また来てしまいました。

Narq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、日進市内にある名古屋市交通局「レトロでんしゃ館」を取材しました。



 徳重から大須観音、上前津と行き、時間があったら、程度に思っていたのですが、一日乗車券があり、十分な時間があったので、閉館の早い同館でも十分に間に合うと判断し、鶴舞線終点で名鉄との分岐駅である、赤池へ行き、徒歩10分程で到着(写真)。閉館には、十分間に合いました。



 同館は、名古屋市交通局日進工場(鶴舞線、桜通線の整備・検車工場)の一部に併設された施設で、入場は無料です。しかし何度も言いますが、閉館は16時なので、ご注意を。



Narq2  入口には、名城線工事で使用された複心円シールドマシンが展示されます(写真)。複線の場合は、昔は大形の円形シールドトンネルを造った例が多いですが、トンネル全体が大きくなり、埋め戻す無駄な部分も多くなるので、今後はこういう形が増えるのでしょう。



Narq3  そして駐車場の奥に、「レトロでんしゃ館」の建物があります(写真)。



Narq4  保存される車輌を。1400形、1421です(写真)。戦前の名古屋市電の完成形でしょう。系統は「20」でした。同形のトップナンバー1401は、名古屋市科学館の屋外展示にあるそうですが、現在展示部分は工事中です(先回の記事をご覧下さい)。



Narq5  同車の運転台の様子(写真)。マスコンは「奥村電機商会」なる会社の製品です。



Narq6  車内の様子(写真)。床も木材、シートも木材で非常にウッディー、半鋼製電車です。



Narq7  続いて連接車、3003です(写真)。系統は「1」、名古屋駅と中心街「栄」を結び、名古屋で最も輸送量を必要とする、最重要系統でした。方向幕は「東山公園」で、現在の地下鉄東山線に相当か。



Narq8  同車の運転台(写真)。マスコンは、日立製でした。



Narq9  同車の車内の様子(写真)。戦前形であり、木材の多用は1421に近いです。連接が特徴で、中間台車の上は円形の床になっています。



Narq10  戦前の完成形を1400形とするなら、戦後の完成形は2000形、同形の2017が保存されます(写真)。



Narq11  運転台の様子(写真)。マスコンは日立ですが、運転台の雰囲気が戦前形とは大きく異なるのが分かります。



Narq12  車内の様子(写真)。床は木材からリノリウム張りに変わり、シート横の手摺もステンレス棒になっています。



Narq13  名古屋初の地下鉄、地下鉄東山線の最初の形式100形、手前107、奥108が保存されます(写真)。昭和32年日車製です。



 この塗色、非常に強烈な黄色ですが、菜種色(ウィンザーイエロー)で、地下という空間で映える色、かつ名鉄のスカーレットに対抗し、この色となったのだそうです。因みに第2路線名城線は、黄色の補色である「紫」が路線カラーで、昔は黄色に紫帯の車輌でした。



 なお名古屋市営地下鉄初期の車輌は、地下構造物完成前に落成したため、試運転を中川区の市電下之一色線で行ったそうです。そのため、軌間が市電と同じ1435ミリなのでした。



Narq14  107の運転台(写真)。ドアの鍵が開いていて、子供がハンドルをいじっていました。



Narq15  車内、108から眺めた107の様子(写真)。ちょっと古いですが、仮に今走っていても、それほど違和感を感じません。琴電では、この延長の形式が、未だ現役で走っていますし。



 しかし、同形のトップナンバーで、第1号車101他は、解体してしまったのだそうです。後から後悔したでしょう。



Narq16  100形の台車です(写真)。近くで実物を見ると、大きく感じます。



Narq17  台車の横には、ジオラマが(写真)。車輌が市販品で簡単に手に入る、Nゲージでした。しかし、地下鉄を上手く見せるジオラマというのは、本当に難しいものです。



Narq18  108横には、栄の運転指令で使われていた、CTCがありました(写真)。今はモニターも液晶ディスプレイで、コンピューター制御です。



Narq19  台車の陰には、マスコンの展示用のモデル、そして敷石が(写真)。名古屋市の市章、「丸八」が刻印されています。この敷石は、市電線路が直角に交わる部分(ダイヤモンドクロス)に使用されていたそうです。そのまま上にアスファルト舗装をされていたところ、多分桜通線建設工事で再発掘され、現在ここに保存されるのでしょう。



 そして大方撮影したと思ったので、同館を後にしました。



 今日はやはり、何と言っても名古屋市交デーでした。今日の桜通線延伸に併せ、名古屋市内を巡るファンが多かったようです。普段この地域では聞かない、標準語も聞かれましたし。まあ、テレビのお陰で、昔より方言も弱くなってきましたし。



 それでは、次回をお楽しみに。

ご新規です。

Natq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、本日開業した名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)桜通線、野並~徳重間をお届けします。写真は6153始め5連、開業ヘッドマークを掲げた車輌です(写真)。



Natq2  本当なら開業を祝うイベントが行われるところですが、例の大震災の影響で、記念式典等が中止になりました。まあ仮に開催されても、マスコミの一部の関係者に占領され、我々には出る幕が無いのですが。しかし開通記念「ドニチエコきっぷ」は発売され、最寄り駅で駅割当最後の一枚を購入しました(写真)。記念台紙も添付されていました。



 そして新瑞橋で桜通線に乗り換え、タイトルの写真を撮りました。



Natq3  同編成は昨年落成、この春納入されたばかりの新車です。ドア上には案内の液晶モニター、「ハッチービジョン」があり、案内をしています(写真)。



 しかし不思議なことに、名古屋市はいつも、最終編成ではなく最終一つ前の編成で式典を行うようで、2004年の名城線全通時にも、2000系最終2136ではなく、一つ前の2135で式典を行っていました。今回も最終編成は6154でしたが、ヘッドマークは6153で、それが伝統なのか。深い理由は分かりません。



Natq4  野並から一駅ずつ攻めようと思っていましたが、6050系だった関係で、最初に終点、徳重に行ってしまいました。徳重駅壁面には、新しい全線時分案内が掲げられています(写真)。徳重~中村区役所、全線37分で走ります。



Natq5  桜通線はワンマン運転で、全駅島式ホームである関係で、運転台が通常の車輌左側ではなく、右側にあります。今後の延長区間も含め全て島式でいくということで、こうなっているのです。そのため始発駅・終着駅でもドア位置が守られ、同一ホームでそのまま折り返すことが出来ません。一旦引上線に入線し、運転手が移動して、反対ホームで発車します。以前の終点今池、野並もそうでしたし、今も中村区役所の先も検車区でそう、そして今度の徳重もそうです。



 そこで終点側を眺めると、進行方向左側から合流する線路があります(写真)。手前の神沢から車庫が分岐している地図を見ており、てっきりその通りと思っていたのですが、神沢は駅前後がどちらも単線シールドトンネルになっていて、分岐可能な構造ではありません。どうもこの線路が入出庫線のようです。先は編成が収まる程度の長さがあり、そこで終端になっているようです。未来の延長にも対応しており、複線です(注、一番左の線路終端は、安全側線です)。



Natq6  合流した線路の横には、凹みがあり、奥にはドアがあり、照明が点きます(写真)。業務用の出入口のようです。



Natq7  開業イベントの一つ、市営交通に関するパネル展を行っているコンコースを通り、地上に出ます。一番広い出入口は、そのまま商業施設も併設した大きなバスターミナルに繋がっていました(写真)。徳重は名古屋市でも緑区でも一番端の地域、少し行けば市外です。そのため市バス及び名鉄バスが当バスターミナルに乗り入れ、交通の便を図っています。バスターミナルは一段高い人工地盤になっており、この下に新車庫があるのか?



Natq8  地下に戻り、駅の様子を。新線で、同様の規格で造られた駅であるために、間違えないよう駅毎にカラーリングがありました。徳重は、ピンクでした(写真)。



Natq9  次は神沢、駅カラーは茶色です(写真)。



Natq10  次の相生山は、青でした(写真)。



Natq11  相生山で、トンネルの屋根を見上げると、鋼体化架線と、空間波無線のアンテナが見えます(写真)。架線は、新しい銅の色が見えます。防護無線は、LCXではないようです。



Natq12  続いて、鳴子北へ。カラーは緑です(写真)。



 今後桜通線では全駅にホームドアを設置するようで、既存駅でも一部完了しており、それらの駅も同様なカラーリングが行われていました。



Natq13  鳴子北から地上に出ると、そこもバスターミナルでした(写真)。最寄りの交差点名は「野並車庫前」で、このバスターミナルは名古屋市バスの野並車庫を改良し、設置したようです。



Natq14  そして一駅移動し、以前の終点、野並へ(写真)。同駅はホームドアは未設置ですが、床タイル等の準備工が進んでいます。間もなく本工事が始まるようです。



 同線の地下構造物は完成しましたが、地上部は未完成で、現在道路舗装復元作業を行っているようです。これらが完成すると、名古屋市南東部、及び隣接する豊明市、愛知郡東郷町は利便性が飛躍的に向上し、発展が期待されます。多くの人の利用を、期待したいですね。



Natq15  そして行きたくなったのは、名古屋市科学館。地下鉄伏見と大須観音の中間にあります。同館の屋外には、通称B6(明治期、鉄道を管轄した工部省の形式名)と呼ばれるSL、2412(同形の機関車をいくつもの外国の車輌会社に注文したため、一形式とされる)と、名古屋市電1401がある、と書かれ、行ってみたのですが、まだ本館の建て替えが完了したばかりで、屋外は現在整備中、10月頃ロケットH2A、宇宙ステーション「きぼう」と共に展示を開始するようです。完成イメージ図には、ロケットの隅に路面電車と小型SLの絵が入っていました(写真)。



 なお同館には日本最大級のプラネタリウムが完成したらしく、朝早くから大行列をしないと、その日のうちに観覧できないようです。ご注意を。しかし、球形の構造物は、お台場のフジテレビのパクリでは?



Natq16  仕方がないので、鶴舞線で一駅、上前津に行き、上前津東公園に行きました。同公園には、名古屋市交通局179があると書かれ、番号から地下鉄車輌を想像して行ってみると、木造の二軸単車の残骸を発見しました(写真)。これが179のようですが、ダルマであり、ドアは本来のものとは違う家庭用のドアで、窓も格子が入り、非常に悲惨な状態でした。心ない人が多数派になると、こういうことになります。非常に残念。



 そしてここで帰宅も考えましたが、まだ日は高く、時間的余裕もあったことから、「あそこ」へ行こう!と思い立ちましたが、それを書くと長くなるので、今回は此処迄です。



 何処へ行ったのでしょうか。次回をお楽しみに。

来た!見た!撮った!(再試合)

Kihq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、紀勢線、通称「紀勢貨物」を取材しました。



 昨晩自宅を発ち、車中泊、未明に移動し、今日の撮影ポイント、紀北町へ。そしてセッティングに時間を取られる間に、特急「ワイドビュー南紀2号」を逃し、上下の普通も逃し、捉えたのは2089レ(写真)。DD51 847牽引です。



Kihq2  そして近づきます(写真)。



Kihq3  そして通過、走り去ってゆきます(写真)。





 2089レの動画です。デジカメは左向きにずれていてイマイチでしたが、動画は予定した向きになっていました。ズームが手動で固定できればもっと便利なのですが、電源を入れる度にリセットするのは良いのか、悪いのか?



Kihq4  そして機材を片付け、同列車の終点、鵜殿へ。カーナビが駅裏が好きで、道に迷っている間に、貨車はスイッチャーに牽かれて荷主の元へ行ってしまいました。残されたのはDD51 847だけです(写真、駅の外から)。既に機関を停止しています。



Kihq5  駅に入り、ホームから(写真)。三菱重工製なのがわかります。



Kihq6  貨物が繋がれていた側(写真)。夕方の帰り(2088レ)はこちらが先頭です。



Kihq7  鵜殿駅の配線(写真)。写真右が新宮方面の本線、左の細い線路が引き込み線のようで、中間のポイントとポイントの間に「JR東海」と書かれた標識があり、そこからJRと専用線が分かれているようです。なお、荷主は奥の煙突の工場で、荷物は紙製品とされています。DD51重連運用当時は、一旦新宮まで行き、機関車を1輌解放し単機で鵜殿まで戻り、入換、貨物を授受したようです。返しも新宮まで単機で牽かれ、新宮で重連を組成し、折り返し稲沢まで戻ったそうです。



 そして返しの2088レまで待って撮影しても良かったのですが、仕事の都合で帰宅しました。



 やはり撮影場所と、あと焦点距離は重要です。もう少し、望遠の使い方を研究しなければなりません。あと、鵜殿の入換の様子も是非撮りたいと思います。また次回ですねえ!



 でも、紀勢貨物に国鉄色のDD51 847が来たのはラッキー!更新色の多い愛知機関区にあって、これは良い感じです。



 明日は、あそこか。行くところが分かってしまいます。



 それでは、次回をお楽しみに。

あります!

Matq1_2  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、プチ取材を行いました。



 先日米原駅で夜間長時間待っている時に、米原市役所にてラッセル車を保存している、というポスターを見て、機会があったら行こうと思っていました。なかなかチャンスが無かったところ、たまたま今日機会があったので、早速行ってきました。



 米原市役所本庁舎そば、米原公民館とJAの間に、ありました、キ555が(写真)。旧式の、黒い複線ラッセル車です。



Matq2_2  左後方からの写真(写真)。屋根上に蒸気用でしょう、タンクが幾つも並んでいます。



Matq3_2  先端のウイングの陰には、先端部を動かす腕があります(写真)。ここで操作していました。



 残念ながら、同車の運転台等、内部には入ることはできません。



 複線型ラッセル車は、当然ですが複線区間でしか使用されません。旧式の複線型ラッセルは、昔から複線だった区間でしか使用されないので、黒いのは現役・保存を通しても、私は初めて見ました。しかし写真からも分かるよう、保存はこんな感じで、今後が少し心配です。米原駅西口からも徒歩20分位の場所ですので、皆さんも、どうですか?



Matq4_2  まだ時間があったので、長浜へ行きました。長浜駅西口南側には、旧長浜駅舎を中心に、「長浜鉄道スクエア」があります。写真は入口の旧長浜駅舎です(写真)。入館大人300円です。



Matq5_2  建物手前右には、旧長浜駅29号分岐器(ポイント)が保存されます(写真)。明治15年英国キャンメル社製です。通常ポイントは動作する関係で傷みが早く、あまり残らないそうですが、同分岐器は他の用途に使用されていて、結果残ったものでは日本最古の分岐器になりました。



Matq6_2  旧長浜駅舎、長浜鉄道文化館を見学し、北陸線電化記念館に入ります。入口側には、ED70 1が保存されます(写真)。昭和32年三菱電機・新三菱重工製です。初の量産交流電気機関車、赤は交流電気機関車の色です。



Matq7_2  区名札は「敦二」(敦賀第二機関区)です。敦賀は前後を峠に阻まれ、昔は困難な場所、よって機関区が第一、第二になっていました。今は深坂トンネル、北陸トンネルで、それも昔話になりました。



Matq8_2  ED70の反対側(写真、2位側)。祝日で、国旗を飾っています。隣のSLと何故向きを揃えないのだろう、と思ったのですが、これが実際の運用の向きで、それに忠実なのだと、帰ってから気付きました。



Matq9_2  国旗のない側(1位側)の運転台に入れました(写真)。左がブレーキ、右がマスコンで、マスコンは手動進段です。



Matq10_2  隣は電化までの主役、D51 793です(写真)。綺麗に磨き上げられています。



Matq11_2  同機のキャブに入れました(写真)。左が機関士席、現役当時の様子が目に浮かびます。



Matq12_2  本当は展示したかったであろう、EF70、日立製36号機、三菱製18号機のプレートが残ります(写真)。なお同1001号機は、横川の「碓氷峠鉄道文化むら」に静態保存されます。



 ここは手入れが行き届き、保存車も安住の地となっているようです。このまま、残って欲しいですね。



Matq13_2  そのまま帰ろうとも思いましたが、近くまで来ていたので、行きたくなった「新垂井」駅跡。途中のコンビニで寄り道し、大まかな地図しか新垂井の位置を示す地図がなかったので、県道の終わり方から推定して行った場所が、当たりでした。



 写真は、新垂井駅の駅前に相当する場所で、駅が無くなった現在、舗装の道側に柵が設けられ、駐車できないようになっています(写真)。左の踏切が、東海道本線の貨物線です。戦時中に、関ヶ原越えの登り勾配緩和用に設置された線路で、現在は下り方面貨物列車と特急「しらさぎ」金沢・富山方面行きのみが走ります。



Matq14_2  踏切から望むと、本線と、線路一つ分空けて長いホームがあるのが分かります(写真)。これが「新垂井」駅ホーム跡です。



 やはり駅を設けると、運転を一方だけには出来ず、反対行きも走らせねばなりません。貨物及び特急の合間なら不可能ではなく、新垂井で待避も可能、手前の大垣も、次の関ヶ原も、運転可能な構造にはなっていますが、結局それに見合った需要がない、ということでしょう。代替バスが走っているようですが、時刻表もなく、どの位の間隔か。これが公共交通の現状というべきでしょう。残念。



 今日は3か所、目的もバラバラに行ってきました。一まとめには出来ませんが、何れも残って欲しいものですね。



 それでは、次回をお楽しみに。

遂に完成!#3

Lit3q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回も「リニア・鉄道館」、第3話です。写真は、2階から眺めた車輌展示フロアです(写真)。



Lit3q2  0系ビュッフェ37形の隣は、クロ381 11です(写真)。11とは中途半端な番号ですが、クロ381 0番台がクハ381の座席を交換した車両であるのに対し、10番台はサロ381を先頭車化改造した車輌で、その10番台初号車が11番でした。真ん中に愛称表示がありますが、JR東海管内で営業する381系が全て引退した関係で、フィルムが残っていないのでしょう。



Lit3q3  その隣は、クモハ165 108です(写真)。急行形、153系の出力アップに加え勾配抑速ブレーキも装備し、勾配線区でも使用可能でした。



Lit3q4  次は同系の1等車、サロ165 106です(写真)。長く静シス(JR東海静岡運転所)に保存されることで有名でしたが、遂に車籍抹消、展示車になりました。上にライトが点いていますが、これは構内入換用の簡易運転台がこの面にあり、夜間用にライトもありました。緑帯の新1等車、そしてグリーン車になりました。



Lit3q5  隣は、モハ63 638です(写真)。63系は戦時設計の通勤車輌、戦後も改設計なく製造されましたが、桜木町事故を契機に改造され72系になりました。仙石線では103系と同じ車体を与えられた車輌もあり、この車輌の足回りを交換したのが103系3000番台で、川越線で使用されましたが現在は引退しました。なお同車は72系改造後、最終的には牽引車になったようです。伊那松島に展示されていた気がしますが、現在は63系のスタイルに戻されています。



Lit3q6  続いて、キハ82 73です(写真)。気動車特急「はつかり」用キハ81の量産型、「白鳥形」として知られます。四国以外の全国で見られ、特急網整備に貢献した車輌です。同車は名古屋に配属され、当初は展示の通り「ひだ」等で使用されたものの、キハ85系整備で「南紀」のみの運用となりました。全国で最後まで残ったキハ82系の列車が「南紀」で、同車もその1輌、これもキハ85系置き換えで引退、しかし車籍を残したまま美濃太田車両区の片隅で保存されましたが、今は展示車輌です。エンジン出力が180PS×2というのが限界で、勾配線区への進出が出来ず、キハ181系が登場しました。他線区では登場当初車輌故障時に、代走でキハ58系を連結した(エンジンが同じDMH17Hで、可能らしい)、という珍事もあるそうです。



Lit3q7  続いては、キハ48036です(写真)。キハ20系、マイナー私鉄の亜形も含め、同形を多数集めた茨城交通(現「ひたちなか海浜鉄道」)から譲受した1輌です。



Lit3q8  次はオロネ10 27です(写真)。青帯ですが1等寝台車です。プルマン式2段寝台、現在のオロネ24(寝台特急「日本海」(現在運休中)のA寝台)まで続く形態ですが、寝台列車という列車が、あと何年続くのか、心配です。



Lit3q9  続いてマイネ40 7です(写真)。白帯(3等級時代の1等車)ですが、車内は業務用に改造されたらしく、ドアは閉まっており車内は見えませんでした。



Lit3q10  次はオハ35 206です(写真)。伝統的な3等車で、ボックスシート、モケットはグリーンで、「銀河鉄道999」の客車もこんな感じでした。しかしスハ43の方が急行形で、雰囲気が近いのか。難しい。



Lit3q11  建築限界測定車、通称「花魁車」、オヤ31 12です(写真)。しかし検測用の針は紐で留められ、開いていません。



Lit3q12  荷物車、スニ30 95です(写真)。昔は国鉄も郵便と手荷物(貨物ではない)を運び、台湾では原付を荷物車に載せて運搬する列車を見ましたが、今のJRではほとんど見られず、新聞輸送、日報位しか見られません。



 これで、車輌の展示は全部説明しました。



Lit3q13  在来線車輌横にはジオラマがあり、全部を見るには行列が30分待ちになりましたが、後からちょっと見だけなら、すぐに入れました。丁度夜のタワーズの模型が見え、夜景で、満月も出ていました。



Lit3q14  この横には、今日は走らない車輌が並びます(写真)。大きさから、一般的なHOゲージ(在来線80分の1、新幹線87分の1)でしょう。後にはジオラマ模型のCTC、制御システムの液晶モニターが見えます。



Lit3q15  N700系シミュレーター、313系シミュレーターの隣は、超電導リニア実験室です(写真)。シアターと超電導実験室があるようです。



Lit3q16  新幹線車輌展示横には、「鉄道のしくみ」展示があり、0系のDT200台車や、モーター、他展示があります(写真)。左上の黒い線は、東海道新幹線の線路配線図です。東京のCTC指令のような雰囲気です。



Lit3q17  2階に上がります。プラレール遊戯室、展示室があり、食事施設は大繁盛、行列が出来ていました。



 シンボル展示の上には、大宮の鉄道博物館から移設された国鉄バス1号車があります(写真)。国鉄バス営業所は瀬戸営業所が第1号だったようですが、同営業所は民営化後JR東海バス瀬戸営業所となったものの、閉鎖され、営業所跡地は更地となりました。



Lit3q18  シンボル展示の上から眺めた様子は、写真のとおりです(写真)。後はシアターになっており、「フラッシュは焚かないで!」と何度も注意していました。



Lit3q19  そして1階に降り、屋外展示に行きます。屋外には、軽便鉄道用SL「ケ90」と、117系が展示されます(写真)。ケ90は、名古屋市内のJRの教育機関からの展示で、当時は「丹那トンネルの工事に使用」と書かれていました。SLの仕組みを説明するための、カットモデルです。117系は、海カキ(JR東海大垣車両区)S1編成から、モハ116を抜いた編成で、デビュー当初の茶色の帯に塗り戻されています。



 これで「リニア・鉄道館」訪問記は終わります。まだまだ細かいところを落としていますが、少し落ち着いてじっくり見る時間がある時に、また来たいと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

遂に完成!#2

Lit2q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回も「リニア・鉄道館」、第2話です。



 シンボル展示から在来線を見た私は、続いて新幹線へ。最初は、0系21-86です(写真)。編成ナンバーが”K17”と書かれます。大窓車ながら86番とは、割と新しい番号では、と最初は思いました。



Lit2q2  車内は、初期の3+2転換クロスシートがそのままでした(写真、シートは展示用に動かないよう固定されている)。車内にこれが残っている必要があり、この車輌になったのでしょう。



Lit2q3  車内の順路は、そのまま36-84(食堂車)に続いています(写真、入口)。



Lit2q4  食事室は、こんな感じでした(写真)。通り抜け客のため、山側(写真右手)に通過通路が設けられていました。写真後方が調理室です。



Lit2q5  0系の方向幕(写真)。懐かしい表示ですね。



Lit2q6  続いて100系、168-9001(X1編成食堂車)の外観です(写真)。二階建て構造が、最大の特徴です。付随車(TDD)です。



Lit2q7  1階の通路、調理室を眺め、2階の食堂入口へ(写真)。階上にレストランがあります。エントランスには、歴代の優等列車の描かれたエッチングのレリーフがあります。



Lit2q8  食事室の様子(写真)。通過通路が階下になったので、再び山側の窓を取り戻しました。写真後方にウェイトレス用の準備室があり、階下の調理室から食事を送るエレベーターが内蔵されていました。



Lit2q9  そして先頭車、123-1(X2編成1号車)です(写真)。シャークノーズ、鋭い先端になりましたが、微気圧波には何も対策を取っていません。



Lit2q10  100系の方向幕(写真)。これは今の新幹線とほぼ同じですが、赤の「ひかり」自体あまり見なくなりました。



Lit2q11  続いて、922-26です(写真)。T3編成7号車です。



Lit2q12  車内の様子(写真)。ミニシアターになっていますが、座席はおそらくオリジナルです。700系顔の「ドクターイエロー」923形、JR東海のT4編成、JR西日本の3000番台T5編成とも7号車は座席車で、JR化後は、新大阪で職員が入れ替わるための待機室となっています。同車もそれで座席なのかは、不明です。



Lit2q13  連結面には、「幹ハカ」(JR西日本博多総合車両所)の表記が(写真)。これは他でもない元JR西日本所有車である最大の証拠で、JR西日本社内で展示する場所がないため、JR東海が譲受したのでしょう。JR東海は、自社のT2編成、及びディーゼル機関車911形を解体したことを、後悔しているでしょう。



Lit2q14  続いて、322-9001です(写真、J0編成、量産化改造後J1編成1号車)。腰部の膨らみが試作車の特徴です。



Lit2q15  隣は300系量産車、323-20です(写真、J21編成16号車)。300系はMTM3輌ユニットであり、故に16号車はハバっ子でTc、故に323形です。



Lit2q16  車輌展示エリアを終え、収蔵車輌エリアへ。先ずは16-2034です(写真)。グリーン車で、小窓車2000番台、0系でも最終グループに入ります。



Lit2q17  車内はアップでもこれが限界です(写真)。しかし床にはカーペットが敷かれ、車内が金色となっています。0系では開業当初、普通車を「シルバークラス」、グリーン車を「ゴールドクラス」とする計画があったそうで、それで内装があのようになっているそうです。



Lit2q18  そして第2話最終はビュッフェ、37-2523です(写真)。最終形で改設計がなされ、形式も当初のビュッフェとは異なるそうですが、この位置では異なる場所が分かりません。貫通路から覗いても調理室の一部しか見えず、特徴ある窓割りがあろう筈が側面もイマイチで、残念です。



 まだまだ収蔵車輌もあり、他の展示もカバーできないので、ここで分割し、次回とします。



 それでは、次回をお楽しみに。

遂に完成!#1

Lit1q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、今月14日に開館した、「リニア・鉄道館」を取材しました。



 佐久間レールパーク閉園から1年半、収蔵車輌は再整備され、また開館に合わせ各地から車輌を集め、遂に開館した「リニア・鉄道館」。出来れば開館初日に行きたい気はしましたが、平日とあってそれは困難でした。そして開館後最初の週末となった今日、訪問しました。



 名古屋から「あおなみ線」に乗り、終点金城ふ頭まで約30分、電車からも今日は来館者多数なのが分かりました(写真)。行列を始める時は、切符購入まで60分、と言っていましたが、それほどはかかりませんでした。しかし帰り道には来客が更に増え、待ち時間は長くなっていたかも知れません。因みに駐車場は満車、臨時駐車場も足りていたのか。車の方は早く行かないと、順番待ちだけで日が暮れてしまいます。



 そして建物の中に入ってから、券の購入までも行列が。私は佐久間レールパーク関連で貰った招待券があったので、スルーしたため早かったですが、来館者の9割は入場券を購入していました。



Lit1q2  そしてエントランスを抜けると、シンボル展示として、3輌の記録保持車輌が並びます。



 最初はC62 17(写真)、昭和29年に東海道本線木曽川橋梁で129キロを出し、狭軌のSL最高速度記録となっています。記録を出した当時、名古屋機関区在籍時の姿に近づけています。引退後は名古屋市の東山動植物園にて静態保存されていましたが、同館建設に当たり移転しました。



Lit1q3  続いて300X、955-6です(写真)。平成8年に443キロを出し、当時の電車形での速度記録を出しています。



Lit1q4  それを示すシールが(写真)。”443.0km/h 26 JULY 96”と書かれます。



Lit1q5  隣はリニアモーターカー、MLX01-1です(写真)。こちらは581キロを出しました。



 なお、C62とMLX-01の内部に入ることが出来ましたが、行列が長く、断念しました。また、落ち着いてから、行ってきます。



Lit1q6  続いて車輌展示を。最初はED11 2です(写真)。東海道本線国府津電化時の輸入機関車で、英国イングリッシュ・エレクトリック製です。



Lit1q7  その後は、ED18 2です(写真)。元の車体(1055からED50に改番した当時)はアメリカGE製で、軽軸重化され貨物運用に、後に浜松工場の入換に使用されましたが、動態復活し、一時は「トロッコファミリー号」の牽引機にもなりました。しかし寄る年波には勝てず、再び引退、同館入りしました。もう二度と、あの甲高い汽笛は聞けないのです。



Lit1q8  その後はC57 139です(写真)。名古屋市内のJR教育施設にて保存されていたところ、同館建設でやって来ました。



Lit1q9  続いてホジ6014です(写真)。蒸気動車、気動車の元祖です。重さは軽くホ級でも、動力のボイラが非常に小さく、低速でしか走らなかったといいます。博物館明治村(名鉄系)にて保存されていたところ、同館に移籍しました。手前側台車にSL同様のシリンダーとロッドが装備され、これで動いていたのでした。



Lit1q10  同車の車内の一部にも入れます。ロングシートの向こうに小型の石炭ボイラがあり(写真)、これが動力源でしたが、少し力が足りなかったようです。



Lit1q11  隣の並びには、EF58 157、後にはスハ43 321が続きます(写真)。EF58も、つい数年前まで動態機で、青白の塗装を身に纏っていましたが、ぶどう色に塗り替えられました。



Lit1q12  続いては木造電車、モハ1035です(写真)。初期の電車、去年まで飯田線伊那松島運輸区跡にて保存されていましたが、同館に収蔵されました。



Lit1q13  隣の列には、モハ52004が(写真)。「大ミハ」の表記も戻されました。京阪神の「急行」(今でいう「新快速」の元)運用に就き、窓にも「急行」と書かれます。後に飯田線に移籍、引退後モハ52001は大阪の吹田工場に戻りました。004は佐久間レールパーク保存車でした。



Lit1q14  一部の車内に入れます。先ずは運転台から(写真)。戦前の電車は、装備が簡単ですねえ!



Lit1q15  客室の様子(写真)。床まで木で、半鋼製、2ドアセミクロスで、当時でも贅沢な車内です。ニスの色も、何とも言えないいい感じです。これが117系、221系、現在の223系まで繋がっています。



Lit1q16  こちらも飯田線組、クモハ12041です(写真)。茶色(正確には「ぶどう色2号」)が、いい感じです。



Lit1q17  80系電車を置き換えるため製造された111系、程なく出力アップ版の113系が完成したため、111系は最後四国電化区間で使用されました。クハ111は113系も共通でしたが、同1号は111系モハと共に四国に渡り、引退、JR東海に譲渡されました。そして佐久間レールパークを経て同館に収蔵されます(写真)。大目玉(旧式ライト、シールドビームではない)が特徴です。



Lit1q18  その隣には、キハ181 1が(写真)。非電化勾配線区用に製造された大出力気動車、同車は特急「しなの」用に落成、後に電化により四国に移籍、引退後クハ111 1と同様の経緯を経て同館収蔵品となりました。車内は、昨年まで走っていたJR西日本の「はまかぜ」等とも同様でした。



Lit1q19  第1話最終は、クハ381 1です(写真)。日本初の営業用振子電車、自然振子傾斜のため、屈曲始めと終わりが気持ち悪いとのことで、その乗り心地改善のため制御振子傾斜が開発されました。同車は当初「あさま」運用も考えられていたため、横軽対策も施されていました。貫通路も現存する唯一のクハ381です。引退後美濃太田車両区の片隅に留置されていましたが、同館の収蔵品になりました。



 この後は、新幹線車両が続くわけですが、話が長くなるので、取り敢えずここで終了です。



 それでは、次回をお楽しみに。

当たり籤(本編)

6751q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名鉄瀬戸線で行われた、「最後の吊り掛け 6750系さよなら運転」イベントを取材しました。



 およそ抽選という抽選に振られ続けた私。今回は是非行きたいと思い、知ったその日のうちにハガキで応募。「また、駄目かなあ、」と思いかけた頃に当選ハガキが届き、何年ぶりの当選でしょう。喜んで届いた日のうちに、今日の切符を購入しました。



 そして今日の着席車輌を決めるために、今朝早く出て、集合場所の尾張旭へ。3号車(6752)を覚悟していましたが、幸い1号車(6751)に着席が可能でした。しかし行列で失敗し、後の方へ。そのため運転台側台車を諦め、中間側の台車の上の席に陣取りました。



6751q2  乗車してから少々時間があったので、車内の記録を。最初は、6751車内からです(写真)。モーター点検蓋が分かります。



6751q3  6751の運転台(写真)。普通といえば普通の運転台ではあります。足回りは吊り掛けながら、AL車であり、SR車とはあまり差はありません。昭和61年製ですし。



6751q4  それを示すプレートです(写真)。昭和61年日車製です。



6751q5  席が中間の方だったので、隣が見えます(写真、6651)。6753F以降は仕様が異なり、事実上4輌固定になっていた関係で、この車輌が先頭になっている姿は、私は撮ったことがないし、皆さんの記録も少ないでしょう。



「6751owarisahikitayama.wma」をダウンロード



 そして列車は発車し、先ずは喜多山へ。発車から喜多山までの添乗音です。



「6751kitayamaowariseto.wma」をダウンロード



 続いて、喜多山折り返しから尾張瀬戸までの添乗音です。気が早く、前に1分間無音の時間があり、無駄な録音をしています。



6751q6  そして尾張瀬戸から尾張旭検車区に入庫、転線し検修棟に入庫します。そして4号車(6652)から下車します(写真)。



6751q7  そして6751・6752Fを据え付け、隣には4005Fを据え付け、撮影会が始まります(写真)。4105が「急行 三郷」、6652が「急行 喜多山」を出しています。しかし、快晴のため光量が多く、シャッタースピードが速くなり、かなり絞りました。慣れた方なら、NDフィルター(ニュートラル・デンシティ、色を変えずに光量を減らし、シャッタースピードを落とすフィルター)を使うところです。フィルムは絞れば被写界深度が深くなりますが、デジカメでは絞りを絞るなと、ものの本には書いてありました。



6751q8  検修棟の北側には、4006F4106他が停まります(写真)。落成間もないのか、車体も光沢があり、新車だというのが分かります。つまり同編成の落成で、6750系は置き換え、全車引退するのでした。



6751q9  撮影会の最後は、左「団体 喜多山」、右「団体」でした(写真)。これを終えると、車輌は検修棟に戻ります。





 6652を先頭に、検修棟に戻る動画です。本イベントに落選し、線路外で撮った方が、良い動画は撮れたかもしれません。



6751q10  そして昼食時間になります。4005Fが休憩に開放され、皆が車内で食べるのに、一人ひねくれます。



 間もなく検修棟前には、今日のために用意されたサボが展示されます。最初は、「FINAL RUN 6750」です(写真)。



6751q11  続いて、「ありがとう 6750」の、赤バージョンです(写真)。栄町側に掲出する予定の板でした。



6751q12  シャッター前の、物販ブースの横には、「名鉄瀬戸線 栄町乗り入れ20周年」という、大きなサボが(写真)。記念列車用のものでしょう。これらの系統板は、今日のイベントの最後に販売するらしかったのですが、大震災の関連で販売を中止する、と、ネットでも広報されていました。



6751q13  そして昼過ぎに再び乗車しました。公平を期するために、1号車と2号車、3号車と4号車は乗客が入れ替わりました。そして検車区内で転線、出庫、一旦尾張瀬戸へ行き、喜多山まで戻り、再び尾張瀬戸に行き、今日の営業を終了しました。6751には、「ありがとう 6750」の青バージョンが入っていました(写真)。



6751q14  そして混乱の中、検車区に向け出発の準備をします(写真、6751)。





 最後は、動画で。こうして6750系は、最後の旅を終えました。



 6750系多数派の最終残存車、6756Fの最後には立ち会えませんでしたが、本当の最後となった6751・6752Fの最後に立ち会えたとは、幸運です。通勤でもお世話になった同系、実感はあまり湧かないのですが、ああ、本当になくなってしまうんだ、と思います。



 話は変わりますが、昔テレビで「懸賞生活」をしている主婦が、「懸賞に当たる方法」という番組をやっていました。一番効果があるのは、「当たったハガキの宛名を、氏名欄に貼る。」だそうです。結局今では懸賞は電算処理、読み取りがOCRなのは確実です。仮に当たり候補になっても、OCRを何度通しても認識しないような汚い字だったら、ポイと外れに混ぜ、他のハガキを当選させるでしょう。今回もOCR対策をしたら、覿面でした。このまま、次回も行きたいですねえ!



 6750系、他の私鉄なら、車体が勿体ないと台車を履き替え再利用しそうですが、旧3300系の例からも、名鉄はそれをしないでしょう。恐らくこのまま解体、でしょう。



 足回りはともかく、瀬戸線の冷房化に貢献した6750系、新車4000系に道を譲り、本当にお疲れ様でした。



 それでは、次回をお楽しみに。

当たり籤(予告編)

当たりくじ(予告編)
 まもなく終焉を迎える、名鉄瀬戸線6750系。来週さよなら運転及び撮影会が催されます。もう一般運用には就かないと思っていましたが、今日他の用事で瀬戸線に乗車したところ、なんと来週の主役、6751・6752Fが運用に就いているではありませんか!しかも急行です!機材がなくモブログだけで、フルノッチサウンドもお届け出来ませんが、雰囲気を感じていただきたいと思います。これは幸運なのか、不幸なのか?

追憶のEF63

63q18_2  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、D100より遥か前、1997年(平成9年)9月末に廃止になった、碓氷峠関連の写真です。



 同年9月12日夜、昭和の頃からの相棒F-801を抱え、夜行急行「妙高」に乗り、日を跨ぎ横川着。既に車輌は急行形169系ではなく、特急形189系でした。



 横川のEF63連結を見た後、皆が車輌に戻るのですが、私はひねくれ、反対方向へ。丁度編成末尾になるEF63 18が、ヘッドマークを掲げ停止しています(写真)。降り続く雨が、運命を何よりも雄弁に物語っています。なお、こちら側が機関士のいる運転台です。



63q19_2  そして軽井沢着、機関車は電車から切り離され、協調運転を終えます。切り離された、EF63 19(写真)。18とペアでこの運用に就いていました。ぶどう色塗色のEF63は、当初2輌のみでしたが、最後に両機が追加され4輌になり、昔を懐かしむことが出来ました。



 なお両機は、現在横川駅前の「碓氷峠鉄道文化村」にて静態保存されます。



 当時は気にしていませんでしたが、やはり写真のデータバックは、今にすると鬱陶しいものです。これらの写真も、写真に入ったデータが故に芸術価値は全くありませんが、碓氷峠区間が営業された時代を懐かしむのには、十分でした。



 この区間の廃止では、大物政治家N氏が悪者扱いされていますが、世界一の鉄道登坂技術であったこの区間を復活させ、「碓氷峠登山鉄道」が設立されたら、是非会長になっていただき、あらぬ罪を晴らして欲しいですね。しかし残念、協調運転できる電車は、年々減り続け、実現は困難になりつつありますが。



 正直、同区間の途中で信号場のある熊ノ平(アプト時代は駅であり、「峠の力餅」を売っていた)も一般公開して欲しいのですが、いろいろあって難しいんでしょうね。残念。



 それでは、次回をお楽しみに。

カウンター
プロフィール

Seichiro

Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR