天竜の流れを遡り

Idap1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今週の”Tetsu”をお届けします。今回は、「青春18きっぷ」を利用し、飯田線の取材を行いました。



Idap2  飯田線は、下りは豊橋から始まります。今朝も先ず豊橋に行きました(写真)。左は豊川行き1+2両(1両は海カキ(大垣車輌区)M5編成(クモハ119 5105))、右は天竜峡行き2両編成(海カキE6編成)です。天竜峡行きは、私が乗車すると、発車しました。



Idap3  山間を抜け、うとうとするうちに終点天竜峡に到着(写真)。同編成は、引上線に引き上げます。



Idap4  そして、乗り換えは20分後の飯田行きか、1時間以上後の茅野直通列車の選択が出来ましたが、飯田の方が昼食に都合がいいと踏んで、飯田行きに乗車します(写真)。海カキR3編成(天竜峡以北のワンマン運転対応車)です。



Idap5  時又で5分待ちになります。行き違いは何が来るか?と思ったら、373系特急”伊那路2号”でした(写真)。静シスF9編成です。



 今朝の”ムーンライトながら”の名古屋切り落とし編成がホームライナー豊橋行きになり、そのまま豊橋で特急”伊那路1号”飯田行き、折り返しこの列車”伊那路2号”になり、ホームライナー大垣行きで大垣に着きます。残り6両から大垣で分割されホームライナー、”伊那路3号”返しで”伊那路4号”、ホームライナー大垣行きで帰る3両を待って組成され、今夜の”ムーンライトながら”になります。翌未明に東京から普通で折り返し、やっと静岡に帰庫します。出庫から3日後の出来事です。



Idap6  伊那八幡には行き違い列車が待っています。一番恐ろしいこと、それは119系の独壇場と思われた飯田線にも、JR東海の「一般型汎用電車」313系が入線していることです(写真)。運用の都合上でしょうか、何故か313系だけは海シン(神領車輌区)B152編成でした。



 もともと飯田線は、戦前に4つの私鉄を合併して出来た路線で、当時東海道線が東京~沼津間しか電化されていない時代に全線電化されており、電車が主力の路線でした(その代わりレールは軽い軌条です)。戦後、関西の流電クモハ52等、旧式電車の宝庫となり、要注目の路線でしたが、旧式であることは則ち保守性に難をきたす車輌が多く、結果それらを置き換えるため、119系が計画されました(その結果廃車された車輌の多くは保存する価値があり、それらを集めたのが「佐久間レールパーク」なのです)。



 119系は、103系の中距離版(すなわち、105系のクロスシート版)とでも言うべき車輌で、飯田線が低速路線であることからモーターも当時の主力MT54(120kw)ではなく、103系と同じMT55系(110kw)であり、国鉄改革の嵐の中、クハ118の台車は101系の動台車を流用したり、ほか発生品、余剰品を利用したりと、苦しい時代の設計の車輌です。愛知環状鉄道の100形、200形、300形も同様の設計の車輌です(100形はそのまま、200形と300形はニコイチで、えちぜん鉄道3101形になりました)。57両落成し、飯田線の殆どの列車の運用に就いていましたが、確かに一部に115系が入る時代もありました。しかし115系の方が先に全廃され、安泰かと思いきや313系が投入で、やはり次は119系なのだ、と思います。既に事故廃車か2両の廃車も出ています。



 JR3島のキハ31、32、54と同じく、「これが動かなくなったら廃止だぞ!」という形式なのでしょうが、幸い20年経った今でも好調は維持されています。117系、119系と並べると、やはり性能的に見劣りがするのも119系で、ワンマン対応の困難さ、そして車輌統一の観点からも、やはり119系は今後要注目な形式です。



Idap7  そして飯田に到着します。飯田駅3番線の奥の留置線には、左から海カキM1編成(クモハ119 5101)、同R3編成(手前はクハ118 5313、奥はクモハ119 5321、ワンマン対応編成)、右は長野色の115系で、松本車輌センター所属と思いきや、長野車輌センター(長ナノ)N4編成でした。長野発快速”みすず”の待機編成ということでしょう。



 そして昼食を調達、列車を待ちます。



Idap8  1時間近く待つと、上りは天竜峡行き海カキR2編成(ワンマン対応)、下りは茅野行きで、先ほどまで乗車していた海カキE6編成でした(写真)。これに乗車します。



Idap9  上片桐では、海シンB153編成と行き違います(写真)。B150番台はまだ3編成ですが、今後は増えるのでしょう。2連のB300番台の編成は、関西線や中央線中津川以遠のワンマン運転に使用されており、うってつけでしょう。もし鉄道ファンで、車輌の写真を撮るのが趣味であれば、今何をすべきか解ると思います(勿論もっと緊急の問題もありますが)。時間的余裕はあまり感じられません。



Idap10  進行方向右手には、まだ雪を懐く南アルプスの山々が見えています(写真)。山岳党が行きたいと言うでしょう。



Idap11  飯田線の終点5駅前に、伊那松島という駅があります。そこには国鉄時代は機関区、JRになり運輸区がありましたが、平成14年に車輌配置が無くなりました。その直前、伊那松島運輸区最後のイベントが同3月に行われた際の写真です(写真)。旧式電車クモハ12041、EF58 122や、ED18 2も駆けつけ、盛大にイベントを行いました。いずれも引退し、今となっては貴重です。ほかクモヤ145 122とおぼしき写真もありました。



Idap12  今日の伊那松島運輸区には、その当時の写真に載っていたクモハ12041が、今も残るのが確認できました(写真)。支線、鉄柱が被り残念です。



Idap13  そして飯田線の終点、辰野に到着。かつて飯田線は隅の0番線から発着し、1、2、3番線は中央本線の優等列車も含む発着番線でしたが、塩嶺トンネルが完成し、本線がショートカットして塩尻に直通するようになった結果、特急は通過、夜行急行”アルプス”廃止で辰野には優等列車は通らなくなり、JR東日本の駅ながらJR東海の車輌が主となり、辰野~塩尻間善知鳥峠を越える自社のクモハ123 1(単行列車)は隅の方にいます。今日もクモハ123の乗車を望んだのですが、1両の往復のため時間が合わず、断念しました。



 塩尻方を望み、左が飯田線、真ん中から右が中央本線旧線です(写真)。



Idap14  そして今の乗換駅岡谷に到着(写真)。終点へは、JR東日本の車輌に乗るよう勧められます。



Idap15  来た道を望む(写真)。右端が飯田線岡谷折り返し専用ホームの0番線、右の1番線が上り本線、左端3番線が下り本線、真ん中が辰野方面の旧本線です。正確には下り本線が旧本線を跨ぎ、塩嶺トンネルに繋がっています。 そして撮影を終え、帰途に就きました。



 車輌製造計画から考えても、やはり119系は危ないと思います。皆さんも、無くなってから後悔しないように、機会を見つけ撮影されることをお薦めします。確かに平凡な車輌ですが、無くなると寂しいですよ。



 明日は、予定はありません。気まぐれに、話題があれば投稿します。それでは、また次回。

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電車ばかり撮っている中年です。甥からは「おじちゃん」と呼ばれます。

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