冬休み#3

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名松線を取材しました。



 名松線は、「名」と「松」を結ぶ線として計画されました。「松」は「松阪」ですが、その先の「名」とは?それは「名張」で、名張からは旧「近鉄伊賀線」、現「伊賀鉄道」を通じ伊賀上野まで通る予定だったようです。しかしそこまで延長する前に国鉄改革を迎え、盲腸線のままJRに移管され、数年前の台風災害が原因で、途中からバス代行となっています。今回は、その様子の取材です。



 先ずは、「松」、則ち松阪まで行かねばなりません。名古屋からは、関西線快速亀山行き、211系5000番代4連、「海シン(神領車両区)」K10編成に乗ります(写真)。方向幕は、「快速」のみです。



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 快速「みえ」なら一本で、しかも速いのですが、「青春18きっぷ」ということもあり、亀山へ。亀山からはスイッチバックし紀勢本線、キハ11-111単行です(写真、津での撮影)。キハ11 100番代は寒地形ですが、暖地にも用いられます。津で、快速「みえ」に抜かれました。



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 そして松阪へ。駅弁を買い(名物「松阪牛弁当」ではありませんでした)、5番線に向かいます。そこでは、キハ11-3が、発車を待っています(写真)。名松線家城行きで、これに乗車しました。



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 スイッチバックし、分岐する信号場を抜けると、間もなく紀勢線から離れます。そして、現在の終点「家城」に近づきます(写真)。駅の前後にスプリングポイントがあり、以前は行き違い可能駅でした。現在は、駅舎側線路、ホームのみ使用されます。なお、同駅は十数年前まで腕木式信号が用いられ、駅に信号用梃子がありましたが、現在は3灯式信号が用いられます。



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 家城以遠は運転不能のため、代行バスが走ります(写真)。駅前から、三交バスが出ています。



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 そしてバスに揺られて約30分、終点「伊勢奥津」に到着(写真)。営業当時の待合室(写真)。駅ノートもここにあります。



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 待合室奥の引戸を開けると、ホームがあります(写真)。十数年前は1面2線の島式であった記憶がありますが、南側は施設に転用され、現在は1面1線です(写真)。



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 線路終点の先には、SL時代の名残、給水塔が残ります(写真)。勾配の終点、蒸気になってタンクの水は無くなるため、給水は重要でした。



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 その南側、以前はヤードであったであろう場所は、「津市八幡センター」と、その駐車場になっています(写真)。バスはこの位置に停まり、先ほどの待合室は右端の一番奥になります。



 バスは、折り返しまでの間に、正月を迎えるべく洗車していました。私は、愛車どころか部屋も掃除しない無精です。



 そして代行バスは、再び家城へと向かいます。鉄道ファンを除く「本当の」乗客は、1人でした(ファンは親子連れも含め10人程でした)。



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 隣駅の「比津」は坂の上にあり、駅前ロータリーが無くバスが折り返せないことから、坂の下に停まります。



 次の「伊勢八知」は、旧「美杉町」中心部(現「津市」)で、旧町役場横に駅があります(写真)。駅は、公共施設の一部となっています。



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 次の「伊勢鎌倉」は、駅舎もなく、階段の上に盛土のホーム1面1線の簡単な駅です(写真)。



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 伊勢竹原は、農産物直販所の脇になり、駐車場がバス停です(写真)。



 こうして見てみると、あまり被害がないように見えますが、途中で致命的に崩れているところがあるらしく、その1か所のために家城から全面的に不通になっている、とのことでした。防災工事を地元が負担して、営業運転を再開する、とのことでしたが、JR東海最大の赤字線、列車の無人暴走も2回起こしており、本当に復旧するのか、どうなのでしょうか。2016年が、一つの基準となりそうです。



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 そして、家城では、先ほどのキハ11-3が出発を待っています(写真)。



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 運転台には、タブレットの入ったタブレットホルダーが置かれます(写真)。伊勢奥津運転時の名残です。



 間もなく、発車しました。



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 そして、松阪で乗り換え。玉垣で構えるのを忘れ、入庫している伊勢鉄道イセⅢ形を捉えられず。残念。



 南四日市では、スイッチャー、左奥DB25、右手前DB20が、注連飾りを着け停まります(写真)。今日は、正月休みです。



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 四日市駅構内では、DE10 1557が、待機します(写真)。



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 乗ったのは快速「みえ」、キハ75形です(写真、キハ75 1始め4連)。元はキハ58+キハ65だったのが、キハ75を新造し、伊勢神宮式年遷宮対応で2連から4連(2+2連)に増結されました。しかし、列車頻度も、両数も、近鉄にはまだまだ及びません。後は、利用客次第でしょう。



 そして帰宅しました。



 名松線を復旧したくなくなる気持ちは、分からなくはありませんが、可能なら復旧して貰いたいですね。英断を期待します。



 歳の最後まで取材する、私は何という「テッチャン」なのでしょう。しかしながら、それにお付き合いいただく皆様には、本当に感謝いたします。



 それでは、次回をお楽しみに。

冬休み#2

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の帰り道です。



 今回の取材の主眼は、「青春18きっぷ」を使用して、現在も残る最後の「連絡船」に乗ることでした。「青函」(ヒワイではありません)、「宇高」共に廃止され、細々とやっていた「仁方・堀江」も今は無く、現在は「宮島」のみです。そのため、鳥取に行くべき所を広島に向けたのでした。



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 先ずはJRで宮島口へ。JR駅からは、一旦地下道を潜る必要があり、カートを牽く私には大変でした。どうせなら地下道をもっと延長し、駅からターミナルまで繋げるのが理想ですが、それは沿道の店舗からの理解が得られないでしょう。まあ、エレベーターが交差点の四隅にあるので、それでよしとしましょう。



 そして道の正面がJR宮島連絡船のターミナルです(写真)。隣は広電系の宮島フェリーで、広電からは地平で連絡しているのが羨ましい。広電も、昔は「己斐」(読めますか?広島球団は何?)から先は鉄道線でしたが、今は広島駅前からシーメンス製LRT「グリーンムーバー」が直通します。なお、広電のフリー切符では、宮島フェリー付きも選べます。



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 丁度出港間近であり、本当に「渡りに船」でした。そして乗船すると、右手に鳥居が見えてきます(表題の写真)。厳島神社です。JR連絡船の宮島行きは、同神社の鳥居前まで寄ってから入港します。



 10分ほどで宮島桟橋に入港。船は、「みせん丸」でした(写真)。短区間用小型カーフェリーで、両正面のダブルエンダー、桜島フェリーなどで見られる形です。接岸したら、船員は反対向きのブリッジに移動、すぐ折り返せます。



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 隣では、「ななうら丸」が、正月輸送に備え待機しています(写真)。



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 そして桟橋を渡り、宮島ターミナルへ。改札は、どちらの船会社も宮島側にあります。改札を抜け、ターミナルを写します(写真)。以前来たときは改築中でしたが、現在は見たとおり、両社の共用する建物となっています。



 常識的に考えて、ここまで来たら厳島神社に参拝し、縁起物のシャモジを買ってくるべき(「もみじ饅頭」島でもあり、お土産の「もみじ饅頭」も入るでしょう)ですが、雨がだんだん激しくなり、記憶では未舗装部分もあった気がしたので、断念。次の便で帰ることとしました。



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 そこに、「みやじま丸」がやって来ます(写真)。これが一番フェリーの形が分かります。前後に接岸部があり、どちらも正面です。



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 そして宮島口に戻ります。電車は広セキ(下関総合車両所)C-34編成、115系です(写真)。同列車は、呉線「広」行きでした。



 当初は山陽線でセノハチ経由で帰る予定でしたが、昨日のアレを確認したい。結果遠回りでしたが、再び呉線に乗ることとしました。



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 そこで良い気分でウトウトしているうちに、広島を過ぎ、広島運転所も、JR貨物広島機関区も過ぎてしまいました。EF67後継のEF210 300番代が入線し、試験中とのことで、昨日も真っ暗な中に確認しましたが、今日は写真がありません。



 そして「坂」で単線になり、「呉」を通り、終点の「広」へ。呉線は、山陽本線のセノハチの急勾配をバイパスする準幹線で、戦前は軍港呉への軍事路線、戦後は線路等級の優位を利用した大型旅客SLのC59、C62最後の楽園として、多くのファンの通う場所でした。そのとおり、勾配抑速ブレーキの装備の無い113系も通過可能な路線です(写真、広ヒロ(下関総合車両所広島支所)P-14編成)。



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 乗って来たのは右の115系、ここから三原へは左の105系です(写真)。本当に、相生以西は黄色です。



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 途中、竹原に停まります。竹原は、ニッカウヰスキーの創始者、竹鶴政孝の故郷で、江戸時代から続く造り酒屋「竹鶴」の一族とのこと(写真)。仙台ではありませんでした。



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 間もなく、海沿いに出ます。先ずは、本四架橋「多々良大橋」です(写真)。斜張橋、複雑な荷重計算がコンピューターで出来るようになって、初めて設計可能になった橋です。



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 三菱重工工場敷地に留置される車両は、やはり「リニモ」廃車編成でした(写真)。3両編成、外吊戸、足回り構造等まさにそのものです。早く、新天地が見つかると良いのですが。



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 続いては、本四架橋「因島大橋」です(写真)。斜張橋には長いのか、通常の吊橋です。



 もう一駅で三原、というところで行き違い停車。来たのは「瀬戸内マリンビュー」で、浮き輪にオールの正面飾りは片方が大きなシャモジに変わり、「清盛マリンビュー」になっていましたが、写真はボツです。



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 三原で少々時間があったので、遅い昼食として、駅弁「たこめし」を買いました。やはり、港町では海産物を食べねば、勿体ない。



 糸崎を過ぎると、間もなく尾道です。尾道の対岸が、因島です。写真手前は本四架橋の「新尾道大橋」で、奥が県道の「尾道大橋」です(写真)。何れも斜張橋、習作から本格的な橋梁が出来ました。



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 岡山県に入り、浅口市笠岡駅近くには、井笠鉄道(廃止)の旧式ナロー気動車が保存されます(写真)。運転台前には荷物用バケットがあります。車では停まる場所に困りますが、電車ではここから内陸の井原へと続く路線跡は辿れません。



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 そして、岡山へ。駅西に広がる岡山電車区には、117系「サンライナー」が停まります(写真)。6連だった117系は岡山地区に転出し4連になり、余ったモハユニットは115系3500番代を名乗り、115系3000番代先頭車が用意され115系に編入、後に115系一般形に先頭が変わったものもあります。しかし何れも、今後黄色に塗色変更、この塗色も無くなる運命にあります。



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 そして岡山、相生で乗り換え、姫路で乗り継ぎ時間がありました。そこで夕食を買いました(「今川焼きもだろう!」と言われそうですが、その通りです)。列車を待つその前には、播但線103系3500番代が2編成連結され、停まります(写真)。間もなく、帰庫しました。しかし、103系も、激減しましたねえ!



 播但線も、全線電化すれば良いような気がしますが、トンネル断面が小さいところもあり、そのままでは電化できず、新たなトンネルを掘り直す必要があるので、未だ立案されません。結局同線を通る特急「はまかぜ」も、新型気動車キハ189系という決着になりました。



 そして日没、帰宅しました。



 今日は雨で残念でしたが、また宮島も行きたいと思います。広島機関区も要注意で、再度訪問の必要を感じます。しかし、それは、いつのことか。まあ、近い将来、としておきます。



 それでは、次回をお楽しみに。

冬休み#1

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、山陽方面に来ています。



 当ブログを始める前、大体正月休みには、「青春18きっぷ」で関門トンネルを越える、というのがパターンでした。今年は関門までは行きませんが、それに相当する行き先になりました。しかし、今日電車に乗ってから、「若桜鉄道」を思い出し、鳥取に行きたくなりましたが、ホテルのキャンセル料(前日50%、不泊100%)がちらつき、結果断念。当初の予定通り行動しました。



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 米原では新快速に座れ、姫路も15分の余裕で座りましたが、電車の奥に入り過ぎ、相生で脱落。岡山まで1時間立ち席となりました。そのため、岡山までカメラを出すチャンスがありませんでした。岡山でも、出ていたのは4番目(間もなく5番目になる)カメラだけで、バッグをひっくり返す時間も、場所もありません。結果ぶら下げていたJ1のみで撮影となりました。



 反対ホームには、紫や緑の塗装からリニューアルされた、381系「ゆったりやくも」が入線(写真、クモハ381 8)。



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 「ゆったりやくも」のキャラ(写真)。名前は、失念しました。



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 381系の特徴、自然振り子台車です(写真、動台車(DT42))。ボルスタアンカが183系、485系に比べ長く、振り子部の反対側まで延びています。恐らく、伸縮式です。



 以前は編成がバラバラで、しかも検車切れで走らせていた、ということもあった「やくも」でしたが、現在は、編成は1号車がパノラマ・非パノラマの差はあるもののすべてグリーン車で統一され、中間グリーン車は普通車になり、問題は解消されました。でも、未だ固定編成ではなく編成番号も付かず、国鉄式に頻繁に車両差し替えを行っており、正直車両絶対数が不足している感じはしますが。



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 そして乗ったのは、115系、D-05編成(恐らく「岡オカ」(岡山電車区)と思われる)です(写真)。塗装単色化で、黄色に塗られます。



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 途中駅で行き違うD-27編成(写真)。JR東日本でも高崎地区のみに残る湘南色、山陽地区でも消えゆく運命にあります。



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 そして、機関区のあった糸崎へ。写真の電車は115系ですが、東の115系では全滅した「サボ受け」が残る車両です(写真)。今ではフィルム方向幕どころかLED方向幕の時代、サボを製作する所もなかろうに、受けだけはしっかり残っています。



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 そして一駅、三原へ。三原から、呉線に寄り道することとしました。待っているのは1M方式電車の105系、写真は「広ヒロ」(広島運転所)K-09編成、クハ105 10です(写真)。こちら側は4ドア車、クハ103 1000番台(元常磐緩行線・千代田線乗り入れ用車両)の改造車です。広島地区、主に福塩線用で、103系改造車が入るのは珍しい、しかし事故廃車代替で入った可能性があります。列車番号表示場所には、同運転所所属103系と同様、編成番号が入ります。



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 相方は、クモハ105 525で(写真)、こちらは105系として新製された車両、よって3ドア車です。



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 そして三原を出て間もなく、奥の広い工場敷地に、常伝導磁気浮上車両「リニモ」らしき車両が見えます(写真)。



 三原は「三菱重工」の工場が多く、しかも三原の「重工」は船のみならず鉄道車両も造った名門工場でした。SLならC57やC61、DLならDD51、DD54などで、最近では他の会社と組み、広電の「グリーンムーバー・マックス」にも関与しています。「リニモ」の原型、「HSST」は名古屋で試験されたものの、製造は「重工」で、しかし名古屋では造らないよなあ、と思ったら、やはり三原だったようです。残念なことに経理帳簿上の理由で1編成廃車となり、しかし解体には車齢的に早すぎ、どうなったのか興味がありましたが、現在海外売り込み宣伝用に、故郷の三原に残るようです。ただ、メインカメラD800が出ていれば、もう少しズームアップして、明瞭な写真が撮れたのですが、時間的に撮らないと思った直後だったために、出すことも叶わず、悔やまれます。



 そして日没、今日の滞在先に向かいました。



 正月休みなので、明日は鳥取に泊まって「若桜鉄道」を訪問することも考えましたが、そこまで大枚を叩く気はせず、残念です。また、そのうちに機会を見つけて行きたいと思います。そのため、明日は今日の帰り道です。



 それでは、次回をお楽しみに。

South Sea Bubble#3

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、四国最終日です。



 今朝の一番は、高知から。高知市内のゴーカートのある交通公園には、C58 335が保存されます(写真)。昭和18年川崎車両製です。順光の向きではハイライトが飛んでしまい、完全逆光のこの写真が採用されました。



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 同機のキャブの様子(写真)。少々傷んでおり、ペイントロックしています。まあ、まだ耐えられるレベルか。



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 続いて、高知港に面する動物園へ。奥には、オハ50と思われる客車が、休憩室になっています(写真)。昭和58年新潟鐵工所製ですが、ナンバーは残っていませんでした。



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 その外側、池を挟んで反対側には、土佐電鉄218が保存されます(写真)。現役当時の塗装のままです。



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 同車の車内の様子(写真)。木製床に、赤のモケットのシートは、現役当時のままです。今走っていても、違和感は感じません。



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 運転台の様子(写真)。日車製マスコンがあります。やはり、古い車両らしく、簡易な造りです。



 こんな公園が、土電の桟橋通終点から徒歩数分の所にあったとは、高知に何度も行っているのに、不注意でした。本当に、勿体なかった!



 そして、高知から10時間かけ帰宅しました。



 お土産は、琴平の2大饅頭も考えましたが、結局愛媛名物タルトにしました。しかし個装ではなく、竿になっている長いのを、切って配ります。実は、それが一番お買い得なのでした。持って行くのを忘れないように。しかし、それって、エコノミーシンドローム?



 これで、四国の保存車両は大体潰した感じです。まあ、四国にはJRに、魅力的な3私鉄もあり、何れの現役車両も魅力があるので、これで暫く、ということもありません。やはり、飲んでも良い旅行が一番なのですが。今夜こそは、飲むぞ!



 それでは、次回をお楽しみに。

South Sea Bubble#2

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、四国2日目です。



 今朝も起き、目的地へと移動するのですが、道の途中で気になったのが、新居浜市。別子銅山関連の寄り道がしたくなり、カーナビを停めました。



 別子銅山記念館前には、鉄道車両も展示されます。先ずはクラウス製1号機関車です(写真)。小型のタンクSLです。



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 バッテリーロコの後は、電気機関車、ED104です(写真)。鉄道線で輸送していた時代の主力です。現在その廃線跡は遊歩道となり、地下にはパイプが通されています。その取材は2年ほど前に行っているので、詳しくはそちらでお願いします。



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 そして今日の最初の予定であった、伊予西条市内の公園にある、C57 44です(写真)。公園の一部が工事中で、解体を心配しましたが、大丈夫でした。



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 伊予西条まで来れば、必ず行くでしょう、四国鉄道文化館へ。館内展示、左0系21-141、右DF50 1です(写真)。



 21-141の相方22-141は、英国ヨークの王立鉄道博物館に収蔵されました。



 DF50は電気式DL、制御装置は電気機関車と全く同じです。しかしディーゼル発電機関と電装部品の整備が二度手間であり、メンテナンスフリーのDF200まで主流にはなりませんでした。



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 DF50の前の線路は、軌道自転車体験になっています(写真)。そのまま、駐車場に続いています。



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 西条市郊外のコカコーラの工場には、コカコーララッピングの路面電車、533が保存されます(写真)。阪堺電軌の車両とされます。



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 松山市郊外のレストランには、キユ25 1とされる気動車が、店舗に使用されます(写真)。塗装は変わっていますが、原形をとどめています。



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 松山市中心街、「子規堂」前には、いわゆる「坊ちゃん列車」の客車、「ハ1」のレプリカが保存されます(写真)。



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 その近く、その現在の姿である「伊予電」の本社前には、「坊ちゃん列車」の、1号SLのレプリカが保存されます(写真)。



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 この2両の本物は、梅津寺公園に保存されます。鉄道記念物に指定されているとのこと。



 梅津寺のホームの柵には、ハンカチが多数結びつけられています。昔のTVドラマ「東京ラブストーリー」の、お別れのシーンを撮った場所でした。鈴木保奈美は、ハンカチを結びつけ織田裕二の元を去りました。



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 松山市郊外の医院の駐車場に保存される、ポーター1号です(写真)。フィリピンにて使用されたSLとのことです。



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 間もなく、雨が降り出しました。先が思いやられるなあ、と思ったところ、カメラを出すと小止みになります。内子駅前のC12 231です(写真)。昔は赤字の内子線でしたが、土木技術が進歩した今は、予讃線のメインルートになっています。



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 そのまま八幡浜へ移動すると、快晴に戻ります。同市内の公園には、79642(9600形)が保存されます(写真)。テンダの後は、トラ色(警戒色)に塗られていました。



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 宇和島市内の公園には、C12 259が保存されます(写真)。真鍮が黄色に塗られているのは、少し残念です。



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 そして今日の最後は、宇和島駅前。旧宇和島鉄道の1号SLが、保存されます(写真)。京都市内に、このレプリカが保存されます。



 間もなく日没、今日の滞在先へと移動しました。



 これで、今回の取材の目標の8割を撮影しました。明日、残りを撮って、帰途に就きます。



 それでは、次回をお楽しみに。

South Sea Bubble#1

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は三連休を利用して、四国に来ています。



 例によって昨晩自宅を発ち、神戸から淡路島に入り、パーキングエリアにて仮眠。今朝一番に、隣の車がドアをぶつけて、そのまま逃げ去ってしまいました。朝から、運悪い。しかし予報の雨は、小止みになっている感じで、一安心しました。



 そして鳴門から四国入り。今日の最初は、鳴門駅近くの公園に保存される、C11 66です(写真)。



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 続いて阿南まで行きましたが、空振り。来た道を戻り、国鉄小松島線(廃止)関連、「小松島ステーションパーク」にて保存される、C12 280、およびオハフ50形(資料では272)です(写真)。まずまずの天気で、良い感じです。



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 徳島駅裏手の徳島中央公園(徳島城址)には、68692が保存されます(写真)。徳島駅の横は徳島運転所、その隣で保存されます。しかし、ここまでの防御が必要とは、残念です。



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 続いて藍住町内「阿波っこステーション」には、台車を振り替えた旧式客車、オハ47とされる客車が2両並び、店舗として使用されます(写真)。



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 続いて上板町、「上板歴史民俗資料館」には、スハ43(資料では275とされる)らしき客車が保存されます(写真)が、施設自体運営されているか疑問で、状態はあまり良くありません。



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 そして山を越え、香川県へ。東かがわ市の福栄小学校前には、C11 195が保存されます(写真)。



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 そして海側へ、再び「道の駅源平の里むれ」に来ました。琴電335も変わりありません(写真)。



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 その外縁、房前ノ鼻を、琴電志度線が通ります(写真)。今日も電車が通ります。



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 高松港港湾地区には、オハフ50(資料では180とされる)が保存されます(写真)。サボも、注目です。



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 高松市番町の公園には、C58 12が保存されます(写真)。四国は中勾配が多く、C58とD51が多いのでしょう。



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 高松空港南側の「さぬきこどもの国」には、琴電62が保存されます(写真)。大正2年製、戦前には京急、東急を経て、戦後琴電入りし、国産電車としては現存最古級の車両です。丁度雨が強くなり、難儀しました。



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 62車内(写真)。琴電で鋼体化改造を受け、他の半鋼製電車と同様の内装となっています。



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 運転台(写真)。マスコンとブレーキ弁以外は、後付けであるのが分かります。



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 宇多津町内で予讃線は、瀬戸大橋線関連で路線位置が変わっています。その旧線が通っていたであろう場所の下に、写真のような石積みのアーチが組まれています(写真)。旧岩屋架道橋で、産業文化遺産に認定されているとのプレートが、横に掲示されていました。



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 坂出市内には、C58 295が保存されます(写真)。



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 丸亀市内のショッピングモール駐車場には、阪堺電軌175が保存され(写真)、前後が路面電車用の線路になっています。しかし現在は、倉庫代用となっています。



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 そして今日最後は、多度津駅前の58685(8620形)です(写真)。日没のため、自然光ではVRレンズでもブレ、スピードライトを焚いてもこの程度です。



 そして今日の滞在先に向かいました。



 今は一年で一番日が短い時期、夏場のように7時過ぎまで追い求める、ということはできません。明日こそは、効率的に回っていきたいと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

天気に嫌われて

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「開業25周年記念 一日フリー乗車券」を利用して、愛知環状鉄道を取材しました。



 先週の金曜日は、会合で飲食を。そのため車には乗れず、帰宅し就寝すると、翌日は昼まで起きられず、結局週末を棒に振ってしまいました。それではいけないと、今週は計画を立てましたが、土曜の予報は雨。先週の好天を悔やみました。



 そして今日も起き、岡崎へ。岡崎には、愛環2000系、2104始め2連(G4編成)が停まります(写真)。



 2000系は、愛知環状鉄道が愛知万博の輸送の一翼を担うことから、それに合わせ新造された形式です。JR東海313系をベースに製造され、313系3000番代からワンマン設備を除いたような車両です。この緑のラッピングは新造時のもの、今後消えゆく運命にあります。



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 しかし、手間取る間に列車は行ってしまいました。



 暫くしてから、次の電車、G33編成が入線します(写真)。青帯のステンレスボディ、今後車両はこのように変更されます。



 なお、G30番代の編成(G31~33編成)は元イベント用車両でしたが、現在は通常車両と同様になっています。



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 2233(T’c、高蔵寺方)の車内(写真)。青帯に更新された車両は、シートモケットも青系に更新されています。



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 フリー乗車券は、有人駅のみでの販売で、しかも起点の「岡崎」も、終点の「高蔵寺」もJRの駅であることから、販売していません。そのため、一番近い「中岡崎」までの乗車券を買って行き、同駅で有人改札を通過し購入。すると、購入を条件に、駅までの乗車券分を払い戻してくれます。



 購入し一安心し、駅を外から眺めます。「中岡崎」は、名鉄の「岡崎公園」との乗換駅です(写真)。右手が「中岡崎」、正面左奥が「岡崎公園」です。岡崎城も近く、近辺は桜の名所であり、春には多くの写真ファンが訪れる場所です。



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 2000系、JRなら所属の表記になる場所(「海カキ」などと書かれる)は、元は愛知環状鉄道の社紋だったと思いますが、今は「愛」に変更されています(写真)。



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 「北野桝塚」は、駅としては平凡ですが、下車しました。丁度G5編成とG1編成(2000系初号編成)が、駅北側の車庫に帰庫します(写真)。同駅は北野桝塚運転区最寄駅で、同駅始発・終点電車があり、車両交代も行われる駅で、2面4線の大きな駅です。



 愛知環状鉄道の前身、国鉄岡多線は、北野桝塚の三菱自動車、及び三河豊田のトヨタ自動車の車両輸送のため建設された線で、そのため岡崎~新豊田間が先行開業していました。しかし自動車輸送も他の手段に変わったことから、現在は旅客のみの鉄道です。北野桝塚運転区は、その余剰施設を有効活用したようです。



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 次の高蔵寺行きは、北野桝塚で乗り換え、始発です。旧ラッピングのG10編成が出発を待ちます(写真)。



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 2210の車内(写真)。外観の緑色のラッピングに合わせ、シートのモケットも緑系です。しかし、この内装も、外観とともに消えゆく運命にあります。



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 発車して間もなく左手に、北野桝塚運転区が見えてきます(写真)。左から、G31編成(奥)、G11編成、G15編成です(写真)。



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 続いて、G51編成、G3編成、旧ラッピング車(番号不明)、G33編成、新ラッピング車(番号不明)、右奥にG5編成が停まります(写真)。後には、検修庫が見えます。



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 そして、「三河豊田」へ。トヨタ自動車本社前、かつては引き込み線もあったであろうものも、現在は1面2線のみの配線で、2面4線の用地があるものの準備工となっています(写真)。



 なお平日朝には、同駅と豊田市中心街にある「新豊田」との間に、専用シャトル列車が走ります。



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 次は「新上挙母」、この辺りで名鉄挙母線(廃止)跡地から離れ、新線区間になります。名鉄「上挙母」からは、徒歩500メートル程です。



 その次は「豊田市」、百貨店「そごう」と入れ替わった「松坂屋」があります。丁度昼時で、昼食にハンバーガーを買いました。



 続いては「愛環梅坪」、名鉄豊田線及び三河線の「梅坪」からは少し距離があります。



 暫く人口希薄な田園風景の中を走ると、「八草」に到着。ここも元は一ローカル駅でしたが、万博輸送の中心「リニモ」が接続することから拠点駅となり、駅前には長久手会場、瀬戸会場行きのシャトルバスターミナルもありました。万博終了後駅前は一時閉鎖され、再整備が行われ、現在に至ります(写真)。右手が愛知環状鉄道、正面上部がリニモで、丁度停まっているのが分かると思います。



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 八草からトンネルを抜けると「山口」、瀬戸市に入ります。



 その次は「瀬戸口」、平日早朝の中央線乗り入れ列車の始発駅で、有効長10両のホームを有します。駅北側には保線基地があり、モーターカーなどが停まります(写真)。



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 続いて、「瀬戸市」、瀬戸市中心街最寄り駅で、名鉄瀬戸線「新瀬戸」乗換駅です(写真)。左手高架が「瀬戸市」、正面地平左右に「新瀬戸」があります。なお、「瀬戸市」も2面4線で設計されていたらしく、高架に外線の準備工が施されています。



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 同駅に、G52編成が入線します(写真)。同編成は、2000系50番代に区分されます。



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 同編成T’c、2252の車内(写真)。G51、52編成は、性能的には他の車両と同じながら、豊田市~三河豊田間シャトル列車に主に使われることから、ロングシートに設計変更されています。当初から青帯で落成しており、他の編成はこれに準じ外観、内装を変更しています。



 「瀬戸市」から2駅で、下り終点で上り始発である「高蔵寺」1番線に到着。ここは、春日井市です。



 そして、帰宅しました。



 今日逢ったファンも言っていましたが、愛知環状鉄道(通称「愛環」)は、時々しかフリー切符を出さないので、今回のチャンスを逃すと、次回は何年後かになってしまいます。来週以降は予定が目白押しで、今日行くのはやむを得ない判断でした。



 今日は、最後には晴れましたが、朝のあの雨は、一体何だったのでしょうか。私もカメラもずぶ濡れで、最悪でした。本当に、D800は雨男のようです。しかも使うには、相当の腕が要りそうだなあ!



 それでは、次回をお楽しみに。

再会(後半戦)

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「2012 東武ファンフェスタ」を取材しました。



 昨日の「ひたちなか」から移動し、今朝は南栗橋へ。非常に寒く、ベッドが恋しい夜でした。そして会場へ。シャトルバスは9時から運転され、既にスタートダッシュに遅刻しました。



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 先ずは、運転台見学を行っていた10030系、11433からです(写真)。東武がビードステンレスボディを採用した最初の系列です。そのタイプ車10000系は昭和60年代にコルゲートステンレスボディで、名古屋市3000系(昭和50年代製)は保守的と書いてしまいましたが、東武はウルトラ保守(「反動」とは言ってはいけない)です。まあ、減価償却期間の13年ばかりではなく、車両寿命を全うするよう願うのみです。



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 間もなく工場ではリフティングが行われます。11632がジャッキに乗り、門形を下ろす準備ができています(写真)。東武南栗橋工場は、40トンクレーンが2基あり、近鉄五位堂(1基)より規模が大きく、私鉄最大級です。正に、東武の車両保守の中枢です。



 この前にはモーターが並び、時代の変遷を感じます。その左には、パンタグラフ等各種部品も陳列され、非常に興味深いものでした。



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 クレーンは、梯子で運転士が登る、運転席が内蔵されたクレーンではなく、無線操縦も可能なリモコン式で、作動モードでパトライトが回転します(写真)。



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 方向は、近鉄五位堂なら「上本町」「宇治山田」ですが、東武は「浅草」「日光」です(写真)。通常の天井クレーンの場合、実際の方角に拘らず、東西南北を充てます。





 その動画です。1回の実演では、ワンウェイで、台車入れは反対側でした。



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 料金不要の長距離列車「快速」(急行「りょうもう」廃止後は、「急行」より格上の列車となっている)用、6050系6257が並びます(写真)。相方6157も隣に停まります。同系には、ボディのみ新製のリサイクル車と、完全新製車があるのだそうです。また、野岩鉄道所属60100番代3編成6両、会津鉄道所属60200番代1編成2両も存在し、検車は南栗橋で行います。



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 入口横南側の休憩車両には、10030系2連が2編成つなぎ4両が充てられます(写真)。



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 撮影会は11時からと書かれ、遅いなあ、と思っていると、11時まではツアー客の優先撮影会で、その後で一般撮影会、とのことでした。有名なN氏はやはり優先客になっており、行き違いました。



 撮影会を待つ間に、側方には一般営業車が並びます(写真)。左から30000系31615始め6連、10050系11662始め6連、50050系51063始め10連、同51068始め10連(50050系最終編成)、同51057始め10連、同51055始め10連です。50050系もこれだけ並ぶと、壮観です。



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 そして、40分待ち、撮影会にありつきました(写真)。左から8111始め4連(リバイバル塗装、8000系旧スタイル動態保存車)、8148始め6連(8000系リニューアル車)、1819始め6連(1800系最終編成)、101-1始め6連(100系特急「スペーシア」)、251-1始め6連(250系特急「りょうもう」新製車)、11606始め6連(10000系)、31402始め4連(30000系)です。



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 8111は、貫通路の系統板入れに、「船橋~南栗橋」が入ります(写真)。もう一回り大きいイメージだったのですが、記憶違いか。



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 1819は、有料急行時代の「急行 りょうもう」を掲出します(写真)。1819編成は他の1800系から遅れて新製された関係で、ローカル化改造、後の300系・350系へのリサイクル対象とはならず、現在も急行形のままで、団臨等に使用されます。



 そして15分で入れ替え、撮影会を終えました。



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 工場横には保線機械が並びます。この機械には、バラストスイーパーと書かれます(写真)。バラスト交換用の機械のようです。



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 そしてマルタイです(写真)。実演もありましたが、それは私の撮影会の最中で、次回は午後2時であったため、動画は断念しました。



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 工場横通路には、「電気検測車」と書かれた軌陸車が停まります(写真)。2台停まり、運転台記念撮影も出来ました。



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 再び工場へ。8605始め2連が、停まります(写真)。8000系「40周年記念」が掲出され、方向幕は東上線の駅「池袋~志木」を掲出します。



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 そして塗装職場には、車両の色見本が並びます(写真)。



 模擬店には、「トミーテック」と「栗橋商工会」が並びます。当然そうなれば並ぶのは「栗橋みなみ」(鉄道むすめ)です。個人的には、「但馬みえ」が良いと思いますが、そんな話を書くのは、ロリの気があるのでしょうか。失礼しました。



 これで大方撮ったと思ったので、車に戻り、帰宅しました。駐車場で、車の鍵が掛かっていなかったのに気づき肝を冷やしましたが、紛失は何も無く、やはりここは日本でした。



 帰り道、高速を走る車が少ないなあ、と思いましたが、もし現在も1000円高速が続いていたら、まず間違いなく笹子トンネルでの被害に遭っていたでしょう(東名では1000円高速のメリットがないのです)。あな恐ろしや。



 東武8000系は、通学に使っていた懐かしい系列で(民鉄最多両数を誇る系列でしたから、当然といえば当然ですが)、当時はセイジクリーム一色で、装備された方向幕を使うことなく、系統板で行先を掲出していた記憶があります。後に白地に青帯の塗装に塗り替わり、系統板も止め、イメージが一新してしまいました。いざ懐かしの顔が無くなるのだと思うと、少し寂しかったのですが、8111はこのまま動態保存とのことで、また再会できました。記憶は、残ります。



 それでは、次回をお楽しみに。

再会(前半戦)

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「ひたちなか海浜鉄道」の、「湊線開業99周年祭」を取材しました。



 例によって昨晩自宅を発ち、向かったのは勝田。JR勝田駅から、「ひたちなか海浜鉄道」は出ています。本日限定の1日乗車券(大人500円、子供250円)を買い、ホームに向かいます。間もなく、発車の時間となりました。



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 最初に乗ったのは、ストロークリームに赤帯の、キハ2004(昭和41年新潟鐵工所)です。その車内(写真)。木製の床、正に国鉄制式キハ20系と同じです。



「1kiha2004.wma」をダウンロード



 キハ2004の、那珂湊からの添乗音です。木製床を抜けるエグゾーストノートです。



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 そのままメイン会場の那珂湊を過ぎ、最初に第2会場の阿字ヶ浦へ。赤のツートン、キハ205が先頭です(写真)。



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 阿字ヶ浦は、イベント開催用に各種の装備が施されています(写真)。晴天だったら、最高だったのですが。



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 駅務室の場所には、ジオラマ等各種の展示が並びます(写真)。模擬店では、「那珂湊焼きそば」が、数量限定ながら無料配布されました。雨なのが、本当に残念。



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 そして相方のキハ205に乗車。その車内(写真)。元水島臨海鉄道の車両で、床はリノリウム張りであり、またドアが中間部にあり、暖地形なのが分かります。しかし、ベースは同じキハ20です。昭和40年帝車製です。



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 そしてメイン会場の那珂湊へ。上りと下りの本線の間の中線に、元三木鉄道のミキ300-103、キハ222、散水車、モーターカーが停まります(写真)。



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 キハ222は、休憩車両として停まります。その車内(写真)。同じキハ20系ながらベースが北海道用のキハ22で、ドアは運転台直後に寄り、運転台は旋回窓になっています。青のツートンに塗られますが、おそらく元羽幌炭砿鉄道の車両と思われます。昭和37年富士重製です。



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 ミキ300-103も同様で、制服記念撮影、及び子供塗り絵の会場でもあります。その車内(写真)。ほぼ三木鉄道当時のままで残ります。



「2miki300-103.wma」をダウンロード



 ミキ300-103は、エンジンが掛かっていました。その外からの録音ですが、風切音、雨の音で消えかかっています。



Kitkp10



 那珂湊駅(写真)。「ひたちなか海浜鉄道」は、元は「茨城交通」であり、鉄道のみ第三セクター化されました。そのため、同駅は現在も、茨城交通バスの基地になっています。



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 そして旧式気動車は、1両増結され3連に。那珂湊から再び乗車し、阿字ヶ浦で捉えます。急行「きのくに」形のヘッドマークを、増結された急行色キハ2005が掲出します(写真)。



「3kiha2005.wma」をダウンロード



 続いてキハ2005のエグゾーストノートです。これも那珂湊から一駅間です。



「4kiha205.wma」をダウンロード



 戻り道はキハ205に乗車。その添乗音です。リノリウムは音を通さないのか、しかしエンジン点検蓋及び排気筒があります。



 そして再び那珂湊に戻ったものの、雨が激しくカメラはずぶ濡れ、そのため那珂湊名物を撮るのは断念。苦々しい思いを残し、勝田に戻りました。



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 そして勝田から車に乗り、高速に乗ると、分岐する高速は、帰途にもかかわらず「ひたちなか方面」と書かれます。給油し、昼食を摂っている間に天気が晴れてきて、先ほどの心残りを、思い出してしまいました。結局高速を途中で折り返し、再び那珂湊近辺へ来てしまいました。



 那珂湊駅西側踏切は、車両通行が不可能であったため、手前に車を停め、駅裏の車庫の方へ徒歩で移動します。すると、左からケハ601(銀色のダルマ)、キハ20 425(朱色)、キハ202及び204の2連(水島臨海鉄道色)が停まります(写真)。キハ20以外は、運用を離脱しています。



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 ケハ601(写真)。私の自画像であり、足回りを無くしたダルマというところが、今の私そっくりです。久しぶりに、再会しました。



 「茨城交通」は、日本各地からキハ20系同型を収集し、部品取り用も含め多数並んでいました。さながら「キハ20系博物館」でした。大半は「ひたちなか海浜鉄道」に継承され、イベント用に動態保存されます。このクラシカルな気動車も、整備は非常に困難だとは思いますが、どうか動く限り残して欲しいと思います。



 今日は、イベント開催中は雨で散々でしたが、後で晴れ、本懐を遂げました。本当に、意地悪な雨でした。



 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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