフィック、急行旅客用)です。同形式の1号機だそうです。



Bta14  その前はその改良型、人民形、1001号機です(写真)。1958年中国製のパシフィックです。同形の1号機だそうです。



Bta15  その前は解放形、4101号です(写真)。1958年中国製、太原機務段(太原機関区)改造形だそうです。



Bta151  続いて同じ解放形、2121号です(写真)。1952年中国製、今は輸入技術で高速電車も製造する、「四方機車」製だそうです。オリジナルに近いのか。



Bta16  今回最後は、「毛沢東号」の隣に並ぶ、「朱徳号」です(写真)。機番は解放1形1083号、1942年日本製です。この位置でこの状態で並ぶのは、毛沢東に比する民族の英雄ということでしょう。



 容量の都合上、また区切りが良いということで、今回はここで終わりです。写真の再確認をしたのですが、パシナはあったのでしょうか。その結果は、SL後半戦にて。次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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