秘境への道

Iihq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「魅惑の飯田線秘境駅号」を取材しました。



 今朝も自宅を発ち、新幹線に。そして豊橋からは飯田線。団体臨時列車、373系特急車で営業されます(写真、クハ372 9始め3連)。間もなく、発車です。



Iihq2  正面のアップです(写真)。シール式のヘッドマーク、小和田駅及び国鉄色119系の絵入りデザインです。



Iihq3  列車は新城で停車。どうするかと思ったら、特急「伊那路1号」の追い越し、及び上り普通の行き違いが行われます(写真)。「伊那路1号」は373系静シスF12編成、行き違うのは豊橋行き普通、119系海カキR6編成です。特急に追い越されると、間もなく発車です。



Iihq4  次は、東栄で停車します。再度登場の「鬼」の駅舎です(写真)。駅前では、控えめに地元物産を販売していました。同時に無料で出していたお茶は、お茶の味がしました。



Iihq5  この駅での長時間停車は、飯田発特急「伊那路2号」の行き違い待ちでした(写真、静シスF14編成)。



Iihq6  暫く走り、大嵐(おおぞれ)に到着。駅舎は、東京駅を模したといいます(写真)。レンガ色ではありませんが、確かに丸の内中央口に似ているといえば、似ています。



 なお、本物の東京駅の現在の姿は、あくまでも「戦災仮復旧」の姿、アムステルダム中央駅を模して設計したなどと言えば、当初の設計者である辰野金吾が、墓から出てきて抗議するでしょう。東京ステーションホテルを閉鎖して現在復元中といいますが、大正期に完成した当時の、ドーム状の天井まで復元するでしょうか?



Iihq7  大嵐から少し、小和田(こわだ)に到着。駅は静岡県、天竜川の対岸は愛知県、少し進めば長野県の3県境にかかります(写真)。横には「恋愛成就の駅」の看板もありました。しかしその程度で成就するものなら、本ブログはとうの昔に最終回を迎えています。



Iihq8  ヘッドマークのデザインのモチーフになった小和田駅舎です(写真)。乗客約100名が一度に降りているので、こんなに混雑していますが、通常は人影もない無人駅です。



Iihq9  続いて長野県に入った中井侍駅です(写真)。急な傾斜に駅があります。斜面は茶畑になっているそうです。



 間もなく平岡に到着。ここで普通に追い越される関係で、1番線(下り本線)から転線、2番線(上り本線)に移動します。この間、乗客は一旦下車し駅の物産館で買い物です。私は迷わず地酒カップを買いました。



 下り普通が出発すると、続いて私たちの列車が出発します。



Iihq10  続いて為栗(してぐり)へ。駅前はダム湖、人家はなく吊り橋だけです(写真)。ここも恋愛成就の駅だといいますが、そんな簡単に成就しないのが恋愛というものです。



Iihq11  次は、田本です。駅南側のトンネルポータルの上が撮影ポイントで、写真のような光景が広がります(写真)。よくこんな所に鉄道を通したものです。



 同駅の壁面の転石は割と有名です。同じJRでも、西なら破砕というギャンブルをするかもしれませんが、東海もあらゆる工法を検討したものの、飯田線が何ヶ月も停まるような大事故になっては困るので、結局勇気が出なかったのでしょう。



Iihq12  次は、少し移動し金野(きんの)へ。駅前には駐輪場がありますが、廃車の自転車が数台あるのみです。周りに人影を感じません。



Iihq13  続いて、千代です。こちらも立派な駐輪場がありますが、中は空っぽです(写真)。



 何故こんな何もない所に駅があるのか。これは、元々人口希薄地帯である、ということもありますが、最大の原因は天竜川治水のため建設されたダムのために集落が水没し、移転してしまったからです。水没しなかった部分は残りましたが、過疎化で集落が小さくなり、殆ど残っていません。だから、利用も殆ど無いのです。この地域では新聞は郵便で送られ、その郵便配達まで電車と徒歩なのだと、テレビでも流れていました。一部には車も入れない場所もあり、駅の廃止も出来ないのでしょう。しかし、決して登山客のためだけのものではありません。



Iihq14  千代からは、すぐに天竜峡駅に到着します。天竜峡からは船下り、といきたいですが、時間の都合で船遊びになりました。写真の飯田線鉄橋(写真)で折り返し、駅前の舟乗り場に戻ります。カメラバッグで乗船客を1人分多くしたのは、私です。



Iihq15  そして天竜峡案内の後は、駅に戻ります。間もなく、午前に私たちを追い越した特急「伊那路1号」が、飯田で折り返し、特急「伊那路4号」として豊橋に向かいます(写真)。隣は119系海カキR1編成、岡谷行きです。間もなく、私たちも豊橋に向け折り返しました。そして帰宅しました。



 JR東海は鉄分の濃いツアーはしない、と言われていましたが、今回は割と鉄でも楽しいツアーでした。今後JR東海博物館も開館するので、それに併せて鉄分の濃いツアーなども検討して欲しい、と思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

大暑にて候(後半戦)

Hatq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日及び本日開催された、「浜松工場新幹線なろほど発見デー」を取材しました。



 昨日を仙台に割り当てると、本日は浜松工場と伊豆急、あと群馬県の森林鉄道と3つのイベントが重なります。伊豆急は数年前に参加しており、移動手段が車でもなく、結局2年ほど訪問していなかった浜松を選択しました。



 昨晩仮滞在先から夜行で移動、午前3時に浜松に到着しましたが起きられず結局大垣まで行き、大垣から取って返し、大体8時半になりました。既にシャトルバスを待つ行列は長かったのですが、30分と待たずに乗車でき、9時半には入場していました。



 そこからどれを撮影しようか、と思うと、リフティングが10時15分からで、早速こちらに向かいました。



 今年のリフティングの車輌は、0系、元K17編成の1号車、21-86でした(写真)。大窓車、開業当初の車輌ではありませんが、初期の0系の先頭車です。これを持ち上げ、台車まで移動しました。





 リフティングの動画です。0系を持ち上げるのは、何年ぶりでしょうか、といっても昨日もやっていたわけですが。



Hatq2  車輌展示、最初は300系試作車1号車、322-9001です(写真)。腰部の膨らみは、試作車のみの特徴です。J0編成で試運転、量産化改造でJ1編成に改番されました。



 この写真を撮る時、横で子供に向かって、「邪魔だ!」と怒る人(大人の男性、おそらくファン)がいましたが、今回は子供向けのイベントですから、子供の排除なんて絶対に不可能です。逆に、こんなイベントで、親子連れが来ずに一部の鉄道オタクだけになってしまったら、それは単に気持ち悪いだけじゃない、戦慄を覚えます。鉄道が、そんな社会から遊離した存在になって、本当にいいのですか?ほんと、大人げない!



 話は変わりますが、N700系Z0編成は、量産化改造もせず、今後どうするのでしょうか。今後も高速化試験車でいくのでしょうか。確かに喫煙ルームの設置改造は、非常に困難な気がしますが。



Hatq3  その隣は、100系のTDD(2階建て食堂車)、168-9001(100系試作車X0編成、後にX1編成に改番)です(写真)。X編成全9編成はJR民営化後、JR西日本が譲受を希望したようですが、JR東海はその代わりに、民営化後自社で製造したカフェテリア車、G編成の最終9編成を譲渡しました。やはりX編成は東京~博多間の約1,000キロを毎日往復した編成、傷みも激しかったのでしょう。



Hatq4  その隣は、100系先頭車、123-1です(写真)。X2編成博多方先頭車です。側では写せないので、専用の撮影場所が設けられていました。



 そういえばG編成の残存車を見かけません。余程嫌な思い出があるのか、それとも何かあるのでしょうか。そういえば、多分G編成で行った、100系東海道最終イベントは行かなかった気がします。最近山陽新幹線に旧塗装100系が復活しましたが、今はダブルデッカーのない短編成です。



Hatq5  高速試験車、”300X”、955-6です(写真)。”443.0km/h”のステッカーが貼られています。



 なお反対向きの先頭車955-1は、現在米原のJR総研施設にて、”Star21””Win450”とともに保存されます。



Hatq6  「ドクターイエロー」T4編成、923-1です(写真)。当初計画では、白地に黄帯のデザインで雑誌に載っていましたが、結局921、922(925も緑帯ですが)同様に全面黄色になりました。やはり強烈なデザインです。昔の名古屋市営地下鉄も全面黄色でしたが、もう少しおとなしい黄色でした。



Hatq7  反対側、923-7他です(写真)。こちら側1両は、関係者が待機する座席車です(新大阪でJR東海とJR西日本のメンバーが交代する)。



 この横では、社員手作りのドクターイエロー解説パネルが展示されていました。



Hatq8  戻り、体育館側へ。J21編成の1号車、323-20が、日本車輌の工場内納車組立場所に展示されます(写真)。腰部の違いが分かります。



 なお豊川の日車工場で製造された車輌は、700系までは甲種回送、N700系からはトレーラー陸送でここに運び込まれ、台車と再び合体、本線上に入線可能になります。



 先日、300系最終全検(全般検査)記念式典が浜松工場で行われ、雑誌の記事にもなっていました。つまり、あと最大6年以内に300系はJR東海から全廃されるということです。3年後には重検(重要部検査)も終わり、検査切れ車輌から廃車、ということになります。初代「のぞみ」として一時代を築いた300系も、間もなく終焉の時を迎えようとしています。



Hatq9  続いて旧車展示へ。こちらは毎年の、トキ4837(トキ900形)です(写真)。3軸無蓋車、D52と同発想の戦時形貨車で、軸重が大きすぎ、東海道本線からの他線転用は困難だったようです。



Hatq10  現存唯一の165系車籍保持車、サロ165 106です(写真)。長く静岡で保存されたといいますが、JR東海博物館展示車輌とするため浜松工場で整備され、登場当初の車体の緑帯(2等級化後の「1等車」表記)も復元されました。簡易運転台のある側で、前照灯と尾灯が装備されています。なお、区名表示は「名カキ」(名古屋鉄道管理局大垣電車区)に復元されていました。



Hatq11  続いて除雪車、DE15 1531です(写真)。昭和51年川崎製、こちらの展示も毎年ですが、同車の車籍は無いようです。



Hatq12  EF58 157です(写真)。昭和33年三菱電機・新三菱重工製、以前は青白の直流標準色だった気がしますが、現在はぶどう色2号に改められました。



 EF58は東海道本線全線電化時の主力電気機関車、花形の時期が長く、各地で保存され割と恵まれた機関車ですが、僅かな栄光で終わった機関車たちは残ることもなく、薄幸ではあります。先台車つき2C-C2の軸配置が昔ながらで、EF60からはB-B-Bになります(例外、EF62はC-C)。



Hatq13  ここからは、0系関連の保存車です。最初は、博多延伸時に整備された食堂車(M’d)、36-84(昭和50年日立製)です(写真)。博多向き右側が通路で、食堂車から富士山が見えない、という話もありました。そのため、右側になる写真側には、業務用扉も、調理室の変化した窓割りも現れません。残念。



 なお、100系では通過通路が1階を通るように設計されたことから、再び風景が復活しました。



Hatq14  続いてはビュッフェ(Mb)、37-2523(昭和58年日立製)です(写真)。2000番台の番号が表すように、小窓車と同時期の、後期の車輌です。手前の業務用扉、そして調理室の特徴ある窓割りがポイントです。しかし、一体誰が簡易食堂車に、フランス語の”buffet”なんて洒落た名をつけたのでしょう。



Hatq15  最後はグリーン車、16-2034(昭和61年日車)です(写真)。パンタグラフ無し中間一等車(M’s)です。こちらも最終期の増備車です。いずれも狭軌の線路の上に乗っている関係上、狭軌の台車に無理矢理載せているようでした。0系の特徴、IS式枕バネも分かりませんでした。



 新幹線事業用高速ディーゼル機関車、911は解体してしまった、とは聞いていましたが、0系関連でまだこんなに残存車があったとは。割と残していたのだなあ、と改めて感心します。開業当初からの初期車が少ないですが、昭和50年代に整備困難で老朽廃車したため(そのための代替車が2000番台です)、当時は過去を顧みる時代でもなく、何も考えず解体してしまったのでしょう。過去に戻って取り返すことも出来ませんし、仕方ありません。せめて残った車輌位は大切にしなければ。



 夏休みが始まったこの時期、子供向けイベントが多数組まれ、どこに行くか迷ってしまいます。また来年は、どうしようか、よく考えたいと思います。それにしても、両日とも快晴で、なんて暑かったんだ!



 それでは、次回をお楽しみに。

大暑にて候(前半戦)

Sens1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、本日仙台で開催された、「第26回新幹線車両基地まつり」を取材しました。



 昨晩、自宅からバスで出発。普段とは違うバスターミナルに、少し興奮気味でした。しかし、申し込みがあと1時間遅れていたら乗車できず、ギリギリセーフでした。



 そして今朝、仙台に到着。朝食、時間調整の後、会場駅である新利府へ向かいました。



 一応開場は9時半とされていましたが、駅の出入口がそのまま車両基地になっている関係で、9時前に到着した私たちもオープンスペースには入ることが出来、9時の時点でおおよそ1,000人、と言っていましたが実際はどうでしょう。しかしその位いるんじゃないか、というほど多くの人が来場していました。



 そして、9時半に建物のシャッターが開きます。そして多くの人が走って辿り着いたのは、今年初号編成が落成、来年から「はやぶさ」として営業を始めるE5系です(写真)。S11編成、一番こちら側の車輌は「グランクラス」、E514-1です。同列車には恐らく「はやぶさ」料金が加算されます。「グランクラス」は、新幹線で3列シート、フットレスト付き電動フルバケットリクライニングシートで、飛行機のファーストクラスをも凌ぐ設備となる予定です(現在は車内設備未施工とされる)。



Sens2  隣は、毎年の主役、E926、「イースト・アイ(East-i)」です(写真)。総合検測車、新規開業区間でも一番最初に入り、花魁車ともなります。当然新青森に一番乗りしたのも同車でした。今年の正月輸送、楽しみですねえ!



 これらの写真を、子供たちの記念撮影の前に撮ることが出来、今回の最大の目的を達成しました。しかしE5系・E6系の試験車であるE954形とE955形、すなわち”Fastech360S”及び”Fastech360Z”は、撮らないうちにいずれも解体されてしまいました。2年連続でこのイベントを仙台沖で迎えたための、天罰でした。



Sens3  そして組立工場へ。中では各地の観光宣伝が行われていましたが、とりわけこの冬新規開業区間となる新青森関連は、多数でした。写真は、「青い森鉄道」のマスコットキャラです(写真)。青森は、東北新幹線が全通するこの冬に、相当の期待をかけています。



Sens4  隣は仙台空港鉄道、SAT721形(JR東日本E721系の同型)の、記念撮影用のパネルがありました(写真)。日付付きです。



Sens5  奥では、E3系を使った、新幹線の連結器の実演を行っていました(写真、E311-5)。リモートコードで遠隔操作し、正面カバーを開閉させていました。なお、E3系はカバーを開けてから連結器が前に繰り出す、という動作は無いようです。





 連結器動作の動画です。開くだけで繰り出しがないのが分かります。



Sens6  その横では、高所作業車が、エキスパンダー式の支柱を持ち上げ、子供を天井近くまで高く運んでいきました(写真)。一番下の端と一番上の端の支柱には、油圧ジャッキが入っていました。





 昇降を写した動画です。高くまで上がっているのが分かります。



Sens7  組立工場と車両が展示された台車工場の間には、トラバーサがあります(写真)。この運転実演を待っていました。



Sens8  トラバーサにはE3系「こまち」の16号車(車番不明ながら、恐らくE321-5と思われる)が乗り、子供たちが車両にタッチしていました。間もなく、トラバーサは移動、駐車場側に移動しました。





 トラバーサの移動の動画です。戻るまで写したかったのですが、時間が長くなるため、往き道だけで断念しました。



Sens9  再び組立工場、パンタグラフの展示を(写真)。左がPS206(E3系用)、右がPS9038(”Fastech360S”に使用されていた)です。JR東日本は、E5系を究極の新幹線にしたかったようです。



Sens10  そしてこちらは懐かしい、200系の菱形パンタグラフ(やはりモーターのMT201同様、PS201でした)が、ボタンスイッチで動作できるように工夫され、実演されていました(写真)。





 動作の実演の動画です。僅かな時間で、簡単でした。



Sens11  続いて、台車工場に戻ります。間もなく台車の組立実演が始まりました(写真)。約40分余り、熱のこもった真剣そのものの実演に、最後は盛大な拍手となりました。1日5台車、というのも頷けます。細かい話では、封印の針金を結ぶ技術の習得が一番困難で、相当時間がかかるそうです。



 そして少し早い気がしましたが、「横手焼きそば」を買い、外に出ましたが、列車が帰りの初電で、乗車に一苦労。往き道に指をくわえてみていた「あれ」を撮るのは不可能で、再び利府を目指しました。



Sens12a  その「あれ」とは、これです、E6系です(写真、E611-1)。E5系「はやぶさ」の相方となる同車、秋田行きのため、名前は「こまち」のまま募集しないのでしょうか。最終的には「はやぶさ」と共に320キロで走る同車、新ネーミングを募集するのも一案か。ということは、こちらも特別料金を取られそうです。寝台特急を廃止しての「あけぼの」とかは駄目ですよ!



Sens13  先ほどの写真は2秒早く失敗でしたが、こちらはちょうどいいタイミング、E621-1です(写真)。S12編成とも書かれます。デジ一で撮れば、この写真からでも表記のナンバーが読み取れるんですよ!



 なお、一つ前の写真は、少し出来の良いフィルム写真のスキャニング画像に差し替えました。プロビア(RXP)は、デジカメとはこんなに色が違います。同じ快晴のはずの空の色までも違い、まさに「プロビアン・スカイ」です。デジカメは微妙な赤が不得意か。



Sens14  そして戻り道、JR貨物の仙台総合鉄道部を行き過ぎ、JR東日本仙台車両センター(旧仙台電車区)を通ります。そこには、ED75 757が待機します(写真)。奥羽北線電化用のED75 700番台、最終形態でED79の種車でもあります。隣には同758号機もあり、意味深です。



 そして今は今日の仮滞在先から投稿しています。今日仙台なら、明日はどこでしょうか。しかし、群馬県の山中、森林鉄道という選択肢もありますが、車ではないので、残念です。



 それでは、次回をお楽しみに。

Over The Rainbow

Oigq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、キハ52による大糸線臨時列車、「ジオパーク号」を取材しました。



Oigq2  今朝も滞在先を発ち、糸魚川駅に到着。駅の3番線に人集りがするので、行ってみると、今日の「ジオパーク号」の運用に就くキハ52 125と156がスタンバイしています(写真)。間もなく転線、今日の運用に就きます。



Oigq3  そして4番線に据え付けられた「ジオパーク号」(写真)。青のツートンは125号、朱(首都圏色)は156号です。





 「ジオパーク号」側線からの入換、入線、そして出発の様子です。つまり、これが撮れた、ということはどういうこと?



Oigq4  しかし、残念ながらキャンセル待ちも虚しく、往き道は乗車が不可能でした。そこで私は追っかけで、続いて発車する1時間後の南小谷行きに乗車しました(写真)。キハ120、前(右側)が329、後が341です。



Oigq5  そして乗車1時間、終点の南小谷に着きます。場内信号がなかなか青にならなかったのですが、その間に3番線に停まるキハ52を撮影することが出来ました(写真)。



Oigq6  南小谷にて、撮影を。最初はキハ52 125です(写真)。



Oigq7  続いて、キハ52 156です(写真)。



Oigq8  長い1番線には、JR東日本E257系、長モトM114編成が入っています(写真)。9連、最初が3号車、後が11号車なのは、増結編成(1・2号車)が続くからです。しかし大糸線運用も1往復に減り、9連の短縮が役立つ場面は減りました。



Oigq9  南小谷の駅の案内看板(写真)。稚内及び枕崎からの距離が書かれています。



Oigq10  帰り道は予約が取れ、乗車できました。2号車、キハ52 125の運転台の様子(写真)。古色蒼然としています。



Oigq11  右側、助士席の様子(写真)。回転式ハンドブレーキが見えます。なお、この部分への立入は禁止されていました。



Oigq12  客室の様子(写真)。セミクロスシートだったため、予約がロングシート部に当たり残念でした。



「DS750072.wma」をダウンロード



 そして一番重要な、ディーゼル機関DMH17Hのサウンドです。180PS機関の4重奏、如何ですか。しかし、約1時間、しかも山を下るところで、フルパワーの時のサウンドが聞けず残念。



Oigq13  そして糸魚川に戻りました。早速撮影ですが、こちらも早速ヘッドマークのボルトを緩め外します(写真)。



Oigq14  運用を終えたキハ52 156(写真)。この後転線し、帰庫するのでしょう。そして私も帰途に就きました。



 一番の目的だった、DMH17Hのエグゾーストノートを記録でき、良い感じです。登り坂ではないことを除き、満足しました。



Oigq15  つい先日キハ52のお別れ会の時の会場だったレンガ車庫は、北陸新幹線工事のため跡形無く取り壊されましたが、一部原形を保って組まれています(写真)。今後、新駅舎完成時に、オブジェに使うのか。どうするのでしょう。



 それでは、次回をお楽しみに。

(新)峠屋三昧

Sinop1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、長野方面に来ています。



 昨日の投稿の後、自宅を車で発ち、未明に長野入り。そして、今日の取材に備えます。



Sinop2  今日の最初は、山梨県韮崎からです。韮崎中央公園には、C12 5が保存されます(写真)。横では、朝早くから国鉄OBと思われる人々が、ミニSLの準備をしていましたが、時間が早く営業していませんでした。



Sinop3  これで終わりと思いきや、公園の反対側にはEF15の最終ナンバー、198号がトラ3両、ヨを従え保存されます(写真)。しかし全体の塗装が錆止めの色になっており、原色と異なり残念。



Sinop4  そして、中央東線小淵沢~信濃境間旧線に保存されるという、富士急行の旧車を発見できず、こちらは次回持ち越しです。



 続いて信濃境~富士見間の廃止になった旧線、鉄橋の遺構です(写真)。橋梁名を失念しました(旧立場川橋梁)が、単線電化の橋梁、トラス部分は輸入品です。現在線は、その南側にコンクリートの複線橋梁(新立場川橋梁)を建設しました。



Sinop5  富士見から松本、豊科から明科へ。今回の主題、篠ノ井線旧線跡を辿ります。最初は明科からも近い三五山トンネルです(写真)。架線柱のある線路跡が残ります。トンネルに入ります。



Sinop6  同トンネルの反対側出口です(写真)。この右端から道路に出ることが出来ます。右隅に、「30」と刻印された標柱が立ちます。つまり、ここは塩尻起点30キロポストでした。



Sinop7  国道403号を1キロほど走ると、「潮沢信号場」と書かれた看板があります。そこに車を停め歩いていくと、山を登るためにスイッチバックしていた信号場の跡が残っていました。写真左側がスイッチバック線、左後塩尻側の本線から入線した列車はここで折り返し右後にバックし、右奥篠ノ井側に登っていきます(写真)。



Sinop8  そして最大の遺構、白沢第一トンネルの入口です(写真)。トンネル手前の恐らく信号場跡地が大きな駐車場になっており、明科からこの場所まで遊歩道として整備されています。トンネルは現在、第三者が他の目的に使用しているようです。



Sinop9  同トンネルの反対側に回り込もうとすると、道路が怪しくなってきます。怪しいなあ、と思った場所に、橋梁がありました(写真)が、この先は通行禁止になっています。横には保線用の歩道吊橋がありました。



Sinop10  その篠ノ井側には、写真のような架線柱が立ち、廃線跡が残ります(写真)。ここから国道に戻る側が、篠ノ井方面ですが、だんだん分からなくなっていきます。



 この山を越すと西条、現在線と合流します。



Sinop11  そして山を越し、篠ノ井への下りとなります。最初は羽尾信号場ですが、現在同信号場は廃止されています。信号場の廃線跡はレールに草生し、廃止から時間が経っていることが分かります(写真、スイッチバック線上から)。現在は、写真左に下る本線のみです。ここは道が細く、軽でないとボックスカルバートに引っ掛かり動作不能になった挙げ句、踏切に支障すれば事故となり、重罪に問われます。大きい車は止めておきましょう。



Sinop12  続いて2段目のスイッチバック、姨捨駅です(写真)。SL時代は給水も行う、重要な駅でした。



Sinop13  同駅2番線ホーム(塩尻方面)には、駅の説明書きの看板が立ちます(写真)。明治33年開設、由緒ある駅です。ホームからは鉄道三景に挙げられる美しい風景が見られます(表題の写真)。



Sinop14  駅の南側には、スイッチバックの線路が敷かれます(写真)。左後が駅(2線)、左中ほどから下るのが篠ノ井側本線、左奥がスイッチバック線、右奥が塩尻側本線です。上下線列車が、同時に駅に入線できる構造です。



Sinop15  169系リバイバル塗色の時に、教えてもらった「姨捨公園」。どんな所かと思っていましたが、「駅から100メートル」と書かれていたので、行ってみました(写真)。話題の列車が来れば、写真の中央の山に並ぶファンの姿が思い浮かびます。三脚を倒して列車にひかれないように。



Sinop16  そして橋の架け替え工事による通行止めで遠回りした、桑ノ原信号場です(写真)。写真右奥が篠ノ井側、低速列車は一旦写真右後のスイッチバック線に入り、左奥の線路に戻り加速、左後の塩尻側本線に登っていきます。



 この後、篠ノ井機関区、後の塩尻機関区篠ノ井派出、現在愛知機関区に統合されてしまった機関区があります。しかし今日ここにはEF64、0番台国鉄色どころかEF64自体無く、DE10が1両停まっているだけでした。残念。



 そして今日の滞在先に向かいました。



 篠ノ井線の西条までは複線トンネルの新線が完成し、旧線は廃止されました。そして姨捨側は、複線化が完成すればかつての奥羽本線山線のような雰囲気になったのでしょうが、現在に至るまで単線です。今後とも、輸送量の増大は見込めず、改良は行われないのでしょう。しかし、山越えの施設は非常に興味深いです。



 明日は、どうでしょうか。次回をお楽しみに。

復活の日

Mesq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、台風災害で一部運休が続く、JR名松線を取材しました。



 結局昨日はベッドで寝た私。今朝起きると、既に時計は昼を指しています。今日の予定を果たすべく、慌てて出発します。



 高速の大渋滞を抜け、辿り着いたのはJR家城駅(写真)。名松線最大の駅、有人駅で行き違い可能でしたが、現在の仮の終点となっています。



Mesq2  有人駅ですので、入場券を買って入場します。写真左手前が伊勢奥津方面ホーム、右奥が松坂方面ホームでしたが、現在は手前側のみ使用しています(写真)。



Mesq3  現在の終点表示(写真)。この先が、不通区間となっています。左上、出発信号に×点が追加されているのが分かります。



Mesq4  同駅は、最近まで腕木式信号機のある駅として有名でした。写真は、その信号操作テコのあった場所です(写真)。この囲いの下に、信号操作テコがあり、場内信号、出発信号を操作していました。しかし現在、同線は全線自動閉塞に切り替えられたこともあり、信号も自動式になっています。



Mesq5  駅前には、三交バス(鉄道代行バス)のバス停があります(写真)。下り5本、上り6本が運転されます。



 これを写し、家城を後にしました。



Mesq6  続いて、伊勢竹原に到着します(写真)。こちらは良い感じの木造駅舎、しかし無人駅です。



Mesq7  続いて、伊勢鎌倉駅へ(写真)。こちらは駅舎がなく、簡易な待合室があるだけの駅でした。



Mesq8  次は、伊勢八知駅です(写真)。旧美杉町役場(現津市美杉庁舎)前、立派な木造駅舎併用施設を新築しましたが、現在は駅としては機能していません。なお、駅は右端の小さな入口の部分です。



Mesq9  続いては、比津です(写真)。民家の軒先のような場所に駅があります。こちらも駅舎はなく、待合室だけです。



Mesq10  並走する県道の上を、名松線が鉄橋で越します(写真)。車で見た限り、高山本線の時のように桁橋の桁が落ちたり、路盤が流されたり、といった場所は見受けられませんでした。強度的には問題があるのかもしれませんが、見てくれは問題ないように思われます。



Mesq11  そして終点、伊勢奥津に到着します(写真)。立派な木造駅舎併合施設があります。この一番奥の部分が駅です。



Mesq12  ホームは、かつて来た時は1面2線だった記憶がありますが、現在は1面1線になっています(写真)。これで完全に家城~伊勢奥津間は1閉塞になっています。



Mesq13  名松線、本来の終点です(写真)。右側に、”1/2 43”と書かれた柱が立っていますが、これがキロポストで、松阪起点43.5キロであることが分かります。



 災害で運休した高山本線や越美北線は、もっとひどい被害を受けても営業再開しており、その気があれば営業再開は不可能ではないと思います。しかし、松阪と名張を結ぶ計画はとうの昔に放棄され、一盲腸線として営業されていた同線は、営業を再開しても採算見込みが立たず、営業するJR東海としてもこのまま廃止したい、というのが本音なのでしょう。しかも同線では、列車の無人暴走事件が2回もあり、「名松線」の名前も聞きたくない、思い出したくない、という感じになってしまっているのでしょう。1鉄道ファンとしては復活を期待したいですが、経済原則はそれを許す状況ではありません。



 JR東海の大プロジェクトの陰で、忘れ去られるローカル線、名松線。復活という奇跡を、今一度信じてみたいと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

(続・続)清々しき朝かな(餘部の朝)

Amaz1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、本日限りで使用が停止される、山陰本線余部鉄橋を取材しました。



 今日の仕事は夏期休暇にして、昨晩出発しました。そして未明に駐車場着。満車も覚悟しましたが、そこまで気の早いファンは少なかったようです。



 そして今朝早く目覚めます。今日の天気は雨ではありませんでした(写真)。



Amaz2  間もなく今日の初列車、浜坂発豊岡行き上り160Dが行き過ぎます(写真)。豊岡鉄道部のキハ47の4連でした。





 160D通過の動画です。天気は、イマイチです。



Amaz3  これに続行して、鳥取発新大阪行き特急「はまかぜ2号」が行き過ぎます(写真)。キハ181系も見納めか。でも、国鉄色の復活も期待しています。



 なお、寝台特急「出雲」の下りは、この列車と香住で行き違い、余部鉄橋を渡りましたが、廃止されてからもう何年経つのでしょう。





 はまかぜ2号通過の動画です。まだまだ天気は梅雨のままですが、どんな感じでしょうか。



Amaz4  そして私は車に戻り、得意技をかまし、昼まで寝込んでいました。そして目覚めると、外はいつの間にか晴れに。いよいよ、梅雨明けか。駐車場は満車、路駐も多数で、警察が取り締まっていました。



 次のお目当ての列車が来る前に、餘部駅を取材します。



 最初は、橋脚にある余部鉄橋の解説看板です(写真)。何度かご登場いただいている看板です。



Amaz5  そして仮設階段を登り、駅開設時の通路、架け替えにより新設された通路を通り、餘部駅へ。ホームは写真のとおり(写真)、南側斜面にコンクリート擁壁を建て、新橋梁(コンクリートラーメン橋)に連なる線路が敷かれます。



Amaz6  新旧橋梁の様子(写真)。準備万端、あとは橋梁のトンネル側部分の付け替えが行われれば、営業は可能です。



Amaz7  そして駅からの通路を降り、地平の街へ。橋の南側に行くと、新橋梁の全景が見られます(写真)。コンクリート橋は錆びる心配がありません。



Amaz8  再び北側に(写真)。左端、トンネル側のクレーンが上がり、何かを吊る準備を始めています。あの部分が付け替えを必要としています。



 なお、現在新たな余部鉄橋グッズとして、塗り直しの際に落とされた「錆」の袋詰めが売られています。



Amaz9  スポットに戻ると、間もなく新大阪発浜坂行き「はまかぜ1号」、6両編成がやって来ました(写真)。天気は、晴れです。今日は15分遅れになってしまいました。



 「はまかぜ1号」通過の動画です。天気は良くなり、非常に暑かったです。



Amaz10  一瞬天気雨になり、心配しましたが、すぐに止みました。そして30分後、同列車の折り返しで、浜坂発新大阪行きとなった「はまかぜ4号」がやって来ました(写真)。これも少々遅延です。折り返し時の清掃の時間は、あったのでしょうか。



 「はまかぜ4号」の動画です。真夏の陽気の中、にわか雨が心配でした。



Amaz11  そして待つこと2時間、通常は新大阪発香住行き「はまかぜ3号」が、今日は浜坂まで延長運転、余部にも停車しました(写真)。



 最後の動画、「はまかぜ3号」です。ここまでは、天気が保ちました。



 本当は、この1時間半後に同列車の折り返し、新大阪行き「はまかぜ6号」が来るのですが、入道雲が現れ、雨が降り出し雷まで鳴り出したので、ほぼ全員が撤退しました。そして私は帰途に就きました。



 明日からは香住~浜坂間は運休、代行バスが走ります。そして営業が再開された時には、余部鉄橋は役目を終え新橋梁が使用を開始されます。8月12日、私は渡り初めはしませんが、なるべく早い段階で行けたらと思っています。



 余部鉄橋は景観的には優れていましたが、潮風が原因で錆びるため、塗り直しが必要であったこと、また強風が原因とされる列車転落事故があり、事故以降定時運行が困難となってしまったことが、架け替えの原因でした。残念ですが、仕方ありません。しかし用途廃止後も一部は記念として残されるそうで、歴史的建造物としても価値のある同鉄橋、後世まで伝えて欲しいものです。



 それでは、次回をお楽しみに。

東武警察(後半戦)

Neoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、JR大船駅で開催された、”N’EX”253系イベントをお届けします。



 なぜ大船なのかというと、新旧とも”N’EX”は車両基地が鎌倉総合車両センターであり、その最寄り駅である大船は始発駅でもあり、今回の会場になりました。



Neoq2  今朝も滞在先を発ち、一路、大船へ。大船駅には、車輌は何も入っていません。そこでコンコースに上がると、写真のような253系の正面のパネルが(写真)。まさか、これだけでイベントは無いでしょ!一瞬、帰ろうかと思いました。



Neoq3  横には、ヘッドマーク他の展示が(写真)。



 ちょうどその時、構内放送がかかります。そばにいた駅員に尋ねると、大船駅北改札前にて車内見学及び制服記念撮影の整理券を配っているとのこと。早速受け取り、準備をします。



Neoq4  しかしまだ時間がある。会場の6番ホームに下りると、新”N’EX”E259系が出発準備をしています(写真)。6月30日をもって完全置き換え、京成スカイアクセスとの新たなる戦いに備えます。



Neoq5  暫くすると、今回の主役、253系Ne202編成が入線します(写真、クロ253 202)。「動画」という頭が無く、録り損ねました。



Neoq6  正面には、「ありがとう253系 2010.6.30」という、最終日のステッカーが貼られます(写真)。



Neoq7  反対側の様子(写真、クモハ252 202)。奥が白飛びしてしまいました。



Neoq8  こちらには、今日のイベントのステッカーが貼られました(写真)。



Neoq9  車内見学を待つ間に、こんな方向幕が(写真)。小田原発着は、遂に実現しませんでした。



Neoq10  車内見学の時間になりました。まずはクモハ252 202の運転台から(写真)。昔は満席でグリーン車しか空いていない時代もあり、それで3連から6連に輸送力が増強されたのでした。当時は、こんな所まで意識もしませんでした。



Neoq11  荷物室、客室の様子(写真)。それほど古さは感じませんが、20年経っているのですね。制御もVVVFではないですし。



Neoq12  そして、当時は最新式だったLEDの現在位置図、及び空港到着予定時刻も分かる時計です(写真)。懐かしい。



 整理券の次の回までの約1時間、中で着席したまま時間を過ごすことも出来ましたが、このまま後にしました。



 確かに頻発、運用も過酷であり、老朽化は進んでいた気がしますが、もう廃車、というのはどうなのか。まあ他線転用も不可能でしょうから、やむを得ない措置なのか。しかし、20年は、早いです。



 それでは、次回をお楽しみに。

東武警察(前半戦)

Tobuq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、関東地方に来ています。



 昨晩自宅を発ちました。明日の予定があり、駐車代と電車代を勘案し、安上がりな方法を選択、則ち車無しを選択しました。そして未明に東京に着きましたが、そのまま電車に乗ってしまいました。



Tobuq2  上野から宇都宮、そしてJR日光線普通を乗り継ぎJR日光へ(写真)。SUICA2,500円には目玉が飛び出しましたが、まあ観光地ですから、仕方ありません。しかし、ここへ再び来たのは理由があります。



Tobuq3  同駅舎には、明治の皇太子、則ち大正天皇が、明治32年以来毎年日光の御用邸に静養に来たことから整備された、貴賓室が残っています(写真)。同駅改札内で、9時半から16時まで公開されています(入場券、あるいは同駅まで有効な乗車券が必要です)。中に入ります(土足厳禁、入れるのは入口のみ)。



Tobuq4  内部の様子(写真)。暖炉、ストーブ、間に大正天皇の座った椅子があります。赤絨毯が敷かれます。皇太子は右奥のドアから出ました。



Tobuq5  改札を出て、階段を登ると、2階では講演会が行われていました(写真)。講義の内容もさることながら、部屋もシャンデリアが掛かり豪華な雰囲気、舞踏会でもしていたのか(同駅舎は大正年間の建築とされます)。迷惑をかけないよう、静かに去りました。



Tobuq6  続いて東武日光に向かうと、真っ赤な電車が入線するのが見えます。「あっ!あれだ!」と喜んで駅改札を通ります。やはりそうでした、1800系最終増備車、1819始め6連です(写真、1869側)。団臨で入線していました。まだドアは閉まっていなかったので、職員に許しを得て、中に入りました。



Tobuq7  車内の様子(写真、1869)。現在は特急とほぼ同じ回転リクライニングシートです。



 なぜ同車は特別なのか。もともと1800系は、伊勢崎線方面行きの有料急行「りょうもう」号の車両として製造されたのですが、運用の都合で1編成不足し、追加製造したのが同編成です。しかし、「りょうもう」号は特急に格上げ、200系・250系が製造され、同系は不要となり格下げ、ワンマン一般車を経て解体されましたが、車齢の浅い同編成は残され、団体臨時用に使用されます。1編成故に注目されます。これで団臨が出来るといいけど、無理かなあ?



Tobuq8  続いて臨時特急「きりふり」が入線します。301-1始め6連です(写真)。300系は、足回りは再利用のリサイクル車です。



Tobuq9  そして6050系区間快速(東武では現在「急行」より上位の列車)で東京へ向かいます。下今市には先ほどの1819始め6連が、運用の合間で待機していました(写真)。編成写真が撮れました。



 乗車した列車は同駅で新藤原方面からの車両を併結し、東武動物公園まで各駅に停車します。以前なら気が遠くなり、特急に乗るところでした。



Tobuq10  そして北千住まで行き、西新井まで戻ります。西新井からは民鉄の単一系列での最多増備数を誇る東武8000系、ワンマン改造2連で一駅、大師線大師前に到着(写真)。現在は高架駅です。



Tobuq11  同駅は2階にホームがあります(写真)。構造的には1面2線の島式で設計されたようですが、現在は1面1線のみの使用、改札も通常時は西新井で済ませています。初詣の時は駅で有人改札が出来るように、改札の構造物が設けられています。



Tobuq12  続いて東向島の東武博物館に行きました。一番の展示物、モハ5701です(写真)。東武の看板列車だっただけあり、保存も特別です。



Tobuq13  同車の曲面を出すために作られた、治具が横に置かれています(写真)。正確に曲面を出すには欠かせない道具、これが出来なかったから、フランスのTGVだって平面だったのです。初代のTGV-PSEを撮影するのは、可能でしょうか?



Tobuq14  そしてその後押上へ行き、青砥へ行き、何と成田空港まで行ってしまいました。先回第2ターミナルではノーチェックだったので安心していたら、今日の第1ターミナルではチケット、パスポート及びバゲッジのチェックが行われており、チケットもパスポートも持たない私は「すぐに帰りますから」と言うと、「身分証明書を。」と言われ、運転免許証で事なきを得ました。



 直ちに京成のカウンターでスカイライナーのチケットを買い、駅に戻ります。そしてホームには、今後の動向が注目される、京成AE100が(写真、AE181始め8連)。どうも、初号編成のようです。



Tobuq15  5号車、AE151の車内(写真)。同車のみサービスカウンター、自販機があり、当然荷物室もあります。客室も記録しました。



Tobuq16  そして終点上野まで行き、記録を(写真、AE111)。平成2年東急車輌製造です。やはりバブルの時期の製造、当時流行ったスポーツカーのようなオープン式のヘッドライトが特徴です。



 今月成田スカイアクセスが営業を開始し、160キロ出る新AEが営業を開始します。すると、現在のAE100の去就が気になります。初代AEは引退後、足回りを新車体に載せ替え通勤形電車になりました。平成のAE100、駆動もVVVFですが、これもそうなるのか。



「DS750071.wma」をダウンロード



 そんなことにならないよう、駆動音を記録しておきました。迂闊で第2ターミナルからでしたが、どうぞ(約1時間)。



 すると明日は、あれだなあ、と思うでしょう。それでは、次回をお楽しみに。

Stuck Days#2

Azq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は昨日後半戦、山形から下って福島県会津地方に行きました。



 米沢まで行き、給油整備の上峠越えを。大峠道路、日中線則ち野岩羽線の夢を通り過ぎ、会津熱塩へ。駅舎は昨日も変わりありませんでした(写真)。



Azq2  その後、同駅ヤードの跡には、こちらも変わらず、キ287とオハフ61 2752が保存されます(写真)。



Azq3  続いて、会津若松を越え芦ノ牧温泉へ(写真)。何気なく寄った同駅で、大発見をしました。



Azq4  同駅には本年引退したトロッコ気動車、AT301が保存されます(写真)。元国鉄キハ30、営業時は窓を外しオープンになっていましたが、今は窓が嵌められています。



Azq5  会津高原側の眺め(写真)。外吊りドアは1つだけ残し(オリジナルは3つ)、後は客室に充てられました。営業時の雰囲気が出ています。



 昨年乗車した時は、確かに種車は古いと思いましたが、まだまだいけると思っていました。そのため撮影に失敗して、次回でいいや、と思っているうちに廃車、撮影機会もないまま残念と思っていたところ、今回偶然発見し、非常にラッキーです。



Azq6  こちらもいました、「ネコ駅長」です(写真)。会津鉄道の帽子を、しっかりかぶっています。いまではどこの鉄道でも、「駅ネコ」は注目です。



Azq7  続いて湯野上温泉へ。おそらく日本でも唯一の、萱葺き駅舎です(写真)。駅前には、携帯用バーコードを載せ自分の携帯で音声ガイドが聞けるガイドブックの自動販売機がありました。天然記念物「塔のへつり」もそれほど遠くありません(勿論最寄りは「塔のへつり」駅です)。



Azq8  そして、今回も会津田島に来てしまいました。3番線には、会津鉄道ではAT301引退でもっとも古くなったお座敷気動車AT103、始め2連が団体運用の準備をしています(写真)。



Azq9  反対側には、新型トロッコ気動車、AT351が(写真)。ボディにはネコ駅長のペイントが所狭しと並んでいます。



Azq10  普段トロッコと編成を組む展望車、「風覧望」AT401は、今日は庫内で休憩です(写真)。これも種車は、国鉄キハ40だそうです。



Azq11  間もなく鬼怒川温泉発会津若松行き、新”AIZUマウントエクスプレス”、手前AT752、奥AT701です(写真)。今年の新車、キハ8500形の後継とすべく製造されました。車体は軽快気動車ですが、車内は全席回転リクライニングシートで、キハ8500形とほぼ同じです。最高速度は、どんなものでしょうか。しかし、運用は他車と共通化でき、楽にはなったでしょう。



 間もなく、同車は出発しました。



Azq12  キハ8500形が、車庫前の留置線に停まります(写真、キハ8501)。1、2番線からはこんな感じです。



Azq13  そこで、社員の方にお願いして、AT351に入り、オープン窓から撮影をさせて貰いました。写真手前がキハ8504、奥がキハ8501で、いずれも「さよなら AIZU MOUNT EXPRESS」というヘッドマークを付けています。先日交代式のあった同列車、まだ名残惜しいです。しかし、ほんとうにキハ8500系は、「5人ぼっち」です。



 私の愛車はハイブリッドカー、路上でも色々と嫌がらせを受けます。相手の車は大小の差はありますが、全て同じ自動車メーカーの車です。「ハイブリッドは非力」というイメージがありますが、それは10年前の話、現在電気駆動部分は、交流同期モーターに可変電圧インバーター(則ちVVVF)、これは基本的には「のぞみ」や「はやて」と同じです。確かに3ナンバーに1500あるいは1800ccのエンジンは足りませんが、ネット出力は車輌相応になっています。バッテリー性能の限界で、実用環境車が事実上ハイブリッド車のみである現在、ハイブリッドシステムを公然と否定する同社の運命や如何に。某男性誌と「全車馬鹿車」と喜んでいるのか。最後に、ハイブリッド車を買う人は、欠陥車騒ぎに動じない確固たる信念を持っている、ということを忘れずに。



 それでは、次回をお楽しみに。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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