Continental Wave(Story4)#2

Ryiq1_2  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回も中国から、昨日の続きです。



Ryiq2_2  今朝は、滞在先から車で旅順へ移動。観光しているうちに、旧旅順港そばの旅順站に到着(写真)。1面1線のホーム、側線はありますが非電化、ローカル駅の雰囲気です。なおこの先、線路は道路を渡り、金網で立ち入りを禁止する港湾に続きます。そこは軍艦が泊まる、軍港でした。



Ryiq3_2  続いて、旧「旅順大和ホテル」跡へ(写真)。戦後外国人が立入禁止になり、当然日本資本も引き上げ、結果今はこのような姿になっています。



Ryiq4_2  続いて、203高地へ。日本統治当時に、乃木希典の書による記念碑が立ち、多少変化はありますが現在も残っています(写真)。203高地は標高203メートル、当時最新の大砲を置けば海上の軍艦まで攻撃できたので、激戦になりました。ロシアの塹壕も残ります。山頂脇には、乃木希典の息子の戦死の碑が残ります。



Ryiq5_2  203高地麓のレストランか、大連市電の古い電車が2両保存されていました(写真)。手前の緑は中に入れます。



Ryiq6_2  運転台の様子(写真)。マスコンとブレーキだけ、メーターもありません。運転士のシートは布張りのベンチでした。



Ryiq7_2  車内の様子(写真)。木のベンチです。車内は、イベントが出来る様子です。



Ryiq8_2  そして、水師営会見所へ(写真)。当時普通の農家を使用していました。ここで両軍話し合い、ロシアは旅順を明け渡しました。横は観光客向けの食堂となっており、ここで昼食を摂りました。



Ryiq9_2  そして大連への戻り道、複線のレールが道に沿って走ります。そうです、今はやりのLRTです。道沿いに駅があり、そこで乗車すべく車を降りました。



 目の前には低床車が停まります(写真)が、行き先が反対向きです。中国は右側通行です。



Ryiq10_2  そして乗車しました(写真、下車後の撮影)。青のツートン、3車体式のLRTでした。



Ryiq11_2  車内の様子(写真)。部分低床車、前後の運転台の部分は、台車の上に駆動装置が乗っている関係で、かなり床が高く階段状になっています。



Ryiq12_2  製造プレートです(写真)。大連現代軌道交通製と書かれ、すなわち韓国車の「ヒュンダイ(現代)」が技術提携をしています。北朝鮮よ、何か役に立つもので技術提携してはどうですか?



Ryiq13_2  そして車は、大連火車(鉄道)站へ(写真)。先ほどの郊外LRTの終点も、この裏にあるようです。しかし、一般に中国の鉄道駅周辺は、治安が悪いものです。皆さんも、気をつけて。



Ryiq14_2  そして滞在先に戻りました。



 通り道、市電軌道に沿って戻ったことから、滞在先そばに市電が通っていることが分かり、改めて出発しました。そしたら来ること、来ること!先ずは紫の市電、7-2273番です(写真)。非冷房ですが、日本の路面電車と大差ありません。



Ryiq15_2  続いて、LRT、7-3518です(写真)。先ほどのLRTと同様ですが、「区間車」と表示され、黄色と橙のツートンに塗装、区別されているのか。なお、緑系、青系のLRTは、この線では見かけませんでした。



Ryiq16_2  反対からは、紫、7-2281がやって来ます(写真)。この形が一番多いようです。



Ryiq17_2  そして緑の市電、7-2267がやって来ます(写真)。色は、何故違うのか。そこまでは突き止められませんでした。しかし、市電の運転士は、間違いなく女性でした。中国の女性は、強い!



 これで一通り撮ったので、滞在先に戻り、予定された夕食をたらふく食べてきました。やはり、食について中国に敵う国はありません。



 もう無理と諦めていた撮影を今日も出来、良い感じです。



 明日帰国ですが、無事帰還できるでしょうか。取材は、しません。



 それでは、次回をお楽しみに。

Continental Wave(Story4)

Dalq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、またしても中国に来てしまいました。



Dalq2  昨晩自宅を発ち、早朝に東京駅に到着。京成という誘惑にも駆られましたが、飛行機の出発が早かったことから、JRを選択。成田エクスプレスに乗車します。「快速エアポート」に続き、新型”N’EX”E257系が入線します(写真)。Ne006編成、大船発でした。



Dalq3  そして、高尾発の編成を併結すべく準備が始まります(写真)。



Dalq4  間もなく、Ne007編成が入線します(写真)。そして連結、間もなく出発です。



Dalq5  最初の停車駅、空港第2ターミナルで下車。成田空港近辺での撮影は、千葉県警の手を煩わせるだけなので、止めましょう。



 そしてチェックイン、出国審査を終え、セキュリティエリアへ。成田空港第2ターミナルには、スカイシャトルがあります(写真)。手前のターミナルから先のターミナルまで僅か2分程度の区間ですが、無人運転で行き違うのは、現代技術があるから。しかし同様の乗り物は、多くの空港で採用されています。



Dalq6  そして搭乗、3時間余りで大連に着陸。私には初のパックツアー、初の添乗員付きのツアーでした。



 紹介もそこそこに、旧満鉄の扇形庫跡へ案内されました。そこには今回最大の目玉、SL757、すなわち旧満鉄「パシナ」があります(写真)。しかし、色は戦後中国人の手で塗り替えられています。



Dalq7  側面には、パシナの解説が(写真)。同機は川崎重工設計、完成車3両と、部品9両が大連に陸揚げ、大連の満鉄工場で組み立てられ、運用に就いたそうです。当時はイギリス、ドイツ、及び日本がSLの速度競争を行っており、最終的には風洞実験を経て設計されたイギリスが勝利したのでした(時速約190キロでした)。なお、同機は戦後中国が使用し、現存は同機も含め2両のみとのことです。



Dalq8  従台車、及び火格子の様子(写真)。やはり1軸でパシフィック、その上の火室は非常に大きく、日本国内最大のSL、D52やC62よりも大きいです。当然人力では石炭投入は足りず、メカニカルストーカー(自動給炭機)が装備されています。いわゆる、「満鉄式ストーカー」です。なお、動輪は直径2メートル、日本製としては最大でしょう。



Dalq9  許しを得て、キャブに入りました。中の様子です(写真)。左に機関士なのは国鉄と同じ、しかしブレーキの編成と単弁の位置が少し異なり、また加減弁(アクセルに相当)の装置も異なります。逆転機は、スライド式のようです。



 中央に火室の入口がありますが、ここから石炭はあまり投入されないのか、普通の日本のSLと比べても非常に小さいです。そして機関士席に座り、当時に思いを馳せました。



 なお、連結器も柴田式、そのまんまでした。



Dalq10  少し下がり、外壁を(写真)。この部分は満鉄時代のもので、現在修復中、とのことでした。正直、巨大なパシナを入れるには非常に狭いところでした。そのため、標準ズームでは収まらず、嫌な予感がしたので入れておいた大砲(12~24ミリ)が役に立ちました。135では18ミリでも少し足りないのでは。



 正直、広いところに展示して欲しいとは思いましたが、日本にも右翼がいるように、中国でも目の敵にしている人もいるでしょうから、やむを得ない措置でしょう。ただ、この扇形庫の修復が終われば、もう少し状態はよくなる、と言っていました。



 なお、この場所へは、日本人だけで入ろうとしても、多分無理でしょう。中国人の管理者を納得させるだけの語学力、及び大連での土地勘が必要で、それは普通の日本人には出来ないことです。まあ、ツアーの現地ツアコンに連れてってもらうのが、一番安全です。



Dalq11  そして、市内観光に。写真は戦前の「大和ホテル」、現「大連賓館」です(写真)。戦前の調度品を残し、雰囲気も最高です。満州各地の「大和ホテル」の写真が残っていました。



Dalq12  そして、旧満鉄本社に行きました(現在も中国の鉄道管理施設として残っています)。外観撮影の後、展示スペースとなっている場所に行きました。



Dalq13  そして2階には「資料館」との看板が掛かります(写真)。中には歴代総裁の写真を飾る満鉄総裁室に、秘書室、会議室及び金庫が残っていましたが、何れも撮影不可でした。クラシカルでしたが、当時は屋根に金箔の装飾が施されていた、とのことです。



Dalq14  そして移動中に、市電を捉えました。この路線は戦前当時のものの、残存路線だそうです。車両も良い感じです。



Dalq15  そして満鉄の入口、大連桟橋に(写真)。手前の船の待合室は、当時から建て替えられましたが、奥の船に乗る部分や、貨物用の線路は当時のものを利用している、とのことです。しかし、ここも大連の新港湾完成後、再開発されるとのことで、長くは残らない、とのことです。



 今回は、念願のパシナに出会うことが出来、良い感じです。もやもやは消えました。



 なお、明日以降は他の目的の観光となるため、鉄道関連は多分取材しません。悪しからず。



Dalq16  先回北京の鉄道博物館で見た、密閉式展望車です(写真)。当時の写真から、これは、やはり「あじあ」号の緩急車でした。納得です。



Dalq17_2  そして同所に展示される満鉄形急行旅客機関車は、「パシロ(パシフィック6番目)」でした(写真)。やはりパシナの展示は問題が多いのか。



 それでは、次回をお楽しみに。

鉄の都(後半戦)

Tepq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は大宮後半戦、鉄道博物館をお届けします。



 大宮車輌センターのイベントを後にした私は、約1キロ北、大宮車輌センターの敷地の一部だった鉄道博物館まで移動。手前の駐車場は入庫できず、一番北側の第3駐車場に入庫。正面ゲートからは遠く、北ゲートから入場しました。イベント会場で貰った割引券を提示すると、800円でICカードを借りることが出来ました。



Tepq2  ゲート前には、E2系を模した「ミニシャトル」が、出発を待っています(写真)。その北側には、動態保存のキハ11 25が停まります。



Tepq3  鉄道博物館開館からはや数年、開館してから初めて訪問しました。しかし、開館前に「内覧会」に当選し、当ブログでも取り上げました。よって重複する部分は省略します。



 まずシミュレーターを覗きましたが、割と混んでいました。出来ればSLシミュレーターを試したかったのですが、それはまた次回です。



 そしてヒストリーゾーンへ。先回は見落としたのか、松山町の人車が展示されます(写真)。客の乗ったこの車輌を、人力で押しました。



Tepq4  続いて、開館後増築された一番奥、0系新幹線の建物へ。21-2が展示されます(写真)。鼻先が、今のFRPではなく、かつてのアクリルになっており、その部分が光ります。0系は当初この形になっていましたが、アクリルは強度が足りず、後に全車FRPに交換されました。床下も見学可能な構造となっており、当時の最新技術が分かります。



Tepq5  車内は、登場当初の姿が維持されていました(写真)。3+2の転換クロスシートです。しかし3列シートは、背もたれが固定されています。懐かしいスタイルです。昭和50年代までこのスタイルが残りました。



Tepq6  続いて館内に戻り、222-35に来ました。この車輌は、正しい向きは盛岡・新潟方ですが、なぜこの向きに?それは400系併結用の連結器を装備しているからです。丁度その実演の時間に当たり、連結器の出てくる動画を撮影しました。横には、測距のためのシステムが付いています。





 連結器が出てくる瞬間の動画です。構造も、納得です。



Tepq7  現在、特別展として、写真のEF66 11の運転台が公開されています(写真)。約40分行列して待ち、中に入りました。



Tepq8  ますは機関士側を(写真)。左手はブレーキ、下が編成ブレーキ、上が単弁(機関車単独のブレーキ、サイドブレーキに相当)です。右手の台形がマスコン(アクセルに相当)です。ノッチ進段は自動化されたEF65より後であり、古い機関車のような手動のノッチ進段はありません。



Tepq9  助士席の様子(写真)。回転式ハンドブレーキはありますが、他の装備はなく、一人乗務の準備が出来ていたのか。ここにはEF66の試作車、EF66 901(旧番号「EF90 1」)が展示される、という噂もありましたが、当館建設発表の直前に解体され、11号機がここにあります。同機設計は昭和40年代ですが、これを元に、JR貨物発足直後100番台を新製しました。



Tepq10  行列を待っているうちに、転車台回転の時間がやってきました。そのため、EF66見学に許された3分の時間を使い切ることなく、外に出ました。





 間もなく、汽笛と共に回転が始まりました。動画も撮影しました。汽笛の大きさに、泣き出す子供もいました。転車台にはC57 135(国鉄最後に定期旅客営業をしたSL)が、「古希」のヘッドマークを付けていました(写真)。



Tepq11  横には、国鉄バス1号車が展示されます(写真)。「岡崎駅前」の方向幕を出した、愛知県の瀬戸営業所のボンネットバス、「JR東海博物館」開館時にはJR東海に返還されることが決まっており、見られるのは今のうちです。



Tepq12  そして1等展望車、マイテ39 11が(写真)。展望室の様子が見学できます。



Tepq13  展望室の様子(写真)。戦前の展望車で桃山風の装飾、「霊柩車風」などとの悪口もありましたが、戦後までこの装飾が残ったのは同車のみ、後に「平和」「つばめ」に使用され、引退後は青梅鉄道公園に展示、現在ここに展示されます。



 そして一通り撮影し、外に出ました。



 鉄道の街大宮で、二つの施設を見学できました。今後とも、時々来たいですね。



Tepq14  そして最後に、新三郷へ。新三郷駅前、「ららぽーと新三郷」(武蔵野操車場跡地)には、かつての豪華寝台列車「夢空間」の車輌が静態保存されます。最初は南西方に展示される、オシ25 901です(写真)。食堂車です。こちらは外観のみです。



Tepq15  新三郷駅前側、建物北東方には、オハフ25 901が展示されます(写真)。こちらはカフェの施設となっており、中に入ることが出来ます。



Tepq16  車内の様子(写真)。豪華ロビー車になっています。これら試作車を元に、E26系「カシオペア」は製造されました。



 現役当時は乗車の機会の無かった同車。保存車となってから、初めて見ました。バブルもはじけ、豪華列車も縮小気味です。残っていることをもってよしとするか。



 それでは、次回をお楽しみに。

鉄の都(前半戦)

Omiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、一日遅れですが、昨日開催された”JRおおみや 鉄道ふれあいフェスタ”をお届けします。



 前日夜に自宅発。夜行バスを予定していたのですが、その後の都合から、自家用車に切り替えてしまいました。そしてサービスエリアで夜を明かし、翌朝、大宮車輌センターそばの公営駐車場に車を入れ、入場しました。満車で入場に遅れる、という心配をしていましたが、それ以上に駐車場は大きく、影響はありませんでした。



Omiq2  最初から写真だけ、と思い入場しましたが、今年の試乗会はE259系、新”N’EX”(成田エクスプレス)であったことから、乗ることにしました(写真、事後の撮影)。整理券を貰い、すぐ乗れるかと思いきや、既に1回分満員になっており、20分余り待ちました。その間、跨線橋には行列と、「ここが最後部」の掲示を持った職員の姿が。少しでも入場が遅れていれば、ここまで行列しなければならず、早めの判断にホッとしました。



Omiq3  そして順番になり乗車、成田空港方先頭車、クハE258 20に陣取りました。乗車が終わり、出発準備の間に、車内の様子を撮りました(写真)。液晶画面が両端と中間部、のべ4箇所に設置され、案内を出していました。シートは背面リクライニングだけでした。



 そして大宮車輌センターの試運転線を往復、試乗会は終了しました。



 なお、同編成(Ne020編成)は、5月に落成したばかりの新車、ピカピカでした。ああ、253系もあと僅かですねえ!



Omiq4  続いて、撮影を。JR化後の新型EL、EF510が並びます(写真)。左はJR東日本のEF510 501号機(ヘッドマークは「北斗星」)、右はJR貨物のEF510 1号機(ヘッドマークは「JR20年」)です(写真)。501号機は、最近落成し現在試験中、最終的にはEF81に取って代わり「北斗星」「カシオペア」の牽引を担当します。ボディが銀色の「カシガマ」も製造される予定です。1号機は、はるばる富山機関区からやって来ました。



Omiq5  501号機の反対側(写真)。「カシオペア」のヘッドマークが取り付けられています。「寝台特急」のイメージから、ボディには流星がデザインされます。



Omiq6  その北側には、EF80 36「ゆうづる」、P形65、EF65 535「惜別」が並びます(写真)。現役を引退し、現在車籍のない535号機は、保存運動が始まり、昨日も来場者に支援を依頼していましたが、寄付したお金の決算はどう出すのでしょうか。出来れば全部保存したいですが、保存する場所の手当はどうするのでしょうか。



Omiq7  続いて、敷地内のJR貨物大宮車両所へ。丁度、リフティングが始まりました(写真)。EH500 38の片割れが吊り上げられます。JR貨物の機関車には、ジャッキアップ用の穴がボディに開けられていることを、初めて知りました。金具の垂れ下がる部分は、金属撚線のワイヤーでした。





 リフティングの動画です。途中、前後に2往復しましたが、容量の都合でカットです。迫力があります。



Omiq8  続いて、EF64 1007が整備されていました(写真)。「あけぼの」のヘッドマークが掲げられます。



 EF64 1000番台は、今春全機高崎機関区から愛知機関区に移籍しましたが、運用は高崎時代からあまり変わっていません。しかし最終的にはEH200新製でEF64 1000番台を捻出、これでEF64 0番台を玉突き廃車する予定で、その準備が整いつつあります。国鉄色0番台は、動態車では残存1両だけだそうで、今後記録が重要となります。



Omiq9  続いて、PF形、EF65 1060です(写真)。JR貨物更新色、本形式の国鉄色(正確には「国鉄特急色」)塗装も、レアになりつつあります。



Omiq10  今後の主軸、EF210 151です(写真)。EF65置き換え用とされますが、EF66代替も可能、現在岡山機関区配備が完了し、新鶴見機関区のEF65置き換えに製造が継続され、岡山機関区の「桃太郎」から、新鶴見機関区に掛け「鶴太郎」とも呼ばれます。ヘッドマークは日本初の高速コンテナ貨物列車、「たから号」でした。



Omiq11  こちらも更新色PF、EF65 1063です(写真)。「さいたま新都心」のヘッドマークが掲げられます。



 因みにPF形初号機1001号機は国鉄特急色のまま廃車され、現在訓練用の機関車とされ余生を過ごしているそうです。



Omiq12  中でNゲージの運転が行われていましたが、その横に写真のようなプレートが(写真)。おそらくEF58お召し機61号機の予備機、同60号機のプレートで、浜松機関区に配備され61号機同様に大切にされていたと聞きますが、後に交通事故に遭い、修復されたものの、結局廃車されました。現在は、これしか残っていません。



Omiq13  そして実演スペースへ。工場南部には、車輌移動用のトラバーサがあります(写真)。横方向の移動用の推進軸が丸出しで、車のプロペラシャフトのように斜めに入っていました。その先の車輪を回し移動します。写真右上外には3線とパンタグラフが3つあります。





 トラバーサ動作の様子です。親子連れを乗せ移動します。



Omiq14  続いて、ミステリーツアー「はやて号」でした(写真)。場内の普段見られない場所を移動するゴムタイヤの車輌で、塗装をE5系に合わせた塗色に変えたようです。



 なお、新青森行き東北新幹線は、愛称名「はやぶさ」に決定しました。ロシアの高速列車「サプサン(=隼)」と同じ名前、姉妹提携をするでしょうか。



Omiq15  続いて、保線車のスペースです(写真)。マジックボーイや軌陸車の実演をしていました。確か以前このスペースは、JRバスが陣取っていたと思いますが、今年はありませんでした。まあこういうイベントなら、観光バスの宣伝も許せる気がしますが。線路が無い所では、バスしか交通機関はありませんし。



Omiq16  そしてEF60、EF63のカットモデルを撮影し、外に出ました。外には、大宮工場製D51 187が保存されます(写真)。同じD51でも、車輌メーカー製もあれば、鉄道省工場製もあり、新製から引退まで終生道産子を通したとか、九州で一生を終えた、なんて話は幾らでもありました。しかしEF58とEF15のカットモデルを撮り忘れ、横をスローモーションで通り過ぎました。



 イベントのパンフレットには、場内の一部を利用し建設された「鉄道博物館」の割引券があり、午後の予定と合致しラッキー!ここで前半戦は終わりです。



 それでは、後半戦をお楽しみに。

Crowded Days#4

Atq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回もボツ写真集、会津鉄道です。写真は、会津鉄道の中枢、会津田島駅です(写真)。



Atq2  まず中で捉えたのは、東武6050系、6173始め2連普通が(写真)。電車です。すなわち、ここから南は電化されています。同系には、野岩鉄道所有車(60100番台)2編成、会津鉄道所有車(60200番台)1編成もあり、共通運用となっています。



Atq3  昨夏同鉄道を初めて訪問した時、駅南方の側線には、キハ8500系唯一の中間車、キハ8555が留置されていました(写真)。しかし当時既に同車は車籍が無く、帳簿上は廃車でした。



Atq4  先日の様子(写真)。同車の姿は既に無く、解体された様子です。実は同車は、東海豪雨時に水没した車輌として記録されています。運転台が無く、避難できなかったようです。



Atq5  中に戻り、最初に捉えたのはAT601(写真)。現在の会津鉄道の主軸です。



Atq6  続いて、AT651です(写真)。AT601と塗装は同じです。



Atq7  同じく、AT652です(写真)。これら3両はAIZU尾瀬エクスプレス用車輌で、シートは転換クロスシートです。



Atq8  続いて手前の野口英世の顔の塗装はAT502、奥の赤い車輌は新車、AT751、AT752です(写真)。



Atq9  反対側からの、AT751の写真(写真)。赤い塗装、赤ベコのイラストは、今後AIZUマウントエクスプレス用に使用するため。シートはリクライニングシートでした。同車は、キハ8500系の後継車として製造されました。やはりキハ8500系は名鉄から転籍した車輌、使い勝手が悪かったのか。性能的には、まだまだいけると思うのですが。ただ、他の系列の車輌とは、併結が不可能でした。



Atq10  そして車庫には、左AT501、右AT701が入庫しています(写真)。



 新車は話題になりますが、その陰で去っていく車輌はあまり目が行きません。キハ8500系は、名鉄時代に乗っておけば良かったとか、会津でも何度か行くチャンスがあったのだから、乗っておけば良かったとか後悔しますが、仕方ありません。皆さんも、そういうことの無いように。



 それでは、次回をお楽しみに。

Crowded Days#2

Watq1



 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の続き、わたらせ渓谷鉄道(旧国鉄「足尾線」)をお届けします。



 秩父鉄道を後にして、向かったのは大間々。大間々は、「わ鉄」の心臓部です。駅舎は、写真のとおりです(写真)。駅に入場しました。



Watq2  駅の南東方は整備工場、他線路は留置線になっています。写真はDE10 1678で(写真)、よく見るとダルマで、部品取りのようです。他も記録して、次の目的地に向かいます。



Watq3  続いて、神戸(ごうど)へ行きました。国鉄時代は神戸と区別するため、「神土」とされていました。駅舎は、良い感じの木造駅舎です(写真)。



Watq4  同駅の旧3番線は、現在使用されず、古い電車が留置されます(写真)。これは、元東武1720系”DRC”(デラックスロマンスカー)の中間車2両です。中間には建物があり、この部分はレストランの厨房となっています。



Watq5  北側の車輌は、通常の座席車で、ボックスシート風にシートは向きを揃えてあり、間にテーブルが置かれ、レストランの食事を摂ることが出来ます(写真)。



Watq6  南側の車輌は、車販準備室付きの車輌、この部分も有効活用されています(写真)。しかし、いずれも中間車なのが残念。



Watq7  神戸からの線路は、草木ダム建設によりルート変更されました。変更前の旧線は、トンネルなどが一部残ります(写真)。現在は遊歩道に利用されます。



Watq8  トンネルに続き、落石防護用のシェッドが(写真)。この路線跡を取材したTV番組では、この先も線路跡が相当続いているような構成になっていましたが、約500メートルで草木ダムに突き当たり、そこで線路跡も消滅しています。



Watq9  続いて、通洞へ。駅舎は、写真のとおりです(写真)。



Watq10  駅から少しの距離に、足尾銅山観光、銅資料館があります。入口から写真のようなDLに牽引されたトロッコに乗り、坑道に入っていきます(写真)。途中で切り離し、トロッコのみが無動力で坑内に入っていきました。





 地上ホーム入線の様子です。DLは1両、2編成の乗客用トロッコを交替で推進、牽引します。



Watq11  坑道を利用した展示があり、戦前日本の銅の大半を産出した、足尾銅山の様子が分かりました。



 そして坑道を出ると、前には写真のようなトロッコ用機関車(ポール集電電気機関車、蓄電池式電気機関車、ディーゼル式運搬車)が保存されます(写真)。銅山は石炭ほど可燃性を心配する必要はありません。



 そして車に戻りました。



Watq12  続いて、足尾へ。駅舎も注目ですが、注目は写真のとおり、首都圏色のキハ35(車番不明)、続いてツートンのキハ30 35、タンク車2両(うち1両は小坂鉄道の硫酸用タキ)です(写真)。横にはモーターカー、スイッチャーが並び、その3両のうちの一番北側は国鉄色を身に纏い、形式等興味ありましたが、ビニールシートの下でした。残念。



 今後、これらの車輌を利用して、鉄道博物館を造りたい、とのこと。大いに期待が持てそうです。皆さんも、是非足尾まで行ってみてください。



Watq13  足尾から一駅で、「わ鉄」現在の終点、間藤に到着。駅には写真のとおり26.7‰の勾配表示が残りますが、その先には終端表示が見えます(写真)。



Watq14  ここから少し北に向かうと、廃止された踏切があります。そこから眺めると、北側には線路跡が残ります(写真)。ここで川を渡りますが、事故防止のため、通行は出来ないようになっています。



Watq15  この橋の北500メートル程か、道路が西に曲がるところに、写真のような鉄道の桁橋が架かり、その先は工場になっています(写真)。この工場内に「足尾本山」貨物駅があり、この部分が足尾線廃線区間になります。銅精錬の工場であり、中に入ることは出来ません。これで旧足尾線、現「わたらせ渓谷鉄道」は終わりです。



Watq16  ここから、日光を通り、行ったのは会津田島。駅前には、C11 254が展示されます(写真)。野岩鉄道経由で会津田島まで電化された記念だそうです。かつては国鉄会津線、遥か北の会津若松からの線路のみで、鉄道では非常に不便な場所でした。故に尾瀬は自然が残ったと言うべきか。



Watq17  そして駅に入場しました。会津鉄道の各種ディーゼルカーが並びましたが、写真は、間もなく運用を離脱するキハ8500形、左奥キハ8502、右手前キハ8503です(写真)。JR東海キハ85系と性能を揃えた同形、名鉄の特急「北アルプス」に使用されましたが、同列車廃止で余剰となりました。それを会津鉄道が購入、「AIZUマウントエクスプレス」に使用されましたが、老朽化を理由に廃車されるとのこと。やはり風雪に耐えきれなかったのか。



 続いて、かつてキハ8555(キハ8500系唯一の中間車)が廃車後留置されていた場所に行きましたが、同車は既に無く、解体されたものと思われます。合掌。



 帰り道、圏央道から中央自動車道を通りましたが、上り線(東京方面)は小仏トンネルから30キロ近く渋滞、ノロノロどころかウンともスンともいかない渋滞で、私は反対向きで本当に良かったと、心から思いました。皆様、お疲れさまです。



 それでは、次回をお楽しみに。

Crowded Days#1

Chjq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、秩父鉄道「わくわく鉄道フェスタ」をお届けします。



 昨晩自宅を発ち、早朝熊谷入り。電車で来るたび、「あそこに車を停めるのか!」という所に、今日は車を停めました。そして踏切を渡ると、今日の会場、広瀬川原車両基地が見えます(写真)。今日の成果を予感させます。



Chjq2  午前10時に開場、皆中に入ります。部品も切符も興味ない私は、先ず写真。”パレオエクスプレス”用の蒸気機関車、C58 363が、煙を出しています(写真)。今年は門デフです。不意に、汽笛が。録音できず、残念でした



Chjq3  側面には、「昭和19年 川車」の製造プレート、区名札「高」、そして運用札が入ります(写真)。ナンバープレートもオリジナルに近いものになったのか。



Chjq4  秩父鉄道貨物輸送の主力、電気機関車が並びます(写真)。左から、505、301、107です。



Chjq5  蒸気機関車と電気機関車の間には、マルタイと保線車両が並びます(写真)。保線は、鉄道の基本です。



Chjq6  午前は、こちら側が順光。左から107、301、505です(写真)。



Chjq7  ”パレオエクスプレス”の介添え役として装飾を施されている201を、子供たちが綱引きできるよう、準備がしてあります(写真)。綱は、2本です。



Chjq8  廃車となった101のデッキで、子供たちが制服を着て旗を振ります(写真)。親が正面で写真を撮れるよう、準備が出来ています。



Chjq9  SL検修庫の後に、トラバーサがあります(写真)。左のリールに電源コードが巻き付けてあり、パンタグラフはありません。



Chjq10  トラバーサ傍の検修庫では、元都営6000系、現5000系5203が仮台車を履いて展示されます(写真)。しかし、四隅はリフターの上に乗っています。



Chjq11  リフターを同時に上げ、仮台車を外し、動台車が下に運ばれます(写真)。台車入れの実演でした。しかしレール上でも台車は重いらしく、動かすのは大変そうでした。





 実演の様子です。台車は重いのが分かるでしょう。



Chjq12  一番奥、「ひろせ野鳥の森」駅に近い側では、SL用転車台に、スイッチャーD15と救援車代用の貨車スム4047が乗り、転車台を回転させていました(写真)。今日はここに乗せる車両が、これしか手配がつかなかったようです。でも、今日のための専用ヘッドマークまで用意され、このスイッチャーの晴れの姿か。





 転車台実演の様子です。カメラは広角が効かないのが残念です。



Chjq13  撮影会、左から7500系(元東急8500系)、旧秩父色に塗られる1002始め3連、黄色に茶帯の1007始め3連が並びます(写真)。7500系のLED方向幕も、しっかり写っています。なお1000系は、元国鉄101系です。



Chjq14  そして戻ってくると、秩父鉄道のヒーローたちが電気機関車に乗り、音楽をかけ踊ります(写真)。真ん中がヒーロー(元西武新101系)、左が悪者、右が味方の石灰石の貨車です。今はご当地ヒーローも多数あります。



 そして大方撮影を終えたので、車に戻り後半戦に向かいました。



 今出先ですが、スパムにやられ大変でした。明日は、このブログが乗っ取られる?!



 それでは、後半戦である次回をお楽しみに。

ついに乗ってしまいました。

ついに乗ってしまいました。
ついに乗ってしまいました。
5700系6連の4連化改造により発生した4両の中間車。これに5300系廃車の先頭部を接合し生じたのが5600系です。7100系亡き後注目される珍車です。噂では聞いていましたが、こんなに見事とは。運転台の後がすぐドアなのがポイントです。嗚呼、なんとラッキー!

Western Rollers(Story2)#8

We8q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回もボツ写真集、筑豊後半戦です。



 私は田川から、平成筑豊鉄道沿いに移動、赤駅そばの内田川3連アーチ橋を訪ねました。同橋梁東側は、写真のとおり石積みで、煉瓦の外に飾られています(写真)。



We8q2  その数百メートル手前、道路との交差部にも、1連ながら煉瓦のアーチが(写真)。この位だと、名前も載っていません。



We8q3  このアーチも、西側は増線用に煉瓦が互い違いに積まれ、増設時に噛み合わせられるようになっていました(写真)。



We8q4  そして、赤駅前には、鉱山用か、ナローの乗客用トロッコが2両留置されています(写真)。



We8q5  ここから北西方を望むと、遙か彼方まで線路が敷かれているのが分かります(写真)。ここに国鉄油須原線が敷かれるのが夢でしたが、運炭の必要が無くなり、完成することなく一部は壊されてしまいました。直近では9日(明日)にこの線路跡を利用したトロッコの営業があり、行きたいのはやまやまですが、週に2度も九州に遊びに行けるほど近くもなく、お金もありません。残念。



We8q6  続いて折尾へ。折尾駅地平には、筑豊本線のホームが広がり、上には鹿児島本線の高架があります。奥に筑豊本線の車輌が見えます(写真、踏切外から撮影)。上を跨ぐ鉄橋が鹿児島本線です。



We8q7  この踏切を後に振り向く(門司方を見る)と、石積みに穴を開けた、ボックスカルバートのような構造物があります(写真)。この北側はかなり店舗等も撤去されています。この位置に筑豊本線の新駅を設置するものと思われ、その通路にこの構造物も使うのでしょう。



We8q8  先回とは向きを変えた、折尾駅駅舎です(写真)。鹿児島本線沿いから撮影しました。



We8q9  駅舎を覗くと、正面に筑豊本線の列車が見えます(写真)。鹿児島本線には、ここから右手の階段を登ります。将来的には、この部分は不要となります。



We8q10  この駅舎から正面に進むと、短絡線の踏切があります。この踏切から北を望むと、折尾駅6、7番線が見えます(写真)。



We8q11  ビル一つ北に進むと、「鷹見口」と書かれた駅舎があります。中を覗くと、6番線が見えます(写真)。他のホームと乗車ホームを間違えると、悲惨です。



We8q12  同建物は、「折尾信号通信区」などに利用されます(写真)。新駅完成の暁には、これらは全て撤去されるのでしょう。やはり、記録は重要です。



We8q13  先ほどの踏切に戻ります(写真)。左に先ほどの「鷹見口」、後方に折尾駅本駅舎、右は「西鉄ビル」です。ここから、短絡線を跨ぎ西鉄北九州市内線が続いていたようです。



We8q14  結果的にその路線跡を追うこととなりました。途中の専用軌道跡はそのまま残り、まだまだ使えたんじゃないか、という気もします。



 そして、現在は筑豊電鉄が使用する、西黒崎そばの、西鉄と筑豊電鉄の分岐点にやって来ました(写真)。中央から右手に残る軌道が筑豊電鉄、手前の砂利が西鉄の軌道跡です(左手がJR鹿児島本線)。正確にはここから黒崎駅前までは、筑豊電鉄が西鉄の線路を間借りする、という形になっています。折尾~西黒崎間はかなり残り、黒崎駅前は再開発で繋げられませんが、そこから小倉方まで、JRから見ていても専用軌道を道路にしたような道が延々と続き、まだまだいけたんじゃないか、という気もします。残念ながら、それは夢です。



 これで今回の遠征のボツ写真もかなり救われ、納得です。



 それでは、次回をお楽しみに。

Western Rollers(Story2)#7

We7q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、九州遠征の再構成、ボツ写真集です。



 最初は、直方石炭記念館に展示される、重さ約2トンの石炭の塊です(写真)。日本最大というだけあって、大きい!



We7q2  続いては、石炭会社社長を運んだ、専用人力車です(写真)。元華族の女性(燁子様)と結婚した社長もいるそうで、なかなかです。



We7q3  同様に、鉄道開業100年を記念して門司鉄道管理局が実施した、D51 3重連のヘッドマークが残っています(写真)。



We7q4  屋外には、鉱内用、右手前エアーロコ(空気圧機関車)、左奥DLが展示されます(写真)。後に続くコンクリートの構造物は、救護訓練用の坑道だそうです。



We7q5  そしてその横にはEL、坑外用だそうです(写真)。しかし、ゲージは同じです。



 他、作業員や石炭を運んだトロッコが残っていました。



We7q6  再掲、SL32号です(写真)。戦前ドイツからの輸入機、後にロト22を従えます。



We7q7  車体横には、輸入機の証、プレートが残ります(写真)。”KOPPEL””BERLIN”などと書かれます。



We7q8  そして田川市石炭・歴史博物館へ移動。館外には巨大な櫓が(写真)。上下させたゴンドラも、横に残っています。



We7q9  再掲、9600形59684です(写真)。デフなしで落成した同機、後に門鉄デフが追加されたようです。大正期、国産初の大型SLであり、昭和50年北海道で最後の仕業に就いたSLも同形、9600形でした。



We7q10  これも再掲、EL1です(写真)。銚子電鉄の「デキ3」のような形です。2軸、パンタグラフ付きとなると、こんな形になるのか。後には、坑内用DLも展示されています。



We7q11  こちらにもありました、バッテリーロコ風EL、後はエアーロコです(写真)。坑内は常に火災、爆発の危機にさらされていることから(石炭の粉塵も、当然燃えます!)、このような防火・防爆の機関車が使われました。



We7q12  館内に戻り、D51のミニSLが、乗客を乗せる客車を連ね展示されています(写真)。昔は動いたような様子ですが、今は静態保存です。



We7q13  続いては、HOゲージのD51です(写真)。鉄道模型、仮に動いても電動です。



We7q14  続いて、C57 1の鉄道模型です(写真)。サイズからOゲージと思われます。



We7q15  見学を終え外に出ると、入場券にも画像が使われる、巨大な煙突が2本立っています(写真)。かつて産業華やかなりし頃の遺産です。



 これでボツ写真、筑豊前半戦は終了です。後半戦もお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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