支障あり

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の取材、柏原からお届けします。


 先週の星の話から、夜は気になって見ていますが、金曜の晩の道の駅の夜空は快晴で、例の星は見えそうでしたが、時間が遅く沈んでしまったようで、残念でした。


 そして、土曜は、設営中にEF66 125牽引貨物が通過(写真)。出端です。


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 これも途中での一枚、EF200-20牽引貨物列車です(写真)。フル出力を出すことなく、JR形電機で初の全廃となりかけています。要注目です。


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 「大阪しなの」亡き後の、大阪発JR東海形は、高山行き「ひだ25号」のみです(写真)。キハ85系、以降のJR東海のスタンダードを築きました。


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 JR東海普通、313系6+2連です(写真)。


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 金沢行き特急「しらさぎ3号」が通過します(写真)。JR西日本681系です。


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 名古屋行き特急「しらさぎ4号」です(写真)。やはり、683系は1編成のみ、なかなか難しいです。


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 その1時間後、「しらさぎ5号」です(写真)。


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 EF210-140牽引下り貨物です(写真)。妙に列車が少なく、異変に気がつきました。


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 「しらさぎ4号」の2時間後、特急「しらさぎ6号」です(写真)。


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 EF64 1025が、単機で西へと向かいます。岡山で、伯備線運用に就くためでしょうか。


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 EF66 123牽引上り貨物です(写真)。列車が、明らかに間引きされています。


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 この日は天気がイマイチで、結局背景の伊吹山が、この程度しか見えず、残念でした。


 列車がいつもより少なかったのは、東海道本線で踏切支障があり、一部運休があったからとのことでした。有料特急は、ほぼ時間通りでしたが、普通列車は少なく、311系も投入され運転を確保していました。しかし貨物は通れなかったらしく、時間がぐちゃぐちゃで、列車番号はよく分かりませんでした。正直「釣果なし」の感が強いです。


 こんな感じで昨日は終わり、また星巡りをしてしまい、結果今日の投稿となりました。やはり、カノープスは難しいようです。


 それでは、次回をお楽しみに。

老人星

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、愛知県北設楽郡設楽町田口に行きました。


 かつて三河田口までは、「鳳来寺鉄道」、後に一部国有化され飯田線に編入後、残りは「豊橋鉄道田口線」となり営業しましたが、災害等があり廃止となりました。鉄道ネタとしては、それがそうです。


 本来は、昨晩「星空観察会」があり、その関連で出掛け、ただ時間があったので、その前に少しお小遣いを稼ぎました。


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 久しぶりに昼間のドライブとなった昨日、豊田経由で山中に分け入ります。


 そして会場、奥三河総合センター前には、「田口鉄道」14が保存されます(写真)。「三河田口」の駅名標も保存されます。


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 下り方先頭(写真)。「清崎(三河田口)」を表示します。


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 上り方先頭(写真)。飯田線からの分岐駅で、始発の「本長篠」を表示します。


 本長篠駅は飯田線ホームが2,3番線ですが、これは駅舎前の1番線が田口行きだったからです。同駅には、田口線のスロープも残ります。


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 台車は、代表的な「イコライザー台車」で、前後のイコライザーが特徴です(写真)。


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 キャブ(写真)。路面電車並みの、簡易な装備です。


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 時間があったので、田口の中心街から下り、三河田口駅の方向に行きます。


 田口の中心街は台地の上ですが、鉄道がそんなところへ登れるはずが無い。駅は、少し下った、川沿いです(写真)。基礎が見えています。


 私鉄廃線跡を巡る、京阪電鉄役員の鉄道ファンが書いた本があるのですが、その取材時、平成に入っても、潰れかかった駅舎を見ることが出来たそうですが、その取材が原因か、現存しません。


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 線路跡は、清崎に向け続いています(写真)。現在は町道となっていますが、カーナビにも登録が無い道路で、強行は断念しました。


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 山側には、擁壁が残ります(写真)。ここに人工施設があった証拠です。


 話によると、ここから上流には森林鉄道が続いてとのことですが、遺構も含め現存しません。線路跡のような勾配のみです。


 災害が原因の廃止ですが、今の状況で、仮に復旧していても、その後も困難だったでしょう。駅も、中心街から少し離れており、ちょっとです。これだけ道路網が発達してしまうと、やはり車に乗ってしまいます。


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 そして、夜の星空観察会に参加しました。


 最初は、一番星、金星です(写真)。


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 その少し上に、赤い火星がありました(写真)。金星の、画像の崩れた姿が、端に映っています。


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 オリオン座の、帯の三連星の下、腰部の3連星の中央は、「オリオン座大星雲」です(写真)。羽根は、実物か、フレアか。


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 オリオンが、おおいぬ、こいぬを連れた、冬の大三角形です(写真)。ベテルギウス、シリウス、プロキオンです。


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 北を目指す星座、カシオペアです(写真)。星は、椅子に座ったまま逆さ吊りになる星座です。


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 北斗七星の、ひしゃくの部分(写真)。


 本当は「ポラリス」、則ち北極星を出したかったのですが、写真が不自然でボツとなりました。


 ケーブルレリーズを使うという基本も忘れ、手ブレ入りで撮りまくっていましたが、だんだん曇り、天気が良ければ南の空ギリギリに見える、「南極老人星」カノープスを見るということが出来ず、この観察会の最大の目的は達せられませんでした。恒星として、シリウスの次に明るい星ですが、南の空ギリギリであり、街中等明るいところでは見えず、星がよく見えるところで無いと見えません。残念でした。来年位でしょうか。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#5

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回は、「碓氷峠鉄道文化むら」最終回です。


 車両展示の中央に、ありました、EF63 1です(写真)。量産先行車、高崎に配置され、各種試験の後、量産車が落成しました。「白山」のヘッドマークを掲出します。


 粘着新線開業時は、単機での使用も考えられていたようですが、実際には全部重連で使用されました。


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 客車を挟んで、EF62量産先行車、EF62 1があります(写真)。本務機仕様、上野から直江津までのスルー運用の目的で開発されました。軸重対策でC-C配置となったことは、先回も書きました。


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 奥には、動態機、EF63 25があります(写真)。最終号機ですが、事故廃車の代替機ですので、EF63が横川機関区に25両配置になったことはありません。


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 その隣は、EF63 12です(写真)。塗装等の補修中か、布が被せられています。


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 その横には、「あさま」色のクハ189 5、及びモハ189 5があります(写真)。以前は本線上にEF63と連結した、189系フル編成で静態保存されていましたが、部品盗や車内トイレ使用などがあり、現在はこれだけです。


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 そして、この日は、体験運転がEF63 24と11の重連で行われていました(写真)。一般人が運転するには、まる一日の講習が必要ですが、機関車運転免許保持者は、講習無しで運転出来るのでしょうか?



 その、重連登坂の様子です。下り勾配での制動も、注目です。


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 以降、客車を続けます。


 最初は、スニ30 8です(写真)。


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 続いて、白帯のマイネ40 11です(写真)。


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 続いて、EF62とEF63に挟まれる、ナハフ11 1です(写真)。軽量化設計の10系客車、ナハ11は、照明が電球から蛍光灯に変更された車両です。


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 車内(写真)。冷房がないのは時代で、扇風機のみで、照明は直管の蛍光灯です。シートは従来同様です。


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 次は、オハユニ61 107です(写真)。座席・郵便・荷物合造車です。


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 次は、オシ17 2055です(写真)。車内は食堂車の施設が無く、機関車運転講習用の車両になっています。


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 オハネ12 29です(写真)。10系の3段B寝台、急行や普通の寝台車に使用されました。


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 車内(写真)。ナハネ20、ナハネフ22に似ていますが、中段寝台は三角形の支柱を下に入れ、固定していました。


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 そして、12系改造お座敷客車が、現在休憩室になっています(写真)。


 記録を大体終え、これで帰途に就きました。


 熊ノ平に行き、めがね橋を通ったので、国道18号旧道は日陰で凍結し、速度オーバーに気をつけて走りました。それは、粘着新線と同様で、鉄道は時速45キロを超えると制御不能となり、事故もそれで起きています。もう勘弁、と思っていましたが、帰りも撮り直しで再び通り、クレージーにも程度があります。でも、碓氷バイパスも昨年大変でしたし、難しいです。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#4

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「碓氷峠鉄道文化むら」の続きです。


 碓氷峠関連の車両は途中として、高崎運転所にて保存されていた、一般の車両が多数展示され、何れも貴重な車両です。


 最初は、国鉄史上最大の除雪機関車、DD53 1です(写真)。雪を強力に飛ばしすぎて、3両のみの製造となった、その初号機です。


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 続いて、DD51 1です(写真)。DD51の一次試作車、矢立峠で1000t引き出しに失敗し、二次試作車に続きました。


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 キニ58 1です(写真)。キロ58が、冷房化出来ず、荷物車に改造されたものです。


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 キハ35 901です(写真)。キハ35のステンレス試作車、後に首都圏色に塗装、八高線等に移籍しました。


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 操重車、ソ300です(写真)。16輪の自走式車両、橋梁工事に使用されましたが、老朽化で廃車となりました。


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 キハ20 467です(写真)。いわゆる20系気動車のオリジナル、2エンジン車のキハ52は、未だ「いすみ鉄道」で使用されます。


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 EF65F形、EF65 520です(写真)。EF65P形に重連総括制御を追加した形式、後に上越線に進出し、ツララ切りも装備されます。連結器にエアホースも装備され、特定のコキ専用の機関車でしたが、列車設定まではP形の九州特急運用にも就いた時期があります。


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 EF60 501です(写真)。EF60P形となるべきでしたが、高速性の問題からEF58に戻されることもあり、決定版EF65P形の登場で貨物用になりました。


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 EF59 1です(写真)。EF53 8を種車に、瀬野八用の補機として改造された1両です。EF53全機とEF56の一部が対象でした。


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 D51 96です(写真)。「ナメクジ」最終期の1両、以降一般形に変化していきます。


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 本格的交直流電機、EF80 63は、塗装の補修中でした(写真)。


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 EF15 165です(写真)。戦後の代表的な貨物専用機関車、旅客用EF58と双璧をなし、EF16の種車でもあります。


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 EF53 2(写真)。EF59 11から復元された1両、プレートはED42 2から複製しました。国産の本格的本線用旅客電機で、一部はお召し専用機でした。


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 EF58 172です(写真)。戦後の代表的旅客電機、同機は専用機60及び61以外で、数少ないお召し運用をこなした1両です。


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 EF30 20です(写真)。関門トンネル専用に開発された交直流電機、ステンレスボディは塩害対策です。交流区間では力が落ち、門司駅構内移動用です。


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 EF70 1001(写真)。北陸用の交流電機、1000番代は高速対応改造車です。


 客車を除き、大方触れました。あとは、動態63でしょうか。もう少し続きます。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#3

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、「碓氷峠鉄道文化むら」をお届けします。


 軽井沢、熊ノ平、めがね橋と降りてくると、峠の麓、横川です。かつて「峠のシェルパ」「強力(ごうりき)」が集う、横川機関区の跡地に出来た施設です。


 先ずは丸山変電所を撮りたかったので、入場の足で「シェルパくん」に乗り、「峠の湯」から帰ってきました。


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 最初は、新幹線の点検車、”GA-100”です(写真)。ATOが装備され、自動運転、異常があると直ちに停止した、とのことです。


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 続いて、66.7パーミルで設置される、ラックレール(写真)。明治の開業時から、昭和30年代まで使用された「アプト式」の、地上側です。3つの互い違いのレールに歯車を合わせ、登坂します。


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 その後は、クハ189-506です(表題の写真)。信越本線特急「あさま」の上野方先頭車、EF63と連結する側です。左右に、計3つのジャンパ栓があり、これでEF63と協調制御します。


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 その後は、車掌車ヨ3500形ヨ3961があります(写真)。ED42形動態復活時に、使用された1両ですが、現在は復元され置かれます。


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 横川機関区からの、矩形の軌間庫に入ります。


 信越本線本務機用の電機、EF62 54です(写真)。EF62ラストナンバー、永く田端運転所に所属も、新幹線長野開業時に引退しました。


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 EF62は、いわゆる「新性能直流機」では、唯一の3軸台車を使用します(写真)。C-C配置は軸重軽減策とされますが、横圧などの問題も指摘されます。


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 同機の反対側(写真)。重連運用は聞きませんが、下り坂の横川行きは、EF63と協調制御できます。


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 その、手前側には、EF63 10があります(写真)。こちらは横川方、通常に重連用装備があるだけです。


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 同機の、軽井沢方(写真)。多くの人が、横川と軽井沢で目撃する姿です。


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 同機の、連結器とジャンパ栓受け(写真)。量産型の標準的な姿、電車、機関車、客車、貨車及び気動車と連結可能な双頭連結器と、併結相手毎に異なるジャンパ栓を、間違いなく繋ぐのが、連結手の仕事です。


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 隣には、シミュレーターに使われる、EF63 18です(写真)。約10分で1,000円、しかし途中失格もあるそうです。茶色塗装は、最終期の姿です。


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 奥の建物には、アプト式最後を飾った電機、ED42 1があります(写真)。同機での輸送力が限界となったため、粘着式の運転技術が開発され、実用化されました。


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 同機までが、第三軌条式の集電方式で、これは10000形改めEC40からの技術でした。


 まだ強力の紹介は十分ではなく、増して他の保存機までは辿り着きません。ここで水入りとし、気長に、進めたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#2

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日2回目の”Tetsu”をお届けします。今回も、碓氷峠ネタです。


 軽井沢から山を下ると、横川、則ち碓氷峠の区間で、碓氷線とも一致します。高速も、新幹線も遠回りして避け、国道碓氷バイパスも遠回りしますが、旧道は鉄道につかず離れず、つづら折れで進みます。監視カメラ映像を事前に確認すると、一部積雪が残っていましたが、足回りを信用し、突入します。


 そして、途中の駐車場に車を停め、階段を登ると、信越本線(碓氷線)熊ノ平信号場に達します。写真は、粘着時代の変電所跡です(写真)。


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 本線上から、軽井沢方(下り方)を望むと、3つのトンネルが見えてきます(写真)。左から、アプト旧線、粘着下り、粘着上りのトンネルです。


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 ホーム状の構造物に、中継信号、非常停止信号が立っています(写真)。ホーム状になっているのは、旧来は熊ノ平駅であり、粘着複線化が完了したことにより行き違いの必要が無くなり、信号場に格下げされた場所だからです。


 昔は、同駅前に茶屋があり、乗客に「峠の力餅」を提供していましたが、駅が信号場となったことから、現在は麓の坂本で「力餅」を売っています。


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 少し進むと、石碑が3つ見えてきます(写真)。左は、開通記念の石碑で、関東大震災の時に割れ、継ぎ合わせて復元しています。旧来の、上りホームにあります。


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 横川方を望むと、トンネルがここも3つあります(写真)。左から、粘着上り、粘着下り、アプト旧線です。粘着上りが大きいのは、衝突防止の待避線があるからと思われます。


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 アプト旧線トンネルの右側に、少し高い位置のトンネルがあり、その先は行き止まりとなっています(写真)。待避線ではないことから、出発時に一旦下がってから発車するための、加速線と思われます。


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 そして、その前には、駅当時の官舎が土砂崩れの被害に遭い、その犠牲者の慰霊碑と、稲荷大明神の祠があります(写真)。旧来は上りホーム側だったのを、移設したものです。


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 そのまま下り、めがね橋はボツになっています。


 更に下り、横川に行きました。そこで、トロッコに乗り、丸山変電所へ。写真は、東側の建物、蓄電池室です(写真)。


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 もう一つは、機械室です(写真)。


 これらは、何れもアプト時代の施設で、立派な煉瓦の建物です。


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 そして、主目的を達した後、少々時間があり、再びめがね橋(碓氷第三橋梁)に行きました(写真)。指定駐車場からは少々距離があり、間には日陰で積雪も少々残り、しかし他の場所もなく、歩きます。国内最大級の煉瓦構造物というのも、納得です。


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 そこから歩道を奥に歩くと、粘着新線の橋梁が見えてきます(写真)。こんなところまでファンが撮影に来ていたと思うと、鉄道写真というのは、根性がいるのだと、改めて思います。なお、周辺は「熊出没注意」だそうです。


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 そして、積雪の階段を登り、アプト旧線上へ。


 先ずは、軽井沢方のトンネルを望む(写真)。トンネルポータルも、レンガです。


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 橋梁から、上り横川方を望む(写真)。金属製の手摺りが、内側に設置されています。


 横川駅から、熊ノ平信号場までは、「アプトの道」として遊歩道になっており、距離があるので登山並みの装備が必要ですが、歩くことが出来ます。以遠は粘着新線に再利用された部分も多く、歩くことはできません。


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 そして、階段を降り、再び駐車場への途中、裏側が見えます(写真)。途方もない数のレンガが使用され、壮大さが分かります。


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 そして、再び旧道を上り、軽井沢へ。「碓氷峠」は県境、越えるとそこはすぐ軽井沢です。


 チェーン着脱場の横には、鉄道トンネルの出口があります。手前は、アプト旧線から、粘着新線上りに使用される、トンネルの出口です(写真)。奥には、粘着新線下り、その奥は北陸新幹線トンネルです。


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 ここは保線基地になっているらしく、保線機械も停まります(写真)。アームが高架下まで伸ばせそうな機械です。


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 保線基地の、終端は、トンネル出入口と同じ場所です(写真)。旧来はEF63の停泊場で、碓氷線廃止後、新幹線の保線基地に改築されたものと思われます。


 そして、帰途に就き、今日の未明に帰宅しました。


 軽井沢まで行って、横川に行かないことはあり得ない。当然行きましたが、それも長いので、また次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

45km/h#1

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、碓氷峠関連を取材しました。


 例によって金曜夜に出発。日本海側は豪雪とのことで、信州の入口で危険レベルに達しましたが、盆地に入ると積雪も無く、「トンネルを抜けると雪国」ということもなく、割と安心して行軍出来ました。


 そして、寝坊して行ったのは、軽井沢。(旧)軽井沢駅舎記念館です(写真)。初代軽井沢駅舎の移築復元です。


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 その前には、草軽電鉄(廃止)のEL、13番が保存されます(写真)。軽井沢が困難であった頃の軽便鉄道で、草津とは如何に遠かったか!機関車も鉱山用のカブトムシ、そのままです。


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 この建物は移築復元であり、経済産業省の「近代化文化遺産」の指定を受けています(写真)。古い建物をバリアフリーにした、素晴らしい建物です。


 入館料200円を払い、入場します。


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 旧来の駅務室は事務室に、待合室は展示室になっています。展示室には、横軽にまつわる展示が多数あります。


 先ずは、軽井沢駅前にあった草軽電鉄新軽井沢駅舎のジオラマ(写真)。当時は、こんな感じであったようです。


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 碓氷峠を越える、旧碓氷線のめがね橋のジオラマ(写真)。本物は、国内最大級の煉瓦構造物のようです。


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 2階は、旧来は貴賓室、現在は歴史記念室です(写真)。着席しても良いらしく、貴重なソファに座れました。取扱は、大切に。なお、現在はエレベーターが設置されています。


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 旧改札を抜けると、旧1番線に出ます。ここには、関連車両の展示があります。


 先ずは、保線用モーターカーです(写真)。折り畳まれたクレーンが、伸ばせるものです。


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 続いて、EF63 2です(写真)。麓の横川方です。


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 連結部には、重連関連の装備以外は、特にありません(写真)。


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 同機の、軽井沢方(写真)。こちら側が、装備の中心です。


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 連結部(写真)。左側のジャンパ栓受けは、量産機とは少々異なります。自動・密着の双頭連結器は、EF63の主要装備です。


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 次は、10000、後のEC40 1です(写真)。日本初の電気機関車、払い下げられたものが、奇跡的に残っていました。


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 集電靴(写真)。当時は、第三軌条式で電化されていました。


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 その後は、クモハ169-6です(写真)。上り先頭方で、通常の車両と前後が反対ですが、これは碓氷線で重量のあるMc車を麓側にするというための措置で、高崎運転所の165系も、同様でした。新幹線開業後、しなの鉄道に譲渡されましたが、引退に伴い塗装も復元され、展示されます。


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 連結部(写真)。右側の2本のジャンパ栓が、EF63協調用のものと思われます。


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 M`連結側(写真)。MM`ユニット毎の状態を表示させるため、引き通し線が増えています。


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 最後は、マルタイです(写真)。オーストリア製の専売特許のようです。


 場所的にも、この位が限界で、これ以上展示を増やすスペースはありませんが、横軽、則ち碓氷線の思い出を蘇らせるには十分です。鉄道ファンを燃え上がらせた、平成9年夏を思い出すであろう、貴重な場所です。


 そして、寝坊したとはいえ、主要な目的は、まだ達していません、どうなったのでしょうか。以降は次回としたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

斥候

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は東海道本線、滋賀県柏原へ行きました。


 日曜は天気が悪くなるとのことで、今日の晴天を生かしたい、しかし平日のみのカメラの修理の引き取りがあり、その程度では仕事は休めず、結果早めに切り上げられる場所とのことで、先回同様に四日市に行くことも考えましたが、しばらく行っていない柏原に行くことにし、金曜晩に出発。仮眠し、今日に備えます。


 朝一番で行きましたが、寸手のところで「しらさぎ2号」を逃し、最初は8052レ、EF210-123でした(写真)。まさか、それが後々に響くとは。


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 続いて、JR東海313系、2+2連普通大垣行きです(写真)。


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 続いて、313系6+2連、新快速です(写真)。


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 次は、7090レ、牽引機はEF210-15です(写真)。0番代は1C2M、100番代は1C1M制御です。



 その、動画です。ここから動画があります。


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 311系、G4編成他8連、普通大垣行きです(写真)。かつての看板列車でしたが、313系大量増備で影が薄くなっています。


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 JR東海キハ85系、特急「ひだ25号」です(写真)。大阪発高山行き、岐阜で名古屋発「ひだ5号」と連結し、高山本線に入線します。



 その、動画です。この区間を走るJR東海の特急としては、唯一となってしまいました。


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 下り特急「しらさぎ3号」が行き過ぎます(写真)。後追いの写真です。


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 上り特急「しらさぎ4号」が、名古屋に向け走ります(写真)。



 その、動画です。正面が平滑な681系、元「はくたか」車です。


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 下り特急「しらさぎ5号」が通過(写真)。展望グリーン車は、クハ681 2001と読め、元北越急行所有車両でした。


 この列車は、明らかに「しらさぎ2号」の折り返しであり、今回の主目的の一つでした。後ろ向きには、後悔しています。


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 EF210-150牽引1070レが、通過します(写真)。



 その、動画です。100番代が50両、時代です。


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 EF65 2096(1000番代PF形の、記録装置未装備により、区分のため生じた番代、原番号+1000)が、下り貨物5087レを牽引し、通過します(写真)。原色は、休日に都合良く走ったりしません。



 その、動画です。これがあの5087レと、納得しました。


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 特急「しらさぎ6号」です(写真)。北陸新幹線開業前は「はくたか」用車両で、北越急行線内では160キロで走りました。



 その、動画です。多数派の0番代160キロ対応車です。


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 EF64 1013が、無動のDE10 1750を牽きます(写真)。転配か、修繕か。しかしそれなら、通常は大宮車両所に牽くのでは?


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 EF66 123牽引、5050レが通過します(写真)。やはり、平日に来なければなりません。



 2本の列車は行き違いました。その動画です。


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 EF210-170が通過(写真)。1012レと思われます。



 その、動画です。50両じゃなく、70両です。東海道~山陽筋の主力貨物機関車と、誰もが認める数です。


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 EF210-117牽引1050レが通過(写真)。本当に、JR貨物の主力機関車になりました。



 その、動画です。節約型の0番代に、フル装備の100番代、いつの間にか逆転しました。


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 1062レを牽くのは、EF210で、帰宅後番号を確認すると、901号機でした(写真)。EF210の試作機です。



 その、動画です。EH500の試作機は大宮で何度も見ましたが、EF210-901は初めてです。


kasw17a18.jpg


 続いて、1070レは、Ef210-6でした(写真)。旧来の下枠交差形パンタグラフを装備します。これも、100番代との外観上の違いです。



 その、動画です。こちらで量産するはずが、JR貨物も経営に余裕が出来、100番代に発展しました。


kasw17a19.jpg


 そして、「しらさぎ8号」通過(写真)。これも落成以来JR西日本所有の編成です。



 その、動画です。この日は目的を達成しませんでした。


 昨年大阪「しなの」で来たときに、あまりに簡単に683系8000番代を撮れたので、今回も楽勝ムードでしたが、やはり名古屋行きは2時間に1本となってしまい、クジ運が必要です。また、来るべき場所が増えてしまいました。


 今回もいつも通り撮るつもりでしたが、フィルムカメラが引き取るまで使えず、予備機ではフィルム残が発生するのが明らかだったので、今日はデジカメのみで撮影しました。動画は、そのうちに。


 レンズは、AF-S85mmF/1.8Gを使う予定でしたが、フィルムカメラを使わなかった関係で、AF85mmF/1.8Dを使用しました。ここは、勿論50ミリでも良いですが、やはり85ミリ固め打ちが確実と思われ、中望遠の面目躍如です。今回は偵察、次回確実に決めていきたいと思います。


 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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