順位転落

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名鉄600V区間を取材しました。




 昨日は会社の飲み会で、昼から酒を。夕方には帰り、夜には醒めてしまいました。しかし取材する訳にもいかず、家で鉄道DVDを眺めていました。そこで見たのが、「モ510の走る日」という、某誌の付録DVDで、まだ名鉄600V区間が健在であった当時に、大正生まれの名車、モ510形を黒野から新関まで走らせるという映像でした。それを見てしまったので、今日は岐阜に行きたくなってしまいました。そこで、今日はその痕跡を辿るべく、愛車に乗り、先ずは美濃市駅跡に行きました。




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 車を駐車場に停め、先ずは外観を(写真)。駅舎だけはそのままでした。




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 入口左には石碑が建ち、その側の壁には文化庁の「登録有形文化財」のプレートが設置されていました(写真)。




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 駅舎の中は、以前は色々な物が置かれていた記憶がありますが、今は空いています。中で活動していた業者が撤退し、荷物を片付けたからのようです。




 そして改札を抜け、中に。3番線には、モ593が入ります(写真)。路面電車形の車両です。




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 運転台の様子(写真)。計器は少ないです。




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 2番線にはモ512(写真左)、1番線にはモ601(写真右)が入ります(写真)。




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 モ512の運転台(写真)。大正時代の製造、こちらも計器は少ないです。少し運転席が狭い感じがします。




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 モ610の車内(写真)。貫通路も装備され、狭い運転台に所狭しと並びます。屋根上も狭く、複電圧装備に冷房装置追加と、ぎっしりでした。




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 元札幌市電の連接車で、後に名鉄に入線した、モ870の前頭部がホームに置かれます(写真)。1番線の反対もホームがあったような形ですが、土盛りは崩れています。そのため、ここしか置く場所がありませんでした。鼻先の2灯式ヘッドライトが、札幌市電の特徴です。




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 そして線路跡を辿り、「関」経由で「新関」駅跡へ。「新関」は、駅としての役目は終えましたが、バスターミナル及びタクシー乗り場としては残っています(写真)。




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 新関からの道路は、旧線をつかず離れずですが、川を渡る辺りで一旦離れます。そしてバイパスが旧道から分岐する辺りで再び合流し、旧道に沿って走ります。そして併用軌道になり、徹明町に向かします。少し進めばモ512を保存する金神社、そのまま真っ直ぐで岐阜の中心街を通ります。




 そして国道に沿い右折すると、間もなく忠節橋です。その坂を下りると、忠節駅跡ですが、線路跡は駐車場に、駅跡はスーパーになり残っていません。




 そのまま進むと、国道が通行止めで通れないので、回り道をします。




 そして黒野へ。黒野駅跡は整備され、「黒野レールパーク」になっています。駅舎は「黒野駅ミュージアム」になっています(写真)。




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 改札の跡を抜けると、駅跡は公園になり、2・3番線ホームが残り、オブジェとなっています(写真)。1番線と線路の跡は、駐車場となりました。雰囲気は、それなりに残っています。




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 車庫線の跡には、遊具がいくつか置かれます。一番大きい遊具(写真)。「黒野」の駅名標と、モ513をイメージした、丸窓のプレートが特徴です。




 線路跡は遊歩道になっており、未だ残る鉄橋の手前まで舗装され、本揖斐方の鉄橋は塗り直され、今後整備されそうな雰囲気です。谷汲方は、レールと枕木が無い状態で、バラストがそのまま残ります。




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 そして谷汲へ。駅跡は、「谷汲昆虫館」が目標です。駅舎は、今も残ります(写真)。




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 駅には、電車が2両保存されます。1両は、モ755です(写真)。ロングシートの電車で、黒野以遠部分廃止時に設置されました。




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 もう1両は、モ514です(写真)。600V区間全廃時に、設置されました。




 しかし、時間的に遅かったために、車内の見学は出来ませんでした。




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 最後は、揖斐線終点の、本揖斐駅跡です。駅舎は残っていませんが、当時からある公衆便所が、未だ解体されずに残ります(写真)。確かに、解体が難しそうな構造物です。




 養老鉄道の終点「揖斐」と、谷汲山華厳寺を結ぶバスは、途中「本揖斐」にも寄りましたが、現在はこの東方の線路跡に転回できるバス停が設置されたため、この位置には停まりません。




 そして、帰宅しました。




 かつて名鉄は、日本で2番目の路線延長を誇る私鉄でした(勿論、1位は近鉄です)が、これら600V区間を全廃した結果、その地位を東武に譲ることとなりました。確かに、採算性が低く、地元の人も乗らないという鉄道になっていたようですが、何とか生きのびる道は無かったのか。自動車は便利、それに対するアドバンテージが無くなってしまった、ということでしょう。ノスタルジーだけでは生きていけず、残念です。せめて、これらの痕跡が、今後も残るよう祈るのみです。




 それでは、次回をお楽しみに。

Run About

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、北陸本線旧線を取材しました。




 昨日は遅かったとは思いませんが、今朝は休日だと思ってしまい、平日なら効果がある目覚まし時計が効かず、結果寝坊を。平日に寝坊するのは社会人失格ですが、まあ良いか、とそのままかなり遅くまで寝てしまいました。




 仕方が無いので車に機材を積み込み、今日もあてもなく車を転がします。大垣から関ヶ原、伊吹と抜けると、そういえばあの看板が気になったなあ、と思い、木之本から北上。北陸線が余呉から深坂トンネルを目指し西に曲がるのに、道路はまっすぐ北上します。間もなく、その看板の場所に到着(写真)。「中之郷」駅看板、左は「柳ヶ瀬」、右が「木之本」と書かれ、これは北陸本線旧線、深坂トンネル開業後に「柳ヶ瀬線」というローカル線になったものの、結局廃線された路線です。ここが駅の跡のようです。




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 道路を見ると、この部分はホーム跡のようになっています(写真)。この手前では、一般道路をオーバークロスする場所もあり、確かに廃線跡のようです。




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 そして柳ヶ瀬の集落を過ぎると、国道が左に分岐し、県道が右に分岐、その先で国道をアンダークロスします。その先には信号があり、その先はトンネルです(写真)。「柳ヶ瀬トンネル」です。単線鉄道用であったため、片側交互通行となっています。




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 反対の出口には、石碑が建ちます(写真)。このトンネルの記念碑です。




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 その横には、「近代産業化遺産」のプレートが飾られます(写真)。このトンネルは明治17年に完成し、現在使用中のトンネルとしては2番目に古いとのこと。このトンネルの開通で、北陸から関西まで約90日~半年かかった輸送が、3日に短縮されたとのことです。




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 少し進むと、道路トンネルに向け、道がカーブします。後を見ると、「敦賀市指定文化財 小刀根トンネル」との看板が立ちます。振り向くと、桁橋の向こうに石積みの古いトンネルが見えます(写真)。これも北陸本線旧線、後の柳ヶ瀬線のトンネルです。左には、石柱及び解説看板がありました。ここから柳ヶ瀬方面に砂利道が続いており、トンネルの反対側出口まで行きましたが、その先まで行く勇気はありませんでした。




 そこから少し行くと国道8号線に合流、更に少し下ると疋田で、新疋田駅近くで現在線と合流します。旧線に「疋田」駅があったため、それとは場所が違う現在線の駅は、「新疋田」駅になります。




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 敦賀に行き、気比神社で右折。間もなく右手に北陸本線現在線が見えてきます。現在線が北陸トンネルに入ると、国道は左に曲がります。国道獺河内トンネル少し手前に、国道は切り通しになっているものの、その横にトンネルがあります(写真)。煉瓦積みの古いトンネルで、サイズは鉄道用の大きさ、これは旧線のトンネルと思われます。中にはガス灯風の照明が設置されていますが、使用されていません。




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 そして葉原の集落で国道は右に曲がります。交差点隅に、簡単な「北陸線旧線」という看板が立ち、そこを曲がると、旧線を利用した道路が生活道路をオーバークロスしていました。




 その道に沿って移動すると、間もなくトンネルがあり、信号があります(写真)。これは北陸本線旧線の葉原トンネルで、これも片側交互通行です。




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 そしていくつものトンネルを抜け、登っていくと、長いトンネルの先が開けています。杉津越えのサミット、山中峠です(写真)。ここから、道路は下り勾配になっています。




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 トンネル南側には、草生した道の向こうにトンネルがあります(写真)。この位置にあった、山中信号場の引上線のトンネルで、貫通していないトンネルです。




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 「山中信号場」が、ここにあった、という看板(写真)。この部分は道が少し広くなり、停車が可能です。




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 この位置から、写真右の道路が旧線跡で、写真左の林道らしい草生した道路が上り引上線です(写真)。引上線奥にシェッドがあるとのことですが、草が深く入ることが出来ませんでした。



 また、この少し敦賀寄りの林道が下り引上線で、入った後に先ほどのトンネルの引上線までバックするので、大規模な施設であったことが分かります。




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 本線跡の道路にも、当時のものと思われるシェッドがありました(写真)。




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 そのまま一定勾配で下り、集落の中を高い盛土で通過します。集落の外れに「大桐駅」の看板があります(写真)。ホーム跡のようです。




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 そのままの勾配で下ると、現在線が見えてきます(写真)。南今庄です。この数百メートル手前が北陸トンネル出口、ここで合流と思われます。




 そして、来た道を戻り、帰宅しました。




 たしか、ここは数年前にも取材した気がします。当時はまだ485系もありましたが、今は681系、683系のみで、少し寂しいです。やはり、いつまでも古い車両は残ってはいません。時代の移り変わりを、きちんと記録しましょう。




 ここ暫くは、「あても無い」と言って、結局はブログネタを撮っていました。しかし、今日は一番小さいミラーレス1台のみで撮りました。2年前のモデルですが、写りも良いでしょ!メモなら、十二分です。




 それでは、次回をお楽しみに。

The Bridge

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、木曽川、揖斐・長良川に架かる橋梁を取材しました。




 明治時代、官線の東海道本線と名阪間で競争をした、私鉄「関西鉄道」。ある時は、名阪間の3等車の料金が、弁当付きで弁当より安いという、いわばダンピングまでしましたが、結局「鉄道国有化法」で国有化され、関西本線になりました。




 時代を下って昭和、関西本線の木曽川橋梁、揖斐・長良川橋梁は新しい橋が架かりました。その余剰となった旧橋梁を、伊勢鉄道が払い下げを受け、後に同鉄道は近鉄に併合され、近鉄名古屋線となりました。




 しかし、近鉄は標準軌、名古屋線は狭軌で、直通運転をすべく昭和30年代に軌間変更の準備を行い、木曽川橋梁、揖斐・長良川橋梁は架け替えられました。ちょうどその時期に、神戸の地震が起きるまで戦後最大の災害であった「伊勢湾台風」の被害を受け、名古屋線は不通となりました。その際に、当時の近鉄の社長が英断を下し、復旧工事に併せ軌間変更工事を同時に行うこととなり、僅か10日ほどで工事は完成、災害復旧とともに名阪直通が可能となりました。




 今日は、目的も無く車を転がして、中堤を通れれば良いなあ、程度に思っていましたが、ちょうど木曽川橋梁の袂に来てしまい、機材も車を停めるスペースもあったので、つい構えてしまいました。




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 関西本線の旧木曽川橋梁は、現在の橋梁の北側にありました。そのため、それまで関西本線の南側を走っていた当時の近鉄は、関西本線を乗り越す必要がありました。その、乗り越した跨線橋の残骸(写真)。この位置で跨ぎ、北側に入り、旧橋梁へと渡っていきました。




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 跨いだ後の木曽川堤の取り付け部には鉄道橋の残骸は無く、そこそこ新しい鉄桁橋が架かります(写真)。しかしこの部分は、現在国交省の河川管理用の通路で、手前にゲートがあり、一般車は入ることができません。もし入ったら、後知ーらない!




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 木曽川の反対側は、三重県です。国道1号「尾張大橋西」で北上すると、丁度鉄橋の南側に入ります。そこから細い道を行くと、近鉄の北側、JRとの間に、盛土の山が見えます。その間に、写真のようなコンクリート構造物が見えます(写真)。単線用の橋脚で、これが関西本線を乗り越した近鉄の遺構と思われます。




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 そして、JRの北側に一旦入り、進むと、ボックスカルバートがあり、そこを通ると、正面に盛土と、桁橋が架かっていた跡が見えました(写真)。この盛土は、近鉄長島に向け勾配をつけ下っていました。




 なお、この場所は工場のヤードになっており、平日に行ったら、多分怒られます。




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 そして木曽川側に戻り、木曽川橋梁を眺めます(写真、緑色がJR、その後のグレーが近鉄)。水面をよく見ると、反射材の張られた柱が立っていますが、これはこの位置に旧橋梁の橋脚跡が残り、水面下は撤去が難しいことから、橋梁下を通過する船舶等に航行不能を知らせるための柱です。つまり、旧木曽川橋梁は、残骸がまだ残っているのです。




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 国道に戻り、伊勢大橋西で北上。遺構を探すと、「長島自動車学校」の北側の桁橋の南側に、写真のような遺構が残っています(写真)。橋台で、この部分を跨ぐ桁橋があったことが分かります。これは近鉄の少し南側で、旧線がこの位置にあったことが分かります。




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 長良川沿いに戻り、揖斐・長良川橋梁の南側に、写真のような橋台があるのを発見(写真)。上の方はコンクリートで固められていますが、中間から下は煉瓦で、東西方向と南北方向の交互に積まれているのが分かります。煉瓦の色、サイズは、他の関西本線施設・遺構に用いられる煉瓦と同じで、恐らく明治期の「関西鉄道」時代に建設された遺構であると思われます。




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 そして国道1号に戻り、中堤交差点を右折しようとしましたが、中堤、及びその次の伊勢大橋西は(7時から19時まで)右折禁止です。この右折が伊勢大橋、ひいては桑名市の渋滞の元凶で、新橋梁が架かるまで解決を見ないでしょう。




 伊勢大橋西を北上すると、揖斐・長良川橋梁の西側に出ますが、近辺は写真の通り新しいコンクリートに固められており(写真)、遺構は盛土以外残っていません。




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 そして、伊勢大橋を東に向かい、念願の中堤へ。西側の揖斐川と、東側の長良川とを仕切る堤で、北に進むと薩摩藩が建設した「千本松原」、その近辺は「輪中」地帯です。




 途中に、車を停めます。左側に、揖斐・長良川橋梁が見えます(写真、揖斐川側、手前が近鉄の橋梁)。近鉄の橋梁の南側にも先ほどのような柱があり、ここにも橋脚の遺構が残っているのが分かります。




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 その場所から、右側を眺めます(写真、長良川側)。こちらも同様に遺構がある筈ですが、柱は見当たりませんでした。




 そして、帰途に就きました。




 昼過ぎから始めた取材で、少し短いものとなりました。まあ、休載しなかったことをもってよしとしましょう。




 それでは、次回をお楽しみに。

The Tubes

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、名古屋市営地下鉄関連を取材しました。




 レンズの修理を終え、早速試そうと思ったのですが、昨日は午後から雨とのことで、結局電車の写真を撮らずに終わってしまいました。そして別館ブログの投稿を終え、酒をあおって寝てしまいました。そのため、今朝は多分寝坊するだろうと思っていましたが、意外と早く起きてしまいました。そこで、朝早く起きたら、早起きしか撮れない写真を撮ろうと思い、家を出て、地下鉄を平安通へ。平安通から上飯田線、そのまま名鉄小牧線に入り、車両ウォッチ。何と1本前が、名古屋市7000系で、途中で、少しだらけたのを悔やみました。




 そして、その列車が再び犬山に戻る時刻を見計らって構えると、やはりやって来ました、名古屋市7000系7101Fが(写真)。今日最後の運用です。




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 そして犬山駅3番線に据え付け(写真)。子供が入ってしまったのは、ご愛敬。




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 間もなく、犬山検車区に帰庫すべく、行先を「回送」にして、入換信号を待ちます(写真)。




 そして、帰庫しました。




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 1番線の向こうの側線には、211Fが入ります(写真、241始め6連)。地下鉄鶴舞線乗入用車両、4ドア6連は、100系、200系のみです(小牧線300系は4ドアながら、4連である)。




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 犬山線柏森1番線は行き止まりの線で、通常100系が停まっています。今日は100系111Fが停まっていました(写真、141始め6連)。100系は、113Fまでリニューアルと全VVVF改造が完了しました。




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 そして特急に乗り岩倉へ。岩倉では、115Fが通過待ちをしていました(写真、115始め6連)。これに乗車します。




 西春で空港準急に抜かれ、またしても通過待ちです。




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 115には、「ローレル賞 1980」のプレートが貼られ(写真)、もう30年以上使用されているのが分かります。確かにデコラ板も汚れが目立ち、車内のリニューアルが必要な感じはします。




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 そして上小田井で下車。次の撮影を始めます。




 間もなくN3000系初号車、N3101Fが、引上線から入線します(写真)。日立製”A-Train”、アルミ車体となっています。




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 据え付け完了(写真)。定時に発車、このまま赤池駅から日進工場に帰庫したと思われます。





 その、出発の動画です。電装品も日立でしょうから、日立製VVVFインバータの、現在の姿というべきでしょう。




 来週中(平日)に、N3000系の新車が、日車豊川工場から甲種輸送されます。私は仕事があるので、勿論撮影は不可能ですが、行ける方は、調べてみてはどうでしょうか。しかし、同形式ながらステンレス製であると思います。




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 先ほど柏森に停まっていた111Fが、上小田井鶴舞線ホームに入線。このまま豊田市行きになるようです(写真)。





 全VVVF化が完了した、111F出発の動画です。




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 暫くすると、こちらも全VVVF化が完了した、112Fが入線します(写真)。動画は、少々お待ちを。





 こちらもVVVF化完了、112Fの出発の動画です。リニューアルが終わる頃に、旧式制御の動画を撮って、昔はこんな音がした、と懐かしむことになるのでしょう。




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 今日はN3101Fを撮ったので、あとは3101Fか、3159Fか、N3102Fでも撮れたら、と思いましたが、鶴舞線は平日に比べ休日は輸送量が格段に減ってしまうので、残念ながらいずれも撮ることができませんでした。唯一、3050系追加製造で最終編成となった、3160Fが岩倉行きに入っていました(写真)。再び同編成が上小田井に戻る姿を撮りたい、とは思いましたが、忍耐の限度を超え、断念しました。




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 今日の最後は3000系、3110Fです(写真)。そのうち、「チョッパ制御」っていうのが、あったんだって、という話になりそうなので、動画を撮る必要もあるのですが、やはり代表的な車両でないと、意味が無い気がします。




 そして帰途に就きました。




 東山線5000系は、朝ラッシュに2分間隔で走り、多分酷使したのでしょう、かなり足回りが傷んできている感じです。それを名古屋市は知っているのでしょう、N1000系は11番が入線、1年ほどで倍増しました。それを思えば、まだ鶴舞線3000系はしっかりしていますが、経年30年、そろそろ心配になってくる時期です。緩やかですが、確実に置き換えは進んでいくので、注視していきたいと思います。




 基本的には上飯田線7000系と、鶴舞線N3000系は、早起きにしか微笑みません。休日も寝坊することなく、撮りに行きたいと思います。




 それでは、次回をお楽しみに。

赤い電車の通る道#6

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、再び名鉄瀬戸線を取材しました。



 電車を撮るのですから、本当は電車で行かねばならないところ、車を使いすぎ、整備を必要としていました。そして保安部品を交換したのは、昨日。すぐに慣らし運転をし、今日も出発しました。



 行ったのはいつもの場所。三脚を組み立て、カメラをセットする最中に、早速赤い電車が。目的の名鉄瀬戸線6000系、6035F6235始め4連が通過します(写真)。不意打ちですが、仕方ありません。



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 2本後は、同じ6000系、6031F、6231始め4連です(写真)。大体準備はできていましたが、微妙な調整が気に入らず、再挑戦です。



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 新製間もなく眩い、4000系4015F4115始め4連が、通過します(写真)。置き換えのスピードが加速し、瀬戸線6000系は風前の灯火です。平成24年度に入ってから数えると、7編成目です。お別れ会は、この秋になるのでしょうか。





 その動画です。試運転を終え、営業運転に入ります。



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 今日は4001Fは運用に入っておらず、4002Fが入っていました(写真、4102始め4連)。



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 平成24年度新製、4011Fです(写真、4111始め4連)。



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 何本か行き過ぎ、ついに再会です、6035Fです(写真)。まあ、この程度か。





 この編成の動画は、何回目の掲載でしょうか。6000系としては多く運用に入る編成です。



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 その次は、6031Fでした(写真)。これを撮ったので、帰っても良いかなあ、と思いました。





 その動画です。急行運用に就きます。



 片付けを終える頃に、河川管理の作業車がやって来て、通すように言われます。しかし、出て行く方向に停まってしまい、出たくても出られず、通りたくても通れなくなってしまいました。まあ、車でここへは来ない方が良いでしょう。



 車の整備を終え、これで復調、と言いたいところですが、先日水没で故障したレンズを、引き取ってこねばなりません。修理代は痛いですが、新規購入を考えれば、まだ安い。今後とも、あまり酷使しないように気をつけたいですが、しかし全天候が売りですから、ある程度は仕方ないのか。無理しない程度に続けたいと思います。



 それでは、次回をお楽しみに。

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Author:Seichiro
電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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