寒き日に

Tayq1_2  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、今年の3月改正で運用を離脱するといわれる、「タンゴエクスプローラー」を取材しました。



 仕事が突然忙しくなり、休日出勤をしなければならず、そこで今日の予約をしているところ、仕事に行くよう言われかけたので、「今日だけは勘弁してください。」といって逃げてきました。



 そして今朝自宅を発ち、向かったのは新大阪。出発の遅い「タンゴエクスプローラー」を、1時間前に捉えようとやって来たものの、送り込みの2号の入線番線が分からない。そこで駅員に聞くと、出発番線(15番線)に行くように言われ、意地悪だなあ、と思ったところ、丁度その正面の14番線に入線するではありませんか!(写真、KTR001始め6連)実はすごく親切?まあ、写真が撮れればそれでよし。



Tayq2  長時間停車します。下り先頭のKTR013から(写真)。6両とはいえ長いです。



Tayq3  KTR011とKTR003の連結する姿(写真)。まもなく、このシーン自体見られなくなります。



Tayq4  そして一旦京都方に引き上げてから、15番線に入線します(写真)。普通列車に支障しないよう、間もなく、出発です。



Tayq5  KTR013の客室へのデッキエントランス(写真)。階段状になっています。



Tayq6  階段を登ると、ハイデッカーの客室になっています(写真)。2階建て並の高さ及び構造です。屋根はドーム状、車両限界一杯まで取られています。



Tayq7  運転台は低く、普通の車両並みです(写真)。その後は展望席、階段状に下がります。



「KTR012.wma」をダウンロード



 車内で録音した添乗音、福知山から北近畿タンゴ鉄道宮福線宮津までです。約30分、長いのは長いですが、頭だけでも聞いてください。



Tayq8  指定席は満席のため自由席で乗っていたので、混んでいるとは思っていましたが、立ち席が出ました。しかし福知山で全員着席、天橋立で3両は客扱いを停めます。車掌さんに「切り離さないの?」と聞くと、客扱いをしないだけで、編成は6連のまま終点豊岡まで行くのだとの答でした(写真)。



Tayq9  席に戻り、客室を観察。デッキ扉の上には、電光掲示板が(写真)。後から追加したような工作です。この横にはテレビがあり、平面ではなくブラウン管、ちょっと古いか。やはり平成4年製造の車両です(富士重製です)。



Tayq10  座席に着くと、シートカバーが気になります(写真)。緑と朱のシートカバー、全部”TANGO EXPLORER”と刺繍されています(写真)。同じ向きなら、緑と朱のカバーの位置は全部揃うように並んでいました。



Tayq11  そして終点豊岡に到着。宮津で向きが変わった関係で、KTR001が先頭でした(写真)。



Tayq12  豊岡駅1番線から、「タンゴエクスプローラー」を眺めます(写真)。長時間待機します。



Tayq13  豊岡駅2、3番線の電光掲示板には、「エクスプローラー」で掲示されます(写真)。この表示も、「タンゴディスカバリー」共々見られなくなります。



Tayq14  そして15時33分の出発、の筈でしたが、雪で遅延し、数分遅れで出発しました(写真)。ここで静止画を撮りすぎて、動画で大失敗を。まあ、見てのお楽しみです。





 失敗動画で恥ずかしいのですが、出発の様子です。エグゾーストノートが良いですねえ!床下スペースはたっぷりありますから!



Tayq15_11  取材なので、帰りも乗るべきではあったのですが、遠回りで、料金的に高くつくので、新車の「はまかぜ」で帰ることにしました(写真、キハ189 1004始め6連)。しかし2時間駅の吹きさらしで、身も心も冷え切ってしまいました。ああ寒い!



 今日から寒波がやって来るとのこと。本当に寒い一日でした。寒さに強いと自認する私でも、流石に堪え、インスタントカイロを点けるほどでした。本当に寒い!



 ああ、明日は未明から仕事だ!風邪より重大な病気にならねば良いのですが。



 それでは、次回をお楽しみに。

雪の日に#3

Yutq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回も昨日同様過去の写真から、平成15年から16年にかけての除雪機関車からです。



 最初は、平成15年2月23日、只見線大白川近辺での撮影ツアーで撮影した、DD15 45です(写真)。雪を跳ね上げる姿が分かります。なお、この写真はデジカメ化前の写真、ネガフィルムをスキャンして拾った画像です。



Yutq2  同日、こちらも特別運転、DD14 328を、DE10 1680が押します(写真)。この写真では、気持ちよく雪を側方に投雪しています。



 このツアーには、カメラを持たない乗り鉄さんも来ていましたが、立派な機材を装備したハイアマチュアの撮影家がほとんどで、前の晩、リバーサルフィルムの素晴らしさを説かれ、「私も使っていいかなあ?」と思ったものです。



Yutq3  翌年2月28日、同じツアーが開かれ、前日が勿体ないと、長岡車輌センター(当時の「長岡運転所」)を特別公開してくれたので、撮影を。



 最初は、転車台に載るDD15 44です(写真)。この後転車台を1回転しました。画像はデジカメ、D100での撮影です。同ツアーは7割方昨年と同じメンバーで、3割はこの年からでしたが、デジ一は私が第1号でした。



Yutq4  続いて、DD14 333です(写真)。この後ウイングを開閉したり、掻き寄せ車を回したりサービスたっぷりで、動画カメラがあれば、YouTubeでも非常に楽しいものとなっていたでしょう。



Yutq5  続いて、DE15 1537です(写真)。複線型ラッセル機関車、双頭です。



Yutq6  こちらもウイングの展開収納を実演し(写真)、動画を撮らなかったことを後悔しています。



Yutq7  そして翌日、大白川に移動し撮影会、しかしD100の画像にはケーブルレリーズが真ん中に写り込んでしまい、大失敗でした。数少ないフィルム写真での記録、DD15 44の様子(写真)。リバーサルの画像です。



Yutq8  そして最後は、DD14 333の走行の様子(写真)。この年は雪が少なくイマイチでしたが、数少ない雪を吹き上げているシーンです。



 なお、この時撮影した動画が、先日の「雪の日に」の動画です。



 最近はモーターカー、更に新型除雪機械”EDR-1100”が整備され、国鉄形除雪機関車は、次々と引退しています。写真のDD14 333も同様です。また一つ、時代が移り変わっていきます。残念ですが、仕方ありません。



 #4のネタは、多分ありません。



 それでは、次回をお楽しみに。

雪の日に#2

Yuzq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は過去の記録、秋田関連のネタで記事を作製しました。



 平成15年10月、まだJR東日本でも車輌整備場所を「工場」と呼んでいた頃、土曜日に「土崎工場」、日曜日に「南秋田運転所」で連続してイベントがありました。そこで、秋田に泊まり込み取材をしました。



 1枚目は、ロータリー除雪機関車DD14 332(写真)、区名札は確認しませんでしたが「長岡」の筈です。別の日に、別の場所で、同じカメラに収まっていました。ロータリーの前に掻き寄せ車がついています。



Yuzq2  続いて、こちらも土崎で整備していました、DD16 302です(写真)。本体は小型ですが、除雪ヘッドは軸重対策で前後ともボギー車、結果「日本最長の機関車」の称号を持っていました。



Yuzq3  次はDE15 2522、単線型ラッセル機関車です(写真)。こちらの前頭車は2軸車です。



Yuzq4  次は、1両だけの存在だったDD17を、山形新幹線用に改軌した、DD19 1です(写真)。機関はDD51と同じDML61Zを2機搭載、DD14背合わせ相当の能力を持っていますが、残念ながら1両で製造は打ち止め、現在は廃車されました。なお写真は、掻き寄せ羽根が外されています。



Yuzq5  こちらも新幹線用、DD18 3です(写真)。DD51を改軌した本体に、前後のラッセルヘッドを追加した車輌、山形新幹線及び秋田新幹線用に計3両ありましたが、現在はいずれも引退しました。



Yuzq6  ここからは除雪ではありませんが、キヤE193系の3連です(写真)。同編成は、JR北海道の検測も行います。新潟鐵工所最後の製造車輌(以降は「新潟トランシス」)です。



Yuzq7  土崎工場の片隅に留置される、キヤ191系、キヤ190 2です(写真)。かつての高速軌道検測車で、キヤE193系の登場で引退し、今は跡形もありません。



Yuzq8  南秋田の牽引車、クモヤ441 1です(写真)。旧性能車ですが、交流機器があり、この番号を名乗っています。



Yuzq9  かつての急行「よねしろ」用、キハ28 2157です(写真)。緑のキハ58系は記録がない、と思って諦めていましたが、ありました。リバーサルフィルムに、確実に写っています。



Yuzq10  そして最後は訓練車、キヤ28 1です(写真)。訓練用に実物車輌が使えた、良い時代です。



 撮影したカメラはD100、しかしAPSサイズの素子に対応した専用レンズを使わなかったために、中途半端な写真が多く、満足に使いこなせないままD70にスイッチ、そのまま乾燥庫の肥やしになってしまいました。現在のデジカメを思えば技術的には未熟ですが、現在でも稼働可能なまま残っています(D70はD200購入後、放置していたら故障してしまいました)。でも、D70を「人のデジタル」としたら、D100は何のデジタルでしょう。本体約20万と、非常に高い買い物でしたが、後悔はしていません。



 今回は、こんな感じです。 タイトルが”#2”ということは、”#3”もあるのか。次回をお楽しみに。

The Maximum Network#3

Kin3q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は「新春3DAYフリーパス」の最終日です。



Kin3q2  今朝は滞在先を平日として出発、早速上本町に向かいました。かつては時間3本、20分ヘッドで急行が伊勢中川まで走っていた近鉄大阪線、特急の営業に都合が悪いのか、うち2本を青山町打ち切りにして、一方東青山発中川行き普通を走らせるというダイヤに変更され、青山越えをする一般列車は、時間1本になってしまいました。予定の1時間前に出発、上本町で鮮魚列車を捉えられたら、程度に思っていましたが、残念、遭遇しませんでした。



 そして宇治山田行き快速急行に乗っていると、高安の辺りで真っ赤な電車に遭遇。白帯までは不明でしたが、今では鮮魚列車位しかそんな塗装はなく、朝の狙い目は分かりました。



 そして旧関屋トンネルを、側面から捉えます(写真)。複線トンネルの片側にレールが敷かれ、保線機械が入っているのが分かります。トンネルポータル上は、国道165号線です。地上取材は、2年ほど前に本ブログで取り上げているので、探してみてください。



Kin3q3  それ以外は快速急行は順調に走り続け、名張を越え、青山町を越えます。そして参急成功の源、青山峠を越えます。現在は私鉄最長の直線、複線の新青山トンネルを通るのですが、旧来の青山トンネル近辺は単線であったため、単に西青山~東青山間ではなく、その一つ手前伊賀上津から、一つ先の榊原温泉口まで線路が付け替えられ、旧線は廃止されました。



 西青山駅で停止中、上本町行きホーム南側に、旧線と思われる階段を発見(写真)。少し西側には鉄柵もあり、旧線西青山駅と思われます。近辺は遊歩道になっているようです。



Kin3q4  続いて東青山へ。東青山駅前には「四季のさと」が広がりますが、その「四季のさと」の文字が立っている辺りが旧線東青山駅、前後に築堤が続きます(写真)。



Kin3q5  そして中川で帰りたい衝動を抑え、終点宇治山田へ。伊勢神宮の玄関口として参宮急行が建てたターミナル、本当に立派な建物です(写真)。



Kin3q6  そのため、登録有形文化財として文化庁に登録された旨、プレートが入ります(写真)。



Kin3q7  宇治山田駅は建造当初、行き止まり式4線でしたが、大阪万博を契機とした鳥羽線建設・志摩線改軌により3・4番線が延長され、2番線はまだ時々使用されますが、1番線に列車が入線することは、滅多にありません。構造も変わり(写真)、使用頻度が変わってしまいました。



Kin3q8  鳥羽線は新線で、線形も良く複線で高速で走れますが、志摩線は元々三重交通の狭軌単線の末端ローカル路線、それが大阪万博に合わせて改軌が行われ、志摩スペイン村建設に合わせ複線化・線形改良が行われました。その線形改良の最初の地点、白木は、元は写真の保線基地内に島式ホームがありました(写真)が、現在はトンネル手前に移設されました。



Kin3q9  トンネルの反対側、五知駅も少々東方に移設され、旧線の築堤と橋台が残るのが見えます(写真)。



Kin3q10  続いて穴川も線形改良で西方に移設、少々手前には旧線の架線柱が残るのが見えます(写真)。この先で複線長大トンネルに入ります。



Kin3q11  そして終点、賢島に到着しました(写真)。特急用ホームは4線、その片隅に、5番線各停ホームがあります。停まるのはワンマン2連、ホームの有効長も2両分です。



Kin3q12  1番線と3番線に23000系”伊勢志摩ライナー”が停まります(写真)。しかし左側は大阪・京都方面からの列車(デラックスシート車・サロンカーが手前)で、右側は名古屋方面からの列車(レギュラーシート車が手前)で、向きが逆です。これは”伊勢志摩ライナー”が高安車庫の所属で、難波発名古屋行き始発特急で名古屋に送り込み、名古屋発難波行き最終で帰庫する関係で、中川短絡線で方転するからです。



Kin3q13  そして各停で宇治山田に戻り、名古屋行き急行に乗ります。中川短絡線の新線建設も佳境で、遂にレール敷設が始まりました(写真)。今の短絡線も、廃止まで時間の問題です。



Kin3q14  終点まで行けば楽でしたが、伊勢若松で下車。鈴鹿線に乗り、終点平田町まで寄り道を(写真)。湯の山線と共用の、ワンマン3連が運用に就きます。そして再び伊勢若松まで戻りました。



 以前JRから伊勢鉄道に乗り、同線鈴鹿から近鉄の鈴鹿市に行こう、と思ったことがありましたが、今日見てみると、直線距離で約7、800メートル、しかも真っ直ぐ行く道は無いと思われ、愚行だということが分かりました。



Kin3q15  そして各停で塩浜工場の横を通り、近鉄四日市へ。駅を出て通路を渡り、来ました、9、10番ホームへ(写真)。近鉄のナローゲージ(762ミリ)、内部・八王子線です。内部行きが来ていたので、早速乗車しました。



Kin3q16  内部には検車区があります(写真)。261始め3連が入庫しています。以前は、左の側線に制御車が留置されていた気がしますが、今日はありませんでした。



 そして折り返し、日永で八王子線に乗り換え。旧来はその名のとおり八王子まで繋がっていましたが、水害で復旧を断念、1駅西日野までとなっています。日永は吉良吉田か、雀田のような配線構造で、似ている気がします。



「Mo263.wma」をダウンロード



 そして西日野から、乗車したモ263の添乗音を録音しましたが、中高生の下校時間に重なり、かなり会話等の雑音が騒がしいものとなっています。時間は約10分です。



Kin3q17  そして四日市に戻り、最後に湯の山線に乗るかどうか悩みましたが、投稿時間、撮影可能時間を考え、苦渋の決断をしました。湯の山温泉行き2104始めワンマン3連、窓下の「恋結び」ヘッドマーク付きを撮影し(写真)、今回はご勘弁を。



 そして帰宅しました。



 この3日間でDVD1.5枚分の撮影をしました。サブデジカメまで合わせれば、恐らく2枚分です。本当に、駄作まで良く撮った!



 それでは、次回をお楽しみに。

The Maximum Network#2

Kin2q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、近鉄2日目です。



 今朝は普通に滞在先を発ち、行ったのは阿部野橋。最初の目的地、吉野へは、特急か急行に乗る必要があります。特急でも良かったのですが、今回は急行、6045始め4連に、古市で切り離す2連が増結されていました(写真)。これに乗車しました。



Kin2q2  古市で2両切り離し、橿原神宮前で南大阪線から吉野線に名前が変わり、複線から単線になります。通常準急以下は入線せず、急行が事実上の各停になっています。



 壷阪山では、間もなく運用を終えるであろう16000系最古の車両と思われる、16005始め2連です(写真)。16001、16002及び16003は大井川鉄道にて回転クロスシートのまま現役ですが、16004は16400系導入にて廃車、新車16600系の導入で危ういものとなっています。



Kin2q3  続いて福神では16600系、16701始め2連と行き違います(写真)。本線用22000系に対する22600系に相当し、16400系のマイナーチェンジ版です。まだ落成から1年経っていません。



Kin2q4  電留線のある六田では、16400系16501始め2連と行き違います(写真)。後には、一般車4連が多数並びます。



 なお22000系はオールMですが、16400系は技術の進歩でMcTc編成になっています。



Kin2q5  六田を過ぎると、右手に吉野川が見えます。これを渡るのが吉野川橋梁(写真)、直前で90度向きを変えます。これを渡れば吉野神宮、終点吉野は間もなくです。



Kin2q6  そして終点、吉野に到着。駅舎は、写真のとおりです(写真)。吉野は桜の名所、開花シーズンには多くの観光客で賑わいますが、今は冬、ちょっと寂しいです。多くの人はここからロープウェイで上を目指しますが、今日は行きませんでした。



Kin2q7  阿部野橋で行き違い、急行から20分遅れで阿部野橋を出発したであろう特急は、3分後に到着しました(写真)。車両を見ると、こちら側が16010系16111始め2連で、奥はホワイトアウトしています。



 16010系は、16000系のマイナーチェンジ版、第2世代(12400系、12410系、12600系及び”ビスタカーⅢ世”30000系)の特急車両で、電動式の方向幕、幌カバーが特徴です。しかし1系列1編成2両の少数派です。



Kin2q8  阿部野橋側2連は、最新の16600系16702始め2連です。



 この編成を見てしまったので、乗るつもりの無かった特急を、慌てて指定を取り乗ろうとしました。しかし発券の間に出発合図が!駅員が車掌に「待て!」の合図を送り、なんとか乗車できました。



 しかし、吉野からは、橿原神宮前まででも500円、阿部野橋まででも500円で、それなら最初から阿倍野で特急に乗るべきだったと、後悔しました。なお橿原神宮前で特急を乗り継ぐと、勿論料金は通算ですが、上がりますね。



 そして橿原神宮前で下車、行き来する特急を撮影しました。



 南大阪線・吉野線で、特急だけで注目点を指摘すると、勿論新車16600系は重要、2編成しかない26000系「さくらライナー」もそうですが、恐らく今年の花見のシーズンとともに引退となるであろう16005と、16000系唯一の中間車がある4連16008が今後も維持されるか、が注目です。後で後悔しないよう、残しておきましょう。



Kin2q9  そして橿原神宮前で下車し、乗り換え、橿原線に。再び3501始め4連に遭遇しました(写真、大和八木にて撮影)。運が良いのか、いやそれ以上に近鉄が配慮しているのか、と思ってしまうほどです。なお、大和八木では運転士が交代しました。



「Kin3001.wma」をダウンロード



 そりゃ、昨日「素晴らしいチョッパ制御音」と言ったので、録音はするでしょう。橿原神宮前~大和八木間約10分、どうぞ。甲高い磁歪音が特徴です。



Kin2q10  そして、田原本で下車。田原本線に乗車するためです。写真は、新築成った田原本~西田原本間の駅ロータリーです(写真)。手前が田原本、奥の駅舎が西田原本で、乗り換えも便利になりました。田原本線が孤立線でなくなれば、もっと有効になるでしょう。



Kin2q11  そして田原本線の起点、新王寺へ。生駒線王寺へは約150メートル歩きます。しかし、少し不便です。先ずは、王寺~新王寺間を連結し、一本の線にすることが必要では。そうすれば田原本線の利用も増え、便利になるのでは。JRも、地元王寺町も、そのつもりで用地を確保しており、あとは近鉄のやる気次第です。



 王寺駅から東に徒歩5分、JR大和路線(関西本線)と田原本線の間にある公園に、D51 895が保存されます(写真)。昭和19年日立製、準戦時形と呼ばれるタイプです。これを撮り終えると丁度正午、昼食にしました。



Kin2q12  そして生駒線に乗り、生駒へ。生駒には、宝山寺までのケーブルカー宝山寺線、宝山寺から生駒山上までの山上線があり、宝山寺線は「ブル」と「ミケ」、山上線は写真の「ドレミ」(写真)と「スイーツ」が走ります。そして山上まで行きましたが、生駒山上遊園地は年末から3月までは休園で、しかも標高が高いからか非常に冷えたので、すぐに麓に戻りました。



Kin2q13  生駒駅からは、けいはんな線ホームが見えます。コスモスクエア行き7101始め6連が、出発を待っています(写真)。



Kin2q14  私は、重要度から行動を決めました。先ず石切へ行き、近鉄の前身大軌の成功の源、旧生駒トンネルを目指しました。



 石切から東に徒歩10分足らずの場所に、金網で出入りを禁止した場所があり、そこからトンネルの入口と、その前の対向式ホームが見えました(写真)。このトンネルが旧生駒トンネルの大阪側入口、前の駅は新線切り替えで廃止になった孔舎衛坂駅のホームです。関係者以外立入禁止で、金網が張り巡らされていますが、金網の戸が開いており、子供たちの絶好の遊び場となっていました。しかしこう書くと、明日にでも厳重に鍵を掛け、本当に入れないように対策を取る、というのが世の中です。しかしそれをまた金属切断機で切って入る、いたちごっこです。



Kin2q15  そして再び生駒へ戻り、今度はけいはんな線です。丁度大阪市交通局20系の当初バージョン、2901始め6連がやって来ます(写真)。中央線用としては初号でしょう。しかし、外観だけではどうして皆20系なのか、少し分からない気がしますが、走行システムが同じだから、ということでしょう。



 これで終点学研奈良登美ヶ丘まで行きました。



 入線すると、入れ替わり他方のホームの列車が発車します。そこで来たらすぐ乗り換えれば良かったのですが、制御音が聞きたくてウロウロしているうちに発車してしまいました。そこで危機的状況になってしまいました。



「Osa2101.wma」をダウンロード



 先頭車2901(昭和59年川重)はTc車か、制御音が良く聞こえなかったので、同編成の中間車2101(昭和59年近車)で録音しました。学研奈良登美ヶ丘~生駒間約10分、満足はしていません。



Kin2q16  そして東生駒(けいはんな線では生駒検車区)から奈良線急行難波行きと並走。30秒リード、走れば間に合う、と走ると、生駒駅に中間改札があるのを忘れていて、切符を出している間に急行は行ってしまいました。しかしガックリしていると、2本後は快速急行、次の停車が鶴橋!一気に抜き去りました。



 そんなに慌てていたのは、昨日カメラ収納後に見かけた、近鉄名物「鮮魚列車」が撮りたかったからです。



 鮮魚列車とは、近鉄大阪線が開通したことにより、伊勢志摩の海産物を大阪に運ぶため運転されている伝統の列車で、少し古い急行用車両が充てられます。塗色もマルーンに白帯、行先・種別表示は「鮮魚列車」で、特徴的な列車です。当然においの強い海産物、通常の旅客ホームでは扱えません。そのため、大阪上本町駅地上3番ホームには写真のとおり通常列車とは別の停止位置表示があり(写真)、3番線降車ホーム伊勢中川寄りには、鮮魚専用の出入口があります。



 今日は時間的にはバッチリ間に合ったのですが、今日は日曜、鮮魚列車はお休み(ウヤ)でした。残念。



 なお、同列車は朝伊勢志摩から大阪に来て、夕方帰ります。朝来るところを狙うというのもアリですが、魚屋の営業に間に合う時間って、多分早いんですよねえ!ちょっと厳しいか。でも、これって、どっかの鉄道雑誌でダイヤとか分からないの!



 近鉄3部作、明日が最終ですが、間に合うか。



 それでは、次回をお楽しみに。

The Maximum Network#1

Kin1q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、”3DAYパス”を使用して、近鉄を取材しました。



 今回は、特急に乗らずに移動しよう、という初の計画でした。しかし最初の近鉄名古屋で予定列車に乗り遅れ、結果伊勢中川で接続が無く、当初予定より1時間遅れてしまうこととなったので、急ぐ旅では無かったのですが、伊勢中川から大和八木まで特急に乗るという決断をしました。



Kin1q2  大和八木から階下の橿原線に乗り換え、平端で下車(写真、9039始め4連)。「シリーズ21」塗色、数は増えているのでしょうが、余りに在来車が多く、専用運用の列車以外ではあまり目立ちません。



Kin1q3  平端からは天理線に乗り換え。終点天理には、D51 691が保存されます(写真)。後はオハ61 930が保存されます。昔は公園から車両に入れたようですが、悪戯が多いのか今は高い柵が立てられました。近鉄に国鉄の保存車は不思議ですが、近鉄改札口真上にJR奈良線天理駅高架ホームがあります。



Kin1q4  天理からの先発は、急行京都行きでした(写真、9024始め2連+在来車4連)。丁度行こうと思った方面で、渡りに船でした。



Kin1q5  9024には、「シリーズ21」として受賞した「ローレル賞」のプレートがあります(写真)。2001年受賞です。



Kin1q6  しかし、大和西大寺で、写真の車両を見てしまい、途中下車(写真、3502始め4連)。近鉄で唯一現存するコルゲートステンレスボディ、サイリスタチョッパ車です。近鉄のIDは、正面とボディ帯のマルーンのテープです。それを除くと、「究極の異端車」です。



Kin1q7  2両目は、運転台を撤去された3002です(写真)。サイリスタチョッパ車は、その制御理論の違いから、他の制御の車両とは併結不可、事実上「ハバっ子」になっています。今後も単独運用で用いられると思われますが、余り行く末は明るくありません。



 同列車は、素晴らしいチョッパ制御音を残し走り去りました。



Kin1q8  私は、行程を続けます。続いての列車は、急行(京都)「国際会館」行きでした(写真、3707始め6連)。これに乗車しました。この車両の側面には、”VVVF”のロゴが入ります。



Kin1q9  竹田で下車すると、続いての列車は京都市交通局1000系、1801始め6連でした(写真)。いかにも営団6000系のコピーに見えてしまい、そこが評価の低いところか。多分アルミ無塗装のボディから推定すると、同じ川崎重工で造ったような雰囲気です。



 そして京都まで行き、すぐに取って返しました。



Kin1q10  丹波橋では京阪と接続するわけですが、かつて近鉄と京阪が連絡運輸をしていた名残、連絡線の跡地が、写真右側から分岐し駆け上がり、上を渡る京阪に接続しています(写真)。



Kin1q11  再び西大寺から、各停で橿原線に入ります。田原本の少し北側には、田原本線に接続する渡り線が(写真)。右奥の支柱は、田原本線のものです。田原本線は、敷設の経緯から終点が西田原本になり孤立線で、検車等のための渡り線があります。橿原線田原本との駅間を広場にして、一体化させようとしていますが、やはり西田原本駅を田原本まで移設させるのが一番だと思います。ただ、住民の同意を得るのは難しい気はしますが。



Kin1q12  続いて、新ノ口駅少し南側には、京伊特急用の渡り線、八木連絡線が分岐します(写真)。右に分岐し、ここを通り大和八木駅大阪線ホーム西側に入ることが可能になり、従前の八木西口からの渡り線経由での、本線上スイッチバックを廃止しました。



Kin1q13  そして大和八木で、再び階上の大阪線ホームに戻り、乗車します。すぐに渡り線が見えます(写真)。左から、八木西口からの渡り線、4番線、3番線(上り本線)、2番線(下り本線)、1番線で、ダイヤモンドクロッシングの先(右側)には、先ほどの新ノ口からの八木短絡線の、大阪線との接続が見えています。



Kin1q14  大和八木まで戻ったのは、この写真を撮りたいから(写真)。関屋~大阪教育大前間に存在する、旧関屋トンネルの跡です。現在は新トンネル掘削で線形改良され、高速で行き過ぎます。このトンネルの写真は、妻面より側面から撮った方が良さそうです。



Kin1q15  そして河内山本に行き、信貴山口へ。信貴山西ケーブルカーに乗車しました。写真はコ8「しょううん」で(写真)、同車の山側には水タンクが設置されています。



Kin1q16  そして最大480パーミルを登り、高安山へ。戦前には、ここから信貴山上線という電車がありましたが、戦時中に「不要不急路線」として撤去され、そのまま復活することはありませんでした。その残骸の一つ、山上線高安山ホームの遺構です(写真)。バス乗り場の陰で目立ちませんが、確かにあります。皆さんも、見つけてください。なお、信貴山に向かうバスの行程の途中、トンネルがあるのですが、これも山上線の遺構で、同線は元から複線で設計されていたため、道路転用も簡単だったということです。



 そして、今日の滞在先へ向かいました。



 それにしても、幻と思っていた近鉄のコルゲートステンレスも、サイリスタチョッパも、確かに撮りました。大収穫です。しかし添乗し、制御音を録らなかったのは失敗か。また、明日。



 明日は、今日の続きです。それでは、次回をお楽しみに。

FL-Wとは

 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回はコラム、FL-Wフィルタについて考えてみたいと思います。



 かつてモノクロフィルムの時代には、映像にメリハリをつけるため、黄色や赤、オレンジのフィルタを使っていました。しかしカラーフィルムとなり、ブルーあるいはアンバーといった、色温度調整の調色フィルターに取って代わり、さらにカラー用フィルタは進化を遂げました。その一つがFL-Wです。



 FL-W(私の買ったのは”F-WL”)は、濃いピンクのフィルタ、かつて私が常用した「スカイライト」(L1BC)を非常に濃くした感じです。一般的な蛍光灯にはこれで良い、と思いたいのが本音です。しかし、「蛍光灯」と一口に言っても、白色に昼光色、色は多彩、一般的に決まった色は、ありません。そのため、正確な発色が要求される商業写真では、昔は更に調色のフィルタを必要としていました。本当に、キリがないです。



 しかも、蛍光灯で照らされるということは、日光が弱い、すなわち光量不足であることが多く、濃色で露出が2段落ちるFL-Wフィルタは、本当に苦しい所です。緑かぶりで割り切るか、それとも少しでも原色に近い色を目指すか。商業写真ではないので、正確な発色までは要求されませんが、ちょっと考えてしまいます。まあ最後はVRでごまかすのでしょうか。悩ましい。



 本当に、フィルムでもオートホワイトバランスか、せめてプリセットでもと思ってしまいます。かつてのプロの写真家が編み出した、フィルターワークの伝統は引き継がれず、デジカメでは自動的にチップで計算し、調整してくれます。まあ、今雑誌投稿でも、ほとんど電子データのみの受付で、マウントにデータを書き込んで、なんてことは、全く行わなくなってしまいました。今でもフィルムを使うのが、ひねくれ者なのか。光学メーカーまで、レンズプロテクター、敢えていえば円偏光位しか力を入れて売っていません。まあフィルムの時代は終わった、と思いますが、それでもやっぱり撮りたいのです。本当に、変人ですね。



 ひねくれ者の戯言は、この程度で。それでは、次回をお楽しみに。

名古屋市6101F

名古屋市6101



名古屋市6101



 名古屋市営地下鉄桜通線用6000系6101Fは、同線開業前に落成した量産先行車であり、実は開業用に落成した量産車と異なる場所があります。それが写真の車番で、字体が量産車のゴシック体と違うところがそうです。なお、同編成の中でも、5連になる際増結された6301は量産車と同じ、他の車輌とは異なります。利用者でそこまで見ている人はいませんが、ちょっとした蘊蓄です。

雪の日に

 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、今日各地で猛威をふるった雪の話題に合わせ、焼き直しですが、除雪列車の動画をお届けします。





 1本目は、ラッセル機関車、DD15 44の、大白川付近の運転の様子です。トリミングがしたいほど構図は最悪ですが、雰囲気はこんな感じです。





 2本目は、DE10 1700に後押しされた、ロータリー機関車DD14 333(平成20年廃車)の運転の様子です。こちらは多少修正されています。



 いずれも平成16年2月29日の撮影です。古いソフトで作成したものを新しいソフトで作成し直し、HD版にてアップロードしました。これはいずれも撮影ツアーで行われたものですが、次回が無く、非常に残念でした(「いなほ」脱線が原因だった)。今時、そんなツアーは出来ないでしょうね。



 それでは、次回をお楽しみに。

(続)正月早々

Mesq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、正月に続き名鉄を取材しました。



 今朝は先ず東名古屋港へ行こうと思い、朝は早く起きようと思ったのですが、仕事でも起きない時間だったため、惰性に負けてしまいました。結果遅くに出発しました。



 最初はやはり大江、デキ305です(写真)。隣には3500系3611が写っています。



Mesq2  その北側には、5番線(左)5005始め4連、4番線(右)5006始め4連です(写真)。5番線は東名古屋港行きですが、既に今日の仕業は終わりました。4番線は普通、金山止まりです。



Mesq3  大江から神宮前に戻り、名古屋本線知立へ。碧南行きに6004始め4連も入りましたが、やはり注目は、旧1番線(ホーム廃止、線路のみ)に入る、6001始め4連でしょう(写真)。ブルーリボン賞のプレートも入っています。知立駅は高架化の用地取得が進みますが、待ちきれないのか橋上駅舎だけ工事が進みます。この橋上駅舎は高架化完成後も使うのか、それとも一時的な構造物なのか、よく分かりません。



Mesq4  三河線山線猿投行きに乗り、知立を出ると、次は元の知立駅があった三河知立です。かつて衣浦臨海鉄道が出来る前は、三河線海線から知立の三角線をスルーし、三河知立から本線知立信号場に繋がる貨物線がありました。同線は名鉄の貨物営業廃止後廃止になったものの、線路跡は平成まで残っていました。現在は終端表示が立ちます(写真)。ここから名古屋本線豊橋方面に繋がっていました。



Mesq5  三河知立の次は、古典「伊勢物語」でも出て来る、「かきつばた」の三河八橋です。一ローカル線に成り下がっていた三河線山線でしたが、途中の豊田市がトヨタ自動車のお膝元であることから、豊田市まで複線化する計画があるのだそうです。それに先行し、三河八橋手前1キロ程から高架複線化されました(写真)。そのまま三河八橋は高架駅になっています。



Mesq6  駅の北側は、写真のとおりで、路線は単線ですが、複線で高架は完成しています(写真)。このまま後の伊勢湾岸道(新名神と新東名の中間を繋ぐ高速道路)の高架下まで、約1キロほど続きます。



Mesq7  3駅先の土橋は、名鉄豊田線車輌の夜間留置場所であり、大きな駅になっています。写真は駅北側からの眺めで、左対向式ホーム部分が通常の三河線上下ホーム(通常行違駅)、右ホーム及び側線2本が電留線です(写真)。早朝には同駅発豊田線、名古屋市地下鉄鶴舞線方面直通列車が2本あります。かつては地平駅でしたが、今は橋上駅になっています。バラストの色が新しい所が、かつての駅舎に繋がる歩行者用の踏切跡です。



 以前、特急車1600系が組成替えになり1700系+2300系30番台になる時に、一時猿投に疎開留置されていましたが、そのうちの1編成を使用し同駅でさよならイベントを行ったところ、同駅開業以来の人出となり、駅員が「嬉しい悲鳴」と言うほどでした。



Mesq8  その次、上挙母はかつての挙母線(廃止)の分岐駅でした。現在では大半は、国鉄岡多線、後の第三セクター「愛知環状鉄道」の敷地になりましたが、一部重ならない場所があり、田んぼの中の大築堤なども残ります。ということで同駅は現在、愛環新上挙母駅との乗換駅です。挙母線は写真左側にあった3番線から、岡崎の大樹寺(徳川家の菩提寺)まで繋がり、その先は600V軌道線の岡崎市内線に乗り換え本線東岡崎、国鉄岡崎まで行けました。その後廃線跡を辿った本では、「上挙母3番線は鉄道資材置き場になっている。」と書かれましたが、現在は駐輪場、資材置場及び住宅が一軒建っています(写真)。写真奥の、左への保線車輌用の分岐が、唯一の遺構です。



Mesq9  そして一駅、豊田市へ。分岐左1番線が猿投行き、分岐右3番線が知立行き、そして中間の行き止まり2番線が豊田線赤池・地下鉄鶴舞線上小田井方面です(写真)。名古屋市3050系3160始め6連が、停泊しています。



Mesq10  次の駅、梅坪で三河線と豊田線は分かれます。写真左の複線が豊田線赤池方面、右の単線が三河線猿投方面です(写真)。名鉄は各地に三角線がありますが、上小田井で犬山線に繋がる豊田線・地下鉄鶴舞線も、大きく言えば三角線で、運用を間違えると、方転します。



Mesq11  梅坪から3駅で、終点猿投に到着します。猿投には検車区(新川検車区の支所)があり、かつて気動車キハ20形等の基地でもありました。写真は114始め6連(豊田線・地下鉄鶴舞線用車輌)です(写真)。知立を起点とした三河線山線の車輌は、猿投側が若番ですが、豊田線・地下鉄鶴舞線車輌は、犬山線で向きが合うようになっており、知立側が若番になります。後には洗浄線が2線、手前側洗浄線には門形洗車機があり、6015Fが洗車中でした。奥は6016F、その南側が6002Fでした。



 かつてはここ猿投から西中金まで線路が続いており、1500V電化もされていましたが、晩年は電化設備が撤去され、気動車キハ20あるいはキハ30が運用に就いていました。現在は廃止されています。更に西中金から旧足助町境界(現在は豊田市に合併)まで、未成線の路盤跡が残ります。現在線路は、約200メートル、検車区からの入出庫が出来る距離のみ残ります。



 猿投は、布袋同様解体を待つ車輌の疎開留置先として知られています。1600系も、1000系も、7700系も、ここで解体を待っていました。しかし、今日は大江同様そういった車輌はありませんでした。取り敢えずは、一安心です。



 1000系の生まれ変わりである(新)5000系の製造も一段落し、車輌的には安定している名鉄、しかし3300系と3150系は増やしたい。次に手をつけるのは、(旧)5000系及び5200系の車体新製車5300系か、それとも6000系か。どちらを選択するかは、要注目です。ただ当面は瀬戸線、4000系の新製のみか。心配ではありますが。



Mesq12  続いて中京競馬場に行き、7000系パノラマカーの保存車を見に行きましたが、3月まで工事中で、見ることが出来ませんでした。運転台も覗く事が出来、良い施設でしたが、工事中では仕方ありません。



 そして本線特急で笠松まで行き、竹鼻線に乗りました。羽島市役所前から高架化され、江吉良も変わってしまったかと思いましたが、江吉良駅自体は地平のままで、大須に繋がっていた竹鼻線廃止区間も、敷地とバラストが残っているのが見えました(写真)。何故廃止になってしまったのか。



Mesq13  江吉良からは一駅で新羽島に到着(写真)。向こうには、永く東海道新幹線で最も利用客が少ない駅だった、岐阜羽島駅があります(現在は三河安城といわれる)。



 元々竹鼻線は、岐阜と「お千代保稲荷」の大須を結ぶことが目的で敷設された路線です。後に支線として新幹線との連絡線が計画され、昭和57年に江吉良~新羽島間が開通しました。そこで線の目的も変わり、逆に江吉良~大須間が支線のようになってしまい、結果廃止されました。八百津線や三河線のように電化施設を撤去されてからの廃止ではなく、1500V電化のまま廃止されました。そのため、廃止直後は、新しい架線支柱のコン柱も残っていました。



Mesq14 新羽島から折り返し列車は、笠松から直通急行岐阜行きになりました。



 岐阜からは各務原線。本線からの連絡階段を降り、地平の各務原線ホームに行くと、丁度渡りに舟が。7番線跡(美濃町線(廃止)車輌が入線したホーム)の記録を忘れてしまいましたが、電留線となった同線には、5300系が入線したのは覚えています。



 間もなく発車、一駅で田神に着きます。駅ホーム先には、田神から分岐した通称田神線、すなわち美濃町線と各務原線を連絡していた線路(廃止)があり、同駅上下線にはそれぞれ軌道線用の低床ホーム(鉄道線ホームの奥、踏切の反対側)がありましたが、現在は600V区間全廃で、撤去されました(写真)。



 かつては、この先に田神線の分岐、続いて田神線にはデッドセクション(一般には交直切替と思われますが、ここでは直流1500Vと直流600Vの切替場所)があり、その先には600V線の工場(岐阜工場)がありました。最寄り駅は市ノ坪、思い出すだけで悲しくなります。



 減量経営と600V線全廃で、遂に名鉄は総延長民鉄第2位の地位を、東武に譲り渡してしまいました(1位は常識、近鉄です)。



Mesq15_2 田神から乗車30分、途中には「苧ヶ瀬」(読んでみてください)も、民鉄最短駅間という「市民公園前」~「各務原市役所前」も行き過ぎ、新鵜沼へ。新鵜沼の高山線連絡線(神宮前発高山行き特急「北アルプス」(廃止)が、名鉄線から高山線に入る渡り線、1日に1往復しか走らなかった)も転用され、かつての名残はだんだん消え去っていきます。



 新鵜沼へ来れば、思い出すのは道路・鉄道併用橋であった「犬山橋」です(写真)。現在は道路専用橋がすぐ下流側(写真右手側)に建設され、旧橋梁は鉄道専用橋になり、その後上下の線路間隔が広げられました。現在は道路舗装もなく、鉄骨が見えています。



Mesq16 犬山橋を渡ったら、すぐ南側は犬山遊園です。犬山遊園からは、日本最古の跨座式モノレール、名鉄モノレール線が走っていましたが、老朽化により廃止になりました。現在もモノレールの線路が残ります(写真、左上)。一部の車輌は、終点で車両基地のあった日本モンキーパーク駅に保存されるそうです。



Mesq17 犬山遊園から一駅で、犬山へ。犬山からは、毎度の小牧線、名古屋市7000系の捜索です。写真は、羽黒信号場で行き違う342始め4連です(写真)。



 小牧線の運用は、データイムは15分ヘッド、1往復90分で、理論上は6編成で営業は可能です。朝夕は小牧折り返しがあり平安通~小牧間は10分ヘッド、1編成多くなりますが7編成で可能、名鉄300系8編成で営業は十分に可能です。行き違い列車、小牧及び上飯田の電留線もチェックしましたが、何処にもいません。あとは犬山検車場、でなければ名古屋市日進工場、位しか思いつきません。名古屋市に遠慮しているのか、それとも長期運用離脱なのか理由は分かりませんが、こうもお目にかかれないのは何故でしょう。平日ラッシュでも狙うしかないのか。考えても仕方ないのですが。



 そして帰宅しました。



 まあ名鉄も、車輌的には安定してきて、暫くは本線系での置き換えを心配する必要は無いようです。新車ネタがないのは残念ですが、廃車で慌てる必要もなく、まあ一安心か。暫くは瀬戸線6750系の心配だけで良いのか。たかが1600系の組成替えだけであれだけの観客が来るのですから、6750系の時は、多分来客多数ですよ。何処でやるのが一番良いのか。主要都市圏最後の吊掛車ですし。



 明日は、休載の予定です。



 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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