残暑厳しい折に

Gifq1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、岐阜県美濃方面を取材しました。



 正直最近はネタ不足で、本当は紀勢貨物でも行きたかったのですが、その紀勢本線は先日の台風で運転が見合わせとなっており、断念。そんな時のために、近辺の保存車輌の位置リストは出来ており、早速晴天の今日、取材に出発しました。



Gifq2  先ずは稲沢へ。稲沢駅からも近い宮浦公園には、D51 823が保存されます(写真)。余程悪戯が酷かったのか、金網完全防備で、横から写すと、白い金網のみの写真となりました。しかし正面のナンバープレートは、形式「D51]が入る、いわゆる「形式入りプレート」で、金銭的価値がありますが、盗んだりしてはいけません。



Gifq3  続いて一宮へ。平島公園(一宮競輪場)を探しても見当たらないので、元資料を確認すると、「大」平島公園で別の場所、直ちにロードマップで確認し修正しました。その「大平島公園」に保存される、D51 718です(写真)。こちらも金網完全防備ですが、残念ながら正面ナンバープレートは喪失しています。



Gifq4  木曽川を渡り、岐阜県に入ります。岐南から岐阜市に入り、梅林へ。梅林公園には、D51 470が保存されます(写真)。このSLにも柵はありますが、昼間は開放されており、柵の内側に入れました。キャブにも入れ、加減弁などの可動部は今でもバッチリ動きます。同機には保存会が存在し、手入れをしているようです。昭和15年宮工(大宮工場か?)製です。



Gifq5  続いて、徹明町にも近い金神社境内の「金公園」には、モ510形モ513が保存されます(写真)。やはりここも柵は高い。



Gifq6  そして、同じ岐阜市内の、忠節に移動。忠節は、岐阜市内線と揖斐線の接続駅、直通用車輌が新造されるまで、軌道線から鉄道線への乗換駅でした。市内線は、忠節橋で長良川を渡ります。その忠節橋の写真です(写真)。桁橋部分の支柱は、今では街路灯のみになっていますが、元は架線柱で、本来の目的を失っています。



Gifq7  忠節橋から併用軌道を下ってきた市内線が、専用軌道に入る、早田大通1丁目交差点です(写真)。数年前は線路跡が残り、信号のパターンも電車があった頃と同じでしたが、今は普通の十字路のパターンになっています。



Gifq8  専用軌道に入って少しで忠節駅でしたが、線路跡は駐車場、駅及び駅前パーキング跡地はスーパーが建ち、様相は一変しました。駅の名残は、タクシーの「忠節駅前営業所」という名前のみになりました。



Gifq9  そして国道157号を西に進みます。途中何もない所に陸橋があり、見てみると名鉄揖斐線の線路跡を跨ぐ陸橋でした。



 その跡の続く場所は、黒野までです。その黒野駅駅舎(写真)。600V全面廃止で、駅併設の喫茶店も閉店しました。



Gifq10  黒野の駅前踏切跡から眺めた、黒野駅構内の様子(写真)。左側3番線は本揖斐行きホームで、部分廃止後本線からレールが切り離され、赤い電車が保存されていましたが、今はそれもありません。中間が1、2番線で、谷汲線が廃止されるまでは岐阜行きと交互に使用し、廃止後は岐阜行きが双方を使用していました。右奥が車庫で、用途廃止された旧式電車の処分が決定するまで、ここに留置されました。モ510が如何に運の良い車両か、いずれ分かるでしょう。VVVF車は他線で残るとしても、その他の車輌は余りに可哀想でした。



Gifq11  黒野からは谷汲線に沿って移動します。かつて交換設備のあった更地を写し、続いて細い県道へ。線路跡には、「5」と書かれたキロポストがありました(写真)。これは黒野起点5キロという意味で、谷汲線は元は揖斐線とは違う鉄道会社でしたが、戦時統合で全て名鉄に合併、そのまま廃止まで一緒でした。



Gifq12  廃止直前、通常1閉塞だった黒野~谷汲間を、列車を増発するため2閉塞にして、30分ヘッドで運転しました。その当時の交換駅、北野畑駅跡です(写真)。その際の閉塞方式は、票券閉塞でした。



 どこかの狂った国交大臣が「全鉄道ATS-P義務づけ」などと小私鉄潰しをしていましたが、ルールさえ守れば票券閉塞でも十分安全です。まあ、「軌道です」と言えば、初めからそんな議論は必要ありませんが(「軌道法」をよく読んでください)。



Gifq13  そして終点、という所ですが、寄り道し、樽見鉄道谷汲口へ。現在の谷汲山への公共交通機関による入口で、ここからバスに乗り換えです。



 駅前には、樽見鉄道にて使用された、オハフ502が保存されます(写真)。なお、国鉄時代にはオハフ33 1527という旧式客車でした。樽見鉄道がJR東海から14系客車を購入したことに伴い引退しました。なお、その14系客車も、貨物全廃と同時に、機関車共々引退しました。



 車に乗ると、谷汲行きのバスがエンジンをかけたので、見ていると、樽見鉄道の新車「ハイモ330 701」が入線しました。樽見鉄道も、そろそろ行きたい頃ですね。



Gifq14  そして、谷汲駅跡に到着。駅舎は、昆虫博物館に併設されていました(写真)。元駅舎に入ります。



Gifq15  そこには当時のままのホームと、電車が2両。1両は、モ510形モ514です(写真)。丸窓の電車、戦前製の転換クロスシート車です。同形は全4両のうち美濃駅跡、岐阜市内、谷汲駅跡と3両が残り、残存率75%、幸運な電車です。同形は人気のある形式で、同駅には名鉄600V区間全廃後に運び込まれました。



Gifq16  もう1両は、モ755でした(写真)。この車輌は車内に入ることが出来ました。なお同車は、谷汲線廃止当時からここで保存されます。



 しかし、名鉄600V区間で、駅跡が残り活用されているのは、美濃と谷汲だけで、岐阜市に至っては路面電車博物館も出来ようものも、跡形無しです。所詮は「車の通行の邪魔」程度にしか思っていなかったのでしょう。名鉄の努力からかけ離れた所に、原因がありました。



Gifq17 谷汲からトンネルを抜け、本揖斐へ。名鉄揖斐線の終点でした。駅舎は既に無く、凝ったデザインのコンクリート製トイレが、唯一の生き証人です。駅跡、及び線路跡は駐車場になりました。駅前にあった本揖斐バス停は、100メートル程東に移動しました。



 もう一方の公共交通の入口、近鉄養老線、改め養老鉄道揖斐駅は、ここから揖斐川、及びその支流粕川を越えた向こう、ここまで橋を渡して辿り着くことは出来ませんでした。



Gifq18  そして今日の最後は、大垣市「室」の、「こどもサイエンスプラザ」内にあるC11 155(昭和15年汽車会社)です(写真)が、閉館に間に合わず、ガラスの外からの撮影となりました。円偏光フィルターを使用していますが、効果はイマイチです。しかし、次回への招待状を貰っているので、また次回、開館中の再訪を誓い、帰途に就きました。



 大規模な遠征もしたい気がしますが、まあ今日はこの程度か。やはり、紀勢線が復活してからでしょう。後は、稲沢の愛知機関区も、要チェックでしたが、戻った時には時間が遅く残念。こちらもまた次回です。



 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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