秋の兆し(後半戦)

Kayq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、加悦SL広場をお届けします。



 野田川から旧加悦駅舎に行った私は、続いて道の駅の前にある、加悦SL広場に到着。写真は、入口のゲートです(写真)。



Kayq2  駐車場には、旧京都市電5号が保存されます(写真)。ポール集電です。



Kayq3  反対側には、カフェトレイン、3104が(写真)。隣には、南海塗装の1202があります。



Kayq4  広場は、有料施設です。旧加悦駅舎を模したこの建物で入場料を払い、入場します(写真)。大人300円です。なお、この建物の2階は、無料の資料室です。



Kayq5  中に入ると、ホームに2本の列車が入っています。1つは、1261(大正12年日車)が、ハブ3を従えています(写真)。大正期の0C0の軸配置のSLです。



Kayq6  反対側は、加悦鉄道2号がハ4995を従えています(写真)。加悦鉄道2号は、元鉄道省120形、明治6年英国スチーブンソン社製で、関西の鉄道開設時からのSLであり、国内で現存する2番目に古いSLです。



Kayq7  続いて、その前には103号があります(写真)。大正4年米国ポーター社製、「義経」号の弟分と書かれていました。



Kayq8  続いて国鉄形SL、C57 189です(写真)。急行形のパシフィックです。



Kayq9  隣はC58 390です(写真)。客貨両用のプレーリー、北海道からやって来ました。



Kayq10  丁度来ていた親子連れが、ミニ列車「ロケット号」に乗り、発車したので、すかさず撮影しました(写真)。普段はこれとバッテリーカーのみが動きます。





 その動画です。動力は電気と思われますが、それなりの音を立てています。シリンダー部分の動きに要注目。



Kayq11  横の検修庫では、DC351が整備中でした(写真)。



Kayq12  隣には、キハユニ51が保存されます(写真)。元はキハニ40921という気動車で、荷物用バケットが特徴です。



Kayq13  隣は有蓋緩急車ワブ3、後には車掌車ヨ2047があります(写真)。



Kayq14  続いてハ10、2、3等合造の木造ボギー客車です(写真)。青帯が2等、赤帯が3等です。



Kayq15  次は2軸客車、ハ21です(写真)。木造の「マッチ箱」の時代の客車です。



Kayq16  外側では、加藤製作所製のDL、通称「カトー君」が、無蓋車ト404を従えています(写真)。同機も動態保存機だと思います。



Kayq17  ラッセル車、キ165です(写真)。この時代のラッセル車、単線型はそれなりに残っていますが、複線型はほとんど見かけません。



Kayq18  続いて加悦鉄道4号です(写真)。大正11年、川崎造船所製のSLです。



Kayq19  次は森製作所製SL改造のDL、いわゆる「森ブタ」、DB201が、ハフ2を従えています(写真)。



Kayq20  次は、キハ101です(写真)。バケット付きの気動車、動態保存車で、2年ほど前に乗車したことがあります。



Kayq21  その後には黄色いスイッチャーが(写真)。「日本冶金」と書かれますが、機番は不明です。



Kayq22  加悦鉄道の最終期まで営業に就いた気動車、キハ08 3です(写真)。客車改造の気動車で、客車当時の面影が残ります。平成の改造車キハ33も、ついに引退してしまいましたね。



Kayq23  軌道モーターカー、TMC100BSという機番があるのだそうです(写真)。新潟鐵工所製でしょうか。除雪プラウが装備されています。



Kayq24  続いてキハ10 18です(写真)。国鉄形の液体式気動車ですが、塗装は加悦鉄道の塗色になっています。



Kayq25  広場の中心には、手動式という下路式転車台があります(写真)。普段は「ロケット号」の線路、時々検修庫への入出庫にも使用しているようです。



 これで大方撮影したので、広場を出て、資料館2階に行き撮影をして、同広場を後にしました。



 ゴールデンウィーク等多客時には、動態保存機が稼働するそうです。それを狙って行かないといけませんね。また、それもそのうちに。



 それでは、次回をお楽しみに。

秋の兆し(前半戦)

Kawq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は京都府方面を中心に取材しました。



 昨日はお休みになってしまいましたが、昨晩自宅を発ち、未明に敦賀に。敦賀が今回の入口です。国道27号線に入ります。



Kawq2 最初は福井県小浜市、中央公園にあるSL、C58 171です(写真)。インターネット地図には「中央公園」なる地名はなく、現地で確認でしたが、一発目で当たり。幸先よいスタートです。



Kawq3  続いて国道側(駅裏)に出て、小浜駅の施設を見ます。2、3番ホームには、大きな給水塔があります(写真)。SL時代の名残です。



Kawq4 次は、福井県おおい市の、若狭本郷へ。北海道1号機関車「義経」ですが、本物は大阪の交通科学博物館にあるはずです。これは、忠実なレプリカで、大阪花博での展示物だったのだそうです。車輪の刻印やボイラのプレートまで、本物そっくりです。偏光フィルターは要りません。



Kawq5 そして京都府へ。東舞鶴から分岐していた舞鶴線の旧北吸トンネル、東舞鶴方ポータルです(写真)。線路跡は遊歩道となっています。



Kawq6  反対側、中舞鶴方ポータルです(写真)。



Kawq7 そして中舞鶴へ。駅跡にはC58 113が保存されます(写真)。しかし正面のプレートはオリジナルではありません。パーツマニアの被害に遭ったのか。



Kawq8 そして中舞鶴から西舞鶴、天橋立方面へ。SL時代からの名撮影地、宮津線(現北近畿タンゴ鉄道)由良川橋梁にさしかかります。待っていると、丁度豊岡行き車輌がやって来ました(写真)。これだけの長大橋梁なので、SL列車やキハ82系特急「あさしお」、キハ58系急行「丹後」などの長大編成でも編成写真になりますが、今は最大でも2、3両編成の気動車が走るだけなのが、少し残念。



Kawq9 出来心で、予定外だった宮津駅に寄ります。宮津駅は宮津線と宮福線の接続駅、北近畿タンゴ鉄道の中心駅の一つです。駅を見てみると、「タンゴエクスプローラー」がホームに停まっています。慌てて車を駐車場に入れ、入場券を買いホームに入ると、列車の発車ベルが。「タンゴエクスプローラー」は豊岡方面に向け発車しました(写真)。KTR001の編成のようです。



Kawq10  続いて、天橋立発京都行き特急「まいづる」入線と出ていたので、287系かと思いきや、何と「タンゴディスカバリー」KTR8000形でした(写真、KTR8013ほか4連)。同形式には、183系併結機能を有した編成もありましたが、その183系はJRからほぼ引退し、無用の機能となっています。



Kawq11 続いて、普通列車、KTR700形、手前705奥706です(写真)。軽快気動車ながら転換クロスシートなのは、高く評価したいです。



Kawq12 宮福線にはKTR形も入りますが、通常はMF100形が入ります(写真、MF102)。



Kawq13 続いて快速「大江山浪漫号」が来ると表示されていたので、待っていると、KTR001形011始め3連がやって来ます(写真)。KTR001形、固定運用が無くなって解体を心配しましたが、大丈夫のようです。



 約1時間滞在し、色々と記録しました。駐車料金は、無駄にはなりませんでした。



Kawq14 続いて、天橋立をパスしてショートカットする国道を抜け、野田川へ。野田川駅北方の踏切には、加悦鉄道(廃止)の築堤及び橋台が残ります(写真)。この位置で、宮津線をオーバークロスしていました。



Kawq15 野田川駅は国鉄時代「丹後山田」といい、加悦鉄道との乗換駅でした。駅にはその頃の資料の展示がありました。



 そして、加悦駅舎に行きました(写真)。加悦鉄道の終点であった加悦駅は、現在の与謝野町加悦庁舎の位置にありましたが、曳家移転され、180度回転し、現在位置に移動しました。中には加悦鉄道関連の資料が保存されていました。なお、加悦鉄道廃線跡は、サイクリングロードになっていました。



 ここまで来れば、当然「加悦SL広場」へ行く筈で、そのとおり行きましたが、記事が長くなるので、今回は省略、次回とします。



Kawq16 加悦SL広場からの帰り道、国道176号線沿いの喫茶店に、阪急電車が保存されていました(写真、2861)。2800形(京都線特急用車、6300形に置き換えられた)、しかし3ドア化改造後の姿でした。



Kawq17  そして福知山、並河、いずれも寄り道したかったのですが、今回はパス。そのまま京都市内へ行きました。



 蹴上には琵琶湖疎水の船用のバイパス、インクラインが残ります(写真)。幅の広い鉄軌道複線で、船用の台車が残っていました。一応ボギー車です。南禅寺の前から、一定勾配で登る斜面になっています。



Kawq18 インクラインの斜面の下を潜る通路は、煉瓦のトンネルアーチになっています。斜めに通るため、煉瓦が「ねじりまんぼ」で積まれているのが分かります。



Kawq19 最後は、山科を抜け逢坂山へ。東海道本線旧逢坂山トンネル入口が残ります(写真)。普通の石造りトンネルに見えますが、これは外国人の技術指導無しに日本人だけで掘った、日本初のトンネルです。歴史に残るトンネルですが、その後の東海道本線のルート変更で放棄され、途中で塞がれています。



 そして、帰途に就きました。



 北近畿タンゴ鉄道は、MF形コンプレックスがあって、気にしています。また、そのうちに乗車したいと思います。あとは、保存資料、施設が今後も良好に維持されるよう、期待したいです。



 それでは、次回をお楽しみに。

夏の終わりに

Shoq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、岐阜県等の保存車輌を取材しました。



 今日は平日ですが、最後の夏期休暇を取得しました。平日休めるとあって、名鉄小牧線に行きたい気もしましたが、今回は気分を変え岐阜県へ。先ずは七宗町、上麻生駅前にある「蒸気機関車展示館」に行きました。



 ここは、今年の春にも来た場所ですが、その時は休日であり、その時は館外からの見学となりました。同館は平日昼間なら、近くの七宗町役場に行って申請書を書くと、役場職員が鍵を開けてくれます。そのため、平日の今日訪問したのでした。



 電話でも可能かと期待し、先ずは上麻生駅前へ(写真)。しかし電話番号は書かれておらず、徒歩でも10分足らずの場所ですが、車で七宗町役場に行くと、住民課に案内され、そこで申請書に記入しました。しかし丁度昼休み中で、休みが終わったら開けてくれるとの約束を取り付け、再度現地へ行きました。



Shoq2  約束どおり開けてくれたので、中に入れました。中には、C12 163があります(写真)。昭和12年日車製です。



Shoq3  後方の姿(写真)。キャブの窓が、木製なのが分かります。



Shoq4  運用札(写真)。区名札は入っていませんでした。



Shoq5  同機の横にはタブレット発行機のセットと、転轍機が(写真)。しかし、現役ではないようです。



 これを撮り終え、外に出て、役場に撮影終了の電話をしました。車に乗る頃に、役場職員が閉扉、施錠していました。今日は、七宗町役場の皆さん、ありがとうございました。



Shoq6  続いて、周辺の保存機を、とは思ったのですが、それらは既に現在のカメラで撮影済みであったこともあり、次は先回時間切れで撮影できなかった、大垣市の「スイトピアセンター こどもサイエンスプラザ」に行きました。



 同館にはC11 155が保存されます(写真)。昭和15年汽車です。



Shoq7  同機の区名札、運用札(写真)。区名は「垣」(大垣機関区、現在は大垣電車区の一部)、運用札は分かりませんでした。



Shoq8  同機の横には階段があり、キャブの手前まで入れます(キャブ自体には入れない)。中の様子(写真)。まあ大体同じですが、こんな感じで手入れがされています。



Shoq9  予定を終えたものの、しかしまだ日没には早い。近くに何かないか、と調べると、少し距離はあるものの、名神高速多賀SA近くにSLがあると書かれていたので、行ってみました。



 国道307号沿い、多賀SAを見下ろす位置に”ハイウェイパーク”跡地があり、そこにSLがありました(写真)。近づいてみます。



Shoq10  正面のナンバープレートは喪失しているものの、ミカド形、D51までは当たりでした(写真)。側面には、999号機と書かれますが、資料では1149号機とされます。「銀河鉄道999」にかけて999号機とされていたのでしょう。



Shoq11  後方からの姿(写真)。D51特有の姿です。しかし現在は管理者もなく、少しずつ傷んできたようです。今後、同機の保存は、一体どうなるのでしょうか。



Shoq12  戻り道は、近江鉄道の横を通ります。夜間なら気付くこともないのでしょうが、日没前で、見ると、モダンな駅舎を見かけました。結局道を戻り、撮影しました(写真)。鳥居本駅、擬洋風の駅舎でした。エントランス正面の照明も、モダンなガス灯風のランプでしたが、何とピンボケでボツ。残念でした。



Shoq13  そこから少しで、米原駅です。同駅横にはJR総研があり、以前も撮影した気がしますが、3両の新幹線試験車が保存されます。最初は、JR東海の”300X”です(写真)。



Shoq14  続いては、JR東日本の”STAR21”です(写真)。



Shoq15  最後は、JR西日本の”WIN350”です(写真)。直径の大きなレンズでは、残念ながら金網が写ってしまいます。



Shoq16  JR総研の北側は区画整理の工事中で、金網だけで仕切られます。そちらからの眺め(写真)。この位なら気にならない、という考え方もあります。



Shoq17  その道の反対側は、近江鉄道、JR東海道本線、米原操車場が広がります。操車場には北陸方面への貨物を待つEF510、左17号機、右6号機があります(写真)。直流機は残念ながら見当たりませんでした。



 帰り道、気温は20度を下回り、やっと暑い夏も終わりが見えてきました。半袖も、間もなく終わりです。



 そういえば、現在サブでO社のミラーレス一眼を使っていますが、遂にメインで使うN社も、ミラーレス一眼を発表しました。一目見て、少し気になるものの欲しいと思いましたが、やはり注意書きは「ご利用は計画的に。」のようです。現在使うFマウントレンズも、アダブターで使用可能と書かれていましたが、やはりミラーレス一眼は小ささが命、出来るだけ専用レンズを使った方がコンパクトで、実用的です。まあ全部セットで揃えても、レンズ1本分程度の価格なので、頑張って、早期に手に入れられるようにしたいと思います。やはりパソコンへの転送が遅いのは、絶対に駄目ですよ。



 今回は移動距離が大きく、写真数の少ない取材でした。もっと効率的に撮りたいとは思うのですが、やはりこういう日もあるものです。次回への糧としたいと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

嵐の合間に

Hakq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、山陰方面を中心に取材しました。



 一昨日晩に自宅を発ち、昨日未明に米子入り。日野川橋梁の袂で日の出を待ちました。



 そして、朝が来ました(写真)。一日中雨の予報、どうやら雨は一時的に止みそうです。しかし、光線の向きは完全な逆光で、下手するとシルエット写真になりそうです。私は、「雨は降るな、しかし晴れるな!」と強く願いました。なお、右手の雲に隠れた山が、大山です。



Hakq2  間もなく、最初の目的、3089レがやって来ます(写真)。EF64 1010牽引の、長い貨物列車です。更新色なのが残念。





 そして予定どおり動画を録りました。こんな感じです。



Hakq3  カメラの電池を取りに車に戻った瞬間、轟音が。「あ!しまった!3081レが!」直ちに戻り、撮影をしましたが(写真)、動画には間に合わず、残念。EF64 61牽引、0番台の動画を録り損ねました。写真の方は、短い編成であったこともあり、事無きを得ました。



Hakq4  続いて、キハ187系「スーパーまつかぜ1号」がやって来ます(写真)。



Hakq5  続いて、キハ126系「アクアライナー」がやって来ました(写真)。



Hakq6  次は伯備線普通、115系2連です(写真)。塗装の単色化が進み、黄色1色になりました。



Hakq7  そして次には、「サンライズ出雲」がやって来ます(写真)。久しぶりに、長い編成です。





 動画もあります。こちらもどうぞ。



Hakq8  そして「やくも1号」が通過します(写真)。全車「ゆったりやくも」にリニューアルされました。





 その動画です。



 これを撮り終え、このポイントを後にしました。



Hakq9  続いて、根雨~黒坂間のポイントへ。「榎踏切」と書かれていました。そこで時間まで昼寝を決め込もうとも思いましたが、合間に駄賃を稼ごうと、カメラを構えます。「やくも7号」です(写真)。





 同列車の動画です。架線柱の支障にならない適度なストレートに、時々ファンが訪れるそうです。



Hakq10  続いて115系ワンマン2連です(写真)。伯備線の115系は、塗り替えが完了したようです。



Hakq11  続いて「やくも9号」です(写真)。パノラマ編成ですが、非パノラマ編成もこちら側はクロになったようです。





 動画です。こちらもどうぞ。



Hakq12  直ちに向きを変え、上り方に構えます。先ほどの列車と根雨で交換した、「やくも16号」がやって来ます(写真)。クモハ381が先頭です。





 その動画です。カーブでの振り子の動作の写りは、イマイチでした。



Hakq13  そしてクライマックス、3084レです(写真)。夏場はクーラー付きの1000番台が固定運用とされていましたが、この日はEF64 60で、クーラーのない0番台でした。





 その動画です。このおかげで、先ほどの失敗の残念さは半減しました。



 これを撮り、この場所を後にしました。



Hakq14  続いて、岡山県旧英田町の保存列車へ。岡山臨港鉄道、キハ7001、7002の2連が保存されていましたが、閉店により現在はこうなっています(写真、手前がキハ7001と思われる)。昭和31年新潟鐵工所の製造プレートもありましたが、全景は眺めることが出来ませんでした。



Hakq15  次の目的地に車を移動させていると、保存車輌が道端にあり、取って返します。そして、撮影しました(写真)。片上鉄道の車輌までは分かりましたが、車番は分からず。調べると、キハ311という気動車でした。



Hakq16  そして最後は、岡山市南区に保存される、岡山臨港鉄道102です(写真)。昭和29年汽車会社製のDL、ロッド式です。屋根付きで、倉庫会社の入口に保存されます。



 そして日没、帰途に就きました。



 一日中雨の予報で、激しい雨も降り嵐のようでしたが、撮影時は何故か雨が止み、何とか撮ることが出来ました。運が良い。



 伯備線のEF64 0番台は、JR東海でのATS-P使用開始により、中央西線で使えなくなったため、愛知機関区から岡山に移動したのだそうです。今後は検車切れ車輌から廃車となり、数を減らす運命にあります。最後の活躍を、残しておきたいものです。



 それでは、次回をお楽しみに。

パンタグラフ?

Ship1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、過去写真集から、新幹線のパンタグラフの記録集をお届けします。



 最初は、今年の7月、JR東海浜松工場で行われた新幹線イベントから。700系等に使用されるシングルアームパンタグラフ、TPS301です(写真)。300系でも、下枠交差形パンタグラフ車は残っていません。300系、来年3月が重要な時となりますね。



Ship2  そして最新N700系で使用される、TPS303です(写真)。一応これもシングルアームですが、下半分が極度に小さく、ポール形に近くなっています。



Ship3  同じN700系用ですが、平成20年の博多総合車両所でのイベントでの写真、JR西日本での形式はWPS206です(写真)。



Ship4  これは残っていて運が良い、500系用の翼形パンタグラフ、WPS204です。折り畳み時はこの状態です(写真)。



Ship5  これが起動で起き、車体に垂直に立ちます(写真)。エアの圧力で起きているものと思われます。



Ship6  更に垂直に持ち上がり、架線に達します(写真)。この伸張は、エアの圧力が動力源です。つまり、長時間停電し、エアの圧力が無くなると、このパンタグラフは下がってしまうので、実車には、エアの要らない予備のパンタグラフが装備されているのだそうです。



 なお現在残る500系7000番台は、このパンタグラフからシングルアームパンタグラフに換装されています。



Ship7  JR東日本では、どうなのか。昨年の仙台でのイベントでの写真、左PS206(E3系「こまち」用)、右PS9038(”FASTECH360S”用)です(写真)。



Ship8  原点に近い、200系用のパンタグラフ、PS201です(写真)。下枠交差形、0系用PS200にも近い形です。





 おまけ。昨年の動画ですが、PS201動作の動画がありました。ご参考までに。



 騒音や乗り心地の改善のため、日夜改良が続けられてきた新幹線のパンタグラフ。今後とも、改良が続くのでしょう。



 それでは、次回をお楽しみに。

残暑厳しい折に

Gifq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、岐阜県美濃方面を取材しました。



 正直最近はネタ不足で、本当は紀勢貨物でも行きたかったのですが、その紀勢本線は先日の台風で運転が見合わせとなっており、断念。そんな時のために、近辺の保存車輌の位置リストは出来ており、早速晴天の今日、取材に出発しました。



Gifq2  先ずは稲沢へ。稲沢駅からも近い宮浦公園には、D51 823が保存されます(写真)。余程悪戯が酷かったのか、金網完全防備で、横から写すと、白い金網のみの写真となりました。しかし正面のナンバープレートは、形式「D51]が入る、いわゆる「形式入りプレート」で、金銭的価値がありますが、盗んだりしてはいけません。



Gifq3  続いて一宮へ。平島公園(一宮競輪場)を探しても見当たらないので、元資料を確認すると、「大」平島公園で別の場所、直ちにロードマップで確認し修正しました。その「大平島公園」に保存される、D51 718です(写真)。こちらも金網完全防備ですが、残念ながら正面ナンバープレートは喪失しています。



Gifq4  木曽川を渡り、岐阜県に入ります。岐南から岐阜市に入り、梅林へ。梅林公園には、D51 470が保存されます(写真)。このSLにも柵はありますが、昼間は開放されており、柵の内側に入れました。キャブにも入れ、加減弁などの可動部は今でもバッチリ動きます。同機には保存会が存在し、手入れをしているようです。昭和15年宮工(大宮工場か?)製です。



Gifq5  続いて、徹明町にも近い金神社境内の「金公園」には、モ510形モ513が保存されます(写真)。やはりここも柵は高い。



Gifq6  そして、同じ岐阜市内の、忠節に移動。忠節は、岐阜市内線と揖斐線の接続駅、直通用車輌が新造されるまで、軌道線から鉄道線への乗換駅でした。市内線は、忠節橋で長良川を渡ります。その忠節橋の写真です(写真)。桁橋部分の支柱は、今では街路灯のみになっていますが、元は架線柱で、本来の目的を失っています。



Gifq7  忠節橋から併用軌道を下ってきた市内線が、専用軌道に入る、早田大通1丁目交差点です(写真)。数年前は線路跡が残り、信号のパターンも電車があった頃と同じでしたが、今は普通の十字路のパターンになっています。



Gifq8  専用軌道に入って少しで忠節駅でしたが、線路跡は駐車場、駅及び駅前パーキング跡地はスーパーが建ち、様相は一変しました。駅の名残は、タクシーの「忠節駅前営業所」という名前のみになりました。



Gifq9  そして国道157号を西に進みます。途中何もない所に陸橋があり、見てみると名鉄揖斐線の線路跡を跨ぐ陸橋でした。



 その跡の続く場所は、黒野までです。その黒野駅駅舎(写真)。600V全面廃止で、駅併設の喫茶店も閉店しました。



Gifq10  黒野の駅前踏切跡から眺めた、黒野駅構内の様子(写真)。左側3番線は本揖斐行きホームで、部分廃止後本線からレールが切り離され、赤い電車が保存されていましたが、今はそれもありません。中間が1、2番線で、谷汲線が廃止されるまでは岐阜行きと交互に使用し、廃止後は岐阜行きが双方を使用していました。右奥が車庫で、用途廃止された旧式電車の処分が決定するまで、ここに留置されました。モ510が如何に運の良い車両か、いずれ分かるでしょう。VVVF車は他線で残るとしても、その他の車輌は余りに可哀想でした。



Gifq11  黒野からは谷汲線に沿って移動します。かつて交換設備のあった更地を写し、続いて細い県道へ。線路跡には、「5」と書かれたキロポストがありました(写真)。これは黒野起点5キロという意味で、谷汲線は元は揖斐線とは違う鉄道会社でしたが、戦時統合で全て名鉄に合併、そのまま廃止まで一緒でした。



Gifq12  廃止直前、通常1閉塞だった黒野~谷汲間を、列車を増発するため2閉塞にして、30分ヘッドで運転しました。その当時の交換駅、北野畑駅跡です(写真)。その際の閉塞方式は、票券閉塞でした。



 どこかの狂った国交大臣が「全鉄道ATS-P義務づけ」などと小私鉄潰しをしていましたが、ルールさえ守れば票券閉塞でも十分安全です。まあ、「軌道です」と言えば、初めからそんな議論は必要ありませんが(「軌道法」をよく読んでください)。



Gifq13  そして終点、という所ですが、寄り道し、樽見鉄道谷汲口へ。現在の谷汲山への公共交通機関による入口で、ここからバスに乗り換えです。



 駅前には、樽見鉄道にて使用された、オハフ502が保存されます(写真)。なお、国鉄時代にはオハフ33 1527という旧式客車でした。樽見鉄道がJR東海から14系客車を購入したことに伴い引退しました。なお、その14系客車も、貨物全廃と同時に、機関車共々引退しました。



 車に乗ると、谷汲行きのバスがエンジンをかけたので、見ていると、樽見鉄道の新車「ハイモ330 701」が入線しました。樽見鉄道も、そろそろ行きたい頃ですね。



Gifq14  そして、谷汲駅跡に到着。駅舎は、昆虫博物館に併設されていました(写真)。元駅舎に入ります。



Gifq15  そこには当時のままのホームと、電車が2両。1両は、モ510形モ514です(写真)。丸窓の電車、戦前製の転換クロスシート車です。同形は全4両のうち美濃駅跡、岐阜市内、谷汲駅跡と3両が残り、残存率75%、幸運な電車です。同形は人気のある形式で、同駅には名鉄600V区間全廃後に運び込まれました。



Gifq16  もう1両は、モ755でした(写真)。この車輌は車内に入ることが出来ました。なお同車は、谷汲線廃止当時からここで保存されます。



 しかし、名鉄600V区間で、駅跡が残り活用されているのは、美濃と谷汲だけで、岐阜市に至っては路面電車博物館も出来ようものも、跡形無しです。所詮は「車の通行の邪魔」程度にしか思っていなかったのでしょう。名鉄の努力からかけ離れた所に、原因がありました。



Gifq17 谷汲からトンネルを抜け、本揖斐へ。名鉄揖斐線の終点でした。駅舎は既に無く、凝ったデザインのコンクリート製トイレが、唯一の生き証人です。駅跡、及び線路跡は駐車場になりました。駅前にあった本揖斐バス停は、100メートル程東に移動しました。



 もう一方の公共交通の入口、近鉄養老線、改め養老鉄道揖斐駅は、ここから揖斐川、及びその支流粕川を越えた向こう、ここまで橋を渡して辿り着くことは出来ませんでした。



Gifq18  そして今日の最後は、大垣市「室」の、「こどもサイエンスプラザ」内にあるC11 155(昭和15年汽車会社)です(写真)が、閉館に間に合わず、ガラスの外からの撮影となりました。円偏光フィルターを使用していますが、効果はイマイチです。しかし、次回への招待状を貰っているので、また次回、開館中の再訪を誓い、帰途に就きました。



 大規模な遠征もしたい気がしますが、まあ今日はこの程度か。やはり、紀勢線が復活してからでしょう。後は、稲沢の愛知機関区も、要チェックでしたが、戻った時には時間が遅く残念。こちらもまた次回です。



 それでは、次回をお楽しみに。

整流?

Hedq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、大阪の「交通科学博物館」に展示される、整流器の話題です。



 商業電力で、交流が直流に勝った、というのは有名な話。しかし、制御は直流のほうが簡単です。そこで、交流の商業電力から電車用の直流電力を得るシステムが必要です。則ち、電圧をトランスで調整の上、交流を直流に変換する装置が必要です。



 昔は、写真のような「回転変流器」を使用し(写真)、交流を直流に変換していました。回転式の機械らしく、メンテナンスには相当の手間が掛かったことは想像に難くありません。戦前はこれしかありませんでした。写真右手前は操作盤のようです。



Hedq2  続いて、戦後の整流装置です(写真)。手前が水銀整流器、奥がシリコン整流器です。「何だ、変わりないじゃないか!」と言うなかれ。手前の水銀整流器は、交流電機に積まれた車載用の整流器です。運搬可能になったという、大きな進歩です。更に奥のシリコン整流器は、半導体式の固定用整流器、回転部分も無くなり、メンテナンスフリーになったという、大きな進歩があります。因みにED75、ED76の時代は、大容量シリコン整流器RS30が実用化され、小型の車載用整流器もメンテナンスフリーになったのでした。結果交流電化の進展、更に新幹線の実用化と、大きな進歩を遂げたのでした。



 大宮の鉄道博物館には、モハ484 0番台の展示があり、正に「動く変電所」であったというのが解ります。ただ、正直モハ454と並べて、屋根を眺めたい気はしますが。同じモハ484でも、200番台以降は面白くない、という気もします。残念ながら、JR西日本がそれらの車輌を所有するにもかかわらず、弁天町にはそのスペースは残されていません。ちょっと、勿体ない気はします。



 それでは、次回をお楽しみに。

新旧交代

Kahq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、ボツ写真集、関西地区の新旧電車の記録をお届けします。



 最初は、223系0番台、関空・紀州路快速です(写真)。編成番号は、失念しました。



Kahq2  前4両は223系で、後4両は225系5000番台です(写真)。違いが一目瞭然です。



 223系は当初「関空快速」でデビュー、京橋発6連とJRなんば(旧称「湊町」)発2連で運転されましたが、後にJRなんば発を廃し、代わりに和歌山行き「紀州路快速」が運転され、5+3連に組成変更、最終的には4+4連に変更されました。それに合わせ223系2500番台車を新製し、編成を調整していましたが、遂に大増発により225系5000番台が製造されました。関空のみならず和歌山も15分ヘッドとなり、利便性が格段に向上しました。



Kahq3  そして大阪駅を去る、近ヒネ(日根野電車区)F509編成(写真)。225系は、223系に比べ正面を強化しています(衝突対策として)。



Kahq4  そして大阪から223系2000番台に乗り、京都を目指します。



 吹田工場では解体のためか、「雷鳥」用パノラマグリーン車、クロ481 2001が、クモヤ145 1007と連結し、移動の準備をしています(写真)。後にはモハ485初期形が続きます。



Kahq5  阪急正雀工場を過ぎ、京都府へ。京都総合運転所(旧称「向日町運転所」)の一番端は、転車台です(写真)。今でも回す(方転する)車輌があるのでしょうか。



Kahq6  続いて、381系「くろしお」、近ヒネB606編成が見えます(写真)。「くろしお」用287系も、先日プレス公開されたばかりですが、間もなくデビューします。「こうのとり」用287系とは違い、赤帯ではなく水色の帯になるそうです。



Kahq7  試験車、クモヤ443系です(写真、クモヤ442-2ほか)。紫色の特急形をした電車、1号編成はJR東日本に配属されたものの、既に解体されました。キヤ141系デビューに伴い、同編成の今後の動向が注目されます。



Kahq8  続いて287系、最初は福フチ(福知山電車区)FC03編成、クモハ286-3です(写真)。3連の付属編成です。



Kahq9  同編成の京都寄り、クモハ287-7です(写真)。全電動車ですが、モーターは片側台車のみの装備で、出力は半分です。これは重量分散のためとされています。



Kahq10  続いて福フチFA01編成、クモロハ286-1です(写真)。グリーン・一般合造車で、中間に仕切りがあるのが分かります。



Kahq11  同編成の城崎寄り、クモハ287-1です(写真)。愛称表示が無いのは残念ですが、実用的かつ優れたデザインではあります。



Kahq12  次は、EF65 1133です(写真)。区名札は「関」(下関総合車両所)で、単機です。



Kahq13  DD51 1192です(写真)。区名札は「宮」(宮原総合運転所)です。これも単機です。



Kahq14  続いてこちらもDD51、1193です(写真)。これも「宮」、チキを牽いています。



Kahq15  京都では、智頭急行HOT8000形、「スーパーはくと」が待機します(写真)。振り子気動車、最高速は時速130キロです。



Kahq16  梅小路蒸気機関車館の機関区と駐車場の間に、旧京都市電、27号と、線路があります(写真)。動態保存ですが、あまり注目されていません。



Kahq17  最後は京都駅30番線で発車を待つ、「はるか」281系です(写真)。こちらも乗車したいですが、関空へ行く用事をつくらねばなりません。



 485系、381系、183系といった、いわゆる「国鉄形」も、いよいよ引退の時期が迫ってきました。新車は歓迎しますが、それらにより引退する車輌があることも忘れてはいけません。これらの車輌も、ここ1、2年が交代の時期として、注目すべきでしょう。機会があったら、是非記録してください。



 それでは、次回をお楽しみに。

間一髪!

Fneq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、今月30日に一時休館となる、「船の科学館」を取材しました。写真は青函連絡船「羊蹄丸」です(写真)。



 本日も夏期休暇が取得できたことから、昨晩自宅を発ち、今朝未明に東京着。今日は平日で、通勤客の邪魔にならない場所を思いあぐねても、答えは出ず。気付けば、山手線の中に私を避けた空間が出来てしまいました。



Fneq2  そして、気付けば新橋に。都営地下鉄の駅で、都営交通100年記念誌を買いました(江戸東京博物館の特別展のガイド誌でもある)。



 地上に戻り、階段を登り、「ゆりかもめ」に乗ります(写真、7011)。少し高いですが、一番の近道です。



Fneq3  ゆりかもめは、レインボーブリッジを通りお台場に向かいます(写真)。レインボーブリッジ上層は首都高で、下層内側が「ゆりかもめ」、外側が都道(有料道路)です。この橋の封鎖は難しいのでは?



Fneq4  「ゆりかもめ」、編成全体の姿(写真、7051始め6連)。外吊り引戸2ドアの新交通システムです。「日暮里舎人ライナー」は、同様な形態ですが、5両編成でした。



Fneq5  そして、「船の科学館」駅で下車。駅前には、船の科学館があります(写真)。船を模したコンクリートの建物です。



Fneq6  しかし開館時間にはあまりに早く、待ち時間がありました。建物の外に、展示用の船が2隻あるので、先に外観を撮りました。1隻は「宗谷丸」、もう1隻は「羊蹄丸」です(写真、後方から)。車輌甲板に続く、車輌桟橋と接続する部分が見えます。



Fneq7  羊蹄丸、前方から(写真)。八甲田丸や摩周丸と同型、確か八甲田丸は黄色、摩周丸は青で、この羊蹄丸は赤でした。



Fneq8  そして10時の開館になり、中に入ります。展示は多数でしたが、写真は過給器(ターボチャージャー)です(写真)。車や鉄道なら拳大ですが、さすがは船、巨大な過給器です。



Fneq9  そしてディーゼル機関です(写真)。大型船舶は、1気筒でこんな大きさです。OHCでしょうか。



Fneq10  隣には、船舶用ガスタービン機関が(写真)。鉄道でもガスタービン機関の研究が行われ、国鉄でも試作車キハ391系が製造されましたが、石油価格の高騰により試験は中止されました。タービンの高速回転を車輪のスピードまで落とす減速機も難しかったと聞きます。フランスのTGVが機関車式なのも、当初はガスタービンで設計されていたからです。



 他にも興味深い展示は多数あり、船のブログならもっと取り上げたでしょうが、このブログは鉄道のブログなので、直接はこの程度か。戦艦大和や「タイタニック号」の巨大模型もあり、迫力はありましたが、ここでは取り上げません。



 最後に、展望台に登り、「羊蹄丸」の俯瞰撮影をしました。



Fneq11  そして外に出て、チケット共通の「宗谷丸」を見学し、続いてこちらも共通、「羊蹄丸」へ。エントランスを通り、エスカレーターで階下へ下がります。丁度昔の車輌甲板で、昭和30~40年代の青森の街を再現しています(写真)。写真は青森駅改札前のようです。



Fneq12  改札を抜けると、駅に入る車輌が見えます。スハフ44 25です(写真)。客車内には人形が置かれ、実感を出しています。客車横の座席は、映像見学用の座席で、元の同船のグリーン席です。



Fneq13  そして車輌の入換機としてDD13ではなく、DE10 30号機があります(写真)。区名札は「青」、運用札は「森」でした。



Fneq14  そして床に穴が開いており、ガラスで塞いであります。下には機関が見えます(写真)。船舶用としては中型のディーゼル機関4機で1組、それが二つで2つのスクリューを推進します。



Fneq15  ブリッジに上がります(写真)。洞爺丸台風以降の建造ですので(洞爺丸事故は、タイタニック事故に続く世界第2の大船舶事故です)、当時最新鋭の機器が装備されます。しかし現在の船の操舵は、飛行機の操縦桿と同型のハンドルです。



Fneq16  そしてブリッジ横のデッキから、「宗谷丸」が見えました(写真)。この位置が一番美しいでしょう。



 そして「船の科学館」を後にしました。



 船の科学館は、9月いっぱいで一時休館になり、再整備するそうですが、羊蹄丸は休館後売却を検討しており、買い手がなければ解体なのだそうです。そのため、台風で混乱しそうな今日、無理して取材したのです。今日いっぱい天気が保ち、暑いながら最高でした。入館料も全部回って大人200円、こども100円に割引になっており、行かない手はありません。皆さんも、時間が迫っていますので、是非どうぞ。



Fneq17  「ゆりかもめ」が新橋に接続しているので、旧汐留駅に建設された「旧新橋停車場鉄道歴史展示室」に行きました(写真)。外観は、発掘された敷石、及び写真から復元されています。



Fneq18  正面には、発掘された敷石が展示されます(写真)。展示資料館も1階部分に敷石の展示が見えますが、同館は撮影禁止なので、記録はありません。今日行われていた企画展も同様に、撮影禁止でした。不注意に今回も、この建物の裏にある「0哩起点」を撮り損ねました。



Fneq19  そして新橋から、東海道線に乗りました。根府川~真鶴間は、大正の関東大震災で大きな被害を出し、結局新トンネルを掘削し経路を変更しました。その旧複線トンネルが、道路前に大きな口を開けています(写真)。勿論金網で塞がれ、中には入れません。ピントはイマイチですが、雰囲気はこんな感じです。



 そして帰宅しました。



 東海道本線、行きの「ムーンライトながら」も危ぶみましたが、帰りの興津でも停まらず、愛知県に入ってから強風で少々遅れましたが、何とか無事帰宅できました。本当に、間一髪!一日遅れていたら、大変でした。



 それでは、次回をお楽しみに。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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