飯田街道?

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、豊田方面を取材しました。




 午前中に車の点検を行い、丁度午後が空きました。遠くへは行けないなあ、と思い、取り敢えず最近走っていない国道153号に向け、走り出しました。八事、天白へ抜け、名古屋市を出る辺りで、ああそうだ、あそこがあった、と思い出します。そう、「レトロでんしゃ館」です。名古屋市交通局日進工場の空きスペースに設置された、本当に「ささやかな」博物館です。




 中に入り、一番奥は、地下鉄東山線100形、107と108のペアです(写真)。初号車、101と102のペアは、現存しません。



 この黄色は、菜種色(ウィンザーイエロー)で、この色になったのは、杉本健吉画伯が、名鉄パノラマカーの赤(スカーレット)を範に、地下でも映える色として、この色を選んだのだそうです。それがいつの間にか1号線東山線のラインカラーとなり、2号線名城線(現在の「名城線・名港線」)はその補色であるパープルの帯を纏い、それが同線のラインカラーとなりました。以降鶴舞線は青、桜通線は赤、上飯田線は桃色になりました。




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 続いて、市電が3両、手前に並びます。手前は戦前の完成形、1400形1421です(写真)。以降、戦争期に入り、だんだん資材の面で混乱を来すようになりました。




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 名古屋市電の最終形、2000形2017です(写真)。戦後形、アメリカのトラムの影響を受け、車輪にゴム等を挟む弾性車輪を使用した、いわゆる「無音電車」です。この車両での経験を、地下鉄に生かした、とのことです。




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 戦中形、3000形3003です(写真)。連接の2車体形、物資が不足した戦中に、軍需産業の労働者を輸送するために特別に資材が配分され、製造された車輌、戦後は市電の最重要幹線、名古屋~栄系統などに使用された車輌です。




 その市電が通った道路、広小路通りは確かに貨物車通行禁止で、バスと乗用車のみしか通りませんが、この道路の歩道を広げ、一般車通行禁止にするという案があるそうです。私が名古屋市長なら、最新LRTを通す案を出しますが、こんな車中心で出来た街である名古屋に、そんなことを考える人はいないでしょう。車の代替交通路も難しく、賛成者は見込めないでしょう。




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 地下鉄100形135の台車(写真)。第三軌条に接する集電靴が特徴です。




 地下鉄東山線は当初2連で名古屋~栄間を走っていましたが、延伸されるうちに6連となり、その間の技術の進歩で制御電圧が変わり、旧型用の増結車と新型用の増結車は混結出来ませんでした。後に先頭車が老朽廃車されると、中間車が先頭車化改造され、琴電と同じような前面になった車輌もありました。




 なお、駐車場には、名城線環状化に使用された複心円シールドマシン回転部が置かれます。それを眺めながら、次を目指しました。




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 「豊田市交通公園」とカーナビに何度入力しても、出てきません。仕方が無いので、見当をつけて行った場所は、公園施設が取り壊され、更地になった場所でした。ただ、保存車輌はその後の手当が決まっていないのか、当時のまま保存されます。写真は、D51 849、準戦時形のD51です(写真)。この手前には、交通公園当時の駐車場が広がりますが、立入禁止になっています。




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 その少し南東方先には、名古屋市電1800形1814が保存されます(写真)。




 現在この場所は、交通公園としては閉鎖され、一般公園として再整備中でしたが、何らかの理由で工事が途中で止まっているようです。整備が再開されるよう願っています。




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 国道153号は別名「飯田街道」、長野県の飯田に向かう街道で、中央自動車道が出来るまでは、名古屋発の路線バスがこの道を通り、飯田に向け走っていたそうです。そのとおり、名鉄三河線の前身三河鉄道は、猿投から西中金、稲武を通り飯田を目指していましたが、遂に開通することはありませんでした。そこでもっと奥地に行きたい気もしましたが、結局高橋を渡り、鞍ヶ池へ。鞍ヶ池公園には、現在名鉄電車が保存されます。




 その1両、ク2313(写真)。歴史のある半鋼製の電車です。




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 相方は、モ805です(写真)。




 三河鉄道は、名古屋市内の八事を起点に、豊田を経由し飯田までの路線免許を持っており、それは名鉄に引き継がれました。名古屋市地下鉄鶴舞線の建設にあたり、名古屋市が八事から市内区間の路線免許を譲るよう交渉すると、譲る条件は「名鉄との相互乗り入れ」及び「瀬戸線栄町延伸」で、話がついて開業したのが名鉄豊田線(当時は「豊田新線」と呼ばれた)でした。当初は飯田街道に沿っての計画であったのが、実際はかなり北寄りに通っていますが、確かに戦前の免許路線でした。その新線を最初に試験走行したのがこの2両、その縁で現役引退後、豊田市内で保存されることとなりました。なお、同時に譲られた電気機関車は、現存しないようです。




 まだ日は高い気はしましたが、ここで折り返し、帰途に就きました。




 半日の取材で、しかも2回目でもあり、同じことばかり、という気はしますが、その後の状況変化は予想外で、行った甲斐はあると思います。よく、残ったものだなあ、という感じです。



 記録によると、今回は1,201回目の投稿、1,200回記念をしたい気もしますが、諸般の状況から1,300回が無さそうであり、あまり喜べません。何故、やめてしまうのか。一番そこが納得いきません、と言っても何も始まらないのですが。




 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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