The Bridge

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 皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、木曽川、揖斐・長良川に架かる橋梁を取材しました。




 明治時代、官線の東海道本線と名阪間で競争をした、私鉄「関西鉄道」。ある時は、名阪間の3等車の料金が、弁当付きで弁当より安いという、いわばダンピングまでしましたが、結局「鉄道国有化法」で国有化され、関西本線になりました。




 時代を下って昭和、関西本線の木曽川橋梁、揖斐・長良川橋梁は新しい橋が架かりました。その余剰となった旧橋梁を、伊勢鉄道が払い下げを受け、後に同鉄道は近鉄に併合され、近鉄名古屋線となりました。




 しかし、近鉄は標準軌、名古屋線は狭軌で、直通運転をすべく昭和30年代に軌間変更の準備を行い、木曽川橋梁、揖斐・長良川橋梁は架け替えられました。ちょうどその時期に、神戸の地震が起きるまで戦後最大の災害であった「伊勢湾台風」の被害を受け、名古屋線は不通となりました。その際に、当時の近鉄の社長が英断を下し、復旧工事に併せ軌間変更工事を同時に行うこととなり、僅か10日ほどで工事は完成、災害復旧とともに名阪直通が可能となりました。




 今日は、目的も無く車を転がして、中堤を通れれば良いなあ、程度に思っていましたが、ちょうど木曽川橋梁の袂に来てしまい、機材も車を停めるスペースもあったので、つい構えてしまいました。




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 関西本線の旧木曽川橋梁は、現在の橋梁の北側にありました。そのため、それまで関西本線の南側を走っていた当時の近鉄は、関西本線を乗り越す必要がありました。その、乗り越した跨線橋の残骸(写真)。この位置で跨ぎ、北側に入り、旧橋梁へと渡っていきました。




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 跨いだ後の木曽川堤の取り付け部には鉄道橋の残骸は無く、そこそこ新しい鉄桁橋が架かります(写真)。しかしこの部分は、現在国交省の河川管理用の通路で、手前にゲートがあり、一般車は入ることができません。もし入ったら、後知ーらない!




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 木曽川の反対側は、三重県です。国道1号「尾張大橋西」で北上すると、丁度鉄橋の南側に入ります。そこから細い道を行くと、近鉄の北側、JRとの間に、盛土の山が見えます。その間に、写真のようなコンクリート構造物が見えます(写真)。単線用の橋脚で、これが関西本線を乗り越した近鉄の遺構と思われます。




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 そして、JRの北側に一旦入り、進むと、ボックスカルバートがあり、そこを通ると、正面に盛土と、桁橋が架かっていた跡が見えました(写真)。この盛土は、近鉄長島に向け勾配をつけ下っていました。




 なお、この場所は工場のヤードになっており、平日に行ったら、多分怒られます。




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 そして木曽川側に戻り、木曽川橋梁を眺めます(写真、緑色がJR、その後のグレーが近鉄)。水面をよく見ると、反射材の張られた柱が立っていますが、これはこの位置に旧橋梁の橋脚跡が残り、水面下は撤去が難しいことから、橋梁下を通過する船舶等に航行不能を知らせるための柱です。つまり、旧木曽川橋梁は、残骸がまだ残っているのです。




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 国道に戻り、伊勢大橋西で北上。遺構を探すと、「長島自動車学校」の北側の桁橋の南側に、写真のような遺構が残っています(写真)。橋台で、この部分を跨ぐ桁橋があったことが分かります。これは近鉄の少し南側で、旧線がこの位置にあったことが分かります。




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 長良川沿いに戻り、揖斐・長良川橋梁の南側に、写真のような橋台があるのを発見(写真)。上の方はコンクリートで固められていますが、中間から下は煉瓦で、東西方向と南北方向の交互に積まれているのが分かります。煉瓦の色、サイズは、他の関西本線施設・遺構に用いられる煉瓦と同じで、恐らく明治期の「関西鉄道」時代に建設された遺構であると思われます。




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 そして国道1号に戻り、中堤交差点を右折しようとしましたが、中堤、及びその次の伊勢大橋西は(7時から19時まで)右折禁止です。この右折が伊勢大橋、ひいては桑名市の渋滞の元凶で、新橋梁が架かるまで解決を見ないでしょう。




 伊勢大橋西を北上すると、揖斐・長良川橋梁の西側に出ますが、近辺は写真の通り新しいコンクリートに固められており(写真)、遺構は盛土以外残っていません。




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 そして、伊勢大橋を東に向かい、念願の中堤へ。西側の揖斐川と、東側の長良川とを仕切る堤で、北に進むと薩摩藩が建設した「千本松原」、その近辺は「輪中」地帯です。




 途中に、車を停めます。左側に、揖斐・長良川橋梁が見えます(写真、揖斐川側、手前が近鉄の橋梁)。近鉄の橋梁の南側にも先ほどのような柱があり、ここにも橋脚の遺構が残っているのが分かります。




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 その場所から、右側を眺めます(写真、長良川側)。こちらも同様に遺構がある筈ですが、柱は見当たりませんでした。




 そして、帰途に就きました。




 昼過ぎから始めた取材で、少し短いものとなりました。まあ、休載しなかったことをもってよしとしましょう。




 それでは、次回をお楽しみに。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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