恨みの雨#2
皆様、如何お過ごしでしょうか。それでは、今日の”Tetsu”をお届けします。今回は、昨日の2回戦、JR東日本尾久車輌センターで行われた、「みんな集まれ!ふれあい鉄道フェスティバル」をお届けします。
新前橋を早々に立ち去った私は、高崎で上越新幹線に乗り、上野へ。大宮で降り、3回戦と入れ変える手はありましたが、上野まで乗り、宇都宮線一駅、尾久へ。日本鉄道が開設した伝統の駅、しかし各停の京浜東北が通らない同駅は、メインルートを外れている気がします。
そして駅前の地下道を潜ると、間もなく尾久車輌センター、以前は正門まで延々と行列が並んでいましたが、現在は地下道入口前のゲートを開放、便利になりました。
保線機械の後に、今年も”きらきらみちのく”が(写真)。キハ40ベースの、キハ48 1506、1158、1505の3連です。下北で撮ったのと同じです。
道沿いの建屋には、VIP編成、E655系が(写真)。お召し編成ともなる同車、塗色は複雑な色です。
側面の方向幕(写真)。フルカラーLED式です。しかし架線のない尾久客車区で、どうやって電気を供給しているのか。それは、こちら側の先頭車クハE655 101の床下に、ディーゼル発電機が設置され、これが駆動しているからです。電化区間ではSIVでも供給できますが、非電化区間でDLに牽引される時は、これしか電源はありません。中間にE655-1を連結すると、同編成はお召し編成に変わります。
続いて、カヤ27 501です(写真)。”カシオペア”のカハフE26 1が不調時に使用する予備電源車、種車はカニ24です。この車輌がここにあることは、JR東日本にとっては良いことです。
建屋を出ると、EF65 1107が展示されています(写真)。田端機関区に配属され黒磯までの客車牽引も受け持った同系式、こちら側には「あけぼの」のヘッドマークが掲出されています。
同機の反対側は、通常は見られなかった組み合わせ、ヘッドマークは「富士」「はやぶさ」です(写真)。仮に組み合わせが実現しても、機関車は下関運転所のPFで、田端のPFではなかったでしょう。
横には、「レインボー」塗色のPF、EF65 1118です(写真)。しかし、同機はEF65としては2代目で、初代は現存しません。旧式客車を従えます。
尾久車輌センターの一番西に当たる転車台には、EF81 81が載っています(写真)。正面には「JR」の留め金で、日章旗がクロスになっています。
同機の側面には、区名札「田」(田端機関区)、運用札「御召」が入ります(写真)。真鍮か金箔か、金色に光ります。
北の端には、DE11 1034が(写真)。昭和48年川崎製、区名札は「宇」(JR東日本宇都宮運転所)が入ります。DE10に死重を追加した重入換専用機、必要とした貨物ヤードの無くなった現在、なかなかお目にかかれない形式です。
南側には、大型の保線機械、バラスト交換機が(写真)。余りに大きく、なかなか展示できない車輌です。保線には欠かせません。通称は「青太郎」と、案内には書いてあります。
こちらは用途が無くなり解体を待つのか、マヤ34 2004が(写真)。塗装が傷み、このまま廃車か、と書いてから2年経つのか。鉄道博物館に展示するわけにもいきませんし。
続いて、DD51 842が(写真)。高崎車輌センター所属の同機、新前橋で展示されていた895同様、磨き出しが行われています。これで新前橋と尾久のイベントが同日でも、双方の顔が立ちました。「ゆうづる」のヘッドマークが掲出されますが、こんな組み合わせ、実車であったのでしょうか。
続いて14系客車、「ゆとり」が(写真)。手前スロフ14 702、奥は同701です。しかし、中間車は、どうなってしまったのでしょうか。
尾久駅側の隅、仮設トイレの後には、DE11 1041が(写真)。これも「宇」、昭和48年川崎製です。先ほどの1034は切り抜き文字でしたが、これはナンバープレート式になっています。これらの車輌により、今日のイベントの準備は行われました。
そして出入口前には、架線整備用の軌陸車が(写真)。手前にはシングルアームパンタグラフ、後はステージ式のクレーンになっており、ここにヘルメットをかぶり安全帯を締めた子供たちを載せ、アームをのばし、約5メートルほど上空まで上昇しました。
(12/3追加)動作の様子は、以上の通りです。
こんな感じで記録を終え、次の目的地に行きました。
何度来ても良いのは、やはり架線がないところでしょうか。準備は大変でしょうが、撮るには都合良く、良い感じでした。次回も来たいですが、来年も同日で3箇所重なるのでしょうか。
今回は、3回戦があります。次回をお楽しみに。