寒さ厳しき折に#3

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、近鉄訪問最終回です。



 昨晩帰宅し、未明まで投稿の後、就寝。そして今日も早起きしよう、と思ったものの、目覚ましを自分で止めてしまい、気付けば日は高く昇ってしまいました。「やばい!このままでは!」と慌てて自宅を発ちました。



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 そして近鉄名古屋から、近鉄に乗車。間もなく、行き違いに21000系”アーバンライナー・プラス”がやって来ます(写真)。近鉄の看板特急、名阪甲特急全て(除く”アーバンライナー・ネクスト”運用)と名阪乙特急の一部、及び名古屋~賢島間1往復に使用されます。オレンジ色は帯の線だけですが、名阪甲特急専用ということで、正面方向幕もありません。



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 揖斐・長良川橋梁を渡ると、横を通るJR関西本線上り線に、JR貨物のDD51 875が、稲沢に向け走るのに出くわしました(写真)。単機愛知機関区に帰庫する模様です。



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 続いては、12200系が行き違います(写真)。4+2の6連、全車12200系です。22600系”Ace”が増備される中、今後この姿は貴重になるでしょう。



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 そして今日最初の目的地、伊勢若松へ。伊勢若松からは、近鉄鈴鹿線が分岐しています。列車は2018始め3連、ワンマン平田町行きです(写真)。



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 終点、平田町です(写真)。鈴鹿サーキットへの最寄り駅ですが、やはり自動車の施設であることもあり、電車利用はそれほどではないようです。家族は運転免許を持たず、実はまだ行ったことがありません(当然私は免許を持っていますが)。



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 そして伊勢若松に戻り、塩浜へ。中川方面ホームに、見慣れない色の電車が停まります。「おや、もしや、これは?」そうです、昨日も書いた「クラブツーリズム」専用列車です(写真、手前15302、奥15402)。雑誌でCGの完成予想図は見ていましたが、実物は勿論初めてです。12200系からの改造に当たり、車内はフルリクライニングの大型バケットシートに交換され、余裕あるシートピッチに、ラウンジスペースも設けられていました。確かに種車の12200系は抵抗制御、簡易リクライニングシートは少し古いですが、手を加えればまだまだ使える車輌であると、強く感じます。



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 塩浜で降りたのは、駅西側にある近鉄塩浜工場を見たかったからです。今日は「はかるくん」はお休みです(写真、手前モワ24、奥クワ25)。



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 「通過列車にご注意下さい」と放送が入ります。急行停車駅を通過するのは特急だけで、構えると21020系”アーバンライナー・ネクスト”がやって来ました(写真)。2編成の同系、しかしデビューから2度も交通事故に遭っています。



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 「はかるくん」の北側には、元「電気機関車」、現「牽引車」の「デ32」が停まります(写真)。



 塩浜工場の反対側、駅東にはJR塩浜貨物駅が広がり、JR四日市から「塩浜線」と呼ばれる非電化の貨物線で繋がっています。これが原因で、未だ関西本線の貨物列車はDD51なのです。駅にはDD51が1両、及び石油用タンク貨車が多数留置されていました。



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 そして四日市へ行き、先ずは標準軌の湯の山線から訪問しました。写真は2105始め3連、通常ワンマンの同線で、同列車は車掌が乗務しました。当駅から三交バスで少々行くと湯の山温泉、その先には御在所ロープウェイがあり、御在所岳山頂ではそろそろ樹氷が見られる頃です。



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 湯の山線桜~菰野間には、謎の側線があります(写真)。この先の終端表示の先には門があり、車による乗り入れが可能なようです。元は特殊狭軌(762ミリ)だった湯の山線、その頃の保線基地の跡と思われます。



 そして、四日市に戻ります。



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 近鉄四日市で改札を抜け、南西方の通路を通ると、同駅9、10番線があります。現存する特殊狭軌路線、近鉄内部・八王子線です。丁度八王子線西日野行きが到着しました(写真)。軌間762ミリ、車体も小型で、冷房化が難しいらしく夏は吹き出し口の近くが人気ですが、冬ですのでそれはありません。全編成四日市方の車輌が電動車です。





 到着の動画です。高架の鉄道線の音が混じりイマイチですが、感じはどうでしょうか。



「264.wma」をダウンロード



 同編成の電動車、264の添乗音、四日市~赤堀間です。吊掛サウンドが、良いですねえ!しかし、保守も大変でしょう。



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 日永で内部線と分岐し、1駅で終点西日野に到着。駅はこんな感じで、奥に乗ってきた電車が見えます(写真)。かつて八王子線は、その名のとおり四日市市八王子町まで走っていましたが、水害に遭い、西日野以遠が復旧されることはありませんでした。この位置も、この後方自転車置き場になっている辺りも、元は線路でした。



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 そして日永に戻ります。間もなく、乗ってきた電車と行き違う電車、内部行き161始め3連がやって来ました(写真)。



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 途中泊では、内部発列車と行き違います(写真、263始め3連)。本当に、ミニ電車です。



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 その水害でも内部線に廃止区間が出なかったのは、終点内部に車庫があるからです(写真)。中央の検修棟に、261が写っています。その左が内部駅です。



 実は内部駅には、私だけの撮影スポットがあったのですが、そこに自転車を停める心ない人々(恐らく高校生と思われます)が多かったらしく、現在そこは立入禁止、もう撮ることは出来ません。非常に残念です。



 さらに悪いことに、四日市に着いた辺りから腹痛に見舞われ、内部駅で限界を超えてしまいました。常備薬はありますが、その中に下痢止めを入れる必要があると感じました。



「262.wma」をダウンロード



 そして、四日市へ戻ります。戻り道、260形電動車での添乗音、約18分です。しかし、車番を失念するとは!



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 そして四日市から再び名古屋線へ。色々行き違いましたが、最後に米野で行き違った、特急12200系の富吉への回送は、方向幕が「特急 名古屋・湯の山温泉」になっています(写真)。夏休みの週末には、ここ2年ほど名古屋発湯の山行き特急が走っていました。今年も運転するのでしょうか。12200系にも手頃な行先で、今年も期待したいです。



 長い3日間でした。取りこぼしもありましたが、大体行くことが出来、良い感じでした。今回の残念は、次回以降解消していきたいと思います。



 そういえば、先日紀勢線の時も思ったのですが、大阪ミナミまで行って、南海の新型特急「サザン」に乗らないとは!しまったなあ!



 それでは、次回をお楽しみに。

寒さ厳しき折に#2

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は近鉄訪問2日目です。



 先回(昨日)あのように終わったので、その続きである今日は、滞在先を出発。今日の目標は2つです。



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 最初に、大阪上本町へ。伊勢を出た「鮮魚列車」の、往き道の到着を見たかったからです。昨日と同じ3番線に、「9:16 回送」と案内が出ています(写真)。3番線降車ホーム側には、台車を用意した人々が何人もいました。



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 そして、定刻に鮮魚列車は到着(写真)。魚介類を運ぶ業者の人々は、降車ホーム(写真奥側のホーム)にて荷物を下ろします。



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 荷物を運ぶ人々の出口(写真)。人々の撮影をするのは、トラブルの元となると思い止めました。



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 そして午後の帰還までの間、高安車庫で休むため鮮魚列車は回送されます。まもなく、発車です(写真)。





 到着から回送までの、一連の動画です。朝は、こんな感じです。



「1-28.wma」をダウンロード



 この日も録音があります。暇な方は、最後までどうぞ。



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 撮影を終えたので、上六から谷九まで歩き、谷町線へ。古いアルミあるいはコルゲートステンレスの30系、あるいは最新30000系を期待しましたが、残念、来たのは現在の大阪市標準型、20系でした。



 そして、地下鉄天王寺から阿部野橋へ。さあ、「さくらライナー」に、乗るぞ!と思い、南大阪線改札に向かうと、丁度26000系が吉野に向け発車しました。時刻表を見ると9時10分と9時40分の特急に”SL”マークが付き、出発したのは9時40分、2編成しかない26000系”さくらライナー”は、丁度出払ってしまい、次は戻ってくる昼前後となり、そこまではとても待てません。



 仕方がないので、丁度来ていた河内長野行き準急に乗ります。近鉄球団のホームグラウンドがあった藤井寺から各停、道明寺で寄り道してから長野へ(写真)。左側の旧1番線は、ホームに金網が張られ使用を停止しています。右側の線路は、南海高野線です。



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 そして分岐点の古市まで戻り、尺土から御所を目指すつもりでしたが、来た列車が「急行 吉野行き」で、逃せば到着が30分遅れることから、御所行きを断念。そのまま吉野を目指しました。



 阿部野橋から橿原神宮前までが複線の南大阪線、その先は単線の吉野線です。かつては橿原神宮前から国鉄畝傍まで繋ぐ路線がありましたが、廃止になり、橿原神宮前3番線向こうの台車交換施設になっています。なお、南大阪線系統は全て軌間が1,067ミリ、他の路線の1,435ミリとは異なります。



 吉野線に入ると、単線のため行き違いが必要です。壷阪山では、その「さくらライナー」26101編成と行き違います(写真)。26000系「さくらライナー」は、昨年車輌をリニューアルし、1両をデラックスシートカーに変更しました。塗色もグリーンのグラデーションからピンクのグラデーションに変更、昨年中に2編成とも工事を完了しました。そのため、今回是非乗りたかったのですが、時間が合わず残念、また次回です。



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 「さくらライナー」の側面に描かれる、シンボルマークです(写真)。今年の観桜シーズンには、多くの人が乗車するのでしょう。



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 続いて福神では、南大阪線初の特急系列16000系、16008始め4連と行き違います(写真)。「何でも無いじゃないか!」という無かれ。同編成は、16000系唯一の4連、他の編成は全て2連です。



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 続いて電留線がある六田では16000系最終編成、16009始め2連と行き違います(写真)。



 正直、16000系は、今は亡き「エース」のスタイルが残っていると思います。なお、この編成に続いて製造された16010系は、正面貫通幌カバーがつき、正面の行先表示も本線と同じ電動幕式に変わり、「スナックカー」12200系同様となりました。



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 そして吉野川を越えると吉野神宮、次は終点吉野です(写真)。今は閑散としていますが、桜のシーズンには多くの観光客で賑わいます。駅前からはロープウェイがあり、桜を空から見下ろすことも出来ます。



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 急行の隣のホームには、22000系のような車輌が(写真)。これは22000系の狭軌版、16400系です。



 これに乗ろうと思い特急券を買い、釣り銭をしまうと、切符が落ちています。「馬鹿な奴がいるなあ!」と思うと、その切符はさっき私が買った特急券でした。気付くのが早く、事無きを得ました。



 しかし今回は結局、現存最古の16005や、16010系16011、22600系の狭軌版16600系にも出くわすことはなく、その点は少し残念でした。まあ、オフシーズンなので、なかなかフルキャストというのも難しいのでしょう。しかし、今年の桜シーズンの後は、旧式車処遇要注意の時期でしょう。



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 そして橿原神宮前で特急を降り、橿原線に乗り、昨日も来た大和八木へ。ここから階上の大阪線ホームに駈け上がると、そこでは青山町行き急行が、正に出発しようとしていました。慌てて乗車したものの、中川への接続を車掌に尋ねると、「次の急行」とのことで、結局その急行は、名張で下車しました。



 そこで20分待ったのですが、その間に、見慣れない車輌が入線し、停止します(写真)。見ると、18509と書かれます。「おっ!これは!」18400系最後の生き残り、現在は「あおぞらⅡ」として団体専用車に活路を見いだしています。



 近鉄では6000番台は狭軌(南大阪線系統)車輌、8000番台は車両限界が小さかった京都線系統車輌に充てていましたが、京都線、奈良線でも車輌限界拡大工事を行い、南大阪線系統以外は車輌共通化が可能となり、区別の必要が無くなった関係で、8000番台は空き、再び他の系列が使っています。そのとおり18400系も8000番台、京伊特急用に製造されたものの、旧式化で団体車になり、12200系が余剰となり団体車に改造された関係で、玉突き廃車、現存はこの2両のみです。まさに「ケガの功名」です。



 なお、12200系は大阪万博の頃の主力車輌、その後リニューアルされ現在もなお大勢力を維持していますが、数は確実に減っています。しかしこれを種車として、団体専用車のみならず「クラブツーリズム」専用車も登場し、まだまだ目を離せません。



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 そして、青山峠へ。新青山トンネル西口前の「西青山」駅からは、単線時代の旧駅が見えます(写真)。入口の階段が残り、階段を登ったところには「青山高原」と書かれた看板が立ち、旧線は遊歩道になっているようです。



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 トンネルを抜けると、「東青山」です。駅前には「四季のさと」がありますが、その「四季のさと」の看板が立つ辺りが旧線跡だそうです(写真)。



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 そして間もなく伊勢中川という所に、名阪(甲、乙)特急専用の「中川短絡線」がありますが、下を流れる雲出川の河川工事の関係で長く橋梁工事を行っていたところ、遂に完成、新線に切り替えられました(写真、奥の新しいコンクリート橋が新線)。今後旧線の橋梁が撤去される模様です。



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 そして急行の終点、宇治山田へ(写真)。かつて参宮急行電鉄(通称「参急」)が、神都宇治山田の玄関口として、威信をかけ建設したターミナル駅であり、立派な建物です。



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 同駅は歴史ある建造物であることから、文化庁から「登録有形文化財」に登録された旨、プレートが貼られます(写真)。



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 そして、宇治山田で帰っても良かったのですが、普通列車に乗り鳥羽線、志摩線を通り、賢島まで行きました(写真)。各停は隅にある専用の2連ホームに入ります。



 再び各停で帰っても良かったのですが、それでは何時帰宅できるか想像がつかなかったので、結局割引券を有効活用し、特急に乗りました。鳥羽で乗換の手間はありましたが、鳥羽から乗った車輌は22600系”Ace”で、コンセントもあり、有効活用させていただきました。



 そして帰宅しました。



 切符は3日間有効なので、明日も再び近鉄を目指しますが、流石に大阪までは行きません。名古屋線沿線で、日帰り圏内で行きたいと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

寒さ厳しき折に#1

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、近鉄の「新春全線フリーパス」を使用して、関西方面に来ています。



 年末の出費が多い時期に、来年の分まで出すのは少し気がひけるのですが、通常5,000円の近鉄”3DAYパス”が、新春だけ前売りで4,000円というのはやはりお得。特急割引券、葛城山ロープウェイ半額券もついてくるので、有効に使う人には非常にお得です。そこで今回も昨年末に購入し、今日に備えていました。



 今朝は、6時に出てラッシュ前に近鉄に乗り、伊勢中川を越えてしまおうと思ったのですが、結局朝9時01分近鉄名古屋発中川行き急行になってしまいました。幸いこれに乗ると、中川で上本町行きの近鉄大阪線快速急行に接続し、青山峠を無事越えました。



 そして関西へ。「関西」の定義を「言葉」とすると、関西弁類似の「伊勢弁」は桑名市でも聞かれ、三重県全域が含まれますが、「大阪通勤圏」とすれば「桔梗が丘」か、「青山町」か。バブル期に拡大した通勤圏ですが、今は都心回帰で縮小傾向です。でも、やはり伊賀地域は関西と言って支障ないでしょう。



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 そのまま上本町までスルーしても良かったのですが、大和八木で下車。そして階下の橿原線に乗り換え、一気に京都線京都まで北上しました(写真)。”シリーズ21”、9036始め2連が一般形と併結します。



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 そして折り返し、南下します。次の停車駅は「東寺」、東寺の五重塔が見えます(写真)。



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 竹田で京都市営地下鉄烏丸線と接続します。竹田駅北西方には烏丸線の車庫があり、1000系が多数並び壮観でしたが、往き道は車内混雑で、帰り道は高架の反対側で撮れず、残念。



 竹田駅南には折り返し用の引上線があり、そこには近鉄3700系が停まります(写真)。烏丸線乗り入れ用の車両である同系、社線外の運用では、方向幕が列車種別のない「国際会館」になっています。



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 京都市1000系はこれ、このスタイルです(写真、1813始め8連)。営団6000系の影響を受けたスタイル、製造も同じ川崎重工で行われたのか。



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 そして、かつて近鉄京都線の前身「奈良電鉄」と京阪が乗り入れていた頃の名残、丹波橋北方の連絡線跡地です(写真、自転車置場の位置)。緩やかに、オーバークロスする京阪の右側に登っていく斜面になっているのが分かります。



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 京都方面に新”Ace”、22600系が向かいます(写真)。フルカラーLED方向幕は、スローシャッターでないと綺麗に写らない筈ですが、この写真ではスローではないのに「京都」としっかり写っています。線路脇で構えるファンのため、改良したのでしょうか?



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 続いて30000系”Vista EX”です(写真)。2階建てはビスタカーの伝統、”Ⅲ世”から”EX”にリニューアルしてからも10年経ち、再度リニューアルで1階席をグループ席にするそうです。”EX”になった時に「特急」表示は無くなりましたが(オレンジ色を見れば、皆「特急」と分かるから)、今は更にフルカラーLED方向幕に交換されています。これも上手く「京都」と写っています。



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 そして大和西大寺からどうしようか、と思いましたが、接続が無かったので、そのまま近鉄奈良へ向かいます。丁度行き違いに、京都行き特急が来たので撮りました(写真)。車番は12415始め4連で、12410系(12400系の量産型)、”サニーカー”と呼ばれる近鉄第2世代の特急車です。”ビスタカーⅢ世”同様の正面となっています。



 そして新大宮近辺には「平城宮」公園があり、朱雀門等が再建されています(表題の写真)。



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 奈良から西大寺に戻り、平端から天理へ。天理駅横には、D51 691と旧客が保存されます(写真)。客車表記の「天テンリ」の「天」は、天王寺鉄道管理局の意です。



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 平端に戻り、田原本へ。田原本から少々歩くと、近鉄田原本線西田原本に辿り着きます。以前は両駅は関連性はなかったのですが、今は間にあった店舗住居を撤去し共通の駅前広場が建設され、一体性を持たせています。それにより、利便性が格段に向上しています。



 元々田原本線は別の鉄道会社で、西田原本から先、橿原線を潜り桜井方面に繋がっていたですが、後にその区間は廃止され、用地は他に転用されています。その線路上からの図(写真)。この先左に曲がっていくのが田原本線、右に曲がるのが橿原線からの入出庫等のために設けられた渡り線です。この撮影位置から南30メーターほどは空き地、その先には家が建ち、廃止から長期間が経っているのが分かります。



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 田原本線は、JR大和路線を跨ぎ北側に入り、JR王寺の横にある「新王寺」が起終点です。大和路線と田原本線の間のスペースには公園があり、そこにはプールと、SL「D51 895」があります(写真)。当ブログには何度も登場したSLです。



 「新王寺」から徒歩2分程の所に、近鉄生駒線「王寺」があります。両駅間は僅かで、間には撤去が難しくない簡易な構造の店舗が並ぶだけで、その気になればいつでも繋げられるような状況になっていますが、生駒線は4輌、田原本線は3輌で輸送量が異なり、また連絡のメリットが今のところ無いようで、そこまではしないようです。しかし現在準備工が大体出来ている生駒線の複線化が実現し、そのまま西田原本まで直通するメリットが出てくれば、可能性はあるのか。両線の直通は、やはり夢か。



 そして生駒線に乗り、生駒まで行きました。



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 生駒まで出れば大阪はもうすぐ。本当はけいはんな線に乗って学研登美が丘まで行きたかったのですが、時間の都合で止めました。



 そして乗ったのは、近鉄奈良線快速急行。奈良は、帰宅時以外に料金を払って特急に乗るには近く、結果一般形で「快速急行」が走ります。途中、阪神電車と行き違います(写真、1204始め6連)。奈良と神戸は、今一直線で結ばれます。そのまま阪神の尼崎まで行ってしまいたい気もしましたが、今回は断念しました。



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 そこまで急いでいたのはこのため、この「貸切」を撮るためです(写真)。大阪上本町3番線、時間が17時12分と出ています。さて、この列車は?



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 3番線鶴橋寄りには、通常の停止位置の遙か手前に、「鮮4」「鮮3」の表示があります(写真)。



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 それは、この列車、「鮮魚列車」の停止位置でした(写真)。以前も当ブログに載せましたが、伊勢志摩の魚介類を運ぶ行商人専用の列車です。この時間の列車は、仕事を終え伊勢志摩に帰る列車になります。



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 折り返し出発の準備が整い、出発進行を待ちます(写真)。しかし、帰りの列車ははガラガラでした。





 その出入りの動画です。「団体専用です。」と、構内放送まで入るようになりました。



「1-27.wma」をダウンロード



 到着から出発までの録音です。余分な音も入っていますが、ご容赦を。



 そして今日の滞在先に向かいました。



 明日は、フリーパスを利用し、やはりあそこへ行くのか。そうでなければ、片手落ちです。



 それでは、次回をお楽しみに。

千日手

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日に引き続き京都から、「大宮交通公園」保存車輌をお届けします。



 昨日は未明まで投稿をしたものの、今朝は普段どおり起きることが出来、勇気を奮い立たせて出発。そして今日行こうと思った場所へ行ったのですが、よく確認すると、目的を達することがどうやっても出来ないことが分かってしまい、断念。さあ、どこへ行こうか、と思い巡らすと、近辺は大体行っているので、京都くらいしかないよなあ、そういえば大宮交通公園は満足に撮れなかったし、と思い、昨日と同じ、遠いながらも移動して、行きました。



 そして、早速撮影を。京都市電1860です(写真)。昭和25年に860として落成、昭和43年ワンマン化で1860に改番、昭和52年に引退とのことです。軌間は1,400ミリ、京都特有のゲージです。



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 車内の様子(写真)。内部は木材を多用しています。モケットは張り替えたのか、整備が行き届いています。



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 運転台の様子(写真)。計器類等は破損しています。マスコンの三菱マークが分かり、三菱電機製と思われます。



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 続いて、No.6です(写真)。いわゆる”N電”、北野線の車輌です。同線は軌間が1,067ミリ、JR(国鉄)等と同じで、他の京都市電とは異なります。運転台は、オープン形です。



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 車内の様子(写真)。ほぼ木製です。しかし客室ドアは壊れかけています。モケットの手入れは良いようです。



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 運転台の様子(写真)。かなり壊れています。計器類、エアブレーキは無く、最初期の電車であることが分かります。



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 最後は、加悦鉄道C15形C160です(写真)。ヨ6720を従えています。



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 同機の機関室の様子(写真)。鉄格子が嵌められ、奥に入れないのが分かります。



 正直、いずれも状態はあまり良くなく、塗り直しなどはC160を除き行われていないようです。流石にダルマになって、建造物同然になってしまっている訳ではないので、まだ救いはありますが、このままでは先行きは危ぶまれます。ボロボロになって解体、という前に、もう少し手入れをして欲しいものですね。



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 今日の本当の予定はこちら、JR中央西線庄内川橋梁です(写真)。ワム80000貨物が無くなる、とのことで、春日井発着の紙運搬用パワムを撮りたかったのですが、先ず同橋梁は下路式桁橋、しかも塗り直し中で足場が組まれ、仮に車輌が通っても一番写したい部分が隠れてしまいます。そこで、この位置は断念しました。



 なお、塗り直し工事が終わっても、この撮影場所地面に多数散乱する物体には、十分お気をつけを(犬ファンというのは如何に酷いか、雄弁に物語ります)。



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 そして反対側に移動。丁度撮影テスト中に「ワイドビューしなの5号」が通過しました(写真)。しかし、見ての通り下路式のため足回りは全部、車体もかなり隠れてしまいます。増して名古屋に向かう上り方面はさらに高く、3分の2が見えません。そこで、ここも断念しました。



 なお、春日井(王子製紙春日井工場)を出入りする、多分PF牽引のパワム貨物は、日曜運休です。仮に足場が外されても、日曜には撮ることは出来ません。しかも他の貨物列車(ロクヨン重連)も、日中運転の上りは全て土日運休です。唯一下り多治見行きコンテナ貨物(EF66牽引)は今日も通りましたが、下りは後向き、写真になりません(これは「東海道本線」の庄内川橋梁で撮るべきです)。後はJR東海の電車(211系、213系、311系、313系、383系)で、喫緊の課題でもなく、「今日はやーめた。」となりました。せめて土曜で、やはり他の橋梁が良いのか。また、次回です。



 それでは、次回をお楽しみに。

因縁の場所

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、京都大津方面へ行きました。



 次回の長期遠征の準備で、現在調整中です。そこで今日は、再度名古屋市営地下鉄鶴舞線の取材をしようと思ったものの、今朝起きた時の雨音にガックリ来て、二度寝を。再び起きても雨音は消えず、結局地下鉄ネタは断念。今日はこのまま取材を止めようかと思ったものの、遠くへ行けば天候は変わるかな?と思い、少し遠いものの京津方面を目指そうと思い、愛車に装備を乗せ出発しました。



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 最初は大津。「大津市科学館」にあるとされた、C57です。当初膳所の現大津市科学館を捜索するも発見できず残念でした、と当ブログの記事に載せたところ、鉄道ブログを運営する読者の方から指摘があり(その方のコメントは、まだサイドバーに残っています)、再度調査したところ、地図上でも発見。そして今回、訪問となりました(写真)。C57 128、昭和15年三菱神戸造船所製です。



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 位置を変えてもう一枚(写真)。なかなか良い位置を見つけられませんでした。しかも、この撮影のための僅かな駐車でも、2時間でも駐車料金が同じで、割高に感じました。20分100円でも、怒ったりはしませんよ!



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 続いて経由地である逢坂山(あふさかの関)、東海道本線旧逢坂山隧道です。入口には写真のような標柱が立っています(写真)。



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 そして、旧逢坂山隧道です(写真)。史上初めて日本人だけの技術で貫通したトンネルです。



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 その解説板です(写真)。ここに書かれているとおりで、多くは語りません。JR西日本京都支社がこの看板を設置しました。



 現在の東海道本線のルートからすると、このトンネルの位置及び向きは変ですが、明治期の東海道本線は未熟な土木技術が原因で東山を貫通することが出来ず、伏見の方から現奈良線のルートを経由する遠回りのルートでした。奈良線は現近鉄奈良線のルートを経由していました。後に東山トンネルが開通し東海道本線が現在のルートとなり、奈良線も移設、このトンネルは放棄されました。



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 トンネルの扁額、「楽成頼功」です(写真)。三条実美の書です。明治期のトンネルの多くに、このような扁額が掛かります。



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 そして複線化で掘られた新隧道です(写真)。現在は京大の地震研究に使用されている、とのことです。



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 続いてこちらも因縁の場所、洛西の「SL公園」です。おおよその見当をつけ行ったのですがその場所にはなく、右往左往しているうちに後続車からはクラクションを鳴らされ慌て、側面に不安な衝撃が。ボディには傷はありませんでしたが、タイヤかホイールに当たっており、心配です。結局歩行者に「この辺で、”SL”って、ありますか?」と聞き、その方の言っていた位置にて発見しました!(写真)宇和島鉄道1号のレプリカ、”C1”でした。なお、横に立つ腕木式信号は、因美線で使われた本物です。



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 キャブの様子(写真)。装置があまりに少なすぎる感じがします。右側が機関士の位置のようで、加減弁が見えています。しかし残念ながらレプリカ、本物ではありません。



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 後方からの眺め(写真)。小さいレプリカながら、実感が出ています。



 ここから更に北山まで行きたい気はしましたが、多分閉園時間だと思ったので断念、帰宅しました。



 これで、大捜索し発見できなかった場所に、辿り着くことが出来ました。まあ、これでモヤモヤも消えました。



 最後に、950回を記念した訳ではありませんが、本ブログのデザインをリニューアルしました。やはり左右4分の1ずつを無駄遣いしていたのは勿体ない!やはり写真も大きく載せたいので、遂に念願が叶いました。今後とも、本”Tetsu”を、よろしくお願いします。



 それでは、次回をお楽しみに。

The Local

Nakq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名古屋ネタです。



 名古屋市の児童生徒に科学への興味を持ってもらおうと、古くから設置されていた「名古屋市科学館」。同館が建て替えられ、昨春に日本最大級のプラネタリウムも設置された本館が完成し、屋外展示の整備を続行、昨秋グランドオープンしました。私も屋外展示を2回見に行きましたが、1回目は展示オープン一週間前、2回目は正月休み中と、満足のいく撮影が出来ませんでした。そこで、丁度手が空いた今日、行ってきました。



 最初は、遠景です(写真)。左に路面電車、右にタンク式SLが見えます。



Nakq2  SLは、工部省B6と呼ばれ多数輸入されたSLの1両、後に鉄道省で2412と名付けられました(写真)。基本設計は英国で行われたものの、当機はドイツのハノーファー社製、明治37年製造です。軸配置は、先輪のない0C1です。



Nakq3  主動輪(写真)。銀色の部分に、”Krupp 1904”と刻印されています。他の動輪も同様です。



Nakq4  公式側(機関士側)前方には、後に取り付けられたコンプレッサー、及び空気ダメがあります(写真)。非公式側(助士側)には蓄電池と空気ダメが装備されます。空気ブレーキは同機製造より後の時代の技術で、後付けとなりました。



Nakq5  続いて、路面電車は1401、戦前の完成形1400形の初号車です(写真)。広小路通りの電停に停まる姿を再現しています。



 現在、広小路通りでは一般車両を通行禁止にし、歩道を広げるという計画があります。どうせやるならトラム、できればLRTを通す、というのはどうでしょうか。低床車なら老人も喜ぶでしょう。



 同館前には、他にもH2Aロケットや、宇宙実験室「きぼう」モックアップ、無人深海探査機などが展示されます。屋外展示は無料なので、行ってみては如何でしょうか。勿論、料金を払い入館されても楽しいと思います。



 そして私は伏見を後にしました。



Nakq6  そして向かったのは、上小田井。地下鉄鶴舞線の起終点、名鉄犬山線との乗換駅です。同駅で地下鉄鶴舞線乗り入れ車輌の記録をしました。



 最初は、名鉄100・200系215Fです(写真)。100・200系最終編成、当初から6連で落成し(他の編成は4連で落成、2両追加)、同編成のみ車内にLED電光掲示が装備されます。また、6両ともVVVF車です。



Nakq7  同編成ク215の正面窓部分(写真)。貫通ドアの窓下のエッチングに要注目。



Nakq8  続いて入線したのは、213Fです(写真)。当初落成した前2両と後2両は界磁添加励磁制御、後に追加された中間車2両はVVVF車です。



Nakq9  同編成モ213の正面窓部分(写真)。モ214がベストでしたが、今日は運用に入っていませんでしたので、同時期に製作されたモ213でご勘弁を。貫通ドア窓下のエッチングには、円形の名鉄旧社紋が入ります。215F落成時にはCIが行われていたので、無くなっていたのでした。



Nakq10  そして最近まで鶴舞線で最新の系列だった、名古屋市3050系です(写真、3158F)。全10編成、当初9編成製造され、最終3159Fは中間車に3000系を2両組み込み、それに対応した設備が運転台にあります。後に3160Fが落成、全58両です。N3000系導入でも同系には変動は無いでしょうが、敢えて言うなら、3159Fの中間2両の扱いが要注意でしょう。



Nakq11  次は、115Fです(写真)。100・200系抵抗制御最終編成、中間2両はVVVF車です。豊田新線開業時からの編成です。



Nakq12  次は名古屋市3000系初号編成、3101Fです(写真)。中間に3104、3204を挟み6連化されています。コルゲートステンレスボディ、チョッパ制御(正式には「電機子チョッパ制御」)車で、設計は非常に保守的ですが、ビード入りステンレスの時代には少々早かった!



Nakq13  100・200系界磁添加励磁制御の初号、116Fです(写真)。これも中間2両はVVVF車です。



Nakq14  次は、211Fです(写真)。116Fの続番ですが、4編成製造したため100番台では数が足らず、飛ばして200番台を名乗ります。京王6030のようなことはしませんでした。



Nakq15  そして先ほどの215Fが豊田市から上小田井に戻ってきました。それはつまり、今日運用に就く全編成が出尽くしたということで、これ以上待っても仕方がないので、結局その折り返しに乗車ました。



 そのク215、貫通路側の妻面の様子(写真)。左がメーカープレート「日本車輌 1994」、右が車号「215」、中間が同系唯一のLED電光掲示「豊田市ゆき」です。



「mo215.wma」をダウンロード



 同車での添乗音。215Fでは電動車は2両おき、付随車で録音したのは失敗でした。



 今、地下鉄鶴舞線に注目するのは、名古屋市N3000系初号編成の試運転もありますが、名鉄100・200系も制御装置変更を行うとのことで、今後の車輌動向に注目が集まるからです。当面は1編成とのこと、うち中間のVVVF車は交換しないでしょうから、どの編成を交換するか、というのも要注意ポイントです。もし初号から順に交換するというなら、瀬戸線の6000系、6600系も救ってやってくださいよ!



 それでは、次回をお楽しみに。

追憶の中へ

Mei6q1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名鉄600V線区関連を取材しました。



 12月も、東武南栗橋と岳南のイベントが終わると年末になり、年が明けると3日の上毛電鉄、その後は少し間隔が空きます。そこでイベント関連のネタはないか、と思って調べると、今月15日(明日)まで谷汲昆虫館で名鉄谷汲線関連の写真展を行っている、とのこと。間もなく閉幕だなあ、と思い、先ずは谷汲へ向かうこととしました。



 そして、少し遅い時間に、谷汲駅跡にある谷汲昆虫館に到着(写真)。左半分が昆虫館、右半分が旧谷汲駅です。



Mei6q2  先ずは右側、谷汲駅跡へ。有人時代の名残、改札横の出札口には、岐阜駅前までの運賃表が残っています(写真)。この手前右側にある待合室跡には、部品が各種保存されています。



Mei6q3  改札を抜け、ホーム跡に出ると、左右に各1両ずつ車輌が保存されています。南側1番線には、モ750形モ755が保存されます(写真)。黒野以遠廃止時に、この場所に設置されました。



Mei6q4  モ755の運転台(写真)。左手の主幹制御器(マスターコントローラー、通称「マスコン」)は、東洋電機製です。



Mei6q5  車内の様子(写真)。ロングシート、モケットは平成の初めに名鉄が多用した柄です。今でも多くの車輌で使用されています。



Mei6q6  もう一つ、2番線にはモ510形モ511があります(写真)。戦前製の丸窓、半鋼製、転換クロスシートの車輌で、人気の車輌でした。この車輌は、ドアが閉鎖され中には入れませんが、車内まで廃止当時の姿を残しています。同車は、600V線区全廃時に保存車輌になりました。全廃直前に、某RM誌が同形3両を借り切り、黒野から新関まで走る動画がDVD付録になっていました。



Mei6q7  黒野方の合流地点には手動ポイントがあり、その先には「11」(黒野起点11キロ)のキロポストがあり、その横には軌道自転車、トロッコが停まります(写真)。線路はその先の踏切跡で途切れています。



Mei6q8  そして、駅左側の「谷汲昆虫館」に入ります。先ず入口で入場料200円を払い、入場券と記念硬券を貰います。そして靴を脱ぎ、階段を登るのですが、階段から写真パネルが多数展示されます。踊り場には、金庫ではない、氷冷蔵庫の上にパネルが載ります(写真)。



Mei6q9  その横、クローゼットには水彩画が(写真)。写真も多数、2階には雪の日に走るモ750形の油絵が、2枚ありました。



 多くの人が写真を出したらしく、昆虫館のスペースでは足りないほど沢山の写真パネルが展示されていました。



 しかし、この写真展は明日閉幕、今日も私の入場に合わせ電灯を点けた位で、展示ほどの集客が無かったのか。勿体ない。



 谷汲昆虫館は、鉄道では樽見鉄道谷汲口からバス、養老鉄道揖斐からも頻発ではないもののバスがあります。無料駐車場は乗用車10台ほどで、入れなかった方は谷汲山華厳寺の有料駐車場にどうぞ。



Mei6q10  そしてこの後は何処に行こうか、と思い、近辺は大体行っているので、大津まで行こうかとも思いましたが、モ511を見てしまったので、モ514の岐阜市内金公園もありますが、もう1両のある美濃へ行こうと気が変わり、少し遠かったですが行きました(写真)。600V線区で最初に廃止になったのが美濃町線美濃~新関間で、同時に新関~関間が開通し長良川鉄道との接続が図られましたが、結局根刮ぎ全廃されました。しかし美濃駅は廃止後も保存され、車輌が保存されます。



Mei6q11  駅の改札跡(写真)。有人時代の名残が残ります。時刻表までそのままです。



Mei6q12  出札横には、私鉄路線案内の絵地図を多数描いた「吉田初三郎」の手による、美濃町の鳥瞰図が掛かります(写真)。関東から関西まで描いた、本当に人気絵師です。



Mei6q13  改札を抜けると、ホーム跡が。3番線には、モ590形モ593があります(写真)。同形モ591及びモ592は、土佐電気鉄道にて赤色塗装のまま、現役で活躍しています。なお、同車の緑白のツートンがオリジナルだそうです。600V線区全廃間近の頃には、同車は岐阜工場の隅でお休み中でした。



Mei6q14  同車の車内(写真)。ロングシートで、モケットも同じです。



 運転台のマスコンは、東洋電機製でした。AL車です。



Mei6q15  1番線から眺めた図(写真)。左から、モ593、モ512、モ601です。



Mei6q16  モ512の運転台(写真)。マスコンは、ウェスティングハウス製で、舶来品です。なお、同車はALではなくHLです。



Mei6q17  モ601の運転台(写真)。マスコンは、上部は無名で、側面に黒いプレートが貼られ、それに書かれているとは思いましたが、それをその場で判読することは不可能でした。そこで写真を撮っておけば、後で画像調整で見られると思い、スピードライトを点け撮りました。帰宅後その写真を見ると、これも「Westinghouse」と刻印されていました。これもHL車です。花巻電鉄の「馬づら電車」ほどではありませんが車体幅は細く、更に貫通路も装備されているために運転台は非常に狭くなっています。屋根にはクーラーではなく主抵抗器が載っているために冷改が出来ず、美濃~新関間廃止時に真っ先に廃車され数が減り、600V線区末期には1両のみ残る系列でした。



Mei6q18  新関方からの眺め(写真)。右からモ593、モ512、モ601で、左に1両増えています。これはモ876の前頭部で、1番線ホーム上に載っています。



 同車は元々連接車で、ヘッドライトのスタイルから分かるように元札幌市電であり、連接車が不要となった札幌から2編成入線しました。しかし600V線区全廃で全車引退、前頭部のみ残ります。



 そしてまだ日は高かったのですが、近辺に取材ネタが無かったため、帰途に就きました。



 かつては名鉄のネットワークの一翼を担った600V線区。名鉄の努力にかかわらず最終的には全廃となり、路線延長は一気に減り、私鉄第3位に転落してしまいました。実際乗っていても「普段は誰も乗っていない」なんて話を地元の人がする位で、非常に残念な結果となりました。今さら悔いても仕方ないことですが、せめて今残るもの位は、今後とも残して欲しいものです。



 やはり、「鉄道ファンだけの乗り物」では、維持できません。「駅まで行く少し不便」を上回る何かが、問われるのでしょう。今も営業する鉄道にも、それは問いかけています。



 それでは、次回をお楽しみに。

熱き日の記録

Izhq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、伊豆箱根鉄道1100系を始めとした、古い写真を取り上げたいと思います。写真は、先日乗車した、1009始め3連です(写真)。西武701系リバイバル塗装になっています。



Izhq2  今から6年前になる平成18年8月、伊豆を中心とした取材を行いました。丁度三島駅JRホームから、1100系を捉えました(写真)。ナンバーをズームアップすると、1009と読めます。すなわち、1100系として最後まで残った編成を捉えていたのでした。なんという偶然。塗装は当然、当時の伊豆箱根色です。



Izhq3  同編成に乗り、修善寺へ行き、そして再び三島へ戻る途中、同形式と行き違います(写真)。駅名も、編成名も残っておらず、詳細は不明ながら現存編成(1009ほか)とは異なる編成である、ということだけは分かります。





Izhq4  平成20年8月、この時には小田原へ行きました。小田原から伊豆箱根鉄道大雄山線に乗車。同線は5000系に統一されていますが、そのうち第1編成である5001始め3連は、鋼製です(写真)。他はステンレスボディで、異なります。



Izhq5  そして小田原から箱根登山鉄道に乗るのですが、当時はまだ、最も小田急らしい顔をした5000系が多数残っていました(写真、5067始め4連)。現在5000系は、6連が消滅し、4連が最後の活躍をしています。



Izhq6  そして箱根湯本からは箱根登山電車です。モハ1形、104+106に、モハ2形が繋がっています(写真)。車番記録はありませんが、消去法で109と推定されます。



Izhq7  そして入生田の車庫へ。車庫には、左から旧塗装の108、モニ1、110が見えます(写真)。



 今では見られない姿を、幾つか見ることが出来ました。こうしてみると、写真の記録、及び整理という行為が、如何に重要か分かると思います。デジカメはメタデータですぐに撮影日が分かりますが、それまでのフィルム写真は、そういう訳にはいきません。ただ、メタデータがあっても、画像が整理されていないと、いつの取材か、思い出すことも出来ません。整理整頓って、本当に重要ですね。



 それでは、次回をお楽しみに。

寒暖激しい日に#3

Snzq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日後半戦、伊豆箱根鉄道駿豆線を中心にお届けします。



Snzq2  小田原からJRに乗った私は、熱海に到着。伊豆高原は先日行ったばかりで、また行く気はしませんでしたが、途中には行っていないので、JRの終点伊東まで行こうか、とは思いました。しかし伊東線方面が30分以上の待ち合わせになることから、時間が勿体ないと、その時間を次の予定に割り当てました。



 それが、三島から続く「駿豆線」でした。三島駅JR改札を出て、駿豆線ホームへ。最後の新造系列、7000系7101始め3連が、出発を待っています(写真)。これに乗車しました。



Snzq3  行き先は、本社、車両基地及び工場のある大場。本社横の側線には、ED32が停まります(写真、構外から撮影)。同型機、ED31は、どこへ行ってしまったのか。しかし、イベント時には必ず出て来る車輌です。



Snzq4  そそくさと撮り、駅に戻ります。次の三島行きは、1301始め3連です(写真)。色は青白ですが、間違いなく元西武、新101系です。これも秩父鉄道、流鉄、三岐鉄道等、各社で見られるようになった車輌です。



Snzq5  続いては、JR東日本185系特急「踊り子」付属編成、東チタ(田町車輌センター)C7編成5連がやって来ます(写真)。2M3Tで、昔はそんなので走れるのか、出力不足ではないのかと心配しましたが、何の問題も無く走ります。



Snzq6  わざわざ駿豆線を訪れたのはこのため、1100系が引退するからです(写真)。これも元西武701系で、引退間近になって西武当時の旧塗装に復元、別れを惜しんでいます。



 大場で編成写真を撮れたので、まあ次の三島行きで帰るか、と思っていましたが、行き違いで足止め。僅かな時間で踏切を渡り、乗車に成功しました。



「moha1010.wma」をダウンロード



 中間車、1010の添乗音です。これも、良い感じでしたが、その通り録音されているでしょうか。



Snzq7  そして先頭車1009の運転台の様子(写真)。少し時代を感じます。



 終点の三島では、7番線ではなく、8番線に入線させるという配慮を。鉄道写真を、よく分かっています。そこでタイトル写真を撮り、三島を後にしました。



Snzq8  そして一駅沼津から、御殿場線に乗りました。着席位置の悪さから、何度も撮影を失念しました。更に、国府津車輌センターの「あの」車輌を見てしまい、結局来た列車で国府津からそのまま戻りました。



 最初は国府津車輌センター、E233系3000番台(中距離形)もあり、増備され計2編成となりましたが、その相方は217系F3編成、唯一となった東海道塗色です(写真、右から2番目)。隣には、先頭車はハイデッカー、中間車は全部2階建ての215系も見えます。国府津車輌センターは、これらを除くと所属車輌が全てE231系中距離形に統一されています。



Snzq9  そして、乗客が多く乗り換える松田、小田急との連絡線です(写真)。キハ55系相当の気動車準急「あさぎり」を製造した小田急、後に御殿場線電化でSSE、そして現在のRSEですが、3月からMSE置き換え、区間は元の御殿場に戻ります。RSEは、グリーン車はダブルデッカーなるも、抵抗制御車でした。



Snzq10  山北駅南西方には、非電化当時の主力、SLのD52、70号機が保存されます(写真)。缶の蓋に、しめ縄が取り付けられています。



Snzq11  谷峨で、長時間停車が。「さっき普通と行き違ったばかりで、何が?」と思ったら、371系「あさぎり6号」がやって来ました(写真)。期せずして、編成写真です。



Snzq12  続いて御殿場駅北方には、山北同様にD52 72号機が(写真)。土木技術が未熟だった時代に「東海道本線」として開業した御殿場線、丹那トンネル開通でローカル線となり、戦時には不要不急路線として複線から単線に格下げされ、呉線同様大型SLのサンクチュアリとなりました。しかし時代には勝てず電化、115系が導入されました。ただ、これが静岡鉄道管理局(後のJR東海静岡支社)の車輌運用複雑化の原因で、東海道用の113系、御殿場・身延用の115系、更にJR化後の211系5000番台まで入り、事情を複雑にしていました。結局313系製造で113系・115系が全滅し(その中にはJR東海最古の車輌、クハ115 188も入っていた)、運用効率も上がり使用車輌総数も減りました。しかし115系最終形2600番台まで廃車したのは、勿体なかった!JR西日本が、絶対「欲しかった!」と思っているはずです。



Snzq13  そして沼津に戻りました。間もなく、20002始め7連「あさぎり8号」が、出発の準備を始めます(写真)。期せずして、これも編成写真が撮れました。ただ出発シーンは、カブって駄目です。



Snzq14  もうすぐ見られなくなる、電光掲示(写真)。ああ、残念です。



 そして日没、帰途に就きました。



 以前、「あさぎり」のJR区間は寂しい、と書きましたが、御殿場から小田急寄りは、まあまあのようでした。まあ、お名残乗車もあるでしょうから、一概には言えませんが。



 伊豆箱根、良い感じで撮れました。青白の時代の写真もあるはずですので、少し探してみようと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

寒暖激しい日に#2

Hakq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日から所変わり、関東方面を取材しました。



Hakq2  昨日の投稿は、山陰線「日吉」で終わっています。そこから投稿場所へ移動、投稿し、時間があったので再び大垣へ移動。大垣駅7番線の向こうには、海カキS11編成(リバイバル塗色編成)が、正面幕に「新快速」を掲示(写真)。間もなく終焉を迎えるJR東海の117系、このまたとない取り合わせに、多くのファンがバルブを切っていました。



 間もなく「ムーンライトながら」が入線。東チタ(田町車輌センター)の183・189系10連で、元「あずさ」用か、国鉄色ながら特急エンブレムはありません。何か、インチキ臭い感じ、でも特急ではなく快速ですから、まあいいか。しかし写す気にはなりません。



「moha188-25.wma」をダウンロード



 乗車したのはモハ188 25でした。録音は、岐阜~名古屋間です。MT54の野太いサウンドが、感じられるでしょうか。165系だと同じMT54で「ドソ」ですが、回転数の関係か183系だとモーターは同じなのに「レラ」と、少し音が高いです。しかし丁度5度の和音です。



 この和音を子守歌に安眠、といく筈でしたが、失敗し不安な夜を過ごしました。



Hakq3  そして横浜手前で目が覚め、結局東京で373系に乗る筈が、品川で降りてしまい普通電車に。列車は通常ホームではなく臨時ホームで、ICグリーン自販機が無く、グリーン車を断念。片持ち式クロスシートに陣取り、トイレで着替えを(何号車か場所が分かりそうですねえ!)。乗ったのはE231系ではなく、E233系3000番台、東チタNT3編成でした。田町の211系基本番台も、危ういものとなりました。まあ、13年後にはE255系が出てますよ!「13年」の根拠、知ってますか?



 そして小田原で、記録を(写真)。15連は、ホーム側での編成写真は難しい。



Hakq4  そして日の出前に、伊豆箱根鉄道大雄山線に乗りました。大雄山線名物、コデ165です(写真)。大雄山線車輌の大場工場入場の際の牽引や工臨に使用される、機関車代用の車輌です。今日は終点大雄山の検修庫ではなく側線に停まり、記録写真が撮れました。



Hakq5  そして小田原に戻り、小田急・箱根登山鉄道ホームへ。来たのはレーティッシュ鉄道(ベルニナ線)のラッピングを纏う1000系4連、1159始め4連です(写真、箱根湯本にて撮影)。ああ、5000系!



Hakq6  これに接続する強羅行きは、2000系、2006始め3連です(写真)。スイスの「氷河急行」のラッピングを纏っています。



Hakq7  車内のプレート(写真)。「サンモリッツ号」とされます。



Hakq8  小田急車輌が、箱根湯本までしか乗り入れられないのは、箱根湯本を過ぎてすぐに、写真のような勾配標識があるからです(写真)。80.00パーミル(8.000パーセント)で、通常の車輌では登れません。故に「登山鉄道」です。もう少し勾配がきつくなると、アプト式等歯車レールが必要になります。



Hakq9  出山橋梁を、出山信号場から眺めた図(写真)。よく写真に載っている光景です。これは強羅行き3両編成の先頭車に乗った時に撮れる写真、箱根湯本行きでは撮れません。



Hakq10  そして終点、強羅に。駅ホーム向こうには、モニ1が停まります(写真)。これだけでも良いかなあ、とは思ったのですが、やはりここまで来たのは、理由があります。



Hakq11  続いて、1003始め3連「ベルニナ号」がやって来ます(写真)。塗色の違い、分かりますか?



Hakq12  この車輌には「ベルニナ号」のプレートがあります(写真)。箱根登山鉄道の範とした「ベルニナ線」(現「レーティッシュ鉄道」)と、姉妹提携をしているからです。



Hakq13  しかし、今回は旧式車に乗らなくては帰らないつもりでした。強羅で45分待ち、来たのはモハ2形、手前110、奥109の2連です(写真)。昭和30年東急車輌の製造です。夏場には、「非冷房」という理由から、見られない車輌です。



Hakq14  109に乗車しました。運転台の様子(写真)。運転士が頻繁に特定のスイッチを入り切りしているので、何のスイッチかと思ったら、「散水」と書かれていました。レールと車輪の摩耗低減の、生命線です。



Hakq15  109の車内(写真)。モハ2形は単行運転が可能、しかし輸送量が必要なことから、単行では運転しません。



「moha109.wma」をダウンロード



 モハ109の、大平台から出山信号場までの、添乗音です。急勾配を下る旧式車の音を、どうぞ。



 しかし、この編成の一方の調子が悪いらしく、箱根湯本で109を麓側に、110を山側に連結する入換を、急遽行っていました。



Hakq16  そして小田急の車輌(1000系4連)に乗りました。箱根登山鉄道の車両基地は、箱根湯本から一駅小田原寄りの入生田、昔は小田原まで入線し、軌間も違う両社の車輌が走れるよう小田原から3線軌道が続いていましたが、今は入生田で終わっています。3線軌道の終わりに見える車庫には、左107、右108が見えます(写真)。



Hakq17  風祭では、7000系LSE初号編成、7001始め11連と行き違います。後継車10000系HiSEは、20000系RSEと同じく引退します。何か、順番が違うような気がしますが、バリアフリーにハイデッカーが災いした、とのこと。HiSEは編成短縮され長野電鉄「ゆけむり」に残っていますので、こちらもどうぞ。



 そして小田原に戻り、次の目的地に行ったのですが、長くなるので、また次回とします。



 それでは、次回をお楽しみに。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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