矢作の流れを遡り

Toyotas1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、豊田市方面を中心に取材しました。



 先月は過去の記事をご覧のとおり、電車ばかり乗っていました。そのため先月は1か月でハンドルを握ったのは1回だけ、ということになってしましました。結果高速道路代はかからず、ガソリンは先月のまま満タンで、価格上昇の影響はありませんでした。しかし、ガソリンの値段って、カルテルでも結んでるんじゃないかっていう位、同じですねえ!



 豊田市は、その名のとおり、車の街です。挙母市から豊田市に名前を変えた位ですから。市内に本社を置く企業のお陰で財政も豊かで、平成の大合併の結果、長野県とも接する日本屈指の巨大な面積の市になってしまいました。



 しかし鉄道は貧弱で、岡多線(現在の愛知環状鉄道の一部)、名鉄豊田新線が出来る前は、名鉄三河線とその支線(盲腸線)しかなく、鉄道では不便な場所でした。増して岡多線は電化され、SLとは全く無縁な場所でした。



 そんな豊田市にも、SLはあるのです。写真はD51 849で、昭和18年浜工(鉄道省浜松工場(現在のJR東海浜松工場))製造で、直営もいい所です。場所は豊田市平芝町四丁目地内の豊田市交通公園内で、名鉄梅坪駅西方ですが、ここからも、愛環新豊田、名鉄豊田市からも1キロ位ありそうです。無料駐車場も数限定ですが、あります。



Toyotas2  やはり車の街で、メインは信号機付きの道路で運転する親子ゴーカート、子供用足こぎ4輪車が中心で、鉄道は隅の方になるのは仕方ありません。しかし鉄道も無いと偏ってしまうので、名古屋市交(市電)1814も保存されています(写真)。どちらも屋根付きで保存され、無縁仏でありながら状態は良好です。どちらも中に入れましたが、子供ではないので止めました。しかし市電の中に入らないのは失敗だった!







Toyotas3  交通公園での取材は程々に、次は豊田市郊外の鞍ヶ池公園を目指しました。ここだけなら、東海環状自動車道のハイウェイオアシスでもあり、高速からでも取材できるのですが、前後の都合で一般道から取材しました。公園内若草山駐車場からもはっきり分かる位置にあります、写真手前モ805、奥ク2313です(写真)。名鉄で活躍した戦前形高速電車で、床が木張り等半鋼製ですが、昭和50年代まで本線で現役で活躍していました。何故豊田か、というと、看板には豊田新線の信号試験等のため最初に走行した車両である、と書かれ、その縁で保存されたとのことです。



 今思い出すと、昔園内に屋根付きで、緑色の名鉄電車が保存されていた記憶があったのですが、勘違いのようです。



Toyotas4  流石豊田市、こちらも中に入れます(写真)。木張りの床、ロングシート、今では少し古さを感じますが、オールドファンが見たら、シートの破れを除けば感涙するでしょう。前述の通り東海環状自動車道、鞍ヶ池パーキングエリアから訪問できます。車好きの子供も楽しめる、美しい公園です。









Toyotas5  次は西中金、と思いましたが、やはりその前に猿投に行かねばなりません。三河線山線の現在の終点猿投は、変電所、猿投検車区(新川工場の支所)を併設し、かつてはキハ20、キハ30の基地でもありました。現在ではディーゼルの基地時代の施設を確認できません。



 入場券で中に入ると、7700系の向こうに、疎開回送(廃車前提の留置)された1009F(写真左奥)、1006F(写真右後)があります。それ以外に特急の来ない猿投に1000系がやってくる理由はありません。何故!あと20年は使わなきゃ!



Toyotas6  駅からは終端表示が見えず、どうして?と思い北へ。猿投駅北側の踏切から見ると、先100メートル位で終端となっていました(写真)。この先は、東海豪雨で破壊された線路を必死に直したのに、結局廃止です。悲しいですねえ!











Toyotas7  猿投から線路に沿って追跡したい気はしましたが、周辺は幹線道路も1.5車線で、非常に取材の困難な所です。廃線跡に並走する道路も無く、多くの方はきっと車での追跡でも断念するでしょう。



 結局直接西中金へ(写真)。駅舎は現在こんな感じです。かつてはここで足助方面へのバス乗り継ぎも出来ましたが、現在はバス停の位置も変更され、本当に寂れてしまいました。高校生たちはどう通っているのでしょう。





Toyotas8  平成17年1月、廃線前の写真です。まだこの頃は命脈を保っていました。













Toyotas9  現在駅のホームから眺めると、写真のとおりです(写真)。線路のみならず、電車時代の架線支柱まで全部残っています。車社会、悲しいですね。













Toyotas10  しかも西中金からは廃線跡ではなく、未成線が残っています。これは旧足助町との境界まで、鉄道のために建設された路盤が残っており、そのほとんどは生活道路と変わりました。三河線未成線の最大の遺構、豊田市野口町地内の国道153号跨道橋予定地のアバット(橋台)です(写真)。反対側は国道拡幅でアバットは破壊され、土盛りだけが残っています。当然名鉄の所有地です。



 この先追分交差点の歩道橋を最後に、未成線は途絶えています。これで豊田市は終わりです。





Toyotas11  先日の立山からの帰り道、南木曽駅を発車した電車から、見てはいけないものを見てしまいました。それは、恐らく中央本線旧線上に残るD51でした。



 結局、今回取材をしてしまいました。D51 351、昭和15年日立製作所笠戸工場製の機関車で、区名札に「木」(恐らく木曽福島機関区)と入っていました(写真)。この辺りは、SL公園とカーナビにも出ていました。







Toyotas12  さらに木曽路を進むと、381系が走り去ります。JR東海最後の381系編成、P2編成です。しかし車の運転中で、撮影は不可能でした。今後、”ちくま”を利用する登山客に383系を開放するならば、当編成の役割も終わり、廃車でしょう。最後は白馬、南小谷方面大糸線”しなの”でしょうか。でも、大糸線を目指す名古屋人、大阪人って、そんなに少ないんでしょうか。まだまだ需要はあるのでは?



 そして辿り着きます、木曽福島へ。木曽町の中心街です(木祖村とは違います)。春にも紹介した、D51 775です(写真)。昭和17年汽車会社製です。柵があり接近不能と思いきや、入口が2箇所もあり、中にも入れそうです。



 ここの撮影を終えると、天気雨が。激しく降り、今週の激変する天候を象徴するような雨でした。結局そのまま日没で、その後の取材は断念。まあ今日の目標は達成し、良い感じです。



 明日は三岐鉄道でイベントがあるので、それを取材する予定をしていますが、どうでしょうか。ご期待ください。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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