遺漏あり#2
皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は先回の続き、東北遠征後半戦です。
起床した私は、先ず南三陸町へ。気仙沼線志津川まで行きましたが、震災復興工事でとても保存されている雰囲気では無く、短時間で断念しました。
続いて、石巻へ。石巻市の公園に保存される、C58 228です(写真)。
製造銘板(写真)。昭和15年川車製です。
同機は金網で囲われ、窓も板で塞がれ、周辺は震災仮設住宅となっており、難しい立場です。
続いて「やながわ希望の森公園」へ行きましたが、冬期休園で、SLは庫の中でした。
続いては、南相馬市の博物館にある、C50 103です(写真)。国産初の大型旅客機8620形の改良機、しかし製造は僅かでした。スポーク動輪は注目です。
キャブの様子(写真)。少し砂塵が多い感じです。
経緯を示す看板(写真)。戦前は関東で、しかし戦後はずっと常磐で活躍したようです。
次の目的地、いわき市と設定すると、カーナビは南下を指示します。「通れるのか?」と思いましたが、行くと、国道6号だけは通れました。しかし、通過は自動車のみ、自動二輪、原付、自転車及び歩行者は通行禁止です。勿論、信号以外での停止も駄目、寄り道も出来ません。
そして今回最後の目的地、いわき市石炭・化石館の、D51 946です(写真)。綺麗なカマです。
キャブに入れます(写真)。ペイントロックしている感じですが、まあまあです。
経緯を示す看板(写真)。戦後はずっと常磐で貨物輸送に従事したようです。
D51の軸配置は「ミカド形」ですが、その始まりは東北本線や常磐線を建設した「日本鉄道」が、常磐炭を燃料とするため1D1の蒸気機関車をアメリカに発注したところ、受注メーカーが落成時に「ミカド形」と宣伝したことに始まります。それほど常磐とは縁が深いのです。
そして帰途につきましたが、帰宅は5時、しかも翌朝で、仮眠1時間で出勤し、水中で溺れるような感じで仕事をしていました。結果昨日は帰宅後そのまま寝てしまい、投稿が今日になりました。やはり、翌日に支障するような、無理な行程は止めましょう。しかも今年2度目で、要注意です。
それでは、次回をお楽しみに。