風になって

Shibuk1  皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、伊予西条の”鉄道歴史パーク”の施設を取材しました。



Shibuk2  昨日に引き続き今日も早起きして、自宅を出発。しかし米原を目前に、踏切信号の不調か、遅延が生じてしまいました。そのため米原で15分、京都で30分、結果相生で1時間の遅れとなり、寝坊コースと一緒になってしまいました。



 そして岡山から瀬戸大橋を越え坂出、多度津、観音寺と経由し、伊予西条に到着。駅ホームからも、施設が見えました(写真)。



Shibuk3  そして駅を出て、手前の建物、「十河信二記念館」に入ります(写真)。メイン施設、「四国鉄道文化館」の入場券(大人300円)もここで購入します。



Shibuk4  1階は第4代国鉄総裁であり、新幹線の建設を推し進めた十河信二の略歴等が展示され、2階には遺品等が残ります。写真は、十河信二の書斎の復元だそうです(写真)。



Shibuk5  そして「四国鉄道文化館」です(写真)。靴を脱ぎスリッパに履き替え、中に入ります。



Shibuk6  2両の展示車両のうち、右側(線路側)は、国鉄初の量産型ディーゼル機関車、DF50の1号機です(写真)。非公式側(助士側)でご免なさい。



Shibuk7  横のプレートには、”昭和31年 新三菱重工・三菱電機”と入ります(写真)。ディーゼル機関車なのに、何故三菱電機が?



Shibuk8  DF50の運転台です(写真)。これはDD13や、後のDD51、DE10等とは全く異なり、ほとんど電気機関車と同じです(右側のハンドルに注目)。それは、DF50は電気式ディーゼル機関車(ディーゼル機関で発電し、その電力でモーターを駆動する機関車)だからです。確かにアメリカのディーゼル機関車の主流は電気式で、巨大な機関で巨大な躯体を動かし、日本では想像も出来ないような量の貨物を牽引しますが、日本で主流にならなかったのは、当時は変換効率も悪く(抵抗制御で電気を熱に換えロスしていた)、しかもエンジン、発電機、制御装置、モーターと、整備すべき部品の数が他の機関車の何倍も多かったからです。力も弱く、結果フォイトコンバーターで直接機関の動力を伝える液体式が主流となり、電気式の復活は、平成のDF200まで待たねばなりませんでした(効率の良い発電機とVVVF、これは必須のようです)。



Shibuk9  建物左側(外側)は0系新幹線、21-141です(写真)。昭和51年日立製、平成12年まで使用され、引退後JR四国多度津工場でカットされ保存されていたところ、当館の開設に伴い展示されることとなったものです。なお、この相方である、22-141は、フルサイズのまま英国ヨーク国立鉄道博物館に展示されているそうです。



Shibuk10  車内です(写真)。アコモデーション改造がされており、3列シートが集団離反式の固定リクライニングシートになっています。かつての転換クロスシートは残っていないようです。



Shibuk11  運転台です(写真)。0系は、開業当初の昭和39年から50年代まで、ほとんど設計変更をされずに(最終形に小窓車がある程度)製造が続きました。国鉄改革が、沈滞を生んだのでした。少し古めかしい運転台です。



Shibuk12  同館には2階展望台があり、螺旋階段を登ると、上から写真のような姿が広がります(写真)。0系が、初期型と同じ大窓車(シート2列で一つの窓)なのが分かるでしょうか?



 そして階下におり、多くの展示品を撮影し、外に出ました。



 そして荷物を預かって戴いた十河信二記念館の職員の方にお礼を言い、伊予西条を後にしました。



 この建物が出来たと聞き、機会を窺っていましたが、今回取材でき非常にうれしく思います。ふんだんにお金をかければどんなことも出来ますが、如何に有効に時間とお金を使って取材するか、それが一番の腕の見せ所です。何と言っても今日の電車賃は、総計2,300円なんですから!



 今週はこれで終わります。来週をお楽しみに。

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鉄道オタク

鉄道博物館に行ってきました!そうとう興奮☆

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