一石二鳥(後半戦その2)

Kanp1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、日曜日午後訪問した、京都の「梅小路蒸気機関車館」の記録です。



Kanp2  交通科学博物館を発った私は、大阪から快速に乗り、京都へ。新快速に乗るほど急いでおらず、確実に着席できました。京都から嵯峨野線(山陰線)で一駅、丹波口へ。梅小路へ行く、電車での最寄り駅です。



 そして徒歩10分あまり、梅小路蒸気機関車館に到着(写真)。旧二条駅舎、山陰線の母体の一つであった京都鉄道の本社屋も兼ねて建てられた建物で、嵯峨野線高架化で同館に移築されました。



Kanp3  同館に入ると、間もなく「スチーム号」の運転時間となりました。昨日のスチーム号牽引機は、8620形8630でした(写真)。同機は車籍は無いものの動態保存機で、8月いっぱい同機が運用に就きます。



 スチーム号の展示運転の線路は平坦で、全力行はありませんが、それなりには煙も上がります。動画も、そのうちに。





 動画は初回の運転で、圧力が十分だったらしく、煙はほとんど上がっていません。



Kanp4  同館の南側、現在も留置線に使われる側に、SL2両、客車1両が置かれます。前側には、D51 1があります(写真)。これも大阪の2号機と同じ「ナメクジ」です。



Kanp5  後にはC62 1が(写真)。オハ46 13を従えます。D52のボイラとC59の足回りで造られた、日本最大の蒸気機関車です。



Kanp6  転車台側には、C62 2「スワローエンゼル」が停まります(写真)。国鉄機関車の頂点、製造直後は超特急「つばめ」、後に北海道に移動し急行「ていね」、後に名を改め急行「ニセコ」を牽き、現役時代にも多くの記録、記憶の残る機関車です。デフレクタの「ツバメ」マークが、何よりも多くを物語ります。これに比類するのは、同18号機の「下がりツバメ」だけです。同機は動態保存、今では「スチーム号」しか牽きませんが、本線走行をすれば、集客はバッチリです。何年も前に一度、同機を品川駅で見たことがあります。



Kanp7  扇形庫の中に移動します。一番右はC55 1です(写真)。C51に始まる国産急行形SLの系譜、軽量同性能を追及し、失敗作C54を改良した機関車です。C57は、この機関車の改良型です。



 右の外壁の向こうには、休憩室とされる客車、オハフ50があります。



Kanp8  国産唯一の3シリンダー機、C53 45です。輸入3シリンダーC52の模倣で、大型大出力を目指しましたが、整備が困難であり、重軸重であったことから他線への転用がきかず、C59登場で早々に全機引退しました。45号機は、戦後一時動態復活を遂げた、数少ない残存機です。



Kanp9  C53の後継となった、2シリンダーのパシフィック、C59 164です(写真)。初号機は昭和16年製、間もなく優等列車全廃で栄光も少なく、戦後も生産を計画したものの進駐軍に停止されC62が誕生、戦後もあまり良いところはありませんでした。164号機は、昭和40年代まで呉線に残ったC59のうちの1両です。



 なお、同形の軽軸重化改造機がC60、東北と九州で活躍しました。



Kanp10  戦時形マンモス貨物蒸機、D52の最終ナンバー、468号機です(写真)。C62の母体として、余りに有名な機関車です。



Kanp11  9600に続く貨物機、D50、140号機です(写真)。D60に改造されなかった同機、筑豊での現役当時の動画も残っています。



Kanp12  貨客両用のプレーリー、C58 1号機です(写真)。「SLやまぐち」号の予備機で動態保存機でしたが、現在は静態保存されます。お召し装備を施され、デフには鳳凰が描かれています。



Kanp13  国産初の急行形パシフィック、C51、239号機です(写真)。C55、C57の充足で順次引退しましたが、239号機はお召し運用多数のC51であったため、奇跡的に解体を免れ、同館に保存されます。



Kanp14  戦時設計の入換機、B20 10です(写真)。同機も動態保存機ですが、本線走行には余りに小さく列車牽引は困難です。大型機は復活が大変なので同機が選ばれたのでしょうが、やはり本線で走れるSLの復活を期待したいですね。



Kanp15  同機の後には、1070形1080があります(写真)。同機は元々、6270形6289という明治期の輸入テンダ形SLで、後にタンク形に改造、最後は日鉄鉱業の入換機として余生を過ごしていました。引退後長く車庫内で保存されましたが、2、3年前に同館に移転、収蔵機となりました。明治期のSLの特徴を多く残し、歴史的価値のあるSLです。



Kanp16  隣は9600形9633号機です(写真)。国産初の大型SL、多数製造されましたが、相当数満州に出征、改番され中国の鉄道博物館に保存される同形機もあります。



Kanp17  隣は、C11 64です(写真)。標準的なタンク機、大井川鉄道他でも多数見られるSLです。線区を選ばない同機あたりが、動態復活に一番では?



Kanp18  その左は、検修線です。一番右側には、D51 200が頭を先に入っています(写真)。同機も動態保存機、整備中のようです。



Kanp19  簡易線用の軽量テンダ機、C56 160です(写真)。軽量かつ長距離運用が可能とのことで、90両が東南アジアに出征、多くは向こうの土となりましたが、奇跡的に42号機と44号機が帰国、42号機は靖国神社に静態保存、44号機は大井川鉄道で動態保存されます。



 名古屋でも、経営の苦しい「あおなみ線」でSLを走らせよう、という計画がありますが、多分牽引機は同機になるでしょう。



Kanp20  D51ベースの急行形ハドソン、C61 2です(写真)。東北初の特急「はつかり」の1番列車の牽引機として、同機が運用に就く動画を見たことがあります。丙線区最強の旅客機、「はつかり」仙台~青森間の本務機や、寝台特急「はやぶさ」門司~鹿児島間の牽引機を努めた形式です。一昨日は、20号機に萌えていました。



Kanp21  梅小路蒸気機関車館、扇形庫と転車台、一枚の写真にすると、こんな感じです。鉄道100年記念で設置された同館、当初SL保存館は関東地方に設ける予定でしたが、ほぼ全てのSLの整備経験のある梅小路機関区に白羽の矢が立ち、現在の姿になっています。この扇形庫も現存する扇形機関庫では最大級、現役では最大でしょう(現役でなければ、豊後森機関区跡も同程度の大きさがある)。転車台と併せ、登録有形文化財となっています。





 扇形庫の中心は転車台です。この運転を捉えることが出来ました。



Kanp22  そして旧二条駅舎の本館に戻ります。企画展として「お召し列車の今昔」という展示があり、皇族関連の貴賓室、お召し装備の展示がありました。写真は皇族用のソファー、しかし一般的にこういうものは、使われたことが無いものです(皇族を駅で待たせる、ということは、通常ありえないからです)。



 そして大方記録をとったと思ったので、同館を後にして、帰宅しました。



 今回は1080だけでも良いかなあ、と思っていたので、思ったより良い取材となりました。



 JR西日本関西地区での最も大きな変化は、223系の改良版、225系が多数運用に就くようになったことでしょう。225系の運用が増え、223系が221系を押しだし、221系が旧式車を玉突きします。関西には国鉄形も多数残りますが、だんだんその勢力は弱まっています。ここ数年が、国鉄形オリジナルの、最後の時期となるでしょう。皆さんも是非、足を向けてみてください。そのため移動の間には、色々と記録をしました。その際の記録写真は、そのうちに。



 それでは、次回をお楽しみに。

一石二鳥(後半戦その1)

Kanq1  皆様、如何お過ごしでしょうかそれでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は一転、大阪市の「交通科学博物館」を取材しました。



 昨日は水上で足取りが途絶えていますが、その後東京に戻り投稿、そして「ムーンライトながら」に乗車しました。



「Moha189-30.wma」をダウンロード



 乗車した車輌がM車だった関係で、添乗音を録りました。東京~品川間、MT54の野太いサウンドは入っているでしょうか。



Kanq2  そのまま帰っても良かったのですが、時間を有効活用しようと、大阪まで行ってしまいました。大阪駅で弁天町へ行こうと環状線に乗ると、何と桜島行き!道理で客が多いわけです。西九条で左右両方のドアを開け、乗り換え客の便を図り、ユニバーサルシティで99%の客が降ります。終点の桜島では、客は数人でした。



 乗りかけた船でしたので、安治川口で下車。安治川口の貨物駅には、コンテナ貨物電車Mc250が見えています(写真)。某運送会社がモーダルシフトの実験として、東京貨物ターミナル~安治川口間を夜中に上下1本ずつ走らせています。鉄道ファンが、撮ったこともないどころか見たこともないのに、その年のブルーリボン賞に投票、受賞しました。



Kanq3  安治川口にやって来たのは、近モリ(森ノ宮電車区)B23編成(編成表ではSA3編成とされる)、「セサミストリート」電車です(写真)。これで一駅、西九条に戻りました。しかし、阪神なんば線完成で、西九条は便利になりましたね!(近鉄電車も停まります。)



Kanq4  弁天町高架下に交通科学博物館(旧称「交通科学館」)があります。開館は常識的に10時からですが、寄り道してもまだ早い時間でした。シャッターが降りており、駄目だと思った瞬間、横の駐輪場が開いていたのに気付き、入ると、車輌展示が低い柵の向こうに見えます。



 最初は80系電車、クハ86の初期型です(写真)。「湘南電車」として有名な80系、電車では初の長距離運転が行われました。2枚窓の湘南形が一般的なイメージですが、初期には3枚窓の車輌もありました。ツートンの色は東京風、塗り分け方(金太郎塗り)は大阪風です。



Kanq5  青帯車(2等車)の隣は、230形233です(写真)。中に入ってから確認すると、汽車会社(現在は川崎重工の一部)1903年(明治36年)製造の、古いSLです。



Kanq6  開館し、中に入ります。一番前は、宮崎実験線で使用された、リニアモーターカーです(写真)。中央に軌道がある跨座式で、現在の方式とは異なります。



Kanq7  その奥には、0系新幹線、22-1が(写真)。初号車です。狭い空間で写したので、像が歪んでいます。



Kanq8  続いて、SL40号です(写真)。40号は払い下げ後の番号、鉄道省では1801号だったそうです。工部省B6ですか?



Kanq9  新しい設備は、221系のモックアップを使用したシミュレーターです(写真)。リアルです。



Kanq10  22-1の後は、16-1(グリーン車)で、それに続いて35-1(ビュッフェ)がありますが、車内は公開されていません。貫通路から覗くと、懐かしい赤系のテーブルが見えます(写真)。もう一度、中で座ってみたいですねえ!



 なお、35-1の次は、21-1(表題の写真)でした。



Kanq11  国鉄ハイウェイバス、1号車です(写真)。車も少々、飛行機も少々、船も少々ありますが、やはりメインは鉄道です。JR西日本の運営ですし。



Kanq12  21-1の向こうは、EF52 1です(写真)。昭和3年日立製、F級初の国産電気機関車のようです。末期には竜華機関区に在籍しました。



Kanq13  歩道橋を渡り、北側のブロックへ。左DD13 638(昭和42年日車)、右DF50 18(昭和33年新三菱重工・三菱電機)です。ディーゼル草創期の主要形式です。



Kanq14  横には、DD54 33(昭和46年三菱重工)があります。中量級ディーゼル機関車として期待されましたが、トラブル多発で短命に終わり、結局DD51に取って代わられました。寝台特急「出雲」のヘッドマークを付けた挿絵もありましたが、法定耐用年数に満たない廃車も多数あったようです。



 横には回転変流機、水銀整流器、地上用シリコン整流器と、交流電気から直流電気を発生させる機械の変遷、他展示がありました。



 なお、ここから弁天町駅北口に直結する専用出口もありました。



Kanq15  残念ながらそこからは出られず、歩道橋を渡り戻ります。北海道1号SL、「義経」号です(写真)。開拓使がアメリカをモデルとしたため、アメリカ製のアメリカンスタイルで、カウキャッチャーもあります。ガラス張りの展示ですが、時々外に出すイベントもあるようです。



Kanq16  日本初の気動車特急「はつかり」に使用された、キハ81です(写真、キハ81 3)。東北本線電化完成後は、「いなほ」に使用、間合いで「ひたち」にも使用されました。各線電化完成で紀勢本線に移動、最後は「くろしお」でした。電車特急「こだま」に範をとってボンネットスタイルですが、点検用にボンネットは開く構造、「ブルドック」と呼ばれました。運転台もタブレット授受を考え電車特急より低く、少し垢抜けないデザインとなっています。製造は6両のみで、量産車は貫通型のキハ82、いわゆる「白鳥形」でした。



Kanq17  端には、D51 2があります(写真)。煙突から砂箱まで一体の、通称「ナメクジ」です。



Kanq18  間には、C62 26があります(写真)。大阪のここにある、ということは宮原運転所所属の時期があった、ということでしょう。超特急「つばめ」は、2号機あるいは18号機のイメージがありますが、名古屋機関区あるいは宮原運転所所属のC62であれば、可能性はあった、ということでしょうか。



Kanq19  最後は、D51と233の間にある、20系客車、ナシ20 24です(写真)。食堂車、土休日はレストランの営業があります。今はほとんど絶滅状態である「食堂車」というものの雰囲気を、是非感じてみてください。



 まあ2回目の取材でもあったことから、こんな感じで後にしました。



 しかし、これでは午前中で終わってしまいます。午後は、どうしたのか。それは長くなるので、「その2」で。



 それでは、次回をお楽しみに。

一石二鳥(前半戦)

Tacq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、高崎方面のSLを中心にを取材しました。



 例によって昨晩自宅を発ち、未明に東京着。上野から普通に乗り、高崎に。今日の高崎は、小雨がぱらついていました。



Tacq2  SL等優等列車の発車する2番線に構えます。1番線には、211系1000番台、高タカA33編成5連が停まります(写真)。



Tacq3  湘南新宿ラインが行き過ぎると、次は185系、東チタ(田町車両センター)A8編成に変わっています(写真)。主に特急「踊り子」用の185系です。



Tacq4  2番線には、特急「草津」、宮オオ(大宮車両センター)OM05編成他が入ります(写真)。急行格上げのため、長く「新特急」とされてきました。



Tacq5  4、5番線には115系1000番台、左T1045編成、右T1051編成が普通運用に就きます(写真)。115系も湘南色は、最近あまり見られません。



Tacq6  そしていつもの時間に、D51 498牽引「SLみなかみ1号」が入線しました(写真)。通常は機関車は客車とは別、早めに出区し、待機していますが、今日は特別、最初から客車を牽引し入線しました。



 良いかどうかは分かりませんが、発車の動画を録りました。そちらも、そのうちに。





 その動画です。出発は、こんな感じでした。



Tacq7  次は宮オオOM07編成、「草津」です(写真)。



Tacq8  またしても「草津」、宮オオOM01編成です(写真)。



Tacq9  そして、昼近くになり、今日の真打ち、C61 20牽引「SLレトロみなかみ3号」が入線しました(写真)。



 C61 20は、今春動態復活し、今年最注目のSLです。現役当時は仙台以北で特急等旅客運送に従事していました。D51ベースのハドソン、丙線区最強の旅客機関車です。JR東日本も、D51 498、C57 180の予備機が欲しかったことから、保存状態の良い同機が復活しました。



Tacq10  同機の今日のヘッドマーク(写真)。茶色ベースで「SLレトロみなかみ」と書かれます。





 そして、出発の動画です。煙がモクモク出ています。雨のため、上には上がりません。



Tacq11  乗車できれば良かったのですが、乗車率が良かったらしく満席で、乗車できませんでした。 仕方がないので普通電車で追っかけ、渋川で抜きましたが、コンテナ貨物の向こうに停まっており、撮影できず。そのまま水上まで先行し、先回りをしました。写真は、旧水上機関区の転車台です(写真)。残念ながら、このタイミングでは先のD51は、水上を折り返し出発した直後でした。



Tacq12  暫くすると、汽笛が聞こえてきます。C61 20の到着です。到着後直ちにSLは切り離され、機関区に入ります。



 そして、最初に転車台に載り、転向させますが、ここは見せ場なので一旦反対回りした後に一回転、転向します(写真)。この動画も、そのうちに。





 転車台の動画です。一旦左回りに半回転してから、右回りに一回転しました。



Tacq13  そして転車台の後は、ピットに入り、火床整理の準備を始めます(写真)。この後の注油、給水、石炭掻き寄せも撮りたい気はしましたが、その後の都合により断念しました。



Tacq14  そのまま水上駅に戻ると、「SLレトロみなかみ」に使用された客車が停まっています。写真は長岡方、スハフ32 2357です(写真)。



Tacq15  反対側(高崎方)先頭は、オハニ36 11でした(写真)。中間車は、スハフ42の1輌を除き、全てオハ47でした。台車更新形の旧式客車ですが、博物館展示のためのオリジナルを復元するために、元の台車を探した例もあるようです。



 そして次の普通電車で、水上を後にしました。



 これで高崎での本懐も遂げ、一安心ですが、機会があれば、是非乗車したいですね。また、そのうちに。



 今日は一石二鳥でしたが、明日も一石二鳥がいけるでしょうか?次回をお楽しみに。

暑き地へ。

Akeq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、東濃方面を取材しました。



 今日は平日ですが、夏期休暇を取得したため、休みでした。そのまま居眠りを決め込んでも良かったのですが、家の中では落ち着かない。そこで、少し遅い朝となりましたが、愛車に乗り出発しました。



Akeq2  先ずは中津川へ。駅からも近い線路沿いの本町公園には、D51 266が保存されます(写真)。状態は普通ですが、全面金網のお陰で守られているからで、無かったらどうなっているのかと思うと、非常に残念です。



Akeq3  続いて、恵那市へ。恵那市中央図書館内に、SLと腕木式信号が保存されます(写真)。C12 74、国鉄明智線(現「明智鉄道」)で使用されたSLでしょう。



Akeq4  近づいて撮影します(写真)。柵は低く多少工作すれば写真から除けますが、前面の柵がいただけない。登った子供の転落対策でしょう。



Akeq5  中央本線恵那駅から分岐するのは、明智鉄道。同線の阿木駅に行きました(写真)。駅自体は、普通のローカル駅です。



Akeq6  到着すると間もなく、上り恵那行きがやって来ました(写真)。アケチ10、明智鉄道第2世代アケチ10形の初号車です。同駅から乗った多数の高校生と共に、走り去りました。乗車しようとしない私を見て、運転士は残念がっていました。



Akeq7  同駅には、明智鉄道第1世代の気動車、アケチ2(アケチ1形)「あぎがわダム号」が残ります(写真)。線路上に乗り、台車もありダルマではありませんが、運転は出来ません。窓には防護のための覆いがあります。



Akeq8  反対側からの眺め(写真)。車輌は集会場になっていたようですが、傷みが激しくなってきました。



Akeq9  続いて、「寒天の里」山岡へ(写真)。こちらも駅は普通です。



Akeq10  寒天の里の施設の奥、恵那寄りには、アケチ1形1が保存されます(写真)。アケチ1形は富士重工製、LEカーで、名鉄キハ20と同様の構造(ボギー車)、今でも「いすみ鉄道」などで見かけるタイプです。



 一時「寒天ダイエット」が話題になった頃、山岡は注目され賑わったようですが、ブームは去り、今はまた静かな時が戻ってきたようです。



Akeq11  そして、明智へ。明智小学校校内には、国鉄明智線で活躍したC12 244が保存されます(写真)。C12が多いのは、明智線が簡易線で線路が弱く、しかも短距離でC56を必要としなかったからです。軽量なC12の独壇場です。



Akeq12  そこから僅かな距離で、明智鉄道の終点で、かつ中心駅である、明智に到着。現在駅舎を改築中で、間もなく完成のようです(写真)。



 明智は、大正時代の街並みが残っていたことから、「日本大正村」として町おこしをしてきました。銀行の2階が絹の倉庫だったり、色々と当時の風俗が残る街並みがあり、なかなか良いところです。機会があったら、是非どうぞ。



Akeq13  駅恵那寄りには、アケチ12が洗浄線にて待機します(写真)。この左横に、運転区があるようです。



Akeq14  終点側には、車庫兼工場があります(写真)。屋外にはアケチ10形最終ナンバーの、アケチ14がエンジンをかけスタンバイしています。



Akeq15  左の建屋では、アケチ13が整備中でした(写真)。



Akeq16  右の建屋の中は、ホームからは見えません。そのため駅の反対側まで歩き、覗くと、アケチ1形最終、アケチ6「ひがし美濃号」が停泊しています(写真)。車輌編成表によると、同車は車籍が残っており、本線走行が可能なようです。



 これで撮影終了、時間は早かったのですが、次の目的地は遠く、2時間程度の移動が見込まれ、日没になってしまうため、このまま帰宅しました。



 明智鉄道では、休日に「寒天列車」などのグルメ列車を走らせています。こちらもどうぞ。



 やはり、明智鉄道に一番欲しいのは、フリー乗車券でしょう。途中下車が可能ならば、明智だけでなく中間駅にも乗降が見込まれ、もっと利用者が増えそうな気がするのですが、現在はまだ設定がないため、残念です。是非、考えてみて下さい。



 それでは、次回をお楽しみに。

想い出に間に合いたくて(後半戦)

Etoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、現在「江戸東京博物館」で開催されている、「東京の交通100年博」を取材しました。



 大月を発った私は、快速をそのまま東京まで乗って行けば良かったのですが、高尾で特別快速に乗り換えました。僅かながら、遅れた時間を取り戻しました。



 そして御茶ノ水でホーム乗り換え、両国へ。駅からは、目的地「江戸東京博物館」が見えます(写真)。下の両国駅ホームも気になりますが、最後は新聞輸送だけとなった両国駅急行ホームは、1面1線を残し壊されているようです。



Etoq2  そして降りて、駅正面を(写真)。かつての脇出口が今はメインゲートとなり、かつて千葉方面のターミナルだった時代の正面口は、現在相撲茶屋になっています。現在千葉方面のターミナルは東京地下駅(総武地下ホーム、京葉地下ホーム)であり、往時の面影は全くありません。せめて両国駅にホームが設置されていれば!(総武快速線は両国駅北側からトンネルになり、東京に繋がります)



Etoq3  両国駅北側、国技館の南を通ります。かつて新聞を搬入したであろうルートが、業務用通路として残ります(写真)。現在は工事用通路であり、両国駅ホーム跡地の再開発の最中のようでした。



Etoq4  博物館入口には、企画展の看板がありました(写真)。常設展はデッキに登り3階からですが、企画展は駐車場と同じ1階正面入口から入ります。そして入場券1,300円を払い入場しました。



Etoq5  資料は多数あり、模型や貴重な実物資料も展示されましたが、如何せん「撮影禁止」であり、撮りたくても撮れず、もどかしく思いました。特に「円太郎バス」が撮影禁止だったのが、非常に残念。それを撮って載せれば、重大な問題になってしまいます。



 数少ない例外、記念撮影スポットとして、ヨヘロ1形141号のモックアップが展示されます(写真)。記念撮影の一瞬の隙を突き、撮影しました。



Etoq6  モックアップの運転台に設置された運転機器(写真)。外観だけは本物のようです。



 そしてもどかしい思いを感じながら、記録することなく展示室を出ました。



Etoq7  館外に、スクリーンで仕切った場所があります。最初何も知らず入ろうとすると、「観覧券を提示してください」と書かれていたので、後回しになった場所です。館内を回ってから、観覧券を提示し入場しました。



 中には車輌が2両あります。1両は、荒川車庫前の「都電おもいで広場」から搬入された、6086です(写真)。右側は、映画「三丁目の夕日」のセットの一部だそうです。



Etoq8  車内が公開されていました。運転台の様子(写真)。古い路面電車で、計器類が少ないです。



Etoq9  客室の様子(写真)。多数の観客がおり、満員でした。



Etoq10  もう1両は、ヨヘロ形を現在に伝える生き証人、函館市電のササラ電車です(写真)。函館大火で市電を喪失した函館市に東京のヨヘロ形市電が譲られ、それが改造されたとはいえ、現在まで2両残ります。そのうちの1両が今回の企画展に合わせ帰京しました。



Etoq11  側面ドアが開いていました(写真)。ササラ回転用のモーターと、チェーンが見えています。モーターの左手には制御用か、マスコンがありました。よくぞ残っていた、という感じです。



 そして撮影可能な物は撮影し、会場を後にしました。



 やはり貴重な資料だから撮影したい、と思うのですが、それなら公式パンフレットを買うように言われるでしょう。せめて、模型位は外して欲しかった!残念でした。



Etoq12  そして、帰途に就きました。



 平塚貨物駅には、EF200 16が停泊します(写真)。かつては”Inverter Hi-Teck Loco”と書かれましたが、新塗色化が進み、写真のような”JRF”ロゴが入ります。



Etoq13  最後は、DE11 1554です(写真)。死重が多く積まれている以外はDE10と同じで、形態変化も一致しますが、重入換を必要とする重量貨物は激減し、国鉄改革と共に多くは命脈を絶たれました。なかなかお目にかかれないですね。



 そして、帰宅しました。



 オレンジ色の電車(正確には”バーミリオン”ですが)、昔は「♪(新宿駅)10番線は、最終列車」でしたが、今日は「16番線始発列車」でした。でも、一番間に合わないのは、私なのでしょう。



 それでは、次回をお楽しみに。

想い出に間に合いたくて(前半戦)

Fsiq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、富士急行”下吉田ブルートレインテラス”を中心に取材しました。



 例によって昨晩自宅を発ち、未明に東京着。色々ルートはあるのでしょうが、単純に東京から、中央線で大月を目指します。途中「乗り換えです」のアナウンスに、慌てて飛び出したのは立川。乗り換え予定の八王子とは大きく違い、大失敗。これには困ってしまいました。仕方がないので次の電車に乗りましたが、結局八王子で再び乗り換え。最初から大きく予定が狂ってしまいました。



Fsiq2  八王子ではケガの功名、DE11 2001を捉えました(写真)。重入換専用機DE11の、量産型防音対策機初号機です。貨物列車の入換自体減っており、重入換機の出番は、滅多にありません。



Fsiq3  横には、今では関東でもゴロゴロしている、EH200の、トップナンバー1号機が石油タキを牽きます(写真)。運用に就く同機は初めてか(大宮車両所か、高崎の庫内では見たことがあると思います)。



Fsiq4  そして長野色115系で大月へ。大月でフリーきっぷを買い、富士急行へ。ホームでは、”マッターホルン号”が増結されます(写真)。姉妹提携により、この塗色になりました。これに乗車し、迷わず終点河口湖へ行きました。



Fsiq5  河口湖には、富士急行の車庫があります。一番奥には、1001-1101の、茶のツートン(富士山麓色)の車輌があります(写真)。車体は皆京王5000系で(台車は他車の発生品を使用)、京王の後継車6000系が全廃された今、それより古い5000系が残るのは不思議ですが、18メートル級の小型車体が手頃なのでしょう。



Fsiq6  最後の富士急オリジナルとなった、5000系「トーマスランド号」です(写真)。形態的にはどっかで見たような電車ですが、実はどこにもないオリジナルです。



Fsiq7  河口湖駅前には、今日もモハ1が鎮座します(写真)。戦前製の半鋼製電車、富士急行の原点です。



Fsiq8  丁度「富士登山電車」が、入換、出発の準備をしています(写真)。この電車も、水戸岡デザインです。



Fsiq9  「フジサン特急」が、2つ並びます(写真)。顔が違うと思いますが、元々は国鉄165系ベースのジョイフルトレイン”パノラマエクスプレス アルプス”の前3両と後3両で、中間には167系などを繋ぐこともありましたが、これのみ6両でも運用可能でした。そのため、現在も方転せずそのままの向きで走ります。



Fsiq10  2駅戻り、富士吉田、改め「富士山」駅に到着(写真)。同駅も、水戸岡デザインで今春改装しました。ホーム上屋も木材を使用しています。



Fsiq11  富士山駅出入口(写真)。ビルの入口に大きな鳥居を設置、中には「富士山駅」と書かれます。富士観光の拠点とすべく整備されました。



Fsiq12  行き違いに、JR直通の115系山スカ色3連が入線、発車しました。そして戻ること2駅、下吉田に到着(写真)。同駅も水戸岡デザインで再整備され、旧名古屋駅をモチーフに建設された当時の、シンメトリーの建築美を取り戻しました。駅構内、改札横にはカフェショップが出来、ホットコーヒーをすすりました。



 今日は駅で地元産品を扱った市が立っていました。毎週かどうかは分かりませんが、土曜日に開かれるようです。



Fsiq13  下吉田駅には、”ブルートレインテラス”が設置されました。多くのブルートレイン、最後は寝台特急「北陸」の末尾を飾った緩急車スハネフ14 20が展示されます(写真)。愛称表示、方向幕は、富士急行に因み「富士」になっています。



Fsiq14  車内の様子(写真)。オリジナルの3段ではなく改造後の2段式寝台で、モケットが全て青ではなくオレンジになっています。他は全てオリジナルのままです。



Fsiq15  線路の富士山駅寄りには、貨車が(写真)。左から、ワフ1、ト104、ワフ2です。富士急行所縁の貨車、昭和3年製の証があるとホームページに載っていましたが、雨の中確認できませんでした。



Fsiq16  間もなく同駅に八トタ(豊田車輌センター)M50編成「ホリデー快速河口湖1号」が入線します(写真)。183・189系「あずさ」色、E257系置き換え後の数少ない生き証人となっています。同駅は行き違いのための運転停車、間もなく発車しました。



Fsiq17  そして戻る方向に。高速道路(中央自動車道河口湖線)の上を、巨大なアーチ橋が跨ぎます(写真)。これは、いわゆる「リニア実験線」の橋梁です。いよいよ本格着工のようですが、フォッサマグナに本当にトンネルが掘れるのでしょうか?



Fsiq18  そして大月に到着。オレンジ色の電車、というのは今は昔、101系でも、103系でも、201系でもなく、今はオレンジの帯のE233系です(写真)。大月方面行き、昔の菱形大パンタの時代には、低屋根車(パンタグラフ部分の屋根を低く造った電車)800番台が充当されましたが、今はシングルアームパンタ、限定運用は無いのでしょうが、10連貫通ではなく6+4編成が充当されていました(写真、左右とも八トタH50編成)。



 これに乗って、次の目的地(後半戦)に向かいましたが、1回にするには量が多かったので、次回とします。



 昔からの資産と、新しい物、その共存があると思います。昔からの資産は有効に活用し、その上に新しい歴史を重ねていく、そういうことを続けて欲しいものですね。



 それでは、次回をお楽しみに。

900回を数えて

 先ほど、ブログパーツを埋め込むべく操作をしていると、投稿回数が表示されます。「いや、899回だぞ!」最近は数えるのも忘れていました。今回が900回目の投稿です。



 800回記念が昨年の11月、それから約9か月で100回の投稿をしました。週平均約2.7回、週1回の時もあれば、3回の時もあるので、大体その程度でしょう。ハイペースといえばハイペース、職業人としてはこの程度が限界でしょう。



 この100回での変化は、姉妹ブログ”Sengoku1985”を始めたのが、最大のものでしょう。こちらは写真が大きく載せられるところが良いところですが、その他の小技が使えないのが難点。”Tetsu”と一長一短です。ならば、”Tetsu”を変えれば良いではないか、とも思うのですが、そうするとテンプレートを大々的にいじる話でもあり、ちょっとそこまでの勇気は出ません。今後とも”Tetsu”は「叙景ブログ」、”Sengoku1985”は「叙情ブログ」ということで、続けていきたいと思います。なお、”Sengoku1985”のアドは、http://blog.goo.ne.jp/seichiro0/です。こちらも、よろしくお願いします。



 続いての変化は、”Twitter”でしょう。”Twitter”と、”FaceBook”を同時に始め、連携リンクも設定していますが、”FaceBook”は私を危険思想視しているのか連携を拒絶しているので、一時は本気で”FaceBook”対応を考え”Photoshop”と”Premiere”の更新まで計画していましたが、最近は馬鹿らしくなり閲覧もしていません。しかし”Twitter”はつまらない検閲もなく、自由にモノを言えるので続けています。当然”Bit.ly”もやっていますが、フォローが0のため、残念ながら”Tetsu”のアクセス増には繋がっていません。しかし、”Tetsu”の予告や解説、後日談なども載せているので、フォローまでは期待しませんが、”Twitter”で、”Seichiro0”を閲覧してみてください。なお、”Sengoku1985”のサイドバーにも、抜粋があります。



 やはり大きいのは、「OCNブリエ」で、「特選ブログ」に推挙されたことでしょう。一部の記事は、その日のOCN鉄道ブログでアクセスNo.1にまでなったこともあり、非常に名誉に思います。やはりネットは、アクセスがあってナンボですので、アクセスが多いということは、世間での認知につながることであると思います。



 今後は、以前ほど「徹底的」にはやらなくても、楽しく、知的に、そして何と言っても、「鉄道」という一つの「文化」を紹介できるブログでありたいと思っています。今後とも、皆様の支持をよろしくお願いします。



 8月17日、Seichiro0、自宅にて。

みゆきまたなむ。(再延長)

Nonq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、土曜日の続き、のと鉄道の再掲です。



 穴水~蛸島間廃止後、保線機械が七尾~穴水間の各駅に散らばっていたのは、数年前。現在は、それらが穴水駅に集結していました。今回は、それを取り上げるわけですが、先ずは車輌群を。出発を待つNT211七尾行きです(写真)。



Nonq2  数年前には、能登中島駅の郵便車の隣にあったNT800形、NT801始め2両は、現在は穴水駅0番線に入ります(写真)。同車は車籍がない筈で、本線上を移動したのか、陸送されたのかは不明です。



Nonq3  その北側には、再掲ですがNT127が(写真)。以前は1両だった気もしますが、記憶違いか。どうやってこの3両を並べたのか、不思議ですが、NT127は車籍はないものの機関は生きており、線路上の移動も十分あり得る話です。



Nonq4  NT127には、「やすらぎ」の名が与えられ、お座敷車として残っていました。そのプレート(写真)。この日車内に入っていった人は、一体どういう人でしょうか(社員ではありませんでした)。



Nonq5  輪島方面本線跡からは、NT213がやって来ます(写真)。横には除雪モーターカーが停まります。



Nonq6  車庫前にはNT204が停まります(写真)。全7両、今後を支える車輌です。



Nonq7  3番線には、保線機械が並びます。北側には、除雪モーターカーが(写真)。ロータリー側が見えています。



Nonq8  メーカープレート(写真)。ニイガタ軌道モーターカー、昭和62年1月製(新潟鐵工所製)、のと鉄道開業時からの車輌です。勾配と牽引力の表も載っています。



Nonq9  その南側には、軌道整備用の保線機械があります(写真)。先ほどとは反対の、七尾寄りが前です。



Nonq10  蛸島寄りの、後方です(写真)。一部カバーが掛かります。



Nonq11  メーカープレート(写真)。MATISA社、スイスのローザンヌの会社です。製造は1981年(昭和56年)7月です。



Nonq12  乗車部のドアに貼られた、動作に関するプレートです(写真)。前の部分で軌道を検測し、後で修正する構造のようです。



Nonq13  そして能登中島には、郵便車オユ10 2565が保存されます(写真)。この北側に、NT800形は保存され、家庭用エアコンも装備され集会場になっていたようですが、現在はそれらも撤去され、穴水に移動しました。



Nonq14  同駅の側線にも、除雪用モーターカーが留置されます(写真)。



 のと鉄道は、こんな感じでしょうか。また、そのうちに乗車したいですね。やはり、桜の時期の能登鹿島駅は、「桜のトンネル」となって美しいそうで、その時期に行きたいのですが、なかなか機会に恵まれません。その頃に、是非。



 それでは、次回をお楽しみに。

みゆきまたなむ。(延長戦)

Hokq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の能登ドライブの続き、帰宅までの道のりです。



 昨日は能登中島から山岳路を通り砺波、砺波から帰途についたわけですが、カーナビがワインディングロードを好むらしく、国道156号を指示。そのまま合掌造り集落の五箇山、白川郷を抜けました。



 そして到着したのは長良川鉄道、北濃駅(写真)。6月の乗車に続き、また来てしまいました。



Hokq2  駅ホームには、長良川鉄道の車輌が入線しています。美濃太田寄りは、ナガラ303です(写真)。



Hokq3  北濃寄りは、ナガラ502(写真)。ナガラ500形からは、新潟トランシス製(ナガラ300形までは富士重工製)でした。



Hokq4  北濃名物の、1902年アメリカ製の転車台(写真)。またしても、撮影しました。



Hokq5  端には、回転用のハンドルが、その少し中心寄りには回転する転車台を固定するレバーがあります(写真)。その下には、1902年製を示すメーカープレートと、文化庁の有形文化財を示すプレートがあります。



 間もなく列車は発車、私も出発しました。



Hokq6  続いて、美濃市の名鉄美濃町線(廃止)美濃駅跡に行きました(写真)。新関~美濃部分廃止時に、写真のような展示施設になりました。



Hokq7  旧駅入口正面からの眺め(写真)。時計から、閉館時間に大幅に遅れているのが分かるでしょう(夏の閉館は午後5時です)。



Hokq8  入口横には、廃止により駅が記念館になった経緯を記す石碑が立ちます(写真)。部分廃止し、代替駅を長良川鉄道に新設し、関での乗り換えを目論みましたが、結果的には美濃町線全廃で、全て消えました。残念。



Hokq9  そして遅れて、外からの車輌撮影をしました(写真)。左から、870形(車番不明)前頭部、601、512、593です。593は補修で網を被っています。しかし時間が遅く、いくら感度を上げても光量が足りないのは、何ともならない。少し粗い写真なのも、それが原因です。



 そして撮影可能時間を過ぎ、帰宅しました。



 この遠征の主眼、のと鉄道ネタでは、穴水駅に移動した保線機械たちが、注目か。1回記事を書ける位ありそうです。



 しかし、距離的には近い筈の今回のドライブが、米原経由を燃費で下回ったのは不思議。遠回りでも平坦な方が燃費が良いのか。やはり高速クルージングが持ち味の車のようです。そしたら、純正ナビの、峠屋並みのワインディングロード好きを、何とかして!



 それでは、次回をお楽しみに。

取材は”Cool”に#7

Na7q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名古屋市交通局を再び取材しました。



 昨日は未明まで投稿し、その延長で今朝は得意技を。しかし「夏特割ドニチエコきっぷ」が1枚残っており、それを使うチャンスは事実上今日しかなかったため、遅きに失しましたが、出発しました。



 そして今日の最初は桜通線。今日構えたポイントで、最初に撮った写真、6151始め5連です(写真)。



Na7q2  続いて、今日の最若番は6103(写真)。やはり土休日ダイヤで、休みの車輌が多数、今日はイマイチです。このまま一巡したので、このポイントを後にしました。



Na7q3  続いて名城線で移動すると、6123Fに出くわします(写真)。VVVF新ソフトの試作車、「ドー」インバーターです(量産は2127Fからです)。



「Nagoya2523.wma」をダウンロード



 その音を録ったものです。意図通り録音できたでしょうか。



Na7q4  そして今日は運用車輌が少なかったために、ネタ替えを。名古屋市でのぞろ目は、1111は無く(将来N1000系で生じる可能性はある)、3000系に3300形は無く3333も無く、4000系は存在せず4444は無く、6000系に6600形は無く6666は無く、7000系も7700形は無く7777も無く、8000系、9000系共に無く、存在するのは2222と5555のみです。2222が撮れたら、5555も行こうと思い、待っていると、名城線左回りに2122Fが入っており、2両目に、2222を発見(写真)。一つ、撮りました。



Na7q5  そこで5555もいけるか、と思い東山線に移動。5050系5155Fの5両目です。流石東山線は、休日でも4分ヘッドで、稼働編成数が多い。すぐに当たりました(写真)。



 もう少し頑張って、先回の残りや、鶴舞線も行っても良いのですが、粘りがきかず、今日はここで断念。やはり桜通線のショックが大きかったのでした。それにしても、6101Fは、どうなってしまったのでしょうか。



 今日の取材はこれだけです。ちょっと、昨日の見直しをしたいと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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